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<PCシナリオノベル(シングル)>


その名はレギオン

 湖影梦月は足下を見ず、ただ一心に前だけを向いて歩いていた。
 学校指定のローファーの踵がコツコツと歩道に当たって立てる音が、車道のエンジン音より少し高い位置から耳を打つ。
「絶対に、聞きませんわ〜」
ぷぅ、と頬を膨らませて不満を顕し、梦月は彼女にしては荒い足取りに揺れるプリーツスカートの裾を手で払って整える。
「学校のハトさんに今日からごはんあげちゃダメだ、なんて、蘇芳はイジワルですわ〜」
黒のタートルネック、スカートとストッキング、ローファーまで黒く、その胸元に十字の下がるセーラーだけが白い制服は、知る人ぞ知るお嬢様学校の制服である。
 その上からシンプルなコートを着込んだ梦月は、生地の厚さに背負えずに居るツーウェイの鞄をよいしょと持ち直した。
「梦月……」
その傍ら。
 帰宅途中の梦月につき従う青年が苦い表情で息を吐いた……最も、その姿は余人に見る事は適わず、梦月が歩きながら独り言を言っている風情である。
 それは、彼が人でない存在、梦月を主と定めてその守護を担う鬼、その彼の名は蘇芳という。
「ずっと、ではなく、インフルエンザの流行が収るまで教員で飼育係を代行する、というのは学校側の決定だろう」
今冬、何かと話題になっている鳥類を介してのウィルス感染に懸念を見せての対応は、梦月の身を護るべく存在を定義している彼にとって奨励すべきもの…であったのだが、梦月自身が難色を示していた。
「私は、飼育係ではありませんわ〜。けれど、ハトさんにごはんを差し上げるのを、楽しみにしていましたのよ〜?」
飼育係の友人の仕事に便乗して餌やりを手伝っていた梦月にしてみれば、釈然としないらしい。
「ハトの皆さん、とてもお元気でらっしゃいますのよ〜? 病気のハズ、ありませんわ〜」
そう主張して、果敢にも鳥小屋に挑もうとしたのを、蘇芳がひっ抱えて校外に連れ出した次第である。
「それでもだ。症状が出ていなくても、検査で陽性と判断される個体もある。可能性があるなら……梦月」
説得を途中で止め、蘇芳は嘆息する。
 彼の目の前で、梦月は「聞きたくないですわ〜」と、しゃがみ込んだ膝に鞄を載せ、耳を両手で塞いでいた。
「全く……反抗期か? ピュン・フーに会ってから、どうにも悪い影響ばかり……」
「ピュン・フー様が、どうかしましたの〜?」
耳を塞いでいた筈だというのに、その固有名詞に反応を示してぴょこりと顔を上げる、小動物的な愛らしさに、蘇芳はうっかり主張を忘れそうになる…が、鳥類接触禁止令は梦月の身を護る為、それが是が非に終わる杞憂でも折れるワケには行かない。
 それが如何に正論でも、聞く気のない相手には意味を為さない説明にもう一度口を開きかけた蘇芳を置いて、梦月は「あら」と小さく呟いて駆けだした。
「梦月?」
梦月が一心に駆けていく先には、黒いコートの男…夕闇の近さにシルエットばかりが強調される姿に気を張る。
「西尾のおじさま〜、こんばんわですわ〜♪」
だが、梦月がちょこんと頭を下げて呼び掛けた呼称にほっと胸を撫で下ろし、懸念しすぎかと内心に苦く、蘇芳は息を吐いた。
「これはこれは……元気そうで何よりだねぇ」
相変わらず、気の抜けたようなのんびりとした口調で西尾蔵人……『IO2』構成員である彼は、挨拶の代わりにか、梦月の頭を軽く撫でた。
「彼は元気かい?」
「はい、とても元気ですわ〜。ね、蘇芳〜」
寸前までの不機嫌は何処へやら。
 知人に会えた嬉しさが先に立って、梦月は笑顔で蘇芳を手招く。
 梦月の興味が鳥から移った事に、僅か安堵の息を吐き、蘇芳は人に見える姿へと自らの存在の位置を変えた。
「あぁ、其処に居たのかい。不便なようで、便利だねぇ」
奇妙な感心の仕方で、蔵人は無精髭の浮いた顎を撫でる。
「今日は散歩かい?」
蘇芳から梦月へ、視線を動かした蔵人に、梦月が応えた。
「お家に帰る所ですわ〜。ここを抜けると近いんですのよ〜」
道路脇にこんもりと繁った木々は、人の手に因る箱庭だ。
 自然のそれ、に比べれば児戯のような代物だが、息を吐く為に配された緑は人のみならず虫や鳥、小動物などを集める。
 指定された通学路ではないが、梦月は公園内の散策路を好んで使う事が多い。
「そうか……」
蔵人は何度も顎を擦ると、ちらと蘇芳に視線を向けた。
「でもねぇ、今日は……ここは封鎖されるから別の道を通って帰ってくれるかな?」
「どうかなさいましたの〜?」
心底、申し訳なさそうな蔵人に梦月がきょとんと首を傾げる。
「うん、ちょっとね……病気の蝙蝠が出てね。人を近付けたらダメなんだよ」
選ぶ風に言葉を濁した蔵人に、梦月はその黒く大きな眼を開いたまま、見上げた。
「……ピュン・フー様、ですのね……?」
閃光の如く違えようのない事実を告げる直感に、次の動きは常の彼女であればまず有り得ず、それだけに蔵人の制止も蘇芳の手も届かなかった。
 梦月は、歩道より一段高く敷地との境を示す生け垣に、迷いなく走り込んだ。


 制止の声がかかったような気がしたが、それに梦月の足を止める力はなかった。
 ただ、敷地に生える木々の枝が、彼女を制止するかのように、その枝葉で行く手を遮る。
「退いて……下さいませッ」
樹木への無茶な要求が通ったわけではないだろうが、唐突、梦月の視界が開けた。
 其処は開けた芝生。
 視線の直線上、俯き加減に顎を引いた、シルエットの立ち姿を認め、梦月は声の限りにその名を呼んだ。
「ピュン・フー様……ッ!」
だが、その影は揺らぎもしない。
 ただただ、薄暮の暗さが漂う地表に更に濃く、人型の形に闇がぽかりと口を開けたかのような。
 梦月はピュン・フーに駆け寄った。
 近付けば、黒革のコートに際立つような肌、その表情が見て取れる…いつも顔に載せている黒い真円のサングラスはなく、閉じた瞼の色は薄く、だがその下に隠された不吉に真紅い月と色を同じくする瞳は臨めない。
 薄く開いた唇から洩れる息は浅く早く、熱を持つ者独特のそれを思わせた。
「ピュン・フー様……? 大丈夫ですか!?」
身体に前に力無く垂らされた手に触れれば、それは熱を予想していた梦月の体温を奪ってひやりと冷たく、その両の手首の間を戒める鎖が質を同じくする硬質な温度でチャリ、と擦れて音を立てた。
「この間のお薬……足りなかったのですか……!? そ、そうだ……」
その、死を思わせる冷たさに梦月は手にした鞄を下ろすと、中からペンケースを取り出す。
「私以前いただいたお薬持ってますわ。これを……!」
捜す手間も惜しみ、ペンケースの中身を直接、芝生に広げた中から真紅の液体に満たされた注射器を取り上げ、ピュン・フーに差し出した。
 が、ピュン・フーはその瞼を開く事なく、ただ立ち尽くすのみ。
 手段はあるというのに、方法を導き出せない自らの不甲斐なさと困惑に、梦月はじわりと涙を滲ませる。
 鋭利な針先を固いプラスチックで保護された注射器をどう使っていいか解らず、梦月は喉を振るわせてもう一度、その名を呼んだ。
「ピュン・フー様、どうして、答えて下さいませんの……?」
眦からつ、と涙が一条頬を伝って零れ落ちる。
 それが芝生の上に落ち、パタ、とあるかなしかの音を立てて葉先に弾かれる、それにぴく、とピュン・フーの睫が動いた。
「……梦、月……?」
ゆっくりと開かれた瞳の、落ちる影に色を増して濃い瞳が、梦月を見下ろして姿を認める。
 それに僅か安堵してもう一度、梦月が名を呼ぼうと唇を動かそうとした、それを背後からの声が止めた。
「梦月!」
ようやく追い付いた彼女の守護鬼が、強い語調で呼ぶのに梦月は振り返る。
「蘇芳〜、ピュン・フー様にこのお薬をどうやって使えばよいのか……」
頼りとする存在に、もう大丈夫だと安心しかけた、梦月の腕を強く引いて蘇芳はピュン・フーから遠ざけ、間に割り込む形で背に庇う。
「蘇芳、何をなさいますの、ピュン・フー様が……ッ」
その背から前に出ようと懸命に手を伸ばす梦月を、けれど蘇芳は許さない。
「こいつはもうダメだ……手遅れだ」
「そんな……こと、ないですわ〜、お薬を使えばきっと……ッ」
信じない、と頭を振る梦月に、蘇芳は無情とも言える無表情で告げる。
「西尾に確認した。薬を定期的に使い続けても、一度遺伝子を組み替えられた細胞は元に戻らない。人と、人と違うモノとの均衡を保つ為には薬の他、培養した自身の遺伝子を持つ細胞とすげ替える必要がある……こいつはもうその処置を受けていない」
見上げる、僅かに見せる横顔に梦月はその腕を掴んだ。
「でも、何か……ッ」
尚も言い募ろうとする梦月の背後から、第三者の声がした。
「その声は……蘇芳さんと、梦月さんですか?」
芝生を踏み分ける、穏やかな足音と共にこちらへと向って来るその姿に、梦月は反射的に身構える。
「……エリクソン神父様」
嘗て、地下鉄ま構内で見えた時と寸分違わぬ姿と笑みで、『虚無の境界』に属する神父、ヒュー・エリクソンは梦月に緩く首を振った。
「どうか警戒なさらないで……貴女に危害を加えはしません」
そうとは言え、その思想…贖罪を死に求める、それに到底同意出来るものではなく、梦月は一歩足を引く。
 が、この場にその姿があるという事は、ピュン・フーの異常に何かしら関与し…そして対処を心得ている可能性を持つのはこの人物しか有り得ないという思いに、梦月は其処で踏み止まる。
「エリクソン神父様、ピュン・フー様が……」
震える梦月の声に、ヒューは小首を傾げた。
「ピュン・フー? それは、すぐに彼の名ではなくなります」
そう静かに神父は否定し、その手にした盲目を示して白い杖を身体の前で緩く突いた。
「……その名を、レギオンと呼ばれる事になります」
「どういう……事、ですの?」
必死に伸ばした手が掴んだのは藁ですらなく、梦月は呆然と問う。
「霊鬼兵、というものは人と機械……場合によっては動物、とを繋ぎ合わせて作られるそうですが、制御の為に核には人間の部品が必要だと聞きます」
そこでひとつ息を吐き、ヒューは微笑みを深めた…物の姿を捉えぬ眼が開き、湖水の如き深さの青が夢を追うように朧な視線を漂わせる。
「レギオンとは、六千人からなる軍の単位です。魂は別として吸血鬼は……こと、銀と陽光にまで耐性を持つジーン・キャリアは素体として素晴らしいですね。アレの心臓を核とする怨霊機で一時的に実体化させるのではなく、怨霊に血肉を……免疫抑制剤を断ち限りなく吸血鬼の不死に近づけたアレを苗床に、実体を与えて放てば、導き手を見失って久しい我々の贖いがどれだけ具現する事でしょう」
ヒューの言う贖い…現世での恐怖と苦痛、それによってこそ生を重ねるに知らず汚れた魂が救われる、その盲信的な思想。
「そんな……」
蘇芳は梦月を止め、前に出る事を許さない…ただ視線を向けるしか出来ない梦月に、ピュン・フーは少し眠たげな瞬きを繰り返して、笑みの形に口元を引く。
「……梦月、家に帰りな」
「ピュン・フー様……ッ」
反論の為に上げようとした声を、長く吐き出した息で制し、ピュン・フーは緩やかにまた目を閉じた。
「父ちゃんと母ちゃんと姉ちゃんと兄ちゃん達と……えーと、後、なんだっけか……?」
ま、いいか、ともう一つ息を吐いて。
「みんな、待ってんだろ……早く、帰りな。蘇芳……早く」
言葉の途中で唐突、ピュン・フーの膝が落ちた。
「ピュン・フー様……ッ!?」
驚愕に梦月が呼び掛ける。
 自らの肩を抱くように、そして押さえるように両手で掴み、ピュン・フーは身を折って、喉の奥から声を絞り出す。
「連れて、行け……、て……ッ」
膝を折って丸めた背、黒革のコートがベキバキと、異様な音で自体が生あるモノのように迫り出す。
 急激な変化はまるで何かが羽化、するように、常の倍以上はある、一対の皮翼が背に拡がった。
 その皮翼、骨の間に滑らかな天鵞絨を思わせる質感の皮膜が、禍めいて形を変え続ける模様に波打つ…それは、現世に届かぬ怨嗟を叫び続ける、死霊。
『何故死ンダ何故生キテイルソノ生ガ恨メシイソノ命ガ欲しイ欲シいホしイホシイィ……!』
叩き付けられる悪意、ただならぬ狂気は、皮翼が主の意思に関係のない、それどころか筋肉や骨を全く無視して好き勝手に狂惑めいた動きの内から響いた。
 皮翼から、それを支える背から流れる血は、彼の足下に影の如き濃さで、地に吸われる事なくわだかまる。
「始まりましたね」
他人事のヒューの口調に憤りを覚える余裕もなく、梦月はただ眼前で、完全に人と違う意識に塗り替えられようとするピュン・フーの姿を見守るしか出来ない。
 それは、蘇芳も同じであったようだ。一瞬、梦月を押さえる手が逡巡にか力を弱めた、それに我に返り、梦月はその腕の下をかいくぐるようにして前に出、地に両手を突いてどうにか上体を支えるピュン・フーの頭をかき抱いた。
「梦月!」
焦りに満ちた蘇芳の声に、ヒューは笑んで梦月に呼び掛ける。
「かつて神の子は、六千の悪霊に憑かれて苦しむ男に救いを与えられました……貴女にもそれが可能でしょうか?」
それは残酷な問い。
 梦月は自らの力の無さを知る……周囲に守り護られるのみで自身には何の力もない。ただ視えるモノを在るべき存在として受け入れ、その優しさを、向けられる好意をせめて余さずに心に刻む、それが精一杯で…ピュン・フーに貰った楽しさも快さも、何ひとつ返せないのがただ悲しい。
「こうしたら……ピュン・フー様の痛みや苦しみを軽くする事が出来たら良かったのに……」
頭を抱く手に力を込め、梦月は祈るように、ピュン・フーの背に蠢く死霊に呼び掛けた。
「どうか……皆様、お休み下さいませ……もう、何も、何も苦しむ事は御座いませんのよ? ですから、ピュン・フー様をどうか、苦しめないで……ッ」
「梦月!」
蘇芳が梦月の細い胴に腕を回し、ピュン・フーから引き剥がすと同時、後方に跳躍し、退く。
 直後、梦月が居た位置を地から赤黒い粘液質の何かが包むように迫り上がり、獲物を逃したとみるやぐずりと崩れる…瞬間、確たる形を得て血走った目玉が怨嗟の眼差しを梦月に向ける。
 そのあまりの禍々しさに、梦月の足が竦んで動かない。
「あれらにもう言葉は通じん」
簡潔に言い放ち、蘇芳は離れた位置に梦月を下ろすと、ピュン・フーに向って足を踏み出した。
「蘇芳……何をするつもりですの……?」
蘇芳は向けた背の沈黙を、答えに代える。
「やめて、下さい」
梦月は胸の前で手を組んだ。併せた両手に力を込め、自らの足に動けと念じても自らの命を護る為の恐怖はそれを許さない。
「ねぇ、やめて下さい、蘇芳」
守護鬼に懇願するが、彼の足を止める事は適わない。
「お願いです、おやつだって半分だけじゃなくて全部上げますわ、眠るまで手を握ってて下さいなんて言いません、もう我が侭もいいませんわ、大キライだなんて絶対に言いませんから……ッ」
組んだ手がカタカタと震える。
 何故、駆けていって蘇芳を止める事が出来ないのか、ピュン・フーを救う別の手立てを思いつく事が出来ないのか、ただもどかしさばかりが梦月の胸に焦りを生み、それは煩わしいまでの鼓動となって熱くこめかみで脈打つ。
 蘇芳が動いた。
 それは横に薙いだ腕の一振り、ピュン・フーの皮翼を破って抜け出した、蓬髪の生首の顔面を拳の横で打ち砕く。
 遠目にも、歪にひしゃげたその首がボールのように跳ね飛ばされて地面に落ちる、その様が見て取れ梦月はびくりと身を震わせた。
 また一体、蘇芳に躍り掛かったそれは今度は手の力だけで握り潰され、赤い飛沫が散る様に悲鳴を堪えて口元を手で押さえる。
 あの優しい鬼が、まるで迷いもせず既に死した者とは言え、人の姿をした者を屠る。
 それが梦月に信じられず首を打ち振るが、眼前、血に濡れた守護鬼の手が踞るピュン・フーの喉を掴み引き立たせる様に目を背ける事も適わず、梦月は絶望に胸を、ピュン・フーの血に赤く汚れた制服の、心臓の位置を強く両手で掴んだ。
「いやぁぁーーーッ!!!!」
喉を迸った否定の叫びと同時。
 蘇芳はその片手をピュン・フーの左胸、心臓の位置へと突き込む光景が赤く染まった。