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<期間限定・東京怪談ダブルノベル>


砂の満ち引き

 ピーッ!と笛が鳴る。ランニングの終了を告げる体育教師の笛だ。七重は心地好い汗を掻いてはいるものの、息も大して切らさないで走るのを止め、体操着の袖で額の汗を拭った。
 「よぅ、相変わらず走るの早いな!持久走であんなに走って、いつへばるかと思って見てたんだぜ」
 級友のヒトリが、白い歯を剥き出して笑い、そう言って七重の肩を叩く。七重も笑顔を向け、親指を立ててポーズを付ける。
 「大丈夫だよ、これぐらいでへばったりはしないよ。今度のマラソン大会だって、一位を目指してるぐらいだからね」
 「やっぱりなぁ、まぁお前なら出来るかもな!頑張れよ!」
 そう言って友人も親指を立てると、ニッと笑って走っていく。その背中を見送って、七重も歩き出した。

 コレハ、ダレ?

 鏡を覗き込めば、そこに居るのはどこにでもいる平凡な少年。年相応の体格に年相応の容貌。染めていない、自然の漆黒の髪。七重は鏡の中を見詰めながらブラシを手に取り、大して乱れていない黒髪を整え始めた。お洒落に興味が湧き始める、そんな年頃。友人との会話も、隣のクラスの誰々が可愛いとか、誰と誰が付き合い始めたとか、あのブランドのアレは格好いいとか、何とかと言う芸能人が着ていたアレが欲しいとか、そんな事ばかり。そんな他愛もない会話が、生活の全てで楽しみの全てである、そんな『今』と言う時期。
 「いってきまーす!」
 七重は家の中の誰かに声を掛け、鞄を手に家を出る。いつもの通学路、顔を合わせればオハヨウと挨拶をする友達。頬を染め、七重の脇を会釈をして走り抜けて行く少女。そんな彼女の後ろ姿を、七重は目を細めて見送った。隣の級友が肘で七重を突き、ふざけた二人は笑い声を響かせながら校門へと向かう。同じ制服を着た大勢の生徒達も、同じように桜が舞い散る校庭を抜け、校舎へと吸い込まれていった。

…これは、ダレ?

 ガラスの割れる音が響き渡る。それは平凡な平日の昼下がり、午後の授業が始まり、昼食を終えたのと暖かな日差しの所為で、ウトウトとうたた寝を誘われる生徒があちらこちらで舟を漕ぐ時間帯であった。
 そんな穏やかな一時をぶち破った騒音に、皆が窓の方を見る、そして須らく、そこに居たものを見て身を凍らせた。
 窓ガラスを破って侵入して来た『それ』は、背中に禍々しい羽根を持った異形の怪物であった。テレビの作り物でしか見た事の無いそれに、生徒達は、一瞬はテレビの撮影か何かかとの思いを過らせる。だが、それが放つ吐き気を催すほどの異臭や、立ち昇る危険な雰囲気に、それが本物であると知り、逃げる術さえ奪われて皆が凍り付きながらも、悲鳴を上げ、我先にと教室を飛び出し、逃げ出した。。
 七重も例外ではない。他の友人達のように、悲鳴を上げる事はなかったが、慌てて立ち上がった為、椅子を後ろに倒してしまう。ガタン!と派手な音を立てる椅子に、怪物が七重の方を向く。ぎょろりとした大きな剥き出しの目がまずは動いて七重を見る。それから、それに続いて顔ごとこちらを向き、七重と真っ正面から向き合った。七重は恐怖で足がすくみ、その場から一歩も動けない。先に教室を逃げ出した友達が、金切り声で自分の名を呼び、逃げろと叫んでいるのが遠くで聞こえた。
 逃げなきゃ。七重が乾き切った喉に無理矢理唾液を飲み込みながら、声にならない声で呟く。震える手足を奮い立たせ、後ずさりしようとした。こんな化物相手じゃ、僕は何もできない。太刀打ちできない。そんな術は、何一つ持っていない。

 ……これは、誰?普通の、何処にでもいる中学生の筈なのに、何故こんなにも、違和感を感じるんだろう?

 それは、これがただの空想であるから。

 そう思った途端、ぱぁんとシャボン玉が弾けるよう、世界は細かな飛沫を跳ね上げながら割れて消えてしまった。目の前の怪物は、一瞬はその衝撃に怯むが、すぐに体勢を整え、寧ろその衝撃を開始のゴングと捉えてか、七重に向かって咆哮をあげ、飛び掛かって来た。
 七重は無表情のまま、華奢な腕を上げて怪物を指差す。光る筈の無い、七重の暗紅色の瞳が、一瞬カッと光を放った。その瞬間、化物に掛かっていた重力が一気に数倍に跳ね上がる。その重みに堪えかねて、異形はその場に崩れ落ち、伏した。
 ギャアアともグゥオオとも聞こえる、人間の耳には全てを聞き取る事ができない音で怪物が苦悶の叫びを上げる。七重は、真っ直ぐに腕を差し伸べ、指差し続ける。ぐぐぐぐ…と次第に重力はその重さを増し、メキメキと異形の骨が砕ける、厭な音が響いた。
 バン!
 最後に一つ、呆気ない程の乾いた音を立て、化物は潰れてただの塊と化した。その生臭い光景を、七重は慣れた視線で見詰め返す。既にこちらを見る剥き出しの目も存在しないが、七重は、異形の視線をはっきりと感じていた。
 「分かってるよ……」
 少しだけ苦笑いをして、七重は立ち上がる。振り返れば、そこにいるのは自分を見る異質なクラスメイトの視線。嫌悪と、恐怖と、羨望が入り交じった、複雑な視線。だが七重はそれに、いつもと変わらぬそれに、どこか安堵を覚える自分がいる事に僅かながら驚きを覚えた。

 変わるなら、変えるなら、それは自分自身。

 そう頭の中で反芻すると、七重は瞳を開く。目の前には、また違う形の異形、そして夢の中で出会った仲間達。七重は、蟻地獄の鋭い鎌を目指し、また一歩前へと踏み出した。



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■   登場人物                  ■
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【 2557 / 尾神・七重 / 男 / 14歳 / 中学生 】

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■         ライター通信          ■
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この度はダブルノベルのご参加、誠にありがとうございました。こんばんは、ライターの碧川桜でございます。
尾神・七重様、はじめまして!お会い出来て光栄です。細々と活動をしているヘタレライターですが、今後ともよろしくお願い致します。
ダブルノベルと言う、初めての試みに戸惑う部分もありました。共通ノベルと個別ノベルと言う、ダブルノベル固有の特色を活かせた内容になったかどうか若干不安な点もありますが、少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
この個別ノベルは、共通ノベルで貴Cが異形と対峙した時に見た、夢の続きと言った感じでしょうか。
ではでは、今回はこの辺で。また東京怪談の何処かでお会い出来る事をお祈りしつつ…。