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余暇の過ごし方
2、求めるもの
この時期の温泉は格別だ。
空気は冷たすぎず爽やかで、湯から出ても寒すぎることがない。
ホーッと吐く白い煙が、湯気とまじって消えるのを、文太は静かに眺めていた。
愛用の手拭いを頭に乗せ、目を閉じる。
何十年、何百年と、長い年月を過ごした。だが、この時間だけは、どんなに時が経っても変わることがない。幸福の一言につきる。
ザーザーと湧き出る湯。
文太の耳に聞こえてくる唯一の音である。
露天は文太一人の貸し切りだった。
ゴツゴツとした岩肌にもたれかかり、誰の目をはばかることなく堂々と、文太は煙管を楽しんだ。
そこへ、がらりと戸の開く音がした。
「そもそも、爺様が女湯にいるってのもおかしな話しよね」
垣根の向こうの女湯から、聞き覚えのある声がする。
ふむ、と文太はその顔を思い浮かべた。一行の中にいた娘、涼である。
どうやら、沙耶の話に出ていた『温泉番』を訪ねてきたようだ。
『ホッホ。困りましたのう。御衣のままのご入湯を、当館では禁止させていただいておりますで』
と、涼の声に反応して、老人が返事を返した。
文太は垣根へ目をやった。
誰もいないが、そこから声がしたのだ。
「いたーっ! 爺様! って、どこよ! 見えないじゃない!」
『これ、ここに。隣の湯との境におります。こうしてお話は出来ますゆえ、見えぬままでご勘弁くだされ。ホッホ』
「隣の湯との境? 爺様、竹垣なの? もしかして」
やはり、と文太は小さく頷く。
『そうかもしれませんなぁ。違うかもしれませぬがのう』
「どっちなのよ」
『わしの姿を見たものは、目が腐れてしまうやもしれませぬ。ホッホ。何かお困りなら、良いことを教えてさしあげますで。それでご勘弁くだされ』
おそらく、同じような『もののけ』の類なのだろう。
そう思いながら、文太は新しい草を煙管につぎ足した。
「話がわかるじゃない。えっと、この謎をとっとと解いて私に教えて欲しいのよ」
『ホ、どれどれ。その水の効果は、「猫」「機械」「年寄り」「花」らしいですのう。ホッホッホ』
確か、そんな感じだった、と文太は思う。なかなか良い性質の『もののけ』のようだ。
「そんなことはわかってんのよ! だから、どれがどこの井戸になるのか聞いてんじゃない」
『フウムゥ。年寄りを望まれるなら、南だと思いますぞ?』
──年寄りが南?
文太は首を傾げた。
南は『猫』の効果が現れるような気がしたのだが。
もしかすると、胡散臭い『もののけ』なのかもしれないと、思い直した矢先、老人が悲鳴を上げた。
『ウヒャア! たまらんわい!』
いったい、何が起こっているのだろう。
涼の滑舌の良い声が走った。
「たまらんのは、こっちよ! そんなもんに間違って手を出した日には、おっさんに年寄り呼ばわりされるかもしれないじゃない。冗談じゃないのよ、コンチクショー!」
『アーッ! 蓬莱様〜ッ』
文太には、垣根の向こうの出来事がさっぱりわからない。
とにかく、老人が涼の怒りを買ったことだけは間違いないようだ。
絶叫が、ぶっつりと途絶えた。
(人間の女御を怒らせてはならぬ)
しみじみと頷く文太。
束の間の騒動は、涼の言葉で幕を下ろしたようだ。
「逃げたわね。まぁ、良いわ。一個だけ分かってるから。南は『猫』よねー。ちゃっちゃっと済まして、宴会宴会!」
皆、動き出している。
我が輩も、と思ったが、この湯の魅力は捨てがたい。
せめて、草が尽きるまで。
文太は白い煙を吐き出した。
さて。
随分と長湯になってしまったものだ。
ほてほてと歩きながら、文太はメモを片手に庭へ出た。
樹海との境界線となっている竹藪を目でなぞり、小さなひょうたん池と三つの人影を発見した。
ジャリジャリと石を踏みつつ、そこに近づく。
池の中央には、羽を広げた鳥の像が建っていた。
「また、お逢いしましたね」
そう声をかけてきたのは、斎悠也であった。二人の幼い式も一緒である。
文太は池の中を覗き込み、次に悠へと目を移した。
ガラスの急須に水が入っている。
この池の水であろうか。
飲んでみたい気もするが、文太は悩んだ。
悠の様子が変なのだ。
しきりと目をこすり、欠伸をしている。そして、おもむろにしゃがみこむと、目を閉じてしまった。
蒼天に見下ろされた午後。
実に気持ちよさそうに、眠っている。
「この水で間違いないようですね」
と、悠也は言って子を背負った。
なるほど、猫の水か。
いつも追いかけられている猫になるのは面白いが、場所を選ばず寝てしまうのは困る。
文太は悩んだ末、その水を口にするのを止めた。
「持っていただけるんですか?」
悠が放した急須を手に取り、文太はこっくりと頷く。
「これから他の場所へも回るつもりなのですが……」
一緒に行きましょうか、と笑いかける悠也。
水を汲むにも、意のままにならない体である。
願ってもない救世主だと、文太は大きく手を挙げた。
細い砂利道と竹垣。それに覆い被さるような樹海の樹木。建物の外壁は、途切れることを知らぬのか。どこまでも果てしなく伸びている。
悠也は時々、背中の式を背負いなおした。熟睡はしていないようである。目を覚ましては、顔の向きを変えた。
「次は、時進めの効果があるようですね」
文太は前方を見つめたまま、顔を縦に傾けた。
人間は老いる。
だが、三百年。文太は同じ姿でいる。
次の水は、飲んでみようか、と。
文太は静かに思った。
やがて一行は、白い虎の像の前に辿り着いた。
四肢を踏ん張り、やや首を落とし気味にして、来る者を睨んでいる。その口に、柄の長い白木のひしゃくを銜えていた。
「朱雀の次は、白虎ですか」
悠也とほぼ同じ高さの像は、半分が台座になっており、中が空洞だった。そこに池の底で見たような、黒い穴が開いている。
文太は、也と共にその穴を覗き込んだ。
ユラユラと闇色の水が揺れている。
これが西の井戸だろうか。
『年寄り』の効果をもたらす水だろうか。
文太はひしゃくを取ろうとつま先だった。しかし、全く届かない。
悠也が、それに気づき手を貸してくれた。やはり、同行者を求めて正解だった。
文太は、ひしゃくで水をすくった。
綺麗な、透明の水だ。
「飲むのですか?」
と、問われる。
三百三十三年、だ。
文太はこの姿で生きてきた。
道を歩けば指をさされ、保健所の名を聞いたことも一度や二度ではない。
何故、この姿なのか良くわからないが、この先もずっとこのままであることだけは、確実だと言える。
人様に迷惑をかけぬよう。
悠の寝こける姿をちらりと見やり、文太はその水を口にした。
ほんの一時の変化を求めて。
こくりこくり。
と、喉が動いた。
そして、ひしゃくを悠也に返し、はふー、と溜息をついた。
腰を不自然な体勢に折り曲げ、文太はたどたどしい足取りで歩き出した。
少し行っては立ち止まり、背筋を労る。
ぱむぱむと、フリッパーで腰を叩いた。
後ろで悠也が何かを言ったようだが、良く聞こえない。耳に真綿が詰まったかのようだ。
「大丈夫ですか」
今度は、しっかりと聞こえた。文太はスローモーな動作で振り返った。
どうやら、立派な老ぺんぎんになってしまったようだ。
「ぺんぎんさん、面白いです♪」
也は拍手をして、喜んでいる。
文太は目をまんまるにした。
うけている。
笑っている。
そして、悠也のやや焦った声が面白かった。
文太は、突然ものすごいスピードで走り出した。
元来た道を爆走する。
一気に玄関前の庭に滑り込むと、人の姿を探した。
妖しげな美女。沙耶がいた。
果たして彼女は、どんな反応をするのだろう。
後ろ手を組んで腰を屈め、文太は沙耶の元に歩み寄った。
「あら……」
呆然と、だが興味深そうな沙耶の視線に、文太はドキドキと胸が高鳴るのを感じた。
ヨボヨボと近づき、途中で背筋をのばし、トムトムっと腰を叩く。
「よりによって、老化の水を飲んだのね」
文太は顔を上げた。
沙耶の声は小さすぎて、何を言っているのか、良く聞き取れない。
だが、文太は楽しかった。
この変化を誰かに見て欲しかった。そして、見て貰えた。
老いると言うことは、こういうことなのだと実感──いや、痛感もした。
ちょっぴり。
もしかすると、非常に。
腰が痛かった。
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■ 登場人物 ■
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【整理番号(昇順表記) / PC名 (年齢) > 性別 / 職業】
【2769 / ぺんぎん・文太 / ぺんぎん・ぶんた(333)】
男 / 温泉ぺんぎん(放浪中)
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■ あとがき ■
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こんにちは。紺野です。
この度は、高峰温泉へのご参加ありがとうございました。
いつもと形式が違うので、微妙に戸惑いつつの執筆でしたが、
いかがでしたでしょうか。
少しでも楽しんでいただければ幸いです。
なお、個別についての補足です。
共通ノベルの『2』が無いことにお気づきかと思いますが、
そこが個別として、皆様のお手元に向かっております。
行動のかけ方による、それぞれのシチュエーションや文章量は、
参加くださったみなさま全員が、同じではありませんので、
どうか、ご了承くださいませ。
>文太さん(個別キーワード『温泉』『散策』)
当方の依頼への、二度目のご参加ありがとうございます。
謎解きはパーフェクトでした(笑)。
変化……したかったのですね。
微妙な効果で、申し訳ないですよよーっ!(逃)。
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