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クリムゾン・キングの塔 【３】復活する門番
■序■
真鍮の鍵を持った訪問者を、エピタフはいつも以上に温かく迎え入れた。
真鍮の『塔』は未だに在り続けた。クリスマスと新年の東京を見下ろし、今なお成長を続けている。すでに『塔』の頂きは、雲とスモッグの中に隠れてしまっていた。どれだけ高くなろうとも、『塔』は風に揺らぎもしなかった。
ネットや雑誌にて、『塔』の噂話が再び盛り上がってきている。
『塔』が現れてから時間も経つと、さすがは日本人、すでに関心は別のものへと移っていた。真鍮色のニュースにも、人々は慣れてしまっている。テレビからは『塔』関連の報道が消え、ネットでも観察記録が飽きられてきていた。
そしていま、真鍮の鍵を拾う人間が現れ始めた。
鍵は何の脈略もなく、人間たちの手の中に入ってくるのだった。
その真鍮の、あまりにも鍵らしい鍵を手にした人間は、どういうわけか一瞬で、その鍵を使える場所を悟るのだ――間違いない、あの、東京タワーを殺した真鍮の『塔』で使うものなのだと。
『塔』の扉は無数にある。減り続け、増え続けている。
真鍮の鍵を持った訪問者を、エピタフはいつも以上に温かく迎え入れた。
「好きな扉を開けてごらん」
彼の瞳は、そのとき、穏やかな琥珀色をしていた。
「きみたちなら、門番を説得出来るだろうって、僕らは信じているんだよ――」
真鍮の歯車の回転が、少し速くなった。
■堕ちる天使■
ぷしゅう、がたん、がとん、きいいいっ、ぷしゅう――
くすんだ真鍮と磨き上げられた真鍮が混在する『塔』を、彼はぽかんと見上げている。彼が足を踏み入れた時、１階は大きな吹き抜けになっていて、ぐるりと壁に螺旋階段が巻きついているのだった。
「おいおい、ハリボテみたいだな」
彼は、葛城伊織は、呆れた声を上げるのだ。『塔』を見るのは初めてではなかったが、入ったのはこれが初めてだ。これほど、中身がないとは思わなかった。
親しい、特別な存在から貰った鍵は、彼の手の中にある。
それを無意識のうちに弄びながら、危うくいつまでも伊織は『塔』の内側を見上げているところであった。
藍原和馬が来なければ、夜明けまで魅了されていただろう。
「おぅいおいおいおい、今日の『塔』はまた、えらい手抜き工事っぷりだ」
背後で上がった声に、伊織は振り向く。
和馬は手を日よけのように瞼の上にかざして、眩しそうに吹きぬけを見上げていた。天井など、遥か上だ。上空と言ってもいいだろう。
「こりゃア、頂上制覇するのは夢のまた夢ってな」
「あんた、前にも来たことが？」
「お前さんは初めてなのかい？」
伊織の質問に質問で返すと、和馬はからりと笑い飛ばした。
「初めてなら、そろそろ案内人つうか、案内天使が来ても良さそうなもんだけどな。今日は遅い」
和馬の何気ない軽口に、伊織がぴくりと反応した。目をすがめ、唇を心持ち尖らせて、和馬を見やる。
「――ほんとに居るのか、天使は」
「あれを天使って呼んでいいならな。天使に興味があるのか」
「はず……知り合いが、最近ここの話と、天使の話しかしない」
「そうか。そりゃア、気になるわな」
「気になるさ」
かぁぁん、と一際大きく『塔』が鳴いた。
遥か上のどこからか、真鍮のオブジェを背負ったかのような神父が降りてくる。その速さは、ほとんど自由落下のものに近かった。
伊織は初めてその瞳を見た。
墓碑銘は微笑み、青い目で見つめ返してきた――
伊織は、「たくさんあるから、あなたにもひとつ」と、特別な存在から手渡された。
和馬は、着ぐるみを着たままアルバイトたちの休憩室に入ったその瞬間に拾った。
それは真鍮の鍵。
冷たい金属でありながら、懐かしい温もりを感じさせる不可思議なもの。
「まったく、どうしてくれるんだ？ タワーは東京の顔のひとつなんだぞ」
「ああ、すまなかったね。ここがちょうどよかったものだから」
早速の伊織のご挨拶にも、真鍮天使は穏やかな謝罪で返す。
「葛城伊織くんだね。ようこそ。『鍵は持ってきたのかい』？」
ずしん。
その質問が、心に重く圧し掛かってくる。
伊織だけではなく、和馬までもが思わず口をつぐんだ。何で俺まで訊かれるんだ、とは和馬の弁。
名乗った覚えはない――と警戒しつつも、伊織は口で答える代わりに、鍵をちろちろと振ってみせた。エピタフは笑みを大きくして、満足げに頷いた。
「で、扉は勝手に開けて勝手に中に入っていいんだったよな？」
和馬はすでに階段の１段目に足をかけていた。エピタフは伊織から和馬にゆっくりと視線を移す。
「いいとも。門番と仲良くするようにね」
「はいはい」
「あ、質問」
伊織は急いで和馬を追うこともなかった。元より、知り合いではない。だが、何か他人という気がしない親近感はあって、和馬も人懐こい男であったし、伊織は警戒もしていなかった。一緒に行動してもいいとも考えていたが、無理に行動をともにするつもりもなかった。
和馬も、まったく同じ印象を伊織に抱いている。だから彼は、エピタフに質問を投げかける伊織を見下ろしながら、ゆっくりと階段を上り始めていた。
「その門番と、込み入った話がしたいんだ。出来るか？」
「出来るだろうけれど、今僕に話したとしても同じことだよ」
「……禅問答かよ」
「そうかな、単純なことだけれど」
「ソックスは履いてるのか？ 天使ってやつは」
「うん？ さて、どうだろう」
「ま、どうでもいいけどな」
「ああ、きっとどうでもいいことだ」
「……お前、天使か？」
「エピタフだよ」
神父姿の真鍮天使は、そう言って微笑んだ。
■たたずんでいる扉■
「でろれろれろれろ、でぇろれろれろ、でぇろれろれろれろ――」
和馬が口ずさむ、少しばかり調子が外れたＢＧＭは、彼が今暇さえあればプレイしているＭＭＯのダンジョンでの音楽だ。そう言えば、あのゲームにはまだ『塔』の類のダンジョンは実装されていなかった。
「――あー。あいつらは、どうなんだろうな。鍵、持ってんのかなー……」
和馬はそのネットゲームで世話になり、現実世界の方でもたびたび世話になっている一家がある。ダンジョンじみた『塔』を散策しながら（とは言っても今日の『塔』の構造は単純な一本道にすぎず、和馬はひたすら階段を上っているだけだ）、和馬は現実と仮想の世界に思いを馳せた。
「鍵に、階段に、開けなきゃならねエ扉……まさにアレだよ。ゲームってやつだ」
おまけに扉の前には門番がいるらしい。
扉を開ければ、出て来るのは――待っているのは、ボスなのだ。
「でも、たった１枚のドアを開けてラスボス戦突入ってゲームは……今も昔もねエわけだ。この鍵は、ただの足がかりってエわけかい」
しかし自分の横にある真鍮の壁を見たとき、和馬は驚いて、足を踏み外しそうになった。独り言を呟く前までは、確かにただの真鍮の壁であったはずなのだ。今はそこに扉がある。
和馬が求めている扉が。
「ほっほウ、これだこれ。いかにもって感じがする」
和馬はにやにやしながら、錆びついた扉を叩いた。
くすんだ真鍮で出来た扉だった。怪しげなレリーフが施され、「鍵穴です」と言わんばかりの鍵穴がある。和馬は真鍮の鍵を取り出して、軽いキスをひとつ。
「俺をがっかりさせンなよ。ボスが出てきて、前口上も無しに戦闘突入ってのは勘弁だ。ＯＫ？」
かちり、
何の苦もなく、扉は開いた。
「おうい！」
気づけば、和馬の姿は見えなくなっていて――
伊織の呼びかけも、わんわんと『塔』の中に反響するばかりになっていた。真鍮の塔はその間も、ずっと忙しなく動き続けていた。何が動力源なのかもわからない仕掛けが、勝手気ままに回っていた。
そして、
「……何なんだ、ここァ」
伊織は、眉間に皺を寄せた。
この『塔』には生気というものがなかったが、まるで気の塊のようであった。彼が極めた人体の気というものの中に、入り込んでしまったかのような感覚がある。
この『塔』自体が、人間であるかのようだ。気は渦巻き、『生』を見立てようとしている。
「好きな扉か」
伊織は、ぐるりと１階を見回した。
気づけば、壁にはびっしりと扉があった。すべての扉に、鍵穴らしい鍵穴がある。伊織が持っている鍵は、ひとつだけ。
ふん、と伊織は微笑んだ。
扉はどれひとつとして同じものなどなかったが、伊織の気を引くものはただひとつだけだった。鏡のように表面が磨き上げられた扉だ。自分の顔が映っていた。
「葛城伊織だ」
彼はにやりと微笑み、扉に映る自分に名乗った。
かち、り。
■門番の復活■
和馬は、がっかりさせられることになった。
扉の先には、何もなかった。空があったわけではない――ただ、もうすでに見慣れてしまったかのような、いつもの『塔』の回廊が続いているだけだった。
和馬が顔をしかめて文句を言うその前に、聞こえない声は、降ってきた。
お前が扉の向こう側に行くことは出来ねンだ。
いつまで経っても歳を取らない、
銀でやられた傷がなかなか治らない、
そんなお前は、『人間』か？
自分じゃ判断出来ねエだろ。
それは、俺も同じなんだ。
「……何だよ……人外はお断り、ってのか」
＜アーカイブ＞
「何だって？ ＜アーカイブ＞？ ……聞いたことがあるような気がしないでも……」
お前が知ってて、人間たちが忘れてる処。
＜アーカイブ＞だ。この＜アーカイブ＞には、人間しか入れられない。
俺はそのためにいるわけだ。
「何でお前が門番なんだよ」
ああ、俺は藍原和馬。ただの門番だ。
だからお前を、あの＜アーカイブ＞へ通すことは出来ねエのよ。
そこには、葛城伊織が望んでいるもはなさそうだった。
扉の向こうにあったのは、着物を着た日本人たちが行き交う東京であり、何者なのかも定かではない天使の姿はどこにもない。
けれどもそこにあるのは、伊織が愛してやまない世界。
アスファルトの下に埋もれようとしている『日本』だ。
「これは幻みたいなもんだろ？」
「そう思うか？」
「もう、江戸は消えたんだ。俺が好きなものは、どんどん無くなっていくのさ」
「無くなりはしないさ。ここにある」
伊織は気づく。目の前に広がる江戸の街並みは、肉と気を持っているということに。
この、失われた時代は現実のものだ。自分は今、江戸を見ている。
「俺が知りたいのは、天使やお前がどんな奴かってことだ。ソックス履いてるかどうかってやつさ。この頃の日本に住みたかったと思ってた俺のことは、俺が一番よく知ってる」
「ああ、ここは＜アーカイブ＞だ。そういうところなのさ」
「＜アーカイブ＞？」
「ここに天使はいないんだ。あるのは、人間たちの記憶と記録。俺はここへの扉を護ってる」
「何でお前が門番なんだよ。お前は――」
「確かに俺だよ、葛城伊織。ただの門番だ」
伊織は、行き交う町娘と武士の中に、銀色の髪と碧の目を見た。
声を上げて手を伸ばした。
「よく来たな、＜アーカイブ＞へ」
■詠唱■
「＜アーカイブ＞が開いた。
僕らは束の間目を閉じよう。
そしてきみらは、束の間眠れ。
すべては＜深紅の王＞と伴侶が交わるまでのわずかな時間。
感情と秘密が交わされ、
きみらは進化を遂げる。
それは１０００年ごとに訪れるひとつの機会。
きみらは＜深紅の王＞に抱かれよ、
すべては深い眠りのうちに。」
「月の子！ 唄え！！」
キャ―――――――――――――――――――――――――ッッ！！！！
■真鍮の街と国、そして星■
それは、音もなく。
見えず。
感じない。
ただ一陣の風が吹いただけなのだ。港区の、東京タワーがあったその場所から、追い風が吹いただけなのだ。
真鍮色の映像が凍り――いや、固まって、動かなくなった。同時に多くのものが、錆びたような金色をまとい、静止した。
東京が一瞬にして真鍮色に染め上げられた。空までもが、錆びた金に覆われた。
そして東京は眠りにつくのだ、
『塔』が目を閉ざしているその間。
都庁が、歌舞伎町が、山手線が、東京というものが、真鍮色に凍りついている。動くものはただ、人間のみ。
それも、真鍮の鍵を持った人間だけだった。
『おいで、＜アーカイブ＞へ』
凍ったはずのラジオやテレビが、真鍮天使の声で誘う。
『＜アーカイブ＞は開いた。今度は、きみたちが知る番だ。＜深紅の王＞は気長に待っている――まずは、＜アーカイブ＞を覗きに来てごらん』
和馬は、視界の隅に入った鈍い銀色を目で追った。
いつか彼のバイトを手伝い、奇妙な言葉で彼らを導いてきたオウムが飛んでいた。
「そうかい、俺は、やっぱり人間じゃアないか」
手を伸ばすと、オウムは和馬の小麦色の手にとまった。
オウムは何も喋ろうとはせず、カシャカシャと首を傾げているばかり。
「でも、人間には興味があるんだ。お前らと同じでよ。しぶとく一緒に生きてやる。――だから東京を元に戻せよ、バカ野郎！」
伊織が江戸の町の中で垣間見たのは、真鍮と化した２１世紀の東京だ。
「何だ、俺のせいか？」
彼は苦笑し、振り返る。
またしても銀と翠の女の色彩が、視界をかすめた。
「――いや、俺たちのせいか？」
『塔』が軋みながら伸びていく音が聞こえない。
真鍮の塔は、そのとき、成長を止めたのだ。
葛城伊織は、扉の向こうに消えたままだった。
開け放たれたままの扉を閉めたのは、軍人姿の真鍮天使。
「自分は、目覚めたままなのだ。朝が来ても、自分は死んでいる」
呟くと、彼はブリキの拳銃で自殺した。
崩れ落ちる身体の向こうに、エピタフが立っていた。
＜了＞
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登場人物（この物語に登場した人物の一覧）
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【1533／藍原・和馬／男／920／フリーター（何でも屋）】
【1779／葛城・伊織／男／22／針師】
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ライター通信
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モロクっちです。お待たせしました。『クリムゾン・キングの塔 【３】復活する門番』をお届けします。思うところあっての追加募集枠となりましたが、楽しんでいただけましたでしょうか。
次回はこの第３話直後から続く予定です。
ＰＣさまと東京の状況を説明します。
葛城伊織さまは、＜アーカイブ＞内です。一応、望めば出ることも出来ます。藍原和馬さまは、すみません、＜アーカイブ＞に入ることは出来ませんでした。けれども、次回からは＜アーカイブ＞内・外の両方からこの『塔』にアプローチをかけることが出来るようにする予定です。
東京は何もかも（水も食料も）が真鍮と化して凍結状態です。真鍮の鍵を持った人間を除き、動物も真鍮化しています。東京を出ればそこは通常通りの世界ですので、『塔』及び東京から脱出したら、問題なく生活出来ます。
東京の街と、＜アーカイブ＞に入った人間たちはどうなるのか……
お話はまだまだ続きそうです。
それでは、この辺で。
叶うなら、また次回お会いしましょう！
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