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水辺に浮かぶ二つの奏鳴曲(ソナタ)
〜Capitolo della stella.〈星の章〉
VI-a
麗花が一旦部屋へと戻り、靴をスリッパに履き替え、入浴道具を持って部屋を出たその先には――彼が、立っていた。
田中 裕介。
ちょっとした気まずさに、麗花はあわよくば無視してしまおうかとも思っていたのだが――やはり主は、簡単には試練から逃れる事を許してはくれないようであった。
――何せ、あっという間について来られてしまっていたのだから。
「麗花さん」
裕介の声音に、麗花は目的地へと向ける足の速度は緩めずに、無言によって答えを返す。
「先ほどの話の続きなのですが、」
先ほどの話――明日も一緒に、どこかを見て歩きませんか? という話であったか。
そうして、なおもその話を続けながら歩く内、ようやく二人は更衣室の前へと辿り着いていた。
何度も掛け合う裕介と、何度も突っぱねようとする麗花。
しかし更衣室のその前で、二人はお互いに立ち止まり、共に向かい合う形となっていた。
そこを機会と察したのか、裕介が一気に、麗花へとさし迫る。
「……明日にしたって、先生だって、ゆっくりしたいでしょうし、ね?」
「あの人はっ!」
じっと、瞳を覗き込む。
「あの人は……!」
さらに、距離を近づけて、
「……あんな人っ!」
「あんな人?」
吐息がかかりそうな距離に、
――ついに麗花も、身を引いて。
「知りませんっ!」
「何をです?」
「良いですから! 私はもうお風呂に行くんですっ! あっちに行って下さい!」
そうしてそのまま、麗花は逃げるようにして、更衣室の中へと消えて行った――の、だが。
「ふざけないで下さい! 今すぐ出てってっ! 出てってええええええっ!」
掛け湯を終え、露天風呂の湯に浸かり、ようやくのんびりとできるはずであったと言うのにも関わらず、
「そのような事を言われましてもねえ……混浴ですから」
なぜか、後ろから先ほどの声音に名前を呼ばれ、叫ばざるを得ないような状況になっていた。
男が――裕介が、そこにはいたのだから。
「私が見た時はそんなコト書いてませんでしたけれどもっ?!」
「……見間違えではありませんか?」
「そういう所ばっかり猊下に似てっ!」
「おや――そんな事は、ありませんけれどもね」
どこか、いけしゃあしゃあと答えを返す。
――俺は、嘘は言ってないしな。
言っていないのであれば、後ろめたさを覚える必要も無い。
尤も、混浴と札に書いてあった事は事実には事実であるのだが、その手前に、裕介が温泉の入り口にかかっていた札を、貸切混浴表記の物へと取り換えていた、という事実があったりもする。
ただしその点は、今回の言及では触れられていない。――麗花の考えがそこまで及ばなかった、というのが、正しい言い様ではあるのだろうが。
「あんな性格なのに、弟子とか、生徒とか、やたらそういうのにばっかり恵まれて……! 何でなのよ! 一体なんでだって言うのよっ!」
しかし、裕介の言動に、当然諦めがつかないのか、麗花はさらに叫び続ける。
その、姿に、
「麗花さん、」
「ふざけるんじゃなああいわよっ! 絶対今度っ! 猊下ぁあああっ! 見てなさいよ!」
「風邪、ひいてしまいますよ」
「な――!」
いくらタオルで前を隠していたとは雖も――裕介に指摘され、自分の姿に驚いた麗花は、慌てて湯船の中へと身を沈めていた。
裕介もようやく、桶を手に湯船に入ると、麗花の傍へと水を分けて近づき、
「傍に来ないで下さい! あっちに行って下さい!」
「どこにいようと俺の自由ではありませんか。――それに、ねぇ、麗花さん、お酒なんていかがですか?」
「結構です!」
裕介の手にしていた桶の中には、二つの杯と小さな酒瓶とがあった。
が、麗花には、お酒が嫌い、好き以前の問題として、もう一つ、この申し出を断らなくてはならない理由があった。
……後で、出かけるんだから!
あの上司と――ユリウスと、一緒に。外に出かける約束をしているのだ。
尤も、
ついて来られると困るから、言わないけれど……!
「――ふむ」
裕介は一つ頷くと、果して麗花の考えのどこまでを悟ったのか、
「まぁ、良いでしょう。……ところで、麗花さん」
「何よ。……と言いますか、私もう上がりますから。あー、このままじゃのぼせちゃう……、」
投げ槍な演技で、麗花が嘘を読み上げる。
しかし、そうして逃げ出そうとした麗花の行動を、当然裕介が許すはずもなく、
「麗花さん――ところで、」
「触らないで下さいっ! 放して!」
湯船の中で、細い腕を捕まえる。
――裕介にとっては、これで完全に麗花の動きを封じ込めたようなものであった。
騒ぐ麗花の瞳を、じっと見据えれば。
「……な、何よ……!」
警戒するようにして、麗花はぴたり、と大人しくなる。
そのまま裕介は、さも同然のようにきらら輝く満天の星空へと視線を投げかけて、
「綺麗ですね」
唐突に、しみじみと話を始める。
「……ええ、確かに、綺麗ですけれど!」
「ねえ、麗花さん。……俺、思い出したのですけれどもね、」
「何を、ですか……!」
「獅子座、ですよ」
にっこりと、微笑みかける。
そのまま、何も言わせぬように、素早く言葉を続け、
「神話上では、最大の英雄――ヘラクレス、ですね」
裕介の予想通り、ヘラクレス、という単語に、麗花は見事に落ち着きを取り戻していた。
――獅子座の見方云々はともあれ、裕介としても、このくらいの話は知っている。
ギリシャ神話だ。
「あの獅子座は確か、ヘラクレスを苦労させた、不死身の猛獣でしたよね」
「ええ、そうですね。――ですから、討たれてもなお、星としてあの場所に君臨しているんです」
先ほどの様子とは一転、どこか嬉しそうに、麗花がするりと空を見上げた。
煙の昇る湯から手を伸ばし、獅子座の形を指で辿る。
微笑んで、
「もしかして、田中さんって、そういうお話にもお詳しいんですか?」
「ギリシャ神話は、少し読んだ程度ですけれどもね――、そういえばアキレスなんかも、ギリシャ神話でしたよね」
……この時勿論、麗花はその理由にも、策略にも気がついていなかった。
こうして、会話が自分の好きな方へと持ち込まれた理由。いつの間にか、自分の気が良くなっていた事にさえ。
かくていつの間にか、穏かな言葉の応酬が始まっていた。
――裕介の策略に気がつかない麗花と、あわよくばこの後麗花を部屋へと誘おうとしている裕介との、二人の、間で。
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I caratteri. 〜登場人物
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<PC>
★ 田中 裕介 〈Yusuke Tanaka〉
整理番号:1098 性別:男 年齢:18歳
職業:孤児院のお手伝い兼何でも屋
<NPC>
☆ 星月 麗花 〈Reika Hoshizuku〉
性別:女 年齢:19歳
職業:見習いシスター兼死霊使い(ネクロマンサー)
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Dalla scrivente. 〜ライター通信
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まずは長々と、本当にお疲れ様でございました。
今晩は、今宵はいかがお過ごしになっていますでしょうか。海月でございます。今回はご発注を頂きまして、本当にありがとうございました。まずは心よりお礼申し上げます。
今回のお話の方は、前編後編の二編で構成させていただきました。この前半は、主に天体観測が、一応の主軸となっております。
望遠鏡が云々ですとか、スペクトルがどうですとかというお話は、一応調べさせていただいてはいるのでございますが――多分、間違ってはいないと思うのでございますが、色々と専門的な面から見れば、ここは違うんでないの? という部分もあるかも知れません。予めお詫び申し上げたく存じます。も、もうちょっとお勉強してきます……。
レグルスは、実は都会の夜空にもわりとくっきり見えるそうです。少なくとも、蝦夷の政令指定都市では、それなりに見えない事もないような感じでございまして、宜しければ今度夜空を見上げます時は、レグルス等、ご興味がありましたら、探してみて下さいませ。多分北極星よりも、目だって見えると思いますので。
本編も含めまして、ここで明らかにされなかった部分も少々残ってはおりますが、そのところは、個別の方で、色々と明らかにさせていただいたつもりでおります。もし余力のある方がいらっしゃりましたらば、他の方の個別もお読み頂けますと幸いでございます。所々話が繋がる部分もある事と存じますので……。
では、今回は、この辺で失礼致します。
何かありましたら、ご遠慮なくテラコン等よりご連絡をよこしてやって下さいませ。
またいつか、どこかでお会いできます事を祈りつつ――。
12 maggio 2004
Lina Umizuki
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