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<PCシナリオノベル(シングル)>


味方していない者は敵対している


 高校の正門脇から続く桜並木の中に一際目を惹き、風雪に耐えて老いた風格を持つ桜があった。
 樹の根本、創立記念に植樹された事を示す石柱に刻まれた年号は、その場に根ざしてもう半世紀を過ぎた事を示している…里桜の寿命は五十年ほどだと言うが、手入れによっては永く生きる。
 この樹もよく気をかけられているようだ。
 痛んだ枝を払った後は別の樹脂で固められ、虫や病が入り込まぬよう処理された老いた枝先にはふんだんに花芽が見受けられる。
 人は古来からこの花の為の労を惜しまず、それに応じて花も人の世に沿って続く。
 尊ばれる種にも隆盛があり、今最も一般的な桜と言えば染井吉野だが、十桐朔羅にとって、桜花とは自邸に深く永く根差す山桜の印象が先に立つ。
 染井吉野の淡紅色の花弁は青空に映えるが、山桜は白さのあまりに薄紅を帯びた影だけを残して月光に映える。
 まざと脳裏に思い浮かぶ幽玄は朔羅の内から染み出すようで、白を基調とした和装に冬枯れの樹下に立つ様は人ではない、木霊めいた印象を与えた。
 その現実感の無さを助長するのは、手にした刀の一助もある…漆黒に緋の映える設えも目に鮮やかな静けさ。
 それを打ち壊して。
「いやン、朔羅クン美人ーッ♪ こっち向いてーッ♪」
遠くから大きく手を振っての声援(?)に、朔羅はそちらに顔を向ける。
 遠くからでも探すに易い金髪…の上、肉感的な身体にぴっちりと、警察官の制服を纏った美女が子供じみた動作でぶんぶんと頭上で大きく手を振って、自分の位置をアピールしていた。
 willies症候群がなりを潜めたかと思えば、今度は連続殺人事件が世間の関心事である。
 20代前後の若い世代、大なり小なりの記録を残したスポーツ選手が被害者である話題性、その身体の一部を持ち去られる猟奇性とに、怨恨か復讐か逆恨みかとマスコミがこぞって取り上げるのに警察もようやく重い腰を上げ、該当すると思しき者に警備が配される事となり…その水面下でどのような手が配されたかは常人に知る由も知る必要もないが、実際の警護にあたるは通称『IO2』、常識的に考えられない、有り得ないとされる超常現象を、一般人にとって有り得ないものとする為の超国家的組織だ。
 一連の事件に心霊テロ組織『虚無の境界』が絡むと践んだ『IO2』は、犯人の捕縛に乗り出すに、骨格から身長、体格が類似し、且つ超常の力に対して護身の可能な人材を囮として能力者に協力を求め…現在に至る。
「西尾……」
 そのまま公務員募集ポスターモデルに起用すれば、不純ながらも熱意ある青少年が入れ食いになりそうなモデルばりなプロポーションに、婦人警官を主張するに無理があり過ぎる『IO2』構成員、ステラ・R・西尾は、ちょん、と朔羅の頬を指先でつつく。
「イヤン、ステラと呼んで♪ 貴方とワタシの仲じゃない♪」
ちなみにどのような仲かと言えば、それは護衛する側、される側、である。
「何か」
全く動ぜず、朔羅は淡々と、呼びつけた意、を問う意味の言葉を向けた。
「あ、そうそう。朔羅クンがあんまりキレイだから忘れてたワ」
パン、と胸の前で軽く合わせた手、そのまま傾けて頬に寄せ、ステラはあまり位置に変わりのない、朔羅の目線にその鮮やかな翠色の瞳を合わせた。
「唯為が行方不明になっちゃったノ」
忘れてたらダメだろう、それは。
「……」
反応と呼べない朔羅の沈黙に、ステラはつまらなさそうに唇を尖らせた。
「なんだモット慌ててくれるかと思ったノに」
が、朔羅の次の反応への期待に充ち満ちた眼差しを向けられては、唯為の無事を告げるも同然だ。
「主にナニかあったら、臣下は切腹しなきゃなんでショ? それを助けたらお礼にヨシワラでタイやヒラメのオオバンブルマイだって聞いたから楽しみにしてたノニ」
ステラが言う所に当て嵌めれば、主は唯為、臣下は朔羅である。
 朔羅が継承する能の流派、その主筋にあたる本家の当主が本件に於いての囮を務めている。
 事前にそれを聞き、同行を申し出た朔羅に『IO2』は当然の如く難色を示した…部外者に協力を求めはしたが、それは条件を満たす人員の確保の為であり、必要外の人間に秘密裏に進められる計画の内容が知れるのは本意ではない。
 それを無理にねじ込んだのは他ならぬ当主であった。曰く、太刀取りの近侍は必須だと…家の格から見れば主従のようなものだが、いつから武家になったのか。
 ともかくも、囮が持つには存在感のありすぎる日本刀を預かり、邪魔にならない=危険ではない場所に控えている、を妥協案に、朔羅はつかず離れずの場所に控える羽目となる。
 朔羅はひとつ、息を吐いた。
「捜索は?」
「する暇なかったワ」
掌を上に向けて、竦めた肩の位置で止める。
「異界に取り込まれたかと思ったらスグに解放されて、対策を講じる暇もナシ。対象は逃亡……勝敗つかずで+−0、痛み分けってトコかしラ」
生死に関わる事態にはならなかったようだ、と朔羅は心中でのみ感じた安堵を表情に出さず、懸念をステラに向けた。
「……相手は」
「そうそう、唯為から、朔羅クンに伝言があったのヨ……アナタの腹違いの弟に逢ったそうヨ?」
 同行を求めたのは、何の因果か唯為には息子、朔羅には弟…『虚無の境界』に所属する、のその人物に見えたかったが為…無理を通して正解だったが、朔羅に本気で腹違いの兄弟が居たら、どうするつもりだ。
 遠回しに、しかし知る者にとってはズバリすぎるヒントに、朔羅は思わず片手で顔を覆って呆れの息を吐く。
「知り尽くされたマニュアル通りにやってんたじゃ、カタナシねェ」
それに合わせてかステラも頬に手をあて、ほぅと其処だけ妙に憂いを含んで吐息をついた。
 その、意味する所。
 朔羅は、自らの顔に当てた手で、面を撫でるように下ろし、思案に指の背を口元にあてた。
「西尾……」
「ス・テ・ラ♪」
笑顔に凄味を一匙加えた美女の迫力に、朔羅は逆らわぬが賢明、と言い改める。
「ステラ……『IO2』でマニュアル外の状況へはどう対処を?」
「状況にも因るケレド。自らの能力で沈静出来ない場合、基本は静観、詳細に状況を記録して報告するコトになってるわネ」
ステラの返答に、朔羅は顎を上げた。
 指先が顎の下に軽く触れ、次いで触れた喉に手を添える。
「ならば、耳を塞いで……目を閉じて欲しい」
ステラの物問いたげな視線に、仄か、朔羅の口元が笑んだようだった。
「ピュン・フーの捕まえ方なら、唯為に負ける気がしない」
そう、唇を母音の形に開いた。


 ばさがさばきぼき……………ぼとっ。
 空から降った黒い塊は、桜の枝を緩衝剤にどうにか速度を緩めて地面に落ちた。
「あ痛ッツツツ…ッ」
落下の際にあちこち撲ったであろうが、それどころでなく頭を抱えた呻きに合わせて、背の皮翼がバサバサと地面を擦って、砂埃にまみれるのは話題の主、今をときめく連続猟期殺人事件の容疑者…ピュン・フーが転がっている。
 人の可聴音域より外の音無き声に、脳にノイズを生じさせる…それが良く効く体質のピュン・フーならば、他者に害のないごく微かでも容易く効く筈、との狙いは外れていなかった様子だ。
「ピュン・フー……大丈夫か?」
朔羅はだらしなく皮翼を伸ばして地面にへばる男の前にしゃがみ込む。
「だいじょぶ……なワケねー……」
頭が『わんわん』している為か、噛み締めた歯の間から絞り出すような声の間が長い。
「『あっち側』に居たのになんで……声届くんだよ……」
弱々しくパサリと、皮翼が動く。
「アラ、朔羅クンお手柄ネ。ご苦労様♪」
耳から離した両手を合わせて軽い音を立てたステラの労いに、朔羅は僅か視線を向けた。
「ステラ」
その一言に込められた諫める気配に、ステラは肩を竦める。
「そうだったわネ、目を閉じて耳を塞いで……ついでに歌でも歌ってるわネ」
其処で口ずさむのが何故演歌、と問いたい気持ちを理性でねじ伏せ、朔羅はピュン・フーに向き直った。
「う〜……ママに引き続いてにーちゃんまで。家族愛の何たるかを世に問うぞ、そのうち」
疑似家族設定に拘りつつ、ピュン・フーはどうにか身体を起こすと軽く頭を振った。
「『IO2』に与するつもりも、『虚無の境界』と敵対するつもりもない」
地面についた膝と、曲げた足先で体重を支え、朔羅は脛の浮いた不安定ながらも正座の形を取って、膝の上に刀を置いて居住まいを正す。
「そして、貴方の敵に回る気もない」
静かに、そして確かな言に、ピュン・フーが首を傾げ…かけるが、ぐらと上体が傾きそうになって途中で止める。
「んじゃ、なんでここに居んだよ……唯為もそうだけど」
額を抑える手に邪魔なのか、ピュン・フーはサングラスを引き抜いた。
 きつく閉じた瞼に、不吉に赤い月と同色の目の色は伺えない。
「ただ、何故か貴方を放ってはおけぬと思い、此処に居る」
「……ここはやっぱり、俺の事なんかほっといてくれよ! って反抗的な態度するのがオヤクソク?」
額から目を、覆う位置に下ろして続ける口調こそいつもの調子…のようでいて、声に覇気がない。
「貴方にとっては迷惑かもしれぬが……」
言葉を濁らせた朔羅に、ピュン・フーはハァ〜、と大きく息を吐いた。
「にーちゃん……そう思うんならもっと優しく呼び止めてくれ……」
で?と、先を促す。
「何がどう放っとけねーって?」
そこで朔羅ははたと止まる。
 心に懸るものは確かにあるのだが…それが何かと、明確な形を問われれば、手で掬い上げた水のが曖昧な感覚が指の間から擦り抜けるような。
 確かに其処にある、けれども確と形を得ない、もどかしさ。
 朔羅はしばしの黙考の後、逢瀬を叶えた現状に手がかりを求めた。
「……今回の一連の事件、貴方が手を下しているのか?」
「だとしたら?」
顔の上半分を覆った手の下で、に、と口元が笑う。
 試す口調で、いつものように。
 そして、言外に答えを拒む。
 朔羅は、視線を下方に向けた。
「虚無の境界が絡んでいるのならば、貴方自身の意思で動いているとは思えぬ」
緩く首を振る否定には、何処か希望が混じっていた。
「ふぅん、そりゃまた……にーちゃんは俺が誰かの言いなりで動いてた方が、気が楽なんだ?」
ピュン・フーは何気なく、そう朔羅の核心を突く。
「なら俺がテメーの独断だけで殺ってるっつったら、にーちゃんはどうすんの? 止める?」
意地の悪い聞き様である…が、それに反して口調は朔羅の答えを楽しむ明るさがある。
「俺が朔羅を殺す前に?」
生死に何の重みなく、発されたそれは朔羅の命を示す。
「私が邪魔ならば排除すれば良い」
朔羅は、それを確かに受け止めた。
「だが、まずは貴方という人間を知ってからでも遅くはないだろう? ……ピュン・フー」
そう呼んだ名に、ピュン・フーは未だ目元を覆っていた手を下ろした。
「やっぱ普通じゃねェな、朔羅」
閉じたままの眼に表情を欠いて、何処か眠りのようなピュン・フーを内心に訝しみつつ、黒い服装の中、腕に巻かれて袖口から覗く白が目を引いて、朔羅はその手を取った。
「怪我を負っているのか……?」
土に汚れたそれと取り替えるつもりで、懐内から手拭いを取り出す。
「ママのお仕置き……って、もう治ってるからいいってばにーちゃん」
ピュン・フーのらしくない遠慮に朔羅は強引にその手を取り、結び目を解く。
 器用に巻かれたその一巻きの下は、未だ乾かぬ血に赤く染まっているのに僅か、眉を顰めた。
 日本刀を預かっていて良かった、とその重みで膝の上に安定する日本刀の存在に肝を冷やす…唯為の手に合ったのが真剣なら、ピュン・フーの腕は今頃縦割きか。
「親子喧嘩も程々に……」
ご家庭内の闘争にしては少し遠慮の無さ過ぎる事態に、朔羅は息を吐き出した。
「はーい」
何処まで本気か、ピュン・フーはお返事だけはよく、腕に乾かぬ血を親指で拭う。
「ピュン・フー、」
あからさまに傷であろう部位を遠慮無く触れる指に、見ていた朔羅が止めかけるが、その下に血の量から想像した傷はなく、ただ皮膚が張る。
「ホラ、治ってるだろ?」
事無しびに肩を竦めた動きに、背の皮翼がバサリと持ち上がる。
「んじゃ、そろそろ行くわ」
朔羅はそのピュン・フーの手を取った。
「ピュン・フー、目をどうかしたんじゃないのか?」
先から閉じたままのそれを案じて問えば、あぁ、と小さく呟いて瞼を指先で軽く押した。
「薬切れかけてるのかえらく喉が渇いてなー……みっともないと思うのでお見せ出来まセン」
言いつつ立ち上がり、サングラスをかけ直す。
 そこで漸く目を開いたのか、いつもの笑みが表情に乗る。
「んじゃーな、朔羅。唯為にもゆっといたけど、また今度一緒に遊ぼうな♪」
バサリ、と空を打って皮翼がその身体を宙へと持ち上げる。
「ピュン・フー、水族館の礼がまだ……」
呼び止める朔羅に、ピュン・フーは軽く首を傾げた。
「アレだっけ……三千世界まで届くのは祇園精舎の鐘の音だったっけか」
咄嗟、何を問われてか判じられない朔羅に、ピュン・フーはニ、と笑む。
「礼はいいから、次になんかある時はあの音じゃなくてその声で」
何処からかたゆたう霧が、その黒い姿を呑み込む。
「名前で呼んでくれな」
最後、ひらと振られた手を残像のように目に残し、ピュン・フーはその身を空の狭間に滑り込ませた。