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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


聞こえない音 見えない世界

【壱】

 紫煙に煙る草間興信所の簡素な応接セットで親子と向き合い、セレスティ・カーニンガムは異様ともいえる少年の姿を見ていた。両耳と両目を純白の繃帯で覆い、外部からの情報、内部から漏れる総てを遮断しているようだった。母親はそんな姿の息子の手をしっかりと握り締めたまま、膝の上で両手を重ねている。
「それで妖に憑かれたというのはいつ頃なのでしょうか?」
 所長である草間武彦の妹として雑務一切をこなしている零が紅茶を運んできてくれたのを合図にセレスティは問う。所長である草間は、セレスティに仕事を一任したきり事務机に突っ伏して全く関係のない他人のふりを決め込んでいた。
「はっきりとはわかりませんが、この子が七つの時からおかしな言動をするようになって、いくつも病院を巡ってみたりもしたのですが一様に異常はないようなんです。身体的にもなんら異常がないようですし、もう本当に何に頼ればいいのかわからなくなってしまって……」
「そうですか……。その後定期的に検査などは続けていらっしゃいましたか?」
「はい。それは。何かあってからでは困ると思いまして、定期的に健康診断を受けさせるようにしております」
「異常は見られないんですね?」
 その言葉に母親ははっきりと頷く。
「悪いことなんてしないよ」
 不意におとなしく母親の傍らに腰を落ち着けていた少年が口を開く。母親はそれを窘めたが、少年はまっすぐにセレスティに向かって言葉を続ける。
「何をされるわけでもないんだ。同じ世界を見てるだけで、厭なことはなにもされない。ただ一緒にいるだけなんだ」
 訴えかけるような少年の声に、セレスティはふと今までずっと少年は自らの口で妖について語ることを禁じられていたのではないかと思う。母親に強く握られた手がそれを封じていたのではないかと思ったのだ。
「友達のようにしてですか?」
 今度は少年に向かって問い掛けると、少年ははっきりと頷いた。
 そして今まで禁じられていたことをようやく話すことができるとでもいうようにして、語り始める。言葉ではなく音楽をただ二人で聴いているだけなのだという。言葉で訴えかけられることはなく、妖の思いは音楽だけでわかるのだそうだ。哀しい時は哀しい音楽を、嬉しい時は嬉しい音楽を。少年が落ち込んでいる時は慰めるような音楽を聴かせてくれるのだとはっきりとした口調で淀みなく少年は語る。
「君のなかにいるそれは言葉で話しかけてくることはないのですか?」
 セレスティの問いに少年は頷く。
「でも言葉なんていらないよ。同じものを見て、同じ音楽を聴いていれば自然とわかるんだもん」
「君は君のなかにいるそれに何かを訊ねてみたことはありますか?たとえば、どうしてここにいるのかとかそういうことを」
 少年は横に頸を振った。母親が少年の手を握る手に力をこめるのがわかる。それに僅かに顔をしかめながらも、少年は言葉を紡ぐことをやめない。信頼を得られたのだろうか。思ってセレスティは少年の言葉に耳を傾ける。
「訊いてみたほうがいいの?」
「できることなら」
「じゃあ……」
 云って少年は言葉を綴ることをやめ、沈黙に沈む。そして俯き加減に何かに耳を澄ませるようにすると、ふっと顔を上げてセレスティに問うた。
「この繃帯を取ってもいいかな?息苦しくてうまく聞き取れないんだ」
 その言葉にセレスティは母親に向き直り、母親に宜しいですね?とさりげなく強い口調で云う。母親は僅かに不快感を見せたが、仕方がないといった様子で頷いた。そしてそっと少年の小さな頭に巻きついた繃帯をほどいていく。小さな白い耳が露になり、続いて一重の綺麗な曲線を描く双眸が現れた。少年は久しぶりの光に眩しげに目を細めながら、まっすぐにセレスティに視線を向け、その容貌を確かめたのか、綺麗な髪、と呟くと再び目蓋を閉ざし、耳を澄ませた。
「不安……みたい。なんかとても不安なんだと思う。音楽と一緒にいつも映像が見えているんだけど、それもなんか黒みたいな灰色みたいなそういう色で、どこにいけばいいのかわからないみたい」
 少年の言葉に迷子なのだろうかと思った。自分の行くべき場所がわからずに立ち往生している妖がふと心落ち着く場所を見つけて少年の内側に腰を落ち着けてしまっているのではないだろうかと思ったのだ。
「連れてって……」
「どこへですか?」
 セレスティが問うと、少年ははっと目蓋を開きわからないといった風に頸を傾げる。
「今、どこかに連れていってもらいたいって云われた気がしたんだけど、どこかはわかんなかった」
「そうですか……」
 呟いてセレスティは思案するように指先で唇をなぞる。迷子のようにして少年のなかに落ち着いたからといって、そこが本来の居場所であるわけではないだろう。しかもどこかへ連れて行ってもらいたいと思っているようだった。そこが妖が本来戻りたいと思っている場所なのだろうか。しかしそれを知るには、言葉を持たない者が相手ではとても難しいことのように思えた。手がかりになるものがあるとすれば、少年の耳と目に伝わる妖からの情報。それだけだろう。
「できればかまいません。私にも君が見ているものや聞いているものに触れさせてもらうことはできますか?」
 少年はセレスティの言葉にどうしたらいいのかわからないといった様子を見せたが、覚悟を決めたようにすっとソファーから腰を上げるとセレスティの傍らに立ち、両手を取った。そしてゆっくりと自分の耳元にセレスティの両手を運ぶと、
「耳に触れてみて。音楽は聞こえるかもしれない。目に触れたら、世界が見えるかもしれない。やってみたことがないからわからないけど、やってみる価値はあると思うよ」
と云った。
「そうですね。やってみるだけなら」
 少年に答えて、セレスティはそっと小さな耳を労わるようにして包み込む。
 微かに音楽が聞こえたような気がした。微弱な音。ヴァイオリンの一音のように脆弱な旋律の一端が鼓膜に触れた気がした。
 やはりこの妖は少年の目と耳を借りて、何かを探してもらおうとしているのだとセレスティは思う。哀しい旋律の一端には淋しさと、切実にどこかへ行きたいと願う想いがこめられているような気がした。淡く果敢無い、切実なる願いが紡ぐ音楽。それが少年の鼓膜を震わせ、それに伴う映像を見せているのではないだろうか。
「もう少し鮮明に聞くことができれば良いのですが……」
 セレスティが呟くと、少年は何かに触れたかのようにはっと目を見開いた。

【弐】

 少年の頬を涙が濡らす。はらはらと零れ落ちるそれを少年自身もどうしてなのかわからないといった様子で、指先で確かめている。そしてぽつりと云った。
「あなたは水の人なんだね」
 不意に自分の本来の姿を云い当てられ、セレスティがはっとすると少年は続ける。
「水に還りたいって……水のなかに溶けてしまいたいんだって……」
 母親はいつになく妖から受けたことを言葉にして真剣に語る少年を不安そうに、そしてどこか異形のものを見るようにして見ている。
「あなたならできるって云ってるよ……多分、そうなんだと思う」
「そうですか」
 云ってセレスティが微笑むと、少年は不安げに顔を曇らせ、大丈夫なの?と問う。
「結果が出てみなければわかりませんが、私ができることであればやってみましょう。―――少しだけ、今までの君と君のなかにいる誰かとの様子を教えていただけますか?」
 セレスティが訊ねると少年ははっきりと頷き、言葉を紡ぎ始める。
 特別何もない日々だったそうだ。緩やかに時間のなかをたゆとうような、滑らかで穏やかな空間のなかを漂っているようだったのだと少年は云う。紡ぎ出される音楽は社会に満ちているような煩わしいものではなく、ただ静かに鼓膜を撫ぜていくだけで、見える世界は静かで穏やかな波のようなのだと。緩やかにうねるそれは、どこで見た遠い風景のような懐かしさを与えるとも云った。
「悪い奴なんかじゃないよ。やさしいんだ、すごく。僕が落ち込んでいると慰めてくれるんだ」
 少年はそれを強く主張した。それだけは譲れないことだというように、何度もそれを繰り返していた。妖に魅入られただけかとも思われたが、まっすぐに見つめてくる眼差しや真剣な口ぶりが少年の真意であることを明らかにしているようだった。
「君は救いたいのですね?」
 確かめるようにしてセレスティが問う。
「救うとかそんなすごいことできるとは思わないけど、やりたいことをさせてあげたいと思うのは本当だよ」
 少年はきっぱりと答える。
「では、私に君のなかにいるそれを渡してもらえますか?」
「えっ?そんなことできるの?」
「やってみなければわかりません。でも、水のものならできると思います。君のなかにいるそれが望むでしょうから」
 セレスティは云って掌を少年の目の前に差し出す。すると少年はゆっくりとそれに手を重ね、心配そうな面持ちでセレスティを見つめる。セレスティは安心さえるように微笑んで、目を閉じるよう促した。そして自身も目蓋を下ろし、掌に置かれた少年の手の内側にあるものに集中する。望みがあるのなら来いと願うような気持ちで思う。その願いを自分なら叶えてやれるだろうと胸の内で思う。
 すると不意に掌に冷たい水の温度が這うように滑り込んでくるのがわかる。緩やかに皮膚から浸透して、血液の流れに乗るようにして密やかに流れ込んでくる何かの気配を感じる。
 ―――何を望みますか?
 緩やかに流れ込んでくるそれに声に出さずに訊ねる。
 鼓膜の奥底でしんと澄んだ鈴が鳴った気がした。
「死ぬの……?」
 その音の意味を覚ったように少年がぽつりと呟いた。

【参】

 血液の流れに乗るようにしてそれは呟く。
 終わりにしなければならないのだと繰り返す。
 少年は悲しげにセレスティを見つめている。
「何も心配する必要はありません」
 重ねていた手を離してセレスティが云う。
「君もいつか死ぬでしょう。死なないものなどないのです。いつか必ず総ては終わるのです」
「……殺さないで」
 少年は涙声で云う。セレスティはそれを微笑みでかわして、云う。
「できません。君は望みを叶えてあげたいと云いましたね?救いたいと。殺すのではなく、望みを叶えてあげるだけなのだと思えば悲しいことなど何もありませんよ」
「苦しくないの?」
「このままずっとここにとどまっているほうが苦しいことですよ」
 云ってセレスティは自身の内側に移ってきたそれに言葉をかける。
 ―――どうしますか?
 鈴が鳴る。
 過去を振り返らずに前へと向かう覚悟が出来ているとでも云うようにして、凛と鳴る。
 ―――では、あなたが望むままに。
 胸のうちで呟くと、不意に少年が云った。
「僕にも見せて!」
 セレスティがはっとすると、少年はひどく真剣な眼差しで同じ言葉を繰り返す。
「僕にも見せて。今までずっと一緒にいたんだ、勝手にいなくなるなんてひどいよ。最後まで見届けたいんだ」
 その言葉に答えるように静かな応えがある。セレスティはそれを受け止め、少年に微笑みかけた。
「きちんと覚えていてあげて下さい。今までずっと一緒にいたこと、これから遠くへ去るその瞬間を」
 そして少年に向かってそっと掌を差し出す。少年は躊躇うことなくそれに手を重ね、遠くへ去ろうとしているそれの総てを余すことなく覚えていようとするかのように目を閉じた。セレスティもそれを見届けて目蓋を下ろす。
 闇の中。流れるように溶け出していく一筋の光を見る。微弱な音楽が細く闇のなかに響く。それはひどく温かくやさしく響き、柔らかな音で鼓膜を撫ぜる。
 少年にもそれがわかるのだろう。閉じた目蓋の隙間から涙が溢れ、その頬を濡らす。セレスティはただ死に場所を求めていただけなのだと思った。少年にそれを探させなかったのは、少年が独り、喪失の前に立ちすくむことを厭うたからだろう。情はあったのだろう。妖にとっては僅かな時間に過ぎなくとも、少年の時間を大切にして慈しみながら今を待っていたのだろうかと思うといじらしいような気がした。
 喪失の音楽はやさしく響く。これ以上の幸福はないとでもいうように、はらはらとほどけていくようにして透明に闇のなかに響いていく。どこまでも伸びやかに、これ以上美しい音は奏でられないとでもいうようにして。それは湧き出る水のせせらぎによく似ていた。小川がひっそりと流れるようにして紡ぐ音によく似て、安堵をもたらす心地良さをくれる。
「さようなら……」
 少年が呟く。
 ―――さようなら。
 不意に澄んだ声がそれに答えた。少年の声をなぞったように不器用な音だったが、とても温かな響きで閉ざした目蓋の裏側の闇のなかに響く。
「……ありがとう」
 涙声が続ける。
 ―――ありがとう。
 澄んだ声がそれに倣う。
 ―――さようなら……、ありがとう……。
 音楽の隙間から零れる言葉はどのように幼い少年の胸の内に響くのだろうか。
 闇のなかに溶けるようにして一筋の光が消えていく。最初で最後の言葉が穏やかなもので良かったとセレスティは思う。少年にとっても、妖にとっても良かったことだと思えた。
「行ってしまったの?」
 ぽつりと少年が云う。
 闇のなかにはもう一筋の光もなければ、音楽もない。
「そうでしょうね」
 云ってセレスティは目蓋を開く。
「これで良かったんだよね?」
 少年の問いにセレスティは微笑みと共に答える。
「それは君自身が一番良く分かっていることだと思いますよ」
 すると少年は涙に汚れた顔に満面の笑みを浮かべて、はっきりと頷いた。
「あの……これで終わりでしょうか?」
 不意に母親が訊ねる。すっかり蚊帳の外になっていた彼女は不安げに二人を見ている。
「えぇ。これで終わりです。何も怖がることはありませんよ。妖もまた人のように死ぬものです。ただ、人よりも不器用なもので自らが望む場所でなければ死ぬことさえもままならないのです。属するものが明確であるがゆえの不幸です。―――でもこれだけはわかって下さい。息子さんにとって、あれは決して悪いものではなかったのです。そして息子さんもそれをきちんと受け止めていた。だからあれもこうした対応をとったのでしょう」
 母親は理解できないといった風でいたが、セレスティは実感がなければ仕方がないことだろうと思って続ける。
「息子さんを特別視しないで下さい。やさしい子です。でなければきっと、もっと不幸な目にあっていたことでしょう」
 母親はその言葉を受け止めて、息子を抱き寄せると、
「えぇ……。私にはわかりませんが、この子にとってこのことがなんらかの障害に残らならなければそれで十分です」
と云った。
 そしてすっと立ち上がると、セレスティに頭を下げて、ありがとうございます、と云った。
 すると不意に背後で高みの見物を決め込んでいた草間の声が響く。
「ご苦労さん」
「いいえ」
 云ってセレスティが振り返ると、まだ目が覚めきっていないといった様子の草間が煙草に火を点けているところだった。
「悪い奴じゃなかったんだな」
「妖が総て悪いものだと誰が決めたんですか?」
 その言葉に煙を吐き出しながら、そうだな、と答えて草間は沈黙した。
 何も悪いものだけが総てではない。人がただそう決めただけで、思いと持つものはそれだけで自由なのだ。カテゴライズは無意味。その現実を目の当たりにした気がした。
「では私はこの辺で失礼します」
 云ってセレスティが立ち上がると、不意に少年が云った。
「ありがとう。これで良かったんだよね?」
「そうですよ。何も不幸などありません。これで良かったんです」
 少年はその言葉に満足したのか無邪気に笑って見せた。
 セレスティにはもうそれだけで十分だった。
 こんな風に笑うことのできる少年を誰が不幸にしようと思うのだろうか。死期を覚ってもなおこの笑顔を守ろうとした妖は本当にいじらしい。思ってセレスティは草間興信所を後にした。



 
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1883/セレスティ・カーニンガム/男性/725/財閥総帥・占い師・水霊使い】


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■         ライター通信          ■
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いつもお世話になっております。沓澤佳純です。
妖の葬送の場にお立会い頂きありがとうございました。セレスティ様が傍にいてくれたことで、少年もその喪失を大きな痛みとしてではなくプラスの方向へと持っていくことができるのではないかと思います。
少しでもこの作品がお気に召して頂ければ幸いです。
この度のご参加、本当にありがとうございました。
また機会がありましたら、どうぞよろしくお願い致します。