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<PCシナリオノベル(シングル)>


生きている者と死んでいる者

 氷川笑也は竹箒を手に、神社の境内へと向かう石段を昇っていた。
 登校前に境内を掃き清めるのが彼の日課であり、喩え前日に救急病院に運び込まれていようが明け方まで符術の特訓を受けていようが、いつもと変わらぬ一日を演出する為に必要だった。
 家族に……特に年の離れた妹に心配をかけまいとする、無口な彼の不器用なまでの努力は涙ぐましい。
 転がり落ちたら洒落にならない石段を、一歩ずつ踏みしめるように体重を移行させるのに集中してもうすぐ登り切る、と胸中の安堵に無意識に息を吐きかけた笑也の耳に柏手が響いた。
 清と澄んで張り詰めた朝の空気を打ち、揺るがして二つ。
 早朝から信心深い人も居たものだと、寝不足の頭にぼんやりと感心する。
 小気味よく打たれた鼓のように、迷いの無く空高く放たれた音の直後なら、続く祈りの静けさもよく届くに違いない。
 邪魔にならぬようにしよう、と笑也は場の空気を乱さぬ為、殊更慎重に足音を立てまいとした心遣い……は、社の前に背を見せる人物によって徒労に終った。
「笑也が今日遊んでくれますよーに!」
「な……ッ!」
黒々としすぎた革コートの後ろ姿を、他人と紛う事はない。
「ピュン・フー……ッ!」
地下鉄でやり合った昨日の今日、まさかの再会の動揺に、笑也は思わずその名を疾呼した。
 同時、制服の胸ポケットに忍ばせてあった符を取り出す。
 長方形の和紙、乾いたばかりの朱文字の鮮やかさは褪せる間を持たない為、だけではない。
 朱文字が赤みを増し、文字の周囲にじりと滲んだように拡がる赤……否、熱で焦げ付いて色を変えた紅蓮に符が燃え上がった。
 炎が指を焼く寸前、投じる動きに手を離す。
 ただ一枚の紙である。
 重さなどあって無きが如く、空気の抵抗にひらと落ちて然るべきが、符は飛翔の如く空を駆け、膨れあがるように増した火勢に火塊と化して中空で止まった炎は滴り落ち、笑也の血肉を報酬と選んだ異形の、式としての獣の姿を構成した。
 額の中心を縦に割くような眼は一つきり、三尾のそれは全体のフォルムが丸みを帯びてはいるが、肉食の牙を持って吠える。
「もしかして『讙』? すっげ珍しー、初めて見る」
肩越し、相変わらずの円いサングラスを通して向けられた視線に動揺は欠片もなく、敵と見なして闘志を向けるその獣を物珍しげに眺める。
「笑也のペット?」
笑也へと視線を動かし、気を逸らしたのを襲う好機と見たか、獣は跳躍に一息に距離を詰め、ピュン・フーの喉に喰らいつこうと牙を剥いた。
 が、それは適わない。
 喉元へ向かう直線的な動きを革靴の先が捉え、獣の身体を弾き飛ばす…その遣り取りは常人の視認が適わぬ速度で行われ、召喚主である笑也にも、何故獣が遠く離れた地に転がったのかが一瞬掴めなかった程だ。
 獣は四肢を動かして再度、立ち上がろうともがくが、爪が徒に土を掻くばかりか口元からも赤い滴りを零すに、笑也は結んだ刀印を獣へ向けて切り、現世へと繋ぎ止める術を解く。
 地に倒れたまま、自らの内側から発した炎に呑まれるように消える。
「ちゃんと躾とかなきゃダメじゃん、笑也」
ピュン・フーは何もなかったかのように……昨日の地下鉄での対峙も、今、式をけしかけられた事も念頭にない様子でただ、初めて会った時と同じ笑顔を笑也に向けた。
「やんならちゃんと、コンビネーション組まねーと。ああいうので一撃必殺狙わせねーで、こっちの行動妨害させとく間に、笑也の術完成させた方が手堅いってモンだろ?」
ゲームの攻略法を説くかのように、気楽に続けられる言葉に笑也は面食らう…向けた敵意を受け流して、何故笑えるのか。
 毒気を抜かれると同時に肩の力が抜けた笑也に、ピュン・フーは「お」と短く声を発して眉を上げた。
「そーいやぁ、さっき。初めて名前呼んでくれたよな♪」
しかと耳に届いていた呼び掛けを指し、彼は肩を竦めて照れに笑いを深める。
 年甲斐も何もあったものでない、青年の恥じらいは見てるこちらが恥ずかしい……とはいえ、笑也は常の倣いにあまり動かぬ表情のままなのだが。
「……何故、ここに」
最もな問いに、ピュン・フーは何処からか取り出した五百円玉をピンと指で弾いた。
「神社に芋買いに来たりしねーって」
回転しながら落ちてくるコインを空中でパシリと受け止める。
「笑也ん家の神サン、すげぇ霊験灼かな。それとも個人指名したのが勝因かなー♪」
誰と、何時、何を。
 えらく具体的な固有名詞込み、且つ目標がはっきりとして……いる願望が叶え易いというなら、現世利益で有名な神社仏閣は個人情報と欲望の坩堝だ。
「じゃ、行こうぜ♪」
そしてさり気なく肩に手を置かれ、笑也は反射的に飛び退き……背後が石段である事を失念して地球の重力に引かれる。
「何してんだよ、焦んなくても水族館は逃げねーって」
完全に均衡を崩した笑也の肩を抱いて支え、ピュン・フーの声の近さとその発言の内容とに、ゆうに二拍、思考が止まる。
「……ピュン・フー、今……?」
「お、二度目♪」
笑みを向けたピュン・フーは胸ポケットから長方形の紙片を取り出した。
 印刷された濃いブルー。
 無数の気泡、それを遮る影…の片隅に水中から顔を出したアシカが「みんなで来てね♪」と手を振っている。
「水族館……?」
しかもペアチケット。
「今日は俺、オフなんだよ。暇だったら一緒しねぇ?」
一見、選択権を与えたようだが、ピュン・フーの手は笑也の肩を抱いたまま離れない。
「行くよな? 断らないよな? だって笑也ン家の神サンが叶えてくれたお願いだもんな?」
別に家の所有で祀っているワケではない……と、説明しようにもピュン・フーは既に歩き出している。
「よーし、行くぞー、水族館ー♪」
「急がなくても、水族館は逃げないのでは」
せめて手を離させようと、厳密な否定は取らずに油断を誘おうとするが、ピュン・フーは却って手にしっかりと力を入れた。
「水族館は逃げなくても、笑也は逃げるじゃん?」
あわよくば、の目論見はしっかりと見抜かれていた。


「逃げなくても、休館日はあるよなー」
ただただ、無口に無表情に。
 ピュン・フーを見つめる笑也の視線に、乾いた笑いに指で頬を掻いた青年は「悪ィ」、とやや視線を逸らし気味に気まずく謝罪する。
 両名が立つは水族館の前……厳重に施錠された出入り口の硝子は、その厚みの中にしんとした人気の無さを含んで、重く動かない静けさを外界から隔てていた。
 絵で描いたような徒労に、内心の不満を表情に出さないまま、笑也は小さく息を吐くだけに、感情の吐露を納める。
「溜息つくと、幸せ逃げんぜ、笑也」
……あっけらかんとした忠告に、誰のせいで、と今度は目角を強めて睨むと真っ向からその視線を受け止めたピュン・フーは、咄嗟に吹き出した。
「で……その箒は……いつまで持ってるワケ?」
笑いの合間、咳き込むような問いに、拉致同然に連れ出される折にも手放さずにいた竹箒を改めて握る。
 穂先を上に立て、柄を地について箒と学生服姿の笑也と水族館、一つ一つに焦点を置くなら日常として何の問題もないが、セットにすると途端に珍妙だ。
「家に持って帰ります」
きっぱりと、今日一日の行動を竹箒も共にするも同然な笑也の宣言に、とうとうピュン・フーが笑い崩れる。
 下手に符術に頼らずとも、箒で殴りかかった方が攻撃として有効だったかも知れない……との笑也の心中のコメントを、符術を教え込む為に徹夜で付き合った兄が聞けば、なんとも複雑な心境に陥るだろう。
「あ〜、笑った……」
漸く気が済んだのか、膝についた埃を払いながらピュン・フーは立ち上がる。
「じゃ、行くか」
何処へ、と問う間はなく、ピュン・フーは侵入を拒んで張られた鎖を一跨ぎにした。
「笑也も来いよ」
片掌を上下に揺らして来い来い、と誘う。
 何の罪悪感もなく不法侵入を試みるピュン・フーに、それでも鍵が掛っているから適うまいと一縷の希望を託すが、笑也の目の前で、硝子戸はあっさりと押し開かれた。
「早く来ねーと、置いてくぞー♪」
既に半身を館内に入れ、振り返り様に笑也を呼ぶピュン・フー…因みに、境内を掃く、それだけの目的で外に出ていた笑也は、竹箒以外には財布は愚かカードも持っていない。
 ピュン・フーとはぐれてしまえば、帰宅するのに難渋するのは必至である…館内の設備を破損や盗難したりしないよう目付は必要か、と目的意識をすり替える事で、笑也は自らの良心と折り合いをつけた。


 休館日といえど生き物を扱っている業務上、館内は全くの無人ではない。
 作業服姿の職員の姿を通路に見る度、不法侵入者である後ろ暗さが笑也の歩みをたじろがせるが、ピュン・フーは気楽に「よっ、お疲れさん♪」などと無駄にフレンドリーにこちらから挨拶したりもする。
 その際、相手から「ご苦労様です」などとの声が返る…のは、決して笑也が持つ竹箒に清掃業者であるとカンチガイされた、ワケでは決してない。
「笑也、そんな心配しねーでいいってば」
歩みが滞るに、一歩後ろの立ち位置になる笑也に、ピュン・フーは苦笑しながら僅か、サングラスをずらして赤い眼の目尻をとん、と指で軽く叩く。
「ピュン・フー七不思議のひとつ♪」
眼力で某かの暗示を与える……魔なる一面を見せつけられて、笑也は苦い思いに竹箒を握る手に力を込めた。
「おー、すげ。笑也見ろ見ろ。ハリセンボンだってよ」
小さな水槽の並びに、一種ずつの海洋生物を展示した通路、その一つにピュン・フーが物珍しげに寄る。
 プレートに示されたハリセンボン科の海産の硬骨魚は、硝子に身体を押しつけるように隅に止まっていた。
「コレ、どうしたら膨らむんだろな」
興味津々で硝子をちょんと指でつついてみている様の、どこか子供めいた仕草。
 魔である者が人を模す、それは謀る為の手段の筈だが、ピュン・フーの場合は楽しげな様子も冷酷とも取れる判断も、ただ自然に顕われている、それだけの代物に思える。
 笑也がピュン・フーを観察する間、フグき硝子越しにかけられたちょっかいに、動かぬままだが、不意にぷぅと身体を膨らませて全身を覆っていた棘を立てた。
「おぉ〜」
思わずパチパチと拍手を送ってしまう笑也とピュン・フーに、もういいだろ、とでもいうようにフグはぺたりとまた棘を寝かせて砂地に腹を埋める。
 営業時間外だというのに律儀な魚類である。
 主としてはピュン・フの興味に行きつ戻りつ、ゆっくりと巡る順路は灯りを落とされている為、薄暗く、トンネルを思わせた。
 ピュン・フーの後に付く形で添っていた笑也は、通路の向こうが明るい青に満たされたように思い、軽く目を擦る。
「お、メンテ中」
左右に張られた鎖の中央に下げられたプレートの表示が、行く手を阻む理由を明確にしているにも関わらず、ピュン・フーはこれまたひょいと軽い動作で跨いで越え、笑也に手を差し出した。
 女性に対するエスコートのような丁寧さに、笑也は年頃の男の子らしい自尊心に内心でのみむっとして、その手は無視して自分も標識を越える。
 そして、廊下を抜けて唐突に拡がる深く、濃い蒼の透明な圧力に圧倒される。
 水族館の大水槽、その青に透過された光線が、魚影が過ぎる影を揺らめかせる。
 奥深く広がる水槽の中…閉じられた空間は岩を模し、水を満たし、生命を維持の為の酸素がコポと気泡となって天へ昇る。
 順路を巡る際、何某かのコメントをつけながら歩いていたピュン・フーも言葉を失っているのに、この男でも感動する事はあるのか、と横顔を垣間見る…室内でも外さない円いサングラスの横から覗く赤は、その蒼を透かしても変じぬ程に深く紅い。
 その目元を少し細めて笑った風に、水槽へと手を伸ばす。
「生と死とを決定的に分ける要素ってなんだと思う?」
指が水槽を叩く…波紋を生みそうな錯覚を覚えるが、それは固い音を立てるのみだ。
「今まで空気ン中で生きてたのが、この水ん中でしか生きれねぇヤツらみたいに変わっちまう…いきなりあっち側のモンになっちまうのって乱暴なシステムだと思わねぇ?」
下から見上げれば、水面が光を弾いてきらめく様が見て取れ、それを見上げるピュン・フーの顔に波紋の影が揺れた。
「けど、『虚無の境界』のヤツってそれを得るのが『幸せ』らしい」
微かに笑みを刻んだ横顔が、続ける。
「笑也、今幸せ?」
いつもの問い、いつもの笑み。
 笑也の存在に、左右される事のないそれは、蒼、を背景に何処か悲しく思えた。
 問いには答えず、笑也はス、と歩を進める。
 常の歩みでなく、それは舞の所作…腰の位置を動かさず、滑るような動きにピュン・フーは軽く眉を上げて見守る。
 笑也が退魔師であり、舞が術であるそれを知って止めようとはしない。
 が、それが余裕と呼ばれるものなのか笑也には判然としない…許さない、と裏切りの痛みに決意したのは確か、その為に式まで覚えたのはそれを実現する為だ。
 だが、腕を組んで動かぬ相手に勝機と言える機会を前に、これだけははっきりしていると、笑也の内で苦い感情が笑いを模してさざめく。
 自分は、愚かなのだろう、と。
 たおやかに広げた手が、袂の重みを感じる、面差しを恥じるかのように伏せれば冠した飾りがシャラと快い音を立てる…夢想。
 水の底、竜宮に生きる竜の姫を笑也は舞う。
 今は廃れた曲である、『浦島』の一場面である。
 彼女もまた人でない…男への別れに、その時間を返した理不尽な所業は魔のようであるが、それはただ、恋うて慕うた男が地上に戻るなら、その生きる時間を戻してやろうとしたように、笑也は思う。
 海の時間、地上の時間、隔てられたそれは価値観の差違でもあるのだろう。
 想いに沈む、舞に神は降りない。
 ただ自分の為に……そしてただ一人の観客である男の為の舞は、水底をたゆたうように、蒼い空気に流れを作った。


「おーい、笑也?」
大水槽の前、足を休める為に設置されたソファに横倒しになっている笑也に、ピュン・フーは両手に缶コーヒーを持ったまま、苦笑と共に呼び掛ける。
 飲み物を買いに行った間に何が起ったのか、笑也は動かない……それは健やかな眠りの息は、昨日の日中からの行動を考えれば当然だが、そんな由をピュン・フーが知る筈もなく。
「寝る子は育つってーもんな」
一人納得して、笑也の頭の側、僅かに空いたスペースに腰を下ろす。
 至近に人の気配があるというのに気付かない程、深い眠りに落ちているのかぴくりともしない。
 それにピュン・フーはふと徒心を起こしてか、コーヒーを脇に置くとその頬に手を伸ばし、笑也の頬に一条走る傷を、親指の腹でなぞる。
 それでも笑也は目覚めない。
 穏やか、な寝顔は意志の強さが抜け落ちてあどけないようである。
 しばしそれを見つめたピュン・フーは、一度大きく頷くと、おもむろにサングラスを外し、コートを脱ぎ。
 身体にコートを着せかけてやった上に、目元にサングラスをかけてやる…暗い方がよく眠れるだろう、という心遣いか。
 それにしてももう少しやり様はないものだろうか、と思う気遣いだが本人はそれで満足したらしく、もう一度頷くと、眠りから醒めるまで動かぬつもりで深くソファに腰掛け直した。