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<PCシナリオノベル(シングル)>


求めよ、然からば与えられん

「あんた、今幸せ?」
問い掛けの意味は、胸中にふと過ぎる疑問に耳を傾けてしまう質を持っていた。
「……来た!」
秋山悠は咄嗟に足を止めた。
「あ、悪ィ悪ィ。あんたがあんまり目ェ引くもんだからつい声かけちまって」
そうと言う青年の方が、余程に目を引く。
 全身黒尽くめの姿は視覚的に重いが、それを助長しているのが黒革のロングコートの重量感で、彼だけ倍の重力がかかっているような気がする。
 その上、ご丁寧に顔に乗せた真円のサングラスで半ばの表情が隠れているにも関わらず、確かに楽しげに笑っているのだ。
「来た来た!」
踏み出す足に距離を詰める。
 幸せ、などという概念を、つい問うにはあまりに胡散臭い。
「奢るからさ、時間あんならちょっと茶でもしばかねぇ? 俺、今暇なんだよ」
誘いの言葉に進行方向をぐるんと変え、悠はまじまじと相手を見た。
「あんた、かなり普通じゃねぇよな? 興味あンだよ。そういう人の、」
言葉の途中でサングラスを外す……風景をその形に切り取ったように、あまりに陽にあたっていない風情で白い肌、そして着衣の黒の無彩色の中で唯一、不吉に赤い月を思わせる色彩を持つ、瞳が顕わになる。
「生きてる理由みたいなのがさ」
笑いに細めた目に、東洋人としては異彩を放つ色の違和感が和らぐ。
「あ、人じゃないか」
うっかり、と言った風情で路地裏の前に座り込み、茶虎の猫の脇を両手で支えて持ち上げた、青年の腕を、悠はがっしと掴んだ。
「来た! ネタが!」
「うわぁッ!?」
思いがけない不意打ちを背からくらって青年は驚きの声を上げ、緑色の目をちょっと迷惑そうに細めていた猫はその隙にとっとと逃げ出して路地の奥へと消えていく。
「あなた、心霊関係の災難? それとも犯罪関係? 両方でもいいわよ」
悠は目をキラキラとさせ、青年の腕を掴んだまま放さない。
「あんた誰?」
現状、最もな問いである。
「ふっふっふ」
対する悠は肩を揺らして笑いを洩らした。
「よくぞ聞いてくれたわね」
意志の強さを秘めた瞳、そもそもの色素の薄さを示した茶の眼差しと同色の髪を肩から払う動作で……とはいえ、首の後ろで一つに纏められた癖っ毛は肩に一筋、申し訳程度にかかってわざわざ払う必要はない。
「聞いたらマズかった?」
少し子供じみてきょとんとした問いは意に介さず、悠は掴んだ手をそのままに立ち上がる動作に青年を引き立たせた。
「月刊アトラスで絶賛連載開始予定、誰が呼んだか秋山みゅうとはこの私!」
てか、連載予定に絶賛も何もないし、誰が呼ぼうにもPNは自称ではないのか。
「〆切が近いのよ詰まってるのよネタが欲しいのよ〜! この際オハナシになるなら駅のトイレの鍵が壊れて閉じ込められてもいい気分なのよーッ!」
微妙にせこい。
「で、俺とオハナシがしたいワケ?」
立ち上がれば、青年の顔の位置は悠よりも高い。
 その顔を見上げて、悠はこくこくと何度も頷く。
「でも風俗関係は読者層と合わないから却下」
しかし主張はきっぱりと。
「や……別に身体売ってはねぇけど」
「なら問題ないわね」
言って悠はにっこりと笑い、大の男を半ば引きずるように歩き出す。
「奢ってくれるんだったわよね」
猫に対しての言をちゃっかりと取って悠は続ける。
「さ、行きましょ。すぐ行きましょ。逃げる気を毛ほども抱く前に直ぐ店へ! 腰を落ち着けて話せる場所へ、さぁさぁさぁさぁ!」
秋山悠、PNを秋山みゅう…〆切を抱えた作家は、時に常識を凌駕する。
 そんな彼女に捕獲された青年の運命や如何に。


 連載ならば、そう引きが入る所であるが。
「俺はピュン・フーっての。通り名だけどな」
アイスコーヒーを前にそうと名乗った青年は、ごく自然な名乗りで屋内だというのにサングラスをかけ直した。
「通り名、いいわねぇ。本名を晒せないなんて如何にもまっとうな道を歩いてないっぽいじゃない」
ならば作家も世を忍ぶ職業か。
 ソーダフロートの毒々しいような緑をかき混ぜてうっとりと、悠は表情を綻ばせた。
「いいわね、偶然出逢った男女は互いに本名を明かせない間柄だった! 今風の『君の名は』なんてのにしてもいいかしら」
悠が読者対象とするティーンには最早通用しないネタだが。
「で、そこら辺のトコをちゃっちゃと吐いて貰おうじゃないの。なんで偽名なの? 猫をナンパして三味線でも作るの? それともハンバーガー?」
それじゃただの都市伝説だ。
 畳み掛ける悠の問いに、ピュン・フーは苦笑する。
「ナンパってなぁ……まぁ、ナンパか」
しばしの沈黙の後、自らの行動は間違いなくそれであると認めたピュン・フーに、悠は心持ち身を引いた。
「ちょっと。風俗関係もそうだけどナンパもペケ。これでも人の親なんだからね」
「え、全然見えねー。コドモ幾つ?」
「小学五年生よ、女の子。双子なの。私の年齢を聞いたら沈めるわよ?」
何処に。
 自分の年齢に関しては物騒な程の女心を示すも、子供の事を問われれば答えずに居られない。それもまた人の親の特性である。
「ヘェ、いいなぁ、女のコか。可愛い?」
「そりゃ、もう! 私と旦那の子だものあったりまえよぉ! こないだもねー……」
片頬杖をついて楽しげに耳を傾けるピュン・フーに、我が子の愛らしさ熱く語りかけて悠はふと正気に戻る。
「ちっがーう!」
テーブルを下から掬い上げて放るジェスチャー……これまたちと旧い、一徹返しの大技を、けれど理性に止めて悠はダン!と返した掌でテーブルを叩いた。
「新連載開始が迫る作家に……あんた喧嘩売ってんの? ちゃきちゃきと吐かないと身の為にならないわよ、早く楽になりなさい!」
突発的に出現した取調室に店内の視線が集まるが、そんな些細な事を気にしていては、一家の家計を支える事など出来ない。
 額に青筋を浮かべた悠の迫力に、けれどピュン・フーは動じた様子もなくまぁまぁと両手で制した。
「じゃぁ、みゅうが俺の質問に答えてくれりゃ、好みのタイプからスリーサイズ、人生経験まで余す事なく教えてやっからさ。どう? 交換条件で」
「別にあなたの嗜好に興味はないわ。スリーサイズその他だけで」
スリーサイズには興味があるのか……店内に居合わせた人々の胸に、全く同時に心中のツッコミは去来したが、それは聞き流すべき他人の会話に表に出る事なく秘められる。
 その悠の答えにピュン・フーは軽く握った拳の側面を口元にあて、笑い出したいのを堪えた。
「じゃ、交渉成立ってコトで」
「いいわよ、だから早く聞きなさい」
んじゃ、遠慮無く、とピュン・フーはこほんと軽い咳払いに笑いを払って、身を乗り出した。
「みゅう、今幸せ?」
「え?」
サングラスのブリッジを人差し指で軽くずらして、態と瞳を晒す……その赤を至近で臨めば、コンタクトで有り得ぬ深みを持つのが知れた。
 一瞬、動きを止めた悠は、口中に問いを繰り返す。
「……今幸せか?」
どこか呆然としたようなその先を、ピュン・フーは少し顎を上げて促した。
「締め切りが迫る作家に、嫌味? 嫌味なのかしらそれは!」
紅蓮と燃える炎をその背に幻視する程に、悠の怒りが一瞬にして燃え上がる。
 びきびきと額の静脈を浮き上がらせて座っていた椅子をがっしと掴んだ悠の分かり易すぎる意図に、咄嗟に身を引いてちゃうちゃう、と顔の前で手を振るピュン・フーと、店内の人間の動きが同期した。
「……あ、一般的な話?」
こくこくと、声なく頷くピュン・フーに「早く言いなさいよ」と、悠は椅子を戻してもう一度かけ直した…〆切前の作家は視界と思考が狭窄するにも程がある。
「それなら決まってるわよ。優しい旦那と可愛い子供たちがいて、好きなことをしてるんだから、これで不幸なんてほざいたら罰があたるわ」
きっぱりと言い切った悠に、妙な一体感に包まれた店内の其処此処から拍手が上がった。
 それに倣って軽く手を打ちながら、ピュン・フーがひとしきり感心したように頷く。
「分かり易くていいなぁ、みゅう」
惜しみのない賞賛に、悠はにっこりと笑ってピュン・フーの短く揃えられた黒髪に手を乗せた。
「いいから早く吐きなさい……ッ!」
がしりと頭蓋骨を掴んだ片手、ギリリと込められた力が強く圧すに殺意が仄見える。
「あー、悪かった悪かった」
ピュン・フーはだがけろりとして悠の手首を握って軽い動作で離す。
「約束だもんな。あれは今から20年前の新年が明けて間もない頃、世にも可愛い男の子が産声を上げ……」
「新生児をミステリーの主人公に出来るかーッ!」
スリーサイズその他、のその他の部分が20年前に遡るのに、とうとう悠がキレる。
 だが、ピュン・フーはそれをすいと上げた片手で制した。
「残念、仕事だ」
言ってもう片方の手で、黒革のロングコートの左胸の内ポケットから、振動を繰り返す携帯電話を取り出して、席を立った。
「ちょっと逃げる気!?」
「そう、逃げる気」
あっけらかんと笑って命知らずな発言に、ピュン・フーはちょいと悠の肩を押す。
 触れられた、だけの感触だが、奇妙なまでに容易に均衡を崩して椅子に座り込んだ悠を、ひょいと身を屈めて覗き込んで彼は薄い色の唇で笑った。
「けど聞き逃げはヤだから、とっておきの持ちネタをひとつ」
一拍の呼吸に続いて、悠の耳元に口を寄せてさらりと告げられた言葉。
「みゅう、旦那とコドモ連れて東京から逃げな」
僅かな笑いの気配を余韻にピュン・フーは身を起こした。
「そんでももし死にたいようだったらも一回、俺の前に姿を見せればいい。ちゃんと殺してやるから」
まるで不吉な予言のように一方的に約束は、死、という一文字に内容を収束する。
「……なに、事件?」
嘘を感じさせない言に、悠はピュン・フーを見上げて唾を呑み込んだ。
 大きく見開かれた瞳に、オーダー票を取り上げたピュンはちらりと視線を戻す。
「それよそれ!」
悠は仁王立ちに勢いよく立ち上がった。
「まさしく私が求めていたネタよ! 何? 死ぬのが怖くてネタを探せるかってーの!待ちなさい! 連絡先は? 携帯番号かメルア……ッ」
その勢いに思わずピュン・フーが身を引くのを追って、悠は足を踏み出した…つもりが後足が椅子に引っかかる。
 顔からべしゃりとこけた悠の脚に弾かれた椅子がテーブルの下部から激突して机上の品を蒔きながら倒れて中身の残ったアイスコーヒーとソーダフロートが近くの席の女性二人に直撃して慌てた彼女等が椅子ごと転げた拍子に通りがかったウェイトレスを巻き込んで使用済みの食器を乗せた銀のトレイが高く宙を舞ってカップルに降り注ぎ……。
 まるでコントを見るかのような、連鎖的な事態に一人、入り口近くのレジで難を逃れたピュン・フーは、唖然と店内の見守って最も重篤な被害に見舞われたであろう、店長らしき風格の男性にピッとクレジットカードを示した。
「被害総額……見積もりで幾ら?」
通りすがりの悠への意外な義理堅さで、ピュン・フーは進んで災難の仲間入りを果たした。