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<PCシナリオノベル(シングル)>


罪が支払う報酬

 緑の気配に溶け込んで、神鳥谷こうは一つ息を吐いた。
 高く天へと向かうビル群の合間にひそりと沈む闇色の中で、自分が疲労していた事に気付く。
 吐き出した息と同じ長さで空気を吸い込めば、夜をより深める木下闇は緑の濃い香りで満ちていた。
 ふと、呼吸をする己に首を傾げた。
 傀儡である、自分に必要なのだろうか、と呼吸に耳を澄ませてみる。
 気管を通って肺に送り込まれ、供給される酸素は血液に乗って全身を循環し、また肺に戻って吐き出される…その一連の生体活動の証の筈の、音。
 だが、生命なき部品で構成されている自分には元より無用、人を模す為とはいえ、精緻な仕組みは無駄とも思えた。
 自らの胸に手を当ててみる。
 掌に伝わる一定の律は、生の象徴だと知るが、それが自分にどんな意味を為すのかは解らない。
 ……ただ、ひとつだけはっきりしているのは。
 全てはまだ見ぬ主の為なのだ。
 人の擬態、とも言うべき生命活動を模したからくりも、人の姿を模しているのも、そして秘められた炎を操る力までも、己、こうの為でなく、存在の何もかもが主という一つに懸っている。
 故に、その絶対の欠落はこの上なく虚ろだ。
 こうはまた、息を吐いた。
 主を探せと命じる声は、こうが休息しようとしているのを察してか今は沈黙し、それによって胸を焼く焦燥も僅かながらに引く。
 その縛めが緩めば、こうの思考は同じ所を巡るのが倣いとなっている。
 目覚めてからこちら、まともな会話を交した只一人を思い出す。
 姿形も知らぬ主を捜す手がかりを、己が興味を持つ者に据えればいい。
 そんな助言を与えてくれた青年の言のまま、興味を持てる人間、を焦点に置く事にしたのはいいが、こうの目には老若男女のどれも人間であるという認識しか抱けず、興味にまで発展する事がない。
 徒に、人の流れに沿って歩くだけの日々に、自分を持て余したままだ。
 行き擦りであったあの黒衣の青年ならば、もっと上手い方法で主を見つけるだろうか。
 疲労の濃さが、闇よりも濃い帳を瞼に下ろす……よりも先に。
 夜目に明るい炎が眼前に落下し、こうが咄嗟に身構えるよりも早く一度地に踞るように撓んだ影は、すんなりと伸びて人の立ち姿となる。
「……あれ?」
バサリ、とコートを払う事で纏い付く炎を打ち消し、その、人間……は、こうの姿を認めた横顔で少し笑った。
「こうじゃん」
 円いサングラス越しに笑みかける赤い眼差し、陽にあたっていない薄い肌色より他は、闇に溶けぬ程に黒々と。
「今幸せ?」
 出会い別れた時と変わらぬ姿で、ピュン・フーは同じ問いをこうに向けた。


「ピュン・フー……か?」
唐突な出現に呆然としたこうの呟きに、ピュン・フーは笑みを深める。
「主、めっかったか?」
気楽に聞いて頬を擦った指が頬を黒く汚すのに気を取られ、ピュン・フーの言葉を解するまでに間がかかった。
「…………いや、まだ」
胸中に渦巻く疑問の中でただ一つ、指向性を持った答えを発するこうに、ピュン・フーは眉を上げた。
「なんだ、その格好ならすぐめっかると思ったのになぁ」
そうしげしげと眺める…こうの着衣は先の出会いにピュン・フーが俄スタイリストと化して買い与えたものだ。
 襟併せのしっかりしたシャツはごく淡いグレー、厚手の綿生地のスラックスと合いの季節に良い薄手のコートは白、と銀というには光を弾かずに青を帯びる髪の色が自然に馴染み、何より琥珀に眼差しの透かす瞳だけが色彩を違えて映える。
 そんな気遣いを持つなら黒一色で固めた自分の形もどうにかしたが良いのでは、と心からの忠告を発するにはこうはまだ己も世間も知らなさすぎた。
 とはいえ、服を変えただけで主が見つかるなら苦労はない、こうは自信ありげだったピュン・フーに素直にその真意を問う。
「え? こうが主を見つけたらさ」
ピュン・フーはぱちんと軽い音で両手を併せ、軽く傾げた首にその角度に併せた。
「主色に染まります♪ みたいな?」
 白を基調にしたコーディネートの真意は、花嫁衣装のそれであったらしい。
 が、いい年齢こいた男に、可愛い子ぶりっ子されても。
「…………」
口を噤んだこうの次の反応を待ってか、首を傾げたまま止まったピュン・フーに、両者の間にただ沈黙が横たわる。
「動くな裏切り者!」
それを声で割った唐突な第三者に、申し合わせたかのように顔を向ければ、離れた位置に一人の男が立つ。
 その手に鈍い金属が握られているのを何気なく確認して、こうはピュン・フーはまた視線を互いに戻した。
 物問いたげなそれを受け、ピュン・フーはぽん、と掌に拳を打ち付ける。
「そいえば鬼ごっこの最中だった」
鬼ごっこ、という和やかな響きに反して、その第三者…ピュン・フーと同じく黒一色で身を固めた男からは紛れもない敵意が向けられる。
「裏切り……?」
剣呑な単語は、その意と共に口中に転がす。
「一般人か? ならば早く行け。この場を無かった事にすれば、今後の生活に支障はない」
初対面のこうに向けての指示というより命令めいた言に、権力を持つのに慣れた者だと判じ、こうは首を傾げ、問う。
「貴方は俺の主か?」
「………………何だと?」
相手の長い沈黙の間に、ピュン・フーはその場にしゃがみ込んで爆笑していた。
「こう、いいなー、で、チョイスの理由は?」
サングラスをずらして、目尻に浮いた涙を拭いながらの問いにこうは短く答える。
「興味」
 何故、ピュン・フーを裏切り者と呼び、彼に敵意を向けるのか。
 知りたい旨を真意として告げると、ピュン・フーは軽く肩を竦めた。
「そりゃ、そいつに聞くより俺に聞いた方が早いぜ。答えは簡単、俺が裏切ったからだ」
その事態に至った途中経過はなく、結果だけずばりは簡単過ぎる。
 それを傍目に見ていた黒衣の男の方が気の毒になったのか、短いながらもこうに補足した。
「そいつは我々の組織に反してテロリストについた」
その言葉に、ピュン・フーはひらひらと上下に手を振って笑う。
「そうそう♪ だから昔の誼でクスリくらい分けてくれてもいーだろ?」
そのおねだりに返るのは憎々しげな否定である。
「組織に反した時点で、ジーン・キャリアのお前の寿命は尽きたも同然だ。それを見苦しく長らえようとする位なら、素直に飼われていればよかったろうに、よりによって『虚無の境界』に与するなど……!」
「薬?」
ぽつり、とこうが発した疑問を、ピュン・フーが「そ」と短く肯定する。
「アイツ等が持ってる薬がねェと、死ぬんだよ、俺」
台詞はあっけらかんとして、重みも何もない。
「無いと……死ぬ?」
不思議そうに首を傾げ、こうはピュン・フーへ歩を進めた。
 無言のまま、その黒い姿の上から下まで見、開けたコートの前、黒いシャツの上から胸に手をあてる。
 ピュン・フーはこうのしたいままにさせ、それを止めるでない。
 掌に感じる律動。
 こうのそれと違い、それは確かに生の証として存在する。
 脳裏が、死、の概念が弾き出される。
 死、とは生命活動の停止。鼓動が止まる事。動かなくなる事……こうして動く体が肉の塊になる事。
 ゆるゆると朽ちて、ピュン・フーを構成するものが、彼であったものが解けて消えて、しまう。
 どくん、とこうの内側で、人を模しているだけの鼓動が大きく跳ねた、ような気がした。
 胸から生じたそれは一度では収らず、血脈の巡る錯覚を覚えさせて指の先までも満たし、こうの内側に凝って反響する。
「手伝おう」
内側に満ちた鼓動に、自分の声が遠い。
 こうは黒服へ向き直った。
 薬を持つ者。邪魔な…存在。
 それなら、どうすればいいのか、こう、は知っている。
 初めて、自分の内側から何かが手繰り寄せられた気がして、こうは知らず薄い笑みを口元に浮かべた。
「……与するならばお前も処分する」
黒服は、そのこうの動きに警戒をしてか銃口をこうに向けた。
 直後、銃は赤い炎を発して燃え上がった。
 黒服が咄嗟に手を離さなければ、それは銃だけに止まらず生身の肉も灼いていただろう…重力に応じて地に落ちた、炎は芯に高温を示した青を宿して瞬く間、取り込んだ金属が融解する。

 人を害するな。

 不意の声が、脳裏に弾けた。
 それは主を捜せと命じる声と同じ……だが、常のそれよりも強く、こうを制止する。
 が、こうは否定に緩く首を横に振った。
 高揚する気持ちのまま、炎を喚びだす。宙に幾つも浮かぶ高温は、周囲を、獲物である黒服を照らし出す。
 金属までも溶かす熱、その炎をぶつければ人の身体など灰までも焼き尽くす事が出来る…確信に、こうは笑みを深めてそして……。
「こーう?」
不意に視界が暗くなった。
 突然の事に戸惑いが生じるが、背後に近すぎる気配と吐息、そしてひたりとした冷たさを感じる掌、に背後からピュン・フーがこうの目を覆ったのだと知れる。
「やんなら、主の為にやんねーと」
苦笑混じりの声に、鳥の、羽ばたきに似た音が重なった。


 こうはその背の一対の翼をまじまじと見た。
 蝙蝠のそれに酷似し、黒い天鵞絨のような皮を張る翼。
「お、あるある」
電柱にめり込んで止まった高級車の助手席の窓に上半身を突っ込んだピュン・フーは、その皮翼を割れたガラスで傷つかぬように器用に倒す。
 その手に銀色のアタッシュケースを掴んで振り返る、動きにバサリと角度を変えて、飾りなどではなく生きてその意のままに動くのだと知れた。
「何? 珍しい?」
空いた手で背を指さし、バサバサと動かしてみせる、妙なサービスの良さにこうは素直に頷く。
「欲しい?」
こちらには首を横に振る。
「まあ、くれっつわれてもやるの難しいけどな」
首を傾けて示されるに、歩き出したピュン・フーの後につく。
 ピュン・フーは軽く眉を上げるとこうをちょいと手招いた。その意図に気付いて横に並べば満足げに頷くのに、こうは首を傾げた。
「ピュン・フー」
「ん?」
返答に代えた、不明瞭に喉の奥から発した音に促されて先を続ける。
「何故、止めた」
銃を失った黒服の男を、尋常でない速度に打ち倒したのはピュン・フーだ。
 実際の所で言えば、こうの助力は不要だったろう…だが、初めて自らの意で為そうとしたそれを止められたのは不満が残る。
 ピュン・フーは「んー」と軽く顎を上げ、視線を宙に向けた。
「こうにゃ、主が居るんだろ?」
問いに疑問もなく頷く。
「なら、俺の為に手を汚しちゃダメだろう」
「だが……」
言い募ろうとするこうを片手で制し、ピュン・フーはすいとサングラスを外して、そこも変わらずに紅い瞳を晒した。
 耳あての先を唇にあて、悩む仕草に眉を寄せる。
「じゃ、こうが主をめっけてから、主がいいっつったらな」
「見つからなければ?」
こうの問いに、ピュン・フーはほんの少し笑みを浮かべ、サングラスでまた目の色を隠した。
「そん時は、殺してやるよ」
濃い遮光グラスに覆われても視線は途切れないが、あっさりと告げた言葉の真意が読めなくなる。
「で、こうはぬくいのと冷たいのとどっちがいい?」
告げた口調と同じ温度で、ピュン・フーは道ばたに見つけた自販機を示し、そのまま足を向ける後ろ姿を見、こうは胸に手をあてた。
 死ぬ、と言われてから、胸の奥に熱いような痛いような、感覚が残っているのを知覚する。
 焦燥とは別に確かな存在を主張する、これは声に反した代償かと、こうは鈍い痛みを鼓動の如く明滅させる左胸を、掌で強く押さえた。