コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<期間限定・東京怪談ダブルノベル>


あかずの間探索行

 綾和泉汐耶は、自分の部屋に帰ってベッドに腰を降ろすと、小さく吐息をついた。
 彼女の部屋はシングルで、フローリングの床に、透かし彫りのある衝立、木のベッドと鏡台などが並ぶ、全体として中華風のデザインの一室だった。
 シュライン・エマと、到着して間もない碇麗香に誘われて、大露天風呂に行って来たところだ。もちろん、混浴ではない方である。二人はその後、蓬莱から聞いた遊戯施設のある棟へ行きがてら、来ているはずの草間武彦と零を探すのだと言っていた。汐耶も誘われたのだが、断ったのだ。昼間の騒ぎで少し疲れてもいたし、考えたいこともあった。
 彼女は、ベッドの上で帰りがけに自動販売機で買って来たチューハイのプルトップを開ける。小さく炭酸の抜ける音が響いた。彼女は中身を半分ほど、喉へと流し込む。乾いた喉に、冷たいそれはひどく美味しく感じられる。
 風呂上りの彼女は、持参したビッグシャツとスパッツというなりだ。伊達メガネは、はずして枕元の小卓の上に置いてある。
 口を離して満足の溜息をつき、それから彼女は今日のことを思い返した。
 一日の出来事にしては、ずいぶんとめまぐるしかったと思う。
 彼女が、あかずの間探しに加わる気になったのは、エクトプラズムで作られた偽の麗香の話を聞いて、少しばかり罪悪感が頭をもたげて来たためだった。
 彼女の封印能力は、持って生まれたものだ。今までその力を疎ましいと思ったこともなければ、忌まわしいと思ったこともない。幸いにして、というべきか。その能力は今では仕事に生かすこともできていたし、学生時代にも能力を応用した鍵開けなどの力は、周囲からずいぶんと重宝がられてもいた。
 それでも。自分のしたことは、誰かの、あるいは何かの未来を捻じ曲げることではなかったのかと、そんなふうにふとあの瞬間に思ってしまったのだ。少なくとも、あかずの間に閉じ込められている少女は、そうだったろうと。
 だから、助けてあげたいと強く願った。
 そして、その時の罪悪感は真相がわかった今でも、かすかに彼女の胸にある。
 たしかに、咲耶(さくや)を現世に解き放てば、大変なことになっただろう。また、彼女は相手が何者かを知らなかったとはいえ、蓬莱の命をも文字どおり奪おうとしていた。核である蓬莱を失えば、この異界は崩壊してしまうだろう。その時、それが外の世界にどんな影響を及ぼすかは、誰にもわからない。
 そうしたことを思えば、咲耶を再び封印したことは正解だったのだ。ましてや、今度は彼女が自ら望んでのことでもある。
 それでも、他に何か方法はなかったのだろうかと、ふと汐耶は思ってしまうのだ。
(考えても、しようがない……か。せめて、そうね。シュラインに、時々あの歌を櫛に歌って聞かせてあげるよう頼んでおこうか。それが慰めになるかどうかはわからないけど……でも、あの時、あの歌のおかげで彼女の心がやわらいだのは本当だもの)
 胸に呟き、小さく肩をすくめると、汐耶は残ったチューハイを飲み干した。缶を枕元の小卓の上に置くと、今夜はもう寝ようと決めて、ベッドの中へと潜り込む。そのまま彼女は目を閉じた。

 その夜、汐耶は夢を見た。
 夢の中で彼女は、桃花(とうか)亭の庭園を散策中だった。朝の早い時間なのだろうか。空気がひどく澄んで、気持ちがいい。鳥たちがさかんにさえずる声が聞こえ、太陽の光がやわらかく降り注いでいた。
 彼女の隣を、墨染めの衣をまとった、壮年の男が一人歩いていた。宿の客なのかもしれない。現実には知らない人物だったが、夢の中の汐耶は、その男と知り合いのようだった。朝の空気を楽しみながら、歩調を揃えて散策を続けている、といったふうだ。
 その男が、ふと足を止めた。そこは、昼間、汐耶が妹尾静流と偽麗香に出会うまで、読書に耽っていたベンチのある場所だった。
 男に習って、汐耶も足を止める。男は、見事に花をつけた桃の木を見上げて、呟くように言った。
「嬢ちゃんや。我々人間は、自分や自分の大事な人間に害を及ぼすもの、その恐れのあるものを隔離してくらして行くしかない生き物なのだよ」
「そうでしょうか?」
 汐耶が軽く目をしばたたき、問い返すと、男は彼女の方をふり返った。
「ああ。わしやあんたの力は、一見特殊なものに思える。だが、他の人間たちだって、さまざまな方法で、害になると思えるものを『封じて』いるのだ。たとえば、猛獣を檻に入れること。あるいは、凶悪な犯罪を犯した者を投獄する行為もそうだ。伝染病の患者を隔離したりするのもそうだな。……人間は、本当にさまざまなものを隔離し、住み分ける方法を模索する。同じ人間や、動物、仏や神までもな」
「仏や神?」
 うなずいて語る男の言葉に、汐耶は思わずまた問い返した。
「おおさ。仏を、人と同じ土地の中に祭る者はいないだろう? 死者は墓地に埋められ、家の中にあっても『仏壇』という別の空間に置かれる。そして神は、注連縄や社によって、人と住むべき空間を分けられる」
 男は再度うなずいて言うと、小さく笑った。
「知っておるかな? 注連縄は、人が近づかぬようにするためのものでもあるが、神が人の世に出て来ぬようにするものでもある。いわば一種の結界であり、封印だな。わしやあんたは己の持つ力によって、必要なものを封印するが、こうした力を持たぬ人間は、さまざまな物を使って封印する。……同じことだよ」
「同じこと……」
「ああ、同じことだ」
 呟く汐耶に、男はまたうなずく。
「それはしかし、けして悪いことではないとわしは思うがな。たしかに、悪く働くこともある。相手が害を成すと決まったものではないのに、異質な存在だというだけで、排斥するという行為は、往々にして悲劇を生む。……咲耶のようにな。だが、住み分けることは、必要だよ。それが、時には不要な摩擦を避けることになる」
「不要な摩擦……」
 呟く汐耶の肩に、男は軽く手を置いた。
「咲耶は、自らがもはや人の中に混じれぬことを悟って、あの道を選んだのだ。あんたが気に病むことはない。むしろあんたは、わしがあれにしてやれなかったことを、してくれた。わしからも、礼を言う」
 言って、男は彼女の肩から手を離すと、深々と一礼した。
「あ……」
 汐耶はしかし、それへ何を言っていいのかわからず、ただ目を見張って立ち尽くしているだけだ。
 その目の前で、男は顔を上げると、彼女ににっと笑いかけた。大きな乾いた手で、軽く彼女の頬に触れ、まるで小さな子供にするように、二、三度軽く叩くと踵を返した。
 そうして、呆然と見送る彼女の前から、静かに立ち去って行った。

 ハッと目を開けて、汐耶はベッドの上に起き上がる。
 すでに夜が明けて、カーテンの隙間からは、朝の光が細く差し込んで来ていた。
(今のは……夢? でも……)
 胸に呟き、彼女はそっと自分の頬に触れる。大きな乾いた手の感触が、まだ残っているような気がした。
(あの人は……誰だったんだろう……)
 頬に手をやったまま、彼女はたった今の夢を反芻する。夢の中の男は、自分自身も封印能力を持っているかのような口ぶりだった。
(まさか、あの人は百年前の?)
 ふと、昨日の蓬莱の話を思い出して、彼女は目を見張る。百年前に、咲耶をあのあかずの間に封じた僧も、汐耶と同じ力を持っていたと、蓬莱は言っていた。もしも、夢の男がその人だったとしたら。
 そこまで考え、汐耶は苦笑する。
(考えすぎね。……きっと、咲耶を再度封印したことが気になっていたから、あんな夢を見たんだわ)
 胸に呟き、小さく肩をすくめると、枕元の時計に目をやった。すでに、八時を回っている。ずいんぶんとよく寝たものだと思いながら、彼女はベッドから出て、着替え始めた。
 相変わらずのパンツスーツに、銀縁のメガネをかけ、サイフと携帯電話の入った小さなショルダーポーチを手に、朝食のために部屋を出る。
 朝食は八時半からということで、着替えなどをしていると、ちょうどいい時間だった。
 山菜のたっぷり入った味噌汁と、川魚の朝食を堪能し、腹ごなしにと中庭へ散歩に出る。
 夢に意味を求める気はなかったが、それでもなんとなく気になって、彼女は夢にも出て来た、あのベンチのある場所へと足を運んだ。
 と。その少し手前の桃の木の傍に、何かを燃やしたような跡があるのに気づいて、彼女は足を止める。灰は持ち去られているようだったが、木の葉や枝に混じって、櫛の歯のようなものがわずかに覗いているのが見えた。汐耶は、それを拾い上げる。
(これ……なんだか、昨日のあの櫛に似てるわ。もしかして、シュラインが燃やしたのかしら)
 軽く眉をひそめて、彼女はその燃えカスをしげしげと眺めた。たしかに、霊の憑いたものを供養と称して燃やす場合はあるが、それは、僧や神官などがすべきことだ。ましてや、封印のための媒体となるものを燃やしてしまっては、封じたものが外に出てしまう可能性もあって、危険だった。
 念のため、彼女はその燃えカスに何かが封じられているかどうか、あるいはそれらしい痕跡があるかどうかを探ってみた。が、何も感じられない。
(櫛のように見えるだけ?)
 再度それをしげしげと眺め、彼女は首を捻った。考えてみれば、シュラインがそんなことをするとも思えない。彼女には以前、封印の媒体をむやみに燃やしたり破損すればどうなるか、話したことがあった。
(私の勘違い、かな)
 小さく苦笑したものの、彼女はそれをティッシュに包んで、ポーチに入れる。なんとなく、このままここに捨てて行く気になれなかったのだ。東京への帰りにどこかで、川にでも流してやろうと思う。
 それを収めたポーチを手に、彼女は再び歩き始めた。

 しばらく散策を続けていた汐耶は、誰かが足早にこちらへ近づいて来るのに気づいた。ふり返ると、やって来るのは静流だった。
「おはようございます。今朝も散策ですか」
「ええ。妹尾さんも?」
 声をかけられ、返す汐耶に、静流はかぶりをふった。
「いえ、私は汐耶さんを探していたんです。そろそろ、チェックアウトするので、その前にご挨拶しておこうと思いまして」
「あら、もう帰るんですか?」
「はい。仕事の予定が入っているので」
「忙しいんですね」
 あと二日ほど休暇のある汐耶は、彼の答えに軽く目をしばたたいて言う。
「いえ。普段は暇なんですけど、今回は、たまたまです」
 苦笑して言ってから、静流は手にしていた名刺を彼女の方に差し出した。
「これ、どうぞ。以前、お会いした時には、お渡しできませんでしたし」
「はあ……」
 今更、名刺もないだろうと思いながら、汐耶はそれを受け取る。そこには、彼の住所や携帯電話の番号の他にメールのアドレスまで刷り込まれていた。それに目をやる彼女に、静流が言う。
「もしよかったら、汐耶さんの携帯の番号も教えていただけませんか? そちらの都合のいい時にでも、一緒に古書店巡りとかできたらうれしいんですが」
「いいですよ」
 汐耶は、初対面の時に、本の話題で盛り上がったことを思い出し、悪い人間ではないだろうと、うなずいた。シュラインや草間の友人でもあるようだし、と。
 携帯の番号を教え、立ち去って行く静流に軽く手をふり、笑顔で見送る。が、その姿が見えなくなると、首をかしげて、ちょっと彼女は考えた。
(えっと……。今のって、ナンパだったのかしら)
 だがすぐに、まあいいかと肩をすくめる。とりあえず、話してつまらない相手ではないし、趣味の合う友人と、一緒に古書店巡りをするのも悪くはないものだ。
 彼女は、軽く伸びをして、頭上を見上げる。咲き乱れる桃の花の向こうに、雲一つない青空が広がっているのが見えた。彼女は、その空に向かって小さく微笑みかけると、再びゆっくりと歩き出した――。


□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物                  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1449 /綾和泉汐耶 /女性 /23歳 /都立図書館司書】

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□

●綾和泉汐耶さま
二度目の参加、ありがとうございます。
前回の作品も、気に入っていただけたようでうれしいです。
さて、今回の作品は、いかがだったでしょうか。
少しでも楽しんでいただければ、幸いです。
それでは、機会がありましたら、またよろしくお願いいたします。