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水辺に浮かぶ二つの奏鳴曲(ソナタ)
〜Capitolo della stella.〈月の章〉
IV-a
その瞬間、匡乃は思わず、呟きを零し落としていた。
「……これは、」
ただの風では、ありませんね。
前方で、裕介が叫んだその途端――強い風が、吹きつけてきた。
霊の波動を、帯びた風。女を中心に、地面に敷き詰められた桜の花弁が渦を巻く。
幸い、風の核からは離れているためか、ここに吹いている風は、少し風の強い日のもの、といった程度のものであったのだが。
「セレスさん、大丈夫ですか?」
ふと、匡乃は、隣の影が、軽く傾いでいた事に気がついた。
その声に、未だに何かしら愚痴を零していたユリウスも振り返り、
「……ああ、そうでしたね」
転びはしなかったものの、それでもどこか、体に力を入れているようなセレスの様子に、ユリウスもはっとして、一つ思い出す。
そういえばセレスさん、足が弱くていらっしゃるのでしたものね。
足腰の強めの人ですら抵抗に感じるであろうこの風を、無論セレスが、心地良いものとして感じているはずがない。
尤もユリウスとしても、
「私もこのままですと、立ってるのすら面倒になってしまいますからね」
先ほどから、面倒だ、面倒だ、と。
麗花がこの弛み具合を聞いていれば、ユリウスは張り倒されていたに違いない。
そうしてユリウスは、繰り返す言葉のとおりに、心底から面倒くさそうに、どこからともなく、一本の硝子の小瓶を取り出していた。慣れた手つきで蓋を抜き、そのままセレスと匡乃、自分との目の前を横切らせる形で、聖水の散布で一本の線を引く。
そうして身をかがめると、小声で呪文のような異国語を紡ぎ出し――、
刹那ふと、押し寄せていた風が、止んだ。
「……ユリウスさん」
ただし、空間に起こった変化といえば、本当にそれだけのものであった。
それを知り、匡乃は知らず、呆れたようにユリウスの名前を呼んでしまっていた。
――何ですか、面倒だ、何て仰るものですからね、
何を、やって下さるのかと、思っていたのですけれど。
何だ、そういう事ですか――と、はっきりと口にするその代わりに、思うその旨を、瞳で意思として付け加えれば、
「別に、高みの見物だなんて、そんな事は思っておりませんけれども」
簡易結界、というよりも、障壁を張り終えたユリウスが、勝手に答えを返してくる。
そのままユリウスは、麗花達の方へと視線を遣ると、
「まぁ、瑠璃花さんは少々心配ですが、裕介君と麗花さんとがいれば大丈夫でしょう。いざとなった時に、手を貸せば良いだけの話ですからね」
「そういうのを、職務怠慢とは言いませんか?」
「おや、そんな事は無いですよ? 例えば小さい子どものお着替えに、いつまでも手を貸しているわけにはいかないでしょう? それにですね、Crescit enim cum amplitudine rerum vis ingenii.〈無垢なる者の力は、課される命題の大きさにより成長する〉≠ニも言いますし」
「Bonae leges malis ex moribus procreantur.≠ニも言いますしね」
ユリウスの格言引用に、すかさず匡乃もラテン語で言葉を返す。
それを耳に、
「――良い法律は悪い習慣から生まれる、ですか。匡乃さん、手厳しい」
セレスが微笑する。
二人の微笑を受け、ユリウスはおや、と巾着の中に聖水の小瓶をしまいながら息をつくと、
「それではまるで、麗花さんが私のようにはなりたくない、と言っていらっしゃるみたいではありませんか」
「さあ、それはご本人に直接伺うのが、宜しいのではないかと」
そうこう会話を交わす内、いつの間にか風は、ぴたりと止んでしまっていた。
結界の外に渦巻いていた花弁が、自身の重みに、ゆっくりと引力に引きつけられてゆく。
その、雰囲気に、
「……本当にここは、不思議な場所ですね」
静まり返ったその後、不意にセレスが呟いていた。
振り返った二人へと、やわらかく微笑みを向ける。
何となく、働いている力の雰囲気が――香りが、西洋のそれとは、異なっているものであるかのような感じを覚えてしまう。
そもそも、西洋では、
――桜の舞う霊現象など、見られるはずも、ありませんからね。
「そういえば富士は、日本の霊山としては、最高峰であるとも聞きています。実際――ここにいる霊の皆さんは、かなり力もお強いみたいですし」
何かしら、強い想いに、引き止められているような、そんな印象を受けてしまう。
日本的な、そういう現象を見るのには、最も相応しいともいえる場所。
「それはもう、碇女史が、きっちりレポートを狙うくらいですよ、セレスさん」
セレスの認識を、匡乃が肯定する。
それに、
僕が思うに、碇さんはただ誘われたから、来ているというわけでは無さそうですよ。
久方ぶりの休みに、この間は一切仕事をしないと名言していた麗香であったが、逆にあの性格では、蓬莱館で数々起こる怪奇現象に、雑誌の内容を考えずにいる事など不可能にも等しいに違い無い。
付け加えた匡乃に、
「なるほど、そうかも、知れませんよね」
わかりやすい言い様ですね、と、セレスが一つ、納得をする。
「ええ。――僕も、是非レポートを提出させていただこうと思っているのですけれどもね。全く、良いネタが多くて、逆に困ってしまいますよ」
選択の幅が、あまりにも広すぎる。
例えば今回の事も、そうでしょう?――と、匡乃は再び、麗花達の方を見上げて微笑んでいた。
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I caratteri. 〜登場人物
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<PC>
★ セレスティ・カーニンガム
整理番号:1883 性別:男 年齢:725歳
職業:財閥総帥・占い師・水霊使い
★ 綾和泉 匡乃 〈Kyohno Ayaizumi〉
整理番号:1537 性別:男 年齢:27歳
職業:予備校講師
<NPC>
☆ ユリウス・アレッサンドロ
性別:男 年齢:27歳
職業:枢機卿兼教皇庁公認エクソシスト
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Dalla scrivente. 〜ライター通信
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まずは長々と、本当にお疲れ様でございました。
今晩は、今宵はいかがお過ごしになっていますでしょうか。海月でございます。今回はご発注を頂きまして、本当にありがとうございました。まずは心よりお礼申し上げます。
このお話の方は、前編後編の二編で構成させていただきました。この後半は、主に麗花の修行……と申しましょうか、そちらがある意味では軸となるはずでもあったのでございますが、何せ日々サボり癖が酷くなるどっかの誰かさんのせいで結局はカリキュラム(笑)も組まれていなかったようですから、そういう面では、どうだったのかなぁ、と、麗花に同情したくなるような気もあったりするのでございますが……。
それでも、皆様色々とお気遣い下さりまして、麗花としましても、そういう面では非常に為になったのではないかな、と思われます。
ちなみにユリウスは、フォークダンスの果てに疲れ果てて死にそうになってしまったようです。もうかなりの歳になりますのに、無理をするとこうなるのでございますね。……普段の酬いで、あるような気も致しますが。
本編も含めまして、ここで明らかにされなかった部分も少々残ってはおりますが、そのところは、個別の方で、色々と明らかにさせていただいたつもりでおります。もし余力のある方がいらっしゃりましたらば、他の方の個別もお読み頂けますと幸いでございます。所々話が繋がる部分もある事と存じますので……。
では、今回は、この辺で失礼致します。
何かありましたら、ご遠慮なくテラコン等よりご連絡をよこしてやって下さいませ。
またいつか、どこかでお会いできます事を祈りつつ――。
13 maggio 2004
Lina Umizuki
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