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<期間限定・東京怪談ダブルノベル>


あかずの間探索行

 よく晴れた、気持ちのいい朝だった。
 シュライン・エマは、桃花(とうか)亭の庭を散歩していた。
 一人ではない。隣には、墨染めの衣に身を包んだ、壮年の男が並んで歩いている。蓬莱館の泊り客だろうか。いつ知り合ったのか、なぜ一緒に庭を散歩しているのか、シュラインには覚えがなかった。だが、相手からは嫌な感じは受けない。
 と、男がふいに立ち止まり、そこに立つ満開に花をつけた桃の木を見上げた。
「いい天気だの。……咲耶(さくや)が、あちらへ行くには、ちょうどいい日ではないかな?」
 言って、ふいとシュラインの方をふり返る。
「そうね。……でも、彼女は行けるのかしら。自分では、人ではなくなったと言っていたわ。だから、受け入れてもらえないだろうと」
 うなずいてから、シュラインは正直に思っていることを男に告げた。
「神仏は、それほど狭量ではないさ。人も人でないものも、飲み込んでおるよ。そうでなくば、この世は人以外の魂であふれ、ますます狭くなっておろうさ」
 男はそれへ、笑って返す。
「この世で最も狭量なのは、我々人間だよ。人間は、全てのものに境界を作り、己と異なるものとの住み分けを図る。そうせねば、安心してくらして行けぬ生き物だ。難儀なことだがな。今あるこの繁栄も、そうして内と外を分けて来たがためのものだ。……だが、神仏の世界には、そのような境界はない。咲耶がなんであろうとも、そこに行く気さえあれば、行けるさ」
「そういうものかしら」
 シュラインは、男の言うことがわかるようでわからず、小さく首をかしげて言った。
「そういうものさ。……わしとあんたにできることは、その咲耶の背を押してやることだけだ。違うかね?」
「そうね」
 シュラインは、今度はなんとなく男の言わんとすることが察せられて、うなずいた。
 それへ笑い返して、男は言った。
「では、送ってやってくれるかな? 野辺の送りは、わしよりも、あんたがする方がいいだろう。咲耶は、わしのことは良う思うてはおるまいし……あれの手向けには、読経よりもあんたの歌の方が似合いだ」
「ええ。きっちり背を押して、見送るわね。だって、ここまでつきあったんだし」
 うなずくシュラインの頬を、男は子供にするように軽く叩く。
「気風(きっぷ)のいい嬢ちゃんだな。百年目にあんたのような者と会えて、咲耶も幸せだ。……では、頼んだぞ」
 目を細めて笑うと、男はそのまま踵を返した。そして、足早に立ち去って行く。

 シュラインは、目覚めてしばらくの間、ぼんやりと天井を見上げていた。
 自分が今どこにいるのか、一瞬わからなかったのだ。が、ゆっくりとあたりを見回し、そこが蓬莱館の桃花亭の自分の部屋だと理解する。
(今のは……夢?)
 胸に呟き、彼女はやっと身を起こした。すでに夜は明けていて、締め切った厚いカーテンの隙間から、朝の光が細く差し込んで来ている。鳥のさえずる声も聞こえて来た。
 枕元の時計に目をやると、針は六時四十分を指していた。ずいぶん早く目覚めてしまったものだと思いながら、彼女はもう一度夢の中身を反芻する。
(あの男性は……もしかして、百年前に咲耶をあかずの間に封じた僧だったのかしら?)
 思わず、彼女は胸に呟いた。
 夢は驚くほどに鮮明で、しかも目覚めた後も少しも色褪せない。ただの夢とは思えなかった。
 彼女は、枕元の小卓に目をやった。
 彼女のいるシングルの部屋は、全体的に中華風で、フローリングの床に、透かし彫りのある衝立と木のベッド、鏡台、小さなテーブルと椅子などが並べられている。そして、ベッドの枕元の小卓には、昨日、綾和泉汐耶が咲耶を封じた柘植の櫛が、彼女のメガネと並べて置かれてあった。
 その櫛を見やって、シュラインはしばし考える。
 夢の男は、「野辺の送り」と言った。それはつまり送り火のことを差しているのだろう。
(櫛を、燃やせというのかしら)
 思い当たって、彼女は眉をひそめた。
 以前に汐耶に聞いたことがある。あやかしや霊などが封印されたものを、むやみと燃やしたり壊したりすると、かえって危険だと。封じられていたものが、解放される可能性があるのだと。また、シュライン自身もさまざまな超常現象に関わった経験から、霊などが憑いたものを供養する場合は、しかるべき力を持った者に任せるべきだと知ってもいる。
 だが、ややあって彼女はベッドから出ると、外に出る支度をし始めた。
 胸の中で、夢に出て来た墨染めの衣の男の言葉が木霊していた。男は言ったのだ。背を押してやりさえすれば、咲耶は行くべき所に行けるのだと。そして最後に、自分に「頼む」とも言った。頼まれた以上は、それをすべきだろう。何より、彼女自身が夢の中でそれを承諾している。
(大丈夫。もう、咲耶はあんなふうに人を襲ったりはしないわ)
 シュラインは、強く胸に呟いて、自分で自分にうなずいてみせた。
 やがて、ここの浴衣からすっきりしたパステルカラーのパンツスーツに着替えると、長い髪を後ろに束ね、いつもどおりメガネを首から胸元に掛け、最後に柘植の櫛をスーツのポケットに入れた。そうして彼女は、部屋を出る。

 シュラインが足を止めたのは、桃花亭の庭の、昨日汐耶が読書していたベンチのある場所の少し手前だった。満開の花をつけた桃の木があるそこは、夢で男と自分が話していた場所そのままだった。
 シュラインは、その木の下に落ち葉や木の枝を集めた。ロビーから持って来たマッチでそれに火をつける。充分燃え上がったところで、その中にあの柘植の櫛を投じた。たちまち、炎がそれを包み込み、飲み込んで行く。
 それを見詰めながら、シュラインは静かに『青葉茂れる桜井の』を歌い始めた。
 幸いというべきだろうか。彼女はその自分が生まれるずっと前に流行った歌を、最後まで全て覚えていた。だから、櫛が炎に飲まれて全て燃え尽き、灰になるまでずっと歌い続けていた。
 やがて櫛は燃え尽きて灰になり、それを燃やした炎も消えて、朝の空気にそれらが冷えて行く。彼女は歌うのをやめて、そこにうずくまったまま、じっと見詰めていた。まるでその灰が櫛ではなく、咲耶の骨のものであるかのように。
 と、誰かの足音に、彼女は顔を上げた。歌うことに集中していたせいか、すぐ傍に来るまで、足音に気づかなかったのだ。だが、顔を上げた時には、その人が誰なのか、シュラインにはわかっていたような気がした。
 そこにいたのは、妹尾静流だった。
「おはようございます、シュラインさん。早いんですね」
「おはよう」
 応える彼女に、静流は問う。
「何をしてるんですか?」
「昨日の櫛を燃やしていたの。……夢に、お坊さんが出て来て、頼まれたから」
 一笑に伏されるだろうかと思いながら、シュラインは言った。だが、静流は笑わなかった。
「ああ……。あの人も、咲耶さんのことを、気にしていたみたいですからね」
「見たの? あんたも夢を」
 シュラインは、軽く目を見張って問い返す。
「いえ、そうではありませんが……」
 かぶりをふって、曖昧に答える静流を、彼女はうろんな目で見やった。
「まさかと思うけど、あのお坊さんはあんたの前世だとか言うんじゃないでしょうね?」
「さあ、どうでしょう」
 静流は笑って、また曖昧に言う。シュラインは、一瞬その顔をまじまじと見やったが、すぐに溜息をついた。
「まあいいわ。……ところで、この灰は、どうしたらいいと思う?」
「東京へ帰る途中で、どこかの川に流してやるのが、一番いいと思います。異界であるここへ留めれば、咲耶はやはり転生できないままでしょうから」
「そう」
 静流の言葉にうなずいて、シュラインはポケットからハンカチを出すと、それに櫛の灰を全て包み、再びポケットに入れた。そして、火が完全に消えていることを確認してから、立ち上がる。
 その彼女に、静流がふと思い出したように問うた。
「ところで、昨日あれから、草間さんたちとは会えましたか?」
「ええ、おかげさまで。武彦さんと零ちゃん、月見草亭とかってこの棟からずっと離れた建物にいたわ。あれじゃ、咲耶の術にかかってなくても、なかなかみつからないわね」
 うなずいてシュラインは、ゆうべ麗香と二人でさんざん探し回ったことを思い出して言った。なぜだか、昼間のあかずの間探索より大変だった気さえする。
 彼女の口調に、静流は苦笑した。
「それは、大変でしたね」
「まあね。……そうだ。今日は武彦さんと零ちゃんと三人で、ここの温泉を制覇しようって予定なんだけど、あんたも来る?」
 うなずいて、シュラインはふと思いついたように問う。
「遠慮しておきます。水入らずのところを邪魔するほど、野暮じゃありません。……それに、私は朝食を済ませたら、チェックアウトするつもりですから」
 生真面目に答える静流に、彼女はわずかに目を見張った。
「もう帰るの?」
「はい。珍しく、仕事の予定が入ってますから」
「ふうん」
 静流の答えに、シュラインはふいにいたずらっぽく笑った。
「だったら、私と話してるより、汐耶を探す方がいいんじゃないの?」
「え……? ええ、まあ、汐耶さんにも挨拶はして帰るつもりですが……」
 なんとなく慌てたように返す静流に、シュラインはにやりと笑う。
「初対面ではないみたいだったけど、携帯の番号ぐらいは聞いてあるんでしょ? もしまだなら、挨拶ついでにしっかり聞き出して、次のデートもゲットしていらっしゃい」
「デ、デートって……。別に、私は……」
 更に慌てる静流を、シュラインはなおも人の悪い笑いを浮かべて眺めやった。
 その笑いに、静流はやっと冷静さを取り戻し、小さく溜息をつく。
「シュラインさん、からかわないで下さい。本当に、そういうんじゃないんですから」
「まあまあ。……気の合う友達ができるのは、汐耶だって嫌がらないはずよ」
 ちょっとからかいすぎたかと、相手をなだめてシュラインは笑った。静流は、それへ再度溜息で答えて、踵を返す。
「では、どうぞ良い休暇を」
「ええ。ありがとう」
 うなずいて、シュラインは、立ち去る静流の背に軽く手をふった。そうして、ポケットから携帯を取り出し、時間を確認する。時刻はようやく八時を回ったところだ。朝食は八時半と聞いていたから、これから庭を散策しながら戻れば充分間に合うだろう。そう考えながら、彼女はゆっくりと歩き出した――。


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■   登場人物                  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0086 /シュライン・エマ /女性 /26歳 /翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】

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■         ライター通信          ■
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●シュライン・エマさま
いつも参加いただき、ありがとうございます。
今回は、いただいたプレイングをかなりアレンジする形となりましたが、
いかがだったでしょうか。
少しでも、楽しんでいただければ幸いです。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。