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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


 帰ってきた男(後編)
 
『兄が、帰ってきました』
 ある日の草間興信所に舞い込んだ依頼はそんな言葉から始まった。
 自らの葬式の当日に、兄は帰ってきたのだとその妹は言う。そして、混乱のままに、白衣を着た男たちに抑えられ、連れ去られた。彼らが言うには、葬式に現れた兄は兄ではなく、兄にそっくりだから兄だと思い込んだ……ということらしい。
 兄の名は常磐友成。二十代前半の可もなく不可もなくといった風貌。三流と思われる大学を卒業。資格および免許は第一種普通免許のみ。性格は温厚、健康状態は良好、特技なし、趣味は読書に映画鑑賞。スポーツはテニス。
 この男は大学を卒業後、タウン紙を発行している会社に就職。いつか二流を目指すを合言葉に日々を過ごしていたらしい。そして、タウン紙の企画で冬の怪談特集をやるからと都市伝説や怪奇スポットについて調べ、実際に取材を敢行、その帰り道に峠から車が転落、炎上。葬式へと至ってしまう。遺体の状態は、あまりよろしくない……らしい。
 兄が最後に調べていたものは『冬の山に天使猫を見た?!』というもの。謎の天使猫が出没するという付近は、まるで山の中。誰が目撃するのかと思えば、そこには寂れた村があるらしい。いや、寂れていたのは以前の話であって、現在ではとある企業が工場を作り、意外に発展しているとか。そのとある企業の名はアルカディア。工場では化粧品を作っている。
 そんな背景があって、妹は依頼をしてきた。
 自分の葬式に帰ってきた兄は、果して本物なのか……それとも、偽物なのか。もし、本物であるのなら……。
 
 そして、自分はその調査にあたった四人のうちのひとり。
 ここに至るまでの経過を思い出す。
 とりあえずの調査のあと、工場から響きわたった異常を告げるようなサイレンに、一旦、集まろうということになった。だから、集合場所に指定した村の入口に四人の人間が集まるのは、当然である……のだが。
「あなた、誰です?」
 自分と同じような言葉を他の二人も口にしている。
 視線の先は、見知らぬ青年。
 集まった人数は四人でも、何故か出発時と顔ぶれが違う。
「えー、えーと。俺、フリーのジャーナリストで……その、なんていうか……」
 青年は困ったような、どこかごまかすような、そんな微妙な笑みを浮かべながらこめかみを指でかく。
「アルカディアについて数日前から探っているんですよね?」
 その言葉でぴんときた。功刀はにこやかにそう言ってみる。
「う、うわ、ご存じでしたか……」
 功刀は答えずにただ笑みを返した。なるほど、やはり目の前の彼が数日前からアルカディアについて探っていた彼であるらしい。
「とりあえず、事情を説明してくれないかな。そうねぇ、ここだと目立つから……もう少し目立たないところで」
 みたまは周囲を見回す。集合場所だけにわかりやすくなくてはいけないということで村の入口を指定したわけだが、そこは何もないところ。目立つことこのうえない。
「あ、だったら、いいところを知ってますよ」
 青年は明るい笑顔でそう言うが。
「だから、あなたはいったい誰なのよ……?」
 緋玻は神妙な顔で眉を顰め、もう一度言った。
 
 区画整理されてはいない村の半分、ただでさえ多い猫が、さらに多く身体を休めている場所にそれはあった。
 ねこまんま食堂。
 見あげた看板には剥げかかったペンキでそう書かれている。年季を感じさせるガラスの引き戸は人が掴む部分がワックスを塗ったように鈍く光る。引き戸の向こうに広がる食堂のなかも引き戸に負けないくらい、年季を感じさせた。決して汚いわけではなく、すべてが古く、どこか懐かしい雰囲気を漂わせている。
 しかし、ねこまんま食堂。
 なんとも奇妙な……いや、微妙な名前である。
「こんにちは!」
 青年は明るく声をかける。そして、奥のテーブルへと歩き、こっちこっちと招く。招かれ、とりあえず椅子に腰をおろすとテーブルの上にぽんぽんとコップが置かれた。
「そういえば、ちょっとおなかも空いたかな……んーと、どれにしようかな」
 みたまは壁に貼られている紙を見やる。そこには店で扱っているのだろうメニューの名前と金額が書かれているのだろう。とりあえず、コップを手に取り、口許へと近づけ、傾ける。冷たい水が渇いた喉を潤していく……と、みたまは言った。
「ねこまんまラーメン、ひとつ!」
「?!」
 緋玻が噎せている。けほこほと噎せたあと、みたまを見つめ、みたまも緋玻を見つめ返す。やや、心配そうに。
「大丈夫?」
「え、ええ、大丈夫。だけど、今……」
 緋玻は壁を見あげ、驚いたような表情を浮かべる。壁の紙には、ねこまんまラーメン五百円、ねこまんま定食六百五十円とあった。……それしかない。だから、驚く気持ちはよくわかる。
「僕もそれにしようかな……というわけで、ねこまんまラーメン、ひとつ追加で」
 二つしかないのだから、迷いようがない。功刀はあっさりと注文を決める。
「俺は、ねこまんま定食で。美味しいんですよ、ここのラーメン」
 青年が定食を注文し、最後、緋玻が注文をした。
「じゃあ、あたしはラーメンで」
 客が自分たちの他にいるわけでもないから、店を仕切っているのであろうわりと愛想の悪い夫婦は小さく『はいよ』と返事をして作業にとりかかる。
「では、お互いの成果を話し合う前に……」
 功刀は青年を見つめる。そう、この青年の『事情』を聞かなければならない。二十代半ばくらいだろうか。人懐っこく、快活そうな印象を受ける。特別に良いことをしないかわりに、特別に悪いこともしない、そんなごく一般的な人間に見えた。
「えーと、俺は……あ、これ、名刺です」
 青年が差し出した名刺には『北沢司』とあった。
「キタサワツカサと言います。改めて、どうぞよろしく。先程も言いましたが、フリーのジャーナリストで……自分の葬式に帰って来たという男の話題に食いつきまして。これは背後に何かあると調べていたわけなんですが……」
 北沢と名乗った青年は照れくさそうに後頭部に手をやり、苦笑いを浮かべる。
「侵入して、見つかっちゃった……という具合です。もう駄目かと思ったんですが、通りすがりのお医者さんに助けていただいて」
「その『通りすがりのお医者さん』はどうしたの?」
 神妙な顔で緋玻は訊ねる。
「なんだか人が足りないとかで……帰らなくてはならなくなったそうです。それで、なんかよくわかんないんですが、代わりに俺が来ました」
 自分の代わりに役に立ってこいとのことですと北沢は言う。
「なるほど。あのサイレンの正体はあなたで間違いない、と。つまりはそういうことのようですね」
 功刀が言うと、北沢はさらなる苦笑いを浮かべたあとにすみませんとがっくりと首を折った。……自分の迂闊な行動の反省はしているらしい。
「それで、侵入して成果はあったわけ? それとも、騒がせただけ?」
 みたまに成果を問われると、北沢はばっと顔をあげた。そして、懐からディスクを取り出す。
「成果は、ばっちりですとも!」
「手持ちのカードはあり、と。……では、お互いに情報交換といきましょうか。まずは、そうですね……僕から見せますか」
 功刀は場を見回したあと、そう言い、ここに至るまでに調べたことを話しだした。
「草間探偵が気にしていた天使猫、あれのことなんですが……どうやら、存在するようですね。この付近で目撃という噂の他に、そういったものを取り扱う場……幻獣博覧会なるものがあったという話を聞きました」
 話しながら北沢の表情を伺う。その表情から察するに、この情報は知らないらしい。興味深そうな顔で自分の話を聞いている。
「その博覧会の主催者といいますか、背後にそこの工場の副責任者が関わっているらしいですよ……とりあえず、僕の情報はこんなところで」
「私はアルカディアの最近の動きについて調べてみたんだけど……これといって特別な動きはなかった。そこの工場の施設責任者と上層部の関係が気になったから、それも調べてみたんだけど。そこの施設責任者は内藤春樹っていってね、上層部のひとりの息子」
 自分の言葉が終わると、みたまが成果を話しだした。
「で、ここへ実際に来てみたら、猫に餌をやっている兄……常磐友成がいたんだけど……自分は内藤春樹で、常磐友成ではないと返してきたよ。けどね、背後に見張りつきだったし、明らかに動揺していたし……これじゃあ、言葉どおりとは思えないよね」
 次に緋玻が口を開いた。
「お兄さんの足取りをここの人に訊ねてみようと思って、写真を見せたの。そうしたら、写真を見たここの人は施設長さんだと言うのよ。それとは別口から聞いた話で、お兄さんは猫と一緒に捕まって、今はそこで施設長を演じているとかどうとか」
「と、いうことは……天使猫はそこの施設にいるんだ?」
 みたまが訊ねる。緋玻はその可能性ありと頷いた。
「そうね。羽根猫を見つけたら……まぁ、まずはこう、もふもふとした毛皮と羽根を撫でて……」
 どこかうっとりとした表情で緋玻は言う。そんな緋玻をじっと見つめていると、その視線に気づいたのか、はっとした。コホンと咳払いをする真似をしたあと、表情を作りなおしている。
「僕たちは手持ちのカードを見せました。あなたのカードを見せていただけますか?」
 功刀の言葉を受け、北沢は頷いた。
「葬式に帰って来た男、これが本物だとすると、代わりに誰かが死んでいるということになる。その誰かとは? 何故、そんなことが起きたのか? ……俺の調査はここから始まりました。保険金関係かなと思ったんですが……なんか、死んだ男はあまり保険に入っていなかったらしく、家族に入った金銭は乏しい。では、事故が起きるまでについて調べてみようというわけで、調べてみると浮かびあがってきたものが、そこの工場」
 アルカディアだったわけですよと北沢は続けた。北沢は妹が興信所に依頼を持ちかけたことを知らないから、保険金殺人などを思いついたのかもしれない。
「はいよ、ねこまんまラーメン」
 どんっとテーブルの上にラーメンどんぶりが三つ置かれた。とりあえず、見た目は普通のラーメンなので安心した。醤油ベースにチャーシュー、白髪葱、ワカメ、海苔、味付けタマゴに鰹節が添えられている。
「あ、どうぞ、俺のことは気にせず食べてください」
 北沢が言うので、それじゃあと割り箸を手に取り、ぱちんと割る。三人でラーメンを食べながら話を聞いた。
「ここへ訪れて、葬式に帰って来た男が工場長とそっくりであることを知ったのは、皆さんと同じです」
「そういえば、今、死なれると都合が悪いというような話を聞いたらしいわ」
 ふと思い出したという顔で緋玻は言う。
「話を総合すると、兄は生存、施設長の代役である可能性が高い、と」
 上層部とは関係はなく、工場の単独な行動とみて間違いはないだろう。あの事故現場で会った男の言葉を踏まえて考えても、繋がりがあるとは思えない。それに親が息子の死に対し、代役を立てるという行為がわからない。そういうこともあるかもしれないが、今回の件に限っては利点というものが見いだせない。
「そう見ていいんじゃないかな。とりあえず、兄は生きていたというわけで……このディスクの中身は?」
 北沢が取り出したディスクを示し、みたまは問う。
「これは、内部の端末にアクセスしたときに、怪しそうなファイルを片っ端から落としてきたものです」
「怪しそうなものを片っ端から……ちょっと粗い仕事ぶりだねぇ。追われるだけの価値があるのかどうかが怪しい気がするけど」
「それを言われると……ああ、そういえば!」
 大事なことを思い出したという顔で北沢は切り出す。
「あいつらのなかに、銃を持った奴が! ……あれ、皆さん、驚かないんですね。わりと平然としているように見えるのは、俺の気のせいですか?」
 ……やはり、ここは驚いたふりだけでもしておくことが礼儀か。功刀は一瞬、遅れたものの、驚いたふりをしておいた。みたまも同じことを思ったのか、はっとする。
「……わざとらしいですよ」
 なんとも言えない顔で北沢は言った。
 
 ごちそうさま。
 割り箸を整え、テーブルの上へと置く。
「美味しいラーメンでした。和風だしがいい感じで」
 なかなか美味なラーメンだった。客がいないことが不思議に思える……が、ここはあまり人がいない村のようなのでそれも当然のことなのかもしれない。
「どのあたりがねこまんまなのかしら?」
「このあたりじゃないの?」
 みたまはスープに漂う鰹節を指さした。
「で、皆さんはこのあとどうするんですか?」
 北沢に問われ、顔を見あわせる。情報収集の段階は終わった。実質的な行動に移る段階へと入っている。
「……なんですか?」
 緋玻はちらちらと北沢を眺める。と、それに気づいた北沢がきょとんとした顔で小首を傾げる。
「正面から話し合ってみるってのはどう?」
 そう言ったのはみたまだった。
「責任者の内藤氏は、常磐兄だと思って間違いなさそうだし……事情の説明してもらって、兄の返却を要求……もしくは、妹の説得かな」
 向こうの事情もとりあえず聞いてみて、妥協できる点があればそこで妥協、お互いに穏やかに、穏便に解決できればとみたまは言う。
「そうですね。話し合う余地は十分にあると思いますよ。むしろ、それを望んでいるとみていいでしょう。……ああ、言い忘れていましたが、少し前に、上層部の方と見受けられる男性から接触がありまして。力になれるかもしれないという言葉をいただいたところで、サイレンが」
 そう言って、功刀はちらりと北沢を見つめる。にこりと微笑みかけると、北沢はまたもすみませんとがくりと首を折った。その反応は少し面白い。
「まあ、それでも、交渉が決裂する可能性がないわけではないので、危険といえば危険なのですが」
 やってみる価値はあるのではないかと功刀は続けた。
「でも、相手は銃を持ってますよ?」
「そうかもしれないけど、撃ってこなきゃ問題ないでしょ。そのためにも、正面から行くわけ。忍び込むから、撃たれるの」
 みたまは人指し指と親指を立て、北沢を指さす。そして、撃つ真似をした。
「では、とりあえず正面から行ってみるということで……いいですか?」
 功刀は緋玻を見つめる。緋玻はこくりと頷いた。
「ちょっと準備してくるものがあるから、食休みくらいの時間をちょうだいね」
 みたまはそう言って椅子を立つと食堂を出て行く。それを見送り、しばらくの間、待つことにした。
「あなたは施設長がどういう男であるのかご存じですか?」
 常磐友成についての情報はそれなりに得ているが、内藤春樹についての情報は皆無に等しい。顔だけはわかっているが、人柄や経歴は施設責任者であるということ以外不明という状態だ。
「内藤春樹ですか? ええ、一応、調べたのでそれなりに知ってますよ。親がアルカディアの上層部なだけあって、座っているだけで上に行けるみたいですね。一流の大学を卒業、なかなかに優秀らしいですが、すべてが親の言うなりだったそうです。そこの工場でも施設責任者というのは名前だけ、実際の操業には関わっていないみたいです」
 北沢は定食を食べながらそう返す。ねこまんま定食は、所謂、焼き魚定食のように思えた。白米には鰹節がかかっている。……このあたりがねこまんまなのか。
「将来は約束されつつも、自由のない生活を送っている男が、自分とそっくりな、将来はどうなるかはわからないが、それだけに希望を持ち、自分の意思で動いている男に出会ったとしたら……どんな気持ちになるのでしょうね」
 同じ顔ではあるが、境遇が違うふたり。そのふたりが顔をあわせていたらどういうことになっていただろう。……顔をあわせていたら。いや、もしかしたら、顔をあわせていた、かもしれない。
 そんなことを考えていると、北沢と緋玻が自分を見つめていることに気がついた。
「いえ、ちょっと思っただけです」
 気にしないでくださいと功刀は言った。
 
 準備を終え、戻ってきたみたまとともに三人で工場へと赴く。北沢も行くと言いはったが、先程、工場に潜入し、サイレンまで響かせた男である。連れて行くわけにはいかない。ねこまんま食堂で待機を言い渡した。ついでにこのことは記事にできる可能性が少ないことも告げておく。そんな、どうしたらいいんですかと嘆き訴えてくる北沢に、旅行かグルメな記事でも書けばという言葉を残す。
 施設のゲートで警備員に施設長の内藤と話がしたいと告げると、あっさりと応接室へと通された。常に見張られている気配は感じるものの、手荒な真似はしてこない。
 少々、お待ちくださいと女性職員にお茶を出され、待ったあとに姿を現したのは見知らぬ男だった。三十代半ばを過ぎていると思われるその男は、村上と名乗った。施設副責任者であるという。
「申し訳ありませんが、内藤は気分が優れず、おはなしならば、私が承りますが」
 その言葉にお互いに顔を見あわせる。
「そう。じゃあ、単刀直入に言うからね。常磐友成、この名前のことは知っているよね。それと羽根のはえた猫のこと」
 みたまは言う。だが、村上はなんのことですかとしらを切る姿勢を崩さない。
「話し合う気はない?」
「何を言われているのか、さっぱり……」
 やはり、あくまでしらをきりとおすらしい。これ以上食い下がることは無意味かつ時間の無駄と判断し、功刀は言った。
「わかりました。この件については、内藤氏に直接伺うことに致します。今日はご気分が優れないということで、日を改めまして、また」
 その言葉を聞くと、村上はほっとした表情を見せた。職員を二人呼びつけ、ゲートまで案内するように告げるとそそくさと応接室を去る。その行動がなんだか怪しい。証拠隠滅でもはかろうとしているのではないかと思えてくる。
 このまま素直にここをあとにし、出直して来ても構わないが、せっかくここまで入り込んでいるのだからと功刀あゲートまで案内するはずの職員を気絶させた。見れば、みたまも同じように職員を気絶させている。その動作は鮮やかで、手慣れていた。
「あの人では話になりませんね」
「上層部の男を探した方がいいかもね」
 みたまはそう言いながら職員の白衣をはぎ取り、緋玻へと差し出す。緋玻は素直にそれを受け取り、羽織った。この工場の職員は通常、白衣着用であるらしいから、着ていないよりは、着ている方が目立たない。功刀も同じように白衣をはぎ取ったあと、みたまへと差し出した。みたまは一瞬、躊躇ったあと、ありがとうと白衣を受け取る。
「手分けして探すことにして……所長室があるだろうから、そこで落ち合おうか。なるべく騒ぎは起こさない……これが合言葉、ね」
 
 とりあえず、人目を避けて目立たぬように行動し、災害時の避難経路を示す地図を見つけ、図面を頭にたたき込む。
 常磐の存在が気にかかるのが、副責任者である村上の動きも気になる。だが、それ以上に接触をはかってきたあの男のことが気になる。間違いなくここへ訪れているはずであるし、訪れたあとにそのまま帰ったとは思いがたい。あの男は自分に話を持ちかけようとしていたのだから。
 ふと、自分たちが通された応接室の他にもう一室、応接室があることに気がついた。入口からはそちらの応接室の方が近いというのに、わざわざ遠い応接室に通している。他に来客があっただけかもしれないし、他の用件で使用しているのかもしれない。だが、少し気になった。
 隠密行動を心掛け、応接室へと向かう。
 辿り着いたところで、扉の前からなかの様子を伺い、そっと扉を押し開ける。とりあえず、人の気配はないとわかりつつも部屋へと足を踏み入れ、なかほどまで歩く。
「!」
 窓の近くに人が倒れている。しかも、縛られた状態で。歩みより、その顔を確認すると、あの男だとわかった。何か固いもので殴られたのか、こめかみの辺りが腫れ、血が僅かに流れている。屈み、拘束を解いたあと、意識を回復させた。
「うっ……あ、痛っ……」
 ずきりと痛んだのか、男はこめかみを手で押さえる。
「大丈夫ですか?」
 声をかけ、ハンカチを差し出す。
「え……あ……功刀さん……」
 男はなんとも言えない顔で功刀を見つめ、呟いた。
 
 ふらつく足取りの男を所長室へと連れて行くと既に緋玻がいた。常磐を連れたみたまが所長室へ現れたあと、改めて男と向かいあう。
「それでは、改めて。私はアルカディア・ジャパン監査部の者です。とはいえ、それが表向きであることは功刀さんを始め、皆さんにはわかっているだろうと思われますし、こう言ってしまった方が話も早いことだろうと思いますので」
 男はそんな前置きをしてから、言葉を続けた。
「問題が起こった場合、それを速やかかつ穏やかに裏で処理することが私の任務です。数日前から何やら探りを入れている者がいるということで様子を見ていたのですが……」
 男は功刀を見つめる。数日前から探りを入れているのは自分ではないのだが……今さらそれは間違いですと訂正する必要もないので、それについて黙っていることにした。
「僕たちが要求したいことは、ひとつ。彼が常磐友成であるというのなら、家族のもとへ返してほしい、ただそれだけです」
 功刀は黙って俯いている常磐を見つめ、言う。
「その件については、今ひとつ事情を呑み込めていないのです。わかっているというのなら、説明していただけませんか?」
 男は常磐に説明を乞うた。俯いていた常磐は顔をあげる。
「村上が工場を私物化し、資金を使い込んでいたんです。それを問いただし、事を明らかにすると言ったがために、彼は……」
 常磐は憂鬱そうな顔で力なく横に首を振る。そのあと、殺す気はなかったらしいですと小さく付け足した。
「それで、顔が似ていたあなたが連れて来られ、内藤さんの代わりを?」
「ええ……施設長が変わると内部監査が入るでしょう? 使い込んでいることが発覚することはまずい、帳簿をあわせなくては……と、時間稼ぎのために行ったようです」
 用がなくなれば俺も消されていたかもしれませんねと常磐は小さく呟く。
「そう……ですか……」
 男は困ったなという顔でため息をつき、小首を傾げた。
「まったく、もう。あまり『表』の人間を巻き込むことがないようにね。問題が起こる前の監査も必要だよ」
「う。返す言葉もございません……ご迷惑をおかけしてすみません……」
「で、私たちも兄妹も、今回の件の口外無用は約束するし、させるよ」
 みたまの言葉を聞き、男はうーんと唸ったあと、常磐を見つめた。
「つまり、あなたは常磐さんで、内藤さんは先日の事故で亡くなっている……しかし、事故は常磐さんが亡くなっているということで片づけられ、既に常磐さんの葬式は終わっている……こうなってくると……常磐さん、あなたがこのまま内藤さんとして存在する、それが最も、穏便に済ませられる方法だと思うのですが……如何ですか?」
 常磐は戸惑う表情を浮かべ、俯いた。かなり悩んでいることは傍目から見ていてよくわかる。
「事情をくみ、事実を伏せていただけるのであれば、あなたのご家族に会うことも許されるでしょうし、何より内藤さんは将来を約束されている身です。資産家でもあります。安泰な人生を送れますよ?」
 その言葉を聞くと、常磐は顔をあげた。
「決めました。俺は……」
 
 みやげというわけではないが、噂の天使猫、羽根のはえた白い猫が入れられたカゴを渡された。
「きゃ〜」
 聞こえる声が普段よりも一オクターブほど高くなっているのは気のせいではないはず。みたまと緋玻のふたりは噂の羽根猫を可愛がっている。やはり女性というものはこういった毛皮に弱いのか……などと考える。放っておくといつまでも可愛がっていそうな気配も漂っていたので、ある程度のところで聞こえるようにため息をついてみた。
「この羽根猫の処遇はどうします?」
「あなたはどう思っているの?」
 逆に訊ねられ、功刀は少し考えた。
「山にお帰り……というわけで、山へ放すというのは如何でしょう?」
 兄の記事では山で天使猫を見たとあるので、ちょうどいいのではないかと続ける。それには問題があるのか難しい顔をする緋玻の横で、羽根猫を抱きしめたみたまが言った。
「山に放すんだったら、もらっていってもいいよね」
「みゃあ〜ん」
 羽根猫の方もみたまに懐いている。山に放すよりは、騒ぎにならなくていいのかもしれない。まあ、いいんじゃないですかと軽く答えておいた。
 
 結局、内藤春樹ではなく、常磐友成として生きることを選び、兄が妹のもとへ帰ることで、依頼は果たされた。
「ありがとう、これで依頼は無事解決。助かったよ」
「あの男……」
 本当に兄だったのだろうか。それが少し引っ掛かるといえば、引っ掛かる。だが、それは自分の考えすぎか。
「とはいえ、そうだとしても常磐友成であることにかわりはないか……」
 そう生きると決め、既にそこに存在しているのは常磐友成。ならば、それはそれでいいのだろう。それに、家族が何も言ってこないということは、それは自分の危惧、考えすぎに他ならない。
「とりあえず、何かお礼がしたいな」
「お礼……ですか? それでは……そうだ、ラーメンを食べに行きませんか?」
「ラーメン?」
「ええ、今後、大ブレイクするかもしれない穴場な店があるんですよ」
 ……ちょっと遠いけど。心のなかで功刀は付け足した。
 
 その後、功刀の読みどおり、とある雑誌に載った小さな記事から、ねこまんま食堂は行列ができるほどの店へと昇格したという。

 −完−


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1685/海原・みたま(うなばら・みたま)/女/22歳/奥さん 兼 主婦 兼 傭兵】
【2346/功刀・渉(くぬぎ・あゆむ)/男/29歳/建築家:交渉屋】
【2240/田中・緋玻(たなか・あけは)/女/900歳/翻訳家】

(以上、受注順)

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■         ライター通信          ■
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依頼を受けてくださってありがとうございました。
まずはまたぎりぎりですみません。
相関図、プレイング内容、キャラクターデータに沿うように、皆様のイメージを壊さないよう気をつけたつもりですが、どうなのか……曲解していたら、すみません。口調ちがうよ、こういうとき、こう行動するよ等がありましたら、遠慮なく仰ってください。次回、努力いたします。楽しんでいただけたら……是幸いです。苦情は真摯に、感想は喜んで受け止めますので、よろしくお願いします。

こんにちは、功刀さま。
後編のご参加ありがとうございました。お礼はラーメンということで……(おい)ラーメンが嫌いだったら……すみません。

今回はありがとうございました。またご縁がありましたらよろしくお願いします。
願わくば、この事件が功刀さまの思い出の1ページとなりますように。