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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


『蝶が求めるは花の蜜』

【T】

 草間武彦から手渡された履歴書で住所を確かめ、蒼王翼は足を止めた。傍らの海原みそのもつられるような格好で立ち止まる。無事辿りつけるだろうかという思いは杞憂だった。目的の場所は集落に埋没することを厭うように小高い丘の上にぽつんと建っていた。門扉もない。緩やかな坂を上りきったそこからが所有地だとでもいうように濃い緑が生い茂る庭が広がり、そこを縫うように細い道が玄関に向かって伸びている。
「こちらのお宅ですの?」
 みそのが問う。頷くことで答えて、翼は静かな場所だと思いながら一歩を踏み出す。細い道に敷き詰められた砂利が二人の足音だけを響かせる。
 美しい場所だと思った。ただそれだけの他に言葉が見つからない。無駄な装飾のない庭はありのままの自然が横たわっているように純粋で、降り注ぐ陽光を静かに受け止める姿は造られたものではないのだということを伝えるには十分だ。
 陽光は二人にも等しく降り注ぎ、歩を進める度に揺れる翼の金の髪が柔らかく煌いた。
 草間興信所の所長である草間から聞いた話によると、蝶に寄生された人間が花を求めて依頼を申し込んできたのだそうである。どうにかしてくれと云った、彼の口調からは怪奇事件はもううんざりだという気配がはっきりと感じられた。渡された資料は蝶に寄生されたという女性の簡単な履歴書。その住所に行けばいいとだけ草間はいい、それを補うように零が衰弱がひどくで外出が困難なのだということ、直接依頼者に会えば手がかりがわかるだろうということを教えてくれた。
 それ故に翼は今、その女性の家の玄関先に建っている。傍らにいるみそのは草間の云う依頼内容を聞いて、美しいわとうっとりと微笑み半ば強引に助手という名目でついて来た。
 無機質なドア。その傍らにインターホンが備え付けてあった。翼は白く細い指で小さなスピーカーの下のボタンを押す。屋内から軽やかにチャイムが響いて、次いで僅かにノイズ交じる声がスピーカーから零れた。
『どなた?』
 たった一言だというのに振り絞るように発せられたような声だった。
「草間興信所の者です」
 明瞭な声で翼が答える。するとスピーカーの向こうから安堵するような細い声が漏れる気配がした。
『鍵はかかっていません』
 女性は今にも消えてしまいそうな声で答え、玄関から入ってすぐの左手の部屋に自分は居るという旨を次げた。短いその言葉に随分時間を費やしたように思う。創造していた以上に女性の衰弱は進んでいるのかもしれない。思って、翼はみそのと共に玄関を潜る。
 そして二人はドア一枚に隔てられていた空間を目の当たりにして驚いた。
 家ではなく温室だった。噎せ返るような花の香り。空間を埋めるのは植物。明らかに異国のものだとわかる色とりどりの花々。緑鮮やかな観葉植物。建築法はどうなっているのだろうかと思うほどに、ドアの向こうの空間は植物のためだけに造られていた。
 ここは人の住む場所ではないと翼は直感的に思う。
「入ってすぐの左手の部屋というのはあれかしら?」
 云うみそのの言葉に我に返る。
 みそのの視線の先には蔦の這う壁の間にぽっかりと開いた口のように硝子のドアがある。
 薄手の漆黒のワンピースの裾を揺らしてみそのが先を行く。その後に続きながら翼は一体どんな女性がいるのだろうかと思った。そしてふと会うのが怖いと思った。しかし花の香りに朦朧とする頭は、そんな翼の思考を他所に足を動かす。
「いらっしゃい」
 植物の鮮やかな色彩に埋もれるように設えられたベッドの上で上体を起こした女性が微笑んでいた。
 一目で美しい人だということがわかる。
 しかしその眼孔は落ち窪み、頬には濃い影が落ちていた。皮膚に張り付いているだけのような血管の浮き出た腕から点滴の管が伸びている。
 室内は明るかった。ふと天井を見上げるとそこはガラス張りの天井。サンルームだ。不快を感じないのは空調が完備されているからなのだろう。
「初めまして。蒼王翼と申します」
 名乗る翼に続いて、愛らしい微笑みを湛えてみそのが名乗る。
 痩せた肩を包むショールを引き上げて女性も微笑みでそれに答え、小さな声で名前を告げた。
「早速ですが幾つか質問をさせて頂いても宜しいですか?」
 云う翼に女性は緩慢な仕草で頷いて椅子を勧めた。静かに腰を落ち着ける翼の隣で、みそのの漆黒のワンピースの裾がふわりと揺れる。この陽光の下ではさぞかし暑いことだろうと思ったが、みそのの白い肌に汗が浮かんでいる気配はない。
「その、蝶に寄生されたということに気付いたのはいつでしたか?」
 女性は過去の記憶を探るように目を細める。翼の隣でみそのは興味津々といった体で女性の言葉を待っている。
「……羽化した時です。最初は痣みたいなものでした。それが次第に広がっていって、気付いた時には羽化していたわ」
 話す女性はあまりに力なく、今にも消えてしまいそうな儚さを漂わせている。外見からは蝶が寄生されていることはわからない。しかし何かによって生命が侵食されているような気配がする。魂の中核に根を張るように、静かに生命を侵されていっているような危うさが漂っているのだ。
「いつ寄生されたのか心当たりはありますか?」
「えぇ。きっとあの谷に花を採取しに行った時だと思います。二ヶ月ほど前になるかしら。あの時、崖から転落して、無傷だったので大事には至らなかったのですけど、食欲が落ちて無償に花の蜜を求めるようになったのはそれからだわ」
 翼は女性の職業を思う。
 植物学者。
 履歴書にはそうあった。
 みそのは耳を澄ますように静かに目蓋を閉ざして女性の声に耳を傾けている。
「他に寄生されたというような方は?」
 女性はゆったりと頸を横に振る。
「医者には相談なさったんですか?」
「しました。けれど原因は不明です」
 云って女性は点滴が吊り下げられたスタンドを見上げる。そこからはゆったりとした速度で雫が落ちてくる。これが今彼女の生命を繋いでいるのだろう。
「花の、採取しに行ったという花のお話を聞かせて頂けますか?」
「動物などの屍骸に根を張る変種の着生蘭です。蘭といっても肉厚の鮮やかな紫の花弁の花で、一見牡丹のようにも見えます。特徴といえば、そうね……血のような噎せ返る甘い香りがして、燐光を放つの。グロテスクだと云う方もいるけど、とても美しい花よ」
「虫媒花ですわね」
 不意にみそのが云う。
「よくご存知ね。そうよ、虫の仲立ちで受粉が行われるの」
 答えた女性の顔には濃い疲労の影が滲んでいた。
「最後に一つだけ。寄生したという蝶を見せて頂けますか?」
 翼の言葉に女性は肩からかけていたショールをはらりと落とした。
 その下には陽光を反射させる抜けるように白い肌
 はっきりと浮いた鎖骨と肋骨。
 胸元が大きく開いたトップスの胸元で鮮やかな赤紫の羽を広げた蝶が息づいていた。

【U】

「どうなさるおつもり?」
 緩やかな坂を下りて街へ出て、目に付いたオープンカフェでテーブルを挟んで二人は向かい合っていた。
「風の声を聞く」
 云う翼にみそのは微笑む。
「それではわたくしも」
 二人は緩やかに冷めていく紅茶を前に目蓋を閉ざし、耳を澄ませた。
 道行く人々が二人を盗み見るように去って行く。一見金髪の美少年に見える翼と白磁のような肌に長い黒髪をたらしたみそのは人目を惹く。しかし二人はそうした雑多なものを払いのけるかのように静かに視界を遮断して耳を澄ます。翼は風の声を、みそのは風の流れに蝶が求める花の情報を探る。停滞しているような空間のなかにも微弱な風は存在する。やさしく二人を愛するように風は吹き抜けていく。二人はそれに問いかける。すると時折囁きのような応えがある。
『知っているわ』
 透明な声が翼に云う。
『すぐに見つかるさ』
 せせらぎのような声がみそのに云う。
『彼女だよ』
 その声に二人は同時に目蓋を開いた。
 そして同じ方向へと視線を向ける。
 横断歩道で信号待ちをする人の群れ。その間を縫うように二人の視線は一点へと収束する。彼女の周りで風が揺らめく。短い茶色の髪。警戒しているような鋭い雰囲気。痩身をスーツで包み、今にも人波に呑まれてしまいそうな危うさで佇む女性。
 二人は目配せして、翼が席を立つ。
 同時に信号が青に変わった。
 女性が歩き出す。
 それを追うように駆け出す翼の背を見送って、みそのは風のようだと思う。
 そして自分もゆったりと席を立った。

【V】
 
 女性は自分を追う翼の存在に気付いたのか、足取りを速め裏通りに入ると同時に駆け出した。しかし女性が向かう先が行き止まりだということを翼は知っている。彼女の残す甘い香が鼻腔を擽る。ピンヒールの靴を履いているにしては速い。思いながら女性を壁際に追い詰めると、聳える壁を背に女性は鋭い視線で翼を見た。
「警察の人間かい?」
 息を切らせて女性が云う。
「いいえ。興信所の者です」
「興信所があたしに何の用だい?」
「花を捜しています」
「花?あたしには関係ないよ」
 隙を伺うように神経を研ぎ澄ます女性を逃すまいと翼はいつでも飛び出せるように身構える。
「人を殺したのね」
 不意に緊張感を緩める柔らかな声が背後から響く。女性の顔が引き攣るのがわかった。
「でもそんなことは関係ないの。わたくしたちと一緒に来て下さらない?」
 微笑むみそのに女性が警戒を強めるのがわかった。けれどみそのがそれに動じる様子はない。
「お会いして頂きたい方がおりますの。警察とは無関係ですわ。それに一緒に来て下さるというのなら、警察に告げ口をするようなことは致しません。約束しますわ」
 あどけない少女の言葉を信用したとは思えない。
 しかし女性は何かを諦めたように髪をかき上げると、自虐的な笑みを浮かべて頷いた。
 翼はその笑顔に、グロテスクな花が開く瞬間を見たような気がした。

【W】

 その光景を草間にどう説明すればいいのかわからなかった。
 二人の相反する容姿の女性が向かい合う。まるで何かで強く繋がっていたとでもいうような順当さで二人は対面を果たした。
 そしてそれは起こったのである。
 依頼者の女性がゆったりと点滴の針を抜き取り、短い髪の女性に向かって痩せた手を差し伸べる。
 それを待っていたとでもいうように短い髪の女がその手に口付け、引き寄せるようにして唇を重ねた。
 その光景に翼の傍らでみそのが溜息を漏らす。
 室内に芳しい甘い香りが満ちていく。噎せ返るような濃密な香りだ。
 天井から降り注ぐ陽光がスポットライトだとでもいうように二人の女性を照らし出す。花はその植物の生殖器だと云ったのは誰だったろうか。決して直截的ではないというのにひどく艶かしく淫らな光景を目の当たりにしながら、翼は受粉の光景だと思う。
 静かに進む種の保存。
 蝶の羽が震える。
 肉厚の花弁を広げて花がそれを受け止める。
 雄蘂から雌蕊の柱頭へ花粉が移される。
 虫媒花。
 受粉。
 種の保存。
 翼の頭の中を単語が駆け抜けていく。
「あぁ……」
 吐息のような細い声がどちらのものだったかはわからない。
 しかしそれが合図だったとでもいうように短い髪の女性は依頼者の女性の胸元に蔬れた。痩身を包むスーツの袖や裾から蔦が這い出す。外界を遮断するように伸びていくそれは瞬く間に二人を包み込み、葉で茎を飾りながらぽつりぽつりと肉厚の鮮やかな紫の花弁の花をつけた。そしてその花が落ちると、鮮やかな赤い実が残される。
 蝶は呑みこまれ、植物の一部となる。
 思った刹那、時間が圧縮されているような気がした。
 時の流れに加速度を感じる。
 ふとみそのに視線を向けると彼女は悪戯をした子供のような笑顔でそこにあった。
 そして急速に成長し続ける植物に歩み寄るとつけたばかりの赤い実を指先でもぎ取り、
「これが種の保存というものですわね」
といって再度鮮やかに微笑んで見せた。
 草間武彦がこんな結末を信じることはないだろう。
 現実は目の当たりにした刹那にしかその存在の有無を確かめることはできないものなのだ。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2863/蒼王翼/女性/16/F1レーサー兼闇の狩人】

【1388/海原みその/女性/13/深淵の巫女】


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■         ライター通信          ■
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初めまして。沓澤佳純と申します。
この度はご参加頂きありがとうございます。
お二方の能力を上手く作品内に生かすことができていれば幸いです。

今後また機会がありましたらどうぞ宜しくお願い致します。
この度は本当にありがとうございました。