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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


手紙のなかの幻惑

【壱】

 買出しからの帰り際、山際新はふと心を惹かれて祖父江ビルディングのドアを潜った。ドアの正面にカウンターを思しき小さなスペースがあったが、そこに人の気配はしない。ひっそりと古めかしさをまとった品々が腰を落ち着けて、自らがそこの主だといっているような様子である。辺りを見回すとどれもこれも長き年月を重ねてようやく安住の地を見つけたとでもいうようにして、そこかしこに腰を落ち着けている。雑然とした雰囲気のなかに密やかに香る穏やかな気配。静かな時間の流れを許容しているかのようなそのやさしさに、新は何を手に取るでもなく辺りを見回しながら狭い屋内を歩きまわり、ふと視界が開けた先にあった階段に目を止めた。二階もあるのだろうか。思って、コンクリートの無機質な階段に爪先を載せる。靴音さえ響かない。階段にも多くの品々がひしめき合って、少しの衝撃でも崩れてしまいそうな気配である。
 静かにゆっくりと階段を昇りきると、今度は壁一面が書架になっている。床や調度品のように設えられたテーブルなどの上にも書物が積み上げられ、その様子はさながら古書店のようである。
「いらっしゃいませ」
 不意に声が響いて、そちらに顔を向けると堆く積み上げられた書物の間から穏やかな微笑を湛えた青年が顔を覗かせている。細い銀縁のフレームをそっと押し上げて、書物を崩さないようにして奥から出てくる青年は、祖父江涼夜と名乗った。年の頃、また二十代半ばといった青年だったが、どこか年齢には似つかわしくない落ち着きと穏やかさがある。
「勝手に入ってきてしまって……」
 云う新に青年は微笑む。
「いいんですよ。ここは一応博物館であり図書館ですから、出入りは基本的にご自由にして下さってかまいません」
「そうなんですか……。だからこんなにも多くの品物や書物があるんですね」
「蒐集癖が高じてだと云われますが、もしお気に召したものがございましたらどうぞご自由に心行くまでご覧になっていって下さい」
 涼夜は云って抱えていたファイルを手に階段を降りていこうとする。新は不意にその手の内にあるファイルの中身が気になった。
「あの……」
 呼び止めると、どうしました?といったように涼夜がゆったりと振り返る。
「そのファイルの中身を見せてもらってもいいですか?」
 遠慮がちに新が云うと涼夜は一度腕に抱えたファイルに視線を落とし、何かを思い出したようにして再度新に向かい笑って答える。
「えぇ。かまいませんよ。―――ただ少々事情がある品物なので、少しお話を聞いていただいてもよろしいですか?」
 言葉に新が頷くと、涼夜はこちらへと云って上へ続く階段へと新を誘った。その階段も先ほど昇ってきた階段と同じようにして品物が埋めていたが、辛うじて人一人が通れるような場所が残されている。そこかしこに品々がひしめいて、それだけが総てであるといったような建物だと新は思う。人という生き物はこの場所では無力なのかもしれない。そして涼夜という人物は品々に総てを委ねているのかもしれないとも。
「散らかっていてすみません。どうぞこちらにおかけ下さい」
 三階に辿り着くと涼夜は新に小さな応接セットのソファーに座るように促し、簡易キッチンスペースと呼ぶにも慎ましやかすぎるキッチンスペースに立ってお茶を淹れてくれた。ゆったりとした仕草で目の前に差し出されるティーカップは純白の密やかでありながらも滑らかな曲線を描く美しいもので、注がれた紅茶の色を引き立てていた。揃いのものなのか純白の皿の上にはきちんとクッキーが並べられている。
「たいしたものがなくて申し訳ないのですが……」
 申し訳なさそうに云う涼夜に、いいえ、と新は笑って、
「それで事情というのは……」
と切り出した。
 何故か、早く聞きたいような気がしたからだ。涼夜のティーカップの傍らに置かれたファイルのなかに収められた古めかしい紙切れがひどく心を惹き付けるのである。
「とある女性がお持ち下さった手紙なのですが、あまりに古いもので文字が消えてしまっているんです。それで当館に所有させて頂くという代わりに、手紙の内容を教えてほしいとおっしゃるのです」
「消えてしまった文字をですか……?」
「文字は想いを言葉に変えたものですから、そうしたものを読み取れる方を探しているのです。この世界には少なからずそうした方がいらっしゃると思っていますし、私自身もそうした人間の一人ですので、もしあなたがこの手紙に記されている内容を知るために何がしかの協力をして頂けるか、そうした方をご存知であれば教えていただけないでしょうか?」
 この世界に不思議なことなど何もないのだといったような風にして涼夜は云う。新はそんな涼夜の態度に、この青年は世界にある事象を在るがままに受け入れることができる人物なのだと思った。不思議なことを不思議だとも思わずに、すんなりと許容してしまうことができる人物。時々そんな人間に出逢うことがある。そういった人物は皆総じて、驚くくらいに落ち着いて、思慮深く、そして寛大だ。
「僕にできることならお手伝いしますよ。これでも見えないものを見るのは得意なんです」
 隠す必要などどこにもないのだと思って新が云うと、涼夜は静かに微笑んでファイルのなかから今にも破れてしまいそうな古めかしい便箋を取り出し、新の前に差し出した。
「この便箋のなかに記されたものを見ることができるかどうか、試していただけますか?」
 云われるがままに新は手を伸ばす。
「疑っているわけではないんです。ただ、この手紙の所有者であった方がここに記されたものを知りたいとおっしゃるので、がっかりさせたくないのです」
 涼夜の温かな声を聞きながらそっと便箋の表面に手を乗せる。ただの古めかしい便箋が温かい気がした。目蓋を閉じると、見える。閉じ込められ、失われてしまったものがそこに確かにあると思える。本当に現実なのだろうか。新は思いながらそっと手を離した。
「見えますよ。―――きっと所有者であった方ががっかりするようなものではないでしょう」
 新が云うと涼夜は安堵したように笑う。
「それは良かった。では、あなたのお時間が取れる日でかまいません。もう一度こちらへおいでいただけますか?私はあなたが見た文字の世界を、この便箋の所有していた方にお見せしなければならないのです」
「世界を造ることができるんですね」
 その言葉に涼夜は慎ましやかに笑う。
「そんな大袈裟なことではありません。ただ少しだけ、言葉として残されていたもの、想いのような曖昧なものに形を与えることができるだけですよ」
 涼夜はどこまでも慎ましやかな印象を与えた。新はそれに好感を覚え、先の予定を考えながら都合のつく日を告げた。
 そして言葉少なに約束を結び、新は祖父江ビルディングを後にした。

【弐】

「初めまして」
 新が祖父江ビルディングの三階に再び足を運ぶと、そこには涼夜と共に一人の女性がソファーに腰を落ち着けていた。
「あの手紙の所有者だった方です」
 涼夜が滑らかな口調で紹介してくれる。その口調に倣うようにして女性も自らの声で自身の名前を告げた。淑やかなひっそりとした声音だった。
「あの手紙の内容を読み取って下さる方です」
 女性に向かって涼夜は新を紹介する。
 そして二人を自分の向かいのソファーに座るように促すと、間に置かれたローテーブルの上にファイルに収められたファイルを置いた。手紙を汚さないためにお茶は出せないと申し訳なさそうに涼夜は云ったが、新も女性もそれを微笑で受け止めるだけの余裕があった。今必要なのはお茶ではなく、手紙のなかに閉ざされているものなのだと無言のうちに皆が理解していたからだ。
「あの、これは誰から誰へと届けられた手紙なのですか?」
 女性が遠慮がちに問う。その声を受けてか涼夜がそっとファイルから手紙を取り出して、新の前に差し出した。
 古い便箋。所々に染みさえ滲んでいるそれは目で見るにはあまりに弱い過去をまとっている。触れてようやくわかる程度のものだ。
「おばあさまのご友人の方からおばあさまに届けられたものです」
 触れた便箋からひっそりと流れ出す過去を新が言葉に変える。
「何時頃のものなのでしょう?」
 涼夜は二人のやり取りを静かに見ている。
「戦時中のものですね……。随分前のことで、はっきりとはわかりませんけれど」
 云うと女性は静かに俯いて、言葉を待つように沈黙した。心当たりがあるのかないのかはわからない。けれど何かを知っているような気配がした。新はそうした女性の雰囲気を気にかけながらも、言葉を続ける。掌にそっと触れてくる過去を言葉にして、辺りに放つ。どこか哀しい過去を、それでいて温かな温度をまとう過去を、そっと言葉にして現在に届ける。果たしてこれが本当に良いことなのかどうかはわからない。けれど求められているのならと思えば思うほどに、触れる過去は言葉になって現在へと響いていく。
「この手紙の送り主はこの手紙がおばあさまの元に届く数日前に、空襲に巻き込まれて姿を消してしまっています。おばあさまはそのご友人が亡くなったと思われていたようですが……」
 新が言葉を続けていくと、不意に辺りが淡いヴィジョンに包まれるのがわかった。ふと変化に気付き視線を向けると涼夜が静かに微笑んでいる。女性は周囲の変化にきょとんとした顔をしていた。涼夜が視線でどうぞと告げる。新はそれに従って言葉を紡ぐことを続けた。手紙からふわりと沸き立つ過去が、目の前で映像になっていく。その不可思議な光景がとても穏やかに映るのはそれを造りだす涼夜の人柄が影響しているのだろうか。新は思いながら丁寧に言葉を選びながら過去を現在の言葉に還元する作業を続ける。
 無重力空間を漂うような軽さ。自分が肉体という器を失って、意識だけが空中に流れ出していくような錯覚。それでも言葉は音になり空間に響く。
 視覚だけがリアル。
 まだ若い女性が手紙を手に佇んでいる。辺りは空襲にでもやられたのか、寂れた雰囲気は否めない。新が触れた過去が映像となってリアルに現在のなかに現れる。不思議な感覚だった。今まで見てきた常人には見えないものとは違う。もっとリアルな手ごたえがある。映像のもたらす感覚の不思議さを感じながらも、新は言葉を紡ぎ続ける。女性はひっそりと耳を傾けているのか、それとも辺りに広がるヴィジョンに見入っているのかわからない。けれどまっすぐに過去を見ようとしていることだけはわかった。
「手紙には送り主の出征した恋人の訃報が記されていました。けれど今は再会を果たすことができて幸福だと、一緒にいるからとても幸福だと記されています。どこにいるのかといったようなことは書かれていません。けれどおばあさまは二人が共に在ることを確信しています。この手紙を大切に持っていたのは、きっと二人の幸福を信じていたと同時に……とても云い難いのですが……」
 空中に自分の声が彷徨うのがわかる。
「云ってください。……祖母はもういませんから……」
 女性の強い声に促されるようにして新は過去を言葉にする。
「その、ご友人の恋人に想いを寄せていたようですから、嫉妬なさっていようです……」
「同じ女性ですもの……。自分が好きだった男性と幸福でいるなんていう手紙をもらったら嫉妬もするわ」
 女性の言葉だけがリアルな重みを持って響く。
「では、総てをお見せしましょうか」
 不意に沈黙を断ち切るようにして涼夜が云った。
 唐突な速度で現実が戻ってくる。目の前にはローテーブル。新の隣には確かに女性がいて、正面には涼夜が座っていた。何も変わらない。
 重力が戻ってきたのだと思った。
「総て……ですか?」
 微笑と共に涼夜が頷く。
「ようやく総てが掴めました。私だけでは掴めなかったものがようやく」

【参】
 
 世界が反転する。現在が過去へと引き戻されるように、それでいて緩やかな速度で滑らかに傾斜を下り落ちていくようにして、静かに現在を過去が侵食する。
 目の前には過去の情景。
 言葉にせずともわかると新は思う。女性も同じようだった。涼夜は口をつぐんで、眼鏡をそっと押し上げると深く息を吸い込んだ。そしてそっと吐き出すと同時に辺りに一つの映像が浮かび上がる。
「手紙を受け取った数日後のことです……」
 涼夜が補足するように云う。
 目の前には燃え盛る炎。赤々としたそれを一人の少女が眺めている。周囲には喧騒。建物が焼け落ちていく光景。
「おばあさま……」
 女性が呟く。
 少女は至近距離で燃え盛る建物を眺め続ける。まるでその向こうに自分が求めているものが在るようにして、凝っと見つめて動こうとしない。周囲の人間が逃げるよう手を引いても、振り払う。炎の向こうに向けられる縋るような視線。恋い慕う誰かを求める少女の眼差しに、新は片恋の相手を探しているのだと思った。
 白い頬を赤々と燃える炎が照らし出す。
 喧騒より遠く離れて、少女はただ自分の世界に埋没しているようだった。
 恋慕う片恋の相手がいるその世界へと意識を投げ出しているようでもある
 不意に少女が爪先に力をこめた。
 駆け出す少女は止める人々の手を振り切って炎のなかに飛び込んでいく。
 静かな映画を見ているような心地がした。
 飛び散る火の粉を払いのけるようにして少女は建物の奥に進む。先を閉ざす総てを細い腕で振り切るようにして、求める者の傍に行こうと歩を進める。焼け落ちた梁が軋む。木材が焼け落ちていく音がする。爆ぜる音。少女の髪が焼ける。一つ一つの些末なことさえもリアルな映像として目の前に現れる。
 少女はただ必死だ。無言のまま炎のなかを突き進み、手を伸ばす。失ったものに手を伸ばすようにして必死に、過去へ向かって手を伸ばしている。
 ―――どうしてそんなにまでして……。
 新は思う。失われたものにどうしてそんなにまでして逢いたいと思うのだろう。友人への嫉妬。片恋の相手への想い。それだけがそんなにも一人の少女を炎のなかへと駆り立てるのだろうか。片恋とは、嫉妬とはそんなにも強い感情なのだろうか。
 不意に少女の目の前に木材が落ちて、視界を閉ざす。それにようやく我に返ったのか、少女が踵を返そうとした刹那赤々と燃える炎が嘘のように収束し、ひっそりと静かな空間が目の前に現れる。仄かに白く浮かびあがるそれは明らかに現の出来事ではなかった。白い光のなかで二人の人間が微笑んでいる。
 一人は少女と同年代とおぼしき少女。
 その傍らに立つのは軍服姿の青年だ。
 二人はただ、
 何も云わずに、
 微笑んでいるだけだった。
 そこのには感情から解き放たれ、密やかに過去に葬られることを選んだ潔い美しさがあった。
 少女はそれに何かを覚ったのか、涙を堪えるようにして踵を返し、元来た道を火の粉を振り払うようにして駆け出した。
 失った人に会いたいと思う幻想なのだろうか。新は思ってふと傍らの女性に視線を向けた。
 女性はひっそりと涙で頬を濡らしていた。
「……聞いたことがあるんです。祖母から、一度だけ本当の恋をしたって、かなわなかったけれどあれ以上の恋はなかったって。祖父を愛していないわけではないけれど、一生に一度の恋があるならあの時だけだったと云っていたんです」
 正面の虚空を見つめたまま女性が云う。
「恋とは叶わなければ一人の想い出なのでしょうか……」
「それは人それぞれ。想い出とはそれぞれの人の胸の内でだけ本当になるものですよ」
 涼夜が云う。
 そして丁寧に手紙をファイルのなかに収め、
「これは大切に当館の展示品として展示させて頂くことにします」
と微笑んだ。
「えぇ。……お願いします」
 震える声で云う女性に新はぽつりと云う。
「相手が失われても、恋が実らなくともあなたのおばあさまはきっとそれで満足なさったんではないでしょうか?だから文字の消えてしまった手紙を捨てることもせずに取っておいたのではありませんか?」
「そうですね。……祖母は、あの話をしていた時の祖母は本当に幸せそうでした」
「人が人を愛することは、とても難しいことです。互いが互いを想いあえるなんてことはそう滅多に起こることのない奇跡にも等しいことなのだと思いますよ」
 云って、新は自分が今、妻と共にあることができる日々を本当に幸福だと思った。
 失うこともなく、去るようなこともせず、傍らで笑っていてくれる妻がいる日々が本当に愛しいと思った。
「たとえ恋が実らずとも、それを大切に想えることができることは幸せなことだと思います」
 云って新は早く妻の顔が見たいと思った。笑って、いつものように出迎えてくれる妻のもとに早く帰りたいと強く思う。他愛もない日々が、他愛も無い妻の所作の一つ一つを思い出して、いつか失うことになるとしても今傍にある間はずっと大切にしていこうと思った。
 今は、確かに傍にいてくれる。
 失われることもなく、確かに手が触れられる距離で笑っていてくれる。
 それで十分なのだと思って、今触れたばかりの過去の感触を確かめるようにそっと手を握った。






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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2967/山際新/男性/25/喫茶店マスター】


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■         ライター通信          ■
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二度目のご参加ありがとうございます。沓澤佳純です。
手紙の内側に宿る過去を大切に扱って下さいましてありがとうございます。
このような結末になりましたが、少しでもお気に召して頂ければ幸いです。
それではこの度のご参加、本当にありがとうございました。
今後また機会がありましたらどうぞ宜しくお願い致します。