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水辺に浮かぶ二つの奏鳴曲(ソナタ)
〜Capitolo della stella.〈星の章〉
VI-c
心行くまで星とお酒とを楽しみ、そうして戒那と悠也との二人は、先ほどの部屋へと戻って来ていた。
部屋に帰り、一休みするなり、寝る前の身支度を済ませ、いつもと同じく、何気無い会話を交わしたその後。
――そろそろ時刻は、人々の営みが、次第に静まり返って行く頃。
眠りの帳が、静かに世界に下りる頃。
「しかしこの分だと、のんびりとできそうで良かったな。たまにはこういうのも、悪くないだろう」
身じろぎを、一つ。
太陽の香りのする布団の中で、戒那がしみじみと微笑んだその言葉に、
「ええ、そうですね」
戒那と同様、すっかりと寝支度を終えた悠也が、頷きを返す。
特別な人に邂逅したわけでもなし、いつもと同じ生活に逆らう必要は、何も無い。強いていうなれば、確かに星空は、何かしらの魅力を持って、人々を夜長へと導こうとしているようには思えるのだが、
まだまだ、宿泊期間は、長いしな。
明日も十分、きっとこの光景を、楽しむ事が出来る。その上、例えば虹とて、長い間空に浮かんでいれば、誰も見向きはしなくなるものなのだ。
外から帰ってきた後、いつの間にか敷かれていた布団の中に横になったそのままで、ふと戒那はそんな事を考える。
今やこの部屋には、やわらかく陰る、枕元の灯りが一つあるのみであった。
赤味を帯びた暖か色の光に照らし出され、戒那の隣には、布団の中で横になり、けれどもついた頬杖に視線を高くしている、悠也の姿がある。
そうして二人は、なおも幾度か、言葉を交わし。
――やがて、暫く後。
「……おやすみなさい、戒那さん」
静かな空間に、小さく囁く、悠也の声音が響き渡った。
――おやすみなさい、と、声をかける事。
それは、誰かの意識がある場所では決して眠れない悠也にとって、ごくごく当たり前の事でもあった。
しかし、相手が相手だけに、その声音はどことなく、いつもより甘く優しいものとなっている事に、果して二人は、気がついているのかいないのか。
ただ、それでも。
……懐かしいような気がするのだ、と。
戒那にとっても、それだけはしっかりとよく、わかっていた。
悠也の囁く、この声音。
それはどこか、懐かしいような声音でもあった。
心の中にまで、やわらかく流れてくるかのような――一番耳に、馴染みのあるような。
――だから。
「ああ、おやすみ……、悠也、」
地を離れたような、甘くふわりと浮かんだ心地の中、戒那はゆるりと瞳を閉ざす。
金色の瞳が、こちらを見ていた――瞼が閉ざされ、再び瞳を開く事が気だるく感じられるようになるまで、戒那は優しく、見つめてくれていた。
故に、戒那は知らない。
悠也がそうして戒那を見つめていたのは、戒那が瞳を閉ざすまでではなく――それからもずっとであった、という事を。
或いは気がついていたのかも知れないが、直接的にはそれを、確かめる術は無く、また、その必要も無く。
……とろり、と、夢の世界へ、歩み出していた。
過去の、懐かしみを帯びたような声音に送り出され、束の間の幻の旅に出る。
また明日、今日もそうであったように、朝の光と共に、一日が始まるまで。
また明日、今日もそうであったかのように、悠也と共に、おはようの挨拶を交わす、それまで。
――そうして、眠ってしまった。
聞えてくる小さな寝息に、悠也は自然と、口元に微笑を宿して。
「――おやすみなさい」
布団を少しだけ、掛け直した。
決して起こさぬように、そっと――いつもと同じく、暖かな、想いで。
それは、あの家の――二人で住むあの家のリビングで、よく見かける光景と、同じものであった。
それでも、
――おやすみなさい、戒那さん。
悠也にとっては、何度見ても、安心させられるような光景でもあった。当たり前過ぎる事であるにも関わらず、悠也は幾度となく、この寝顔に、小さな安堵を覚え続けてきている。
それは、そこに、彼女がいるという証拠にも、似て。
これほどまでにも、微笑ましい。
何気無く、心に覚える暖かさ。
そうしてやがて、戒那の意識が、完全に夢の世界へと呼び込まれ終えて、暫く。
悠也は手を伸ばし、静かに電灯のボタンを押した。
音も無く訪れた闇に、しかしカーテンの隙間から差し込む夜空の光が、ほんのりと淡く、優しく夜を彩っていた。
その先には、満天の星空がある――また明日、と囁き、世界を包み込む、母親のものであるかのような子守歌がある。
その星空と、そうして何よりも戒那とへ、
おやすみなさい。
悠也はもう一度だけ、心の中で囁いた。
外を流れる風の音色に――そうして、戒那をも包み込むこの音色に、そっと耳を澄ませ、微笑んで。
夢の如く、小さく甘く、優しく胸の内に、しまい込む。
……戒那さん、
また、明日――良い、夢を。
――二人とも。
今日戒那に手渡されたばかりのピンブローチが、薄い星光にきらら輝いている事には、今はまだ、気がついていなかった。
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I caratteri. 〜登場人物
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<PC>
★ 斎 悠也 〈Yuuya Itsuki〉
整理番号:0164 性別:男 年齢:21歳
職業:大学生・バイトでホスト
★ 羽柴 戒那 〈Kaina Hashiba〉
整理番号:0121 性別:女 年齢:35歳
職業:大学助教授
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Dalla scrivente. 〜ライター通信
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まずは長々と、本当にお疲れ様でございました。
今晩は、今宵はいかがお過ごしになっていますでしょうか。海月でございます。今回はご発注を頂きまして、本当にありがとうございました。まずは心よりお礼申し上げます。
今回のお話の方は、前編後編の二編で構成させていただきました。この前半は、主に天体観測が、一応の主軸となっております。
望遠鏡が云々ですとか、スペクトルがどうですとかというお話は、一応調べさせていただいてはいるのでございますが――多分、間違ってはいないと思うのでございますが、色々と専門的な面から見れば、ここは違うんでないの? という部分もあるかも知れません。予めお詫び申し上げたく存じます。も、もうちょっとお勉強してきます……。
レグルスは、実は都会の夜空にもわりとくっきり見えるそうです。少なくとも、蝦夷の政令指定都市では、それなりに見えない事もないような感じでございまして、宜しければ今度夜空を見上げます時は、レグルス等、ご興味がありましたら、探してみて下さいませ。多分北極星よりも、目だって見えると思いますので。
本編も含めまして、ここで明らかにされなかった部分も少々残ってはおりますが、そのところは、個別の方で、色々と明らかにさせていただいたつもりでおります。もし余力のある方がいらっしゃりましたらば、他の方の個別もお読み頂けますと幸いでございます。所々話が繋がる部分もある事と存じますので……。
では、今回は、この辺で失礼致します。
何かありましたら、ご遠慮なくテラコン等よりご連絡をよこしてやって下さいませ。
またいつか、どこかでお会いできます事を祈りつつ――。
12 maggio 2004
Lina Umizuki
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