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<PCシナリオノベル(シングル)>


人形の夜−雪の幻影−

■□■

 世界が銀色に輝く雪の世界。
 外からは降り積もった雪にはしゃぎ、遊び回る子供達の声が聞こえてくる。
 そんな声を聞いて私は、少しほんわかとした気分になりながら注文されたフルーツパフェを作っていた。
 その時、カラン、と店の扉につけた呼び鈴がいつもと同じ軽い音を立てて鳴る。
 私は盛りつけをしていた手を休めいつものように、いらっしゃいませ、という声と共に振り返った。
 そして私はそこに立っていた人物に本当に驚いて思わず声を上げてしまう。
「弥生ちゃん!」
 私の目の前には少し前に事件絡みで知り合った少女が立っていた。
 少女の名前は種村・弥生ちゃん。目鼻立ちのくっきりとした美少女。初めて会った時は、心を閉ざしていて冷たい目をしていたけれど、今の彼女はとても明るくて元気そうに見える。
 よかった、と小さく心の中で呟いて私は笑顔を浮かべた。
「いらっしゃいませ。来て下さってとても嬉しいです」
「お久しぶりです。こんにちは、冬華さん」
 そう言って屈託無く笑う弥生ちゃんに以前の暗さは感じられない。
「冬華さんに会いたくなっちゃって来ちゃった」
 とても嬉しいことだと思う。誰かが私に会いたいと思って来てくれること。
「弥生ちゃんも元気そうで良かった」
 それは心からの言葉。私はそのまま弥生ちゃんをカウンター席へと促して、メニューを差し出す。決まったら呼んでくださいね、と残して再びフルーツパフェの作成へと戻った。
 今来ている注文はフルーツパフェだけだったからそれを出してしまえば弥生ちゃんとの話に花を咲かせることが出来る。あともう少しで完成だったパフェをお客様にお出しして、私はカウンターへと戻り弥生ちゃんの注文を取る。
「それじゃ、これ」
 そう言って弥生ちゃんが指さしたのは、この店の名前と同じ『ボノム・ド・ネージュ』というデザートだった。
 ニッコリと微笑んで私はその注文を受けた。

「冬華さん、あのね、私友達が出来たんだ」
 ずっと幽閉されていた過去を持つ弥生ちゃんは友達という存在が居なかった。今まで居た閉鎖された空間から飛び出して、新たな世界、人間関係を築いていく。それはとても大変だったに違いない。それでも弥生ちゃんは笑っている。強い子だ、と思う。
「弥生ちゃんなら友達100人作れるんじゃないですか?」
「実は今それを実行中なの。あ、ちなみに私の中でのカウントで冬華さんも友達の中に入ってるから」
「本当ですか?もちろん、私の中でも弥生ちゃんは素敵なお友達ですよ」
 私たちは瞳を合わせて、くすり、と笑う。
 一緒に居た時間は短かったけれど、気持ちというものは時間に左右されるものではないと思う。
 こういうのっていいなぁ、と思った時、店の電話がけたたましい音を立てて鳴りだした。
 すぐに電話に出るけれどその声が草間さんの声だということに気づいて首を傾げる。
 零さんからの電話はあっても、草間さんからの電話は少ない。もしかしたら事件なのかもしれない、と思いつつ草間さんの話を聞く。
『やぁ、仕事中に悪いな。ちょっと頼みたい事があってなー』
「事件…ですか?」
『あぁ。ニュースにもなってたから知ってると思うが、IO2職員斬殺事件の一件だ。3人はIO2屈指の護衛者で、そして残り二人はIO2東洋支部の重鎮浜崎夫妻。その夫妻の5歳の愛娘だけがその事件の唯一の生存者で現在病院に入院している。それでだ。その少女の護衛を頼みたいんだが、彼女、目に怪我を負い精神的ダメージも重なって誰にも心を開こうとしない。霊能関係者だって分かると怯えて声まで出なくなってしまう始末だ。しかし事件が事件なだけに、どうしても護衛するのは退魔関係じゃないと危険だって彼女の入院している院長が心配しててだな…』
 IO2……おじいちゃんからあんまり良い話は聞いていない。なるべく関わり合いにならない方がいい、と言われたような気もする。
「あの一件ですか…確かIO2の護衛の方々は術を使う間もなく亡くなられてるのに、浜崎夫妻は確か射殺だったとか」
 思わず小声で呟く。お店で射殺とかそういった話はちょっと遠慮願いたいところだけれど。
「そこも妙なんだよなぁ。二通りの殺し方。まるで別々の敵に同時にやられたっていうような状況。そしてその中で生存者もいるって処も。院長も誰かに頼まれてる様な感じではあったが…。何か知ってるのかもしれない。まぁ、なんにせよ5歳の女の子が誰に頼ることも出来ず全てを遮断してるってことが不憫で仕方ない」
 草間の言うとおりだ。
 一人というのは怖いことだ。誰も頼れない、誰も信じられない、そして最終的に自分も信じられなくなっていく。
 一人きりで生きていくことなど出来るわけないのに。誰かに支えられ、互いに支え合って世界とは形成されていくものなのに。
 けれど、その依頼を受けて私一人で行ったらかなりの確率で怪しまれるに違いない。
「草間さん、お受けしたいのは山々ですけど。でも、その女の子は退魔関係だって知ったら口を閉ざしてしまうんでしょう?私一人で行ったら感づかれてしまうかもしれません」
『それなんだよなぁ。誰か無関係の人と一緒に入り込むしかないと思うんだが』
「一般の方とですか?」
 そんな一般の人を巻き込んでの依頼なんて信じられない、と思った。護衛する人物と自分だけならまだなんとかなるかもしれない。しかしそれに一般人も加わるとなると話は別だ。敵が誰かも分からない状況で、術も使う時間も与えず相手を殺してしまうような人物が敵かもしれない状況で、それは余りにも危険な賭だ。
『誰か事情を知って、それでも一緒に行ってくれるような人は居ないか?』
「そんな急に言われても…」
 そう口籠もった私に目の前に座った弥生ちゃんが、目の前にあったナプキンに何か書いて私に見せてくる。
 視線をずらしそれを見ると、『何か困ったこと?私で手伝えることかな?』と書いてある。
 確かに弥生ちゃんは一般人だ。そして複雑な過去を持つ弥生ちゃんなら、今回の話をしてもさほど驚くことはないだろう。だけどこれは危険と背中合わせの依頼だった。弥生ちゃんを巻き込むわけには…。
 首を左右に振ろうとしたが、追加で書いてある言葉に私はそれを止めた。
 そして視線を弥生ちゃんに合わせる。
 弥生ちゃんは小さく頷いて、そして微笑んだ。
 ありがとう、と唇の動きで弥生ちゃんに呟いて私は草間さんに告げた。
「わかりました。そのお話お受けします。それじゃ、その病院の地図とか送って貰えます?」
『了解。すぐに送るよ。それじゃよろしく頼む。くれぐれも気をつけてな』
「はい」
 私は受話器を置いて弥生ちゃんに向き合う。
「弥生ちゃん、本当に…」
「もちろん。だって冬華さんに私たくさん元気を貰ったから」
 足手まといにはならないようにするね、と弥生ちゃんは笑う。
「こちらこそ」
 そう言いながら私は先ほどの弥生ちゃんのメッセージを思い返していた。
 胸が温かくなる言葉。

『冬華さんは私の大切な友達だから』



■□■


 そして私は弥生ちゃんと一緒に、果物の詰め合わせを持って少女の入院する病院へと向かった。
 途中、妖しげな車を見かけたけれどきっとそれはIO2の関係者のものだろうと思った。
 でも私はIO2と共同戦線を張るつもりはなかったからそのまま通り過ぎる。IO2を信用していないというのもあるけれど、彼らにも彼らの思惑があるはず。それを邪魔する気はない。
 私たちが病院について院長との面会申し出ると、すぐに院長室へと通された。
 恰幅のいい院長で私たちを温かく迎えてくれる。
 そして少女の容態を簡単に説明すると、私たちを少女の元へと案内した。
 その途中で私は院長に告げる。
「あの、私とこちらの弥生ちゃんをこちらの病院に入院してる患者だって言って貰って良いですか?その方が、彼女安心するんじゃないかと」
 その提案に院長は頷いて乗ってくれることになった。笑顔で彼女の隣の部屋に入院中っていうことにしよう、と言ってくれる。そしてパジャマまで貸してくれた。それに着替えてから私たちは廊下へと向かう。
 ほっ、としながら私は少女の病室までの道のりを覚える。そして出来る限りの注意を辺りに向けた。
 窓、扉、換気口。あらゆる場所の位置を叩き込む。外へ繋がる道は進入口にもなる。
 少女の部屋は廊下の一番突き当たりの部屋だった。
 軽いノックをして、私たちは部屋に入る。
 扉が開いた瞬間、少女は思いきり身体を震わせてベッドの上で小さく丸くなったのが見えた。
 その病室は他の病室と変わらず殺風景で花すら置いていない。
 もちろん置いてあっても少女の目は包帯で巻かれており、見えはしないだろう。
 それでも果物の香りくらいは楽しめるだろう。
 私はなるべく声を明るくして声をかけた。
「初めまして、私は氷女杜・冬華。果物をたくさん頂いたからお裾分けに来たんです」
「こんにちは。私は種村・弥生。冬華さんとはこの間同じ病室になってお友達になったの。それでね、陽子ちゃんともお友達になりたくて」
 しかし私たちの声を無視して少女はベッドの中に転がったままだ。
 これくらいのことで心を開いて貰えるとはもちろん思っていない。
 心を通わせるには私も彼女に心を開かなければならない。それが当たり前。
「陽子ちゃん、彼女たちは陽子ちゃんと同じでこの病院に入院してるんだ。陽子ちゃんの隣の病室なんだよ。私が隣に女の子が一人入院してるんだって口を滑らせてしまってね、一緒に遊びたいっていうもんだから」
 そう院長が言うと少しだけ陽子さんはこちらの様子が気になりだしたようだった。
 この機会を逃す手はない。
「果物一緒に食べましょう?凄く良い香りでしょう?」
 強すぎず、甘すぎず。
 その香りの方へと陽子さんは顔を向ける。興味を惹くことは出来たようだ。
「彩りも綺麗だから陽子ちゃんの目が完治してれば良かったんだけど」
 ぽつりと呟いた弥生ちゃんの言葉に陽子さんが反応する。初めて発した陽子さんの声は細かったけれどしっかりとしていた。けれど、その響きはとても悲しみに満ちていて。
「そのままにしてたら果物…腐っちゃう?」
「生ものだから、きっと…」
 そう告げると、陽子さんは意を決したように院長に言う。
「見たい……」
「あぁ、見てご覧」
 てっきり陽子さんの目はまだ見えないのだと思っていたけれど、どうやらそれは私の思い違いだったみたいで。
 ぐるぐるに巻かれた包帯を院長が解くと、陽子さんはゆっくりと目を開いた。
 顔をあげておそるおそる私の方を見る。私の隣にあるフルーツの盛り合わせを。
 そして小さな笑顔を浮かべた。
「綺麗」
「良かった。気に入って貰えて」
 私もニッコリと笑みを浮かべて陽子さんを見る。すると陽子さんも私と弥生ちゃんを見比べて笑顔を浮かべた。
 信用…してもらえたかもしれない。
 でも悟られないようにしなければ。私が陽子さんを護衛に来たことは。
「改めて。よろしくね、陽子さん」
「病院ってほんとにつまんないところよね、陽子ちゃんこれからお姉ちゃんと一緒に遊ぼうね」
「うんっ」
 陽子さんは頷いて弥生ちゃんと話し始める。
 それを見ていた院長が私に目配せをしてきた。一緒に来い、って言ってるみたい。
 私はさりげなく、忘れ物、と告げて院長と共に病室を出た。



■□■

 廊下に出ると院長は私に頭を下げた。
「彼女は貴方達を信用したようです。試すような事をして大変申し訳ありません。ただ、信用できる人物にだけこれを渡すようにと言われたので…」
 そう言って院長が私に手渡したのは、1枚のディスク。
 そして院長の口から思いも寄らない名前が飛び出してきた。
 私とそして弥生ちゃんにはもっと意味のある名前。
「彼女を救い私の元へと運んできたのは、若森水葉という少年でした。そして水葉くんは私にこのディスクを…」
 若森・水葉。弥生ちゃんと知り合った事件で消息を絶ったままの少年。
 弥生ちゃんはずっと探し続けている。
 そして私も。ずっと気がかりだった。あんなに大切にしていた弥生ちゃんを置いて消えてしまった少年の事が。

「中身は…」
「戦闘騎兵の設計図と告発資料だそうです。彼女を助けてあげてください」
 中身は私が見ても解らないものだと思ったので見てません、と院長は私にパソコンで内容を見れるようにと一台のパソコンを手配してくれた。水葉さんのことも気にはなったが、まずはこちらの内容を確かめなければ。
 私は時間を惜しむようにパソコンにディスクを入れ中身を読み始める。
 そしてその内容に愕然とした。余りにも酷すぎる内容で。
 おじいちゃんがIO2には関わらない方が良いって言った言葉を思い出す。
「酷い……こんな死者の魂を弄ぶような事…」
 IO2は人形に死者の魂を移植固定し、霊鬼兵ほどコスト掛けずに『集団戦』で霊鬼兵以上の戦力を持たせる戦闘騎兵を作り上げていたのだ。そしてそれを勇敢にも告発しようとした浜崎夫妻は、IO2に命を奪われてしまった。きっと陽子さんも消される運命だったに違いない。しかし、どういう因果か水葉さんがそこに現れ陽子さんと、そしてこのディスクを救った。
 これでピースがぴたりとはまる。
 二通りの殺され方。
 IO2の暗殺者が浜崎夫妻を、水葉さんがIO2の暗殺者たちを。
 今、水葉さんは私たちの味方…と言える。
 私は陽子さんを護るのが使命。そうしたらすることは一つ。
 きっとIO2はこのディスクと陽子さんを狙ってくるはずだ。
 今の季節は冬。そして一面銀色の雪景色。
 分はこちらに傾いている。
 私はディスクを引き抜きケースにしまうと懐にしまう。内容は頭に入れてしまった。
 戦闘騎兵の設計図も頭に入っている。
 私はすぐさま動き出した。
 陽子さんの病室に戻り、窓際から外を眺める。
 そして皆が気づかないくらいの冷気をこの部屋の周囲に張り巡らす。
 軽い防御結界。ここまで辿り着く前にIO2を退けたいところだ。
 側にいればすぐに強固なものにすることが出来る。軽い、と言ってもそう簡単に崩せるものではない。
 私は、検査があるから、とそのまま部屋を後にした。
 そして私は着替えると外の森へと駆ける。
 先に色々と罠と呼べる代物を設置しておいた方が都合が良い。
 しかしそれは遅かったようだ。
 目の前に軍隊とも呼べる集団が集まっていた。きっとあのディスクに載っていた戦闘騎兵だろう。
 一気に片を付けるつもりだ。
 幸いにもまだ私には気が付いていない。
 戦闘騎兵は集団戦が得意とあった。これは一対一の戦闘に持ち込まなければ、いくら雪の中での戦いといっても危険だろう。
 彼らをどうにかしてバラバラにする必要がありそうだった。
 本当は戦闘は好きではない。しかし、私はそれよりもIO2のやり方に怒りを覚えていた。こんなことは許されるはずがない。
 あの戦闘騎兵にしたって元はヒトの魂を人形に無理矢理縛り付けているもの。そして彼らは一度ならず二度も命を奪われる。もう昔の記憶など消えてしまっていても。それでも受けた痛みは消えることはない。
 私は意識を集中させ、自分の周りに大きな氷塊を出現させる。それは日に輝いてキラキラと反射した。
 その光が彼らに気づかれる前に空高くその氷塊を飛ばす。そしてそのまま氷塊を戦闘騎兵の集まる場所へと降り注がせた。
 雪煙を上げ、氷塊が埋もれていく。地面を抉り、厚く降り積もった雪が戦闘騎兵達を飲み込んでいく。
 地響きが雪崩を起こし、半分以上が飲み込まれ雪の中へと埋もれていった。
 キラキラと雪が空中に舞い上がり煌めいている。
 だけど半分以上を行動不能にしてもまだ安心は出来ない。
 そう思った瞬間のことだった。
 目の前を何事も無かったかのように駆けていく数名の影。
 氷塊の直撃も雪崩も免れた戦闘騎兵だ。
 まっすぐに陽子さんの病室へと向かっていく。
 私はすぐさまその場を後にしてその後を追う。
 近道をしたかったけれど、相手もそれを知っているらしく同じ道を辿っていく。
 間に合わないっ!
 私は彼らに向けて冷気を全力で吹きかけた。
 しかしあと一歩のところで逃げられてしまい、彼らは更に速度をあげる。
 私が辿り着くまで保って頂戴、と薄く張り巡らせた結界に祈る。

 防御結界と力がぶつかり合う音が聞こえる。
 まだ、まだ保っている。此処からでもその結界の強さを上げる事が出来るはず。
 私は必死に防御結界を幾重にも張り巡らせ、その防御力をあげる。
 そして私は辿り着いた。
 目の前に立った戦闘騎兵は私に襲いかかってくる。それを自分の周りに咄嗟に張った結界で流しながら私は陽子さんの病室に目を向けた。
 そこへガラスを割って雪崩れ込んできたIO2の指揮官と思われる人物現れ、私の張った結界をたたき割った。
 自分の攻防に気を取られて、病室の方の結界が弱まってしまった事に気づくのが遅れた。
 二人が危ないっ!
 私は戦闘騎兵を振り切り指揮官を追い病室へと駆け込んだ。
 その瞬間、ものすごい音と爆風が私を襲う。その風に飛ばされ私は廊下の壁に背を打ち付けた。
「っ……。陽子さんっ!弥生ちゃんっ!」
 打ち付けた痛みに耐えながら私はまだ埃の舞う病室へと入る。
 そこに見つけたのは陽子さんの遺体でも弥生ちゃんの遺体でもなく、IO2の指揮官の惨殺死体だった。
 私は呆けたようにその死体の脇に立つ人物を見つめる。
 先に声をあげたのは弥生ちゃんだった。
「水葉っ!」
 名前を呼ばれた水葉さんは苦しそうな表情を浮かべ弥生ちゃんを見る。

 水葉という名前を少年にあげた少女。
 彼女が自由という名の世界を取り戻せたのは少年のおかげ。
 そして二人は再び巡り会った。

 水葉さんを見つめながらも、しっかりと陽子さんのことを抱きしめている弥生ちゃん。
 その腕の中で震えている陽子さんはぎゅっと瞳を閉じたまま全てを遮断しているようだった。
「水葉、私に何か言うことは?」
「無事で良かった」
 それはきっと水葉さんの本心。弥生ちゃんが無事であることを誰よりも願っていたのは彼だったから。
 でも、きっとその答えでは弥生ちゃんは納得できないだろう。
「私をあの牢獄のような生活から助けてくれたのは水葉?」
「…苦しむ姿を見ていられなかった」
 幸せになって貰いたかった、と水葉さんは俯く。
 険しい表情をしていた弥生ちゃんの顔にやっと笑顔が戻る。
「そう…だったの。ありがとう、水葉」
 私は今幸せ、と言いながら弥生ちゃんは更に続ける。
「でも、ちょっと不幸だわ」
「えっ……」
 俯いていた水葉さんが顔を上げ弥生ちゃんを見た。
「だって水葉がいないんだもの」
 少し膨れた様な表情。今まで見せていた少し大人びた表情とは違って年相応な少女の表情。
 しかし水葉さんは本当に苦しそうな表情で弥生ちゃんに背を向ける。
 弥生ちゃんはそのことに酷く傷ついたようだった。
「水葉っ!どうしてっ!」
 声を荒げて名を呼ぶけれど、それを無視して水葉さんは歩き出す。
 私の横を通り抜け、そして病室を後にする。
 その姿を私は目で追った。
 しかし、水葉さんは部屋を出て行く瞬間、立ち止まり一度だけ弥生ちゃんを見つめる。
 その瞳は優しくて以前、弥生ちゃんを護って欲しいと依頼をしてきた時と変わっていなかった。
「俺にはまだやる事があるから……」
「…水葉っ!」
 弥生ちゃんに微笑んで水葉さんは今度こそ部屋を後にする。
 振り返ることなく、静かに去っていく姿を私は追いかけることが出来なかった。



■□■

 病院からの帰り道、どうしよう、と弥生ちゃんは私を見上げて呟く。
「水葉さん…のこと?」
「そう。水葉が生きてた…すごく、すごく嬉しいのに。でもまた消えちゃった…」
 欲張りなのかな、と弥生ちゃんは俯く。
「弥生ちゃん、前に私と別れる時になんて言ってたか覚えてる?」
 こくん、と頷く弥生ちゃんに私は笑いかける。
「しっかりと話を聞いてあげるんでしょう?さっき聞いた話は本当にちょっとだけ。まだまだ聞きたいことはたくさんあるんでしょう?」
「あるわ。とっても」
 また会えるかな、と弥生ちゃんが不安そうに呟くから。
 私は安心させるように大きく頷いて、弥生ちゃんの頬を両手で包み込んで視線を合わせる。
「大丈夫。きっとまた会えるはず。水葉さんは全てのことを成し遂げて、また弥生ちゃんの元へ現れると私は思います」
 うん、と頷いて弥生ちゃんは笑った。
 希望の見える笑顔。
 この笑顔を見ているのがとても好き。
「ほら、それに水葉さん私のお店に来てくれてないから。やっぱり約束は守って貰わないと」
 そうおどけたように言って私は弥生ちゃんと銀色の闇の中を歩いていった。
 雪に月の光が反射して煌めく中を。