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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


乾いたメモ

------<オープニング>--------------------------------------

「俺の仲間内で、1人連絡が付かないヤツがいるんです。探してもらえませんか」
 そう切り出してきたのは、山田克巳と名乗った青年。大学生くらいだろうか?短く刈り込んだ頭を寒そうに手で撫でつけ、そして草間に縋るように身を乗り出す。
 珍しく、普通の依頼に何とはなしに嬉しそうな草間。が、無理に引き締めてややしかめつらしい顔を作り、
「話は分かったが…条件や期限はあるのかな。捜索となると、時間もお金もかかって来るが?」
 うぅん、とちょっと渋るような声を上げる青年。金か、出してくれるかな、とぶつぶつ呟きながら顔を上げ、
「そうですね…期間は二週間くらいかな。ヤツが住んでたのはこの住所。最近まではここにいたんですけど、急にいなくなってしまって」
 す、と出したべこべこに歪んだメモに書かれてあるのは、女性の名と住所、それに電話番号。
「尾上秋子さん。…女性か。奴、っていうから男かと思った」
「はは、そうだった。さばさばしていい奴だから、ついね」
「いなくなったのはいつ頃?」
 んー、と顎をさする。無精ひげがぽつぽつ目立つが、それもまたこの青年の味を引き立てているのか不潔な感じではない。
「2ヶ月くらい前かな?急に携帯も繋がらなくなったから」
 これ、その番号、とメモの電話に指を置く。
「彼女の実家の住所とかは分からないかな」
「あー…ちょっと待って。確かここに」
 がさごそ、とジャケットの内側からシステム手帳を取り出すと、張り付いている紙を苦労しながら開き、これこれ、と一枚ぺりっと破いて手渡す。ついでに、ともう一枚メモの部分を切って手渡した。こちらには4人の男女の名と携帯番号が書かれている。
「どうしたの、それ」
「水に落ちちゃって、この通り。買ったばかりで勿体無くて」
 みっともなくてスイマセン、と照れくさそうに笑った青年。癖なのか、再び顎を右手で撫で。
「こっちの4人は俺達の友人です。もしかしたら連絡行ってるかもしれないから、一応」
 受け取った3枚の紙は同じシステム手帳から破いたものらしかった。水に濡れたという染みも歪み加減も殆ど同じ。「でも、住所録とか破っちゃっていいのかな。こっちは助かるけど…」
「ああ、いいんですよ。何とかなりますから」
 笑いながら青年が手を振り、立ち上がりかけてああそうだ、と呟く。
「俺、心当たりを探してますので、連絡は携帯にお願いします。俺の番号は…」
 メモしてくれと言わんばかりの言葉に、草間が手に持っていたペンでさらさらと別のメモ用紙に書き付けた。
「っと、もうひとつ忘れてた。そそっかしくてすいませんが、コレ前金です。残りはまた後で」
 そう言いながら、逆の内ポケットから茶封筒を取り出しかけ、ぽろっと一緒に何かを落とす。
「っとっと」
 それは、赤い小さな林檎のようなもの。慌てたようにそれを掴むと内ポケットに捻じ込んで立ち上がる。
「そ、それじゃ宜しくお願いします」
 青年が足早に出て行った後で、茶封筒に手を伸ばし、それから――ん?と眉を顰めた。
 妙に、固い。
 引っ張り出してみると、万札の束。15枚程入っているのだろうか、だがそれは全部ぴたりと張り付いている。…まるで、『一度ふやけて乾いた後』のように。
「…零、これは金庫の中にこのまま入れておいて。使わないようにな」
 零にそう言って茶封筒を手渡すと、何かを考えるようにソファに身を沈めた。

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「おっと」
 今日も煙草の害について延々と説教しに行こうと城田京一が事務所の扉を開けようとしたその時、丁度外に出ようと扉を開けた青年とぶつかりそうになって身を引く。
「あっ、すみません」
 驚いたのはお互い様だろうに、真っ先に謝罪の言葉を口にした青年がぺこぺこと謝りながらその場を去って行った。
 ――ん?
 戸を閉めようとしてドアノブに触れ、べたりとした感触に眉をひそめてハンカチで手の平とドアノブを丁寧に拭い、中へずかずかと入って行く。
「――なんだい、彼。依頼人かな?」
 早速と煙草を咥えていた武彦からすいと煙草を抜き取ってにっこり笑いながら箱へ戻して行くと、実に嫌そうに顔を顰めながら小さく頷き、
「行方不明人の捜索。この名前の女性を探して欲しいんだそうだ」
 不恰好に歪んだメモの紙片を見せられ、さっきの…と思いながら振り返って顔を思い浮かべる。
「…不思議だな。あれだけ礼儀正しいと思ったのに、この品はあれかい。証拠品とかじゃなくてメモ?」
「そう。こっちは、依頼の手付金でね」
 手の中に先程残った感触を、ふと思い浮かべる。
「面白そうだね。手伝うよ」
「先生が?」
 発音はカタカナのセンセイ、に近かっただろう。武彦の言葉にもああ、と大きく頷き、
「ただーし。私の目の前で煙草を吸わない、という条件付きだ。それさえ守ってくれるなら只働きで構わないよ」

 その言葉に武彦よりも零の反応が早かったことだけは間違いなかった。

「というわけで出かけてくる。彼、まだこの近くにいるだろうしね」
 ごく簡単に内容を説明してもらった京一が楽しげに外に出て行くのを武彦が見送っていた。戸が閉まる直前にライターの音が聞こえていたような気がしたが、わざわざ戻って説教タイムに入るまでもない。それより面白そうなことが目の前にあるのだから。

 話を聞いたりメモを見せてもらったりしているうちにそれなりに時間は経っていたようで、さすがに事務所の目の前で青年が見つかるようなことはなかった。――が。
 ――何をしているんだ?
 少し駅へと移動している途中で、無表情で自分の携帯のボタンを何度も押している青年の姿を見つけ、彼には気付かれないよう物陰にそぉっと身を顰めて覗き見た。
 携帯の画面を見つめながら、ボタンをいくつか押し、そして見入る。どうやら誰かに電話しようとしているようだが、繋がっていないのか耳に当てることもなく、それを何度か繰り返すとゆっくりと歩き出した。
 その後を、気付かれないように何気ない様子を装いながら付いて行く。幸い相手はほとんど周りに気を遣うこともなくまっすぐ駅へ向っていたので、後を尾けるのになんの問題もなかった。

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 ――着メロが、歩いている青年から流れてくる。少し前に流行った曲だ、と思い出していると、青年が訝しげな顔をしながら電話を取り、何か話している様子。
「…じゃあ……で」
 ぱたん、と二つ折りの携帯を内ポケットに仕舞うと再び何事もなかったかのように歩き出す。行き先は、どこだろうか。それに――呼び出しを受けていたようだが相手は?
 時折空を眩しそうに見つめる青年の顔には特に憂いもなく、ただ普通に冬の一日を楽しんでいるようにしか見えない。……行方不明の女性を案じている姿には、とても見えない。いや、それは早計だろうか。興信所に頼んできたという安堵で落ち着いているように見えてもおかしくは無いわけだし…。
 冷えた空気の中を、他の通行人に紛れつつ青年の後を追いかけながら、京一はどうにも目の前の青年の様子が腑に落ちなかった。

 ――どのくらい移動しただろうか。見れば、向こうから早足でやって来る人影。思わず、物陰に隠れて様子を伺ってしまう。
 近寄り、青年に声をかけたのはコートを身に纏った銀髪の少女。もしや、と思いながらも声を聞ける程近くに行くのは躊躇われ、少し離れた場所でじっとしながら時が過ぎるのを待つ。
 想像するまでもなく、先程電話をかけた相手はあの少女だろうということは予想が付く。それに、事務所に後から呼び出された調査員の1人だろうということも。
「………」
 そこから更に移動するつもりか、今度は移動し始めた2人の様子を遠目に伺いながらのんびりとした足取りで後を付いて行った。
 やがて辿り付いたのは、小さいながらもそう環境は悪くない住宅街。その一角にあるアパートの前で一旦立ち止まり、すたすたと敷地内へ入って行く。
 駐車場も備え付けてあるようで、ぽつぽつと昼間でも止まっている車が見え、そして青年はその中の一台の前で足を止める。…知り合いのか、自分の車なのか、愛しげにボンネットに手を触れて、そこから部屋へと顔を上げた。
 そこで何か話しているらしい。愛しげに車を撫でる青年の姿はごく普通の青年のようにも見えるが、その車は京一の場所から見ても分かる位激しくバンパーが壊れており、その部分は気にならないのだろうか、と思ってしまう。
 やがて2人が建物の中に入って行くのを見送って、周りに人影がないのを確かめ、そっと車に近寄って行った。

 ――元はツヤがあっただろうボンネットは薄らと白くなっていて、雨ざらしで手入れもしていないことが窺える。もったいないねえ、と呟きながら――ん?と眉をひそめてボンネットに顔を近づけた。
 青年が触れた部分だけ、白い曇りが取れ、本来の色が見えている。
 その場所に、何か他のモノが付着している。
 ふと事務所のノブに触れた時のことを思い出し、もう一度ハンカチを取り出して別の面でそっと拭う。
 そして、気付いた。
 先程触れていた時には素手だったというのに、
 ――日に反射させてみても、指紋は一切見えなかった。

 見れば、話が済んで管理人らしき人物と更に内部へ移動していく2人の姿が見え、もう暫く気付かれないままにしておこうと身体を引いて、一旦少し離れた場所まで移動した。いくらなんでも、物陰に潜んで待つ方が胡散臭く見られてしまうだろうし。
 冬の寒さが身体に染み込む前に2人が外に出てきたのは有り難かった。その上、その場で別れることになったらしい。青年がアパートの向こうへ行ってしまうのを待って、見送っている倉菜の後ろから近寄って行く。
「この寒い中ご苦労さん。彼と話して何か分かったかい?」
 突然背後から声をかけられて、倉菜はびくうっとして竦みあがった。

「―――――」
「…あ。すまんね、自分ひとりが分かった気になっていたよ。…キミも草間君の所の調査員だろう?私もなんだ。さっきまで彼の足取りを追っていた所でね」
「そうだったんですか。ごめんなさい、びっくりしてしまって」
 自分の名を告げた倉菜に相手の男性も城田京一と名乗り、
「でもどうして途中で声をかけてくれなかったんです?何か聞きたいことがあれば、まだすぐ近くに居る筈ですから…」
 ぱたぱたと小走りに先程青年が曲がった角に行き、向こうを覗き込んで――動きが止まった。何事かと京一が近寄って同じく角の向こうを見る。
 そこは一本道の路地。
 両方は塀で仕切られていて、やや遠目に見える突き当たりのT字路までまっすぐ…視界を遮るものは何もない。
 それなのに。
 さっきのんびりした足取りで移動した克巳の姿は、何処にもなかった。
「随分足が早いんですね。もう見えないわ」
 ついそこで別れたのを京一も見ていただけに、視線の先に居てしかるべき青年の姿がないことに戸惑い、そして気を取り直して京一が倉菜に向き直った。
「ところで彼に何を聞いていたのかね?」
「尾上さんのことで、もっと詳しいことは知らないかって。知り合いの方は他の人が調べているでしょうから、直接お話を伺おうと思ったんですけど」
 路上での立ち話は冷えるのか、ぶるっと倉菜が身を震わせるのを見て、
「少し歩こうか。…何なら喫茶店でも入って少し暖まっても良いし」
「他の人に悪いですから、歩くだけでいいですよ。…ところで、城田さんはどうして山田さんの後を?」
「ああ、見ただろう?彼の持って来た物を。あれで少し気になってね。半分興味で後を付いてきたというわけさ」
「気付かなかったんですか。山田さん、全然そんなこと言わなかったですけど」
 言わなかったから気付かなかったとは限らないが。だが、気付いていた様子がなかったのも確かで。
「あまり周りに気を配ってる様子なかったしね、私が後ろに居た事には気が付いてなかったんだろうね」
 それにしては、最後倉菜と会ってからの克巳は何処に行ってしまったのだろうか。先程までのスピードからするとあの短時間で視界から消えるというのは考えにくいのだが。

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 と、その時倉菜があ、と小さな声を上げてバッグから可愛らしい携帯を取り出す。着信を確かめて耳に当て、はい、と口にして向こうからの話に耳を澄ませ、
「あ――はい。今城田さんも此処に居ますので、すぐそっちに向います。はい、わかりました」
 電源を切ってからちょっと緊張した顔で京一に向き直り、
「尾上さんの居場所、分かったそうです。行きましょう」
 そう、告げた。
「「彼女の居場所が分かった?」」
 ん?と自分の言葉が誰かとハモッたような気がして顔を上げる。――何も、ない。誰もいない。只、きょとんとした顔の倉菜が京一をじっと見上げているだけで。
「そうだな、行こうか」
 今度は自分ひとり。なんだろうな、さっきのは幻聴か?と耳に手を当てながら首を傾げ、そして駅前まで移動すると、遠慮する倉菜にいいからいいから、と言いくるめてタクシーを呼び、乗り込んで行き先を告げた。

 ――そして何故か、タクシーの運転手は京一達が乗り込んでもすぐ扉を閉めることはせず、少ししてからほんの少し首を傾げて車を走らせたのだった。

 着いた先はビジネスホテルの前だった。なるほどな、と納得しつつ先に倉菜を降ろして金を払う。
「ありがとうございました。…あのぅ。さっきの人は乗らなかったんですけど良かったんでしょうか?」
「さっきの人?」
 続いて降りかけ、運転手の言葉にぴた、と動きを止めて運転手の顔を見た。からかっている様子はなく、真剣な顔で。
「背の高い男の人が、ドアのすぐ前で立ってたんですよ。他のタクシー待ちの人でもなさそうだけど、お客さん知らないふりしてるし待ってみても乗り込む様子ないし…こうやって来ちゃったんですけどね」
 ドアをなかなか閉めなかったのはそのせいか、と京一が納得しかけた、が、
「私達の他に車のすぐ近くに人なんて居なかったがね」
 きっと通行人を見間違えたんだよ、と何気ない声でそう告げると車を降りた。怪訝な顔をした運転手が去った後も、なんと無しに周りを見回してしまう。
「どうかしたんですか?」
「…ああ…いや、気のせいだろう。さ、入ろうか」
 フロントとかろうじて呼べるような小さなカウンターで聞けば、またですか?と不思議そうな顔をされ、
「尾上様なら――室です」
 部屋番号を教えてもらい、上の階へと移動する。ぼろいエレベータを出、耳鳴りのしそうな狭苦しい廊下に出た途端。
「あ…山田さん」
 ぽつりと倉菜が呟いた。視線を向ければ、角を曲がるジャケット姿。
「――彼だったのか?今の人影だろう?」
「ええ、多分。…一瞬だけど顔も見えました」
 こく、と確信有り気に倉菜が頷き、妙だな、と京一が呟く。
「そうですよね、私達もタクシーを使ってあの場所から来たのに…それに、どうして此処に居るって知ったのかしら…」
「急ごうか」
 何か嫌な予感がし、すたすたと部屋番号を確認しつつ移動する。それは予想通り、
 先程の人影が曲がった角の先の部屋で。

「――」
 電話ではシュライン達もいるということが分かっている。部屋の中で秋子と話をしているのだろうか、と思いながら、数回ノックした。
 ざわざわっ、と中で人の声が聞こえる。
『――誰?』
 鋭い声が聞こえて来る。
「藤井さん?私です。硝月です」
 それが事務所から出る前に顔を合わせた女性の声と気付いて、ほっとしながら倉菜が言葉を続けた。
「どうしたの、こんなところで…って、ああそうか、エマさんが連絡したのね」
 カチリと鍵が開き、チェーン越しに百合枝が廊下を覗き込む。――ごぅ、と空気が動いた。倉菜が髪を取られ、慌てて手で押さえる。
「山田さん来てません?さっきこの階で見失っちゃって」
「え――彼、追いかけてきたの?」
 驚いている百合枝に2人とも首を振り、
「エマ君から連絡をもらった時にはもう彼はいなかった。…タクシーで此処まで来たんだが」
「この階に来たら、この部屋の近くに人影が見えて、それが山田さんみたいだったんです」
 そういうことさ――そんな会話をした京一がひょいと肩を竦めた、まさにその最中。

「いやぁぁぁ!」
 部屋の奥から、悲鳴が聞こえた。
「!」
 3人がきっ、と部屋の中に視線を送る。
「藤井さん、チェーン外してください」
「あ、そうね。…鍵お願い。先に行くわ」
 ぱたぱたと中へ走りこんだ3人の目に映ったのは、いつの間に来たのか――部屋の中央にうっそりと立って、一点を…隅へ這いずりながら訳の分からない声を上げている秋子を見つめている克巳の姿。

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「なんでそんなに驚いてるんだ?きっと行く、って、言ってた、だろ」
 ぎこちない笑み。ざらりと顎を撫でると、一言一言説明するように力を込め。
「ようやく上がって来れたのに、落し物してて…相変わらずそそっかしいよな、俺ってば」
 マイペースなのか、ゆったりと笑いながら秋子に手を伸ばし、そして部屋の隅に逃げて行った秋子を首を傾げて見る。足元がおぼつかないのか、ふらっと揺れてすとん、とその場に腰を下ろし。
 視線はひた、と彼女にのみ注がれている――この場に居た者にも、後から走りこんできた2人にも全く意識を向ける事無く。
「いつの間にここに来たの――何処から、入ってきたのよぅ」
 秋子の視線も、囚われたように外せずにいる――止め処なく流れる涙に曇ってはいるだろうが。
「必ず来いって言ったのは、お前だろ?」
 にっこりと笑いながら、座ったその場からひらひらと手招きする克巳。声もなく、いやいやと首を振る秋子。
「…なんだっけなあ。お前に言わなきゃいけない事があったんだが…もう…忘れちまった」
 無邪気な笑みは、急速に冷えて行く室温に反し、とても柔らかく。
「あとは――ああ、そうだ。これ…わたさな、きゃ、って、おもって、…」
 何か言いかけ、止まる。それが不自然な仕草だと全く気付く様子はなく、急に再び動き出すと体のあちこちを探り、そして取り出した。小さな、手の平の中で転がる林檎…色も褪せて、毛羽立った。
「秋子」
 伸ばした手は、届きようがなく。ドア間際で身を竦めている秋子の、押し殺した泣き声だけが部屋の中に響く。
「――あ、きこ」
 ぽとり、と音を立てて其れが手から離れた。
 徐々に小さくなっていく声。先程から気付いていたのか…画像がブレるように…影が、ジャケットの黒ずんだ色に馴染んで行く。うずくまった『影』が、じわ…っと床に広がって行った。

 シュラインが、落ちたままの林檎を拾い上げる。ざらりとした手触りは以前触れたことがあり。
「ジュエルケース…なのね」
 ぱかりと開いた中には。
 黒ずんだ、指輪が。
「―――尾上さん」
「……あ―――――」
 うそ、と言う呟きは、小さかったが部屋中に響き。
「…コレ…欲しいって、一度だけ、言った事ある…」
 受け取った指輪を指に嵌め…そして、親指ですらぶかぶかなのを見て、笑いかけ。
 ――再び、涙が溢れた。
「ば…かじゃない。人のサイズも調べないで…」
 ――ぽとり、と。
 顔を覆った指から外れて落ちた指輪が、
 ころころ…と転がって、思いのほか綺麗な金属音を響かせた。

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 一段落着いた所で、しおらしくベッドに腰掛けている秋子を横目に、みなも達が電話をかけている。恐らくは合流する筈の弧月にだろう。
「あたし…警察、行きます。全部話します…あの日のこと」
 真赤に泣きはらした目の女性が、俯いたままそう告げるのを、そうね、とウィンが呟いてぽんぽん、と背を叩く。
 付き添いは興信所の所員であるシュラインが付き添うことにし、何故か事故現場付近で気がついたという弧月に合流することにした。

「何があったんですか?」
 集まってきた皆に、茶を啜りながら弧月が訊ね、
「…それはこっちの台詞だよ、柚品君。合流する筈の場所には来ない、連絡はまるで取れない、かと思えばこんな場所に来ていると言う。私達は向こうで彼女に話を聞いてようやくこの場所が判ったというのにね」
 京一が顔をしかめてみせた。その隣では、その場に集まった者達がこくこくと頷いて弧月の答えを待っている。
「俺も良く分からないんですが…気付いたら、当たり前のように此処に来ていたんです」
「――事故を起こしたりはしなかったのよね?」
 ウィンが、そこで口を挟んだ。弧月がウィンと目を合わせ、
「俺はこの通りぴんぴんしてますからね。…でも、そう言えば…気付く直前に跳ねられかけたような」
「湖のすぐ近くで?」
 不思議そうに頷く弧月と、思わず目を見合わせる一同。
「今回依頼して来た人が事故に遭った場所が、その場所です…恐らく」
 みなもがそっと、何かあたりを窺うような声で告げた。
「バイクに乗ったから、此処まで来たと…?」
「…山田さんの記憶を追体験したんじゃないかと思うんです」
 確証はないんですけれど、と続けて言い訳しながらウィンがそう言った。

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 年末頃から行方不明だった山田克巳の遺体は、事故現場付近で発見された。
 死亡推定時期と目撃証言の時期が激しく食い違っていること、湖に沈んでいた遺体から発見された携帯電話もとうに壊れている筈なのにごく最近使用された形跡があること、運転中に湖に落ちたという話だがヘルメットやジャケットは脱いできちんと岸辺に置かれていたことなどが捜査員を混乱させてしまったようだった。
 表のニュースでも、固い新聞等でも載らなかったこの話題は、ゴシップ誌等が細々と扱っていたがいつの間にか話題にも載らなくなっていった。
 そして、当の秋子は、というと。
 捜査員の頭を悩ませた矛盾する事柄を折半するような形で決着が付いた。すなわち、過失致死とはしない代わり人身事故の加害者として責任を取るように、と。
 元より秋子に異存のある筈は無い――いや、寧ろ。
 彼女は…克巳を殺した人間として、裁いて欲しいと思っていたかもしれなかった。

 そして、依頼人が死んでいたと分かった今では後金の請求も出来ず。前金も使ってしまっていいものかと暫くの間武彦の頭を悩ませた。



 ――更に、後日。
 京一が自分の勤める病院で調べた結果をもたらしてくれた。あの日、彼が触れた事務所のノブと秋子の車から採取したモノ。それは――克巳と同じ血液型の人間の…生活反応のとうに消えた皮膚片と…体液の一種だったと言う。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0086/シュライン・エマ   /女性/26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員 】
【1252/海原・みなも     /女性/13/中学生               】
【1582/柚品・弧月      /男性/22/大学生               】
【1588/ウィン・ルクセンブルク/女性/25/万年大学生             】
【1873/藤井・百合枝     /女性/25/派遣社員              】
【2194/硝月・倉菜      /女性/17/女子高生兼楽器職人(神聖都学園生徒)】
【2585/城田・京一      /男性/44/医師                】

NPC
草間武彦
  零

山田克巳
尾上秋子

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■         ライター通信          ■
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お待たせしました。「乾いたメモ」をお届け致します。
今回少しばかり体調を崩してしまい、作業の進みが遅く…申し訳ありませんでした。幸いインフルエンザではなかったものの、体調管理が不備だったことに反省です。うぅ。
皆様もどうか体調にはお気をつけ下さい。ご近所でも咳のオンパレードで、伝染させる心配よりも自衛の為のマスクが必要だなと思っている今日この頃…。

参加して下さった皆様ありがとうございました。
またいつか、機会があればお会いしましょう。
間垣久実