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<東京怪談ノベル(シングル)>


桜色の魔法



 人から貰うプレゼントというのは二通りある。
 事前に中身が予測出来る物と、予測不可能な物。
 お父さんがあたしに贈ってくれるプレゼントは、後者に属することが多かった。


 ……これは何だろう。
 いつものことだけど、あたしはお父さんからのプレゼントを前に、首をひねっていた。
 それは透明な瓶であり、中に入っているのは錠剤である。見た通り、薬だろう。
 問題は、何の薬かということ。お父さんから贈られたとはいえ、何も知らずに飲む訳にはいかない。
 説明書の表紙にはこう書かれている。
『たった一粒で劇的変化! これでアナタもグラマー美人!!』
 煽り文句の横には、水着姿の女性の絵が描かれている。大きく膨らんだ胸、ウエストは瓢箪のようにくびれ、大きい筈のヒップでさえ胸の傍では小さく見える。俗に言う、ボン・キュ・ボンなスタイルである。
(……………………)
 あたしは黙ったまま、説明書と瓶とを見比べた。
 はっきりいって、凄く怪しい。
(本当にこんなスタイルになるなら、嬉しいけど)
 この手の商品には、過剰表現や嘘が多いのだ。『グラマーになる錠剤』は、世の中に一杯ある。買ったことはないけど、たまに夕方のニュースで問題になっているのを見たことは何度かある。肌が荒れたとか、逆に胸が減ったとか、色々あるらしい。他にも痩せる薬というのがあって、家にもチラシが入っていたりする。
 そう、あれは先週のこと。無駄な肉を落としてスタイルをよくする薬と謳った広告が朝刊に挟まっていた。鮮やかな色を使った広告で、少しの間目を奪われた。綺麗でグラマーな女性の写真が印刷されていたからだ。
 まだ中学一年生とはいえ、大人の艶かしい身体つきをしている女性には、淡い憧れを抱いている。
 テレビ越しにグラビア女優を見たとき――グラビア女優自体を羨ましいとは思わないし、あまり好きではないけど、あのスタイルには憧れた。それに気づいたお父さんが、気にすることないよ、とあたしに声をかけたからよく憶えている。まだみなもは中学生なんだから、これから成長するよ、と。
(確かにそうなんだけど――)
 お父さんがあたしを気にかけてくれたのは嬉しかったし、言っていることも正しい。でもお父さんは男の人なのだ。中学生の女の子だからこそ、不安になることもある。
 今あたしはお父さんが示唆するように“成長中”だけど――。
 このまま成長が止まってしまうのではないか、と考えることがある。幼い頃に、触っても全く膨らみのない自分の胸とお母さんの胸を交互に眺めて、軽い不安を覚えたことがあった。それに似ている。あの頃ほど想像を逞しくすることはないけど、一滴の不安は残っていた。
 ――今のところ、胸の膨らみはそれなりにあるものの、お姉さまと比べると劣って見える。それに、胸はすぐに減るものなのだ。もしかしたら……――
 恥ずかしいから誰にも相談していない悩みではあるけど、お父さんは察していたのだろう。だからこの薬を贈ってきたのだ。
 蓋を開けて一錠取り出してみた。薄い桜色の錠剤で、ハート型をしている。桜の花びらの形なのか、ピンクのハート型と表現した方がいいのか。
(うーん……)
 飲んでも大丈夫なのだろうか。贈り主はお父さんなんだから、危ないことはないと信じたいけど……。
 結局、朝刊に入っていたあの広告は、捨ててしまったのだ。実際効果があるのか疑わしかったし、何度体験談を読んでも懐疑心は消えなかった。何度も読むくらい大人の女性への興味はあったけど、何せああいうのは値段も張るのだ。
(……………………)
 でも今はその手の薬がタダで手に入り、今目の前にある。しかもお父さんが入手してきた物だから、その辺の通信販売で購入するより余程安心出来るのだ。
 ――…………一粒くらい……。
 誘惑には勝てなかった。錠剤を舌の上に乗せると、一気に口の中へ水を流し込む。錠剤が通る感触が喉のあたりであったかと思うと、それは下へ下へと落ちていった。
 だが感触は消えない。どころか、徐々に膨らんでいくようだった。
 …………痛い!
 肌に、細い糸が絡み付いているように――身体の外から痛みが走った。最初は鈍く、だんだんと鋭く、糸は太くなる。
 外だけだった筈の苦痛は、身体の内側からも現れ始めた。風船が身体の中で膨らんでいくように、器が中身の大きさに耐え切れないと叫ぶようだった。この痛みは特に鋭く、外の、縛り付けるような痛みと強く反発した。
 ――やめて、やめて!
 叫んだつもりなのに、声にはならなかった。喉のあたりで声は詰まり、霧のように細かく散っていった。唇から溢れた声は言葉として成り立たず、繋ぎ合わせても短い喘ぎでしかなかった。
 内側からくる苦痛の方が強かった――事実、肌の痛みは徐々に薄れていったのである。邪魔のなくなった内側の風船は、弾みをつけて膨らんだ。
 ビリリ、という音――服が破れていくのと引き換えに、胸が膨らんでいくのがはっきりと判った。手で触ってみると柔らかく、確かに本物だ。片手では収まりきらず、中には瑞々しい弾力が隠れていた。
 ウエストはどんどんくびれていく。合わせたように、胸のトップとアンダーの差が広がり、更に胸が大きくなった。
 あたしはよろけながら、姿見まで歩いた。痛みはまだ続いていたけど、自分の姿が早く見たかった。
 どんな姿になっているのだろう。
 想像が広がる。艶っぽさを香らせる女性になっているのだろうか。
 息を切らしていたものの、期待は大きかった。薬の効果はあると判っているのだから――。
 そう思っていたのに。
 鏡の前に立って、あたしは幻を見ているのではないかと疑った。
 映っているのは、妖艶な女性でもなければ、いつものあたしでもなかった。
 牛の姿をした女性だったのだ。


 そうだった。
 相手はお父さんなのだ。普通の物をプレゼントする筈がなかったのだ。
 だからといって、牛娘になるとは想像出来なかったけど。
 胸の大きな女の子を牛に例えることがある。だからこの姿も、全く理解出来ない訳ではない。
 髪の間からひょっこりと現れている耳。ウサギほどではないにしても、人の耳よりはずっと長く、垂れている。
 そして角。鬼のそれよりも長い物が、耳よりも内側に二本生えている。
 胸を覆やお臍、太もも、肌全体を覆っているのは白と黒の斑点である。手足は今までの長い指に代わり蹄になっていた。これでは歩き辛くて、上手く歩けないのは当たり前だ。よろけていた理由が解かった。鼻には花輪までついている。
 少し驚いたのは、両耳には識別鑑札がつけられ、首には牛がつけている鈴――カウベルがついていたことだった。
 ――あたしは誰かに飼われているんじゃないだろうか。だとしたら飼い主は誰なのだろう――
 余計なことを考えてしまう上に、昔からずっと自分は牛娘だったような気が一瞬した。
(違う、違う)
 あたしは人魚でもあり中学生でもあるけど、牛ではない。しっかりしないと、記憶が違ってしまいそうだ。
 しかし、何とかならないだろうか。牛のままだと過ごし辛い。
 せめてと思い、カメラで撮影した。セルフタイマーにして、畳の上に座り込む。どの座り方も蹄のせいか違和感があった。特に正座なんて無理だ、結局俗に言う女の子座りが一番楽で、その状態でタイマーを設定した。
(この後はどうしよう)
 どう過ごすか――どう過ごせるかが問題だ。
 ……丁度お腹も空いてきたし、食事にしようかな。

 と思ったが、甘かった。
 歩くのだってままならないのに、物を掴んで口に運ぶなんて考えるだけ無駄だった。料理自体は朝食の残りがラップをかけたままテーブルの上に乗っていて、作る必要はない。が、箸が持てないのだ。
(諦めよう……)
 頭は納得しても、身体が納得しない。牛なのに、身体の大半は人間のままなので、どうしようもなかった。空腹を知らせる音が二度も鳴った。
 仕方なく、蹄の両手で必死になってラップを外し、テーブルに蹄をつけ、顔を皿に近づけて食べる。殆ど犬食いだ。一人だからこそ出来たのだろう。それでも恥ずかしかったが、とりあえずお腹は膨らんだ。
(後は余計なことはしないで、時間を潰そう……)
 炒め物の油が唇を湿らせるのを、必死に蹄で拭いながら、思った。


 牛娘になって思うのは、グラマーなのも大変だということだった。
 何をするにも胸が重く、肩も凝る。身体の動きに合わせて胸も動くし、その感じは何か変な物がくっついて蠢いているようで、ちょっと嫌だ。その上――これは期間にもよるのだけど――大きく動くと胸が痛くなった。
 慣れない身体を引きずって、お姉さまを思い浮かべる。
(お姉さまは何も言わないけど――)
 きっと大変なのだろう。さっきまでの自分を思い出すと情けない。
 ……ないものねだり、だったのかなぁ。
 勿論今も羨ましいけど、スタイルの良い人は良いなりに辛いということも理解した方がいいだろうし。
(そういう意味で、お父さんはこの薬をくれたのかな)
 本当のところはわからないけど――。
 お父さんの、とらえどころのない、それでいてあたしを呑み込んでしまいそうに涼しげな笑顔が浮かぶ。
(どうなのかなぁ……)
 わからない。牛になったせいもあってか、頭の中がぼんやりとして、考え事が上手に出来ないのだった。


 そういう訳で、現在海原家の居間では牛娘が一人宙をぼんやりと眺めて時を過ごしている。
 グラマーな女性もそれなりに悩みがあるようだが、牛は牛で辛いようだ。




終。