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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


BRILLIANT PUZZLE

────総ては、貴方という謎に辿り着く為に。

【 01 : Pre-stage 】

「ジグソーパズル?」
 昼尚暗き特別な店、「アンティークショップ・レン」でのこと。
 いつも通り静寂と紫煙のくゆる店内で、店主・碧摩蓮は愛用の煙管片手にそう問うた。
「ええ、何でも”この世で一番美しいジグソーパズル”なんだそうですよ」
 カウンターの程近く、木製の豪奢な円卓にその箱を置きつつ答えたのは、紫電の瞳を持つ美しい青年だった。過ぎる程に整った眉目と鼻梁。水銀を滴らせたような銀髪が灰灯りに映え、笑みを刷いた唇は紅をささずとも蠱惑的なまでに色付いている。その様正しく芸術品。絶世の美──そんな形容がこれほど適切な容貌もそうそうあるまい。
 だが蓮はその青年の顔を一瞥しただけでまた煙管を咥え、
「成る程。あんたが四苦八苦して手に入れて来た理由が分かるってもんだよ」
「見ますか?」
「……見せて御覧」
 ふう、とまた煙を吐き出すと腕を組みながら円卓へと歩み寄った。
 この青年の名前は嵯峨野ユキといい、蓮にとっては養い子もしくは義理の弟、またはごく近しい知人とでも言うべきか。ともかくも蓮が彼の保護者的立場にいることだけは確かだ。三年前のある日、蓮は嵯峨野征史朗という男からユキの一切を託された。征史朗は蓮の知己にして最後の人形(ヒトガタ)師であり、そしてユキは彼の、文字通り絶作だった。
 ”人ならずの美しきヒト”と謳われるヒトガタ──その正真正銘最後の一体であるユキは現在、亡き征史朗の魂を探してる。
『────この世で一番美しいものになる────』
 そう言い遺して逝ったという自身の製作者を、最後のヒトガタは”主様”と呼んで深く思慕し、ただ只管にその魂の在り処を捜し求めていた。それこそが自分の使命なのだと疑いもせずに、ただ今一度の逢瀬だけを夢見て────。
 そんないっそ一途とも言える様、そして事情を蓮は一切承知し、むしろ進んで協力している節がある。その心中こそ詳らかではないが、少なくとも征史朗捜索の助力は惜しんではおらず、なので当然ユキが入手してきたパズルには興味があるようだった。
 蓮はユキから手渡された木の箱を検分してみる。それは全面に精緻なアラベスク模様が彫り込まれており、一見すると宝石箱のようにも見える代物だ。蓮は蓋を開けその中身を机上へと空けた。しゃらしゃらと、まるで貝殻が擦り合うような音を立てて零れ落ちて来たのは飴色に輝く欠片たち。ひとつを摘み上げ見てみれば、それは片面を彩色され四方を複雑な曲線で切り取られた──つまり木製ジグソーパズルのピースに違いなかった。
「一体どう美しいのかは分かりませんけれどね。例の枕詞が冠されている以上、調べてみない訳にはいかないでしょう?」
「あんたにしてはまともな意見だ」
 蓮はピースを机に放った。そして、ちらと入り口の方へ──そこにいる人影へと視線を遣る。それは、店に招き寄せられた今日の客人達の姿だった。
「……さてあんた達、話は聞いていたね? 早速で悪いけど、この男と協力してジグソーパズルを組み立ててほしいんだ」
「まあ所謂人海戦術というやつです」
 隣りのユキがにこりと微笑む。それはそれは見事な微笑と艶を含んだ声音で、彼は来訪者達にこう告げた。
「────勿論、断りませんよね?」


【 02 : Person 】

 お掛けになって下さい、とユキは円卓の席を指し示す。
 椅子の数は四脚、来訪者は男性が二人に女性が一人。ユキを加えた丁度の数が円の四方を囲んでおり、彼らは(或いは躊躇なく、或いは戸惑いを見せながらも)促されるままに着席した。
 蓮はそれを見てカウンターへと戻る。それを合図にするかのように、ユキの向かい座した女性が口火を切った。
「まずは自己紹介をして貰おうじゃない? 人に物を頼む時はそれなりの礼儀を弁えるべきよね」
 はっきりした顔立ちの美人、と形容するだけでは足りない意志の強さはダークブラウンの双眸から滲み出ているものだ。彼女は組んだ両手の上に顎を載せ、直径の先に掛けるユキをその印象的な瞳で真っ直ぐに見据える。ユキはそんな彼女の視線をゆったりと見つめ返した。
「──いいでしょう。私は嵯峨野ユキと申します。故有ってある人の魂を探しており、このジグソーパズルはその手掛りになるかもしれないもの……いえ、なってほしいもの、ですね。私にとっては何分大切な方の魂なもので、是非貴方方の協力を仰ぎたいと思っております」
「ふうん、魂ねえ……いいわ。暇潰しに来たことだし、中中綺麗な色のピースじゃない? 面白そうだから手伝ってあげる」
「それはそれは感謝に耐えません。……失礼ですが、」
「嘉神しえるよ」
「では嘉神さんとお呼び致しましょう?」
 しえるににこりと微笑んだユキは、続いて右横の男性に視線を移す。穏やかな表情で一座を俯瞰していた彼はその意を察し、「槻島綾です」と即座に名乗った。微笑に、緑がかった瞳が緩く細まる。
「どれほど役に立てるかは解りませんが……”この世で一番美しいジグソーパズル”とは興味がありますね」
「悪いね、巻き込んで」
 カウンターから飛んで来た蓮の相槌に、いえいえいつものことですし、と彼は愛想良く応じる。
 ────そこに、「なう」と小獣の啼く声がした。
 出処はと見れば今一人の男の膝の上、ビロードの如き毛並みの黒猫が背を撫でられ喉を鳴らしている。主は痩躯の、和装の男だった。紅玉を嵌め込んだかのように鮮やかな赤の瞳、結わずに流している長髪は濡羽色の漆黒。感嘆よりも空恐ろしさが先立つ美貌が、ユキをちらと一瞥した。
「……岸頭紫暁。申し越しのこと厭いはしない。だがその前にひとつ、訊きたいことが有る」
 何でしょう? ユキが小首を傾ぐ。
「これの具体的な出処だ。返答によっては何か手掛かりが掴めるのではないかと、思ったのでな」
「つまりこれについての情報でしょうか。そうですね。組み立てるにしても何にしても、物を知っておくに越したことはありません」
 槻島がうんうんと頷いて腕を組む。しえるも異議はないらしい。
「役に立つかどうかは別として、訊くだけ聞いておきたいわ」
「……困りましたね」
 言に反して笑みを刷く口許。ユキは机に置いた手を組み直した。
「失礼ながらお答えする事が出来ません。持ち主不在のまま漂っていたのを偶々私が掬い上げただけで、一切謎です」
「あら、まさしく"puzzle"じゃないの。人を困惑させるモノってところね」
「……ならば、少々調べておくか」
 黒猫が前足から床に降り立つ。「なう」と再び啼いて見上げた先、岸頭は半眼で深く息を吸い込み、そして止めた。
 彼の周りに紫の炎が立ち上り始めたのはその時だ。ゆっくりと瞬かれた血色の瞳。その左目だけが徐々に、まるで月を溶かし込んだかのような黄金色へと様を変える。焔を纏った岸頭はピースの山を見据えており、それに気付いたしえるが持っていた破片をそっと頂上に戻した。
「何のつもり?」
 訝しげな声音が向けられるものの彼は答えない。しえると槻島が横目で顔を見合わせる。
 やがて岸頭は小さくかぶりを振って詰めていた息を吐き出した。
「……鬼は反応せぬ、か。成る程、ただの木片だな。要らぬことをした、続けてくれ」
 中空に在った紫炎が掻き消え、それに合わせて金の瞳もすぐさま元の鮮紅へと戻る。ユキはそんな岸頭の横顔を暫し盗み見た後──くすり。微笑って、一同を見渡した。
「……では、始めましょう。さあ貴方は、いったいどのように完成させてくれますか?」


【 03 : Piece 】

「そうですね……まずはこつこつと地道に、正攻法でいきましょうか」
 提案する槻島に岸頭がふむと頷く。気侭な猫は主の足元で毛繕いをしているようだ。
「実はこういうものを組み立てるのは初めてだ。如何様にしよう?」
「ああ、それではまず四方の端から……」
「はーい、ストップストップ」
 両側から山を崩そうとしていた男二人にしえるが両手で待ったをかける。私に任せなさい、と彼女は良く通る声で言った。
「まず全部のピースを机に広げて頂戴。重ならないよう満遍無くね。それを私が覚えて、後は合うピースを指示するから。どう、一番効率的な方法でしょ?」
「それは……ええ、頼もしい限りですが」
 そんなことが出来るんですか? ユキがやや顎を引いて問えば。
「私、一度見聞きしたものは忘れない性質なの」
 しえるも同じような角度で視線を見つめ返す。その交錯の下で槻島と岸頭の手が引っ込む機会を逸しているのを見て、外野の蓮が鶴の一声を上げた。
「……ま、やって御覧よ」

 山が崩され、しゃらしゃらと音を立ててピースの波紋が机上に満ちていく。
 ひとつひとつは十円硬貨程の大きさだろうか。三人が並べていく破片をしえるは余す処なく記憶のフィルムに収めていき、その横で槻島が、ふうと額を拭った。
「一体何ピースくらいあるのでしょう。箱に納められていたようですが完成図はありませんし、さて」
「157よ、今のトコね。あ、160……うーん、1000はあるかしら?」
「……広げるだけでも一苦労ですね、はは」
 槻島の頬にやや引き攣った笑みが浮かぶ。まだ山は高い。
 岸頭の愛猫はじっとしていることに飽いたと見え、今は円卓の回りを優雅に歩き回っている。時折誰かしらの爪先に戯れる黒猫は、しえるが首元を撫でてやると殊更悦こんで身を捩った。
「可愛いわね」
 山がほとんど平らになった時だった。しえるが「ところで」と机上に身を乗り出した。
「ユキって言ったわね。貴方、誰を探してるの?」
「気になります?」
 ユキは眉をくいと上げ、しえるは頬杖をして首肯する。────「ちょっとね」
「探しているのは三年前に亡くなった、私の生みの親です」
「母親ってこと?」
「いいえ、製作者ですよ。名は嵯峨野征史朗。……私は、”主様”とお呼びしていますが」
 槻島が手を止め、岸頭はすっと目を細める。しえるは視線を中空に彷徨わせ、ええと、と言い差した所で。
「そいつは人じゃない。ヒトガタっていう人形さ。人間に似ているけれどね、内臓も体温もない作り物なんだよ。だからそいつが探しているのは文字通り生みの親だ。……そんなところでいいかい?」
 紫煙を吐き出すついで、とでも言うように素っ気無い口調だった。
 三人の衆目を受け、ユキは過ぎる程に見事な微笑を浮かべた。
「……OK、呑み込めたわ。これはまたお喋りなお人形さんね。ゼンマイは背中にでも?」
「残念ながら全自動ですよ。ご期待に添えず申し訳ありません……さて、嘉神さん」
 出来ましたよ。言って、ユキが両手を広げる。
 円卓の上、均された総てのピースが面を天井に向け、注ぐ灰灯りを煌煌と反射させていた。
「やはり1000はありそうですね。……どうですか?」
 槻島が肩を竦めながら訊く。しえるは今一度ピースを凝視し、それからルージュの引かれた口角を鮮やかに吊り上げて。
「OK♪ 後は適当に組み立ててみて。──あ、そうそう。枠から、ってさっき言ってたみたいだけど、必ずしも四角とは限らないんじゃない? 枠ばかり探してると、ハマるかもしれないわよ?」
「……成る程、それは盲点でした。参考にします」
「それじゃあ始めましょ。はい、組み立て開始!」
 すっかり司令塔となったしえるが教師よろしく号令をかける。ユキはカウンターの蓮へと振り向いて器用に片眉を上げた。
「……いい人選でしたね」
「無駄口叩いてないであんたもやんな」
 ふう、と蓮は煙を高く吹き上げた。


【 04 : Picture 】

 しえるが指示し、他の三人が実際にピースを組み合わせていく。パズル製作はそんな分担制で進められることになった。
「嘉神さん、これは」
「えーっとそれは……あ、これね。うん、そうだわ」
「どうだろう、これは形が似ているようだが……」
「いいえ、それはあっちのが隣りにくるはずよ」
「ふむ……確かに」
 司令塔の絶対記憶力は豪語が過言でない優秀さで、一つの間違いもなくピースは片身と繋ぎ合わされていく。
 観戦していた蓮は途中で席を立ち、「茶でも淹れて来るよ」と言い置いて奥へ引っ込んでいった。
「……それにしても」
 パチリ、また一つピースを嵌め込んだユキが手元に視線を落としたまま口を開く。
「それにしても、いったい何なんでしょうね」
「何って、何が?」
 しえるがまた両肘をついた姿勢でピースを指す。ユキは微笑し、それを恭しく取り上げると外周の一部にぴたりと合わせた。
「このパズルのことですよ。何を以って美しいというのか、ここまで出来た今でも私にはまるで見当がつきません」
 心なしか楽しそうに言うユキに、隣りの槻島が同じくピースを手にしながら相槌を打つ。
「”この世で一番美しい”とは、やはり完成の暁に現れる絵を謳ってのことでしょうか」
「……絵か」
 黙々と作業し没頭していた岸頭が反応し顔を上げた。愛猫はまだ散歩中のようだ。
「そもそも俺は、パズルに描かれる一般的な絵柄を知らんのだが。風景画辺りなのか?」
「確かに、夜景に草花といったものはよく目にします。後は著名な絵画の複製とかかな。完成したジグソーパズルを額に入れ、家に飾っている人もいますしね」
「あら、それって殆ど日本だけよ? 西洋じゃパズルは組み立てるためにあるもの。その行為自体が持て囃されるのであって、完成品は大した価値を持たないわ」
「絵と行為そのもの、か。パズルとは様々なものなのだな」
 ────いや。自らの言を打ち消しながら岸頭は広げられたピースに目を遣る。しえると槻島の視線がそれにつられた。
 美しいといわれるモノの光が三者の瞳に映しこまれた。
「元々”美しい”という概念自体が主観的で個人によって基準が様々なものだ。一番など、果たして如何程の意味を持つのだか……」
「ありますよ、意味は」
 と、ユキがそんな言葉を場に投げる。三人が一斉にそちらを向く。
 すると先刻まで微笑んでいた口許が、一瞬だけ表情を消して。
「……何故ならば、私はその”一番”を見つけなければならないからです」
 ────しかしそれも刹那のこと。笑みを取り戻したユキは再びしえるを見、催促されたしえるは「はいはい」と次のピースを摘み上げてやった。

「それでは、槻島さんにお伺いしますが」
 暫く後にまたユキが唐突に口を開いた。
「貴方のお考えになる完成図とは、いったいどんなものですか?」
「つまり……”この世で一番美しいジグソーパズル”という所以の絵、ですね?」
 口許に手を遣って考え込む槻島に他の二人も興味深そうな視線を注ぐ。答は、控え目に差し出された。
「模様の無い真白な絵……若しくは、光溢れる風景」
「光?」
 しえるが首を傾ぐ。手近にあったピースを翳し、その艶やかな表面で灯りを弾いて見せれば。
「そう、光です。生涯ただ一度限りしか見ることの出来ない光景。思い出せないけれど、誰もが覚えたであろう感動。赤子が昏き羊水から光の元へ生まれ来る時に初めて見る世界の美しさ……そんな光のことです」
「人一人にとっての唯一無二の光景か。それが、ここに現れると?」
「あくまでも、僕の考えですけれどね」
「いいんじゃない? なかなか素敵だわ」
 しえるが手にしていたピースを槻島に渡す。受け取られたそれは、見事槻島の担当部に嵌め込まれた。
「それでは、岸頭さんは?」
 ユキは、今度は左隣りに話を振った。
 岸頭は一度瞬きをした後、淀みなく話し始める。
「先程も言ったように”美”とは千差万別で不定だ。……そうだな、例えばこのパズルの製作者が一番美しいと感じた対象、という可能性もあろう。
 だが俺は、何か絵が出来上がるという単純なものではないように思う。組み立てた人物や状況などによって変化を齎したり意味を成したり、そんなものではないかと思うのだが」
「時に応ずる……つまり、不定?」
「そういうことだ」
 槻島の要約に岸頭は首肯する。その手元にしえるがついとピースを滑らせた。
「似てるけど、あたしはちょっと違うかな」
「では、嘉神さんのお考えを最後に伺いましょう」
 しえるの口角がまたくいと上向く。胸に下りていた髪を軽く後ろに払った。
「見る角度によって絵が変わるパズル。騙し絵とかそういうんじゃなくて、二面像とかあるじゃない?」
 ほらこれ。しえるはピースを幾つか手に取って、先程槻島に見せたようにまた光を跳ねさせる。飴色の光沢ある断面に、店をひっそりと照らすランプの灯りが煌煌燃える。それはぱっと見一様ではあったが、注意深く凝視を注いでいると様々な色をその反射の中から見出せた。さながら、印象派が描いた”光”を見ているようだ。
「光の具合で色合いが変わりそう、って最初見た時から思ってたの。角度によって鬼にも菩薩にも見える像……そんな絵だと面白いわね」
 マネキンよりもずっと形の整ったしえるの指先がユキの鼻先へ伸べられ、その先に挟まれたピースへとユキは笑んだ唇を軽く押し当てる。そこに蓮が茶器を載せた盆を手に戻って来た。
「そろそろ休憩にしたらどうだい?」


【 05 : Pallbearer 】

 蓮の淹れた中国茶に口をつけた後、岸頭は席を立ち店内を少し回ってみることにした。歩き出した足元には何時の間にやら黒猫が身を寄せてきており、つまり気侭な散策にも飽いたのだろうと了解する。
 初めて訪れるこの骨董品店は極度に照明が落としてあるが、その薄暗さがむしろ岸頭には心地良く感じられた。陳列された品々に興を惹かれるわけではないが、それらの纏う雰囲気はどこか自分に近しく思える。人でも妖でもない曖昧で朧な自分と、この店に蟠っている澱はどこか似ているのだと、そう────。
「何かお気に召しましたか?」
 不意に声を掛けられ振り返る。背後に在ったのは先刻人形だと明かした彼だった。相変わらずの微笑を口許に浮かべ、岸頭の紅い瞳を真っ直ぐに(捕らえるかのように)視つめてくる。それはまるで鉱石を想起する──紫水晶の双眸だ。
「何か用か?」
 問いを問いで返すと、彼は明確に首肯する。貴方とお話がしたくて、と人形は衒いなく言葉を唇に載せた。
「その、黒髪が」
 彼が指したのは岸頭の胸元に掛かる漆黒の長髪。その一房を彼は手に取り、指先で撫でながら。
「似ているんです……私の”主様”に」
 吐息みたいにして零す。何となく身を引こうとしたが退路は棚に遮られており、諦めた。
 ”主様”とは、確か彼が探している製作者のことだ。今回のジグソーパズルもその手掛りを求めてのことだという。
 つまりその人物も黒い長髪を有していたということか。故人の縁をあらゆるものに求めたがるその気持ち、分からないでもない。────いやむしろ、理解る。
「ご不快でしたか?」
 彼の指がついと離れていく。言葉に反した口調は楽しそうで(揶揄しているようにも取れて)(そしてまた媚を含んでいるようにも聞こえて)、不快という程ではないが態度に困った。
「……話とはそれだけか?」
「先を急がないで下さい。そうですね……では、ひとつお尋ねしますが」
 ────あの炎は何だったのですか? 至極尤もな疑問を彼は差し出して来る。
「あれは……私の中に在る妖の力だ」
 正しく答えたのは、彼ならば特に騒ぎ立てることもないだろうと思ったからだ。案の定彼は表情ひとつ曇らせることなく緩やかに首を傾いで、やがてこう言った。
「ならばその妖は美しいのでしょうね」
「美しい?」
「ええ。あの紫の炎も金の瞳も、とても美しくて見惚れました」
 岸頭は些か面食う。そんな感想を持たれたのは初めてだ。美しいとは個に依る感情だと先程の言ったばかりだが、しかし選りにも選ってこの『陀牙鵺』を美しいと評するなど……。
「……おまえは、死臭すら芳しいと言うのかもしれないな」
 墓守は自嘲気味に洩らす。
「物好き、と仰いますか?」
「いや……ああ、そうかもしれぬ」
 口許が緩まる。ほんの少し、この人形に意識が向いた。
 足元で毛繕う黒猫が視界に入り、「なう」と強請るように鳴いたそれを抱き上げてやりながら岸頭は問うた。
「何故探す?」
 首の後ろを撫でられた猫がうっとり目を細める。向かい合う紫の瞳が一度瞬く。
「私が、主様を、ですか?」
「そうだ。求める理由は何だ?」
「簡単なことです。逢いたいから、ですよ」
 ────逢いたいから探すんです。当たり前でしょう? これ以上ない程明瞭な答を彼は返した。
「……成る程な」
 もう一度その声を聞きたい。顔を見たい。腕に触れたい。何をしたい訳でもないただ、逢いたい。
 その切望を岸頭は知っている。彼岸への橋を鬼に砕かれ此岸に縛りつけられて久しいこの身が、それでも唯一の元へ逝く手段を探し続けている。たった一振りの形見を遺しただけで、守るべき墓標も呉れなかった。いや、守らずにいられるよう、柵を増やさないよう、彼は魂さえあちらに持って行ってしまったのだ。
「……”主様”は」
 ふと、ユキが問われるでもなく語り出す。思考の渦から引き上げられた岸頭は止める理由もなく、静かに耳を傾ける。
「生前の嵯峨野征史朗について私が知っているのは、ヒトガタ師であったということくらいです。ヒトガタとは、人の形をした人ならざる人。つまり私のようなモノだとお考え下さい。主様は代々その家系であったそうで、十代の半ばからヒトガタを作り続けていたといいます。そして私は、彼の最後の一作なのです」
 彼は、まるでその事実を誇るかのように笑みを深める。
「あの方の身体は私が”生まれた”と同時に命を失いただの”カタ”となった。ですから、私はその骸にしか御目文字叶ったことがないのですよ、残念ながらね」
 ────けれどたったひとつだけ。ユキが人差し指を立て、紅と紫の視線がその上でかち合った。
「たったひとつだけ、あの方は言葉を遺して下さった。私が開眼する直前、意識の斑であった私にあの方は仰った」

『俺の魂は俺の体を出て、新しいモノへと生まれ変わる。この世で一番美しいものに、俺は今からなるんだよ』
 だから。
『ユキ、俺に会いたかったら俺を探してみろよ。この世の美しいものを探し歩いて、いつか俺に辿り着いてみろ』

「それが、あの方が私に呉れた命の理由。違えることのない、再会の約束なのです」
「再会の……」
 なればあれは、自分が死ぬための理由。違えたくはない、巡り会いの約束。いつかは叶えられるはずの────。

『待っているから』

 もう何度脳裏で反芻したのだか数えきれぬ声が蘇る。
 永らえ続ける身の、永遠と思われる獄の、それでも消えない一条の光。
「…………」
 岸頭の唇が誰かの名を無意識に象る。
 戻りましょうか、とユキが言い、猫が主の代わりに「なぁ」と答えた。


【 06 : Puzzle 】

 一同が再び席に戻り、蓮が茶器を置くに下げ、一息ついたところでパズル製作が再開された。
 休憩前と同様、しえるが指示し他の三人が組み立てる。────その分担が同じだったからこそ、しえるが最初にその異変に気付いた。
「……どういうこと?」
 押し殺したような呟きに衆目が集まる。どうかしましたか、と槻島が控え目に問うがしえるは眉間に皺を刻むのみだ。
「……おかしい」
「何かあったのか?」
 続いた岸頭の言葉も宙に浮く。しえるは机上の、まだ手のつけられていないピースを凝視したまま動かない。
 槻島と岸頭は顔を見合わせ、それからちらとユキを一瞥した。しえるの向かいに座す彼はその様子を静かに見守り、やがて彼女の面がゆっくりと上げられる及んで漸く口を開いた。
「嘉神さん、何が起こったんですか?」
「……ピースを、もう一度並べてくれる?」
 それは返答としては不十分だったが、彼女の神妙な表情が一同に質問を重ねさせることを拒んだ。
「組んでいないものだけでいいですか?」
「そうね……ええ、それでいいわ」
「分かりました」
 既に組み上がった部分はそのままに残ったピースを先刻と同様満遍なく広げていく。
 単純に計算して、その作業は先程よりは短時間で済むはずだった。故に、中途でしえる以外の三人もその違和感に気がついたのだろう。────第一声は、槻島だった。
「……あの、僕は奇妙なことを考えているのですが」
「俺もかもしれぬ」
 岸頭が間髪入れずに同意する。二人の些か困惑した表情を見比べた後、ユキはしえるに向き直り総意を代表した。
「増えているんですね、ピースの数が」
 しえるは頷き、ふうと息を吐き出しながら答えた。
「……その通りよ」

 改めてしえるが数えてみたところ、ピースの残数は予定の倍近くにまで増えていた。既に半分程組み上がっていたので、つまり元のピースの1.5倍の数にまで膨れ上がっている計算だ。勿論組んだものを誰かがばらしたわけでも、箱の中に残っていたものを空けたわけでもない。考え得ることはひとつ────ピースが、どこからともなく現れたのだ。まるで神の御手が虚空から取り出したかのように。
「僕は休憩中も席を立たなかったのですが……気付かなかったなあ」
 槻島が申し訳なさそうに頭を掻く。
 別に貴方のせいじゃないでしょ、と慰めるわけでもなく言って、しえるはひょいと肩を竦めた。
「つまり、これがパズルの答ってわけね。なーるほど、よく分かったわ」
「どういうことだ?」
「うーんと、だから、永久運動ってことよ」
「永久、運動?」
 鸚鵡返しする岸頭にしえるは「だからね」と言葉を噛み砕いて継ぐ。
「”絶対に完成しないパズル”っていうことよ。作る傍からピースが増える。完成まで到達しない。だから、完成しないのよこのパズルは」
 ────そしてだからこそ、”この世で一番美しいジグソーパズル”なんじゃない?
 しえるはユキに視線を移す。案の定彼は言葉に反応してこちらを凝っと視ていた。
「ミロのヴィーナスにしろ未完成交響曲にしろ、完成されてないからこそ人々の想像を駆り立て美しいとされるモノが沢山あるでしょ? 永遠に作り続けられる──そうね、夢を見続けられる。それが最も”美しい”のよ、"puzzle"はね」
「人に謎を与える存在だから、ですか?」
「そういうこと」
 ユキは一度頭を抱えた後、自分の担当部を壊しそれを丸めた掌の中に掬い取る。持ち上げると、閉じられていない指の間から光が零れて、あのしゃらしゃらと耳に清かな音が机に当たって弾けた。
「……これではなさそうですね。完成しないのでは、手掛りも何もありませんし」
 ────まあ良いでしょう。最後の一欠片が落ちたのを合図に、ユキは再びあの微笑を浮かべ三人を見渡した。
「ご苦労様でした。またご縁があれば、お会い致しましょう」


**************

「……ふうん。そうだったのかい」
 来訪者達の去った後、円卓にはユキと蓮が向かい合い座っていた。
 ユキは不完のパズルを箱に仕舞っており、蓮はその様を何とはなしに眺めている。煙管はカウンターに置いたままだ。
「元より、そんな簡単に見つかるとは思っていません。”この世の美しいものを探し歩いて、いつか”あの方に辿り着ければいいんですよ。いつか、けれど必ず、ね」
 宣言するヒトガタを、蓮は不自然な程凪いだ瞳で見つめる。それは冷ややかでもあり、諦めたようでもあり、また表情を奥に押し込めたようでもある──揺らぐ、人の瞳だった。
「ねえ蓮さん」
「……何だい」
「探すということ自体、パズルに似ていますね」
 肯定も否定もせずに、彼の続く言葉を待てば。
「組み立てる行為にも、完成する絵にも、どちらも意味がある。あの方を求める行為にも、あの方に会うことにも、どちらにも私には意味がある。私は、だからこのパズルを組み上げなくてはいけない。完成しないことを美しさとは認めない。……だってこのパズルこそが私の、」

 ────命なのですから。

 ぱたん、と箱の蓋が閉まる。ユキはにこり、と蓮に微笑んだ。


 了


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

1530 / 岸頭・紫暁 (きしず・しぎょう) / 男性 / 431歳 / 墓守
2617 / 嘉神・しえる (かがみ・しえる) / 女性 / 22歳 / 外国語教室講師
2226 / 槻島・綾 (つきしま・あや) / 男性 / 27歳 / エッセイスト

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■         ライター通信          ■
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こんにちは、ライターの辻内弥里です。この度は拙作へのご発注、真に有難う御座いました。
初めての『異界』楽しんで頂けましたでしょうか? 今回は極端に行動が少ない会話中心の話であり、NPCを投入した結果相当辻内色の濃い話に仕上がりました。…故に心配です。(汗
なお「05」が個別部分となっております。宜しければ他PC様の部分も併せてお読みになってみて下さいね。

>岸頭紫暁様
初めまして。お会いできて光栄です。
蓮がすぱすぱ煙管をふかしている横で禁煙とは、愛煙家の岸頭様にはさぞお辛かったことでしょう…。紫の炎の描写をどうしても入れてみたくてあのようになりました。いいい如何でしたか?

それではまたお気が向きましたらば、ユキに付き合ってやって下さいませ。
ご意見・ご感想・叱咤激励、何でも切実に募集しております。よろしくお願い致しますね。
では、失礼致します。