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水辺に浮かぶ二つの奏鳴曲(ソナタ)
〜Capitolo della stella.〈星の章〉
I-a
高峰女史も――忙しい時期に、一体何を。
思わなかったわけでもないのだが、戒那としても、折角の誘いを無下にするような趣味も無く、結局こうして、同じく沙耶から誘いを受けていたらしい同居人――悠也と共に、蓬莱館へと来る事になっていた。
館へつくなり、まずは二人は、揃って世話になる旨を、桃色の色彩の良く似合った少女、蓬莱へと――尤も、他の従業員に挨拶しようにも、姿が見えなかったが故どうしようもなかったのだが――挨拶をし。二人に優しく丁寧に挨拶された事が嬉しかったのか、随分と楽しそうに先を歩く蓬莱に、二人部屋へと案内してもらっていた。
それから、時刻は、夜。腰を落ち着けのんびりとした後、ふと、どちらともなく露天風呂へ行く事で話がつき。
「それにしても……本当に、綺麗でしたね」
そうして、今。
ゆったりと温泉でくつろいだ後、二人は部屋の中で、山の幸の恩恵に溢れた、この宿自慢の料理を食べながら、普段と同じようにのんびりと言葉を交わしていた。
流れ行くのは、穏かな時間。
「ああ、そうだな」
微笑んだ悠也に、戒那が頷く。
申し分の無い味に満足しながらも、二人が話していたのは、先ほど人の気配の少ない露天風呂から見えていた、満天の星空についてであった。
――都会とは違い、人工の光に乏しい、この山の中。
「ここからでも、本当に良く見えますね」
「ああ、普段東京では、見る事ができないからな」
戒那も悠也も、同時に視線を、硝子越しに、部屋の外へと投げかける。
闇夜に輝く、無数の輝きは、
……ああ、そういえば、
「そういえば悠也、知ってるか? 星と言えば、ニート彗星とリニア彗星も、もうすぐ、見頃だ」
ブラッドフィールド彗星もあわせれば、気の遠くなるような年月の中でも珍しい、
――競演だ。
三つもの、彗星の。
「……ニート彗星とリニア彗星、ですか。肉眼で見えるのは、四百年ぶりだそうですね」
「しかも、この前ちらっと聞いた話によれば、三つの彗星がほぼ同時に近づいてくる事など、記録には残っていない出来事だそうだ」
「そうかも、知れませんね」
話には、聞いた事がありませんから。
そこまで話終えた頃、
「そうだ」
良案を思いついた、と言わんばかりに、唐突に戒那が顔を上げた。
何ですか? と、答えようとした悠也へと、
「悠也、星見酒を、しよう」
「星見酒――ですか?」
「ああ」
月見酒ではなく、星見酒を。――普段の生活の中では、決して、できるはずの無い事を。
「上着の一枚でも羽織れば、それほど寒くはないだろう」
もう春は過ぎ、夏の足音がすぐそこまで聞えて来ているような、季節なのだから。
それは、部屋の中にいては、決して感じられる事のないような感覚であるに違い無い。きっとここにいるだけでは、視覚は星を捉えても、感覚は想像を享受するのみで、
――想像も、確かに悪くはないが、
折角ここまで来ているのだから、直接感じていたい事もある。
「――そう、ですね」
それは、或いは夜色に染められた木々の緑であり、或いはその囁きであり、全ては星空と、一つになって織成す世界でもあるのだから。
「蓬莱さんにお願いして、お酒と、お摘みも用意してもらいましょうか」
「ああ、それは良いな」
「それじゃあ俺は、蓬莱さんにお願いしてきま――」
と、悠也が腰を上げた、
――その時。
とんとんとんっ、と、部屋の向うから、軽くここへと続く引き戸の叩かれる音がした。
……ほう、
『お客様、蓬莱でございます』
「どうぞ、」
何と、絶好の間合い。
戒那は悠也が腰を落ち着けたのを視線の隅に、箸を置いて、返事を返す。
――引き戸が開けられたその先には、その場に正座し、深々と頭を下げる少女の姿があった。
戒那は上機嫌ににっこりと微笑むと、何か御用はございませんか? と問いかけてきた蓬莱へと、
「すまないが、星見酒をしようと思っているんだ。だから、」
「お酒でございますね? それと、お摘みとを。丁度、当宿でもお勧めのお酒があるんです。お客様に、一押しの品でございます」
「――勿論、かまいませんよ」
確認の代わりに悠也へと視線を向ければ、すぐに同意の言葉が返って来た。
戒那はそれじゃあ、と、一つ頷くと、
「それじゃあ、それでお願いしよう」
「それでは、ただいまお持ち致しますので、暫しお待ちになっていて下さいませ。では、失礼致し――、」
「蓬莱さん」
と。
呼び止めた悠也の声に、閉まりかけた戸が、半分の所で止まった。
「他に、何か?」
その間から、微笑んだまま問いかけてくる蓬莱へと、
「いつもお疲れ様です、蓬莱さん」
労いの言葉をかける。
蓬莱はその微笑に、いいえ、と首を横に振ると、ありがとうございます、と一言残し、引き戸を閉めて去って行った。
本当に急いでいるのか、廊下を去る音は、駆け足で。
「……それにしても、お勧めのお酒、ですか」
足音まで見送った後、不意に悠也が、先ほど蓬莱に向けたものよりもどこかやわらかな微笑を、戒那へと向ける。
戒那は、ふきのとうの料理を摘んでいた箸の手を、一旦止め、
「ああ、そうだな。何せ――彼女の、お勧めだ」
料理も、こんなに美味しいのだし。
さらに外には、あんなにも輝く、星の林があるのだから。
心の中で付け加え、もう一度、窓の外へと視線を投げかけた。
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I caratteri. 〜登場人物
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<PC>
★ 斎 悠也 〈Yuuya Itsuki〉
整理番号:0164 性別:男 年齢:21歳
職業:大学生・バイトでホスト
★ 羽柴 戒那 〈Kaina Hashiba〉
整理番号:0121 性別:女 年齢:35歳
職業:大学助教授
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Dalla scrivente. 〜ライター通信
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まずは長々と、本当にお疲れ様でございました。
今晩は、今宵はいかがお過ごしになっていますでしょうか。海月でございます。今回はご発注を頂きまして、本当にありがとうございました。まずは心よりお礼申し上げます。
今回のお話の方は、前編後編の二編で構成させていただきました。この前半は、主に天体観測が、一応の主軸となっております。
望遠鏡が云々ですとか、スペクトルがどうですとかというお話は、一応調べさせていただいてはいるのでございますが――多分、間違ってはいないと思うのでございますが、色々と専門的な面から見れば、ここは違うんでないの? という部分もあるかも知れません。予めお詫び申し上げたく存じます。も、もうちょっとお勉強してきます……。
レグルスは、実は都会の夜空にもわりとくっきり見えるそうです。少なくとも、蝦夷の政令指定都市では、それなりに見えない事もないような感じでございまして、宜しければ今度夜空を見上げます時は、レグルス等、ご興味がありましたら、探してみて下さいませ。多分北極星よりも、目だって見えると思いますので。
本編も含めまして、ここで明らかにされなかった部分も少々残ってはおりますが、そのところは、個別の方で、色々と明らかにさせていただいたつもりでおります。もし余力のある方がいらっしゃりましたらば、他の方の個別もお読み頂けますと幸いでございます。所々話が繋がる部分もある事と存じますので……。
では、今回は、この辺で失礼致します。
何かありましたら、ご遠慮なくテラコン等よりご連絡をよこしてやって下さいませ。
またいつか、どこかでお会いできます事を祈りつつ――。
12 maggio 2004
Lina Umizuki
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