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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


―寒稽古―

<オープニング>


「つ、疲れたぁー……、」

起き上がることさえままならず、朱鳳・小弥太(すおう・こやた)は板張りの上に倒れていた。
他の門下生も皆似たり寄ったりでぐったりしている。
皆頑健な体格ではあるが、その彼らが動けないほど疲弊しきっている。

ここ東昭舘道場では、恒例の寒稽古が行われていた。
冬の寒さは心身を鍛えるに絶好の季節。
唯でさえ普通の稽古も厳しいというに、寒稽古中は朝夜連日十日間通しという日程になる。
かてて加えて懸かり稽古中心の猛稽古。
師範代の蒼眞は容赦なく、また他の特殊面子も手心は一切加えない。

「小弥太起きろ、明日の最終日さえ乗り切れば後にあるのは……、」
「!!そうだったな!」

がば、と起きて目を輝かす。
寒稽古も明日で最後。
長く辛かった日々ももう終るのだ。

「それに毎日懸かり稽古ばかりだったが、明日は互角稽古もあるしな。」
「そうそう、それに出稽古にくる人もいるらしいぞ。」
「いつもと違う人ともやってみたかったんだよな、楽しみだ。」

そんな門下生の微かな希望を知ってか知らずか
月光に負けじと輝く源氏星が、凛と瞬いた。








―寒稽古―





暦は如月も半ばとなりこの身に触れる春もそろそろと近づいてこようとする頃。
然しながら朝夕の寒さは未だ衰えず、それは東京は片隅の此処東昭舘も例外ではなかった。

その中連日行われてきた朝夕十日間に及ぶ寒稽古も今日が最終日。
夕の稽古に来訪者が数多参加の模様――。






道場内の片隅に在る一室に二人の男性が相対していた。
一人はこの道場の師範代、蒼眞辰之助(そうま・たつのすけ)。
そしてもう一人は穏やかな表情に、眼鏡の奥の強い意志の在る眼差しが印象深い。
既に藍染の稽古着、袴に着替えている。

「田沼君、いつもどうも……、」

頭を下げる蒼眞に田沼亮一(たぬま・りょういち)は慌ててそれを制する。

「顔を上げて下さい、俺はそんな大した事はしてませんし……、」
「いや、君がそう思っていないだけだ。……本当に、かたじけない。」

亮一はまいったな、と頭を掻いた。
自分より年上の、まして現在の道場の事実上の元締めとも云える蒼眞に頭を下げられているのだ。
誰でも困るのは当然か。

「まだ暫くはお願い出来るだろうか?」
「ええ、どこまで出来るかわかりませんが、俺でお役に立てるのでしたら。」

実際特別な事はしていない、そう思っている。
ただとてもいい状態である、とは自負できる。

「仕事のある身で忙しいのは重々承知の上だが……頼む。」
「忙しいといいますか、でも彼にも時々は手伝って貰ってもいるんです。」
「君の仕事……確か探偵社だったか、」
「ええ、そうです。以前は俺も内勤がほとんどでしたが、最近は中々そうもいかなくなりまして。」
「まさか……、」
「ああ、いえ、違います、ご心配なく。最近は物騒な事が多いので。
 俺の敢えて制限をかけていた異能の力も、実際使う機会が増えるようになりました。」

蒼眞の眉がぴくりとあがる、がそれだけだった。
亮一もそれに気づきながら、敢えてそれに気づかないふりをする。
部屋に流れる雰囲気に少し変化が生まれたが、それもすぐに消えた。

「それでうちに?」
「ええ、精神鍛錬にはもってこいだよ、と云われました。」
「成る程。」

お互い共通の知り合いに苦笑しあう。

「ただお恥かしい話しですが、嗜んではおりますがここ数年まともな稽古はしておりません。
 暫く見取り稽古をして、それからでも宜しいでしょうか?」
「若いのに慎重ですね、然しそれは賢明な判断でしょう。
 “剣術”ではなく“剣道”だからと云って甘いものではありません。
 充分に気を練ってから稽古に入った方が怪我も少しで済むでしょう。」
「……少しで、ですか。有り難う御座います、そうさせて頂きます。」

一礼をして座を立つ。
一旦戸に手をかけた亮一だが、振り返ると座したままの蒼眞に何か云いかけ……止め、そのまま出て行った。
亮一が何を云いたかったのか、蒼眞には大よそ見当がついていた。
然し現段階では彼にもどうしようもない。
腕を組んだまま小さく溜息をつき、傍らに在る細長い包みに暫く目をやっていた。

亮一が稽古場へ行くと、先程着替えていた時よりも人が増えている。
心なしか先程まではひんやりとしていた道場内が今はそれを感じなくなっていた。
幾人かは素振りを始めており、あとほとんどの者は準備運動に余念がない。
その中でも眼鏡をかけた剣士の素振りの物凄さに感嘆する。

寒稽古は身体をきちんと温めておかないと、大怪我に繋がる事になる。
一礼して稽古場に入り、亮一もまた長い手足を充分に伸ばし準備運動をする事にした。

「これで筋肉痛にでもなって帰ったりしたら、あの子に呆れられてしまいますからね。」

猫を思わせる同居人の顔を思い出し苦笑すると、
まずは膝の屈伸から慎重に身体をほぐしていった。





東昭舘の敷地内に、腹に響く大太鼓の音が轟く。
一同の表情が一気に引き締まり、剣士の其れに変わっていく。

轟。

轟。

轟。

神棚を上手とし、先生方と門下生と相対して段位順に並び座する。
今回出稽古に赴いた者達は暗黙の了解で門下生側の末席になる。
先生方―七、八段所有者―だけで元立ち側は埋め尽くされており、この道場の層が並々ではない事を示している。
撥を置く蒼眞が続いて声を上げる。

「神前に向かって、礼!」

座したまま一斉に神棚へ膝を開き、両手をついて深く礼。
直にまた元に戻る。

「先生方に向かって、礼!」

今度は先生方と門下生とが相対し、両手をついて深く礼。
顔を上げ、今度は其々声を出して、お願いします、と再び深く礼をする。

既に道場内は無言で、気が満ち満ちてきている。
誰もが手早く頭に手ぬぐいを巻き、面をきつく締める。
彼方此方から紐を締める張とした音が聞こえ、跳躍の音もそれに続く。
先生方も支度を整え、稽古場の定位置につくかどうかの一瞬。

「お願いします!」

八段の橋本先生への一番乗りは朱鳳・小弥太(すおう・こやた)だった。
まずはその場にて小さく礼。
数歩相近づき蹲踞。
面金を通し、お互いの様子を量る。
静かな攻防戦が其処から既に始まっている。
気が一気に高まった刹那――

東昭舘、寒稽古最終日の第一声が全ての合図になった。





一斉に元立ち側の先生方の前に出来た行列に、亮一は感嘆の目で見ていた。
一般的に一つの道場で八段の先生が複数人居る事は稀だ。
七段の先生もそうは簡単に揃わない。
それが此処はどうだろう、七、八段で全て覆われていているではないか。

「人は見かけによらないと、よく云ったものですね。」

彼の穏やかな友人は、このような猛者の連なる場所にいるのかと苦笑してしまう。
皆若く頑健な身体つきの者が、老人である筈の先生方に徹底的にのされているのだ。
自分の目で見ていながらも、信じ難い光景だ。
それはつまり、剣道は身体ではないこと、力ではないことを示している。

剣道は剣の理念による人間形成の道であり、其処に力や身体は関係がない。
修練の結果が剣に現れるのであり、若い=強いという公式は成り立たず、
寧ろ年を経るにつれていよいよ形成作られるものである。
修業鍛錬する事で剣の真価が認められるのだ。

亮一は見採り稽古を続ける。
学生時代の経験、そして幼馴染みの同僚との稽古があるとはいえ、本格的な道場にての稽古は始めてである。
精神鍛錬の修業ではあるが、謙虚に己の技量を認め適切な稽古の仕方をしなければならないだろう。
その為に選んだ見採り稽古の判断はまったく正しい。
其処から得られる物はかなり多く、普段でも必要な稽古の一つである。

動きは既に大分思い出していた。
不思議と道場へ入ると、忘れかけていた感覚が蘇ってくるかのようだ。
それは恐らく門下生をはじめとする剣士たちの“気”に触発されているのだろう。

そろそろ頃合ですか、と立ち上がり、もう一度念入りに準備運動をする。
寒稽古は寒さ故怪我もし易い。
昨日丁寧に手入れをした防具を身に着け、素振りを繰り返す。
大分身体も温まったと感じたところで、列の今のところ短い先生のところへ並んだ。
亮一が並ぶと、その前に並んでいた門下生が出稽古の者だとわかると次を譲ってくれる。
自分達は既に何人もの先生に稽古をつけてもらっているので、という。

「稽古はどんどんやった方がいい。遠慮してると勿体無いですよ。」

その心遣いに感謝し、彼の順番を譲ってもらう。
気持ちの良いその行為に亮一の気が満たされてくるのが感じられる。
そして彼に一礼し、先生―垂れを見ると“後藤”とある―に一礼し一歩前へでて蹲踞。
立ち上がったところで、自らの剣道歴を伝え切り替えしと懸かり稽古をお願いした。
後藤先生は目を細めて頷くと、竹刀を切り返し用に構えなおした。
亮一は一回深く息を吐くと止め、意を決して初太刀を打ち込んだ。





「おっきいなぁー。」
「はい、お蔭様で。」

のん気なやりとりをしているのは今の相手が伊藤先生だからだろう。
亮一が懸かり稽古をお願いするとにっこりと微笑んだ。
ところがいざ始めようと竹刀を振り上げると止められた。

「田沼君。」
「はい、何か間違ってましたか?」
「声、ちゃんと出しましょう。」
「声?」
「気合いの発声です。」

達人の域に達すれば発声せずとも気は満ちるが、発声した方が気合いは高まりやすい。
高まった時に打突すれば冴えた打ちになりやすいのである。

「どう発声したものか、悩むところですが、」
「自然と出てくる声がそれなのですが……他の人達の、聞こえますか?」

耳を澄ましていくと喧騒の中、色々な発声が聞こえてくる。

(っしゃあああああ!)
(よいしょおおおお!)
(さいさいさーーー!)
(よしこーーーーい!)

中には不思議な発声もあるが、発している本人はそれで高めているのだ。

(でーーーーん!)
(?)

どこからか発声と云ってよいものか不明なものが聞こえてくる。

(どーーーーん!)

伊藤先生を伺うと上手の方を指差している。
見やると垂れに“加藤”と書かれている先生が、チョークで垂れに“岐阜橋”と書かれている門下生を打ち込んでいる。
彼は打たれるがままになっている様にも見えるが、大丈夫なのだろうか。

「田沼君、あれは特殊ですから真似しない方がいいですよ。」

さあ、稽古しましょう、と伊藤が元立ち側へ戻るので亮一も改めて構えなおした。
とりあえず発声は普通に“面”“胴”“小手”にしておこうと決めながら。



まだ若いとはいえ久しぶりに使う裏の筋肉が悲鳴をあげだしていた。
亮一は一休みしようと稽古場と脱衣場の仕切る木枠を潜り、正座して呼吸を整える。
然しかなり疲れてはいるが、なんと心地よい疲れだろうか。
打たれた部位は未だ痺れがあるくらいであるし、大声で気合いを発する為体力をもの凄く使う。
だが気力がこんなにも満ちている。
まだもう少し終わりまで時間がある、どうしようかもう一人先生にお願いしようか、と立ち上がりかけた。
と、ちょうど其処へ黒い影とぶつかってしまった。

「あ、すみません、」
「……いや、おまえの方が、」

亮一の足は疲れのせいか、もつれて膝をついてしまっている。

「あはは、お恥かしい。せっかくまたお願いしようとしてたところでしたが、」
「……楽しいか、稽古?」
「え、何故ですか?」
「いや、お前、笑ってるから。」
「そうでしたか、こんなに気持ちのいいのは久しぶりです。」

学生時代の様に、気分がとても軽いのでつい笑ってしまう。
そんな亮一の様子にその黒い影は暫く思案していたが。

「……やるか、稽古?」
「つけてくれるんですか?お願いします、懸かり稽古で結構ですから。」
「…………、」

いざ立ち会うと亮一の背の高さは圧巻だ。
他より頭一つ分は優に超えている。
黒い影―垂れを見ると“白峰”とある―は、此れまでの先生のように
懸かり稽古の受け方をしてくれなかった。
打ち込み稽古で亮一に打突の機会をそれとなく示す方法をとっている。
懸かり稽古の一方的な打ちだけでなく、間合いをとっての打ちを経験する事も重要である。
剣道とは間合いが肝心な勝負でもあるのだ。

幾度と打ち合う内、亮一の面を白峰が取り始めた。
頭約1つ分近くの身長の差があるのに、である。
技量の差があるとはいえ、その事に疑問を持ちその場で尋ねる。

「時々、お前は頭を下げているからだ。」
「え、」
「身長が高すぎると、えてして猫背気味の癖がつく。」
「……ああ、成る程。俺は自ら面を差し出していた、と云うことなんですね。」

語彙の極端に少ない白峰の言葉の意味を、亮一は回転の速い頭で即座に理解していく。
それは亮一にとって培われてきた事でもあるし、また天性の才能でもあった。
が、その二人の姿を周囲は驚愕の眼差しで見ていた。

(凄いなあの田沼って人)
(白峰さんと会話してる!)
(2ターン以上をクリアしたぞ)

本人のまったく知らぬ所で、亮一は門下生達に畏敬の目で見られる事になっていた。





轟。

轟。

轟。

轟。

轟。

白峰が大太鼓を叩き、稽古をしていた者達はその場で蹲踞し、終了させる。
そして再び先生と門下生と相対して並ぶ。
竹刀と小手は右脇に置き、面はまだ着けたままである。
全員が並び終わったのを確認すると、蒼眞が号令する。

「面取れぃ!」

汗による水分を含みきつくなった紐を解いて面を外す。
頭に巻いた日本手ぬぐいが湯気をあげている。
床に置いた小手の上に面と手ぬぐいを置き、再び正座。

「神前に向かって、礼!」

座したまま一斉に神棚へ膝を開き、両手をついて深く礼。
直にまた元に戻る。

「先生方に向かって、礼!」

今度は先生方と門下生とが相対し、両手をついて深く礼。
顔を上げ、今度は其々声を出して、有り難う御座いました、と再び深く礼をする。
その後まず師範代の所へ皆行き、その前で有り難う御座いましたと座礼。
次に今日稽古をつけてもらった先生方全てに座礼をしていくのだ。
またその際、先生の防具や袴を片付けるのも忘れない。
本来ならばお礼に伺う際、先生より一言が頂ける。
気をつけるべき点、良かった点、次への課題等を貰い、次の稽古の目標とするのだ。





「直に打上げの用意に入るのでさっさと片付けるように。」

蒼眞の指示により稽古場の掃除が箒と雑巾で手早く進められ、
一部の門下生により折りたたみ式のテーブルが並べられていく。
出稽古の参加組も勿論此れに参加する。
寒稽古の打上げは恒例の行事でもあるのだ。
遊那と既に制服に着替え終わった倉菜がお盆に沢山のおにぎりや豚汁を持ってくると歓声が上がる。

「今日は更に遊那さんがご馳走を差し入れてくれましたー!」

お鈴が重箱を掲げて見せると更に大歓声となった。
余りの歓声に戸惑いながらも、作ってきてよかったと遊那はつくづく思うのだった。
続いて矢文が一升瓶を十数本軽々と抱え、先生方の席から順次配置していく。
綾と一樹がコップを配り、亮一は未成年用に甘酒の茶碗を配っていく。
皆で一斉に協力し、準備は整った。
全ての人が着席し、蒼眞が挨拶に立つ。

「本日無事に東昭舘寒稽古が終了しました。
 皆脱落者もなく終えられたのは先生方のご指導と精進の賜物と云えよう。
 また今日は出稽古や見学にも参加された方々がいます。
 如何でしたでしょう、当道場の寒稽古は。」

参加者の代表として一樹が立つ。

「突然の参加でありながらこの場に参列させて頂き、真に有り難う御座います。
 此方の稽古は厳しいと伺っておりましたが、噂に違えぬ激しい稽古内容でした。
 然し大変楽しい稽古であり、色々とご指導頂き感謝致します。」

深々と礼をし、それに習い他の皆も座礼する。
それを見る先生方の目は一様に優しい。
次に八段の橋本先生が乾杯の音頭をとる。

「其れでは、東昭舘寒稽古の無事なる終了と剣道を愛する皆さんの更なる精進を祈って……乾杯!」
「「「「「乾杯!」」」」」

日本酒と甘酒の器が掲げられ皆一気に飲み干す。
拍手がどこからともなく起き、それからは皆酒に、料理に舌鼓を打ちながら座談会となっていった。

重箱料理にがっついている小弥太に、周囲の剣士達がそれを剥がそうと揉めている。
あれだけの激しい稽古をしながらも元気なその姿に驚く遊那。

「お鈴さんから聞いたけど、普通稽古の直後は食べれないんじゃないの?」
「えー、だって俺、育ち盛りだぞ?こんなに美味しそうな料理が目の前にあって食わない筈ないじゃん!」
「あ、キミ、なんか可愛いぞ。これも自信あるんだけど、食べる?」

食う、食うー、と本当に幸せそうな小弥太に、遊那は嬉しくなってしまう。
此れだけ美味しそうに食べてくれると作ってきた甲斐があったというものだ。
其処へ綾も料理を取りにやってきた。

「凄い勢いで料理がなくなっていきますね、僕にも少し頂けますか。」
「槻島さんお疲れ様。どう、身体は大丈夫ですか?」

遊那が数種料理を取り分け渡すと、綾は苦笑する。

「普段使わない筋肉が、嫌と云うほど悲鳴をあげています。駄目ですね、適度に動かしておかないと。」

遊那に会釈をして、綾は料理を由依の所へと持っていく。
稽古のお礼を云う為だ。
すると既に先客がおり、話をしている……倉菜である。

「あたしが小手を集中してた理由か……引き立て稽古だからねぇ、非を悟らせ打突の機会を引き出す稽古だが?」
「私の小手が“非”と云うんですか。」
「硝月さん、お前さん何か剣道の他にやっちゃあいないかい?」
「……え、何故それを、」

祖父の下につき、楽器造りをしている事を云うと、やっぱり、と由依が日本酒を飲み干す。
綾が日本酒の瓶を持ち上げると、すみませんね、と杯を差し出した。

「楽器を造るのに右手は大事だ、だから無意識に庇ったんじゃないのかい。」
「…………、」
「戦いに於いて弱みを見せたら其処を狙うのは定石、違うかい?」
「そう、です。」
「精密さを要求される楽器を造る匠の道と、その剣を握る手を狙われる剣の道は相反するのさ。
 祖父殿も此れまでさぞや気を揉まれているんじゃあ、ないのかねぇ。」

指先の感覚一つが非常に大事な楽器職人。
その様な繊細な職を持つ彼女が剣道をやっていたとは……その名の通り硝子の諸刃を持つ少女だと綾は思った。
一礼して辞する少女の後姿に、綾は可哀想に、と呟く。

「此れも“剣の道”故、なのですか?」

違う、と由依が綾に杯を注ぐ。

「二足の草鞋は出来ない事はない、ただ“匠”だけは無理でしょう。楽を愉しみで奏するのなら出来てもね。」
「確かにそうですね……攻撃の部位として小手がある以上、その恐怖からは逃げられませんよね。
 少しでも利き腕を傷つけたら、繊細な感覚はもう難しいでしょう。」
「まぁこれは彼女の問題ですがね、此方はこれ以上口出しは出来ません。
 いや、既におせっかいが過ぎたかもしれませんがね。」

槻島さんはどうでしたか、と今度は彼に一杯注ぎながら由依が聞く。

「僕は今日が初めてでしたので全てが新鮮でした、出来たかどうかは別としてですがとても楽しかったです。
 この機会を作ってくれた友人に感謝しなくては。」

そう云って頭を掻きながら綾は笑う。 
育ちの良い家柄のせいか教わる事を素直に吸収するので由依も教え易かったという。
突っ込みどころがないのが物足りなかったので次回は……、と
後で彼女が云っていたのは彼には黙っていた方がいいのかもしれない。
由依が蒼眞に云う事があるというので綾もお礼を云いに、一緒に移動する。


「あ、ちょうどいい所へ。」

亮一が、綾と由依が近づくとにっこりと微笑む。
その場には亮一の他に一樹と蒼眞、そして白峰の姿も在った。

「槻島さんは稽古の時に、眼鏡はどうされてましたか?」
「はい?」

今回の出稽古参加者の三人が眼鏡をかけていた。
一樹、亮一、綾である。

「俺は特に視力がそれほど低くないので今回は外してたんです。
 然し武神さんはかけていた、と云うのでね。槻島さんはどうだったのかと思いまして。」
「俺は眼鏡用のバンドを使ってたんだ。」

武神が杯を干しながら答える。

「僕もです、と云っても貸して頂いたのですが。」
「すると知らなかったのは俺だけですか、勿体無い事をしました。」
「このバンドをしていれば面を打たれてもずれないからな、少し鬱陶しいのも否めないが。」

あなたが面を打たれるなんてまずないでしょう、と亮一が云うと
一樹は嫌って程打たれたよ、と苦笑しその場からは少し離れた場所で矢文を掴まえて上機嫌の加藤を見る。
成る程、と亮一。

「岐阜橋さんはかなり先生に気に入られてしまったようですね。」


その矢文は先程からずっとこの加藤の傍に居た。
とりあえず加藤に礼を伝えに行くと、まぁ飲め、儂の言葉は指導の内だ、と付き合わせているのだった。
矢文は大好物の酒とおにぎりがあるので、いつまでも続く加藤の話しに黙々と食しながら聞いていた。

「儂の稽古に最後まで立ってられたのはお前さんくらいだ、えばっていいぞ。」
「……いや、いい。」
「なかなか奥ゆかしい男じゃのぅ、まるで儂の若い頃にそっくりじゃ。」

そう云って矢文に次々と酒を注いでいく。
そっくりなのは嫌だなぁ、と思いながらも口にしないのは矢文故だろう。
先程から蒼眞達が哀れみのこもった目で此方を見ているが……仕方がなかった。
それにこの豪放な加藤が嫌いにはなれない。

「儂が矢文を日本一の剣士にするのだ!」

……やはり助けてもらった方がいいのかもしれない、と思いながら
それでも料理に舌鼓を打ちながら酒を干していくのだった。


遊那と倉菜が男性陣と合流し、剣道談義に花を咲かせていた。
先生方が高齢であるのに稽古になると誰よりも強い事に誰もが驚いている。
するとそこへひょいと小弥太が顔を出す。

「だからな、俺達は先生達の事“スーパージジイ”って云ってるんだ。」
「小弥太!」

蒼眞の恫喝にさっさと小弥太は逃亡、然し皆その云い得て妙な総称に大笑いしていた。
身をもって体験している一樹が頷き、体験していない綾は亮一に幸運ですよ、と云われている。
倉菜は甘酒をむせてしまい、遊那に苦笑されながら背中をさすってもらっている。

年を経る毎に技も冴え、礼を知り、己を知り、人として為っていく。
それが剣道。

「どうです、いい記事が書けそうですか。」

蒼眞の問いに遊那も綾も大きく頷く。
漠然とした剣道というものに直に触れた事により、一般的な文章とは違ったものになるだろう。
それまで掛け軸の黒馬に魅入っていた亮一も席に戻り、一樹と話している。
お互い自らの精進の為の参加だったが得る物もあったようだ。
ようやく矢文も合流し、綾から酒を注いでもらい、倉菜からは料理を渡された。
倉菜にとっては厳しい稽古になったが、矢文にとってもある意味大変な体験だった事だろう。
此れまでの皆の様子を撮っていた遊那の写真が雑誌に掲載されるのはいつ頃か楽しみである。
参加した人其々の目的が達せられたかどうかは、あとは個人の判断に任せよう。



こうして東昭舘道場の寒稽古は終わりを告げる。
だが打上げはまだ続き、北斗七星が中天にかかる頃まで道場の灯りは消えなかった。

この寒稽古が終ると、ようやく春の足音が聞こえてくる。
道場敷地内の桜の木に、蕾が膨らみ始めてくるのも
もう、間もなくである――。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【 0173 / 武神・一樹 / 男性 / 30歳 / 骨董屋『櫻月堂』店長 】
【 0931 / 田沼・亮一 / 男性 / 24歳 / 探偵所所長 】
【 1253 / 羽柴・遊那 / 女性 / 35歳 / フォトアーティスト 】
【 1571 / 岐阜橋・矢文 / 男性 / 103歳 / 日雇労働者 】
【 2194 / 硝月・倉菜 / 女性 / 17歳 / 女子高生兼楽器職人(神聖都学園生徒) 】
【 2226 / 槻島・綾 / 男性 / 27歳 / エッセイスト 】

NPC

【 蒼眞・辰之助 / 男性 / 34歳 / 東昭舘師範代、四天王 】
【 白峰・寅太郎 / 男性 / 28歳 / 東昭舘門下生、四天王 】
【 朱鳳・小弥太 / 男性 / 16歳 / 東昭舘門下生、四天王 】
【 由依・玄之丞 / 女性 / 21歳 / 東昭舘門下生、四天王 】

その他、お鈴、“スーパージジイ”の皆さん


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■         ライター通信          ■
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お初にお目にかかります、伊織です。
此の度は東昭舘寒稽古にご参加頂き、真に有り難う御座いました。
剣道の稽古、と云う東京怪談的には派手さのない地味な依頼ではありましたが
其の稽古内容のリアルさにいささか驚かれた方も多いかと思います。

ええ、大好きです、剣道が。

今回のプレイングを拝見し非常に驚き且つ嬉しく思った事があります。
其れは皆さんのプレイングに“礼”の心を発見した事です。
試合ではなく稽古、と在った為そう書かれたのかもしれませんが
剣道を出来る方も出来ない方も謙虚にその旨を書かれておりました。
此れは中々出来る事ではありません。
剣道をはじめ日本の武道は礼に始まり礼に終わります。
日本人の美徳を垣間見た思いをし、つくづく皆さんにご参加頂いた事を感謝致す所です。

今回は其々の稽古中心とした描写となり、中々一緒の情景が描写できませんでしたが
其の分どのように稽古したいかは充分字数を割いたつもりです。
少しでも稽古の様子を楽しんで下さいませ。
次にもしお目にかかれる時が御座いましたら、また宜しくお願い致します。


>田沼亮一様

今日は、亮一様。
此度は東昭舘への寒稽古へようこそご参加下さいました。
我流であると云う事で基礎から始めたい、と云う稽古への姿勢に非常に好感が持てました。
それでも最後には打ち合いたいと思う所を、敢えて懸かり稽古で留め置くその謙虚さ、とても素敵です。
勝手かと思われましたが白峰に稽古内容を変更させてしまいました。

亮一様の類稀な身長を活かした戦法と云うのが在ります。
今回は控えめな稽古内容でしたのでそれを描写する事は出来ませんでしたが非常に有利なのですよ。
また何かとご迷惑おかけしますが、宜しくお願い致します。


随所に剣道について語っておりますので、もしご興味がありましたら
他の方の稽古風景も見て頂ければ、と思います。
見た目の凛々しさや激しさだけでなく、本当の“剣の道”を楽しんで頂けましたら幸いです。

此度はご参加、真に有り難う御座いました。