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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


Contentment + Dissipation


【chapter:0】

 今年は空梅雨なのだろうか?
 昨日も雨らしい雨は降らなかった。
 明日もそんなに降らないという。
 そして今日も、少し雲は出ているが、そこから大量の雨粒が落ちてきそうな気配はなかった。
 しかし、気温は、最高気温が約三〇度。
 このまま夏に突入してしまうのではなかろうかと思えるほど、暑い。
 まあ、もっとも、このゲームセンター「Az」内にいる限り、そんな外気温など構う必要もないのだが。
 それにしても、だ。
 ちらと右の視界だけで、カウンターの上に置かれたキャラクターものの卓上カレンダーを見やると、左目に鋲の打たれた黒い眼帯をし黒いスーツを纏ったAzの店長は、ふっと溜息をついた。
 そこには、赤い丸印が書きつけられている日がある。
 梅雨の中休み頃に合わせて行われる祭がある日だ。
 鬱陶しい梅雨時の気分を発散させるのが目的なのか何なのかは分からない。それどころか、何に由来した祭なのかも知らない。近くに神社があるのかといえば別にそうでもない。なら、何のための祭か?
 ……いや。
 そんな事はどうでもいいのだ。本当にどうでもいい。
 それよりも、祭といえば。
「やっぱり、アレだねぇ。今年もやらなきゃだな」
 ぽつりと呟いてから、その唇を歪めてニヤリと笑うと、店長はカウンターの上に卓上カレンダーと共に並べて置いてある太めの筆ペンを手に取り、さらさらと紙になにやら書きつけていく。
 そしてふと手を止めて、目を上げた。
「あー。たまにはバイト生たちにも休暇くらいはくれてやるか。あいつらも祭なら行きたいだろうし。何なら浴衣くらいなら提供してやってもいいな……」
 言ってから、あ、と声を漏らし。
「さすがに私一人では手が足りんから黒には残ってもらう事にして、と」
 呟きに、モップを引きずって傍を通りがかった黒いゴシックスタイルの、通称「黒のバイト生」が一瞬嫌そうな顔をしたが、店長には見えなかった。

 翌日。
 店内の壁に、豪快な文字が綴られた一枚の紙が貼り付けられていた。

                *

■毎年恒例行事――店長の欲しい物を当てろ!■

 六月三〇日に行われる祭にて、店主が望む物を入手して店に持ってきた者には、以下の景品の内、望む物を贈呈する。
 ちなみに、欲しいものが被った時には早い者勝ちとする。
 ハズれた場合は残念賞進呈。特別賞は、正解以外の物でも店主が気に召せば、進呈。

1:当店で、どのゲームでも一週間無料で遊び放題。
2:兵庫県城崎温泉への一泊二日ペア宿泊券(近くの水族館入園無料チケット付。但し交通費は自前)。
3:薔薇五〇本の花束。
4:サマージャンボ宝くじ連番十組(発売後贈呈)。
5:DVDプレーヤー。
残念賞:図書券五百円分。
特別賞:人形師、霧嶋聡里製作『白惺(はくせい)シリーズ』の一つ、銀のお下げ髪に緑の瞳の『萌葱』(女/白浴衣着用)。

 なお、店長からのヒントキーワードは「彩」「透」「涼」。
 品物は一品のみ、持ち帰ること。一品以上だと失格とみなす。
 祭の出店は以下の通りである。

食べ物>りんごあめ、飴細工、べっこう飴、かき氷、たこ焼き、お好み焼き、たい焼き、大判焼き(カスタード・あん・チョコ)、焼きそば、クレープ、焼き鳥、いか焼き、フランクフルト、フライドポテト、わたあめ、焼きとうもろこし、五平餅、鈴カステラ
遊び・その他>金魚すくい、水ヨーヨーすくい、スーパーボールすくい、お面、花火、くじ、射的、輪投げ、風鈴、サイリューム(ブレスレット型)、盆栽、風船、子供用おもちゃ

                *

「さあ、参加者がいるといいけどねえ」
 紙の前で立ち止まっている者を見やって、店主が笑みを浮かべて呟いた。


【chapter:1】

 無から有を生み出す事。
 其の作業の事を、僕はそう、思って居た。

 数日間部屋に篭もると、其の間に彼の人は、何時も其の少し骨張った手で「有」を生み出して居た。
閉ざされていた戸が開かれた時にはもう、何も存在しなかった筈の机の上には、其の手により生み出された存在が鎮座していた。

 人の心を、捉えて離さなくなる、其の存在。
 人に似て、けれども人とは明らかに異なる、存在。

 ――――人形。

 確かに、明らかに人とは違う物ではある。
 然し、其れ一体を生み出す為に彼が何れ程の心血を注いでいたか知っている僕は、其れを、唯の「物」とは思えなかった。
 深い愛情と思いを込めて、作られた存在。
 其れは或る種、人と大差ないのではないかと――実際、彼は自らが作りし其の存在の事を「此の子」「お前」等と、まるで人に対する様に云っていたし、屹度、我が子に注ぐかのような愛情を注いでいた筈だから。
 然うして、何時しか僕も彼等を一人の人のように感じ――……。


「――――……」

 誰かの囁き声を聞いたような気がして、ふと、蓮巳零樹は伏せていた双眸を開いた。
 緑色の瞳に映るのは、いつもと代わりない風景。
 壁を覆うかのように、設えられた棚の上に整然と並べられた、美麗な着物を纏った艶やかな黒髪の日本人形たち。その瞳はまるで、時の流れを見つめているかのようだ。
 それは、零樹が店主を務める日本人形専門店「蓮夢」の、店内。見慣れた場所だ。
 初めて来た客は、その一面に並ぶ人形たちに一瞬圧倒されたように言葉を失くすが、店内が小奇麗な為、日本人形が醸し出す一種独特の「恐ろしさ」というようなものも漂ってはおらず、すぐにその雰囲気にも慣れてしまう。
 ここ最近は、若い客もよく訪れるようになった気がする。……若くて、少し変わった客が。
「ん……?」
 少しぼんやりする片目に手を当て、少し視線を落とす。
 もう片手は、カウンターに置いた仕入台帳の上に乗せられていた。どうやら店番をしつつ転寝をしていたらしい。気がつけば、店内には一人、二〇代後半くらいの女性がいたが、何を買うでもなく一頻り並んだ人形達を見ると、何やら満足したような顔で店を出て行った。
 ……どうやら先程聞こえた声は、並ぶ人形のどれかが自分に来客を教えてくれた声だったらしい。
 人形の声が聞こえる零樹にとっては、それは怪奇なことでも何でもなく、ごく当たり前で、ごく自然なこと。
 先程、夢現の中で見ていた、あの人――祖父が、自分が作り出した人形を「我が子」のように思っていたのと同じように、零樹も、人形を、ただの「物」ではなく「人」と同じような感覚で捉えている。
 それは、こうして彼らの声が聞こえるからだ。
 勿論、理由はそれだけではなく、零樹自身が持つ力に因る所もあるのだが――。
「ありがとう、起こしてくれて」
 小さく笑って、声をかけてくれたどの子かに言うと、零樹は両腕を持ち上げて大きく伸びをした。そしてふと、棚に置かれた人形たちに直接光が当たらないような位置に設えられた窓の外へ視線をやる。
 梅雨時にしては、ここ最近、あまり大した雨は降っていない。つい先日台風の影響で降ってから、それにつられるようにほんの少し梅雨らしい雨が降ったが、今日はまた結構からりと晴れている。
「本当、梅雨らしくない梅雨だなぁ今年は」
 まあ、あまり雨が降り続けて湿度が高くなりすぎるのも困るものではあるのだが。
 人形の保存には、室内湿度が六〇パーセントを越えるのは好ましくない。あまり気温差があるのも、好ましくない。
 いつもならこの時期、除湿機が大活躍するのだが、今年は例年よりはそれほど神経質になっていない気がする。とはいえ、やはり天井では空調が除湿モードで稼動してはいるのだが。
 ちらりとカウンターの傍の壁にかけている湿・温度計を見て、自分に、よりも人形たちにとって過ごしやすい環境下にある事を確認すると、ふと零樹はその傍に引っ掛けてある小さなカレンダーに目を留めた。
 今日の日付のところに、何か書きこみがある。それを見て、あー、と声を零した。
「そうか、今日だねえ。あのお祭」
 毎年、この付近で行われている祭のことだ。確か昔、祖父に一度連れて行って貰った事がある。確か、梅雨の時期に大きな水害が起きないようにと水神様に願う為の祭だとか何とかで――どこかにある小さな神社の縁日なのだと聞いた覚えがある。
 その神社がどこにあったのかという事までは記憶にないが。
「……それにしても」
 肩に零れ落ちる艶やかな黒髪を手で払い除けると、零樹は唇に苦笑を浮かべた。
 何だか今日は、やたらと祖父の事を思い出す日である。何でだろう、と首を捻り、顎に手を置いて、ちらとカウンターの後ろの棚に置いてある、顔の左側に火傷の痕を持つ、赤い振袖を纏った人形――「薊(あざみ)」を見た。
 それは、祖父が作った子。深い思いと、願いがこもる、子。
 顔の痣を見て、零樹は微かに笑った。
 その傷を見て、恐れる者もいる。けれど、彼女のそれは、零樹にとっては恐れるべきものではなかった。
 零樹の命が今ここにあるのは、その痣があるお陰。
 彼女が、全てを守ってくれたから。
 誇ることはあっても、恐れなど抱こうはずはない。
「……、あー……そうだ」
 何か思いついたように呟くと、零樹は静かに椅子から立ち上がった。そして、纏った赤錆色の着物の裾を捌き、近くに置いてあった紫色の羽織を手に取る。
「ちょっと出かけてくるよ。留守番、頼む」
 ――どこへ、と声が返る。それに、羽織を纏いながら微かに笑った。
「祖父さんと同類の人に逢いにね」
 ――気をつけて、とまた静かに響く声に、零樹は穏やかに笑って頷いた。


【chapter:2】

 彼に逢うには、あの場所へ行けばいい。
 そう思い、零樹が足を向けたのは、零樹の店からさほど遠くない場所にあるゲームセンターだった。
 Az、という通称を持つそのゲームセンター。
 店同士は近いが、零樹はつい先日までこの中へ入った事はなかった。ゲームなどには大して興味もなかったし、うるさい場所はそんなに好きではないし――となると、ここに近寄る理由すらなくなるもので。
 つい先日、ここへ足を踏み入れたのも、ゲームをするため、ではなかった。
 なら何故、Azに入ったかというと。
 綺麗な子がいたから。
 ……というのが、理由である。
 何となくその「綺麗な子」に惹かれて店内に入り――結果、その惹かれた理由も分かったのだが。
 彼が、人形だったから。
 人形が、魂ある物のように動く事自体は、別に零樹にとっては珍しいものでも何でもない。
 零樹は、魂を持つ人形を作り出すことが出来る。だからその人形の少年も、同じようなものなのかと思った程度だ。
 実際には、零樹の能力で作り出した人形とは違い、彼は魂を持っているわけではなく、その少年を作り出した「主」の方に少し変わった能力が備わっていた、のだが。
 そして、その「主」というのが、零樹も耳にしたことがあったとある有名な人形師だったのだ。
 霧嶋聡里、という名の。
 ……まったく、人と人との出会いというものは何処に転がっているか分からないものだ。
「……さて、いるかなぁ?」
 あいも変わらず騒々しい音に満ちているAz内に足を踏み入れると、零樹は翡翠色の瞳を店内へ巡らせた。そして、ビデオゲームの筐体が並ぶスペースの、その更に奥の少し薄暗い場所に、黒いコートの男を見つけてパッと笑みを浮かべた。
「いたいた。霧嶋さん」
 ひらと手を振りながら、足早にそちらへ歩み寄る。と、椅子に座って足を組み、何事か考えるように膝の上に頬杖をついていた黒コートに黒い帽子を目深に被った無精髭の男が、僅かに顔を上げた。が、その目許はやはり帽子に覆われていて見る事は出来ない。
 彼が、霧嶋聡里である。
「……お前は?」
 低い、あまり抑揚のない声で問いかけられ、ああ、と零樹は頷いた。
「そういえば先日はお話できませんでしたね。初めまして、蓮巳零樹です。先日は琥珀くんと一緒に、彼の双子の……ああ、瑪瑙ちゃん。こんにちは」
 霧嶋の傍らにひっそりと無言で座っている、銀髪の白いドレス姿の少女に気づき、にっこりと微笑みかける。が、彼女の双眸は瞼で覆われており、零樹の浮かべた魅力的な笑みを見ることはできなかった。が、気配と声の質で微笑んだ事を察したのか、少女――瑪瑙はにこりと穏やかに微笑み返した。そしてぺこと頭を下げる。
「……ああ、琥珀と喫茶店で……」
 ぽつりと霧嶋が零した言葉に、そうです、と零樹は頷いた。
「あの時はどうも。お陰で楽しくお茶できました」
「それは何よりだ。今日も琥珀に逢いに来たか? ……が、もしそうなら一足遅かったな」
「え?」
 そういえば。
 店内にも、彼らしい姿は見当たらなかった。今霧嶋の傍にいるのは瑪瑙だけだし……。
「もしかして、もう誰かとお祭に行っちゃった、とか?」
「そういう事だ」
「そうなんだ? あ、でもまあそれは別に構わないかな。今日は彼に逢いに来た訳じゃないし」
「なら、この子に用か?」
 言って、霧嶋は隣に座る瑪瑙の髪をそっと撫でた。その言葉に、零樹は目を細める。
 ――この子。
 瑪瑙も、琥珀と同じで霧嶋自身が作った人形だ。それに対し「この子」と言う霧嶋の言葉が、何となく、零樹の中にすとんと落ちてきたのである。
 親としての優しさと――そして、聞き覚えのある懐かしさと共に。
 先の霧嶋の問いにゆっくりと頭を振ると、零樹は少し首を傾げて笑った。
「僕は、霧嶋さんに逢いに来たから」
「……私に?」
 驚きではなく、怪訝そうに問い返す。こんな小僧が自分になど何の用か、と言う所だろうか。
 それに、零樹はすっと右手を差し出し、にっこりと微笑んだ。
「もしお暇なら、僕とデートでもどうかな? と」

 そう、言った矢先。

「あっはっは! 霧嶋とデート?! おいおいそこの美青年、アンタなかなかの物好きだねえ!」
 いきなり背後から聞こえてきた、弾けるような笑い声に、驚いて零樹は長い髪を揺らせて振り返った。
 そこには、日本人形の様な真っ直ぐな黒髪を腰まで伸ばし、黒いスーツを纏った人物が立っていた。顔つきは中性的で、その上化粧っ気が全くないが、どうやら声質からして女性らしいと判断がつく。左目を覆う鋲の打たれた眼帯が妙に目を引いた。
「……本気で言っている訳でもない言葉をいちいちからかってやるな」
 驚いている零樹の代わりに、淡々と霧嶋がその女に言う。それに、ひょいと女が眉を上げ、ニヤッと笑った。
「まあまあ本気でも冗談でもいいじゃないか。お前もこんな辛気臭い場所にばかり居ず、たまには美青年と一緒に日の当たる場所にでも行って来い。頭にカビが生えるぞこんなトコにばかりいたら」
 なあ、と話を振られて、零樹は「ええ」と曖昧に頷いておく。
 それにしても、これは一体誰なのか。
(霧嶋さんの知り合い……ではあるみたいだけど)
 霧嶋を「静」とするなら、彼女は「動」。
 そんな感じだ。発する気も、例えるなら霧嶋の方は月、彼女の方はまるで太陽のようだ。彼女がその場にいるだけで、何となく、空気までが明るくなるような気がする。
 暫し対照的なその二人を交互に見やると、その不思議そうな視線に気づいたのか、女が「あ」と声を上げた。
「あー悪い悪い、挨拶が遅れたな。私はここの店長だ。遠慮なくお姉様と呼んでいいぞ、美青年」
「……美青年と呼んでやるのもいいかもしれん。が、一応言っておくと、蓮巳零樹という名らしい」
「蓮巳ィ?」
 霧嶋の言葉に、ん? と店長が腕組みをして首を傾げる。
「おい霧嶋。蓮巳って、なんかどっかで聞いた事ないか? はすみ、はすみ……」
「蓮巳宗弦(はすみ・しゅうげん)の事だろう」
 さらりと零れたその名前に、零樹が双眸を見開いて弾かれたように霧嶋を見た。
 それは、祖父の名。
 日本人形の職人だった祖父の名前である。
「霧嶋さん、祖父を知って……?」
「……一応、私も人形に携わる者だからな」
 言うと、霧嶋は組んでいた足を下ろしてゆっくりと立ち上がった。そしてもう一度、黒皮の手袋を嵌めた手で、大人しく座っている瑪瑙の頭を撫でる。
「いい子にしているんだよ、瑪瑙」
 まるで幼い子に言い聞かせるような優しい言葉。それに、瑪瑙はこくんと頷いて、手をひらひらと振る。
 いってらっしゃい、という意思がふわりと零樹の中に響き、それが瑪瑙の言葉なのだと理解すると、ちらと霧嶋を見る。
「僕と祭に行ってくれる、のかな?」
「……頭にカビが生えても困るしな」
 先程の店長の言葉を真に受けたような返事をされて、零樹はくすくすと笑った。
 愛想は全くないが、案外ユーモアが理解できる人なのかもしれない。
「まあ、デートは言い過ぎだけど。一人で行ってもつまらないしね、祭なんて。良ければ、遊びに付き合ってもらえると嬉しいな、と思って」
「……私と行った所で何が楽しい訳でもないと思うが」
「それは行ってみないとわからない、かな?」
「あ。デート交渉成立したところで」
 とんとん、と零樹の肩を叩き、店長が店内の壁の方を指差した。つられてそちらに視線を向けると、何か紙が貼ってあるのが目に入る。
 どうやら、この店長が仕掛けた何かのゲームのようだ。ざっと目を通し、そこに書かれている景品一覧で視線をぴたりと止める。
「特別賞……人形師、霧嶋聡里製作『白惺(はくせい)シリーズ』の一つ、銀のお下げ髪に緑の瞳の『萌葱』。女、白浴衣着用」
 書いてある事をそのまま声にして読み上げ、何度か瞬きをしてから、パッと霧嶋を見た。
「何だか、霧嶋さんの人形が景品になってるみたいなんだけど」
「……ああ、折角お前がここにいるんだからお前も何か提供しろ、と言われてな。なら『萌葱』をくれてやる、と言ったんだが」
 ここに遊びに来ている者で、霧嶋聡里の人形の価値が如何ほどのものか理解できる輩がいるとは思えない。
 なのに、あっさりとそれを手放してしまうとは。
 ……彼の人形に対する愛情はその程度なのだろうか、とちらりと思ったところ、その思いを察したのか、霧嶋は無精髭が生えた顎先で、店長の方を示した。
「こいつは、一応それなりに人を見る目はある。私の子を、大切に扱わないような輩に簡単に渡したりはしないと信用した上で、くれてやったものだ」
「大体、こいつの人形、高いだろう? しかも『白惺』の一つになると十数万円はくだらない。そんな高額景品を、価値の分からん阿呆に渡すわけないだろう、勿体無い」
 霧嶋の言葉に補足を入れると、店長はニヤリと笑った。
「でもまあ、蓮巳氏の孫ならきっとその価値、わかるんだろうねえ? どうだい、美青年。参加してみないか? 他に景品で何か欲しいものもあったりとかしないか? だったら是非!」
「……他に欲しいものって言ったって……」
 ちらりと、もう一度貼り紙を見る。
「ここにはそんなに来ないから無料の権利貰っても仕方ないし、温泉はこないだ行ったばかりだし……しいて言うなら、まあDVDプレーヤーかなあ?」
「お、美青年、さすがお目が高いねえ!」
「霧嶋さんの子が普通の景品だったらもうちょっと張り切ったのになぁ。いくら価値が分かったとしても、貰えるのは運次第な訳だよねぇ?」
「そうだねえ、運次第だねえ。あとは美青年のセンス次第かねえ?」
「……しょうがないなぁ……まあとりあえず、祭に行って考えてみようかな」
 苦笑を浮かべて、零樹は紙に書きつけられている三つのヒントを記憶すると、店長とのやりとりをただじっと黙って聞いていた霧嶋ににこりと笑いかけた。
「貰えるといいな、霧嶋さんの子」
 けれど、それに霧嶋は何も答えずに歩き出した。
「あ、ちょっと待って!」
 慌てて、零樹もその後を数歩追ってから、ふと足を止めて瑪瑙を振り返ると。
「それじゃ、ちょっと霧嶋さん借りるね」
 それに、瑪瑙は変わらず双眸を伏せたままニコと笑ってコクンと頷いた。
 ……琥珀の方は無表情で愛想もあまりいいとは言えないのに、瑪瑙の方は常にニコニコとしている。
 ほんの少し、霧嶋の性格は琥珀の方にだけ受け継がれたのかな……などと思い、ふと、そういえば噂で、人形を作るたびに霧嶋は性格が変わっていったとか聞いたっけ、と思い出す。
 本当なのかどうか聞いてみたいような気はしたが――とりあえず今は、先に店を出た霧嶋の後を追うことにした。


【chapter:3】

 まだ、零樹がごく幼い頃。
 祖父と共に来た、この場所。
 十数年の時を経て――今、再び訪れたが。
「あんまり変わんないねぇ」
 歩く者たちが着ている洋服などは微妙に違っているかもしれない。勿論、その場にいる者自体は当然、違っているに決まっている。
 が、雰囲気などは、あの頃と全く同じだった。
 途切れることなく行き交う人々。彼らが発するざわめき。露店から聞こえてくる客とやり取りする声や、微かな機械の稼動音、何かを焼く音。そして、どこからか漂ってくる甘ったるい匂いとソースの匂い。
 さまざまな物が一度にその場に詰め込まれたかのような、まとまりのない雑多な賑わい。
 日常から切り離されたかのようなその空間は、何故か奇妙な高揚感を連れてくる。普段なら別に何でもないような物までが、妙に欲しくなってしまうような。
 そして。
 ちらりと隣に視線を移すと、零樹は微かに笑った。
 あまりにも、霧嶋がこの場にそぐわない気がしたからだ。全身黒尽くめで、見るからに暑苦しそうで胡散臭いその姿は、祭などという華やかな場所とは縁遠いもののようで。
 店を出る時に、店長が「あんな格好のままの霧嶋を連れ出すのが嫌なら浴衣に着替えさせてやるけど?」と言われたのをだが、聞いた瞬間、それに返事する事よりも先に目深に被った彼の帽子の下にある双眸の色を、ふと頭の中で思い描き――数秒の後、自分が彼の素顔を知っている事を思い出したのだ。
 最も、今の霧嶋は三二歳のはず。自分が知っているのは、二〇代前半の彼の顔だ。
 まだ小学生だった自分が、祖父の書斎で見かけた雑誌に載っていた、その青年。
 確か、その記事のタイトルは――。
「希代の若手天才人形師・霧嶋聡里。その魔法の手に迫る」
 さらさらとした声で紡がれた言葉に、霧嶋がちらと顔を零樹へと向けた。
「……古い話を知っているんだな」
「懐かしい? 随分昔、霧嶋さんが載ってた雑誌を見たことがあってね。思い出したんだ。そんなタイトル掲げられてたなあって」
「随分と記憶力が良い事だ」
「顔も見たよ。写真で」
 質の良さそうな黒いスーツを纏い、今のようなだらだらと長い髪ではなく、こざっぱりとした髪型、そして切れ長だが穏やかさを宿した黒い瞳。
 勿論、無精髭も生えては居なかった。
「こないだの個展のパンフには顔載せてなかったね、確か」
「別に私は、客に私の顔を見てもらいたい訳ではなかったからな」
 見てもらいたいのは、あくまでも自分が生み出した人形――子供達。
「作者の顔など、余計な物だ」
 職人らしく、霧嶋もどこか硬い考え方をするようだ。
 まあ、これなら、店を出掛けに店長が提案した事を霧嶋に言ったとしても、頑なに拒絶されたに違いない。
 目深に帽子をかぶっているのも、おそらくは自分の顔をあまり他人に見せたくないから、だろう。
 隠したがる理由が何かは分からないが……一応、表向きは「行方不明」になっている霧嶋である。そういう事も理由の一つではあるのだろう。
 どうして「行方不明」になったのかも謎のままだが。
「それよりも」
 自分の顔をじっと見て何かを考えている零樹から顔を背けるようにして前を向きながら、霧嶋が顎先で露店を示した。
「あいつへの土産を考えるんだろう?」
「あーそうだ」
 ぽんと手を打つと、零樹はその手を頬に当てて少し首を傾げた。
「ハズレを狙うにしても当たりを狙うにしても、何か一つは選んで帰らないといけないね。……とはいえ、あの三つのヒント見る限りじゃあ、僕に思い浮かぶものって一つきりなんだけど」
 彩、透、涼。
 彩り、透明、涼しげ、と解釈すると……。
「それは何だ?」
 霧嶋の問いに、んー、と少し唸り。
「水ヨーヨーかなあ、って」
 黄色、赤、緑の線や点模様が入った透明な水ヨーヨーを思い浮かべる。一応、彩りはあるし透明だし涼しげ……だと思うのだが。
「どうかなあ? 当たると困るような気もするけど当てたいような気もするし」
「……とりあえず、思い浮かぶものが他にないのであればそれにするより仕方ないだろう」
 もっともなご意見だ。
 選べるものはたった一つ。ならば、丁度浮かんだそのたった一つのものを持って返るより、仕方ない。
「でももう少し、霧嶋さんも一緒に考えてくれてもいいのにさ」
「あいつの遊びに付き合うのはお前の勝手だ。私が付き合う謂れはない」
 人は人、自分は自分。
 自分の中にあるテリトリーに、それ以上他人が入り込んでくるのを厭うかのようなその頑なさは……。
 それも、零樹がよく知る感覚。
 淡々と低い声で紡がれる言葉に、零樹はふと、肩を竦めた。そして口許に笑みを浮かべる。
「人形師って、何でこうも無愛想な人ばっかりなんだろう」
 零れた言葉に、前に顔を向けていた霧嶋がちらりとまた零樹を見やった。が、そちらを見ず、零樹は笑みを浮かべたまま視線を少し落とした。
「……ホント、死んだ祖父さんにそっくりだ」
「……、そうか……蓮巳氏は亡くなられたんだったな」
 独り言のように呟く霧嶋のその表情は、やはり伺い知る事は出来ない。
 だが、今は。
 ぽん、と軽く霧嶋の背を叩くと、零樹は華やかな笑みを浮かべた。
「ほら、折角の祭なのにしんみりしてたら勿体無いよ」
 とりあえずは、店長への土産だ。
 ――そう言いながらも、霧嶋を見るたびにどこかその面影に祖父を見てしまうのは……何故だろう。
 寡黙で無愛想で、どこか頑なな所がある点などは、確かに似ている。人形師だったという共通点もある。
 だが、それ以上に何か――……。
(何だろう……)
 自分でもよく分からなくて、零樹は首を緩く傾げたが、それ以上考えても詮無いことだと割り切って、その思いを一旦横に置いた。


【chapter:4】

 通りには何軒も同じような露店が並んでおり、実際、何軒か同じ商品を扱う店はある。
 水ヨーヨー屋も例に漏れず、何メートルか置きに必ず一件あり、さてどこに寄ろうかと少し悩んだ零樹は、結局「どこでもいいや」という結論に達し、すぐ近くにあった店へと足を向けた。
 その後を、霧嶋は気だるげに無言でついていく。時折右手を持ち上げて軽く手首を振るのは、彼の癖なのだろうか。
「お、いらっしゃーい」
 がっちりとしたガタイの店主が、小さな椅子に腰掛けて野太い声をかけてきた。それに、零樹は着物の袂から財布を取り出しつつ問いかけた。
「この水ヨーヨーって、一ついくら?」
「は? ……一ついくら? じゃなくて、はいコレ。一回二百円ね」
 一瞬この兄ちゃんは何を言っているのか、と思ったらしい店主は、けれどもすぐに気を取り直して、零樹に向かって先に釣り針のように曲げた針金のついたこよりを差し出した。
 思わず受け取って指定された料金を差し出しながら、零樹は不思議そうにこよりを眺める。
「……で、何コレ」
「あ? 何って。それで水ヨーヨーを釣るんだよ。そのこよりで上手く釣れたら、釣れた分だけ全部持って帰ってもらっていい。が、こよりが切れたら、たとえ一個も取れてなくてもハイそれまでよ、と」
「え? ちょっと待って。これって自分で取んないと買えないの?」
「買うのはあくまでもこよりだ。水ヨーヨーをゲットできるかどうかは釣れるかどうかによるぞ?」
 てっきり金さえ払えば買える物だと思っていた零樹は、その計算違いの状況に深く溜息をついた。
 が、やらなければ入手できないのであれば。
「仕方ないなぁ……」
 言って、ぷかぷかと幾つもの水ヨーヨーが浮いているビニールプールの傍にしゃがみ込むと、着物の袂が水につかないようにとたくし上げる。そして、ちらりと傍らに立っている霧嶋を見上げた。
「じゃあちょっとやってみるよ。応援してくれるよねぇ? 霧嶋さん」
 さらと肩口から零れた髪を片手でまとめて背中へ払い除けながらにっこりと微笑む。語尾にハートマークでもつきそうなその声に、水ヨーヨー屋の店主が「何だろうこの二人は」という目を零樹と霧嶋の双方へと交互に向けたが、特に何も言いはしなかった。
 そして霧嶋はと言うと。
 やはり表情一つ変えずに、顎先で水面を示した。
「早くやれ」
「あーはいはい。なーんか頑張り甲斐がないなあ」
 言いつつ、一番近くに浮いていた水ヨーヨーの、口許を縛っているゴムの先に作られた輪の部分にひょいとこよりの先にある針金を引っ掛けて、すいと持ち上げる。
 簡単簡単、などと思ったのも、束の間。
 引っ掛ける際に少し水に濡れてしまったこよりは、水ヨーヨーの重みに耐え切れず、すぐにブチリと切れてしまった。
「あっ。……ちょっと店員さん。これ、切れ易過ぎない?」
「兄ちゃんがヘタクソなんだって。あ、ほら見ろ」
 言って、店員が指差した方を見ると、小学生くらいの女の子が今まさに、水ヨーヨーを一個、釣り上げるところだった。
「わあ! 釣れたー!」
 嬉しそうにはしゃぐ女の子の姿に、何だか物凄い敗北感を覚え、零樹はすぐさま財布から百円硬貨を二枚取り出して店員に差し出した。
「早く、新しいのちょうだい」
「はい毎度ありー」
 新たに差し出されたこよりを指でつまみ、今度は慎重に狙いを定める。物凄く慎重に狙いを定めてこよりを静かに動かしてゴムの輪に引っ掛けて、持ち上げ――ようとして。
 ぶちん。
 また、切れた。
「…………。もう一回!」
「はい毎度ー」
「ちょっと霧嶋さんっ、ぼーっとしてないで僕の髪の毛後ろで持って! 邪魔だから!」
 別に何の邪魔にもなっていないはずの髪の毛のせいにしつつ、またしても真剣な眼差しで狙いを定める。その後ろで、やれやれと言うように肩を竦めて腰をかがめると、霧嶋は皮手袋を嵌めたままの手で、言われたとおりに零樹の肩に零れた髪を、背中に流れていた髪とまとめて一つにして掴んでおいた。そこから、その頭越しに零樹の釣りを眺める。
 ちょうど、また速攻でぶつりとこよりが切れたところだった。
 結局、「もう一回!」「はい毎度ー」「もう一回!」「はい毎度ー」……というやり取りを何度か聞き、半ば意地になってきたらしい零樹が再度「もう一回」というコールをする直前で、霧嶋が零樹の手許から硬貨をするりと奪うと、代わりに店主に差し出した。
「あれ? 霧嶋さん、やるの?」
 ふと我に返ると、零樹はどうやらやる気になったらしい霧嶋のために場所を譲った。取れるのだろうか、という疑問を抱きはしたものの、全く取れそうにない自分が言うのもどうかと思い、その言葉は胸の中へと押し込める。
 霧嶋は、その場にしゃがみ込むと、店主に受け取ったこよりをしばし眺めてから、水面へと顔を向け――すっと、素早くこよりを操り、輪ゴムを一本引っ掛けて水ヨーヨーを釣り上げた。
「あっ、釣れた!」
「おっ、やっと釣れたか!」
 零樹と店主が声を上げたのはほぼ同時。思わず顔を見合わせて……零樹が僅かに眉を寄せた。
「僕にだけすぐ切れるの渡してたんじゃない?」
「そんなわけないだろー。嫌だなァ子供みたいなこと言って。はい、これはこっちの兄さんに渡せばいいんだな?」
 釣れた透明な水ヨーヨーからこよりを外すと、店主は零樹へとそれを差し出した。それを受け取り、零樹は立ち上がった霧嶋ににこりと笑いかけた。
 そして、礼を口にしかけて――ふと、この時の光景を一度、経験しているような感覚に陥る。
『僕のだけすぐ切れるの渡してたんじゃない?』
『坊主、おじいちゃんが取れたのはおじいちゃんが上手だからだぞ? こよりが丈夫なんじゃなくて、おじいちゃんが上手で、坊主が下手なだけだ』
 ――その光景の中にいる自分は、まだ幼くて。
 結局、水ヨーヨーを自分で取ることが出来なかった自分は、何となく恥ずかしさからその記憶を胸の奥深くに沈めてしまっていたようだ。
 水ヨーヨーは、自分で取らなくては手に入らないものである。
 でも、あの時の自分は、何度挑戦しても取れなくて。
 結局、見かねたらしい祖父が挑戦して、あっさり一度で取ってしまったのだ。それを貰ったため、時間が経つにつれて「自分で取らなくても手に入るもの」というように記憶が微妙にズレてしまったのだろう。
「……一度で取れるとこまで同じなんてね」
 呟くと、零樹は歩き出した霧嶋の背を足早に追った。そして、とん、とその背に触れてコートを掴む。
 あの、幼い日の自分が、人波の中ではぐれないようにと祖父の浴衣をそんな風に掴んでいた――それと同じように。
 背に触れた零樹の手に、わずかばかり霧嶋は振り返ったが、特に何も言わずにそのまま歩いていく。
 そう、あの時の祖父も、そうだった。
 でも、その背中から伝わってくるのは拒絶ではなくて――無言の優しさ、だったから。
「……ありがとう」
 雑踏の中で笑みと共に小さく零れた言葉は、霧嶋の耳に届いたのかどうかは分からない。


【chapter:final】

「やあやあお帰りお帰り!」
 客達が、夕刻に近づくにつれて祭へと繰り出し、暇になってきたゲームセンターAzの入口付近で、少年二人に図書券を手渡していた店長が、零樹と霧嶋の姿を見つけてひらひらとべっこう飴を持つ手を振った。
「ああ、あの子たちもお土産ゲームに参加してくれてたわけ?」
 何の本買う? などと相談しながら去っていく少年二人を見ながら問うと、店長はにっと笑って頷いた。
「でも当たりはなかなか出なくてねえ。で? 美青年は何買ってきてくれたんだ?」
「あー……コレをね」
 掌に、霧嶋にとってもらった水ヨーヨーを乗せて差し出す。と、ちらりと店長は零樹の隣に立っている霧嶋を見、そして再び零樹へと視線を戻した。
「あー。図書券、いるか?」
 ……それはつまり、ハズレだったという事か。
「残念。ハズレかぁ」
 苦笑を浮かべると、零樹は緩く頭を振った。
「図書券はいいよ。これ持って返れればとりあえず十分な感じかな。祭に行った甲斐があるって事で」
 掌に乗せたままの水ヨーヨーを軽く持ち上げて笑う。
「折角霧嶋さんが取ってくれたんだしね。誰かにあげるの勿体無いし」
「え? 霧嶋が?」
 驚いたように、店長が霧嶋を見る。そして、ああそういえば、と何か思い出したようにニヤリと笑う。
「昔から上手かったよなあ、こういうの、霧嶋は」
「え? 昔から?」
「あー、幼馴染だからさ、私とコイツ。昔からこういうテキ屋物には妙に強いんだよなあ、霧嶋」
「何だ、だったら最初から僕の代わりにやってくれればよかったのにさ」
 そしたらあんなに金をつぎ込まなくても済んだのに。
 言うと、霧嶋は少し俯いて口許に笑みを浮かべた。
「欲しがったのはお前だろう。私ではない。なら私がやる必要はない。……と思ったが、あまりにも下手で見かねてしまった」
「あまりにも下手って……」
 がくりと項垂れる。努力しても実らなければ認めないタイプなのだろうか、この人は。
 店の中へと足を踏み入れながら溜息をつく零樹の背中を、バシバシと店長が叩く。
「まあまあ。ああいうのは向き不向きがあるんだよきっと。そんなに落ち込むな美青年」
「まあ別にいいけど。もうきっと二度とやらないからあんなもの」
「おやおや。拗ねてるよ美青年」
「別に拗ねてないけどさ」
 面白そうに言う店長から不機嫌そうに目を逸らしたところ。
「……その水ヨーヨーをよこせ」
 横から霧嶋に手を差し出され、零樹は首を傾げた。
「よこせって、これは僕の……」
「持って来い」
 続いての霧嶋の言葉は、店長に向けてのものだった。それに、店長は目を忙しなく瞬かせて――やがてがっくり項垂れた。
「やっぱりそうなるとは思ったんだ。大体、人形師の孫が来るなんて反則だろう。しかも本人も人形屋やってるなんて」
「相応しい人間と言うのなら仕方あるまい」
「あー……しょうがないよなあ……」
 溜息混じりに言うと、そのままくるりと踵を返し、店長は足早に去って行った。
 何の話をしているのか良くは分からなかったが、零樹は差し出されたままの霧嶋の手に水ヨーヨーを乗せる。総額約二千円の水ヨーヨーは、透明な膜の中にこれまた透明な水を抱え込み、ふよふよと霧嶋の手の上で揺れている。
「五百円の図書券と交換しても割りにあわないんだけど」
「奴への土産として買って来た物なんだろう? だったら大人しく諦めろ」
「諦めろって……」
 やけにあっさりと言ってくれるではないか。
「せっかく霧嶋さんにとって貰ったもんだから大事にするよーって言ってるのにさ」
「大事にするのなら、こんなものよりあれを大事にしろ」
 言って、霧嶋は水ヨーヨーを持つ手の人差し指で、前方を指した。
 何だ、とつられるようにそちらへ目を向けて――零樹は双眸を見開いた。
「あれ……」
 店長が抱えてこちらへやってくるのは――霧嶋聡里の人形『萌葱』だった。優しげな眼差しと微笑を浮かべた、全長約六〇センチほどの少女人形である。
「え……、えっ、本当にいいの?」
 萌葱を差し出す店長の顔を、見開いたままの眼で見つめながら問う。
 いくら二千円の水ヨーヨーだ、とはいえ、人形は十数万の価値があるものだ。交換するにはあまりにも……。
 それに、店長は肩を竦めた。
「考えてもみろ。私は最初に言っただろう? 蓮巳氏の孫なら価値も分かるだろう、と。そして霧嶋は、私には人を見る目があると言った。なら、お前が何を買ってきても、人形の事を考えるならコイツはお前に渡すべきだ、とその時既に決まっていたようなものだ。そうだろう? 人形店『蓮夢』の店主さん?」
「それは……」
「お前以上に、このゲームに参加する輩でこの子を理解できる奴はいないと思うしねえ? 何より、この子の親である霧嶋がそう望むんなら、仕方あるまい」
 その言葉に、零樹は傍らに立っている霧嶋を見た。本当にいいのかという目に、答えるように唇の端を歪めるようにして笑う。
「蓮巳宗弦氏は確か、日本人形師だったな。としたらお前もそっちが専門なのだろう。私が作るような比較的歴史の浅い人形がお気に召さないなら断ってもらっても構わんが」
「断るわけないじゃないか」
 即答すると、零樹は差し出された萌葱を両腕で受け取り、その存在を確認するように抱きしめた。
 ――祖父も、自らが作り上げた人形を、我が子のように大切にしていた。
 そしてきっと、それは霧嶋も同じだろう。
 その大切な我が子を、自分ならばと信頼して渡してくれたのだと言うなら。
「……大事にするよ。当たり前だ」
 零樹にとっても、人形はただの「物」ではなく、命あるものなのだから。

 人と、同じ存在なのだから。

「うちはちょっと君とは毛色の違う子ばかりだけど、きっと仲良くできると思うよ」
 目許に穏やかな笑みを浮かべて、零樹は萌葱に話し掛けた。それに返されるのは鈴の音のような澄んだ声。
 きっと突然こんな銀色の髪の子を連れて返ったら店の皆は驚くだろうなあと思いつつ。
 信頼してこの子を預けてくれた二人をちらりと見てから、零樹はまた目を腕の中の子に戻し、にっこりと笑って、言った。

「うん。こちらこそ……どうぞよろしく、萌葱」





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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 整理番号 … PC名 【性別 /年齢/職業/階級】

0086 … シュライン・エマ――しゅらいん・えま
        【女/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員/大天使】
0733 … 沙倉・唯為――さくら・ゆい
        【男/27歳/妖狩り/大天使】
2577 … 蓮巳・零樹――はすみ・れいじゅ
        【男/19歳/人形店店主/大天使】
1532 … 香坂・蓮――こうさか・れん
        【男/24歳/ヴァイオリニスト/天使】


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■         ライター通信          ■
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 こんにちは。ライターの逢咲 琳(おうさき・りん)です。
 この度は依頼をお請けいただいて、どうもありがとうございました。
 少しでも楽しんでいただけましたでしょうか?

 蓮巳零樹さん。
 再度のご参加、どうもありがとうございます。再会できて嬉しいです。
 霧嶋を祭へ誘っていただき、ありがとうございました。
 なんだか、水ヨーヨーを上手く取れないというようなことになってしまい……す、すみません。実は物凄く上手かったらどうしよう、と思いつつ……(笑)。
 景品は、DVDではなく、霧嶋の人形が贈呈されています。
 可愛がっていただければ幸いです。
 あと、【chapter:1】内の冒頭のみ、わざと読みづらい漢字使いになっています(汗)。
 雰囲気作りのため、ということでご容赦頂けると嬉しいです。
 お祖父様のイメージが違っていなければ良いのですが……(汗)。

 本文について。
 界の詳細な規則等は、すでに異界をご覧頂いていると思い、省かせていただいています。
 わかりにくい、と言う場合は、異界にてご確認ください……。
 今回は、全PCさん完全個別となっております。
 他の方が祭で何をされていたか、興味ありましたらちらりと目を通して頂けると嬉しいです。

 もしよろしければ、感想などをお気軽にクリエイターズルームかテラコンからいただけると嬉しいです。今後の参考にさせていただきますので。

 それでは、今回はシナリオお買い上げありがとうございました。
 また再会できることを祈りつつ、失礼します。