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<期間限定・東京怪談ダブルノベル>


「あやかし」と呼ばれたヴァイオリン

【XXX】

 ──良い湯だった。
 蓬莱館の廊下を、天井に施された中国様式の装飾や極彩色の眩しさの物珍しさに視線をあちこちへ泳がせながら、ヨハネ・ミケーレは歩いていた。
 何故彼は、見慣れた僧衣では無くこんな、シノワズリ色の強い背景に溶け込む浴衣を着ているのだろう。──仕方無い、一応、温泉の逗留客であるから。
 見る物全てが真新しい。少なくとも、彼が幼少期を過ごした故国の施設とも、今現在の住居である教会とも、全く統べての造りが異なっていた。
 未だ歳若い、好奇心の旺盛な青年であるからには目を奪われて当然だ。
 ──が、着慣れない浴衣の長い裾を引き摺りつつ、そうして余所見をしながら歩く事は宜しく無い……。
「う、わぁあっ!?」
「──失礼!」
 視線が天を向いていたヨハネは、向かいからの通行人につい気付かずぶつかってしまったのだ。然も、バランスを崩した拍子に浴衣の裾を踏み付けてしまったのがいけない。
 ヨハネの小柄な身体は諸にぐらりと傾き、彼は主では無く、硬い床へ接吻する所だった。
 ──と……。
「……あら?」
「……、」
 ──フ……、と溜息が頭上で聞こえた。接吻の直前、ぶつかった相手の青年がヨハネの腕を掴んで引き留めてくれたものらしい。
「──危ない、」
「あっ、……すみません、有難うございます、……その、」
「いえ、僕の方こそ済みません。怪我はありませんね」
「ええ、大丈夫です」
 身体を立て直したヨハネは、そこでようやく顔を上げて恩人の顔を仰ぐ事が出来た。
「……あ、」
 こちらは逆に、蓬莱館には不似合いな──それよりは東京のビジネス街からそのまま迷い込んだように見えてしまうのが滑稽なほどきっちりとしたスーツを着込んだ青年だった。二十代後半ほどの、表情の少ないが端正な顔立ちだ。
 ヨハネが瞬きをしている所で、彼の腕から手を離しながら青年が少しだけ微笑んだ。
「君、……何と云ったかな、屋敷でたまに見かける子だ」
「屋敷?」
「【Water Crown】──、一応、初めまして、僕は陵と云いますが、リンスター財閥総帥の許で秘書をやっています」
「……ああ! セレスティさんの……、」
 【Water Crown】──リンスター財閥は総帥、セレスティ・カーニンガムの屋敷である。そこは、ヨハネに取っては大学のようなものだった。膨大な書籍に、音源、──ヨハネの愛する音楽が溢れた場所。
 個人的にカーニンガム総帥とは親しく、また彼の方でヨハネを非常に可愛がってくれている事もあって、度々出入りしている訳だった。そこで働く青年……、秘書とは知らなかったが、顔を見掛けた事があって道理だ。
「ヨハネ・ミケーレと申します、あの……セレスティさんのお屋敷の方ですね、はい、いつもお邪魔致しております……、」
「君もお泊まりですか」
「……も?」
 陵、──修一、という名前だが、彼は──それも、うっかりとヨハネにぶつかってしまった一因らしかった、妙に大きなトランクを傍らへ置いていた。
「そうですけども……、陵さんもお泊まりになられるのですか?」
 修一は、やや親しみを見せて苦笑いを浮かべた。
「そうなりますね。……仕事、ですよ、一応ね。総帥が療養されると仰るので、お供に」
「セレスティさんがお見えなんですか、……うわあ、でしたら、早速御挨拶に、あの、お部屋はどちらの──」
「未だこれから確認する所です。総帥と──あと、ラジアルさんが一緒ですが、未だ玄関口に居られますから」
 直ぐにでも、とヨハネは無邪気な笑顔を浮かべて修一に会釈し、踵を返して駆け出した。──ぱたぱたぱた……、──その背中に、修一のどこか微笑ましそうな声が掛った。「廊下を走らないように」、では無くて……。
「気を付けて下さいよ、……また、転びますよ」

 ■

「セレスティさん!」
「おや、……ヨハネ君?」
 修一の代わりに建物から駆け出して来たのは、ヨハネだった。
「あなたもお泊まりだったのですね」
「ええ、あの、今中でセレスティさんの秘書、さん、……さん……? ……まあ、いいや……陵さんに御会いして、セレスティさんもお出でだと伺いましたもので……」
「それはまあ、御丁寧に」
 常からの、特にこの青年神父には注がれる事の多い穏やかな笑顔をセレスティは浮かべた。
 ヨハネは、未だきょろきょろと周囲を見回している。
「あの、モーリスさん、は……。御一緒だと伺ったのですけれども」
「──ああ、……彼ですね」
 セレスティは、苦笑とも取れる笑い方をした。
「御友人を見付けたようで、今さっきあちらへ」
「……?」
 そこへ、荷物を置いて来たらしい修一が再び姿を見せた。それを視界に認めながら、セレスティは「探してみましょうか」と提案した。

 ■

「ああっ、……モーリスさん!?」
「やあ、ヨハネ君も一緒だね」
 モーリスは、ヨハネの見知らない──が、誰か似たような人間を知っていた気がする──少女と一緒だった。誰に似ていたのだろう……、と顔を良く見ようにも、彼女の前髪はやたらと長く目許を完璧に覆っていて、その術が無い。
 彼女は彼女で、ヨハネの傍らの二人に反応したようだ。
「あ、総帥に陵!」
「御機嫌よう、レイ嬢。あなたも療養にいらしたのですか?」
 麗人の御機嫌麗しい事は相変わらずである。
「んな訳無いでしょッ! 連れて来られたのよ!」
「それはお気の毒に。然し、中々面白い所ですよ。……ねえ、ヨハネ君?」
「……誰、あんた」
「失礼ですよ、仮にも神父様です」
 失礼千万なレイの呟きを鋭く窘めたのは修一だが、「仮にも」と云った時点で彼も同様に失礼だろう。──然し、叙階を受けた聖職者にしてはこの小柄な青い瞳の青年が、少年とも見える程に歳若い事を考えれば仕方の無い事だと笑って許して頂きたい。
「うわ、中国風神父様?」
「えええぇぇっ!? いえ、ああぁああのですね、ここここここれはそのおぉぉっ、宿の浴衣なので仕方無い訳で──、」
「──ヨハネ君、」
 やや礼儀に欠けたレイはどうせ自己紹介も忘れているだろうから、と適当な所でセレスティは片手をヨハネの肩に、もう片手をレイへ差し向けて微笑み掛けた。
「ヨハネ・ミケーレ君。修一君の仰るように神父様でいらっしゃいます。ヨハネ君、結城・レイ嬢です。東京でメッセンジャーをやっておられるのですが、……そう、あなたも良く御存じの磔也君のお姉さんなのですよ」
「は、何、あんた可哀相に、あの不良に何されたの!?」
「えええええええっ(滝汗!!? いえ、あのですね、そんな、磔也君とはお友達としてお付き合いさせて頂いておりますだけで、そんな、何をされたですとか……、」
「うわ、信じらんない、あれと友達!? ああ、流石神父様だわ、なんて慈悲深い人かしら」
「あぁあああの……ですね……、……ええと、ちらりとはお話を伺った事はございましたけれども……、……磔也君のお姉さんでいらっしゃるんです、よね? お世話になっております、あの──」
「って云うか総帥!」
「あら?(汗」
 俄に挨拶を躱されて、バランスを崩しかけたヨハネの耳許にセレスティはそっと「彼女が他人の話に耳を傾けないのは常からの個性ですから、気に為さらない事です」と囁いてから笑顔でレイに応えた。
「はい?」
「お願い、私を東京に帰らせて」
「……、」
「総帥なら出来るでしょ?」
 両手を祈るように組んで懇願する──然し彼女の立ち直りの早さを考えれば哀れを感じる程でも無いので──レイの希望は、麗しい財閥総帥の笑顔に拠ってあっさりと却下された。
「そう、お急ぎになる事も無いでしょうに」
「帰りたいの──!!!」
「──無駄ですよ、……何故ならば」
 とん、と肩に置かれたモーリスの手を邪険に払おうとしたレイの手は、それに続いた言葉を認識した途端に止まった。
「──既に結界の中ですね、……どなたかの」
「……は……」
「……、」
 黙したままのセレスティとモーリスは目線を交わした。
「……ええ。……そうですね。今のままでは、蓬莱館へも戻れないでしょう」
「ぇえええええっ!?」
「何それ!?」
 同時に声を上げた2人の内、然りげなくヨハネの肩にだけ優しい手を添えながらセレスティは目を細めた。

 ■

「……どうしてこう……好むと好まざるに関わらず僕のような平凡な人間が奇妙な出来事に遭遇しなくてはならないんですか……、」
 修一は、──流石に良い大人なので騒ぎはしないが、片手で目許を覆ったまま絶望的な声を発していた。
「今更それは云わない約束ですよ。……ねえ?」
 にこり、とモーリスが溜息を吐く彼に微笑み掛けた。この青年の心は忠誠心という物で以て既に主人の物であるからどうする気も無いが、それでも、好みの美青年が途方に暮れた様子を観察するのはその状況が深刻で無いならば楽しいものである。
 セレスティは整然とした言葉を続けていた。
「……逆に、結界で以て空間を崩す事も可能ですが、……術師に悪意は感じられません。そうであれば、強行手段に訴えるよりも、本人にお会いしてお話を伺う方が良いように思いますが……如何でしょう?」
「術師って……、……まさか、アイツ、」
 舌打ちするレイに、セレスティはやや表情を緩めて微笑み掛けた。
「お心当たりでも? ……先程、連れて来られた、と仰っていましたが」
「神父様」
 妙に明るい声で、レイは鉾先をヨハネに向けて彼をくるりと振り返った。
 この場合、セレスティを無視したと云うよりは寧ろ、現実逃避に走ったと見て間違いあるまい。
「は……はいぃっ!?」
 慌ててびくり、と肩を強張らせたヨハネの背筋を妙に冷たい物が走った。──きらきら、と彼女の目が絶望的に煌々しく輝いている様子が、前髪越しにも伺えるようだ。
「私を祝福して」
「ハイッ!? ……え、ぇええぇええ、あの、それはあの、僕は神父の端くれですので祝福は致しますけれども、あの、それにしても一体何を祝福すれば良いのでしょうか……(この状況下に於いて……)、」
「……、」
 ──くす、とモーリスが忍び笑いを隠すように片手を軽く口許にやった。弟と同じで、神経がキレると妙な形で現実逃避に走る彼女とこの際そのとばっちりを喰った、然し純粋で慈悲深い性格が故に生真面目にもまともに付き合わされる事となってしまったヨハネ君。
 興味深い光景だ。
 が、助け舟は出さない。何故って、観察していて楽しいもので。
「私……、」
 そう呟きながら、視線をヨハネから在らぬ中空へ移動させたレイの表情からは笑みが一瞬にして消え、その代わり殺気のような気配が発せられていた。
 「案ずる事勿れ、私である、恐れる事は無い」神に使える聖職者、某氏の言葉を借りれば「要は殴られても殴り返さねぇ類の人間」ヨハネさえ、その豹変ぶりには恐れを感じて2歩後ずさった。
「──一生、仏教なんか信仰するもんですか──!! 巫山戯んじゃないわよ勘違い仏教被れ! 何のつもりか知らないけど、こっちにはキリスト教徒が居るわよ、やるならやってやろうじゃない、宗教戦争するッ!?」
「あぁああああああの、駄目でございますよ、信教というものは自由に、各々の心の支えとなるべきものでございまして──それはそう、音楽も一緒ですけれどそのように──間違っても争いの種になってしまうなんて事は、何とも悲しい事でございます──」
「煩いッ! 神父なら黙って聞いてなさいよッ!!」
「ぇええええええええっ!?!?!?(滝汗)」
 それ、何か間違ってませんか……、──倖い、更に後ずさったヨハネのややぐらりと傾いた身体は、倒れる前に華奢な白い手、優美な財閥総帥の手に支えられた。
「ですから、お気に為さいませんように。神父様としては聞くに耐えない、悲しい主張かもしれませんがあの主張こそ彼女の信教のようなものなのです。黙って叫びたいだけ叫ばせて差し上げるのが、彼女への一番の祝福ですから」
「……、」
「……喧しい……、」
 手を額にやったまま俯いた修一へにこやかな笑みを向けようとしたモーリスは、その前に気配を感じて背後を振り返った。

「ZERO──、」

「……おや、」
 誰かが近付いて来る。──術師だ。
 然し、何とも派手な外見だ。背が高い、髪が生れつきならともかく、脱色した事が明らかな銀色、ついでに瞳も右だけ銀色、パンク被れとしか思えない服装に白いラバーソール、声がやけに良く通る上にイントネーションがおかしい。表情が、場にそぐわない程底抜けに明るい能天気な笑顔。顔立ち自体は端正だが、あのセンスは少し自分の好みからは外れるかも知れない。
 とかそういう事を余裕な精神で思うモーリスも、どこか常人離れしているようである(今更ですか?)。
「何や、まだ居ったんかいな」
「卍ぃ!! あんたね!? この結界とやら!」
「うんそう」
 振り返って卍、と青年を呼んだレイの表情たるや、確信犯でも「私に罪は無いのです、そうなんです」とモーツァルトのアリアでも歌いつつ逃げ出したくなるようなものだった、が、青年はあっさりと肯定した。
「いい加減に──」
「あ、や緊急事態よ緊急事態」
 にこにこと宣う青年、卍はあっさりとレイの怒りを賺して後、その視線をセレスティ、モーリス、ヨハネに向けてやや、狡猾な光を宿した目を細めた。
「まあ、良かったやん、生き倒れんで。……友達?」
「誰が(総帥と神父様はともかく、問題はもう一人だ)……──」
「ええ」
 ひょい、と軽く伸ばした手でレイの口を塞ぎ、モーリスは否定を皆まで叫ばせずに友好的に形作った笑顔を卍へ向けた。
「自己紹介は今更として、──まあ、レイ嬢にでも聞いて頂ければ良く分かる事ですからね」
「何ですってぇ!? 弟に妙な事吹き込もうとしてる極悪人とでも紹介されたい訳、あなた、」
 手の力を緩めてみれば、レイは(鑑賞する分にはそこそこ愉快だが)会話を中断させるしか能の無い云い掛かりでモーリスの言葉を遮ってしまう。閉口する代わり、彼は「ちょっと黙っていて貰えるかな」と第三者には魅力的な笑顔で彼女の耳許に囁き、ニヤニヤとしている青年へ言葉を次いだ。
「お聞かせ願えるかな、その、緊急事態とやらを」
「知りたい?」
「ええ」
 モーリスは、自身の背中に護るべき人達、──主たる財閥総帥と、繊細な青年神父の視線を受けながら微笑んだ。彼の緑色に輝く瞳は美しいが、然しそこだけは優美な笑顔の中でも笑っていなかった。
「危険が及んでからでは遅いのでね。──結界であろうと、緊急事態であろうと、悪意が在ろうと無かろうと、容赦せずに済むのは気が楽だけれど」
「あー、」
 動じない卍は、矢張り緊急事態とも思えない緊迫感に欠けた笑顔でそれに応えた。
「大丈夫よ、そんな物騒な事やないし。少なくとも、死人が出るとしたら『100年前の人間』な」
「……ん?」
 ──何の事、と問う前に、更に3人の男女が合流した事で、追求は一旦後回しになってしまった。

【XXX'】

 ……ただ、奏原さんの魂へ主のお慈悲がありますように、と祈るばかりでございます。

 少し、ほっと致しました。
 ヴァイオリニスト、音楽を生きる糧とする方が、人を殺めたりはしなかったと云う事、……これも主の御加護、ですか……それだけに、自ら命を断ってしまわれた事が何とも惜しいのでございますけれども、奏原さんには救いがございます、……きっと。
 キリエ、鎮魂歌が口を付いて出たのは咄嗟の事で良く考えた訳では無いのですけれど、あの時は、せめて神父の端くれとして、そう、せめてものお慈悲がありますように、との祈りを込めていたのでございます……。

 ……それにしても、音楽は時には恐ろしい誘惑とも成り得る物だと、少し恐れてしまいました。
 ……けれども、信じたいのでございます。
 最終的には、奏原さんに取っても音楽が、救いとなったのだと。
 聖歌だからであるとか……僕が聖職者だからとか、では無くて、……驕りかも知れません、ですけれども、音楽を愛する人間として、心よりそう願っております。

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■   登場人物                  ■
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【1286 / ヨハネ・ミケーレ / 男 / 19 / 教皇庁公認エクソシスト・神父/音楽指導者】

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■         ライター通信          ■
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御存じのように私のNPCはあまり根性の宜しく無い人間でございまして、であるからしてヨハネ君のような心優しいPCをお預かりした時にはNPCにも反映されたWRの性格の悪さが影響してしまわないかと不安でドキドキしてしまいます。
……大丈夫だったでしょうか!
本当はオルガンを是非弾いて頂きたかったのですが。
もしも許容範囲でしたら、また……何かの機会にどうぞ……オルガンを弾いてやって下さいませ。
それでは、有難うございました。

x_c.