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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


Contentment + Dissipation


【chapter:0】

 今年は空梅雨なのだろうか?
 昨日も雨らしい雨は降らなかった。
 明日もそんなに降らないという。
 そして今日も、少し雲は出ているが、そこから大量の雨粒が落ちてきそうな気配はなかった。
 しかし、気温は、最高気温が約三〇度。
 このまま夏に突入してしまうのではなかろうかと思えるほど、暑い。
 まあ、もっとも、このゲームセンター「Az」内にいる限り、そんな外気温など構う必要もないのだが。
 それにしても、だ。
 ちらと右の視界だけで、カウンターの上に置かれたキャラクターものの卓上カレンダーを見やると、左目に鋲の打たれた黒い眼帯をし黒いスーツを纏ったAzの店長は、ふっと溜息をついた。
 そこには、赤い丸印が書きつけられている日がある。
 梅雨の中休み頃に合わせて行われる祭がある日だ。
 鬱陶しい梅雨時の気分を発散させるのが目的なのか何なのかは分からない。それどころか、何に由来した祭なのかも知らない。近くに神社があるのかといえば別にそうでもない。なら、何のための祭か?
 ……いや。
 そんな事はどうでもいいのだ。本当にどうでもいい。
 それよりも、祭といえば。
「やっぱり、アレだねぇ。今年もやらなきゃだな」
 ぽつりと呟いてから、その唇を歪めてニヤリと笑うと、店長はカウンターの上に卓上カレンダーと共に並べて置いてある太めの筆ペンを手に取り、さらさらと紙になにやら書きつけていく。
 そしてふと手を止めて、目を上げた。
「あー。たまにはバイト生たちにも休暇くらいはくれてやるか。あいつらも祭なら行きたいだろうし。何なら浴衣くらいなら提供してやってもいいな……」
 言ってから、あ、と声を漏らし。
「さすがに私一人では手が足りんから黒には残ってもらう事にして、と」
 呟きに、モップを引きずって傍を通りがかった黒いゴシックスタイルの、通称「黒のバイト生」が一瞬嫌そうな顔をしたが、店長には見えなかった。

 翌日。
 店内の壁に、豪快な文字が綴られた一枚の紙が貼り付けられていた。

                *

■毎年恒例行事――店長の欲しい物を当てろ!■

 六月三〇日に行われる祭にて、店主が望む物を入手して店に持ってきた者には、以下の景品の内、望む物を贈呈する。
 ちなみに、欲しいものが被った時には早い者勝ちとする。
 ハズれた場合は残念賞進呈。特別賞は、正解以外の物でも店主が気に召せば、進呈。

1:当店で、どのゲームでも一週間無料で遊び放題。
2:兵庫県城崎温泉への一泊二日ペア宿泊券(近くの水族館入園無料チケット付。但し交通費は自前)。
3:薔薇五〇本の花束。
4:サマージャンボ宝くじ連番十組(発売後贈呈)。
5:DVDプレーヤー。
残念賞:図書券五百円分。
特別賞:人形師、霧嶋聡里製作『白惺(はくせい)シリーズ』の一つ、銀のお下げ髪に緑の瞳の『萌葱』(女/白浴衣着用)。

 なお、店長からのヒントキーワードは「彩」「透」「涼」。
 品物は一品のみ、持ち帰ること。一品以上だと失格とみなす。
 祭の出店は以下の通りである。

食べ物>りんごあめ、飴細工、べっこう飴、かき氷、たこ焼き、お好み焼き、たい焼き、大判焼き(カスタード・あん・チョコ)、焼きそば、クレープ、焼き鳥、いか焼き、フランクフルト、フライドポテト、わたあめ、焼きとうもろこし、五平餅、鈴カステラ
遊び・その他>金魚すくい、水ヨーヨーすくい、スーパーボールすくい、お面、花火、くじ、射的、輪投げ、風鈴、サイリューム(ブレスレット型)、盆栽、風船、子供用おもちゃ

                *

「さあ、参加者がいるといいけどねえ」
 紙の前で立ち止まっている者を見やって、店主が笑みを浮かべて呟いた。


【chapter:1】

 そろそろ梅雨明けも近いかというその日。
 沙倉唯為は、自宅にて暇を持て余していた。
 かといって、この湿度の高い、蒸し暑い時期。行動する気力も自然と減退してしまうのだが……。
 ふと、その脳裏に涼しくて面白いものがある場所が思い浮かんだ。
「そうだ……あそこなら涼しいな」
 ソファに横たえていた体をガバリと起こすと、唯為はそのソファの背にひっ掛けていたスーツの上着を取り、ローテーブルの上に置いていた愛車BMWのキーを取り、部屋を後にした。


 そうして唯為がやってきた場所と言うのが。
 ゲームセンター、Az。
 多少耳障りな音が溢れてはいるが、とりあえず、冷房はよく効いていて涼しいし、その上ココには面白いモノもいる。
 その「モノ」は、丁度、店の入口付近をモップで熱心にキュッキュッと磨いていた。が、その真正面に歩み寄った唯為の靴先が視界に入ると、ふっと銀色の髪を揺らせて顔を上げる。
「あ。いらっしゃいませ、沙倉さん」
「今日もマジメにお仕事に励んでいるようだな、琥珀。偉いぞ」
 言って、くしゃりと髪を撫でる。そしてふと、周囲を見渡した。
 なんだか今日は、店内の雰囲気が違うような気がする。見れば、あちらこちらに浴衣を纏った女の姿がある。
「何だ、近くで祭でもあるのか?」
「そのようです」
 淡々と答えると、琥珀はモップの柄を片手に持ち、空いたほうの手で店内の壁の一部を指差した。
 そこには、一枚の貼り紙がある。今日の日付がデカデカと赤い文字で書き付けられ、祭りが何だとかかんだとか書いてある。
 一体なんの祭りかと歩み寄って暫し貼り紙を眺めると、唯為はふむ、と頷いた。
「よし。行くぞ、琥珀。どうせ祭など行った事もないんだろう、お前。俺が楽しみ方を伝授してやる」
 強制的な響きを持つその言葉に、その傍らに立っていた琥珀が首を傾げた。
「行く? 僕とですか?」
「ここで『琥珀』というのはお前しか居ないだろう? 分かりきった事を訊くな、阿呆」
「店長は、行きたければ行ってもいいと言われてはいますが、それにしても」
 口許に手を当て、琥珀は少し俯いた。
「阿呆……ですか」
 深刻な顔で呟く。どうも真剣に自分が阿呆なのかどうかを考え込んでいるらしい琥珀のその頭をくしゃりと撫でて思考の網の中から引っ張り上げると、唯為はふと、琥珀の姿を頭の上から足先まで眺め下ろし、ふむ、と口許に拳を当てた。
 後ろに、長いつばめのしっぽが垂れた白衣装。襟元と、そして袖口から覗くのは繊細なふりふりレース。
 まるで童話の中の王子様のようなその姿。
「鬼店長がたまには気が利く奴だ、というのはわかったが……その格好では動き辛いな」
「そうですか? 僕は慣れていますが」
「いいや。動き難い。俺が動き難いと言ったら動き難いんだ。よし、店長に浴衣がないか訊いて、借りて来い。俺としては白浴衣希望だ」
「白い浴衣ですか。わかりました」
 強引なまでの唯為の言葉に、けれどもこの格好のままでいいと言い張る事もせず、ごく素直に琥珀は頷いてカウンターの方にいる店長の方へと歩いていく。
 その、人波に紛れていく細い背中を見て、唯為は腕組みをして僅かに眉を寄せた。
「…………」
 従順なのは、抵抗する意思というものがまだないのだろうか。
 そういうものを、創造主である霧嶋に教え込まれて――与えられていないのだろうか。
 それとも。
 彼が、人形だから、だろうか。人に作られし存在だから、人には従順に従う、のだろうか。
 それがたとえ、自分の言葉でなかったとしても――琥珀は、素直に頷いて「分かりました」と答えるのだろうか。
 誰に対しても、同じように……?
「……、沙倉さん?」
 視線を斜めに落として自分の意識の内側へと入り込んでいた唯為は、いつの間にか下から自分を見上げている金の瞳を見てハッと我に返った。その、どこか驚いたような表情を浮かべた銀色の双眸を見て、さらと銀の髪を揺らせて不思議そうに琥珀が首を傾げる。
「どうかされましたか」
「いや……何でもない。それより、俺を名字で呼ぶのはやめろ。紛らわしいから」
 考えていた事を琥珀に悟られないように、いつもの、どこか人を食ったような笑みを浮かべてコツンと琥珀の額を軽く小突く。それに、琥珀は二・三度、忙しなく瞬きをした。
「紛らわしい、とは?」
「同じような名前の奴がいるからな。だから上の名で呼ぶな。下の名前で呼べ」
 銀の髪に、冷めた無表情。どこか琥珀と似通った一人の青年を思い浮かべながら言う。
 さくら、という名の、白い――……。
「下の名前と言うと」
 どこか遠い目をした唯為の様子に気づかず、琥珀は記憶している名を口にした。
「唯為?」
「――――……」
 ふと、唯為は一つ瞬きをした。
 琥珀がその名を口にした、その一瞬――目の前にいるその者が、記憶の中にある人物の姿とダブったのだ。思わずその幻覚を払いのけるように片手で顔を覆って背ける。
「……? 唯為さん?」
 怪訝そうに琥珀が呼びかける。きちんと「さん」を付けられた呼び方に、どこか安心したような――何だか妙な感覚を覚え、唯為は顔を覆っていた手を下ろしながら片頬を歪めて笑った。
「いや、何でもない。それより浴衣はどうした」
 まだ琥珀が白い燕尾服を纏っているのを見て言うと、琥珀は両腕に抱えていた布へと視線を落とした。
 どうやら、それは浴衣らしい。上にはちょこんと、小さく纏められた紺色の帯が乗っている。
 琥珀は先程の唯為の表情の変化を不思議に思いながらもそれを口にはせず、淡々といつもと同じように言った。
「唯為さん、能楽師をされているんだそうですね。店長が、唯為さんなら和服によく慣れているだろうから着せて貰え、と言われたのですが」
「何? 着せて貰えって……」
 ちらりと視線を向けた先では、長い黒髪に左眼を眼帯で覆った、黒スーツ姿の女店長がこちらの様子を見てニヤニヤ笑っていた。
 どうやら唯為の反応を伺って楽しんでいるらしい。
「……なんで俺の職まで知っているんだ、奴は」
「とても物知りなんですよ、店長は」
 そういう問題ではないような気もしたが、まあ今はどうでもいいかとあっさり片付けて、唯為は琥珀の手にある浴衣を見下ろしてふっと浅く息をつき、もう一度店長を見やると。
 ニヤリ、と。
 口許に不敵な笑みを浮かべてから琥珀の肩をひょいと抱き、
「しょうがない。ではしっかりお着替えさせてやろう。俺が、優しく……な」
 琥珀の耳許に囁いて、歩き出す。
 それに店長が、あ、という顔をしたのを唯為は見逃さなかったが、ニヤニヤと笑ったままその前を素通りする。
 どうせたじろぐ様でも見たかったのだろうが……俺に勝とうなどまだまだ早い、とその時の唯為が思ったかどうかは、謎だが――その傍らにいた琥珀はというと、やはり表情一つ揺らがせず「では休憩室でお願いします」などと淡々と言っている。
(……どこまでも色気の通じん坊やだな)
 思うが、まだ「成長中」のコイツに言っても詮無いことか。
 唯為は肩を竦めて密やかに苦笑を零した。


【chapter:2】

 二階にある、畳敷きの店員用休憩室に入り、服を脱いだ琥珀に襟元に藍色が入った肌襦袢を着せてから、唯為はくるりと琥珀に背を向かせた。
 琥珀の体には、人形特有の関節やパーティングラインは見当たらず、一見すると人間と全く同じような体つきだった。そういえば、指先にも人形らしい関節は見られなかったが、それもすべてこの「Az」という域から受ける影響なのだろうか。
 先ほど、肌襦袢を着せる時にほんの少しだけ触れた肌理の細かい白い肌は、冷房で冷え切っているかのようにひどくひんやりしていた。
「……それにしても」
 霧嶋が作った人形のコンセプトが「少年」ゆえに華奢で端正な体つきなのはわかるが。
「もう少し霧嶋に肉付けてもらったらどうだ、琥珀」
 無駄な肉付きの全くない、機能美とでもいうのか……それでもあまりに華奢すぎる体つきをした琥珀に、唯為は言う。それに、琥珀は背を向けたまま首を傾げた。
「問題ありますか?」
「大いにある。抱き心地が悪い」
 背後から腕に浴衣の袖を通させ、もう一度自分の方へと体を向け直させ、上前(左身頃)と下前(右身頃)を持ち、足許の長さを見て調節する。
「もう少し肉付きが良いほうが抱き心地がいい。この前抱きしめた時の感触ではちょっと物足りない感じだ」
「それはつまり、唯為さんを満足させるために僕は肉をつけないといけないということですか?」
「ん? 何だ、俺のためでは不満か?」
「いえ、別に。唯為さんとマスターは同じくらいの身長だと思いますので、唯為さんが物足りないというのならマスターも物足りないのかもしれませんし」
 肉をつけるのではあれば、唯為のためではなく霧嶋のため。
 どこまでも製作者に忠実な言葉に、唯為はふっと溜息をついた。そして、下前を合わせて上前も合わせると、きゅっと腰周りの布地を引いて皺を整える。
「ちょっとここを持て」
 上前の端を琥珀の手で押さえさせると、唯為は後ろに回って背中の方の皺も綺麗に伸ばした。真っ白い布地はまるで降りたての雪のようだった。汚れがない。
「琥珀は本当にパパが好きなんだな」
 琥珀の腰の目線を高さにあわせるように畳の上に立て膝状態になると、唯為は畳の上に置いていた、適当に結ばれた腰紐と帯を拾って解き、腰帯を琥珀の腰に巻いた。そしてその上から手早く帯を回し、後ろにリボンのような結び目が出来る『一文字結び』にした。
「できたぞ」
「ありがとうございます」
 言いながら振り返ると、ふと琥珀は足許を見下ろした。いつも燕尾服姿の琥珀にとって、少し足許が拘束されるような感じになる浴衣は違和感があるのかもしれない。
「……、歩き難いか」
「いつもの服以外、着た事がないので」
「まあ慣れん格好で辛かったり疲れたりしたら早めに言え」
 パン、と軽く自分の膝下を払ってから立ち上がると、唯為は琥珀に手を差し出した。
「着ろと言った手前、面倒はちゃんと見るぞ。おぶるなりお姫様抱っこなりしてやるからな」
「その時はお願いします。多分すぐに慣れるとは思いますが」
 ごく素直に返すと、琥珀は差し出された唯為の手を取った。


【chapter:3】

 あまりの人の多さに、それに飲まれて流されそうになる琥珀の手をぐっと捕まえると、唯為はそのまま肩を抱き寄せた。
 それに、何か言いかけた琥珀は、そうやって肩を抱いている事がごく当然の事であるかのような顔をしている唯為を暫し見つめて、結局何も言わずにそのまま口を閉ざす。
 いい加減、琥珀自身も慣れてきたのかもしれない。唯為に身近く接せられる事に。
 もしくは、この人はそういう人なのだ、と学習したかのどちらかだ。
 何にせよ、そうされることによって多くの人間が作り出すうねりに流されず、歩きやすくなったのは事実だった。ならば、離してください、という必要はない。
 それにしても、と琥珀は唯為の手の熱を、いつもの服を着ている時よりはっきりと肩先に感じながら周囲を見渡した。
 通りはなかなかの盛況ぶりである。周囲からはさまざまな食べ物の匂いやすれ違う者がつけているのであろう香水の匂いなどが混ざって、人いきれと共にその場に停滞している。
「人も多くて……凄い場所ですね」
 ぽつりと零された琥珀の言葉に、ん? と唯為が、さて何をしようかと前方にある露店の幟などを見やっていた視線を琥珀へと向けた。
 いつもは特に感情など現しもせず、ただ硝子のように周囲を映しているだけのその金の瞳が、今は何やら落ちつかなげに右へ左へと揺れている。
 驚いている、のだろうか?
「まああのゲーセンでも、幾ら客が多く入ってもここまでにはならんだろうからな」
「はい、なりません」
 生真面目に答えると、琥珀はまたきょろきょろと周囲を眺め始める。
 よほどに珍しいのだろうか。まあ、初めてこんな場所に来た者の反応としてはこの辺りが普通なのかもしれないが。
 そういえば……前に、琥珀が似ているという白い着物姿の青年を祭に連れ出した時も、今のこの琥珀と似た様な反応をしていたな、と思い出す。
(本当に、なんというか……色々と似ているもんだな)
 別に似た所を見つけ出そうとしているわけでもないのに、どうしてこうも……自然に似ているのか。
 思う唯為の唇に零れたのは、微苦笑だった。
 人の生み出すざわめきと、そこかしこにある食べ物系の露店から聞こえてくる微かな機械音。何かを焼く音。
 そして、漂っている甘い匂いはすぐ傍にある綿菓子屋から発せられているもの。
 日常生活から少し離れたこの空間。
 祭、という場でしか見られないような物が眼に留まると、琥珀はすぐにその場に立ち止まりそうになる。後ろから流れてくる人間のことなど意識の外にあるのか――通行の邪魔になるかもしれないとか、そういう、常の琥珀にならあるはずの理性的な考えが抜け落ちてしまっているようだ。
「おい」
 抱いたままの肩を軽く揺するが、琥珀の金色の瞳はじっと、綿菓子を作っている店の青年の手許に向けられている。
 ふわふわとした青色の蜘蛛の糸のようなものが徐々に割り箸に絡め取られていく。そのうち、出来上がるのはバレーボールほどの大きさの、雲にも似た、青いふわふわの物体。それを嬉しそうに青年の手から受け取ると、仕上がりを待っていた少年は大きな口を開けて噛み付いた。
「……食べ物?」
 ぽつりと呟くと、ようやく琥珀はパッと、二〇センチほど上にある唯為の顔を見上げた。
「あれは何と言う物ですか?」
「あぁ、綿菓子だな。ザラメ……砂糖を溶かして作った物だ」
 色がついていたのはおそらく、ザラメに何か別の味がつけられていたためだろう。その色が出ているに違いない。
「綿菓子……ですか」
 言って、また別の客の為に新しく綿菓子を作り始めた青年の方をじっと見つめている。
 普段表情のないその顔に僅かに浮かぶ「興味」という色に、唯為は微かに笑った。そしてくしゃりと琥珀の髪を撫でて顔を覗き込む。
「欲しいか?」
「え?」
「味覚がないなら飲み食いしてもつまらんだろう。が、食感くらいは分からんか? 触覚が機能しているなら、食感も分かると思うが」
「はい、それは……いえ、でも……」
 いつも淡々とした喋り方をするのに、らしくなく忙しなく瞬く金の瞳が、ちらりちらりと唯為の銀の瞳と、綿菓子との間で行き来する。
 欲しいのに、素直にそうとは言えない子供のようなその態度。言って良いのか、悪いのか……その狭間で揺れる心理がそのまま揺れる瞳に現れている。
「……っ」
 ぷ、と小さく吹き出すと、唯為はもう一度くしゃりと銀の髪を手でかき回した。
 こんな、たかだか数百円程度の菓子をねだるのに一体何をそんなに深刻に悩み込む必要があるというのか。
「欲しいなら素直に言え。綿菓子くらい誰もケチりはせん」
 言うと、琥珀の返事を聞く前に唯為は綿菓子屋の青年に「一つくれ」と声をかけた。すると青年は愛想のいい笑みを浮かべて、いちご、レモン、ブルーハワイ、メロンという四種類の味があると返事を寄越す。
 どれが良いかと問いかけたが、よくよく考えてみたら琥珀にとって味はどうでもいいものだ。どうせ、食った所で分からないのだから。
 なら、一番色が綺麗そうな……。
「レモンを」
 ――銀の髪に、白い浴衣。金色の瞳に黄色の綿菓子。
 色合いとしては、その辺りが丁度いい。
 毎度ありぃ、という威勢のよい声を上げて、綿菓子屋は黄色いザラメの袋を開け、ざらざらという音を立てながら機械へと投入していく。そして割り箸を手に、そこから次第に発生してくる黄色い霧のような綿飴を上手く巻き取っていく。
「――――……」
 その様をまじまじと興味深そうに見つめている琥珀。そのあまりに熱心な横顔に、唯為は口許に手を当てて少し顔を背けると、声を立てないよう笑いを噛み殺した。
 きっと、笑ったら、そのどこにでもいる普通の「子供」の様な表情は一瞬にして崩れてしまうだろうから。
 何となく、それが勿体無いような気がしたのだ。
 そんな唯為の横で、やはり琥珀は徐々に膨れ上がっていく、地上で作り上げられ行く青い雲の塊をじっと、一心に見つめ続けている。


【chapter:4】

「どうだ、食感は」
 再び人の波に乗りながら仕上がった綿菓子に口をつけたところに問いを投げると、琥珀は少し首を傾げて、その口許に手を当てた。
「……溶けます」
「あぁ、まあ砂糖だからな。溶けるだろうな」
「口をつけた時にはふわふわしているのにすぐに溶けてしまって、……」
 言いながら、唯為の口許にそれを差し出す。説明するより実際に食べてもらえばわかるかと思ったらしいが、唯為はそれに小さく笑った。
「俺は食った事があるからどんな食感かは知っている。それは琥珀が食え。味を楽しませてやれんのは残念だが」
 その代わり、と唯為は琥珀の肩に乗せていた手を軽く持ち上げて前方を指し示した。
「折角の祭だ。味覚があるなら食い物で楽しむのもいいが、食感で楽しめるのはせいぜいその綿菓子くらいのものだ。としたら後は、食う以外の楽しみのお勉強しかないだろう」
「楽しみ?」
「射的からすくい物。まあ色々あるみたいだが琥珀の気になるものはどれだ?」
 唯為の指先につられるように視線を前方へ向けた琥珀は、真剣に考え込むような表情になって黙り込む。が、すぐにぱっと唯為へと顔を向けた。
「一通り見てみてもいいですか?」
 実は店長が貼り付けた紙に書かれていた「○○すくい」というものが微妙に気にはなっていた琥珀だが、それが具体的にどういうものなのか上手く想像できなかったらしい。
 小さくなった綿菓子を割り箸から引き抜き、口に放り込んで食してから、琥珀は近くにあった金魚すくいの幟を指で示した。
「ああいう、何とかすくい、というのが何か気になるのですが」
「ん? ああ、金魚すくいとかか?」
 言いながら、人の波に上手く流されて金魚すくい屋の前まで来る。
 水が張られた青いプラスチック樹脂製の四角いプールの中、ひらひらと泳ぐ赤や黒の金魚たち。それを、プールの周りにしゃがみ込んだ子供が、ポイと片手におさまる大きさの容器を手に耽々と狙っている。
 何をするのだろう、という顔で琥珀は彼らを見ている。
 すると、すぐ近くにいた子供が上手く一匹の金魚を上手くすくい上げた。金魚はヒレについた水を弾きながらするりと容器の中に落ちる。追うように容器の中を覗き込み、「取れた!」と声を上げて嬉しそうに笑う少年。
 それを、じっと眺めている琥珀。唯為からは琥珀の後頭部しか見えず、彼がどんな表情をしているのか分からない。
 やがて子供はその金魚を容器ごと店番の男に渡し、ビニール袋に移し変えてもらったものを手渡され、嬉しそうにその場から離れていく。
「……琥珀?」
 興味が湧いたのだろうか?
 やってみたいと、思ったのだろうか。
 ……やはり、もう一人の白い者と気になるものも似ているのだろうかと、思いかけた時。
 くい、と。
 唯為のスーツの袖が軽く引かれた。
 何かと見ると、琥珀の手が、そこにある。
「どうした、琥珀」
「……嫌だ」
 ぽつりと呟くと、琥珀はそのままくるりと踵を返した。からんと下駄が鳴る音がし、気づけば琥珀は、掴んでいた唯為の袖を離し、その場から巧みに人波をすり抜けるようにして駆け出していた。
「な……っ」
 驚いたのは唯為だ。すぐに人混みの中に紛れていくその姿を、見失わないように追う。
「何なんだ一体……っ」
 人波を縫うように、琥珀の銀の髪を目印にして駆ける事、数分。
 ごくあっさりと、唯為は琥珀の細い手首を捉えることに成功した。ぐっと掴み、自分の方へと引き寄せる。
「琥珀!」
「…………」
 ふ、と。
 琥珀が静かに振り返った。そしてぺこんと頭を下げた。どうやら、もう走る気はないらしい。
「すみません」
「何だ、急に……何か気に入らなかったのか」
 琥珀が見ていたのは、金魚すくいの店でごく普通に見られる光景。別に何も……。
 思いかけた時、琥珀が少し視線を落とした。
「……命あるものをああいう風に扱うのは……僕は嫌です」
「……琥珀」
「僕は、ただの人形です。だから命はありません。今動いていられるのは命を得たからではなく、ただマスターの力があるから。それだけのこと。命は、いくら欲しいと思っても手に入らない」
 紡がれた言葉に、唯為は僅かに眼を見開く。構わず、琥珀は淡々と言を継ぐ。
「人間にとって命なんていうものはごく普通にあるもので、金魚のそれさえ大したものではないのかもしれませんが」
 ふ、と。
 いつもは無表情なその顔に、今にも泣き出してしまうのではないかと思うほど、弱い色を滲ませて深く俯き。
「命をあんな風に扱うのは……何だか、凄く嫌な気分で……」
「……そうか」
 興味ではなく、そういう部分で引っかかったか。
 すっと手を伸ばすと、唯為は琥珀の頭を自分の胸へ引き寄せた。とん、と額がシャツ越しに胸板に当たる。
 驚いたように頭を上げかけた琥珀の後頭部を掌で押さえつけて、雑踏にかき消されないようにその耳許に唇を寄せ。
「命がないなどと言うな。今ここでこうして俺と話をしているのは他の誰でもない、琥珀……お前だろう?」
「……、唯為さん?」
「金魚は、あれが仕事だ。お前がAzで働くのと同じ事」
「仕事……」
「それに、ああやって取られる事が一概に不幸だとは言い切れんぞ? 取って帰ってしっかり面倒を見る人間も沢山いるんだからな」
 どこぞの誰かの事を思い出しながら言うと、唯為はそっと押さえつけていた琥珀の頭を解放し、くしゃと髪を撫でた。
「まあ、金魚が嫌なら……アレはどうだ?」
「え?」
 唯為が顎先で示した方を見ると、そこには、先程の金魚すくいと同じようなセットの店がある。が、その店にあるプールに浮かんでいるのは、金魚ではなく、色とりどりの丸いボールで、その店の傍らで子供達がそのボールを手でついて遊んでいる。
 水ヨーヨーだ。
「あれもなかなか取れんのだが……なァに、『テキ屋泣かせの唯為ちゃん』と呼ばれるこの俺にかかればイチコロだ」
「テキ屋泣かせの唯為ちゃん……イチコロ……」
「その技を琥珀にも手取り足取りレクチャーして伝授してやろう」
 やるか? と眼を覗き込んで問うと、不意に近くなった距離にたじろぐような事もなく、琥珀は『テキ屋泣かせ』の意味はよく分からなかったようだが素直にこくんと頷いた。
 そして。
 きゅっ、と。
 唯為の手を握り、店に向かって歩き出す。
 琥珀が、自分から手を繋いで来るとは思っていなかった唯為はその行動に僅かに驚いたように眼を瞬かせたが、どうやらやる気になっているらしい琥珀のその様に、水を差さないようにただ静かに、笑った。
(これのどこが、『命のない、ただの人形』なのか……)
「立派に人間じゃないか」
「え?」
 呟いた言葉に振り返った琥珀に「さて、一勝負するか」と別の返答をし、唯為はもう一度、くしゃりとその頭を撫でた。


【chapter:5】

「そういえば」
 脱いだ黒いスーツの上着を琥珀の肩にかけてやりながら、唯為は顔を立ち並ぶ露店の方へと向けた。
「軽く忘れていたんだが、店長への土産クイズ。一応参加してやるか」
 今二人は、人波溢れる通りから少し離れた場所に居た。歩行者天国になっているため、当然、車は通らないのだから、例え道の真ん中で立ち尽くしていても文句は言われない。
 ……そして二人は、遠慮なく道の真ん中に立っていた。
 夕方が近くなるに連れてだんだんアスファルトから発せられる熱も増して来る。いっそのこと、熱の感知も霧嶋の能力で遮断されてしまえばいいのに、と唯為は軽く舌打ちした。
 だが、唯為が上着を脱いで琥珀にかけているのは、別に自分が暑かったからではない。
 琥珀に対し、そうせずにはいられなかったからだ。
 肩に乗せられたその上着の存在を察知し、ずっと手に持っていた水ヨーヨーに視線を落としていた琥珀が、ようやくパッと顔を上げた。そしてその上着から逃げようとする。
「駄目です」
「何が駄目だ。そんなままでいるほうがよほど駄目だろうが」
 すぐさま手首を掴んで引き寄せて、強引に肩にかけさせる。そして、その銀の髪に手を伸ばした。
 撫でると、毛先からぱたぱたと雫が落ちる。
 唯為が琥珀に上着をかけたのは、琥珀が纏っている白い浴衣が髪同様に酷く濡れていて、肌襦袢すら通して肌が透けそうだからだ。
 というのも、先程、水ヨーヨーすくいに興じていた琥珀は、あまりに熱心に取ろうとするあまり、身を乗り出しすぎて――バシャン、と……頭から水の中に突っ込んでしまったのである。
 そのありえない光景に、唯為は一瞬自分の時間を止めてしまったほどだ。
「だからあんなに前に乗り出すなと言ったのにお前は……」
 上着のポケットからハンカチを取り出し、頬に流れ落ちた雫を拭ってやりながら苦笑する。それに、琥珀は少し顔を上げてから、無表情のまま手許の水ヨーヨーに視線を落とす。
「でも、一つ手に入りましたし」
「…………」
 手に入ったと言うが、ずぶ濡れになった琥珀を見た店主が、可哀想だからという理由で一つ進呈してくれたのだ。断じて、琥珀が自力で取ったものではない。
 本当なら、怒鳴りつけられても仕方ない状況。唯為もとりあえず、何か文句をつけられたらそれなりに……と心情的に臨戦態勢を整えかけたが、店主はよほど人がよかったのか人間が出来ていたのか――それとも、また水に突っ込まれたら困ると思い厄介払いの為だったのかは分からないが――とりあえず、水ヨーヨー一つを琥珀に渡し、さらに「風邪ひくんじゃないよ」とまで声をかけてくれたのである。
 優しい人間もいたものだ。
「まったく……琥珀はもう少し冷静に状況分析が出来る奴だと思っていたぞ」
「僕もそう思っていました」
「他人事みたいに言うな」
 コツンと頭を小突き、ハンカチで髪を拭ってやる。それを、大人しくされるがままに受け入れながら、琥珀は少し溜息をついた。
「……すみません。折角、色々教えてくださったのにアドバイスを上手く活かせなくて」
「いや、まあ祭は別に今日だけではないしな。おいおいじっくり教えてやるから楽しみにしていろ」
 それに、はい、と素直に答えると、琥珀は肩にかけられた上着に少し触れてから、ぺこんと頭を下げた。
「すみません、唯為さんの上着まで濡れてしまうのに……」
「そんなのは乾かせば済む話だ。それより店長の土産物クイズだが」
 上着のことなど本当に些細な事だといわんばかりにあっさりとズレた話を元の位置まで戻し、唯為は顎に手を添えた。
 あのキーワード。彩、透、涼――から思い浮かぶのは……。
「俺は風鈴だと思ったんだが……頭の悪い俺にはサッパリ分からん」
「頭が悪いだなんて」
 弾かれたように顔を上げて、琥珀が頭を振った。
「唯為さんはとても頭の回転が速い方だと思います。いろいろな事をご存知で。僕はいつも、貴方と話す事はとても有益な事だと思っています」
「ほう。琥珀でもパパ以外の人を褒める事があるのか」
「僕は思った事を言っているだけです」
「それはそれは有難いことだ」
 眉を上げておどけるような表情をしてから、唯為は拭いたせいで乱れた琥珀の髪を手で整えてやる。
「ま、帰りにかき氷機でも買うとするか。色鮮やかなシロップもな。たとえハズれていたとしても、鬼店長も楽しめるだろう、それなら」
「でも、はずれていたら景品が……」
「別に欲しい物もなかったからな。霧嶋の人形も、うちには既にマメ琥珀がいるし。だからまあ……琥珀に図書券寄付だ。本を買ってますます賢くなってくれ」
 言って、唯為はまた琥珀の肩を抱いて歩き出した。少しよろけるようにしてそれに従いながら、琥珀は首を傾げる。
 唯為が、また人波のほう――露店のある方へ向かって歩き出したからだ。
「まだ遊んでいかれるのですか?」
「ん? いや、風鈴をな……瑪瑙の土産にしてやったらどうかと思ってな」
「え?」
 驚いて、琥珀は唯為を見た。
「瑪瑙に……ですか?」
「風鈴なら、目が見えずとも夏を感じられないか? 音で。瑪瑙が、風鈴が夏の物だと知っているのなら、の話だが」
「……そう……そうですね。いえ、あの……」
 どういう言葉を紡ごうか少し考えてから。
「ありがとうございます。瑪瑙の事まで考えて下さっているとは思わなかったので驚きました」
「考えない訳があるまい。俺の大事な琥珀にとって、瑪瑙は大事な片割れだろう?」
 言うと、唯為はそっと、もう何度も撫でた琥珀の頭をもう一度撫でた。
 そうするのが、ごく自然な事のように。
「ああそうだ。肝心の琥珀、お前自身は何か欲しい物はないのか?」
「え?」
「何でもいいぞ。何かあるなら言ってみろ」
「え、でも……僕はもう先程から色々と……綿菓子も、水ヨーヨーも……。それに、これ以上いろいろしていただくのは申し訳ないですし」
 手の中にある、白い水ヨーヨーに視線を落として言う琥珀。
 それに、唯為は僅かに眉を持ち上げ、またくしゃりと銀の髪を撫でた。
「申し訳ない? 阿呆。俺がお前に何か買ってやりたいと思っているだけなのに、何が申し訳ないんだ。こういう時には素直に欲しい物を言うものだぞ」
 その言葉に、琥珀は少し考えるように顎先に指を添え――やがて。
 ふ、と。
 その、表情の乏しかった顔に、わずかばかりの微笑を浮かべて小さく頷くと、からりと下駄を鳴らして歩き出した。
「――――……」
 その表情に、唯為は暫し双眸を見開くと、ふっと笑みを零した。そしてすぐさま、自分の上着を羽織った細い背を、追った。


【chapter:final】

 からんころんと、足許で下駄が鳴る。
 人の流れの少なくなってゲームセンターAz前まで戻ってくると、その音がより一層よく聞こえる。
 さっきから琥珀が足許を見下ろしながら歩いているのは、別に足が痛い等という理由ではないだろう。琥珀には痛覚というものがないのだから。
 としたら、この音を楽しんでいるのだろうか。
 大事そうに両手で水ヨーヨーを持ち、足許を見下ろしてからんころんと歩くその姿は、何だか見ていると笑ってしまいそうになる。
 いつもの、真っ直ぐに背筋を伸ばし、姿勢よく立っている琥珀とはえらい違いだからだ。
「おい、琥珀。ちゃんと前を向いて歩け。人にぶつかるぞ」
 少し後ろを、彼のその姿を見守るように歩いていた唯為は、思わずそんな風に声をかけた。すると、ぴたりと足を止めて、琥珀はすっと顔を上げて唯為を振り返る。
 そして、相変わらずの無表情で言う。
「唯為さんは歩くのが遅いです」
「阿呆。お前の歩幅に合わせてやっているんだろうが」
「同じ歩幅で歩いていたら僕の横にいないとおかしいです。後ろにいるという事は僕より遅く歩いているという事です」
 その言葉に、ニヤリと唯為は笑みを浮かべる。そして、悠々とした足取りで琥珀の隣に歩み寄る。
「何だ、琥珀は俺が隣にいないと淋しいのか? よしよし、しょうがない奴だ。ならばちゃんと隣を歩いてやるぞ?」
「誰もそんな事は言っていません」
「なんだ、隣に居て欲しい訳じゃないのなら」
 手に提げていた、先程商店街内の雑貨屋とスーパーで買ったばかりの小さなかき氷機とかき氷用のシロップが入ったビニール袋を琥珀に押し付けて、両腕を伸ばし。
 唯為は、ひょいと軽々、琥珀の体を抱き上げた。
「ほーらお姫様抱っこだ。こうしてほしかったんだろう?」
「……、ずっと考えていたのですが」
 抱き上げられたまま、琥珀は表情を一つも揺らさずに唯為へと金色の瞳を向けた。
「唯為さん、僕の体に触れるの、好きですか?」
「ん? 何だ、そんな当たり前の事をずっと考えていたのか?」
 あっさりと「そうだ」というのと同等の言葉を返され、琥珀はそのまま唇を閉ざす。
 それ以上の言葉はどうやら考えていなかったらしい。
 ふいと視線を逸らすと、琥珀はビニール袋を抱えながら地上を見下ろした。
「下ろしてください。歩き辛いなら抱っこしてやるとは言われましたが、僕は今、別に歩き難いとは言っていません」
「莫迦だな」
 言うと、唯為はコツンと、自らの額を琥珀の頭にぶつけた。そして肩を揺らせて楽しげに笑う。
「俺がしたいからしているんだ」
「唯為さん」
「体に触れる事云々よりも、その体の主自体が好きでなければしないぞ、こんな事」
 今度こそ。
 琥珀は言葉を詰まらせた。そして、どんな言葉を紡げばいいのかと悩んでいるのか、僅かに視線を彷徨わせる。
 その様がまたおかしくて、唯為はたまらず声を上げて笑った。
 それに、琥珀が僅かに眉を寄せる。
「からかっているんですか」
「何だ、なかなか表情が出るようになってきたじゃないか」
「…………」
 さらに眉を寄せ、目つきまで少し鋭さを増した琥珀に、肩を揺らせて一頻り笑う。
 本当に、どこが「ただの人形」なのだろうか。
 しかし、感情覚え立ての者をあまりからかってやるのも可哀想か。
 思うと、唯為はすっと琥珀の髪に顔を近づけ。
「……まだ濡れているな」
 軽く髪に口づけを落とすと、その体をゆっくりと下ろしてやった。そしてくしゃりと髪を撫でる。
「風邪をひくなよ、というお決まりの台詞も言えんからな、お前には」
「だから唯為さんの上着をお借りする必要もなかったのに」
 まだ肩に羽織らされたままの上着に指先で触れて言う。
 風邪云々ではなく、浴衣に肌が透けるからだ、という事にはまだ意識が至らないようだ。
 それをまた笑いかけた時、ふと琥珀が顔を上げた。金色の双眸に唯為の銀の瞳を映して。
 ふ、と。
 先刻と同じようにまた、小さく微笑んだ。
「瑪瑙の事も気遣ってくださるし……唯為さんは優しい人なんですね」
「…………」
 今度は、唯為が言葉を失った。どう反応したものかと暫し黙り込み……結局。
「阿呆」
 ぽつりと言うと、琥珀は首を傾げた。
「そうですね。僕はまだ知識が足りないので……これからも唯為さんに色々と教えていただけると嬉しいです。何か買っていただくよりも、そうしていただいた方が僕は嬉しいですから」
 その言葉で、ようやく唯為は先程、何か欲しい物はないかと訊いた時に琥珀が笑ったのかが分かった。
 もう、欲しい物は貰っているから――と。
 そういう意味だったのだろう。
「……まったく、お前という奴は……」
 もう一度くしゃりと髪を撫でると、唯為はその体を引き寄せて、その額に唇を落とした。


 後日。
 唯為の元に一枚の封書が送られてきた。
 何かと思って開けてみると、中には五百円分の図書券が入っていた。
 そして、一枚の手紙。黄色い便箋に綴られているのは、ひどく整った文字。
 どうやら琥珀が書いたものらしい。

          *

 先日の、店長のお土産クイズの景品、残念賞です。
 図書券は僕が頂いてよいとの事でしたが、できましたら、次回また店に来られる時に唯為さんが選んだ本をご持参頂きたいと思い、送りました。
 どのような本を選んでいただけるか、楽しみにしています。
 それでは、またのご来店、お待ちしております。

                     琥珀

          *

「まったくアイツは……店に客として誘うのではなく、個人的に誘えと教えんといかんな」
 呟くと、唯為は図書券を目の前でひらひらと揺らめかせて、さてどんな本を持参するかとあれこれ考えながら穏やかな笑みを零した。




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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 整理番号 … PC名 【性別 /年齢/職業/階級】

0086 … シュライン・エマ――しゅらいん・えま
        【女/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員/大天使】
0733 … 沙倉・唯為――さくら・ゆい
        【男/27歳/妖狩り/大天使】
2577 … 蓮巳・零樹――はすみ・れいじゅ
        【男/19歳/人形店店主/大天使】
1532 … 香坂・蓮――こうさか・れん
        【男/24歳/ヴァイオリニスト/天使】


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■         ライター通信          ■
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 こんにちは。ライターの逢咲 琳(おうさき・りん)です。
 この度は依頼をお請けいただいて、どうもありがとうございました。
 少しでも楽しんでいただけましたでしょうか?

 沙倉唯為さん。
 再度のご参加、どうもありがとうございます。再会できて嬉しいです。
 琥珀を祭へ誘っていただき、ありがとうございました。
 すみません、「テキ屋泣かせの唯為ちゃん」らしい行動が全く入れられず……!
 その代わりというか……浴衣の着せ替え等、余計な事が入ってます(笑)。
 すみません、本当に余計なことです(笑)。
 いつも琥珀にいろいろと構ってくださって有難う御座います。
 今後ともどうぞよろしく教育の程、お願いします(笑)。

 本文について。
 界の詳細な規則等は、すでに異界をご覧頂いていると思い、省かせていただいています。
 わかりにくい、と言う場合は、異界にてご確認ください……。
 今回は、全PCさん完全個別となっております。
 他の方が祭で何をされていたか、興味ありましたらちらりと目を通して頂けると嬉しいです。

 もしよろしければ、感想などをお気軽にクリエイターズルームかテラコンからいただけると嬉しいです。今後の参考にさせていただきますので。

 それでは、今回はシナリオお買い上げありがとうございました。
 また再会できることを祈りつつ、失礼します。