 |
「あやかし」と呼ばれたヴァイオリン
【XXX】
「湯治は良いと聞きますけど、大丈夫なんですか」
「何がです?」
彼の心配性は、いつもの事だ。
高峰温泉、蓬莱館への出立を控え、屋敷で休暇前の雑用を片付ける片手間に修一が口にした言葉を、セレスティ・カーニンガムはさらり、と聞き流した。
「……失礼ながら……僕としては、」
一旦、修一は口を噤んだ。セレスティを真直ぐに見詰める視線には物云いた気な気色がありありと伺えるのだが、どうにも切り出し難い言葉らしく歯切れが悪い。
「どうぞ、遠慮なく仰って下さい? あなたの意見は参考として、汲むつもりですから」
「湯当たりが心配です」
彼にしては思い切った様子で、──その、単語の意味と深刻振った表情の落差が可笑しく、セレスティは声に出さずに笑った。
「……笑われましたね」
修一は、無論不平こそ云わないがその呟きは恨めし気だった。彼としては、無礼を咎められるよりも真面目な意見を一笑に附される方が堪えるらしかった。
「御安心なさい、これでも自分の身体の事は自分で一番良く分かっているつもりですよ。湯治はしません、ただ、折角の機会ですからゆっくりとした時間でも過ごそうと」
「……それなら良いですが」
「……本当に、心配は無用ですよ」
主治医も一緒なのですから、とセレスティは一応、心配性の秘書を安心させてやるつもりで教えたのだが、──その言葉を聞いた修一の反応は、微妙だった。
「……ええ……それは……心強い事ですね。……多分、……その筈……、」
「何を心配為さって居るのですか」
セレスティは明るく笑った。
「……僕は、自分のこういう所が嫌いなんです」
「どういう所が?」
「……、」
修一は眉間を指先で軽く押さえ、呪わしそうに呟いた。
「……何故か、厭な予感が的中する事が」
■
「荷物を先に預けて来ます」
蓬莱館へ到着した所で、修一はそう云い置いてセレスティとモーリスを起き、先に建物の中へ消えて行った。
「……ああ、」
「どうかされました?」
不意に、セレスティが頷いた事に、モーリスが首を傾ぐ。──ふっ、とセレスティは笑みを浮かべた。
「──彼女もお出でのようですね、……結城・レイ嬢」
意外な知り合いの気配を察知し、セレスティは妙に嬉しそうなモーリスへ目配せとも取れる視線を向けた。
「今現在、意識が無いようですが。モーリス、迎えに行って差し上げますか?」
「……ええ」
それはもう、嬉々として──では無くて……、……畏まって、モーリスは軽く一礼して踵を翻した。
「……、」
その、浮き浮きとした精神状態が主人には隠せないのが、モーリスといえども主従関係の現れた所だ。
「……彼女なら大丈夫でしょうが、……程々に」
注意するのは良いが、総帥、微笑みを浮かべられたままです。然も、普通ならばそんな独白のように諭されても届きませんよ。
──つまりは、本心では無いと云う事で……。
■
「セレスティさん!」
「おや、……ヨハネ君?」
修一の代わりに建物から駆け出して来たのは、ヨハネだった。
「あなたもお泊まりだったのですね」
「ええ、あの、今中でセレスティさんの秘書、さん、……さん……? ……まあ、いいや……陵さんに御会いして、セレスティさんもお出でだと伺いましたもので……」
「それはまあ、御丁寧に」
常からの、特にこの青年神父には注がれる事の多い穏やかな笑顔をセレスティは浮かべた。
ヨハネは、未だきょろきょろと周囲を見回している。
「あの、モーリスさん、は……。御一緒だと伺ったのですけれども」
「──ああ、……彼ですね」
セレスティは、苦笑とも取れる笑い方をした。
「御友人を見付けたようで、今さっきあちらへ」
「……?」
そこへ、荷物を置いて来たらしい修一が再び姿を見せた。それを視界に認めながら、セレスティは「探してみましょうか」と提案した。
■
「ああっ、……モーリスさん!?」
「やあ、ヨハネ君も一緒だね」
モーリスは、ヨハネの見知らない──が、誰か似たような人間を知っていた気がする──少女と一緒だった。誰に似ていたのだろう……、と顔を良く見ようにも、彼女の前髪はやたらと長く目許を完璧に覆っていて、その術が無い。
彼女は彼女で、ヨハネの傍らの二人に反応したようだ。
「あ、総帥に陵!」
「御機嫌よう、レイ嬢。あなたも療養にいらしたのですか?」
麗人の御機嫌麗しい事は相変わらずである。
「んな訳無いでしょッ! 連れて来られたのよ!」
「それはお気の毒に。然し、中々面白い所ですよ。……ねえ、ヨハネ君?」
「……誰、あんた」
「失礼ですよ、仮にも神父様です」
失礼千万なレイの呟きを鋭く窘めたのは修一だが、「仮にも」と云った時点で彼も同様に失礼だろう。──然し、叙階を受けた聖職者にしてはこの小柄な青い瞳の青年が、少年とも見える程に歳若い事を考えれば仕方の無い事だと笑って許して頂きたい。
「うわ、中国風神父様?」
「えええぇぇっ!? いえ、ああぁああのですね、ここここここれはそのおぉぉっ、宿の浴衣なので仕方無い訳で──、」
「──ヨハネ君、」
やや礼儀に欠けたレイはどうせ自己紹介も忘れているだろうから、と適当な所でセレスティは片手をヨハネの肩に、もう片手をレイへ差し向けて微笑み掛けた。
「ヨハネ・ミケーレ君。修一君の仰るように神父様でいらっしゃいます。ヨハネ君、結城・レイ嬢です。東京でメッセンジャーをやっておられるのですが、……そう、あなたも良く御存じの磔也君のお姉さんなのですよ」
「は、何、あんた可哀相に、あの不良に何されたの!?」
「えええええええっ(滝汗!!? いえ、あのですね、そんな、磔也君とはお友達としてお付き合いさせて頂いておりますだけで、そんな、何をされたですとか……、」
「うわ、信じらんない、あれと友達!? ああ、流石神父様だわ、なんて慈悲深い人かしら」
「あぁあああの……ですね……、……ええと、ちらりとはお話を伺った事はございましたけれども……、……磔也君のお姉さんでいらっしゃるんです、よね? お世話になっております、あの──」
「って云うか総帥!」
「あら?(汗」
俄に挨拶を躱されて、バランスを崩しかけたヨハネの耳許にセレスティはそっと「彼女が他人の話に耳を傾けないのは常からの個性ですから、気に為さらない事です」と囁いてから笑顔でレイに応えた。
「はい?」
「お願い、私を東京に帰らせて」
「……、」
「総帥なら出来るでしょ?」
両手を祈るように組んで懇願する──然し彼女の立ち直りの早さを考えれば哀れを感じる程でも無いので──レイの希望は、麗しい財閥総帥の笑顔に拠ってあっさりと却下された。
「そう、お急ぎになる事も無いでしょうに」
「帰りたいの──!!!」
「──無駄ですよ、……何故ならば」
とん、と肩に置かれたモーリスの手を邪険に払おうとしたレイの手は、それに続いた言葉を認識した途端に止まった。
「──既に結界の中ですね、……どなたかの」
「……は……」
「……、」
黙したままのセレスティとモーリスは目線を交わした。
「……ええ。……そうですね。今のままでは、蓬莱館へも戻れないでしょう」
「ぇえええええっ!?」
「何それ!?」
同時に声を上げた2人の内、然りげなくヨハネの肩にだけ優しい手を添えながらセレスティは目を細めた。
■
「……どうしてこう……好むと好まざるに関わらず僕のような平凡な人間が奇妙な出来事に遭遇しなくてはならないんですか……、」
修一は、──流石に良い大人なので騒ぎはしないが、片手で目許を覆ったまま絶望的な声を発していた。
「今更それは云わない約束ですよ。……ねえ?」
にこり、とモーリスが溜息を吐く彼に微笑み掛けた。この青年の心は忠誠心という物で以て既に主人の物であるからどうする気も無いが、それでも、好みの美青年が途方に暮れた様子を観察するのはその状況が深刻で無いならば楽しいものである。
セレスティは整然とした言葉を続けていた。
「……逆に、結界で以て空間を崩す事も可能ですが、……術師に悪意は感じられません。そうであれば、強行手段に訴えるよりも、本人にお会いしてお話を伺う方が良いように思いますが……如何でしょう?」
「術師って……、……まさか、アイツ、」
舌打ちするレイに、セレスティはやや表情を緩めて微笑み掛けた。
「お心当たりでも? ……先程、連れて来られた、と仰っていましたが」
「神父様」
妙に明るい声で、レイは鉾先をヨハネに向けて彼をくるりと振り返った。
この場合、セレスティを無視したと云うよりは寧ろ、現実逃避に走ったと見て間違いあるまい。
「は……はいぃっ!?」
慌ててびくり、と肩を強張らせたヨハネの背筋を妙に冷たい物が走った。──きらきら、と彼女の目が絶望的に煌々しく輝いている様子が、前髪越しにも伺えるようだ。
「私を祝福して」
「ハイッ!? ……え、ぇええぇええ、あの、それはあの、僕は神父の端くれですので祝福は致しますけれども、あの、それにしても一体何を祝福すれば良いのでしょうか……(この状況下に於いて……)、」
「……、」
──くす、とモーリスが忍び笑いを隠すように片手を軽く口許にやった。弟と同じで、神経がキレると妙な形で現実逃避に走る彼女とこの際そのとばっちりを喰った、然し純粋で慈悲深い性格が故に生真面目にもまともに付き合わされる事となってしまったヨハネ君。
興味深い光景だ。
が、助け舟は出さない。何故って、観察していて楽しいもので。
「私……、」
そう呟きながら、視線をヨハネから在らぬ中空へ移動させたレイの表情からは笑みが一瞬にして消え、その代わり殺気のような気配が発せられていた。
「案ずる事勿れ、私である、恐れる事は無い」神に使える聖職者、某氏の言葉を借りれば「要は殴られても殴り返さねぇ類の人間」ヨハネさえ、その豹変ぶりには恐れを感じて2歩後ずさった。
「──一生、仏教なんか信仰するもんですか──!! 巫山戯んじゃないわよ勘違い仏教被れ! 何のつもりか知らないけど、こっちにはキリスト教徒が居るわよ、やるならやってやろうじゃない、宗教戦争するッ!?」
「あぁああああああの、駄目でございますよ、信教というものは自由に、各々の心の支えとなるべきものでございまして──それはそう、音楽も一緒ですけれどそのように──間違っても争いの種になってしまうなんて事は、何とも悲しい事でございます──」
「煩いッ! 神父なら黙って聞いてなさいよッ!!」
「ぇええええええええっ!?!?!?(滝汗)」
それ、何か間違ってませんか……、──倖い、更に後ずさったヨハネのややぐらりと傾いた身体は、倒れる前に華奢な白い手、優美な財閥総帥の手に支えられた。
「ですから、お気に為さいませんように。神父様としては聞くに耐えない、悲しい主張かもしれませんがあの主張こそ彼女の信教のようなものなのです。黙って叫びたいだけ叫ばせて差し上げるのが、彼女への一番の祝福ですから」
「……、」
「……喧しい……、」
手を額にやったまま俯いた修一へにこやかな笑みを向けようとしたモーリスは、その前に気配を感じて背後を振り返った。
「ZERO──、」
「……おや、」
誰かが近付いて来る。──術師だ。
然し、何とも派手な外見だ。背が高い、髪が生れつきならともかく、脱色した事が明らかな銀色、ついでに瞳も右だけ銀色、パンク被れとしか思えない服装に白いラバーソール、声がやけに良く通る上にイントネーションがおかしい。表情が、場にそぐわない程底抜けに明るい能天気な笑顔。顔立ち自体は端正だが、あのセンスは少し自分の好みからは外れるかも知れない。
とかそういう事を余裕な精神で思うモーリスも、どこか常人離れしているようである(今更ですか?)。
「何や、まだ居ったんかいな」
「卍ぃ!! あんたね!? この結界とやら!」
「うんそう」
振り返って卍、と青年を呼んだレイの表情たるや、確信犯でも「私に罪は無いのです、そうなんです」とモーツァルトのアリアでも歌いつつ逃げ出したくなるようなものだった、が、青年はあっさりと肯定した。
「いい加減に──」
「あ、や緊急事態よ緊急事態」
にこにこと宣う青年、卍はあっさりとレイの怒りを賺して後、その視線をセレスティ、モーリス、ヨハネに向けてやや、狡猾な光を宿した目を細めた。
「まあ、良かったやん、生き倒れんで。……友達?」
「誰が(総帥と神父様はともかく、問題はもう一人だ)……──」
「ええ」
ひょい、と軽く伸ばした手でレイの口を塞ぎ、モーリスは否定を皆まで叫ばせずに友好的に形作った笑顔を卍へ向けた。
「自己紹介は今更として、──まあ、レイ嬢にでも聞いて頂ければ良く分かる事ですからね」
「何ですってぇ!? 弟に妙な事吹き込もうとしてる極悪人とでも紹介されたい訳、あなた、」
手の力を緩めてみれば、レイは(鑑賞する分にはそこそこ愉快だが)会話を中断させるしか能の無い云い掛かりでモーリスの言葉を遮ってしまう。閉口する代わり、彼は「ちょっと黙っていて貰えるかな」と第三者には魅力的な笑顔で彼女の耳許に囁き、ニヤニヤとしている青年へ言葉を次いだ。
「お聞かせ願えるかな、その、緊急事態とやらを」
「知りたい?」
「ええ」
モーリスは、自身の背中に護るべき人達、──主たる財閥総帥と、繊細な青年神父の視線を受けながら微笑んだ。彼の緑色に輝く瞳は美しいが、然しそこだけは優美な笑顔の中でも笑っていなかった。
「危険が及んでからでは遅いのでね。──結界であろうと、緊急事態であろうと、悪意が在ろうと無かろうと、容赦せずに済むのは気が楽だけれど」
「あー、」
動じない卍は、矢張り緊急事態とも思えない緊迫感に欠けた笑顔でそれに応えた。
「大丈夫よ、そんな物騒な事やないし。少なくとも、死人が出るとしたら『100年前の人間』な」
「……ん?」
──何の事、と問う前に、更に3人の男女が合流した事で、追求は一旦後回しになってしまった。
【XXX'】
「あやかし」、とは魔性のヴァイオリンだったようですが。
実際の所、どうなのでしょう?
物には意思が宿ります。
あのヴァイオリンに魂が宿っていたとして、彼は本当に、人を惑わす魔性だったのでしょうか。
そうでは無い気が致しますね。
……きっと……、……そう、ただ、ヴァイオリンも真摯だったのでは無いでしょうか。
それを奏するヴァイオリニストと同じで、どうにか最上の音楽が奏でようと。
結果として、2人ものヴァイオリニストが命を投げ出す程の悲劇を生んでしまった事は不幸でした。
もっと、別な経緯を辿ればその音色の素晴らしさで以て倖せな時間を生きられた楽器だったでしょうのに。
──全ては、運命ですが。
けれど、夢では無い、……彼の最期、本当の最期が、あのように夢のような一時であったとしてもこれは真実の中に起こった出来事なのですから。
絶望は無かった、と云う事にしておきましょうか?
そのように。──至上の音楽でした。
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ 登場人物 ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男 / 725 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ ライター通信 ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
心配は無い、と云っておいて到着そうそう、この珍事です。
まあ、NPCの持ち込んだ異界なのですが。
これだから、心配性で平凡な一般人の秘書は懸念するのです。
と、それはNPCレベルの話なので置いておきまして。
WRは総帥の御参加頂けた事を喜んでおります。
……何でしょう……、居らっしゃるだけで安心するのですね……。
色々とエクスクラメーションの発生しそうなノベルで終わってしまいましたが、またどうぞ興味を少しでも抱いて頂けた際にはお相手下さい……。
NPC包みで慎んでお願い申し上げます。
有難うございました。
x_c.
|
|
 |