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<東京怪談ノベル(シングル)>


観察日記のススメ


[ ACT:1 ] 勤労少年の楽しみ

 門屋将紀、八歳。都内の小学校に通うごく普通の小学生である。
 ちょっと人と違う事と言えば、大阪に住んでいたので口調が大阪弁な事と、両親が離婚しており母子家庭である事と、仕事で忙しく中々家に居られない母の代わりに、母の弟である叔父の家に居候している事ぐらいだろうか。
 この環境に対して将紀は不満を口にしたりはしない。母親の忙しい事情は分かっているし、バリバリ働く母親を誇りにも思っている。叔父が嫌いなわけでもないし、大阪弁で困る事も、まあない。
 それでも強いて不満をあげるとすればただ一つだけ。
 家事に追われて友達と遊ぶ時間が少ない事だろう。
 門屋家の家事は基本的には将紀の仕事である。学校から帰ると、将紀は掃除洗濯買い物と、まるで兼業主婦のようにめまぐるしく家事に没頭する。それに加え、学校から宿題が出たりもするし、たまに叔父の経営する心理相談所で受付の手伝いをする事もある(ただ座っているだけというのが殆どではあるが)。
 忙しなく動き回っていると時間の経つのはあっという間だ。おかげで将紀には友達と遊びに行く暇が見つからなかった。
 子供が学校を終えて友達と遊べない、というのはかなりストレスなのではないかと思う。塾に通っていて遊ぶ時間のない子供もいるだろうが、それでもその場で友達と会えるだけでも心境は違う。
 そういう意味では将紀の境遇はいささか不憫ではある。そんな事を周りに感じさせないのは、将紀本来の素直な明るさ故なのだろう。
 そんな将紀が最近密かにやっていることがあった。それは、
 『叔父の観察日記』
 暇潰しと憂さ晴らしと少しの腹いせも兼ねて、将紀はこっそり叔父を観察しては日記に記しているのだ。


[ ACT:2 ] 貧乏暇だらけ

 門屋心理相談所。
 臨床心理士である将紀の叔父が経営するこの相談所は、ハッキリ言って流行っていない。
 立地条件が悪いのか、宣伝が足りないのか、はたまた所長の性格が悪いのか。原因は分からないが、日に訪れる客はせいぜい一人か二人だ。
 最近臨時のスクールカウンセラーなどをやり始めたおかげかちらほらと来客も増えているようだが、それでも片手が埋まればいいほうで、今日も今日とて閑古鳥が鳴いている。
 今この事務所内にいるのは、着流しに白衣という珍妙な出で立ちで椅子の背に体を預けて新聞を読んでいる叔父と、静かに部屋の床をモップ掛けしている叔父の雇った助手の青年と、受付に座ってそんな様子を眺めている将紀の三人だけである。
「あー……今日も客、来ねぇなあ……」
 手にした新聞を投げ出して叔父が言う。
「どうしたら客が増えるのかねぇ……」
「……広告を載せるとか……どうですか?」
 溜息交じりの叔父の言葉に、助手の青年がモップを自分の肩に立てかけるようにして持ちながら提案した。
「広告一枠載せるのに、いくらかかると思ってんだ」
「……じゃあバイト、とか」
「やっぱりそれしかねぇかぁ。あー、くそぅ、金がねえ、金が!」
 いつも通りの会話であった。
 いつもいつもこんなである。いつもいつも「暇」で「金がない」と嘆いているのが将紀の叔父なのだ。
 おっちゃんは一生金持ちにはなれんな、と根拠はないが確信に満ちた思いを将紀は日記にしたためた。

* * *

 ○月○日(はれ)
 おっちゃんは今日もボロい相談所でヒマを持て余してる。この調子やと、今日は誰もけぇへんな。今日と言うか明日も来ないんとちゃうやろか。ずーっと来なかったら今でもビンボーなおっちゃんがますますビンボーになってまうなあ。……おっちゃん、実はフクザワさん見たことないんちゃうか?


[ ACT:3 ] 気分次第で楽しい夕食

 門屋家の家事は将紀が全てこなしている、と言ったがさすがに料理までは手が回らないのか、食事はもっぱら家主である叔父が担当している。
 が、しかし。
「夕飯だぞー」
 そう言って叔父がテーブルに置いたのはコンビニのビニール袋だった。
「夕飯って、これ?」
 将紀が中を覗くと、入っていたのはインスタントのカップ麺とコンビニ弁当。それに緑茶のペットボトルとおにぎりが数個。
「……またコンビニ弁当かいな。ボク、もっと違うもんが食べたいのにー」
「贅沢言うな。今は節約しないとヤバいんだよ」
「……ヤバくないときなんかあらへんやん」
「うるさい! 贅沢は敵だ!」
 不満そうに口を尖らせると、戦時中のキャッチフレーズのようなことを言いながら軽く頭を叩かれた。
「いたっ! なにすんねん! こういうの『かていないぼうりょく』言うんやろ? ボク、悪い道に走るで!」
「大丈夫だ。そんときゃあ相談に乗ってやる」
 涙目で頭を抑える将紀を尻目に、叔父はカップ麺を手に取ると、ビニール包装を破り蓋を開けながらキッチンへと消えて行った。
 その後姿に大きく溜息を吐く将紀である。
 
* * *

 ○月×日(くもり)
 今日の晩ごはんはカップメンとコンビニ弁当やった。いいかげん手作りのごはんが食べたい。おかあちゃん、早く帰って来てくれへんかなあ……。このままやと育ちざかりやのに、チビのままや。もし背が伸びなかったらおっちゃんに『ばいしょうきん』を請求せにゃあかんな。それよりもおっちゃん、およめさんもろてくれへんやろか。そしたらもっとマシな生活になると思うんやけどなぁ。でもこんなトコにおよめに来る女の人なんかいいひんかな。


[ ACT:4 ] 戦場の大売出し

 『二日間限り!特売日』
 週末のある日、大きな見出しの躍る派手なスーパーのチラシを握りしめた叔父にびしっと指を指され、将紀は大きな瞳をぱちくりと瞬かせた。
「買い物行くぞ!」
 一年中財政難に襲われている門屋家にとって、特売日はまさに特別な日だ。やりくり上手な奥様方に混じって激安食材をゲットしなければ、折角の冷蔵庫もただの箱、電気代の無駄遣いになってしまうのだ。
「おっちゃん、燃えとるなー」
「当たり前だ! スーパーでの買い物なんて贅沢、滅多にないんだからな! 買い溜めして食い溜めしねぇとな!」
 フクザワさん(イコール万札)が何より大好きだという、子供のくせにがめつい……いやお金の大切さをよく知っている将紀にとってもスーパーの特売日は心踊る日だ。なんてったって安いのだ。余った小銭を父親からもらったブタの貯金箱に貯められるのだ。そしていつかこの小銭をフクザワさんに換えるのが目下将紀の目標でもある。
 しかしそれ以上に叔父が燃えている。瞳の中にめらめらと炎が見えるようだ。いつもより三割増で凛々しく見える。
 (……でも買いだめは分かるけど食いだめってなんや?)
 叔父の言葉にちょっとだけ小さな疑問を抱きつつ、やってきたのは二駅先のスーパー。もちろん徒歩である。電車賃なんぞに金を使っている場合ではない。決してケチなのではないのだ。今日のお金は全て食材のために使わなければならないのだから仕方がない。これは死活問題なのである。それに二駅歩けばいい運動になる。一石二鳥なんだ、と叔父は将紀に歩きながら説明した。
 そして本日の戦場へと二人は到着した。
「よし、行くぞ将紀! 負けるな!」
「オッケーやで!」
 主婦でごった返す店内へ突撃する将紀。その小さな体を利用して奥様方の隙間を縫ってはお目当てをゲットする、その姿はまさにハンター。
 たまに同じ商品に手を出しても、無敵のお子ちゃまスマイルの前に奥様メロメロである。こういうとき子供って得やな、と将紀は心の中で勝ち誇った笑みを浮かべた。
 そうして戦利品を手に叔父の姿を探すと、店の奥の方にちょっと人だかりが出来ていた。その中心あたりに、一般客や店員に混じって叔父の頭が見えた。
 叔父は背が高いので人込みでも目立つ。しかも、あれだ。着流しに白衣、というちょっと個性的過ぎる服装が長身に輪をかけて人目を引くのだ。
「おっちゃん、なにやっとん―――――」
 言いかけて、将紀はそのままくるりと回れ右をした。即座に他人の振りである。
 なぜならば。
 そのとき叔父は、片手には爪楊枝に刺さったウィンナー、片手には小さな紙皿に乗った焼きソバを手になんとも嬉しそうな顔でそれらの試食品を頬張っていたからだ。
 着流しに白衣ので長身の、見た目そこそこな男が試食品をがっついている。
 (いやや。ボクはこんな恥ずかしい人の身内やないで……)
 思春期間近の小学生は、静かにその場を離れるのであった。

* * *
  
 ○月△日(はれときどきくもり)
 今日は特売日。スーパーに買い物に行った。行くんはええけど、あのカッコはまずいと思う。着流しに白衣やで。ありえへん。スーパーの試食品とか目についたら全部食べるし。しかも並べてあるの全部食べようとするんや。一緒にいてるこっちがはずかしい。やめてほしい。


[ ACT:5 ] 妖怪火の車出現す

 学校から帰宅した将紀は、鞄を自分の部屋に置くと、部屋に掃除機をかけ始める。
 物は少ないとはいえ、どちらかといえばだらしない方の男の一人暮らしである叔父の家はそれなりに散らかっていた。
「まったく、おっちゃんはだらしないんやからもう……」
 溜息吐きつつせっせと掃除機をかける姿はなにやら主婦のようである。齢八歳にして所帯染みている。将来はきっと良いお婿さんになるのではなかろうか。
 叔父の書斎に入った際、将紀は一冊のノートを見つけた。何の変哲もない大学ノートかと思われたそれは、無造作に机の上に置かれていた。
 近寄ってみると、表紙はピンクの花柄でなにやら可愛らしい書体で『みんなのかけいぼ』と書かれており、付けっぱなしの帯には『書きやすい、読みやすい。かんたん家計簿でやりくり上手に!』という見出しがあった。
「家計簿や……」
 そう、文房具売り場の片隅に売られているようなちょっぴりファンシーな家計簿である。ここにあるということはもちろん、叔父がつけているのだろう。
 本来なら、きっとこういうものはあまり見てはいけないのだろうと思う。以前、母親が家計簿つけてるのを後ろから覗き込んで「子供の見るものじゃないの」と軽く窘められたことを将紀は思い出した。
 しかし気になる。なにしろ大好きなお金のことが書いてあるものなのだ。いい年した大人の男が何故こんなにも可愛いデザインの家計簿を使っているのかなんて事はこの際どうでも良い。
 (……ちょっとくらいはええやろ。こっそり見るくらいなら気付かれへんし、こんなところに置いとくのがおっちゃんが悪いんや)
 頭の中で、黒い羽を背中に生やし、先が矢印みたいになってる角を頭につけたちょっぴり悪い顔の将紀が囁いた。
 掃除機のスイッチを切ると、将紀はそっと家計簿を手に取りめくってみた。
 小学生の将紀には読めない漢字が多かったし、書いてある意味も良く分からないものばかりだったが、とりあえずページ全体が赤い、というのは良く分かる。
「これってもしかして……?」
 ページが赤い。すなわち、赤いペンで書かれているのである。よく見れば赤い数字の前には『▲』という記号がある。これは何かと言えばつまり『マイナス』記号だ。
 今時手書きで、と言うのも珍しいかもしれないが、更にきちんと収支がマイナスの時には赤ペンで記入してるのもやたら律儀だ。
 これほど細かい事が出来るならもっと金の管理が出来てまともな生活が出来ても良さそうなものだが、そもそもこの家には管理する金がない。だが今はその事はそっと胸に仕舞っておいて欲しい。

* * *

 ○月◇日(あめ)
 おっちゃんちの家計簿をこっそり見た。書いてある内容はようわからへんけど、字の色が真っ赤やった。まさしく赤字やな。これが『ひのくるま』ってヤツ? だったらこれはひじょーにマズイんちゃうやろか。どのページめくっても真っ赤やで……。


[ ACT:6 ] そして今日も日が暮れる

「……おっちゃんちの家計簿はどこを見てもまっかっかやった。目がちかちかするくらいやった……まる、と」
 自分の部屋でいつものように叔父の観察日記を書き終えて、将紀をふぅ、と一つ息を吐いた。
「しかし、おっちゃんの観察面白いなぁ。ネタに困らんわ。見れば見るほど情けないけどな……?」
 ぱらぱらーっとページをめくりながら今までの日記を読み返していた将紀の頭上に、ふいに気配もなく影が落ちてきた。
「……誰が情けないって?」
「!!」
 思わず日記を閉じて見上げると、そこにはいつものように着流し白衣の叔父が凄みのある表情で自分を見下ろしていた。部屋の電気を背中にする形で腕組みしつつ見下ろす叔父の顔は、目元が丁度影になっていてちょっと怖い。
「メシだっつってんのに来ないから何してるかと思えば……なんだこれ」
「あ、あかん! それは見たらあかん〜〜〜!!」
 肩越しから日記帳をひょいと取り上げられて、将紀は必死で取り返そうとするが、片手で頭を押さえつけられてしまい、ただバタバタと腕を振り回すしかなかった。
「なになに……ますますビンボーになる? こんなトコ? 恥ずかしい?」
 将紀の頭を押さえながら、空いた片手で器用に日記をめくりながら、その内容を読み上げる叔父の顔に段々と怒りが表れてくる。
「まーさーきぃー……」
「か、かんにんやおっちゃん……っ!」
 ふいに押さえられていた頭が解放され、慌てて将紀は後ろに後ずさるが、時既に遅し。
 叔父の両手が拳骨に握られ、逃げる将紀のこめかみを挟むようにしてぐりぐりと捻られた。
 俗に言う『うめぼし』というやつである。これは叔父の得意のお仕置きだった。
「あいたたたたた!! かんにんやー!」
「ゆーるーさーんー!」
「ごめんなさいー!」
 その日の夜、門屋家の子供部屋からは、暫くの間、将紀の悲痛な叫び声が響いていたのだった。


 その後、日記が没収されたのは言うまでもない。



[ 観察日記のススメ/終 ]