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余暇の過ごし方
2、花と猫と
一晩中、声が聞こえていた気がする。
その正体も場所も定かではない。だが、誰かがどこかで話し、笑い、騒いでいた。
初めは気にしていた子らも、直ぐに安らかな寝息を立て始めた。赤紫と白の色違いの浴衣に袖を通した、式神の名は悠と也。
斎悠也の幼い同行者達であった。
悠也は窓辺の藤イスに腰掛け、まだ明け切らぬ紺と茜の混じる空を、一人静かに見つめていた。
細い雲が長くたなびき、昇り来る太陽の鮮やかな光に、輪郭を輝かせている。
仕事帰りに見る空よりも、少しだけ早い刻。
悠也の思いは、どこに留まるでもなく彷徨っていた。
うんと、唸って也が寝返りを打つ。
起こさないよう、じっとしている悠也の前で、少女はもぞもぞと眠たげな顔を上げた。
「悠ちゃん、おはようございます♪」
その声で、隣の悠も目を覚ます。
「おはようございます☆」
「まだ、寝ていても良いですよ」
苦笑気味の悠也に、二人の足がパタンパタンと布団を叩いて抗議した。
「目が覚めちゃったです☆」
「悠ちゃん、お風呂に行きたいで♪す」
「そう言えば、昨日寝る前に約束しましたね」
「しましたです☆」
「です♪」
だが、こんなに早い時間だとは。
悠也は三人分の支度を整えると、はしゃぐ式達を連れ、大浴場へ向かった。
「貸し切りですね」
脱衣場にひと気はない。
内湯の扉を開くと、白い湯煙が舞い上がった。冷気におされ開けたそこに、黒い大理石と広々とした浴槽が広がる。
「おっきいお風呂〜☆」
「ひろいです♪」
「泳いじゃ駄目ですよ」
湯を掻き分け、悠也は窓際で目を細めた。
さきほどよりも、朱が強くなった空。いつも見ている色に、近づいてゆく。
「悠ちゃん、このドア開けても良いですか?」
「お外のお風呂に行きたいです♪」
物思いにふける暇は無いようだ。
悠也は困ったような微笑を浮かべ、二人に向かって頷いた。
「転ばないように気をつけてくださいね」
二人の声が扉の向こうへ消える。
悠也の周囲は、ただ湯船の外へ流れる、ザーザーと言う湯の音だけとなった。
だが、それも束の間であった。直ぐに喧噪が戻ってくる。
「悠ちゃん、楽しかったです☆」
「もう、出たいです♪」
烏の行水もこれほど早くは無いだろう。
悠也は二人を先に出させておいて、しばらくの間、ゆっくりと湯に浸かっていた。
「わ〜、広いです☆」
「広い、広いです〜♪」
保護者の目が離れた二人は、右往左往しながら館内を走り回った。悠也が部屋に戻っているであろうと言う時刻になっても、悠と也は彷徨い続けていた。
「お声はするのに誰もいないです」
「お化けです」
きゃーっと騒いで、だだだっと駆ける。
そして、どんと何かにぶつかった。
「ごめんなさい」
「なさいです」
ぺこっと頭を下げる悠と也に、その女は膝を折って、視線を提げた。閉じたままの目が、まるで見えているかのように二人を交互に見比べる。
「おはよう。良く眠れたかしら」
「おはようございます☆」
と、二人は高峰沙耶に挨拶をした。
「眠れました☆」
「ました♪」
「そう。良かったわ。今日は、あなた達も知ってる人が来るわよ」
立ち上がる沙耶の顔を追いかけて、二人のそれも上を向く。
「探偵さんよ」
「武ちゃんですか?」
「ですか?」
「ええ。面白いものを渡しておくから、あなた達も興味があったら、行ってみてちょうだい」
二人は喜色満面で、回れ右をした。
「悠ちゃんに伝えるです☆」
「帰るです♪」
そして、来た時いじょうに慌ただしく、悠也の部屋へ駆け戻った。
「悠ちゃん、ただいまです」
「沙耶ちゃんに、逢ったです♪」
「随分と色々な場所へ行って来たようですね」
悠也は戻ってきた二人に、向かいの籐イスに腰掛けるように言った。
テーブルには、冷茶の入ったガラスの茶器が三セットと、杏仁豆腐が置いてある。
美味しそうだと騒ぐ二人の湯飲みに、悠也は茶を注いでやった。
「温泉へ行っている間に、誰かが置いていってくれたんですよ」
ツルリと冷たいのどごしと、ほのかな甘さに悠と也の話も弾む。悠也は二人から草間の話を聞いた。
「武彦さん達が来るのは午後でしょうね……それまで、また温泉にでも行きましょうか」
「はい、です☆」
「です♪」
と、言って、あの短時間の入浴では、いったい何度入れば良いのだろう。
無邪気な顔でスプーンを口に運ぶ二人。
悠也はくすりと笑った。
「少し、ゆっくりし過ぎたようですね」
「誰もいませんです」
「寂しいです」
ロビーで落ち合えれば、と期待してやってきた悠也であったが、そう上手くはいかなかったようだ。
見えないざわめきはあるものの、生身の人間は一人もいない。
「どうしましょうね」
悩む悠也の後ろから、足音が近づいてきた。
肩ほどで揃えたウェーブ、村上涼である。
「あら。キミも温泉?」
「ええ。昨日から。……武彦さんの部屋がどこか知りませんか?」
「知ってるわよ。『桜林の間』」
涼は左手に続く廊下を指さした。
「いるかどうか、わからないけど」
と、付け足す涼に、悠也は微笑を浮かべ頷く。
「分かりました。ありがとうございます」
「まぁ、いても長居はすすめないわね、うん」
悠也は涼と別れ、教えられた部屋へ向かった。
『桜林』とプレートのかかる扉をノックする。
だが、反応はない。
やはり留守のようだ。諦めて踵を返そうとする悠也の前で、隣のドアが開いた。
顔を出したのは、真名神慶悟だ。
「草間なら、出かけたようだが……」
「そうですか。高峰さんから、武彦さんを訪ねるよう勧められたのですが」
軽い挨拶を交わして、悠也は沙耶の話を切り出した。
「ああ、例の話か。草間がメモを持ってる。二人で動いているからな。一枚余計にあるだろう。宿の周りにいるはずだ」
草間が行動を共にする者と言えば、彼女だろう。
悠也は頷きながら、シュライン・エマを思い浮かべた。
「分かりました。行ってみます」
ロビーを突っ切り玄関をくぐる。
果たして、時間がずれたことは幸運だったのかもしれない。
右手から歩いてくる、シュライン・エマと草間に落ち合えた。
草間は、湯飲みを乗せた手提げ盆を持っている。三つに水が入っていた。
「あら。こんにちは」
「良かった。探していたんです。面白いものを渡しておくから、と高峰さんに言われて」
二人の式が頭を下げる。悠也は、二人を見下ろす草間から、メモを受け取った。
「あぁ、興味があるかどうかわからないが、これで良かったら、持って行ってくれ」
「良いのですか?」
「私たちは、他にあるの」
と、シュラインはもう一枚の紙を取り出す。悠也はニッコリと笑って頷いた。
「では、俺も行って来ます」
「ええ、気を付けて。北西は難所よ?」
二人を見送った悠也は、まずメモに目を落とした。
悠と也は退屈そうに、悠也の周りをウロウロと彷徨っている。苦笑を覚えつつ、じっと紙に見入る悠也の袖を、悠はぐいと引っ張った。
「悠ちゃん、お池があるです☆」
「行ってみるです♪」
砂利敷きの庭。
樹海との境界は細い竹藪である。
敷地の隅に小さなひょうたん池があり、真ん中に羽を広げた鳥の像が建っていた。朱雀に良く似ている。
二人に手を引かれながら、悠也はメモを見下ろした。
これを見る限りでは、池というより、井戸をさしているように思えるのだが。
三人は池の縁に立ち、中を覗き込んだ。水に沈んだ像の足下に、五十センチほどの真っ黒な穴が開いている。
地の底まで続きそうな、不気味さだ。そこから水が湧きだしている。
「六時は南……方角は間違ってはいないようですが……。動物──獣でしょうか」
悠也はその水に手を浸してみた。かなり冷たい。
「悠ちゃん、お水、汲んでもいいですか☆」
「ですか?」
振り返った悠也は、二人が手にしているガラスの急須に気がついた。
「それは……朝の」
杏仁豆腐と共に置かれていたもの。
いつ、持ち出したのだろう。悠也は苦笑するしかなかった。
「飲んでみたいです☆」
汲み上げた急須の水を掲げ、悠が言った。
悠也は微笑を返す。
「猫になってもしりませんよ?」
悠は面白いとはしゃいで、急須の水を掌にすこしだけ注いだ。それをコクンと飲み込む。
だが、特に大きな変化は見られない。
「美味しいです☆」
と、言って笑った。
「ここの水ではないのでしょうか……」
悠也は首をひねった。
メモをもう一度見下ろす。
そこへ、ジャリジャリと石を踏みつつ、誰かが近づいてきた。
ずんぐりとした白と黒の体。
ほこほこと頬が上気しているのは、湯にでも浸かってきたのだろう。
ぺんぎん・文太であった。
「また、お逢いしましたね」
悠也の言葉に文太は手をあげた。手帳を切り取ったようなメモを持っている。どうやら目的は同じのようだ。
文太は池の中を覗き込み、次に悠へと目を移した。
急須の中身を気にしている。
悠はしきりと目をこすり、欠伸をし始めた。そして、おもむろにしゃがみこみ、目を閉じてしまう。
蒼天に見下ろされた午後。
実に気持ちよさそうに、眠っていた。
「どうやら、この水で間違いないようですね」
悠也はそう言って、悠を背負った。
それまで悠が持っていた急須を、文太が手に取る。
「預かっていただけるんですか?」
こっくりと頷く文太。
「これから他の場所へも回るつもりなのですが……」
一緒に行きましょうか、とその声に、文太は大きく手を挙げた。
庭から続く、細い砂利道と竹垣。建物の終わりは、鬱蒼と茂る緑に阻まれて伺えない。
悠也は時々、背中の式を背負いなおした。熟睡はしていないようである。目を覚ましては、顔の向きを変えた。
「次は、時進めの効果があるようですね」
文太はすでに謎を解いているようだ。
顔を縦に振った。
やがて一行は、白い虎の像の前に辿り着いた。
四肢を踏ん張り、首をやや落とし気味にして、悠也達を睨んでいる。その口に、柄の長い白木のひしゃくを銜えていた。
「朱雀の次は、白虎ですか」
悠也とほぼ同じ高さの像は、半分が台座になっており、中が空洞だった。そこに池の底で見たような、黒い穴が開いていた。
文太と也が、その穴を覗き込む。
「何か見えますか?」
「お水が見えます☆」
西の井戸だろうか。
だとすれば、『年寄り』の効果をもたらす水だ。
文太がひしゃくに手を伸ばしているのに気づき、悠也はそれを取ってやった。
「飲むのですか?」
文太は頷いて、水をすくった。無色透明なそれを、こくりこくりと大事そうに飲み干す。
そして、ひしゃくを悠也に返した。
果たして、これで良かったのだろうか。
まもなく文太は、腰を折って歩き出した。少し行っては立ち止まり、背筋を労っている。パムパムとフリッパーで、腰を叩いた。
「……大丈夫ですか?」
と、悠也が声をかけても、文太は振り向きもしない。
「大丈夫ですか」
やや、大きな声でもう一度問いかけると、文太がゆっくりと振り返った。かなり反応が鈍い。
どうやら、立派な老ぺんぎんになってしまったようだ。
「ぺんぎんさん、面白いです♪」
也は拍手をして、喜んだ。文太の目がまんまるになる。
何故か、とても嬉しそうであった。
そして、突然ものすごいスピードで、元来た道を走り出した。
「悠ちゃん、ぺんぎんさん、どうしたですか?」
「どうしたのでしょうね」
二人は顔を見合わせた。
きっと、何か思うところがあったのだろうと。
「とりあえず、先へ進みましょうか。次は北西ですよ」
「はいです♪」
「それにしても、大きな旅館ですね」
歩いても歩いても、終わりが見えてこない壁。
果たして、目的の場所へはたどり着けるのだろうか。
そんなことを考え始めた頃、前方の垣根から突き出している白いものに気がついた。
「あれは──」
大きな口をあけ、今にも獲物に食いつこうとしているような、ヘビの像。尻尾は垣根の中で、何かに絡みついている。
「悠ちゃん、亀さんがいるです」
覗き込んだ也が言った。
背中の悠が落ちないよう、気遣いながら腰を屈める。
確かに、藪の中に亀がいた。頭は垣根の向こうを向いている。首から下がったロープの端に、木桶がくくりつけられていた。
亀が見つめているのは、鼻先にある煉瓦の石組だ。
「どうしますか?」
問われた也は、こっくりと頷いた。
「お水、あるですか? 飲んでみるです♪」
垣根の向こうに手を伸ばし、悠也は木桶を使って水を汲み上げた。ガラスの急須に移し替えたそれを、也は幼い掌に少しだけ注ぐ。
「ここは、花になる効果があるようですよ」
「なりたいです♪」
也は水を飲み干した。
悠の時と同様、ゆっくりとその変化が現れる。
也は、おもむろに太陽を見上げ、両の手を伸ばした。
そしてそのままの体勢でにっこりと笑い、動かなくなる。
日光浴だろうか。
とても幸福そうだが、悠也には苦笑の種となった。
これ以上の探索は無理であろう。
三つの井戸の効能を目の当たりに見れば、東は確かめるまでも無い。
悠也は二人を抱きかかえ、ロビーにとって返した。建物に入るなり、也は悲しげな溜息をついた。
「どうしました?」
下ろしてやると、か細い声を吐き出す。
「……お日様がなくなったです」
しょぼんとする小さな頭。
悠也はそれを撫でてやった。
コツコツと誰かが近づいてくるのを、悠也は背中で聞いた。
「悠ちゃん、眠いです」
「一度、武彦さんのところへ寄ってから部屋に戻りましょう」
青年が、也の背後を通り過ぎた。
目があったが、互いに挨拶はしなかった。
悠也の知らない男であった。
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■ 登場人物 ■
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【整理番号(昇順表記) / PC名 (年齢) > 性別 / 職業】
【0164 / 斎・悠也 / いつき・ゆうや(21)】
男 / 大学生・バイトでホスト(主夫?)
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■ あとがき ■
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こんにちは。紺野です。
この度は、高峰温泉へのご参加ありがとうございました。
いつもと形式が違うので、微妙に戸惑いつつの執筆でしたが、
いかがでしたでしょうか。
少しでも楽しんでいただければ幸いです。
なお、個別についての補足です。
共通ノベルの『2』が無いことにお気づきかと思いますが、
そこが個別として、皆様のお手元に向かっております。
行動のかけ方による、それぞれのシチュエーションや文章量は、
参加くださったみなさま全員が、同じではありませんので、
どうか、ご了承くださいませ。
>悠也さん(個別キーワード『温泉』『散策』)
謎解きはパーフェクトでした(笑)。
プレイングが『朝風呂』スタートでしたので(爆)、
はて、どうしようかと悩んだ末、
個別が異常な長さになってしまいましたf(^▽^;
すすす、すみませぬ。
許してくださいねねね?(滝汗)
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