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遺伝子は地上の楽園の夢を見るか? - Can you prove you yourself? -
[ ACT:0 ] 始まりはいつも……
『未承諾広告』というものがある。
郵便受けに入っている広告チラシやダイレクトメールと同じで、いつのまにか自分のメールボックスに舞い込んでいるネット上のチラシである。
インターネットに繋いで、メールのやり取りをしているならば必ず一度は目にするものだろう。
その中身は大抵は出会い系サイトの勧誘であったり、主婦や会社員向けの副業、いわゆるSOHOビジネスの案内だったりする。
全部が全部インチキだとは言わないが、大概は大して中身を読みもせずにゴミ箱に入れてしまうのではないだろうか。
そんな不特定多数向けの『未承諾広告』メールの中で、最近少し変わった内容のものが出回っているという。
その内容とは―――――
* * *
「これかぁ……」
瀬名雫は転送されたメールを読みながら小さく呟いた。
最近、雫の運営する怪奇系サイト『ゴーストネットOFF』に、怪しげな未承諾広告メールが届く、という投稿が増えていた。
ただ怪しいだけなら『怪奇系』と銘打つサイトの主旨とは異なるので投稿を採用したりする事はないのだが、そのメールの中身がいわゆる普通の未承諾広告とは明らかに違っていたので、雫は一時的に『ネット社会の不思議』と銘打って投稿を掲載し、常連の一人に頼んでそのメールを自分のアドレスに転送してもらっていたのだ。
そのメールは『未承諾広告※あなたの記憶を貸してください』という、怪しいを通り越して危ないという印象の件名で始まっていた。
* * *
未承諾広告※あなたの記憶を貸してください
突然のメールで驚かれた事と思います。しかし、これはただの悪戯やふざけたメールではない事を先に断っておきます。
あなたの記憶を、少しだけ貸していただけないでしょうか?
特に危ない事をしていただくわけではありません。ただあなたの記憶の中から何かを思い出していただくだけで良いのです。
家族・友人・知人などといった誰かの思い出でも、昨日の夕飯のメニューでも、何でも構わないのです。
もちろん、秘密は厳守いたします。謝礼も出させていただきます。
一日だけのアルバイトとして、私にほんの少しだけ協力していただけないでしょうか?
協力してくださるという方は、このメールの一番下にあるメールアドレスまでご連絡ください。
折り返し、日時等をご連絡します。
最後に。
あなたは完全なる自分のコピーが作れるとしたら……どうしますか?
真人間研究所所長 鉤崎 領一
* * *
「うーん……確かに不思議な内容だけど微妙、かなぁ?」
メールの内容を何度か読み返しながら、雫はちょっと首を傾げた。
気にはなるが、真相を究明しようとするにはもう一つ動機が薄い気がする。
「これはボツかな」
そう呟くと、雫はそのメールをゴミ箱へとドラッグして移動させた。
* * *
しかし、自然消滅すると思われたその話題は、ある日また浮上してきた。
実際にそのアルバイトに参加し『記憶を貸した』という人間がBBSに書き込みをし始めたのだ。
【記事No.1601】
【投稿者:51】
【投稿日:2004/6/XX,20:12】
【タイトル:例のバイト行ってきました】
【とりあえず今パッと何か思い出してください、と言われて思い浮かんだのが昨夜の晩飯のメニュー。そう言ったら、万札の入った封筒渡されて。すげー胡散臭いと思ったんだけど、それっきり何もないし。今んとこ、普通】
【記事No.1602】
【投稿者:あんな】
【投稿日:2004/6/XX,15:30】
【タイトル:私も!】
【実家で買ってた犬のコロが死んだときの事思い出したの。そうしたらお金くれて。びっくりしちゃった。本当にそれっきりで何もないんだけど……誰かその後何かあった人、いる?】
ただ何かを思い出しただけでお金がもらえるなんて怪しい事この上ない。しかも何もないところがまた胡散臭すぎる。
これだけなら『死体洗いのアルバイト』的なただの怪しげなバイトの噂に過ぎないかもしれない。もしかしたらこれらの書き込み自体が嘘かもしれない。しかし、それを一変させたのは次の書き込みだった。
【記事No.1603】
【投稿者:HAL】
【投稿日:2004/6/XX,11:08】
【タイトル:マジな話】
【実は私の友達がこのバイトに行ったらしいんだけど、その後様子がおかしくなったんだって。バイトから戻った後はアレだけでこんなに貰ったって周りの友達に奢ったりしてたんだけど、ある日『自分に殺される!』って言い始めて。で、そのあとぷっつり音信不通。やっぱりヤバ気だよね、これ】
「ちょっとちょっと、これはヤバいんじゃないの……」
眉を寄せて投稿を読みつつも、好奇心がむくむくと湧き上がるのを抑えられない雫なのであった。
[ ACT:1 ] 偶然という名の必然
「……というわけなんだけど、どう? 協力してもらえないかな?」
「なるほどねぇ……」
目の前のパソコン画面から目を離さないまま雪森雛太は呟いた。
雛太が見ているのは雫の運営する怪奇系サイト『ゴーストネットOFF』の掲示板だった。そのページは例の未承諾広告に関する書き込みで埋められている。
「ま、面白そうだし、いっちょやってみてもいーよ?」
手にした紙コップの中身を飲み干すと、期待に満ちた視線でこちらを見る雫に向かって雛太はにかっと笑いかけた。
* * *
つい数時間前。
「ふわぁ……ねみ……」
大欠伸を手で隠そうともせず、盛大に伸びをして雛太は大学の講義室の椅子に背中を預けた。
昨夜も徹夜でファンタジー物の大作RPGをプレイしていて一睡もしていない。そのかわり講義の途中で爆睡していたのだが、それでも毎日の徹夜で蓄積された睡眠不足はそう簡単には解消されない。
「どうすっかなぁ……バイトまでまだ時間あるし、どっかでもう一眠りしてくか」
机の上に放り出してあった携帯電話のディスプレイで時間を確認すると、雛太はこの後どこで時間を潰そうか教室の天井を見上げながら考える。
「いつものように草間んトコに行くか、それとも……」
と、ふいにその手に鈍い振動が走った。視線を下ろすと握っていた携帯がメールの着信を告げて震えていた。
「誰だぁ?」
ボタンを操作しメール着信の一覧で件名を確認すると、最新の着信欄に『未承諾広告』という文字があった。
「んだよ、まーた出会い系かよー。うぜぇなぁ……」
勝手にメールアドレスを調べて送られてくる出会い系メールの多さにうんざりしていた雛太は、『未承諾広告』の文字を見ただけで中身を読む気も失せ、未開封のままメールをゴミ箱フォルダへ移動させた。
しかし、メールを選択したときにうっかりクリックしてしまったのか、そのままメール本文の画面が開く。
そこには出会い系特有のわざとらしい勧誘文ではなく『あなたの記憶を貸してください』などというわけの分からない内容が書かれていた。
「……なんだこりゃ」
内容を見ればいわゆるバイトらしい。しかし、詳しい報酬も書いてなければやる事の説明も曖昧すぎる。記憶を貸すとか何か思い出すだけとか、よく考えなくても胡散臭くて怪しい事この上ない。『謝礼』という文字に一瞬惹かれはしたが、こんな怪しげなメールを信用するほど生活に困っているわけでもない。
「イタズラかよ。暇人もいるもんだな」
呆れたように息を吐き今度こそメールをフォルダに移動させて、雛太は席を立った。
しかし、その奇妙なメールがなぜか気にかかるのだった。
* * *
結局暇潰しに選んだのは行きつけのインターネットカフェだった。個別に区切られていて寝ていても人目が気にならないし、フリードリンクやちょっとしたお菓子やおつまみもサービスで食べられるので、小腹が空いても問題ない。
しかし、ここを選んだ最大の理由は先程携帯電話に届いたメールの内容を少し調べてみようと思ったからだ。
空いている席に座り、パソコンの画面上に大手検索サイトを表示させると、検索窓にメールの件名を打ち込んでエンターを押す。数秒後、画面には数件の記事が並んだ。その中にはもちろん、雫のサイト『ゴーストネットOFF』の掲示板内の書き込みもひっかかっていた。
「へぇ、こんな所で噂になってんのか……」
怪奇現象を取り扱うサイトの中では有名な『ゴーストネットOFF』で消されもせずに残っているという事は、単なるイタズラメールでもなさそうだ。
ウーロン茶の入った紙コップをあおりながら未承諾広告絡みの記事を読んでいると、ふいに後ろから声をかけられた。
「ねぇねぇ、その記事に興味ある?」
「あぁ?」
振り返ってみると、そこには肩くらいの茶色い髪にリボンが目立つ中学生くらいの少女が立っていた。
「あたし、瀬名雫。そのホームページの管理人だったりするんだけど、それに興味あるならちょっと頼みたい事があるんだけどいいかなぁ?」
瀬名雫と名乗った少女にいきなり声をかけられ、雛太は数度瞳を瞬かせた。
普段なら、こんな一昔前のナンパのような言葉をかけられてもそんな話には絶対乗らない。しかも相手は自分より年下の女の子である。尚更相手になどしない。
しかし今日は違う。すでに雛太はこの件に関わろうと決めていたのだから。
そして話は一番初めに戻る。
雫からこの怪しげなバイトの広告について調べてもらえないかと頼まれた雛太は、早速キーボードを叩き始めた。
―――
【記事No.1603】
【投稿者:HAL】
【投稿日:2004/6/XX,11:08】
【タイトル:マジな話】
【実は私の友達がこのバイトに行ったらしいんだけど、その後様子がおかしくなったんだって。バイトから戻った後はアレだけでこんなに貰ったって周りの友達に奢ったりしてたんだけど、ある日『自分に殺される!』って言い始めて。で、そのあとぷっつり音信不通。やっぱりヤバ気だよね、これ】
【記事No.1604】
【投稿者:HINA】
【投稿日:2004/6/XX,15:23】
【タイトル:Re.マジな話】
【初めまして。その話、すごい気になります。良ければその友達が何を思い出したのか聞かせてください】
―――
「こんなもんかな」
書き込みを終えて雛太は1つ短く息を吐いた。
一番新しい『友人がいなくなった』という書き込み。なぜこの投稿者の友人だけが『いなくなって』しまったのか、他の何もなかった人間と思い出す記憶に何か違いでもあったのだろうか。
ちなみに、ハンドルネームは自分の名前をアルファベットにしただけだ。もっと凝った名前にしても良かったのだが、まあ大して重要な事でもないので適当につけた。
「……これでよし、と」
投稿画面の『書き込み』ボタンを押してパソコン画面から目を離すと、雛太は隣に座る雫に、
「じゃ、俺バイトあるから帰るわ。この件については分かったら連絡するよ」
と、片手を挙げて挨拶し席を立った。
* * *
その日の夜。自室で自分のパソコンを立ち上げ、再びゴーストネットOFFの掲示板を見てみると、既に夕方の書き込みにレスがついていた。
―――
【記事No.1603】
【投稿者:HAL】
【投稿日:2004/6/XX,11:08】
【タイトル:マジな話】
【実は私の友達がこのバイトに行ったらしいんだけど、その後様子がおかしくなったんだって。バイトから戻った後はアレだけでこんなに貰ったって周りの友達に奢ったりしてたんだけど、ある日『自分に殺される!』って言い始めて。で、そのあとぷっつり音信不通。やっぱりヤバ気だよね、これ】
【記事No.1604】
【投稿者:HINA】
【投稿日:2004/6/XX,15:23】
【タイトル:Re.マジな話】
【初めまして。その話、すごい気になります。良ければその友達が何を思い出したのか聞かせてください】
【記事No.1605】
【投稿者:HAL】
【投稿日:2004/6/XX,20:56】
【タイトル:Re.Re.マジな話】
【レスどうもです。彼が思い出したのは大学入試時のセンター試験の事らしいですよ。あ、でも実は彼ひょっこり戻ってきたんですよ。何があったのか聞いても何でもないって言うだけでよく分からないんだけど、まあ普通に無事だったからいいかなって感じです。お騒がせしてスミマセンでした】
―――
「……うーん……」
そのレスを見て、雛太は小さく唸り声を上げた。
ただセンター試験の事を思い出しただけで『自分に殺される』ような事が起こったというのだろうか。他の二人の記憶の内容と重要度はさして変わらない気がする。しかも、そんな意味深な言葉を残して失踪したにも関わらず「何でもない」と言われても雛太には信じられなかった。
「一度会ってみるか」
腕を組んでその書き込みをじっと見つめていた雛太はそう一言呟くと、メールソフトを立ち上げてHALという名の投稿者宛に『一度会って話がしたい、出来ればその友人と共に』という内容のメールを送った。
[ ACT:2 ] 隠し切れない違和感
驚いた事に投稿者のHALとその友人は自分の通う大学の生徒だった。
メールの返事を貰い、指定された場所が大学の学食だったのだ。
「こんな偶然ありかよ……」
窓に面した席に座り頬杖をつきながら、雛太は一人ごちた。
たまたま受け取った未承諾広告が気になり、気まぐれで調べていたら調査する事になり、事件の真相に近そうな人間がこんなに身近にいる。
雛太でなくてもなんだか気持ちの悪いくらいの偶然だと思うだろう。
「……ま、そんな事気にしてたら、こんな怪奇だらけの街で暮らしていけないだろうけど」
重たくなった思考を振り払うように一つ大きく息を吐くと、雛太は学食内の壁にかかった時計にちらりと目をやった。そろそろ待ち合わせの時間だ。
きょろきょろと辺りを見回していると、自分に向かって歩いてくるショートカットの小柄な女性と、ひょろりと背の高い青年が目に入る。
「あの、HINAさんですか?」
「あ、どーも。えっと、HALさんと……友達?」
「はい、初めまして」
小柄な女性がやや遠慮がちにぺこりと頭を下げるのに答えて雛太はにこりと微笑むと、自分の前の席を勧めた。
* * *
「早速なんだけど、『自分に殺される』ってどういう事?」
目の前の二人のうち、数日前失踪してつい先日戻ってきた裕也という青年に向かって、単刀直入に質問してみる。
裕也は一瞬宙を見つめた後、ばつが悪そうに小さく笑った。
「ああ、えーっと……あれはその、単なる悪ふざけですよ」
「悪ふざけ?」
「ええ、ちょっと驚かしてやろうかと思って。あんなバイトに行って何もないってのもネタ的につまらないでしょ?」
「……。で、その後音信普通だったのは?」
「実家に帰ってただけですよ。皆大袈裟なんですよね」
裕也はちらりと横に座るHALを見た。
(……何だコイツ……)
雛太は眉をひそめた。「結構心配したんだよ?」というHALにごめんと笑って頭をかいている姿は、ちょっとした悪戯のつもりが予想以上に広まってしまい苦笑しているだけに見える。
しかし、そんな青年の態度と仕草にどこか違和感を感じた。ハッキリとどこがおかしい、とは言えない。ただ、その柔らかな口調の裏で明らかに自分を拒絶しているのは分かる。
「……おっけ。じゃあ、話変えるわ。バイトってどんな風にすんの?」
「特に変わった事はしなかったですよ。小さな部屋の中で椅子に座って目を閉じて適当な事思い浮かべるだけ。ホント、それだけで。ああ、なんか電極パッドみたいなのは付けられたかな。バラエティの罰ゲームとかで使ってる低周波マッサージの四角い黒いゴムみたいなの。でも別に電気が流れてびりびりするわけでもないし」
「で、終わったら金くれんの?」
「そうです。三十分くらいしかやってないのにこんなに入ってましたよ。あんなバイト、ホントにあるんですね」
片方の手の平を広げて笑う青年を雛太はただ黙って見つめた。青年が何かを言ったり体を動かすたびに、何かがおかしいと、雛太の意識がしきりに訴えかける。この違和感はなんだろう。
「あ、すいません。この後講義があるのでもういいですか?」
「ああ、ありがとな」
軽く会釈をして、HALと共に学食を出て行く裕也の背中を雛太はじっと見つめた。
* * *
もやもやとした違和感を胸に抱えたまま大学の敷地内をぶらぶら歩いていた雛太は、ふと立ち止まり携帯電話を取り出すと、例の未承諾広告のメールにバイト参加希望のメールを出した。
やはり実際自分で体験してみなければ真相など分からない。元々そのつもりではあったが、先程の奇妙な出会いで更に意志は固くなった。
「虎穴に入らずんば虎子を得ず、ってな」
―――
HINA様
このたびはご協力いただけるという事で誠にありがとうございます。
尽きましては下記の日程でご参加いただければ幸いです。
都合が悪いようでしたらご遠慮なく変更を申し出てください。
日時 7月8日 午後三時〜(一時間程度で終わります)
場所 新宿西口○○ビル 五階(別途地図添付あり)
それでは、当日お待ちしております。
真人間研究所所長 鉤崎 領一
―――
[ ACT:3 ] その存在は真か偽か
バイト希望のメールを出してから三日後。雛太は新宿西口の高層ビル街の一角で、手にした地図とビルの所在地を確認していた。
指定されたビルは、周りに立ち並ぶいくつもの高層ビルとなんら変わりのないいたって普通の建物だった。
入り口の自動ドアを通り抜けるとすぐにエレベーターホールになっていた。受付はなく、フロアにエレベーターが二基並んでいるだけだった。
エレベーターで五階に上がると、雛太は無意識に廊下の端の非常階段を見た。万が一危険があった場合、すぐ逃げられるようにと逃走経路を頭の中でシミュレートする。
非常階段の反対側の廊下の端に、その場所はあった。
銀色の無機質な扉には真鍮製のプレートが貼り付けてあり、『真人間研究所』と彫られていた。
「……よし」
一度大きく深呼吸すると、雛太は扉を拳でドンドン、と叩いた。
「ごめんくださーい。バイト希望の者なんですけどー!」
緊張している胸の中とは裏腹に、どこかのんきな声で呼びかけると、鍵を開ける小さな音がし中から男が顔を出した。
年の頃は三十代半ばくらいだろうか。雛太が想像していたよりもかなり若く見えた。スーツの上に白衣を羽織り、真面目ながらも親しみやすそうな笑顔でこちらを見ている。ただその右目には眼帯があった。隠すように伸ばした前髪から垣間見えるそれは、一瞬、雛太の背筋に悪寒を走らせた。
怖気と違和感。これは先日、大学の学食であったあの男に感じたものと同じだった。
警戒心を強めつつ、表面上は平静を装って同じように愛想笑いを返す雛太に、眼帯の男はよく通る声で言った。
「ようこそ、真人間研究所へ。私が所長の鉤崎です」
* * *
室内に通されると、そこは小さなオフィスほどの広さの部屋だった。
鈍い銀色に光る長方形の鉄の箱がずらりと並び、それと隣り合うように設置されたモニターにはわけの分からない数字や、点滅しながら形を変えてゆくワイヤーフレームなどが映し出されていた。
四角いコンピューターの並ぶ様は、先程外で見たビルの林立を思い出させる。
部屋に一歩足を踏み入れた途端、意志を持たない鉄の箱が一斉にこちらを見たような気がして。雛太は奇妙な圧迫感に知らず拳を握り締めた。
部屋の奥には小さな応接セットと鉤崎本人が使用しているであろう机とパソコンが並べられていた。その向こうにはまた扉がある。裕也が言っていた『小さな部屋』というのはあれだろうかと考えていると、
「まあお座りください」
「……どうも」
鉤崎にソファを勧められ、雛太は浅く腰をおろした。会った時から笑顔を絶やさない鉤崎は紳士的で柔和だが、それが返って雛太の警戒心を煽る。
「さて、まずは今回ご協力いただけるという事でありがとうございます。……自分のコピーに興味がおありで?」
「ああ、まあね。自分がもう一人いたら面白そうだし、本当に作れるとしたらそれってスゴイ事じゃん?」
雛太の言葉に向かい側に座った鉤崎が、眼帯に隠されていない左目をやや輝かせて雛太を見た。本当はそんなものに興味などないのだが、雛太はメールを出す際に「完全な自分のコピーってのには興味がある」と書いておいたのだった。興味があるふりをしたほうが話を聞きだしやすいだろうという考えからだった。
「こういう話は興味がなかったり否定的だったりする方も多いのですが、あなたのように興味を持って協力してくださる方がいてありがたいですね」
「興味もあるし協力もするけど、実際本当に『記憶を貸す』なんて事、できんの?」
「……それは実際にやっていただく方が早いでしょう。こちらへどうぞ」
協力的な態度を崩さず質問をすると、鉤崎は立ち上がり、奥の扉を示した。
そこはやはり小さな部屋だった。
飾り気のない空間に、マッサージチェアのような大きくゆったりとした椅子が置かれ、その脇には何本ものコードに繋がれた真四角のモニターとコンピューターが設置されている。
健康番組などで数値やデータを検証する実験室風景に良く似ていた。
「こちらへ座ってください」
鉤崎に促され、雛太は大きな椅子に座る。その周りを忙しなく移動しながら、鉤崎が雛太の腕や額などに電極を貼り付けていく。
「これ、危なくないんすか?」
「安心してください。体内の電気信号を読み取るためのものですから、痛みや刺激は感じません。……準備完了です。ではどうぞ何でも構いません。何か思い出してください」
一応どんなものかを聞いてはいたが、実際このように拘束されるとやはり不安はある。とはいえ、乗りかかった船だ。いざとなったらいくらでも逃げ出せる自信はある。
雛太はそう覚悟を決め、目を閉じた。
* * *
カチリ、という乾いた音。
自分の座っている卓の周りでも、ジャラジャラ、カチリ、と牌を混ぜて並べ打つ、独特の乾いた音が溢れている。
雛太は自分の手を改めて見る。十三枚の牌は全て萬子。一萬と九萬が三枚ずつ、二萬から八萬までが綺麗に一枚ずつ並んでいる。
テンパイだ。しかも純正の九蓮宝燈。夢の九面待ち。
ごくりと唾を飲み込むと、雛太は緊張した面持ちで山から牌をツモる。
鼓動が高鳴る。
指先で盲牌してみると、それは明らかに待ち望んでいた牌だ。
一度目を閉じ大きく深呼吸すると、意を決して手の中の牌を見る。
果たしてそこには一萬牌が光り輝いていた。
幻の役満を体験し、雛太は歓喜の中にいた。
ああ、俺、死んでもいい……
* * *
「はい、お疲れ様です」
「……あ」
声をかけられ思わずガッツポーズをしていた雛太はそのままの姿勢で横を向いた。座って機器を操作していた鉤崎が、ちらりとモニターを見てからにこやかに雛太に視線を戻す。
「なかなか楽しい事を『想像』されたようですね」
「!」
どきりとした。
確かに今思い出した記憶というのは、雛太が実際体験したものではなく念のためにとあらかじめ『考えて』いたものだったからだ。
「ああ、気にしなくて結構ですよ。記憶の中身はそんなに重要ではないのでね」
「……なに?」
嘘の記憶を『貸し』たにも関わらず、別に問題はないという鉤崎に雛太は警戒を強め、付けられた電極を毟り取ると椅子から飛び降りた。
「『記憶を貸してください』と呼びかけたのは、協力してくださる方にあくまで分かりやすくするためです。私は『何をどういう考えで思い出したか』が分かればよいのですから」
鉤崎はゆっくり立ち上がると、やや遠くを見つめながら話し始めた。
「私はより完全なクローンを作りたいのですよ。そのためには遺伝子レベルでの構築よりももっと違う要素が必要なのではないかと考えたのです」
「……それが『記憶のデータ化』と『思考回路の複製』か?」
雛太は今までの経緯から鉤崎の真意を推論した。
「……あなたは頭の良い方だ。その通りですよ」
にこりと微笑むと、鉤崎は言葉を継いだ。
「記憶というのは、視覚や聴覚などの外部情報が大脳皮質にある脳神経細胞に伝達されて蓄えられていくものです。伝えられる情報は電気信号です。人がなにかを見たり聞いたりして感じた事は電気信号に変換されて脳へ送られるわけです。ならばその信号を読み取り解析してパターン化し、データとして保存する事は可能なのではないか。その際、記憶そのものはもとより個人の思考パターンも一つのプログラムとしてデータ化できればより完成度の高い複製が作れる。かなり大雑把な説明ですが、私の目指すところはそういうものなのです。ご理解いただけましたか?」
研究に没頭する科学者は熱っぽくそう語ると、雛太の方に向き直った。
「俺は専門じゃないからその理論が正しい正しくないは分からないけどな。でも、そんな事で完全なもう一人が作れるとは思えない。そんなに単純じゃないだろ、人間は」
「そうですね。その通りだと思いますよ。だからもっとたくさんのサンプルを提供してもらって、研究を進めなければならない。より確実に、成功するためにね」
「え?」
口の端だけを歪めてうっすらと笑う鉤崎を見て、雛太の背筋に再び悪寒が走る。
「まるで、『一度は成功したけど完全じゃない』とでも言いたそうだな」
「成功しましたよ。記憶を取り出し、思考回路を複製し、オリジナルと同じ思考プロセスで動く『もう一人』の自分を生み出す事に。ただ、それを認めなかったんだなあ、あの人は」
口元は笑ったままだが、その目に狂気の光が宿り始めるのを雛太は見逃さなかった。
「その存在を認めて共生する道を選んでくれれば、もっと穏便に解決できたんですがね」
「それは、裕也とかいうバイトの男の話か?」
「彼も『私』もですよ」
何が面白いのかくすくすと笑う目の前の男は人ではない。雛太は確信した。ずっと感じていた違和感は、人の形をした人ではないものへの違和感だったのだ。しかし、造られたものへの違和感だけならこんなに嫌な感じはしない。これは『殺人者』に対する嫌悪だったのだ。
じりじりと扉の方へ移動しながら雛太は鉤崎領一と名乗る男を睨んだ
「なんで俺にそんな事バラすんだ? 俺が警察に言ったらどうするつもりだ? それとも、あの男のように……殺すか?」
「同じ人間が二人もいたら混乱するでしょう? だから一人に『戻した』だけですよ。それに『今いるのは本人ではなくクローンだ』なんて話、誰が信じると思います?」
「戻したんじゃなくて入れ替えた、だろ」
吐き捨てた雛太の言葉に鉤崎はただ黙って笑っていた。
「あなたはなかなか興味深い人材だ。どうです? もう少し私の研究にお付き合い願えますか?」
「ごめんだね。俺は自分の複製なんかいらない。興味ない。今ある俺は、俺でしかないんだから」
雛太は鉤崎から目を離さないまま、入り口まで下がると一気に振り返り乱暴にドアを開け、そのまま走り出した。
背中から、冷たい笑い声が聞こえたような気がした。
[ ACT:4 ] 埋もれゆく日常の中で
それから一週間。
そのあと何事もなく、いつもの日々が続いていた。
てっきり、あの学生のように自分のコピーが殺しにくるかと思ったのだが、拍子抜けするほど何もない。
雫に会い、事の顛末を話した後二人で真人間研究所のあったビルへ行ってみたが、案の定そこは空きになっており、影も形もなかった。
ついでに言えば、あの裕也とかいう男も大学を辞めていた。実家に戻るらしいとHALが言っていた。
結局、この件に関してはそのまま埋もれていってしまうのだろう。
でも、雛太は思う。
この先どこかでアイツが自分のクローンを作って送り込んで来たとして、そのときに自分が本物だと証明できるのだろうか、と。
「うーん……俺が俺である証拠……」
バイト先の雀荘で麻雀を打ちながらぶつぶつと呟く雛太の手元には、今まさに九蓮宝燈九面待ちの手が出来上がろうとしている。
[ 遺伝子は地上の楽園の夢を見るか? - Can you prove you yourself? - / 終 ]
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
2254/雪森・雛太/男性/23歳/大学生
―――――NPC
鉤崎・領一 / 真人間研究所所長。記憶のデータ化と思考回路のプログラム化でより完全なクローンを生み出そうとした科学者。そして彼はすでに……。
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■ ライター通信 ■
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初めまして、佐神スケロクと申します。
今回はいつもと違い、完全個別で書かせていただきました。プレイングの内容を検討した結果、個別で動いていただいた方がいいかなー、と思ったので。
とはいえ、プレイングを活かしきれてない部分も多々あるかと思います。精進します、はい……。
本編の基本的な流れは変わりませんが若干違う部分もあったりしますので、時間があれば他の方のノベルと読み比べてみてもいいかもしれません。
内容に関してはかーなーりツッコミどころが満載だと思いますので、もう遠慮なくツッコんでやってください(ばたり)
と、とにかく、少しでも楽しんでいただければ幸いです。
それでは今回はご参加ありがとうございました。
またの機会にお会いできるのを楽しみにしております。
>雪森・雛太様
初めまして。依頼へのご参加ありがとうございました。
普通の元気な男の子が、偶然事件に巻き込まれる感じで書かせていただいたのですがいかがでしょうか?
心残りなのは麻雀を打っているところが書けなかった事です(笑)
ラストで夢の九蓮宝燈九面待ちが出来上がりそうですが、上がれたかどうかはご想像にお任せいたします(笑)
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