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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


幻想の森 ――霧中の会話――

 その日『深奥の魔女』と称される少女の館を訪れたのは、丁寧にアイロンがかけられた白衣に身を包んだ一人の男だった。
 それはめずらしく霧の晴れた日の午後。
彼はアーチ状に象られた小さな門の前で足を止めると、その青い瞳をわずかに持ち上げ、門のすぐ隣に広がる庭園に視線を配った。
 自分達の姿を誇示するかのように咲き乱れる花々や、手にしたらそのまま食することが出来そうな果実が実った樹木の群れ。
――――男は白衣のポケットに両手をしまいこんで、その庭園の中で花々の手入れをしている青年の姿を確かめた。

「ようこそ」
 気付くと男のすぐそばまで寄っていた青年がそう告げて、丁寧に腰を折って礼をしていた。
「本日おいでになる予定だったお客様ですね。……主であるエカテリーナ様がお待ちです」
 男の反応などお構いなしといった風にそう告げて、青年はちらりと男を見やる。
白衣の男――城田 京一よりも幾分か年下であろうその青年は、城田に向けたその視線をわずかに揺らすと、改めて丁寧な礼を述べた。
「遠目から拝顔したときすぐに気付くべきでした。……お久しぶりです」
 きびきびとした青年の口調からは城田に対する尊敬の念が見てとれる。
が、肝心の城田のほうは青年の言葉に対して眉根を寄せると、少しの間を無言のまま、ただ静かに青年を見据えていた。
「どこかで逢ったことでもあったかね? 私は一介の医師、城田という者だが」
 男はそう応えてニヤリと微笑みを浮かべた。
そして白衣のポケットにいれたままの手を抜きとって青年の肩をポンと叩き、口許の端を持ち上げてゆらりと笑う。
「――いえ、……申し訳ありません。”城田さん”にお会いするのはこれが初めてです」
 城田の笑みにつられて自分も笑むと、青年はそう言葉を返して片手を伸べる。
握手の要請に快く応えてから改めて館へと視線を向けると、城田は青年を確かめることもなく彼に問いた。
「今日は休日だったのだが、一人気になる患者がいてね……。休日を返上して、その帰りなのだが」
 館はどこかロシアの空気を思わせるような作りで、広々とした庭園に囲まれ、さらにその周囲を広大な針葉樹で覆われた深い森で囲われている。
青年は城田の言葉に静かに頷くだけで言葉を挟むこともなく、城田の立ち位置からわずか前に立って自分も館を見やっている。
「勤めている病院の近くに、都内にしてはめずらしく自然を多く抱えている公園があってね。私はそこを歩いていたのだよ」
「散歩ですか? なんだかあなたらしくない……」
「そうかね?」
 青年の言葉に低く笑ってみせると、城田は館を眺めていた視線を少しばかり青年に向けた。
「ともかくも、それで気付いたらここにいたってわけだが……どうにもこれは非科学的な現象のようだね」
 そう口にする城田の言葉には、そういった現象に対する否定の意思も肯定の意思も窺えない。
ただ口許に笑みを浮かべているばかりで、彼は青年の自分に対するイメージに関しても何らコメントを返すわけでもない。
「非科学的、ですか」
 相変わらずあなたらしいですねという言葉を続けると、青年はアーチ状の門の中に足を進めて城田を招いた。
「それではどうぞこちらへ――――。この館の主であるエカテリーナ様が城田様をお待ちです」
 そう告げ終えて颯爽と踵を返し、真白なシャツの襟首を正しながら歩いていく目の前の青年に向けて、城田は言葉をかけた。
「――こんなところでキミに会うとはな。ラビ」
 城田の低い声で名前を呼ばれると、青年は一瞬だけ足を止めて振りかえり、城田の顔を確かめた。
そして改めて深く丁寧な礼をしてみせると、今度はもう足を止めることなく、後ろをついてくる城田を主の元まで案内していった。

 大きな窓が並ぶ廊下は森の木々を通して入りこんでくる陽光に照らされ、ほんのりと明るい。
 赤い絨毯の敷かれた廊下を足早に歩きながら客人を案内すると、ラビは奥の部屋の扉の前で足を止めて腰を折る。
「エカテリーナ様。お客様をご案内いたしました」
 低音の声が静寂ばかりが立ちこめている廊下の中に響き渡った。
少しの間をあけて返事を返してきたのは、うら若い少女の声。
「いいわ、入ってきて」

 青年・ラビが真鍮のドアノブに手をかけて扉を押し開ける。薄っすらと暗い部屋の中、燃え盛る炎のような長い髪を手櫛で梳きながら椅子に腰かけている少女の姿が見えた。
少女は客人の顔を確かめると悪戯っこのような微笑みを浮かべ、薄い唇を開く。
「久しぶりの客人は、どうもあたしが飼っている庭師の知人だったようね。……ようこそ、”深奥の庭園”へ」
 椅子に腰掛けたままの恰好で城田を迎えたのは確かに少女であるのだが、そのあどけなさとは裏腹に、その物腰や物言いはどこか大人の女を思わせる。
 少女が椅子を勧めてきたのに応えてそこに腰を下ろし、彼女を見据えながら城田は薄く笑みを浮かべた。
「知人というほどでもありませんよ。昔、とある場で席をご一緒しただけでしてね。
そんなことよりも、やはり私はどうも妙な場所に出てしまったらしい。……”深奥の庭園”とは?」
 城田の問いに、少女は紅茶の入ったカップを勧めながら応える。
「あたしが抱えている庭園にあるものは、客人の願いをどんなものでもかなえてあげることが出来るのよ。
ただしこの館に辿りついた者に対してしか、あたしは庭にある”実り”を分けてあげないけれどもね」
 応えながら自分もカップを口に運ぶ。
「願いをかなえてくれる館か」
 少女の勧めを受けて自分もカップを手に取り、紅茶の香りに目を細めながら城田は言葉を続けた。
「それでは私の願いもかなえてくれるということかな。私の目下の願い――というよりも目標だね。開業して自分の病院をもつことなのだがね」
「それは自分で興せばいい話だわ」
 城田の言葉をさらりと受け流すと、少女は赤い髪を一つにまとめながら視線を窓の外に向ける。
「あたしがかなえてあげることが出来るのは、あなたの心の奥底にある願い」
「私の心の底にある願い?」
 少女の言葉を受けて訊き返し、城田はカップをテーブルに置いた。
 少女が見据えている窓の外の景色を自分も見やると、城田は一つ小さな嘆息をつく。
「――――そうだな……哀しみという感情を味わってみたいね……」
 城田が出した答えは意外なものではあったが、少女は表情一つ変えずに言葉を告げた。
「感情というものは与えられるものではないはずよ。自分でそれを認識していくものでしょう」
 窓の外に向けていた視線を城田に戻してそう返す少女の言葉に、城田は小さな笑みをこぼして頷いた。
「私が現在抱えている患者が、脊髄を悪くしていてね。現代の医学では手の施しようがない。二,三日の内に命を落とすだろう。
酷い痛みと戦ってきた患者でね。ところが最近になって、その患者は激痛を耐えて穏やかに笑うようにさえなったのだよ」
 城田の告白を静かに聞くと、少女は首をすくめて一言だけ告げた。
「”実り”を使えばどんな病も治せるわ」
 悪びれない少女の言葉に低く笑いながら城田は応える。
「どんな人間であっても――人間でなくても、死というものは平等に訪れる。死を迎えるということは自然なことだろう。
私は患者の病を、未知なるもので治したいとは望まない」
 毅然とした姿勢で応える城田の言葉に睫毛を伏せて、少女は小さく頷いた。
「――――分かった。だったらあなたにある花を焚いた香をあげましょう。あなたが望む感情を得られるとは思えないけれど、
少しでもそれに触れることができるように」
 

 再び姿を見せた青年・ラビに案内を受けて通された部屋は、先ほど少女と面会した部屋の半分ほどの広さだった。
開け放たれた窓から入りこんでくる風が、窓辺にかけられた薄青のカーテンを音もなく静かに揺らしていた。
ラビは城田をソファまで案内すると、小さく礼をして部屋を後にした。
 ソファは柔らかすぎず固すぎず、程よい弾力で横たわる城田の体を包みこむ。
勤め帰りということもあって多少の疲労を感じていた彼の意識は、ソファの質感とどこからともなく漂ってくる香の匂いによって眠りの世界へと誘われていった。
 
――――そこが夢の中だということは頭のどこかで理解できていた。
夢の中だということが信じられないほどにリアルな空気。
 
 城田は勤めている病院の一室の中にいた。
鼻先に届く消毒液の匂い。規則正しく落ちていく点滴。
そこに横たわる男は弱々しく痩せ細り、その体を包み込む死の影すら目に映って見えそうなほどだ。
 男は城田の姿を横目で確かめると、身を包む苦痛に耐えながら小さく微笑みを浮かべて口を開いた。
「城田先生」
 城田を呼ぶと、男はふと窓の方に目を向けて言葉を続ける。
「俺は、あと何日こうして先生と話が出来るんだろうなあ」
 男の目許はゆらゆらとおぼつかない視線を浮かべていて、生気さえ感じられない。

 夢の中までも、この患者は病に臥しているのか。

 城田は男が横たわっているベッドの脇まで近寄ってその顔を見下ろした。
「死は誰の身にもふりかかる。キミの場合、それが少なくとも私よりいくばくか早いというだけのことだ」
 白衣のポケットに両手を入れたままの姿勢でそう告げると、男は視線を窓の外に向けたまま困ったように笑う。
「違いますよ先生。そんなことを訊いてるんじゃない。俺はいつ死ぬんだろうかってことを訊いてるんですよ」
 そう言いながらゆっくりと視線を動かして城田を捉えると、男は生気のない虚ろな目で彼を見据えた。
「俺は自分が間もなく死ぬんだろうってことを理解している。こうしてみると先生の言う通り、死ってものは皆に訪れるもんなんだってことも。
 城田の首がゆっくりと頷くのを確かめてから、男はゆっくり目を閉じた。
「……死ぬのはもう怖くない。ヘンな感覚だけれども、今俺が怖いのはそんなことよりも、最後まで果たせそうにない約束をしたまま
残していく恋人のことなんですよ、先生」
「恋人?」
 男は閉じていた目を静かに開き、睫毛を伏せて弱々しく微笑みながら話を続ける。
「若い時分にね、約束したんですよ。――どうにも救われない環境にいた子でね。俺がいつか救い出してやるんだってね」

 体のあちこちに傷のたえない少女だった。
話し相手が少し手を挙げただけで――それは決して彼女をぶつための手ではないのだけれども――、全身を丸くさせて一心に謝り続けているような、そんな少女だった。
 
 男はそう言って視線を持ち上げて城田を見つめ、再び笑って目を閉じた。

「……分からないな。約束を守れなかったことのどこが怖いのか」
 城田が訊ねると男は応える様子もなくただ静かに笑みを浮かべて、わずかに体を動かした。
「……私には哀しいという感情も、恐ろしいという感情も理解出来ない。――医者として失格だろうか」
 応えようとしない男の傍の椅子に腰掛けて、独り言のように呟く城田の言葉に、男はゆっくりと口を動かした。
「――俺にはそうやって自分に感情のないことを憂える先生自身が哀れに見える。それをなんとも思わない人間であるならば、
先生のようにそうやって考えることもしないはずだから」
「私が哀れだと……?」
 意外な言葉に少しだけ驚き、城田は男にそう訊ねる。
だが男はもう二度と城田の問いに応える様子もなく、ただ静かに女の名前を呼んでいた。


 かたりと小さな音を耳にして、城田はふと目を開けた。
そこは病室ではなく、青年・ラビの案内で通された部屋の中だった。
ソファから体を起こして音のしたほうに目を向けると、そこにいたのは彼に香をさずけた少女だった。
少女は壁にぴったりとつけた椅子に座って城田を見つめていたが、起き上がって自分を目にした城田に気付くと、口許に薄い笑みを浮かべて赤い髪を指で梳いた。
「願いは見れて?」
 少女は椅子に腰掛けたままでそう言うと、撫でつけた髪をハラリと舞わせて口をつぐむ。
 城田は体を起こしてソファに腰掛けると、静かに首を横に振った。
「いや……やはり分からずじまいだったよ」
 そう応えた城田の言葉に小さく頷くと、少女はゆっくりと立ちあがって城田のそばまで近付いた。
「そうでしょうね。……あなたの心は、あなたが望むものを芽生えるそばから断ち切っているようにも見えるもの。
あなたがそれに気付いて向きあわない限り、あなたは哀しみという感情を得ることは出来ないかもしれない」
 そう告げると、少女は城田の頬にそっと手をあてて、ふと睫毛を伏せてみせる。
「――――哀れな人」


 翌日の朝早く病院からの呼びだしに応じて足を運んだ城田を迎えたのは、彼が気にかけていたあの患者の永眠した姿だった。
少女の館でも見た病室のベッドの上で安らかな表情で目を閉ざしている男の頬には、一筋の涙のあとが残っていた。
看護婦達が病室をあとにして自分一人だけになったことを確かめてから、城田は深い嘆息をついて椅子に腰をおろした。
「結局私はキミの死に対しても、哀しみを得ることは出来ないようだ」
 ベッドに横たわっている男の口が城田に応えることはない。
だが彼は、まるで男に問いかけ続けるかのように言葉を続ける。
「昨日、キミの夢を見たのだよ。……今思えば、もしかしたら夢ではなかったのかもしれないな。
キミが最後に流した涙の理由は、キミが昨日私に話してくれたことなのかね」
 男は応えない。城田は小さく笑って口許を片手で押さえた。
「――私はキミにも、彼女にも哀れな奴だと言われたのだが……キミ達がもっている感情が欠落しているということは、それほどまでに哀れなことなのかね」
 自分にそれは分からないと、彼は大きく首を横に振る。
 
「先生」
 病室に入ってきた看護婦が城田を呼びながらドアを小さくノックする。
城田は看護婦の声に振りむくこともなく、視線を男にあてたままで返事を返すと、ゆっくりと立ち上がって病室をあとにした。
彼が病室から出てくるのを待っていた看護婦はどうやら新米のようだったが、城田は彼女に対して小さな声で問いてみた。
「仮に、哀しむことの出来ない人間が存在するとしたら――感情の一片が欠落している人間がいるとしたら……キミはその人間を、どのように思うかね」
 呟くように問いた城田の言葉に、看護婦は少しだけ首を捻ってから答えをだした。
「例えばおいしい食事を食べておいしいと思えない人がいれば、私は可哀想だと思います。だけどその本人がそれを
気にしていないのなら、それはその人にとって不幸なことではないと思います」
「つまり、本人がそれを気にしたら、それはその当人にとって不幸なことになるかもしれないと?」
 看護婦は再び、少しだけ考えてから頷いた。

 城田は看護婦に微笑みかけて礼を述べると、早朝のためにまだ人気のない廊下を歩いていった。
 夢の中で患者に言われた言葉と少女に言われた言葉が、頭のどこかをぐるぐると巡っているのがわかる。
城田は大きな嘆息をもらすと、眉根を寄せながらふと足を止めて窓の外に目を向けた。
 昇りかけている太陽が赤い光を空に向けて放っている。
彼はそれを眺めると、短く揃えられた髪を片手で撫でつけながら青く光る双眸をかすかに歪ませた。
「――――私は哀れなのだろうか? ……それさえも分からない私は、死ぬまで……いや、死んでもキミの涙を理解出来ないのだろうか?」
 
 彼の呟きに応える者はいない。
ただ朝の新鮮な空気を運ぶ風が、彼の横を静かに通りすぎていくばかり。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2585 / 城田・京一 / 男性 / 44歳 / 医師】


NPC エカテリーナ
NPC ラビ

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■         ライター通信          ■
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城田 京一 様

改めて初めまして。今回は異界での初めての受注ということもあって、非常に緊張しながら
書かせていただきました。
先生に哀しみを――ということでしたので、色々考えてみましたが、先生自身
「与えられたところで……」と仰られてもいましたし、今回はそれに対する先生の葛藤を、
ほんの少しだけでも書くことが出来ればと思い、このような感じにしてみました。

お待たせしてしまったのに、満足していただけるものになっていなかったらどうしようという
気持ちで一杯ではありますが(汗
現在持てる力を注いでみました。
先生には幸福になってほしいと、書いていてすごく思ってしまいました。

今回はお声をかけていただき、ありがとうございました。
よろしければ今後ともお付き合いくださいませ。