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砂の満ち引き
夢と言うと、パステル色でほんのり甘い、形の良さばかりが先行する砂糖菓子のような印象があるが、実際はそんなものばかりではない筈。悪夢、と言う言葉がある通り、眠ってみる夢の他にも、人が未来への希望と描く夢の中にも、『悪夢』と呼ばれるものがきっと存在する筈だ。
その夢こそが、私の大好物と言っても過言ではないのですが。
「ああっ、も〜!どこへ行ったらいいか全然分からないですよ〜!…ってそれ以前に、どこから来たのかも分かってないじゃないですか」
ヒトリツッコミなどしつつ、薄靄に包まれた頼りない空間を歩いているのは、月刊アトラス編集員の三下だ。高峰温泉の旅館備え付けの浴衣に何故か足元は革靴と言う、アンバランスな恰好ながら、それが三下である所為か、妙にマッチしている。くしゅん、とひとつクシャミをすると、鼻を啜り上げて指の背で擦った。
「…こんな所で、こんな恰好でうろちょろしてたら風邪引いちゃうよ…この夢の中では物事が現実化するらしいから、ここで風邪引いたら困った事になっちゃうよ…」
遊びに来ていて風邪を引いたなどと、碇・麗香に知れたらどんな厭味を聞かされる羽目になる事か。尤も、麗香はネチネチ厭味を言うタイプではないので、どっちかと言うと公然と罵られる事になるのだろうが。
「あ〜、もう困っちゃったなぁ……って、こんな風に淡々と言ってはいけませんね。もっと狼狽えたように言わないと、三下サンらしさが出ないような気がします」
ふむ、と思案げに三下が自分の顎を自分の手で撫でる。さっきまでのぽやんとした雰囲気は、どこかに飛んでしまっていた。
この三下、見た目は三下だが、中身は無我・司録である。確固たる姿と言う者を持たない司録は、この砂蒸し風呂の騒動に関わるに当たって、取り敢えず三下の姿を借りた、と言う訳だ。イメージ的には、大量の砂の山に己自身を構成する砂が紛れてしまっては回収が困難になる故、ここの砂と己の砂とを分けておくが為の容器、と言ったところか。
なかなか便利なんですよね、この姿。と、ニヤリと口端を持ち上げるいつもの笑い方をすると、三下のとぼけた容貌でも、それなりに司録らしさが出るものである。
司録の中には、無数の渦巻く思念がある。それは、この砂蒸し温泉の砂と同じよう、混ざり合って影響し合っても、実際に互いが溶け合う事はない。一粒一粒、それぞれにしっかりとした形があり、硬度を持ち、動きを持つ。ただ違う点があるとするなら、司録の中の砂粒は、恐怖、憎悪、悔悛、そう言ったものが主なものだが、ここにはありとあらゆるものが存在するようだ。私よりもよっぽど悪食かもしれませんね、と司録は低く喉で笑った。
だが、それだけ多種多様なものがあるのであれば、司録が好物とする類いの思いも、きっと沢山ある筈である。司録は、ちょっと早めの夕食、と言ったつもりで、嬉々として薄く翳る靄の中を歩いていった。
未来へと馳せる夢ならともかく、眠っている時に見る夢も、司録の満足を満たすものになるのかどうかは分からない。今まで、さすがにそこまで守備範囲を広げた覚えはない…と言うか、そんなものを捜すよりも、普通にいつも通りの活動で人の思念や想念と触れ合う事が出来たから、必要が無かったと言うだけの話である。しかし考えてみれば、うなされる程の悪夢と言うのもなかなか興味深い。人の見る夢は、その人の行動や思い、人との接触や及ぼし及ぼされた行為、そう言ったものに多かれ少なかれ影響されて構築されるものである。全く無の状態から作り出された夢などまず有り得ない。とすると、悪夢の見る人の『中身』には、それなりのどろりとした感情や記憶がある筈なのである。つまり、司録にしてみれば『見所がある』とも言える。
「取り敢えず、好き嫌い言わずに味わってみるべきですかねぇ…」
栄養が偏ってはいけませんからね、そんな、母親のような事を己に言って、司録は掠れるような声で笑った。
恐らく他の人が見れば、この世界は、ただ白く煙るような靄が微かに漂っているだけのように見えるのだろう。だが、司録には、そこに存在するひとつひとつの思念が、はっきりと見て取れるのだ。これだけ大量の人の思いを目の当たりにするのは、さすがの司録も初めての体験である。司録にしては珍しく、物珍しげに辺りをきょろきょろと落ち着きなくているが、見た目が三下なので余り違和感はない。
「…ああ、これは……随分昔の思いのようですねぇ…それでも色褪せずにここまで鮮明に残っているとは、余程思いが強かったのか、或いは保存状態が良かったのか…」
人の想いは、二酸化炭素の固まりのようなものである。放っておけば少しずつ大気中に染み出し、いつかは消えて無くなってしまう。それが、そうならないでこうして形を保ち続けていると言う事は、もしかしたらこの空間では、時間そのものが止まってしまっているのかもしれない。
司録は片手を伸ばしてその中の一つを手の平に掬い上げるようにする。実際に、そうやって手に取れるような形がある訳ではないが、それでも薄靄は司録の手の平の上で、生き物のように蠢いて淡くその光の波長を変える。誰の夢かは分からない、もしかしたら、以前に司録がどこかで誰かの思いを味わったのと同じ人のものかも知れない。何しろ、実体を持たないしろくだから、空間や時間の概念は他の人とは感じ方が違うのだろう。ふ、と口許を緩めて笑うと、手の平に乗せたそれを元の位置に戻した。
「やっぱり、古いものより新鮮なものの方がいいですね…味わった所で腹を下すような事はありませんが」
やはり一味違うような気がします。そう言って司録は笑いで肩を揺らした。
「…おや」
あちらで何かの気配を感じ、小さな声を漏らす。恐らく、自分と同じように、この空間へと招かれた、今生き続けている誰かの気配。楽しめそうです、と期待に胸膨らませながら、司録は二つの意識が存在する、隣の空間へと歩いていった。
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■ 登場人物 ■
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【 0441 / 無我・司録 / 男 / 50歳 / 自称・探偵 】
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■ ライター通信 ■
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この度はダブルノベルのご参加、誠にありがとうございました。こんばんは、ライターの碧川桜でございます。
無我・司録様、いつもいつも本当にありがとうございます!ホントに感謝の念で一杯です。これからもよろしくお願いしますね。
ダブルノベルと言う、初めての試みに戸惑う部分もありました。共通ノベルと個別ノベルと言う、ダブルノベル固有の特色を活かせた内容になったかどうか若干不安な点もありますが、少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
この個別ノベルは、共通ノベルで城ヶ崎・由代氏とモーリス・ラジアル氏に出会う前、貴Cがひとりで道を歩いている時の話となります。
ではでは、今回はこの辺で。また東京怪談の何処かでお会い出来る事をお祈りしつつ…。
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