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闇風草紙 〜再会編〜
□オープニング□
月影がガラス窓の隙間から落ちる長い廊下。
未刀の帰りを待つ部屋には、炎が揺らぐランプと敷き詰められた絨毯。存在感だけが大きい輸入家具が並び、寝る者のないベッドは過ぎるだけの時間を乗せている。
「仁船。何故、ここに呼ばれたか分かるな」
「……次は必ず」
頷くのは長身の青年。瞳には光無く、虚ろに視線を床へと向けている。
「未刀はまだ力を開放してない。いいか、父を悩ます愚息はふたりもいらんからな！！」
足音を響かせて、似合わないブランドスーツ姿の男が出て行った。
「いつまで遊んでいるつもりなのですか…ね。ククク」
無表情のまま、仁船は激しく壁に拳を叩き付けた。
ガッ！！
掛けられていたシスレーの絵が落下する。下には血糊が隠されていた。それをゆっくりと愛しげに指でなぞる。
「血塗られた道……。私の方が似合う」
仁船は柏手を打つ。瞬時に天井の陰から天鬼が飛来した。角が１本、青黒い肌。闇よりいずる異形の者。金にぎらつく目で、主を虎視している。
「未刀を探せ。手は出さなくていい。私の楽しみを奪うことは許しませんよ」
「御意に」
声が終わらぬ間に気配が消えた。
床に転がった額縁を拾い上げ、乱暴にベッドに放る。他人の目を享楽させるものに飾る価値などない。
ランプの炎が、弟の部屋から遠ざかっていく兄の陰影を揺らした。
□白羽の舞う空で ――花室和生
解き放して、心を。
抱きしめて、あなた自身を。
私が出来ることは少ないかもしれない。
けれど。
私はしたいと思うから――。
目が覚めた。目尻には涙の跡。起き上がると、柔らかな枕に頭の形と雫のシミが残っていた。
「私、忘れられないんだなぁ……。未刀くん、今…なにしてるの……？」
開けたカーテンの隙間から朝日が差し込む。平等に与えられるはずの暖かな光も、彼の悲しい瞳を輝かせることはできない気がした。真に光を放ち、まっすぐに前を見ることができたなら、どんなに綺麗だろうか。
そして、あの鈴の音。
「やっぱり、おばあちゃんに聞いてみよう」
今日は日曜日。祖母を見舞う予定がある。未刀くんと出会った日から、指折り数えている。
まだ５日、もう５日。
ベッドに眠っていた彼を、眠りにつく度思い出してしまうのだ。ソファの影、ドアの開く音。恐怖と隣合わせの記憶。それでも、知りたいと思った。
私は身支度を終えると、彼が出て行ったのと同じドアから、祖母の入院している病院へと向かった。
「ね、おばあちゃん……。あの、あのね…聞きたいことがあるんだけど」
白い壁とクリーム色のカーテン。個室の窓からは、葉がすっかり落ちて凍えたように立っているポプラ並木が見えた。
持ってきた手作りプリンと枇杷色のフリージアを、テーブルに置きながら訊ねた。
「あら、なぁに？ 和生ちゃんには珍しく、お天気の話が一番最初じゃないのね」
「う、うん……」
なんだか見透かされているようで恥ずかしくなった。祖母は元天使。こういう話には敏感なのかもしれない。今まで、恋をしたことがなかった――いいえ、彼女に相談するほどの人に出会ったことがなかった。
上気する頬を押さえつつ、さり気なく聞きたかったことを言葉にしてみた。
「鈴――リーンの鈴って、前に話してたよね？ あの、ええっと…どんなものなのかな」
「知りたいの？ もしかして聞こえた？」
「えっ、あ、えっと……参考までに知りたいだけ…だよ」
やっぱり見透かされてしまったらしく、祖母は可笑しそうに目を細めると『リーンの鈴』について話してくれた。
――天界には運命の相手と出会った時、自分にしか聞こえない鈴の音が鳴る伝承がある。ただの言い伝えなどではなく、天使なら必ず持っている力。なぜなら、天界において「争い」は禁忌だった。それが恋する者の所業であっても、許されるものではない。天が乱れれば、地もまた乱れる。両極に分かれた同一の世界だから。
私は祖母の能力――つまりは、天使としての血脈を一番つよく引いている。
「もちろん、和生ちゃんにも聞こえるはずよ。もし、その相手に会ったら私にこっそり教えて頂戴ね」
鼻先を人差し指で弾かれて、私はますます頬を赤らめてしまった。
今は、まだ言えない。未刀くんのことは。
だって、彼の心を知らないから。
そうか、私は知りたいんだ……彼のことを。本当はここに来たのだって、ただの口実だったのかもしれない。鈴の音の相手が未刀くんであってもなくても、もう一度逢いたい。
私のせいで危険に晒してしまったことだけでも、謝って「ありがとう」と伝えたかった。心から。
＋
自分から天使の力を使うことがあるなんて、思いもしなかった。
未刀くんと出会ってからの私は、すぐに能力に頼ってしまう女の子になってしまっていた。
「どこにいるの……」
呟きは羽ばたく私の翼の音でかき消される。夜の闇。街の光。
彼を運んだのと同じ空。いつも残像を探す、通りかかったすべてのものに。
こんなに飛んだなんて初めてだった。もう六花荘がどこだったかも確認することはできない。遠ざかっていくビル群。次第にまばらになる街灯と家に灯る明かり。
私は急に切なくなって翼をたたんだ。ゆっくりと降り立ったのは森の中。
闇だけが支配する世界。唯一、空には満月が輝いて、周辺だけはほんのりと明るかった。
「ここ、神社なんだわ……世、蒔…神社？ 家から遠いのかな」
白く立ち昇るため息。
私は翼を仕舞うのも忘れて、凍えた体を抱きしめた。こんな風にさ迷ったって、未刀くんに出会える保証はどこにもない。それどころか、今まさにあの恐ろしい視線の中にいるのかもしれない。
「未刀くん……どこにいるの？」
「――ここにいる」
呟きに答える者などいるはずがないのに。
耳に囁かれた声。追い求めた声。
「未刀くん！！ し、心配……してたんだから……ぐす」
最後は声にならなかった。涙が零れて、喉が詰まる。震えているのは寒さのせいだけじゃない。嬉しくて、ただ嬉しくて再び出会えた奇跡に、私は困った顔の未刀くんにすがりついた。
押しつけた黒いシャツから香る、ベッドに残ったのと同じ匂い。
「あんたが空から降りるのを見つけた――翼があったんだな……」
「どうして……すぐに声をかけてくれなかったの？」
「僕に関わるべきじゃないと思ったから……でも」
「でも――？」
彼の手がそっと伸びてスカートの裾についた私の羽根を拾いあげた。
「僕は知らなかった。こんなにも――くそっ、追っ手だ！！」
言葉を切って、未刀くんが私を背中で庇った。緊張感がビリビリと彼の背中から発せられている。同じように闇に目を凝らすと、樹木の上で稲光が走った。
「え……雷？」
「仁船だ……くそ、天鬼か。やっかいなヤツを寄越してくれる」
唸り声と青白い光。強烈な音とともに雷撃が足元を焦がした。寸でに未刀くんが私を横抱きにして隠れてくれなければ、あの地面のように黒くなっていたのは私だった。怖さに足が震えて立てない。
「おや、お客人ですか……。ま、いいでしょう。未刀様はすでにご用をご存知のようですから」
ニヤリと笑った顔は青黒い。頭には角。
鬼だ。
初めて目にする異形の者。私はますます動けなくなった。
――あ、あ……いけない。私、また足手まといになってしまう。
彼を助けたい。今度は逃げおおせないかもしれないから。
けれど、どんな状況であっても誰かを傷つけることには躊躇する。だいだい、そんな力使ったことすらないんだから。
戸惑う内に、未刀くんの足が地面を蹴る。手に現われたのは光。刀の形をした光。
「逃げろ……あんたには翼がある、大丈夫だ！！」
「でも――」
「いいから行け！ これ以上あんたを巻き込みたくないんだ！」
攻撃を受けた天鬼が続け様に稲妻を落す。俊敏な動きでかわしているが、未刀くんのすぐで岩が砕け、地面が裂ける。
私は動けなかった。
恐ろしかったからではない。嫌だったから――。
「でも、でも……未刀くんにこれ以上、悲しい瞳をさせたくないよ！！」
ほとんど泣いていたように思う。叫んで、叫んで、彼を助けたいと願った。
その瞬間、翼が開いて体中から光を放っている自分に気づく。
「なんなのですか！？ この光は！！」
天鬼に向かってまっすぐに集約されていく光。加護の光。
瞬く間に異形の体を包み込み、聖十字に吊るされる。
「花室和生――あんたか…？」
「え……？ 私？ 私の力…なの？」
捕らえられた天鬼。逃れようともがいている。ゆっくりと未刀くんが近づいてきた。そして、呟いた。
「僕にも眩しすぎる光だ……。早く逃げろ」
「ダメ――そんなことないから！ 私、逃げない」
突然、両手首を掴まれ、引き寄せられた。私の握り締めた手を、彼は胸に当て懇願するように俯いた。
「お願いだ――僕は、あんたを巻き込みたくないんだ」
吐息が、唇が指にわずかに触れる。心臓が早鐘を打つ。
「どうしてそんなこと言うの……。私簡単に傷ついたりしないから…大丈夫」
「花室……」
誰かを巻き込みたくないと思うのは、彼の優しさ。
誰も傷付けたくない。きっとそう思っている彼の真摯な思い。
彼の願い通り、誰も傷つかないかもしれない。
けど、彼の痛みはどうなるの？
誰が癒してくれるの？
ひとり傷ついて、彼の心を誰が守ってくれるというの？
「あなたを、守りたい……」
震える唇。辛うじて呟いた言葉。
ゆっくりと未刀くんの顔が上を向いていく。青い瞳が色を変化させながら輝いた。
「わたしの任務を邪魔する者は許さん！ 女めぇーーー！！」
突然背後から、低く唸る声が鼓膜に突き刺さった。
「天鬼！！」
素早く私の手を離し、未刀くんは踵を返した。光から半身抜け出して、青黒い手が抱えた電撃が狙っているのは私だった。
体が竦んで動けない。
「黒色の闇。真実の扉開き、闇へ帰す。我、権魎を封印せし者。蒼き衣に纏いて！！」
背中越しに見た未刀くんの腕。円を描いたその中心に現われたのは闇だった。天鬼の放った稲妻とともに、妖の体は巻き起こった風に絡め取られた。
そして、残ったのは断末魔の叫びだけ。
何もなかったかのように、月の光が青白く天鬼のいた空間を照らしていた。
「六花荘に来て……私、料理得意なんだよ」
元気づけたかった。
助けてくれたのに、そうするしかなかったはずなのに、封印した彼の目には涙が滲んでいた。
どうして、こんなにも優しいんだろうか。
「安心…出来る場所を見つけてしまった――許されるはずもないのに……」
「えっ……？」
「いや、なんでもない。ごちそうになるよ、食事を」
吹っ切るかの如く、空を見上げた彼。
つられて見上げた空には、鈴の音とともに、私の想いのように白い羽根が舞い散っていた。
チリーン。
□END□
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■ 登場人物（この物語に登場した人物の一覧） ■
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【整理番号 ／ ＰＣ名 ／ 性別 ／ 年齢 ／ 職業】
＋ 2187 / 花室・和生（はなむろ・かずい） / 女 / 16 / 専門学校生
＋ NPC / 衣蒼・未刀(いそう･みたち) / 男 / 17 / 封魔屋（逃亡中）
＋ NPC / 衣蒼・仁船(いそう･にふね) / 男 / 22 / 衣蒼家長男
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■ ライター通信 ■
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大遅刻。本当に申し訳ありません……。ライターの杜野天音です。
天使という存在は手の届かない者のようで、実はとても近い存在なのかもしれませんね。未刀とはかなりかけ離れた世界観の中で生きてきた和生ちゃん。でも、だからこそ見えてくるものもたくさんあるのではないかと思います。
如何でしたでしょうか？ ふたりがもっと近づいていくことを願います♪
それでは次回の休日編はオープン中です。時期をみて、ご参加下さると幸いです。
確認は異界にてお願い致します。今回もありがとうございました！
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