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<期間限定・東京怪談ダブルノベル>


砂の満ち引き

 ゴーッと音を立てて炎が吹き上げ、イヴの目の前を焦がす。咄嗟に空間転移の力で防護壁を張り、炎から己の身を守るが、飛んで来た火の粉は全く熱を感じず、それも夢の一環であると後で知るのだった。

 何やら怪しげな砂蒸し風呂、とは聞いてはいたが、まさか本当に自分が夢の世界へと落ちてきてしまうとは、これこそまさに夢にも思わなかったわ、とイヴは苦笑をする。暖かな砂に身体を包み込まれ、程良い重さもあって心地好く、うとうととしてしまったのが敗因だろうか。すーっと身体が溶けて何かの底へと落ちて行くような感覚を感じていたのだが、それが、現実と夢の境目を通過する時の感覚だったのだろうか。
 「…それにしてもここはどこかしらね……誰の夢の中、って言った方がいいのかしら」
 独りごち、拳を両脇に宛って軽く溜め息を零す。ここでは、共に夢へと落ちた人と、互いの夢を共有するかも知れないと言う。だとすると、イヴの夢を他の誰かが見ている可能性もあり、もしそれが彼女の故郷に関連するものであれば、かなり特殊であるが為、その相手に怖い思いをさせてしまうのではないか、と心配しているのである。
 イヴの故郷、遠く離れたそこは魔界と呼ばれる異世界であり、今は混沌とざわめき狂暴な魔物が蠢く地である。その地の魔物が姿を現わせば、他人に危害を及ぼす可能性もある。例えそれは夢で現実のものでないとは言え、己の中にある想いの一部であるならば、何となく自分に責任があるような気もするのだ。
 そんな事にはなりませんように、と心の中で祈りつつ、イヴは頼りない足元へと視線を落としながら歩き出す。道らしき道どころか、地面らしき地面もない今の環境では、走ったりするのもどことなく不安だ。一歩一歩踏み締めるように歩いて行くと、ふと前方の空間が白く濁って、そこだけ質を変えたような気配がした。イヴが立ち止まり、その変化をじっと見詰めていると、その靄らしき何かは、流動的に形を変えて、次第に人の姿へと変化して行く。やがて、それを見詰めていたイヴの緑の瞳が、驚きで見開かれる。いつしかちゃんとした人の形になったそれは、背の高い男性の姿をしていた。

 「……そうね、あなたもわたしの夢、…なのかもね…」
 唇を震わせるように、微かな声でイヴが呟く。目の前に立つその男性は、目を閉じたまま微動だにしない。イヴもその場に立ち尽くしたまま、そのまま暫く相手の顔をじっと見詰め続けた。
 己自身、人間とは違う血を持った存在故、イヴの寿命は人のそれよりも遥かに長い。だから、見掛けよりずっとずっと多くの事を見聞きして来た訳だが、当然その中にはいい思い出も悪い思い出もある訳だ。
 目の前の『彼』が、イヴにとってのいい思い出なのか悪い思い出なのか、それは本人にも分からない。彼は、確かにいつの世かでイヴとは恋人同士の関係にあった。その間の思い出は、当然甘く幸せなものであっただろう。だが、普通の人間であった彼とは、共に年月を過ごしていくうち、どうしても寿命の差が浮き彫りにされてしまう。成長し、年を重ねる彼と違い、イヴの外見は一見は全く変わらないかのように見える。結局、彼はわたしの正体を知っていたのだったかな?彼の命が尽きるまで、わたしは彼の傍にいたのかしら。それとも、途中で嫌になってどちらかが匙を投げた?イヴは眉間に皺を寄せて考え込むが、どうしてもそれが思い出せない。それは、遥か昔の話だから記憶が薄れているのか、自分自身が夢の世界に居るから記憶が曖昧になっているのか、それとも…
 「わたし、…逃げているのかしら」
 そう呟いた途端、目の前の彼がぱちりと目を開いた。水色のその瞳には確かに見覚えがある。その昔、見詰め合って微笑み合い、互を慈しみ合って暮らしたあの日々。何故、その日々を自分が失ったのか、それは自分の責任だったのか或いは相手の所為だったのか。考えれば考える程、思い出そうとしても思いだせない自分に、イヴは自分が、己に都合の悪い記憶を無意識の内にどこかに捨ててしまったのではないか、と不安に思った。
 だが、彼の眼差しは、ただ単にガラス玉を嵌めただけのような、無機質で感情の無い瞳だった。違う、とイヴは口の中で呟く。あの人の瞳はもっと暖かくて優しくて、いつもわたしを見守っていてくれた。そうよ、弱気になるわたしを勇気づけ、わたしになら出来ると励ましてくれたわ。最後のあの時だって……
 「…そうよ。わたしは逃げてなんかいないわ。これまでも、そしてこれからも」

 あの人の想いに、応えなきゃ。

 きりっと面を上げたイヴは、そのまま前へと足を踏み出す。当然、彼の方へと近付いて行く事になるのだが、身体と身体がぶつかり合う寸前になっても、イヴは歩調を緩めなかった。通常ならどすんとぶつかる所だが、イヴの気迫が幻を押し遣ったか、彼の姿はさっきとは逆の過程を辿って、瞬く間に靄へと戻ってしまう。その靄の真ん中を突っ切るようにして、イヴは前へと歩き続けた。
 
 これまでも長い道のりだったけど、これからも長い道のりになる筈なのよ。それが茨の道だろうと天国への道だろうと、わたしはもう迷わないわ。だって、自分で決めて自分で踏み出した道なんですもの。

 キミなら出来るよ。靄の中を通り抜ける時、懐かしいそんな声が聞こえた気がした。それはきっと、イブの中にある彼の記憶の一部を再現したに過ぎなかったのだろうが、イヴには、今の彼女へリアルタイムで贈られた、エールのように思えたのだった。



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■   登場人物                  ■
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【 1548 / イヴ・ソマリア / 女 / 502歳 / アイドル歌手兼異世界調査員 】

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■         ライター通信          ■
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この度はダブルノベルのご参加、誠にありがとうございました。こんばんは、ライターの碧川桜でございます。
イヴ・ソマリア様、いつもいつも本当にありがとうございます!ホントに感謝の念で一杯です。これからもよろしくお願いしますね。
ダブルノベルと言う、初めての試みに戸惑う部分もありました。共通ノベルと個別ノベルと言う、ダブルノベル固有の特色を活かせた内容になったかどうか若干不安な点もありますが、少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
この個別ノベルは、共通ノベルで描かれる内容の直前、貴Cがひとりで道を歩いている時の話となります。
ではでは、今回はこの辺で。また東京怪談の何処かでお会い出来る事をお祈りしつつ…。