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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


ゲイム



------<オープニング>--------------------------------------

 珠樹はもずくが大嫌いだ。
 けれど今、脅迫概念や義務感に追われるようにして一生懸命もずくを食べている自分が居る。
 誰も助けてはくれない。
 そう悲観するには、このシュチュエーションは余りに滑稽で。けれど珠樹にとってこの苦しさは本物だった。
 箸ですくう度、つるつると滑っていくもずくを見ると鳥肌が立つ。
 けれど食べなければならない。脅迫にも似た義務感が珠樹を襲う。
 だから珠樹は、ひたすらもずくを食べる。
 食べて、食べて、食べて。
 と。
 ピンポーンという音がする。
 何処から響いてくるのか、良くわからない。
 ピンポーンという音がする。
 また、ピンポーン。

 珠樹ははっと目を開けた。
 心臓がトクトクと高鳴っている。
 波が引いていくように、次第にその音が小さくなっていったころ、珠樹はやっとさっきのは夢だったのだと理解した。
 なんて夢だ。珠樹は小さく息を吐き出す。
 目覚めは、最悪だった。
 夢の中にまで進入しもずく地獄から救ってくれたインターホンの音は、まだ鳴り続けている。
 有り難いが、休みの日の朝からインターホンの音で起こされるのは聊か鬱陶しい。
 珠樹はチッと舌打ちすると、ベットから這い出て足をもつれさせながら、玄関までダラダラと歩いた。
 1kの小さなアパートである。玄関はすぐそこだ。
 珠樹はドアチェーンをしたまま顔を出した。
「はい」
 寝起きの低い声で言う。
「天野珠樹だな」
 ドアの隙間から男が顔を出した。低い凛とした声で言われ、珠樹は「そうですけど」と弱々しく答えた。
「警察だ」
 唐突なセリフだった。そのセリフと共に、珠樹の鼻先に警察手帳が突きつけられる。
 そういえば日本の警察の手帳も、EBIみたいになったんだっけ。
 珠樹は余りに唐突な展開に、そんなどうでも良いことをふと考えてしまった。
「このドアを開いて貰えないか」
 男がドアに手をかける。ドアチェーンがガチャンと大きな音を立てた。その音に、珠樹はハッとなる。
「な。何か」
「署まで同行して頂きたい」
「ど。同行?」
「一先ず、ドアを開けなさい」
 また、ガチャンとドアチェーンが大きな音を立てる。
 珠樹はその金属音を酷く怖いと感じていた。



「僕の友人が。誘拐、されたんです」
 藤山天音は沈んだ声でそう言った。
「それは」
 武彦は煙草に火をつけた。煙を吐き出しながらゆっくりと言う。
「申し訳ないが管轄外だ。そういう話は警察に行きなさい」
 東京某所にある、草間興信所である。
 所長の武彦は今、アルバイトの久坂洋輔が連れて来た依頼人と対面していた。
 いや、依頼人だったのは「誘拐」という言葉が出るまでだ。今はもう、依頼人ではない。誘拐犯を捕まえるのは警察の仕事だし、ここはしがない興信所なのだ。依頼云々で解決できる話ではない。
 武彦の言葉にアルバイトの洋輔が「ちょっと待って」と口を挟んだ。
「ちげーんだよ。ワケありなんだよ」
「どうわけありなんだ。この馬鹿バイトめ」
「誘拐されたのは。僕の友人です」
 藤山が口を挟む。
「そうか。それは気の毒だ。一刻も早く警察に行くことをおすすめするよ」
「そして誘拐したのは、僕の。兄です」
 ポトリと煙草から灰が落ちた。武彦は「おっと」と言いながら、デスクを手で拭いた。
「兄?」
「そうです。誘拐された人物も誘拐した人物も、分かっているんです。要するに、救出して欲しい、という依頼なんですが」
 藤山はそこで懐から一枚の紙を取り出した。それを洋輔に手渡している。
 その紙は洋輔から武彦のデスクへとポンと投げ捨てられた。
「んー?」と唸り声を上げながら、武彦はそれに目を通す。
『僕の可愛い弟アマーンへ。なんとお兄ちゃんは刑事になりすまし、キミが大事に大事に思っている友人の天野珠樹君を連れ去ってしまいました。彼を取り戻したかったら是非仲間を連れて、僕の家に遊びに来てね。仲間が集まらなかったら、草間興信所という所に依頼するととっても良いですよ』
 文末にはハートが描かれており、丁寧に草間興信所付近の地図まで描かれてある。遊びにきてね。の「て」の字が書き損じられ、×印を打たれてある様子が絶妙なアホらしさをかもし出してあった。
「これは……」
 次の言葉が見つからず、武彦はそこでプツリと押し黙った。
 顔色を伺うように武彦を見やった藤山は、肩を落としとうとうと話し出す。
「兄は昔から変な人でした。頭の切れる変人です。むしろ変態です。手に追えません。きっと今回のだって、ただ遊びに来て欲しいかっただけなんだと思うんです。兄は最近、家を買いました。とっても変な家です。在り得ません。何よりも在り得ないのは、あんなアホな兄が富を持っているということですが」
「うん、愚痴はいいから依頼の話を」
 洋輔にポンと肩を叩かれ、藤山は「あ、あぁ」と頷く。
「えと……そう。兄の家ですが。とにかくもう、変で。いろいろな仕掛けがあったりなんかして、兄の趣味が最大限に出ている家なんですが。兄はきっとあの広大な家の中の奥で、様々なトラップとか部屋の仕組みとかを掻い潜りそこへ来る人達の様を見ようと思っているに違いないんです。付き合うのは癪なんですが、変態兄に珠樹が何かされたらって思うと……いても立っても居られないんです! ここには様々な能力だったり、図太い神経だったりを持つ人らが居るって聞きました。どうか、力を貸して下さい。お願いします。こうしてる間にも、あの……あの変態兄に、珠樹が」
 藤山はそこまで言って、頭を抱える。
 沈黙に、藤山のすすり泣きが混じった頃武彦は口を開いた。
「まぁ……」
 低い声で呟いて、煙を吐き出す。
「聞いては、みるが」
 それだけをやっと言った。




001

―1―


 ドアを開けるとプーン漂ってくる煙臭さに、正は思わず眉を顰めた。
「いらっしょーい」
 応接ソファから炭酸の抜けたサイダーのような声がする。
 アルバイトの久坂洋輔は、ソファの上に土足で胡坐をかき一枚の紙に視線を走らせていた。所長の武彦は、珍しくデスクに向かいペンを走らせている。
「こんにちは……十ヶ崎ですが」
 入り口に立ち頭を下げると、武彦がゆっくりと顔を上げた。
「あぁ……いらっしゃい」
「お取り込み中でしょうか」
「いや。大丈夫だ。数時間前に依頼を聞き終わったところでね」
 武彦は唸り声をあげながら大きな伸びをした。
「で? 今日はどうしたんだ?」
「シュラインさんに頼まれて紅茶をお持ちしたんですが」
 正は自分の手元にあった箱を、小さく掲げる。
「あー。そう、か……彼女は今外出中だ。もうすぐ帰ってくるとは思うんだが」
「では、待たせて頂いても宜しいでしょうか」
「あぁ、構わんよ。てきとうにやってくれ」
「では、失礼致します」
 小さく会釈しながら中に入ると、洋輔が「ウース」と片手を上げた。
「洋輔君。キミはまたそういうだらしのない格好を」
「まぁ、まぁ。良いじゃん良いじゃん。ほい、座って」
 強引に腕を引かれ、正はその場にストンと座る。
「ねぇ、ねぇ、でさ」
「なに」
「ちょっと正さん、これ見てみ。爆笑」
 洋輔はそう言って、テーブルの上にあった紙切れを一枚差し出す。無言でそれを受け取ると、正はさっと目を走らせた。
「なんだ、これは……誘拐って」
 呟いて洋輔の顔を見る。
「面白いっしょ」
「面白い?」
「アホっていうか、アホだよね。でもさ。ちょとアツクね?」
「なにを言うんだ」
 正は眉を潜めたまま洋輔を見て、またその紙に目を落とした。
「何ということだ。警察には連絡したんですか」
「警察?」
「そうだよ。警察だよ」
 また洋輔の顔を見ると、目をパチクリさせている。
「当たり前だろう。誘拐事件なんだから」
「んーなん」
 洋輔がハッと噴き出して、顔の前で手をふる。
「読んだっしょ。見たっしょ。連れ去ったン、依頼主の兄っしょ」
「何を言うんだ。いくら身内といえど、誘拐は良くない」
「良くないとか悪いとかっていうか」
 呟いて、洋輔は急にハっと吹き出した。
「ちょ、ごめん。普通これ読んで、悪いことだとか言うの、正さんだけよ。もっと他に見るとこあるでしょうが。アホだなぁ、とかさ」
「暢気なことを……良くないに決まってるだろう。こんな事して。人の道に反するよ。洋輔君。何がおかしいんだ。笑いごとではないよ」
 洋輔はいよいよ本格的に笑い出した。
「だから。何がおかしんだ」
 正はわけがわからず眉を潜める。
「はー。ゴメ。腹いてぇ。何かマジやべぇ」
「意味がわからない」
 ごろんとソファに転がった洋輔は正の膝に頭を預け、ひとしきり笑った後目尻を拭いながら言った。
「もー。何だろう。好き。正さん」
「それは全然嬉しくない」
「そう言うなってお兄ちゃまー」
「なつかないで下さい」
「じゃあさー。正さんもさ、この依頼手伝ってみたら? その正さんの正義節、今回とってもステキな役割しそうな気がするんだけど、俺」
 洋輔はムクリと起き上がり、デスクに向かう武彦に言った。
「ね。所長」
 んーっと生返事を返しながら武彦が顔を上げる。正を見た。
「スマンな。アホだから大目に見てやってくれ。気にしないでいいからな」
「ねー。一緒にやろーよー。何つーかぁ。ほら。毒を持って毒を制する的なね!」
 洋輔は正に向かい、ビシッと人差し指を立てる。それを引っ掴んで、正は言った。
「これ、洋輔君。人に向かって指を差してはいけません」
「またそんな細かいことを」
「細かくありませんよ。人に指を差してはいけない。これは常識です」
「じゃあさ。とりあえず、依頼に参加っていうことで」
「洋輔君。人の話を聞きな」
「ただいま」
 その時、扉が開く音と共に入り口の方から声がした。
 正に向けていた視線を外して、ソファにもたれかかった洋輔が入り口に向け唇を尖らせる。
「帰ってきやがった」
 正は後ろを振り返った。草間興信所事務員のシュライン・エマが立っていた。


―2―


「ただいま……あら。正さん。いらっしゃい」
 シュラインはソファに座る正に薄く笑いかけた。
「お邪魔しています……頼まれていました紅茶をお持ちしましたよ」
「まぁ、そうだったの。わざわざありがとう」
 満面の笑みで答えてソファに近づく。その間も洋輔の絡みつくような視線がシュラインを追った。
「何かしら、洋輔さん」
 シュラインはわざとらしい笑顔で問うてやった。洋輔はジトリと目を据わらせて、地を這うような低い声を出す。
「なんで俺も連れて行ってくれんかったんさー」
 それを無視して、正に言った。
「ちょっと待っててね」
 区切りの向こうにあるキッチンに向かう。
 冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、食器棚の奥からガラス製のキャニスターを取り出した。
「お待たせ」
 正らの向かいに腰を下ろし、キャニスターをテーブルの上にポンと置く。
 ミネラルウォーターの入ったペットボトルを煽った。
「はーあ。疲れた」
「依頼ですか?」
「違うのよ。ちょっとね」
 シュラインは曖昧に微笑む。
「俺らを置いて、飯食い出てたのこの人。どう。それってどうよ、どうなのよ。ドイツ料理だって! ケーナズさんとセレスティさんの驕りだって! 俺だって食いたいし」
「これ。洋輔君。人に向かって指を差してはいけませんよ」
「だって貴方、マナーも何も知らないじゃない」
 洋輔は顔をギュっと歪めて唇を突き出す。
「それに諸々、事情があったのよ」
「嘘つき」
「えらい言われよう」
 シュラインは小さく息をついた。
 確かに食事はしたのだが、ただの食事会というわけではなかった。前回の依頼主である浅海忠志の相談に乗っていたのである。
 人の気持ちだけはスッキリ爽快、依頼解決というわけにはいかない。こと愛に関する諸々は、他人がとやかく言おうと無理な時は無理であるし、上手く行く時は上手く行く。
 それでも。だからこそ、可哀想であるという気持ちもあるのだろう。
 今回の兄屋敷探索の依頼の話を詰めるがてら、ケーナズとセレスティの誘いに乗り浅海の話を聞いてやった。渦中の人である洋輔を連れて行くわけにもいかず強引に留守番させたのだが、どうやら拗ねているらしい。浅海の深刻な顔とは打って変わった、何という暢気さだろうか。
 けれどまぁ。三歩歩けば忘れるようなアホには違いないので無視することにした。
 シュラインは正が持って来た紅茶の箱を手に取り、中から紅茶の密封パックを一つ取り出す。封を切ると芳醇な香りがシュラインの鼻を掠めていった。
「いい香り」
 シュラインは呟いて、さっそくキャニスターに茶葉を移しかえる。
「茶葉の大きさも均一だわ……やっぱり、十さんが持ってくる茶葉は違うわね。この間、近所のスーパーで安いの買ったんだけれど。もう駄目。全然違うわ」
「すっかり紅茶党だな」
 武彦がふとデスクから顔を上げ口を挟む。そのまま煙草の箱を手に取った。
 シュラインは武彦に悪戯っぽく微笑みかけて言った。
「こんなボロい雑居ビルだもの。来る客はいろいろだけれど、こういう外装にね。臆する人も居ると思うの。依頼主の気を落ち着かせる為にせめてね。飲み物くらいおいしいもの、入れてあげたいじゃない」
「素晴らしい心構えだと思いますよ」
「女将は気が利く」
「それに紅茶に含まれるカフェインには、鎮静作用もありますからね。ストレスを和らげ、精神安定をもたらしてくれます」
「カフェインって……コーヒーにもあるんじゃん?」
 洋輔がキャニスターを眺めながら呟いた。正は微笑んで頷く。
「確かに。コーヒーにもあるけれど、コーヒーのは興奮作用なんだ。これは、体内への取り入れられ方や含まれる量の違いからなんだけれどね。紅茶の場合は湯の中に溶け出したカフェインがタンニンという成分と結合して、そのまま結合した状態で体内に取り入れられるから、効果はゆっくりと、穏やかに作用する」
「はーーん。ウンチク王だな!」
 洋輔が置いたキャニスターを手に取って、シュラインは正に向かい掲げた。
「これね。自分で買ったのよ」
「そうだったんですか」
「そうなの。十さんから頂いた陶器のなんだけれど……とっても高価そうだったから。割れたら勿体無いと思うとどうしてもねぇ、使えないのよね。ほら、うちってこういうアホが居るでしょう」
 そう言ってシュラインは洋輔に視線をやる。
「なに。それって俺のこと」
「アンタしかアホは居ないわ」
 正も洋輔を見て「あー」と頷く。
「うわっはっは。何それ何それ。それは頷いてるってこと。ありえるなぁ、ってこと」
 正はその問いに、詳細の分からない微笑を浮かべただけだった。それからシュラインに向き直り、言う。
「割れたらまた新しいのを差し上げますよ。どうぞ、使って下さい」
「まぁ、本当に」
「あー。ねぇねぇねぇ」
「なによ」
「あのさ。正さんも行くって。アホ兄貴ンとこ」
「あら」
 シュラインは正に顔を向ける。
「そうなの?」
「いえ、まだ決めたわけでは」
 歯切れ悪く言う正の隣で、洋輔がパンと手を叩いた。
「ほい、決定〜。ね。所長、あれちょうだい」
「俺をパシルなよ」
 眉を潜めそう言った武彦は、洋輔に向かいクリップでまとめられた書類の束と、携帯電話を投げつけた。上手い具合にキャッチした洋輔はそれをポンと正の手の中に押し込む。
「ほい。兄の家探索セット」
 正は眉を潜めたまま、洋輔の顔を見た。
「まず。ほーい。これ。携帯。ただの携帯じゃあないんだわ。セレスティさんが用意してくれた、衛星携帯ね。GSMモードで屋内でも使えるらしいね。んで、発信機も仕込まれてるらしいね。まぁ。衛星っていうとあれだね。カーナビだね」
「うん? どういうことだ」
「詳しくは聞かないでね。俺にも良く分からないからね。とにかくこれを参加者全員が持ってたら便利っていうね。そしてほーい。次。これ。藤山さんとこの兄弟の情報ね。あ、藤山っていうのは今回の依頼主なんだけどね。誘拐犯の兄の情報と、依頼主の情報ね。はい、これ写真。んでからこれね。兄の家の見取り図ね」
「数時間前に依頼を聞いたにしては準備が良いですね」
 正は武彦の顔を見上げる。
「今はね。携帯電話という素晴らしい機器があるんだよ。連絡を取り合って数時間、それを用意するくらい造作もない」
「草間には素晴らしいボランティアさんがいっぱい居て、私とっても幸せ」
 シュラインと武彦に微笑みかけられて、正はなるほどと小さく頷いた。
「ま。そういうことで。なんつーか。ノリで?」
「ノリで依頼は解決しません、もうちょっとちゃんと説明してくれ」
「大丈夫、大丈夫。ノリでノリで。うーわ。何か面白いことなってきたじゃーん? 雛太と限にも連絡しちょお」
 一人テンションが上がった洋輔を見て、シュラインは溜め息を吐き出した。


―2―


 ハンドルを握るケーナズ・ルクセンブルクは風に金色の髪を泳がせながら言った。
「彼の恋は実るかな」
 午前一時。ポルシェは緩やかなカーブを描く片道一車線の国道を走っている。
 助手席には先ほどまで一緒に食事をしていた中の一人であるセレスティ・カーニンガムが座っていた。その銀色の髪を夜風に晒しながら、星空を見上げては小さく微笑んでいる。
「どうでしょうね」
「気のない返事だな」
「そうでしょうか」
「なんだかな」
 ケーナズは浅海忠志の顔を思い出し苦笑した。
「あの子を見ているとだんだん可哀想になってくる」
「何だかんだと言いながら最後には思いやってあげるんですね」
「そんなことはない。気紛れの道楽には違いないんだ」
「またそんなことを」
「私がいくら思いやっても、恋をかなえるのは自分自身でなければならない。何もかも、彼次第だ」
「なるほど」
 セレスティは小さく頷く。
「しかし彼はあれで中々、執念深そうですよ」
「執念」
 ケーナズは笑った。
「そうだな。今回の依頼にもついて来ると息巻いてた。草間の女将は困っていたな」
「えぇ。本当に」
「しかしそれにしても。今回の依頼を聞いた時は絶句したよ」
「と言いますと?」
「兄貴のくせに、馬鹿過ぎると思わないか」
「私の友人には、妹の方がしっかり者で兄が自由奔放という方がいらっしゃいます」
 セレスティの言葉に、ケーナズは思わずその横顔をチラリと盗み見る。
 フーンと息を吐き出して、言った。
「私は違う」
「酔っ払った人ほど酔っていないといいますよ」
「意地悪なんだな」
「それでも。迎えに来ることを見越している辺り、善人だと思いますよこの方は。誰かさんと違って」
「今日はやけにつっかかる」
「お酒のせいでしょうか」
「お酒のせいで、本性が出たんだな」
「もしかしたら。この依頼主の友人はお兄さんと楽しくやっているかも知れませんよ。依頼主が騒ぎ立てているだけで」
「そうかも知れんな。私も、思うんだ。もしもこの兄が。依頼主を本当に可愛がっているならば。その友人を傷つけたりするだろうか。とな。これでもしも珠樹という青年を傷つけたりしたら依頼主は兄を許さないだろう。口も聞いてくれなくなる。これはキツイ。無視されるのは、一番辛いんだ。絶縁、だ」
「経験者は語る、ですか」
「さてね……だから。この珠樹という青年の身の安全は確保されていると思うよ」
「私もそう思います。さすが優しい兄同士、気持ちが分かるんですね」
「まさか。私は誰かさんが言うようにとっても意地悪なんでね。もっと酷い仕打ちをするよ。だから、なまぬるい奴は分かるんだ」
 セレスティはとても可笑しそうにクスクスと笑った。
 ケーナズも喉の奥で笑い声を漏らす。
「まったく。楽しいドライブだよ」
 セレスティの顔を見やりそう言って、前方に視線を戻した時だった。
 ケーナズは目を見開いて、思わずキューブレーキを踏む。
「どうしたのですか」
 まるで何事もなかったかのように、落ち着き払った声でセレスティが言った。
 ケーナズは前方をゆっくりと指差す。
「あれは」
 そこに、ベースギターを抱えた少年が立っていた。
「なんだ」
「人、ですね」
「幻覚を見るほど飲んではないがな」
「そもそもアルコールで幻覚が見えるということは、殆んどありませんね」
 ケーナズはゆっくりとセレスティの顔を見やる。
「降りて……みるか」
「どちらでも?」
 ケーナズは小さく頷くと、ハザードを出し車を脇に止めた。
 セレスティと共に、ゆっくりと少年に近づく。
「キミは。こんな所で何をやっているんだ」
 ケーナズが言うと、少年はハっと振り返り大きな瞳でケーナズを見上げた。
「音楽がやりたいと思ったんだ」

「こんな……所でか」
 ケーナズは呟いてセレスティの顔を見た。セレスティはおっとりと微笑んで「それは何ともまぁ」などと言っている。
 少年は夜空に向かいベースをベーンと奏でた。単音に華はなく、それだけを聞くと何とも言いがたい物悲しさである。
 けれど少年はとても元気にガッツポーズを作った。
「人生は短いんだ。やりたい時にやりたい事をやりたいようにやらなきゃ駄目だ。そうしなきゃ、一回きりの自分主役の人生が無駄になる。楽しむ為に僕らは生まれてきたんだぞ。それなのに、この世界には悲しいことが多すぎる。そうは思わないか。それを音楽が変えてくれるんだ。さぁ、僕について来い。現実逃避、しちまおうじゃないか」
 またベースをベーンと弾く。
 ケーナズは思わずその音に、佐賀県といいたくなるのを飲み込んだ。
「キミの気持ちも分かりますが。危ないですよ」
 事態が飲み込めているのかいないのか、全く緊張感のない声でセレスティが言う。
「そうだな。場所を変えてやればいい。どうしてこんな場所なんだ」
 その時、少年はふと立ち位置を変え、舗道の脇を指差した。
 そこには車に轢かれた猫の姿があった。
「悲しい話だよ。僕はここで一曲奏でたい。どうやったって奏でたいんだ。キミ達の心配は良くわかる。有難う。けれど僕を止めることは誰にも出来ないんだ」
「そう、か」
 ケーナズは呟いて顎を摘む。
「仕方ありませんね」
「うむ……ほどほどにしろよ」
「あぁ、ありがとう!」
 ケーナズは後ろ髪を引かれる思いで身を翻す。背後から元気な声が降って来た。
「生きていればまた逢おう! 僕はIMPのベーシスト、サナだ! よろしくぅ」
 そしてまた、ベースの音。
「いろいろな人間が居て、世界は成り立っているんだな」
 ケーナズはそう呟いて、キーを回した。
 エンジンが唸り、彼の声もベースの音もかき消されて行く。
「まったく。楽しいドライブだよ」
 ケーナズはまた、失笑まじりにそう言った。


002

―1―


「それにしても暑いわね」
 シュラインはそう言ってしまってから、少し笑った。
「もう。何だかありきたり過ぎてて、言いたくないんだけれど。この暑さには負けるわ。やっぱり、暑い。そう、思わない?」
 隣を見やると、正の横顔は余りに涼しげだった。
 汗の似合わない顔、というのがあるならばこの男のことを言うのだろう。
「貴方、真夏でも秋みたいな顔してる」
「秋?」
 問い返して正は笑った。
「まさか。暑いですよ。僕も」
「それだけ涼しい顔されてたら、太陽もやりがいないわね。ちょっとしてやったり」
「そういうシュラインさんも、かなり涼しげな顔をしてらっしゃいますよ」
「見えるだけ。私って案外、アツイ人間なんだから」
 シュラインは小さく笑って、肩に下げていたバックを背負いなおす。
「重そうですね。持ちましょうか」
「ううん。大丈夫よ。私、武彦さん以外の男に優しくして貰わないことにしてるの」
「それは」
 正はそこでふっと笑い眼鏡を持ち上げた。
「名案かも知れません」
「でしょう」
「何が入っているのですか」
「うーん。方位磁石でしょう。それから方眼紙、筆記用具。デジカメ。メモ帳。ペン。ペンライト。救急セット。あと、里芋の煮っ転がしに肉じゃがにおにぎり。玉子焼き。ってトコかしら」
「お弁当、ですか」
「迷ったんだけれど。一応ね。何があるかわからないし。武彦さんの食事の用意もあったしで、少しだけ持って来たの」
「気が利きますね」
「想像力が豊かなのかしら。いろいろ勝手に想像してしまうの。その大半は杞憂に終わったりするんだけれど」
「備えあれば憂いなし、と言います」
「正さんはそれ。清貴屋の菓子折りでしょう」
 シュラインは正の右手で揺れている、紙袋を指差した。
「はい。バームクーヘンです。それに、紅茶も」
「高かったでしょ」
「いえまぁ、値段ではありませんから……いくら誘拐犯とはいえ。始めて人様のお宅にお伺いするわけですから。手土産くらいはちゃんと用意しようかと思いまして」
「相変わらずマメね」
「人の道理です」
「今時珍しいくらいの好青年だわ。天然記念物」
「それは……褒められてるんでしょうか」
「褒めてるわ。うちのアホも見習って欲しいくらい」
「洋輔くん?」
「そう。アホ洋輔」
 そこで正はフーンと考え深げに俯いた。
「良いか悪いかは分かりませんが。僕は言わずにいれない性分なので顔を合わせる度、いろいろと注意してしまうんですが」
 小さな溜め息を吐き出す。
「価値観が違うのでしょうか。難しいです。押し付けているような気にもなってきますし。けれど彼を見ていたらどうも」
「うーん。そんな深刻な顔しないで。大丈夫、正さん。あのアホは貴方のこと慕っているし、分かってるわよ。アホだけど、分かってるの。いや。分かってるのに知らん顔とかするから、アホだって言いたくなるのよ。きっとアイツ。もしも十さんがものすごーく本気で怒って問い詰めたらこう言うわよ。だってさぁ。正さんの真剣な顔とか見てるのアツイし好きなんだよね〜。真剣な顔とかってさ、すっげアツイじゃん。何か良くわかんねぇけど、ガッツじゃん」
「ど。どういう……意味でしょうか」
「貴方に注意されるのが、楽しいってことかしら。あの子そういうところあるのよねぇ、自分のことを考えて注意してくれる人とか。そういうの、好きみたいなの。聞いてない顔しちゃって」
「なるほど……」
 正は小さく頷いて眼鏡を押し上げた。
「私、あの子。アホだけど嫌いじゃないわ」
「僕も決して嫌いなわけでは」
「そういうの。伝わるの。嫌いなのかどうなのかとか。あの子、本能的な野生のカンみたいな。ほら。あれってもう、動物だから。そういうのは感じ取るんだと思うわ。現に、自分を愛してくれない人には、小指の爪ほども興味を示さないもの」
「良く、見てらっしゃるんですね」
「アルバイトだから。観察しないとね。一応、ご飯は食べさせてあげてるからね。始めは何でこんな子って思ったのよ。まぁ、今でも思ってるけれど」
 シュラインはふっと唇を歪め微笑する。
 それからまた、バックを背負い直した。
「そろそろかしらね」
 シュラインは正の左手にある地図を覗き込みながら言った。「そうですねぇ」正は地図に顔を近づけ、辺りを見回す。
「この辺りだと思うんですが」
「ちょっと見せて」
 シュラインは正の手から地図を奪った。もちろん、正が地図を読む能力がないだとかそういうことではない。ただこれは自分の性分なのだ。出来る限り全てのことを自分の目で確かめなければ気がすまない。
「もうちょっと行った所かしらね。余りに奇抜だからすぐ分かるって、天音くんも言ってたけれど」
「では。もう少し歩きますか」
「そうね。仕方ないわね」
 太陽に照らされたコンクリートから、腹が立つほど熱い熱風が這い上がりシュラインの足元に絡みつく。
 それを追い払うかのように、腰に手を当てフーと深呼吸した。
 さて歩き出そうと足を進めたところで、ふと、前方にある十字路からフラリと人が出てくるのが見えた。
 かなりヨロヨロとした足取りで歩いている。
 熱射病。
 シュラインはそんな単語を頭に浮かべた。
「ねぇ。正くん」
 顔を向けると、正もその人物に気付いたようだった。
「人、ですね」
「えぇ。何だかあの人……よろけてない?」
「よろけて、ますね」
 家の塀伝いにヨロヨロと歩いていた男は十字路を抜けた所でガクンと膝をつき、突然パタリと倒れた。
「大変だわ」
 シュラインは呟いて、バッグを揺らしながら男に駆け寄る。
 俯いて倒れていた男の肩を掴み、仰向けにさせたところでシュラインはその男が知人であることを知った。
「シオンさん!」
 思わず声を上げる。
「お知り合い、ですか」
 いつの間にか隣に来ていた正に言われ、シュラインははっと顔を上げた。
「あぁ……えぇ、まぁ。たまに草間で依頼解決のお手伝いをしてくれている方だから……シオンさん。こんなところでどうしたの」
「シュライン、さん」
 よれよれの声でシュラインの名を読んだシオン・レ・ハイは、そのまましょぼしょぼした目をシュラインのバックに移す。
 その時、グゥっと凄まじい音がした。
「もしかして」
「おなかがすいて、死にそうです」
 シオンはそれだけ言うと、ハっと体の力を抜いた。シュラインの腕にずっしりとその重みがのしかかる。
「シオンさん、シオンさーん」
 シュラインは呼びかけを続けながら、その頭から手を抜いた。バッグの中身をくつろげ、タッパーの蓋を開ける。
 暫くは何のリアクションもなかったが、シオンの鼻がヒクリと動いた。
「シオンさん」
 また、ヒク。
「良い匂いがしますよ」
 暫く鼻をヒクヒクさせて匂いを堪能しているらしいシオンだったが、突然ガバリと起き上がり「飯だ!」とタッパーを掴む。怖いくらいの形相で、荒い息を吐き出しながらそれを見つめていたかと思うと、ガッと上目使いにシュラインを見上げた。
「しゅ。シュラインさん。これはもしかして」
「本当は依頼主の為に用意してきたんだけれど。いっぱい作っちゃったし」
「おーなんて慈悲深い!」
 ありがたや〜と平伏すシオンに、シュラインは溜め息交じりに言った。
「ちょっと待っててね。お箸……」
「持ってます!」
「よ。用意がいいのね」
 その笑顔が引き攣っていなかったかどうかは自信がなかった。


―2―


「しっかし。デケー家だなぁ、オイ」
 雪森雛太は、屋敷を取り囲む塀にパンと手をついた。
「熱ッ」思いもよらない温度のせいで、雛太は慌てて手を引っ込める。
「あっつー」
 手をバタバタと振りながら、舌打ちをする。フーフーと手に息を吹きかけて、隣でニヤニヤとしている洋輔を睨み付けた。
「なにが面白いんですか」
「べっつにー」
「しかし。本当に広いね」
 壇成限が感情のない声で言い、屋敷を見つめる。
「オメーんとことどっちが広いンさ」
「俄然余裕でこっちっしょ。それは」
 雛太は親指で目の前に広がる兄の豪邸を指した。
「えー。お前んトコもかんなり良い勝負と思うんだけどな。なぁ?」
「雛太んとこは広いよ。何か、落ち着かないもん」
「あー! 分かる分かる。広いと何かケツが痒くなってくるっつかね」
「居場所の安定感がないっていうか」
「もうむしろ、整理整頓されスギっていうかね。オマ、微妙にキレイ好きじゃん」
「お前ら人んとこで溜まってるくせに、エライ言いようだな」
 雛太は失笑と共にそう言って、空を見上げた。そこには遠慮もなくギラギラと輝く太陽がある。
「なんだアイツ。すっげぇムカつく。いい気になりやがってよ」
 雛太は空に向かい拳を振り上げた。
「んーだんーだ。上から見下ろしてる加減がさ。ムカつくっつーかさ」
「だけど……太陽が下にあっても邪魔じゃない」
 限がポツリとそんなことを言う。
 雛太は思わずその横顔を見た。足元にある太陽を想像し、確かに邪魔だ。と眉を顰める。
「間違いないな」
「でしょ」
「うん……でもさ。上から見下ろしてンのも腹立つわけで。だからもう何つーか。どうでもイイけど入り口どこだよ! って話でさ。熱いンだよ!」
 ウギャっと頭を抱えてから、隣に歩く洋輔の頭をパチンと叩いた。
「いって。あにすんのよ」
「熱いからね。仕方ないね」
「熱いからってシバクなよ」
「あ。でもさ。熱いって言えば、今回の依頼なんだけどさ」
「うん?」
「俺もう何か今回、めちゃくちゃインスパイアーされた気なんだけど」
「えー。うっそ。マジ? お前も?」
「何つーか。何がムカつくって、このアホ兄貴、楽しそうなのがムカつくわけ。もう、何か。楽しさで負けたくないっていうか。俺を差し置いて何を楽しそうにしてんじゃボケっていうか。そういうの」
「あー、分かる」
「俺ら普通に飯食って、バイト行って、ガッコ行って、とか。そんなんじゃん。楽しいことなんてあんま無いし。っていうか、それは自分で作らないと駄目なんだけどさ。それが出来てる、コイツっていうか……人に何思われても楽しそうにしてるコイツ悔しいみたいな」
「おー。分かる分かる」
「逆にね。逆に俺らがやってやるっていうね」
「まっちがいないね」
「俺らも何かデカイことしよーぜ〜みたいなさ〜。何かそういう気になった」
「マジそれ。何かがっつりアツイ。あぁ、何か俺テンション上がってきたなぁ。クッソー。今なら空だって飛べそうな気がしてきた!」
 空に向かい両手の拳を振り上げる洋輔を見て、雛太はポンとその肩を叩く。
「それは飛んじゃ駄目だよ」
「お前はきっと飛んでも助からないからな。絶対やめろよ、そういうの」
「えー。なんでぇ」
「極端なんだよ。オメーはよ」
「アツイのも大事。けど、毎日も大事。極端なのはどうかなって思うよ。僕は。そういう普通の日々を愛したいって思う。そういう楽しいだけじゃない普通って。穏やかって。大事じゃん」
「そうそう。ちゃんと足元見なさい。足元ね。テンション上がるのも良いけれど、現実見てね。ちゃんとね。バランスっていうかね。そういうのも、また大事だからね」
「フォーーーーーーーーーーーーーーーイ!!」
 洋輔が突然雄叫びを上げたので、雛太はギョッとして後退った。
「なん、なに」
 限は隣で空を見上げ手を組み合わせている。
「神様、とうとうこの人頭がおかしくなってしまいました」
「いや。チゲーよ。っていうかもう。俺、何か感動して涙出そう。それもアツイなって何か。思った。間違いない。そういう愛があって、毎日があってってスゲー、大事だと俺も思う。俺らまだ若いじゃん。これからまだまだかっつり行ってやろってカンジじゃん。毎日を動かすのは俺らなんじゃん。人なんてこんなもんで、俺らなんてこんなもんで、でも気持ち一つで空だって飛べる」
「今日の洋輔さんは意味が分からない上に何だか暑苦しい」
「また何かに影響されてんじゃね?」
「いやもう。愛してるってことさ。お前らをさ」
「全然いらね」
「いらないね」
「ま。とにかく俺は逆にこっちが楽しんでやるってスタンスで」
「え、何。それは今俺が言ったことを無かったことにしようとしてんの」
「張り切り過ぎて、足引っ張らないようにね」
「はッ?」
 雛太は洋輔を押しやって、限の隣で自分の耳に手を掲げ問うてやる。
「わーっるいけど今日の俺は、一味も二味も違っちょーよ」
「本当かなぁ」
「ね。ねねねー。俺の告白はなかったことにしようとしてる? ね? 雛太さん。限さん。ね。ちょ」
「ウルセー。近寄るな暑苦しい」
「何おーう。俺は汗までフローラルクールな男だぜ」
「あー。はいはい」
 雛太は手を振り、洋輔をいなした。
「あ。入り口、じゃない? あれ」
「おー。本当だ」
「いいんだ……俺なんか。いいんだ。くそう。明日。明日飛び降りてやるからな」
「いいぜ。自殺の動機は、友達にハミられたからです。ってな。どっかで見た記事みてぇ」
 へっへっへと洋輔の耳元で笑ってやった。
「シュラインさん。まだ来てないのかな」
「えー?」
 雛太と限の頭の間から、洋輔が顔を覗かせる。
「お前はとことんくっつきたいんか!」
「あれー? なんでだぁ? 結構早くから出てたハズなんだけどなぁ……ん?」
 洋輔が目の上に掌を掲げ、遠くを見るように目を細める。
「あそこ。三人くらい居るの……シュラインさんらじゃねーの?」
「あー。っぽいね」
「ぽいな」
「何してんだろー」
「さぁ?」
 雛太は小さく首を傾げる。横目に洋輔の顔を見やり、限の顔を見やった。
 暫く見詰め合った後。
「行くンとか邪魔臭いし。待とう。入り口で。どうせ来るっしょ」
 と言った。
 もちろん。
 間違いなく二人は同意した。


―3―


 その部分だけ石塀が途切れる屋敷への入り口には、アーチを描くように大きな木が植えられていた。
 種類は良くわからない。青々とした葉っぱがついているが、雛太の目には葉っぱなんてどれも同じに見える。
 雛太はその木の木陰に腰を下ろした。胡坐をかきながら、首元にバタバタと風をおくる。
 酷く、なまぬるかった。
「はー。もう、まだぁ? なぁ。俺らだけで入んねー? あちーんだけど」
「アチー。アチー。アイス食いたいっぽい」
「間違いない。それから炭酸な」
「ねぇ。誰か来たよ」
 石垣に背を預け立っていた限が雛太を振り返った。
「あー?」
 よっこらしょと地面に手をつき、石垣からヒョッコリと顔を出す。
 そうしてそれを見つけ。
「えええええええええええええええええ」
 雛太は思わず絶叫した。
 隣でアチーアチーと言っている洋輔の頭を引っぱたく。グイっと襟元を掴んで引き寄せた。
「ちょと、あによ」
「あれ見」
「ったく何……えええええええええええええええええええ」
「スゲー」
「ありえないじゃん」
 雛太は屋敷に近づいてくるケーナズに視線を馳せた。
 その姿が余りにも積極的で、雛太はあんぐり口を開ける。ピッシリと迷彩服を着こなしたケーナズは、顔に赤いペイントをいれていた。迷彩服を着こなせるというのもある意味凄いが、あれではまるでいつか見た戦争映画の兵士である。そうえいば、サバイバルゲームとかいうのに参加する人もあんな格好をしているのではなかったか。
「いやぁ。お待たせ」
 何だかとっても清々しい顔で片手を上げたケーナズが限に向けて挨拶する。限は「どうも」と小さく会釈した。
「ん? どうした」
 上から見下ろされ、雛太は思わず顔を背ける。
 瞬きを繰り返した後、洋輔と顔を見合わせた。
「ちょっと何かいろいろ凄いことになってるぞ」
「実はめちゃくちゃ張り切ってるんじゃ」
「あれと歩いてて恥かしくはないんか。セレスティさんは」
「ありえねー」
「思いっきり落ち着いた顔してるけど」
「別に恥かしくはありませんよ」
 降ってきた声に顔を上げると、セレスティが薄く笑いながら雛太を見下ろしていた。
「むしろ、楽しくはありませんか。たまにはそういうのも。ねぇ?」
 セレスティに顔を向けられ、ケーナズはウーンと唸り声を上げる。
「そんなに張り切っているように見えるかな」
 声だけはいつもの落ち着いた、艶やかなバリトンで言った。
 そのチグハグ感がまた、雛太の笑いをそそる。
「い。いえ。全然……アリっすよ。なぁ」
 半笑いで洋輔を見やると、洋輔も口元をヒクヒクさせて「そうそう」と頷く。
「笑ってんじゃん」
「これ。シッ。限。余計な突っ込みは」
 ジロリとケーナズに見下ろされ、雛太は渇いた笑いを漏らした。
「いやいやいやいやいやや。あははは。な?」
「あぁ。あははははは」
「備えあれば憂いなしなんだ」
「そうそうそう。もう、そういうカンジで。今日はガンガンイって下さい、マジで……な?」
 ふと見ると、洋輔は何かに気付いたように、違う方向を見ている。
「どした?」
 雛太の問いにも何も答えない。視線の先を見ると、ベースギターを背負った小柄な男と浅海忠志の姿があった。
「あ。なんであの人来てんの」
 また、洋輔の顔を見る。
 ふっと唇を歪めた洋輔は「かーあいい」と小さく呟いた。
「かあいい?」
 洋輔は何も言わず起き上がると、迷わず小柄な男の方に歩み寄って行った。

「さなじゃん。ヨウヨーウ」
 洋輔が手を振り上げると、さなは自分の掌を差し出した。そこにパンと手を振り下ろす。
「彼のことを知っているのか」
「え? 知ってますよーん」
 ケーナズに問われて洋輔は軽く答える。するとケーナズはさなを見て言った。
「嘘かと思ったよ」
「本当だと言っただろう」
「え? 嘘って?」
「そこでバッタリ出くわしてね。草間を知っていると言ってたんで連れては来たが。嘘かと思っていたんだよ」
「間違えられてんじゃん」
 洋輔が言うと、さなは小さく肩を竦める。
「まぁいいさ。最初の出会いが出会いだったからね」
「この人、バンドのベースをやってんですよ。その関係でな。いろいろと依頼とかあって。今ではちょっと手伝ったりしてくれてんの。な? ってまぁたギター持って来てンかい」
「僕はいつでもベースと一心同体だ」
 ケーナズに向き直り、さなは手を差し出した。
「改めて。山口さな、だ」
「歳はなんと三十二歳」
 洋輔は上半身を逸らしてさなを指差す。
「洋輔、そういうことを言うなよ」
 苦笑して答えたさなの隣で、ケーナズが目を見開く。
「三十ニッ?」
「人は見かけによりませんねぇ」
 セレスティに至っては、ほのぼのとそんな言葉を言った。さなは小さく苦笑して、呟くように言う。
「年齢なんて、人間が勝手に決めた概念に過ぎない。僕は僕に変わりないよ」

「まぁ。まぁ。おそろいで。もしかして私達、一番最後かしらね」
 聞き覚えのある声に、洋輔は腕を組んだまま後を振り返った。
「おーう、姉御」
「ゴメンね。遅れちゃって。すぐそこまで来てたんだけど」
 シュラインは大きなバッグを背負い直しながら、ふっと溜め息をついた。
「何してたん」
「それにしても、九人も居るのね」
「ねぇ、何してたん」
「ここにあと、天音くんが入るから。十人ね」
「後から変なオジサンついて来てンよ?」
「あら。噂をすれば。天音くん」
「ねぇ。なんで無視すんの」
「みなさん。もうおそろいなんですか。お早いですね」
 チョコチョコと小走りに駆け寄って来た天音はふーと息を吐き出す。
「依頼主なのに、貴方が遅いのよ」
 シュラインが苦笑して言う。天音は「すみません」と頭をかいた。
「ねぇ。なんで無視すんの」
 洋輔だけがまだ、唇を尖らせてそんなことを言った。


―4―


「お邪魔致します」

 大きな扉の前で正が凛とした声を張り上げる。
 その後に位置していた洋輔はバンと雛太の肩を叩いた。
「お邪魔しますって」
「言っちゃったよー」
「おー邪魔しますはないだろー」
「でも。確かに今から邪魔するわけだから、ある意味めちゃくちゃ正解だと思うんだけど」
「ね。なんでそんな冷静なの、限さん」
「僕、基本的にクールだから」
「知ってるけどね」

「ねぇ」
 ポンと肩を叩かれ洋輔はそちらに顔を向ける。
 正が一枚の紙を手に持っていた。
「なに?」
「これ……」
 正が差し出す。
 洋輔はそれを受け取り覗き込んでくる雛太の肩を「ちょっと今から読むからさ」と押しやった。
 自分達の後ろでざわざわと雑談しているシュラインらにも「ちょっと、姉御」と声をかける。
「どうしたの」
「なんか」
 そこで洋輔はまた、正に振り返った。
「これ、どうしたん?」
「入り口の扉に張られてましたよ」
 洋輔はシュラインに向き直る。
「貼られてたんだって」
「なんて書いてあるの」
「えー。と。ようこそ、十一人の戦士たち。わが宅へようこそ。これからそれなりに一応いろいろ用意してあるので、楽しんでってね、ハート。ところで、ちゃんと戦士は十一人揃っているかな、ハテナ。ちゃんと十一人揃えないと扉は開けないぞ、人差し指の絵。僕はここから、カッコどこだよカッコ閉じる、監視カメラで監視しているのでちゃんと十一人揃った時点で扉を開けるからね、ハート。ヨロピコ、ホシ」
「うわ。キモ。しかも何か、気持ちが先走ってて上手い文章になってない的なカンジ!」
「かーんなり、キテんな。この間のお前の、女子高生のモノマネよりキモイ」
「比べんな!」
「監視カメラ……」
 限が呟き、辺りを見回す。
「あ、あそこに」
 浅海が見つけ、指を差した。扉の上部に、確かに小さなカメラが設置してある。
「監視カメラだな」
 ケーナズが腕を組んでそう凄む。
 シュラインはごそごそと自分のバックの中を漁り出すと、デジカメを取り出してパシャっとそれを撮影した。その行動に、洋輔は思わずプッとふきだす。
「え。なんで今撮影したん」
「今後の為にね。屋敷内をこのカメラに収めようと思って」
「ハーン」
「それにしても十一人ねぇ」
 シュラインが顎を摘む。
「俺っしょ。限っしょ、洋輔っしょ。それからケーナズさんっしょ、セレスティさんしょ、さなさんに、シュラインさん。浅海、天音、十ヶ崎さん」
「十人しかいませんね」
 セレスティの言葉に、洋輔はウーンと唸った。
「扉をぶちやぶってやるっていうのはどうだ!」
「おーう。それサイコー」
 洋輔はまた上半身を引いて、さなを指差す。
「これ。人様の家の壁をぶちやぶるなどということは」
「あと一人。何とかならないんですか、シュラインさん」
「このままじゃ、こんなけ集まって入れねーんじゃん。アホじゃん」
 シュラインは「そうねぇ」と小首を傾げる。
「武彦さんが来てたら良かったんだけど。あの人、他の依頼があって今日は無理なのよねぇ」
「オメーの友達、他に居ないんかい」
「俺は過去を捨てた男だし」
「わけわかんねー」
 その時、背後からゴホンと咳払いが聞こえて洋輔は振り返った。
「シオンさん!」
 シュラインが声を上げる。
「シオン?」
 洋輔は小首を傾げる。それから思い当たった。「あぁ、あぁ、ダンボールハウスのシオンさん! うわ。別人みてー。髭、剃れよ」
「まだいらっしゃったのね」
「お困りですか」
「そうなの。困ってたのよ。人数が足りなくて」
 シオンはそこでまた、ゴホンと咳払いした。
「もし。宜しければ。私も参加致しましょうか」
「まぁ、本当に?」
「なぁーに。昼食を頂いたお礼ですよ」
 シオンはアッハッハと高らかに笑い声を上げた。それから腕をワキワキとさせて拳に顎を乗せ、さわやかに微笑む。
「さぁーて、おじさん、張り切っちゃうぞぉう……報酬は、ですね。飯代で結構ですよ」
「飯のお礼だって言ったのに、まだ催促してる」
 限の呟きに洋輔は頷いた。
「めちゃくちゃ飯に拘ってんじゃん」
「あー、あの人さ。お金持ったら余計なことに使っちゃうんだよ」
「え。何、これ?」
 雛太が指でスロットの真似事をする。洋輔はフルフルと首を振った。
「ちゃうまんがな。あのー。服とかさ。貢ぐとかさ」
「えー。別に普通じゃん」
「度を越すと何でも駄目なんだよなぁ。オヤジが良く言ってたよ。程度問題」
「お前、オヤジ居たんだ」
「いやいやいやいやいや。居るだろ。それは」
「過去は捨てたんじゃなないの」
「聞いてたんだ、限……いや。捨てたけどな。捨てたのはまた別の方」
「え。どういうこと」
「それはまぁ。追々……だからさ。とにかくあの人の場合は、飯食う時に、ガッと食うわけさ。で。現金の方は他で使うっていう」
「ふーん」

「ありがとう、シオンさん。さぁ、これで十一人の戦士が揃ったわよ」
 シュラインはそう言って、扉を見上げる。
 皆の視線がそこに集まった時、どこからともなくコミカルな声が聞こえた。
「よーうこそ。十一人の戦士たち」
「え。この声めちゃイケじゃん」
「違うだろー」
「いや、ぜってーめちゃイケだよ」
「本当だったら凄くね? 中に居ンのかな?」
「居ないだろー」
「ほら、そこの三馬鹿!」
「えええええええええええええええ」
 洋輔は素っ頓狂な声を上げる。
「限も入ってるー!」
「心外だ」
「心外だね。でも、しゃーないね」
「あんまりですよ」
「ごめんなさいね。ツートップじゃ、仲間はずれみたいだし。ほら、三馬鹿って語呂がいいから」
 限が小さく溜め息をつくのを見て洋輔はポンと肩を叩いてやる。
「お前は……ほら! テレビの! 北村弁護士なのにな」
「それも……嬉しくない」
 限は精一杯の嫌な顔をする。
「そう言うなって。ほら。エリートエリート」
「僕はもうちょっと笑う」
「ええええ。笑ってねぇーよぉ」
「雑談も良いけれど。入るわよ」
 その時、また正が「お邪魔します!」と声を張り上げた。
 洋輔は限と顔を見合わせた。
「まだ言ってる」


―5―


 正は扉の影からゆっくりと顔を覗かせた。目の前は突き当たりで、右手に廊下が伸びている。絨毯は光が差し込んだ所だけまばゆいばかりの赤色だった。他の場所には影が落ちて黒く見える。中は相当薄暗いようだ。
 ふと上を見ると、壁に蝋燭の火が灯されていた。
「どう?」
 シュラインが背後から問うてくる。正が振り返って小さく頷いた。
「とりあえず、廊下が伸びていますね。とりたて危ないものはないようです」
「じゃあ、入りましょう」
 シュラインの声に正は頷き足を踏み込む。絨毯のフワリとした感触が足の裏に伝わった。
「先に、光が見えますね」
「何かしら」
 そのまま廊下を進むと突然視界が開けた。小部屋のような広い空間がある。
 三法は白い壁に覆われており、前方に三つの扉があった。
 正は中央の扉に貼られた張り紙を見つけ、剥がして手に取った。
 ざっと目を通し眉を潜める。
「なんということだ」
「なになに」
 どかどかと人が寄って来て、正は眉を潜めたまま紙をその中の一人に手渡す。

 それを受け取った洋輔は、また声に出して朗読した。
「んー。なになに。ここから先は全員で入ることは出来ません。出来れば、二人から三人で一つの扉に入って下さいね。と。いうことは。扉は三つ。人は十一人。あらー、余っちゃいますね。プ。ところで余談ですが、僕の言うことを聞いてくれないと珠樹君の服を一枚ずつ脱がして恥かしい格好をさせて写真を撮ってしまいますので、出来れば言うことを聞いて下さいね、ハート……だってさ」
「うわッ。ここまで来させておいて、根性悪ッ」
「けど、ある意味とっても都合が良い気もする。外からもアプローチできるってことでしょ?」
 限の言葉に洋輔はブーと唇を尖らせる。
「けど。何かこのやり方がムカつくよね」
「間違いないな」
「お前の兄貴、めちゃくちゃムカつくんだけど。会ったら一発殴っていい?」
「スミマセン」
 天音は小さくなってうな垂れた。
「しかしそれにしても。やられたな。そういう嫌がらせの方法があったとはな」
「暴行するわけではないですからね」
 ケーナズはセレスティと顔を見合わせてニンマリする。
「でも。丁度良かったんじゃないかしら。大人数で行くのもどうかって思ってたし」
 シュラインが言うと、雛太が「ですよね」と拳を握る。扉の上部にまた設置されている監視カメラに向かい、声を荒げた。
「うらー。バーカバーカ。こっちは逆に都合よいんだっつの。オマコノヤロウ、意地悪のつもりが全然気にならないっていうか。こっちはバリエーションに飛んだん用意してんだよ。テメーの思うようになるかっての」
 洋輔もそれに便乗し、ベーっと舌を出す。二人は声を合わせて叫んだ。
「うらー。聞いてンかー。アホ兄貴ぃ」


―6―


「聞いてますよ」
 監視カメラのモニターに向かい、兄は薄く笑った。
「これはまた、面白い人達が揃いましたね……霧葉くん。そう、思いませんか?」
 背後に立つ、流飛霧葉に向かい問いかける。霧葉はただ黙って小さく小首を傾げただけだった。
 兄はフームと溜め息を吐き出す。
「無口ですねぇ」
「喋ることがないだけだ」
 ボソボソと滑舌悪く霧葉が答える。
 霧葉は兄が雇った用心棒である。女性のように骨の細い華奢な体つきからは想像も出来ないが、かなり腕が経つらしい。剣術が使えるとか何とかで、しかし何より兄が気に入ったのは彼が始めて逢った時に見せた、自作の刀、である。自分で刀を作るというその心意気も去ることながら、自分に合った剣を一本作る為に今まで二十本もの刃を無駄にしている。というそのマニアックとも言える熱心さに兄は深く感動し、カチコーンといわされたのである。
 実は特に用心棒は必要なかったが、今回の遊びに彼も巻き込むことにした。
「そうですか。でも。あんまり口に出して喋らない人は、心の中で沢山喋るなんていうんですよ」
 霧葉はただ、無表情に兄を見た。「ま。どちらでも良いんですけどね」溜め息交じりにそう言って、兄はまたモニター画面に視線を戻す。
 お気に入りの真っ赤なソファに身をずぶずぶと埋めながら、そこに映る十一人の戦士たちを観察した。
 そして。兄は「お」と小さく声を上げた。思わず体を起こし、モニター画面にかじりつく。
「その時! 兄の体に衝撃が走った!」
「え?」
「兄は思った。あぁ! 何ということだろう! あのクソ真面目そうな顔つき。あの眼鏡。時折見せる、優しそうな苦笑。あぁ、何ということだ。くそう。僕としたことが。あぁ、何てステキなんだ……と、実は最初っから思っていたくせに、あたかも今気付いたかのように口に出してみる兄である」
「ひ、とりご、と、か」
「そしてあのギターの彼も! こんな所にギター! ありえないだろう! 兄はやられた気、満開であった」
「声に出してるぞ」
 兄はフフフと笑って霧葉を振り返った。
「わかってて出してるんだよ。ほら、君が無口だから。君の分まで僕が喋ってあげようと思ってね」
「別に必要ない」
「あぁ!」
 兄はまたモニター画面にかじりつく。
「ふふふ。彼ら、くじ引きをする気だぞ。あー。何か僕まで緊張してきてしまうな! 誰と誰が組むんだろう……」
 乙女のように目前で手を組み合わせ、兄はドキドキと結果を待った。


―7―


「じゃあ。はーい。順番に引いてね」
 シュラインは持って来たペンと紙で即席くじ引きを作り、それを手に持って皆の前に突き出した。紙には番号が書かれており、同じ数字を引いた人間が組む仕組みになっている。
 まずは洋輔が一歩前に出た。
「うーし」
 手を擦り合わせてくじ引きをじっと見つめる。それから何を思うのかはっと背後を振り返り、ケーナズの姿を見た。
「早く引きなさいよ。貴方」
「どうでも良いけど」
 洋輔はそこで口を噤み、黙ってケーナズを見ている。ふと気付けば、全員がケーナズの方を見ていた。
「なんだ」
 ケーナズは眉を潜める。
「何か……強そう。俺、組むんだったらケーナズさんとがイイ」
「確かに強そうだもんな。こういう時は友情より、自分の命の大事さだよな」
「だね」
「よーし!」
 洋輔は前に向き直り、くじを引く。
「っしゃー。三番!」
「なんでよっしゃーなんだよ」
「ケーナズさん。引くンなら三番引いて下さい」
「まぁ。運任せだな」
「そんなこと言わず、引くンなら絶対超能力使ってもズルしても三番引いて下さい」
「アホか! ズルしちゃ意味ねーだろ!」
「はい。じゃあ。次」
 シュラインの声に今度は雛太が前に出た。



 シュラインはパンパンと手を叩いた。全員に向かい、決定事項を述べる。
「はーい。静かにして。決定したみたいね。まず、ケーナズさんとシオンさん。それから洋輔君、雛太君。限君……ってまたアンタ達? もう、問題起こさないでよ。それから、セレスティさんと浅海くん。私と天音君。それから、正さんとさなさん。以上、漏れた人は居な」
 その時、扉の上部に設置されていた監視カメラの辺りから、ガゴガガガゴと凄まじい音がした。それはまるで慌ててマイクを引っ掴み、落としたような音だった。
 皆ギョッとして思わずそちらに視線を向ける。
 キーンという音の後、暫し沈黙があり「あ、あー」と声が降って来た。
「兄の声です!」
 天音が叫ぶと皆はその顔に視線を落としてからまた監視カメラに顔を戻す。
「スピーカーでもあんのかな」
「しッ」
「え、えー。初めまして。兄です。こんにちは」
「じ。自己紹介してる〜!」
「唐突ですが。眼鏡の人。それからそこのギターを持った人。そのコンビは間違いなく一番右の扉を潜って下さい。よろぴく。以上、兄希望でした」

「ど。どういうこと」
 シュラインは眉を潜めて皆の顔を見る。
「明らかに怪しいね」
「怪しい」
「聞くことないですよ。あんな兄の言うこと……やめといた方が良いに決まってる」
 天音が言う横で、雛太が監視カメラに向かい言った。
「なー。っていうか他の奴らはどーしたら良いん」
「おーい」

「……そんなモンはお好きにどうぞ」

「うーわ。感じ悪ッ」
「投げやりだな」
「めちゃくちゃなげやりだ」
「何か腹立つな」
「間違いない」
「はーい」
 さなが突然手を上げる。
「僕はお兄さんの指示に従いたいと思うんだけどな」
「えええええ。やばいじゃん。なんで」
 暫く考え深げに俯いていた正も「そうですね」と頷く。
「僕も……聞いてみようと思う」
「なんで!」
「明らかにヤバイじゃん!」
「命令ではなく、希望という言葉に好感を抱いた」
 さなが得意げに言った。
「そんなん抱くなー!」
「けれどどのみち、何処かの扉に入らないといけないならば。向こうの狙いが何なのか、ということもありますし」
「何処に入っても何かあるなら、一緒だな」
「えぇ、僕もそう思います」
「うーん」
 シュラインは腰に手を当て言った。
「じゃあ。私は外に出るわね。実はちょっと考えていたこともあったから」
 車椅子で同行していたセレスティが、つっと前に出た。
「では。私も外でお待ちすることにしましょう。オペレーターの役目もあるわけですし。何よりこの足でトラップを潜るのはどうかと思っていたもので」
「そうね。じゃあ。そうしましょう」
「浅海くん。宜しいですか」
「えぇ、俺は構いません」
「じゃあ、行きましょう。お先」
 シュラインはさっさとそう片付けると、残された皆に手を振って来た道を歩き出した。

「私達は何処に入ろうか」
 ケーナズが問いかけると、シオンは胸元に手を当て爽やかに微笑んだ。
「私は何処でも。お付き合い致しますよ」
「じゃあ。真ん中の部屋にしよう。男は黙って中央だ」
 ケーナズの言葉にシオンは頷く。
「では、お先」
 ケーナズ達に続くようにして、「じゃあ。僕等もいっちまおうぜぃ」正とさなも右の扉に入って行く。
 洋輔と雛太、限の三人は顔を見合わせた。
「えー。なんか突然ドカドカ決まっちゃったんだけど。急展開で俺ら結局、左なわけー?」
「うーん」
「ま。残り物には福があるとも言うしね」
「お。限、良いこと言うじゃーん」
「うーし。じゃあ行くべ!」
 雛太の言葉に頷いて、三人はギッと扉を引いた。


―8―


 扉の先は、いつだったか遊園地で見たアトラクションに酷似していた。脇には板で作られた漫画チックな花の絵と、それを取り囲むようにして造花が植えられている。中央を通る廊下の絨毯はピンク色で、そこはまるでメルヘンの世界。
 造花の更に奥には小人の人形や、木の小屋が飾られてある。
「これは」
「楽しそうだね!」
 ニコニコとさなが笑いかけてきた。正はつっと眉根を寄せて辺りを見回す。
 余りにメルヘンなその部屋は、けれど余りに何かが変だった。
 良く良くみると小人の顔や花の絵の中に描かれた顔が、実は物凄くリアルだったりした。メルヘンなのに。メルヘンに徹しきれていない。そのチグハグさが妙に気持ち悪かった。
「この道は何処に続いているんだろうな! 夢の島だな! コンチキショー」
 さなはズンズンと先へ進む。
 正はゆっくりとその後を追いながら、注意深く辺りを観察した。
「どうでしょうか……今の所、しかけというしかけはないように見えるのですが」
「まったくイキなことをしてくれるぜい。ところなぁ、どうして向こうはこの道を指定してきたんだと思う?」
 さなが回りをピョンピョンと飛び跳ねながら問うてくる。
 正はウームと顎を摘んだ。それからふと足を止める。
 あらゆる可能性を頭の中で考えて「想像も及びません。この有様を見ても、彼は僕等の想像の少し斜め上をいくようですから」
 そう言って顔を上げた。
「あれ……さな、さん?」
 正は思わず辺りを見回す。
 先ほどまで元気良く前方を歩いていたさなの姿が消えている。
「え。さな。さなさん!」
 正は頭上を見上げ、それから下を見た。
 そうしてハッと気付く。十メートルほど先の床がパッカリと割れており、もみじのような手が捕まっていた。
「さなさん!」
 正は駆け寄り下を覗き込んだところで思わず「ゲ」と声を漏らした。
 それは落とし穴のようだったが、床下からとんでもないものが突き出していた。それはとてもじゃないが公共の場で口にするのは憚れるようなとんでもないものだ。そしてそこに数十匹ともつかない蛇達がうねうねとうねっている。そのとんでもないものに巻きついていたりするものも居た。
 この世のものとは思えないほど、グロテスクな眺めである。
「嫌だ。嫌だ。こんな所に落ちるのは死んでも嫌だ」
 うわ言のように正は呟く。
「蛇じゃーん。というか、落ちたら、骨くらいは折るかなぁ」
「な。何故キミはそんなに暢気なのですか」
「重要なのは、信じることっていうかね」
「意味がわか」
「僕は死なないよ。どっちかっていうとキミの方が死にそうだけど、大丈夫?」
 さなは片手を外し、正の手を掴む。もじみのような手でさわさわと撫でた。正は驚き口をパクパクさせる。
「あ、あぶ。危ないですよ。ちゃんと捕まってて下さい」
「ここに捕まっててもなぁ。腕、ダルくなってきたし」
「助けます! 助けますから!」
 正は無我夢中でさなの手を掴み引き上げた。
「はー」
 放心状態で溜め息を吐く。
 さなはありがとう! と叫び、「さぁ、行こう。どんどん行こう!」と元気にまた歩き出した。
「あぶ。あぶないですよ。またこの先。もっと端を歩いて」
 正はつんのめりそうになりながら起き上がり、後を追う。決して道のど真ん中を歩いたりせず、チラチラとさなの後姿を観察しながら一歩一歩ゆっくりと歩き続けた。

「おーう。階段だー」
 廊下の突き当たりにある階段で、さなが大袈裟に声を上げる。
 正はムーンとその階段を睨み付けた。
「また。何かしかけがあるはずです」
「そうかなぁ。ま。大丈夫でしょ」
 そう言ってさなはまた性懲りもなく階段に足をかけた。その瞬間、階段がガタンと引っ込みツルツルの床になる。
 さなはそのまま前につんのめり、ブっと鼻を打っていた。
「お。恐ろしや恐ろしや」
 正は信じられないものでも見るような顔つきで、階段を見た。
「あ!」
 突然大音量の声が聞こえて来て、正はギョッと体を竦める。さなを見ると「いてて」などと鼻をさすっている。どうやら今の声はさなではないようだ。とすれば。またスピーカー?
 正はキョロキョロと辺りを見回した。
「あー。間違えちゃったよー」
 いかにもマイクがオンになっていることを知らないような素の声でそんなセリフが聞こえてくる。
「な。何を間違えたんだ!」
 上ずった声で叫ぶ正の前で、階段がゆっくりとまた起き上がった。
「あ。マイクオンになってた……あ。あー。えーっと。ごめんね。間違えちゃったから。今度は大丈夫だから昇って下さい」
 正は訝しげに階段を見やり。
 それからゆっくりとさなの顔を見やった。
「うん。大丈夫。僕が先に行ってやるから」
 さなの元気は返事に正はホッと息を吐き出した。


―9―


「これからどうしましょうか」
 シュラインはうーんと背伸びしながらそう言った。別に閉所恐怖症の気はないが、やはり太陽の下に居る方がほっとしてしまう。暑いのも嫌だが薄暗く狭いところはもっと嫌だ。
「それよりも先ほど考えてらっしゃることがある、と」
「あぁ」
 シュラインはセレスティの言葉に頷いて、バックから屋敷の見取り図を取り出した。
「これね。今回はあの手紙を読んだ限りではね、内部を通ること前提みたいだからあれだったんだけど。裏口があるんじゃないかしら、とは思っていたのよ。私はそれを探したいと思うの」
「なるほど。裏口ですか」
「そう。裏口。何も前から進むのが全てじゃないわ。確かに……勝手な行動をして依頼主の服を脱がされたらちょっと可哀想だけど。バレなきゃ問題ないわけだし、そもそも外へ出ろと言ったのは向こうだし。今の段階では問題ないわ。バレてしまったら向こうからストップがかかるはずだし。とにもかくにも天野珠樹を無事保護することが今回の目的だもの」
「確かに。そうですね。そういうことならば私も協力致しましょう。この広い庭の中なら車椅子でも自由に動けますし」
「天音くん。良いかしら」
 天音は一瞬、不安そうに顔を曇らせたがコクリと小さく頷いた。
「でも。裏口なんて聞いたことがありません」
「そうは言っても、お兄さんは毎度トラップを抜けて家を出るの? そんなわけないわ。でしょう?」
「あぁ……確かに」
「だったらあるはずよ。何処かに裏口が」
「この間から思ってたんですけど」
 浅海がボソボソと呟くように言う。
「なに」
「シュラインさんの言葉には、本当に説得力がありますよね」
 シュラインは器用に眉を上げる。
「説得力があるんじゃなくて、理屈を埋めてるだけ、ということもあるわ。私は言葉を言う時に、だいたいの先を想像するの。相手はこういうんじゃないかしら。相手はこう出るんじゃないかしら。先を読んで喋るから、誘導されるだけのことなのよ。まぁ。そうは言ってもかの麗しの君のようにハチャメチャな奴には通用しないけ〜れ〜ど」
 シュラインがフフフンと微笑みかけると、浅海は「う。麗しなんて」と耳を赤らめ俯いた。
「ま。何はともあれこの屋敷は広いわ。私達は右側から。セレスティさん達さえよければ、左側から。そういう感じで詮索したいと思うんだけど」
 シュラインは見取り図に指を走らせながら、指示を出す。セレスティがゆっくりと頷いた。
「じゃあ。そういうことで」
 シュラインは天音を振り返る。
「行きましょう」


―10―


 扉の向こうには懐かしい風景が広がっていた。
 ケーナズは思わず、母の経営するドイツの古城ホテルを思い出す。もちろん今目の前に広がる景色はもっと不気味だが、記憶というのは小さなきっかけでふと蘇る。
 洋風のアンティークで飾りつけられた廊下は、中々どうして悪くなかった。
 しかし薄気味悪いのは、壁に飾りつけられた人形の顔だった。フランス人形だろうか、ガラス球の瞳を持ったその人形の顔は、どれも苦悶の表情を浮かべ舌がダラリと垂れている。その舌の先に蝋燭が灯されてあった。
「まぁ、嫌いじゃないが」
「こ。ここに居ると、ケーナズさん、吸血鬼に見えてきます〜」
 隣でシオンがイヤンと体をくねらせる。
 ケーナズはフンと冷たい微笑を浮かべて「吸血鬼も悪くない」と呟いた。
 廊下は一直線に続いている。ケーナズは首元に下げていたゴーグルを装着した。
「こ。こんな暗いのにゴーグルですか〜」
「ただのゴーグルだと思うかね」
 ケーナズはそう言ってニヤリと微笑む。前方を見渡して、縁の部分に取り付けられたスイッチをポチリと押した。
「暗視ゴーグルだ」
「あ。暗視ゴーグル!」
「赤外線が張り巡らされている。フン、やはりな。こんなことで引っかかる私ではない。舐めてもらっちゃあ、困る」
「け。ケーナズさーん、カッコ良いですぅ。おじさん、びっくりしちゃった」
「しかしそれにしても」
 ケーナズはそこでふと顎を摘む。
「そもそもこれに触れたらどうなるんだろうな」
「え」
 ケーナズはふとシオンの顔を見た。
「な。なんですか」
 無言の威圧で見つめるケーナズに、シオンは一歩後退った。
「ええ。わ。私は嫌ですよ」
「ふむ。どんな仕掛けか確かめてみたいんだがね」
「警備員とかが来るんですよきっと。触れないのが無難です」
「そうだろうか。まぁ、警備員の一人や二人、十人や二十人が向かって来たところで大丈夫のような気もするが」
「だ。だだ。大丈夫じゃありません! 無難に行きましょうよ、無難に。ほら。これはゲームではなく、依頼人確保なわけですから」
「ウム。まぁ、確かにそうだ」
「先に進めなくなったら困るじゃないですかぁ。ほら。ね? だからよけるしかないですよ。あぁ、私見たいなぁ。ケーナズさんの軽い身のこなし」
「そうか」
「はい」
 シオンはキラキラと瞳を輝かせる。暫くその顔を見た後、ケーナズはフムと頷いた。
「よし。ではいくか」
「い。いやあの! ところで私はどうしたら」
「勘でよけろ」
「ええええええええ。ひど。酷いですよぉ」
「嘘だよ」
 ケーナズはポケットから片目用ゴーグルを取り出した。
「かさばるのでこのタイプは一つしか持ってないんだ。だからキミにはそれを貸してあげよう。片目で見なさい」
「だ。だったらケーナズさんが片目で」
「なにか?」
「い。いえ。なんでもありません」
 シオンは渋々といった面持ちでそれを装着する。
「では先に行くぞ」
 ヒョイヒョイとフットワークで赤外線を越えて行くケーナズに対し、シオンはオタオタと前へつんのめり仰け反り赤外線をよけて行く。
 先に廊下を渡りきり、扉の前で待っていたケーナズはその姿を面白そうに観察していたが、最後の最後で気を抜いたのかシオンの踵が赤外線に引っかかる。
 その瞬間、ピーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーと凄まじい機械音が鳴った。
「なんということだ」
「どうしましょうケーナズさ、ゴフ」
 パンチグローブとでも言うのだろうか。それがビヨーンと壁から飛び出して来て、シオンの横っ面を張る。
 ケーナズは思わず失笑した。
「ひ。ひはい」
「なるほど。こういうオチか」
 ケーナズはハハハと笑いながら扉を開ける。
 そこには。次のステージが広がっていた。


―11―


 扉の先はお化け屋敷だった。
 夏場になるとあらゆる遊園地で開催される、番町皿屋敷云々のアトラクションを雛太は思い出す。
 部屋の中には日本庭園のような風景が広がり、縁側まであった。奥は襖でふさがっており、縁側には打ち首されたと思われる武士の生首が並べられている。もちろん、作り物だろうが妙にリアルだ。
 庭園に石畳が敷かれ、その上を辿るのがどうやら順路らしい。血文字演出の立て札で、順路。と書かれてあった。
「うわー悪趣味だなぁ」
 雛太は辺りを見回し「はー」と感嘆にも似た溜め息を漏らす。
「悪趣味だよね」
「この生首なんか見てみ。蝋燭くわえてんじゃん? よっぽどのことじゃん」
「よっぽどっていうか」
「ありねぇ、マジ」
 とても楽しそうに言った洋輔は、順路を無視しその生首に駆け寄る。
 乱暴に触ろうとした手を雛太は掴んだ。
「あに」
「迂闊に触るなよ、お前!」
「なんでよ」
「んっとにお前は基本がなってないっていうか、もう。駄目だな。駄目駄目だよ、オメーはよ」
「うっせマジこんなん二度と見れねーんじゃん。あ。そだ」
 洋輔はポケットから自分の携帯を取り出して、写メモードに切り替えた。
 雛太はふっと溜め息を漏らす。
「何が一番ありえねーってお前が一番ありえねーよ」
 パシャ。
 その瞬間、眩いばかりのフラッシュの光が雛太の目の前ではじけた。
「この野郎!」
 雛太は思わず洋輔の頭を引っぱたく。
「バカおま! フラッシュとか!!」
「だってこのままじゃうつんね」
 その時目の前の襖が突然ガッと開いて、中から襦袢姿の長い髪を振り乱した女の幽霊がビヨーーーンと飛び出して来た。
「わー!」
「オオオうッ」
 思わずその場に雛太はドシンと尻餅をつく。隣を見ると洋輔も同様だった
 しかし良く良くみればそれはただの機械である。
「な。なーんだ。アッハ。機械じゃん」
 洋輔が細い声で言う。
「いや。キミ一番、ビビってたけどね。普通に」
 沈着冷静に腕を組んで、ことの成り行きを見守っていたらしい限が突っ込む。
「うっせー。びっくりしただけだよ」
「うん。そういうのをビビルっていうのね」
「あーもーオメーら!」
 雛太が髪を振り乱さんばかりの大絶叫で叫んだ。
「なんすか」
「いいか。もう。ここからは黙って俺について来い」
 雛太はそう言い、目を閉じて大きく深呼吸する。それからカッと目を見開いた。
「フーン。カッケーじゃーん。ダンディズムじゃーん」
「ダンディズム?」
「実は張り切ってたりしてね」
「な」
「ウルセーんだよ。オマえら。俺はな。居候から教えて貰ってるシーフ技能の試しが出来るってんでウズウズしてんだよ」
「おーん。何かわかんねけど、スゲーな」
「更に。チャラララ」
「ドラえもんかよ」
 口で言った効果音と共に、雛太はパーカーのポケットから細々とした道具を取り出した。
「聞いて驚くなよ。これは、盗賊七つ道具だ! ドーン」
「わー。スゲー。驚きだー」
「棒読みかよ!」
「いやいや、普通に凄いよ。雛太」
「限。有難う。コイツはな。だいたい分かってんだ。僻んでんだよ。俺がスゲーから」
「僻むか。バーカ」
 憎まれ口を叩いて洋輔はトコトコと順路を歩き出す。
「待て。お前は。知らないぞそんなんで罠に引っかかっても」
 雛太が後から声をかけると、洋輔はゆっくりと振り返る。
「ま。俺が罠に引っかかっても。オメーが助けてくれるんじゃん?」
「アイツ……」
 限がポンと雛太の肩を叩く。
「頼りにしてるよ」
 少しだけ感動し雛太は「この野郎メ」と呟き後に続いた。

 しかしそれから先は、本当にただのお化け屋敷だった。突然血みどろの幽霊が顔を出したり、上からロープで首をつった男が降ってきたり、その度に雛太達のテンションはこくいっこくと落ちていく。
「もう。引っかからないつの」
「なー。これってあれじゃん? 仕掛けとかっていうか、普通にただのアトラクションじゃん? 何か張り切っちゃって損したなぁ」
 雛太はロープで首をつった男の体をポンと叩いた。
「あーあ。なんかヤル気なくした」
「ねぇ」
「ん?」
「なんか。様子が……変だ。この幽霊。震えてる」
 限は眉を潜めポツリと呟いた。
「上から落ちて来た時の衝撃じゃね?」
「違うよ。何か変だ。小刻みに……振動してる」
「ん〜?」
 雛太は幽霊の顔を見やる。
 その時、突然その幽霊がドバッと血反吐を吐いた。
「わ!」
「な。なんだこれ」
 幽霊はその後もブルブルと振動を続け、クルリと目を回転させ白目を剥いた。そのままいよいよ振動を強め、わっさわっさと揺れ出した。口から吐いた血反吐はその後もダラダラと垂れ続け、それがだんだん青緑の液体に変化する。それはまるで人の汚物のような悪臭を漂わせた。
「わ。わわわわ。あんだこれ。気持ち悪い〜」
「にげ。逃げろー!」
 三人はダダダッと駆け出した。
「なんだあれ、汚ねー!」
「何か俺、あーゆーの生理的に駄目だ!」
「誰だって駄目だっつの!」
「お。追ってくる」
「えええええええええええええええええええええええええええええ」
 背後を来ると、反吐を吐き出しながらロープに釣られたまま幽霊は三人の行く道をジリジリと追いかけて来ていた。
 ギャーと悲鳴をあげ、三人は走った。
 走って、走って、走って。
 結果、行き止まりに辿り着いた。
 その先は扉でふさがれており、押しても引いてもピクリとも動かない。
「おいおいどうするんだよ!」
 洋輔が情けない声で言い、雛太の揺すった。
「ちょ、ちょっと待てって、だから!」
 雛太は声を荒げてポケットに手を居れ、七つ道具を引っ掴む。
「えーっと。えーーと。どれだどれ……あ。あった! な。。ななな。七つ道具! 鍵開けセット〜!」
「ドラえもんはもうイイ! 早くあけろ!」
「早く! 早く!」
「ギャー」
「焦らすなよ! 焦らすな!! ちょっと。ちょ」
 練習の時はあんなにすんなりと開いたのに、焦りと騒音で鍵音が上手く聞こえない。だいたい泥棒というのは深夜の暗がりの商売であって、こんな騒々しいところでやるものではないはずなのだ。
 それでも雛太は懸命に鍵穴に耳を立て、道具を動かす。
「来てる来てる。わー。キモ、キモーーーーイイ! なんか変なモン出してる、変なモン出してる」
「うるせ。お前はちょっとだま」
「雛太、早く早く」
 普段は冷静な限まで、裏返った声を出した頃、やっと雛太の手元に鍵の開く感触がした。
「あ。あいた!」
 そのまま三人は倒れこむように扉の向こう側へ行き、足でバンと扉を閉めた。
 幽霊は間一髪で、ガゴンと扉に顔面を打ち付ける。

「ふー。間一髪」
 尻餅をつきながら、洋輔はパンパンと足の裏を叩き合わせた。
「も。もう疲れた。何か」
「あれは反則だよー」
「反則だよな」
「汚いのとかナシだよー」
「まぁ。変態兄の考えそうなことだしね」
「お前だってさっき声、裏返ってたじゃねーか」
「そういうこともある」
 俯いてモゴモゴと言った限は、ふとポケットの中から何かを取り出した。
「ねぇ。ひよこ饅頭でも、食べる?」
 ポケットから取り出したひこよ饅頭を、限は顔の前でブラブラさせた。
「なんでそんなもん持って来たんだっつの」
「いや……何かポケットの中に入ってたから。ちょっと、ブレイク?」
「俺はいらね。気分悪い」
「俺貰ーう」
 雛太が限に向かって手を上げた。
「お前、良くこんな時に食えるな」
「腹が減っては戦はできぬ。つーだろ。ホイ。限、投げて」
 洋輔はやれやれと溜め息をつく。
「ありえないじゃん。もう俺、見てるだけで気分悪いからあっちで待ってんな」
 ずりずりと四つん這いで雛太から距離を置く。またさっきのようなことがあるとすれば先が思いやられるな、と思いながらも順路の先をボンヤリ眺めた。
「ちょ。お前、きつく投げすぎ……おわ!」
「雛太!」
 背後から楽しそうな声がしたので、洋輔は少しだけそそられて振り返る。
「もーん。お前ら何やって」
 しかしそこで洋輔は「え」と言葉を失った。
 そこには雛太も限の姿もなく、ただの日本庭園が広がっていた。


―12―


「しかし。中々手入れされた庭ですね。気持ちが良いですよ」
 セレスティはそう言って、うっそりと微笑んだ。
 車椅子を押していた浅海は、セレスティのそんな表情に蒸し暑い蝉の声も吹っ飛ぶのではないか、と思った。聞いたところによると、セレスティは人魚であるという。詳しいことは分からないが、つまりは海の中の生き物で人の姿は仮の姿だ。
「あ。暑いでしょう」
「これくらいなら平気ですよ。木陰もありますし」
「そ。そうですか」
 セレスティは膝の上に広げたパソコンを覗き込んだ。そこには屋敷の見取り図が読み込まれ、その上を赤い点がポツポツと動いている。
「元の原型は留めていないようですね。ほらご覧なさい。この赤い点が内部班の動きですが。この方なんて柱の中を進んでらっしゃいますよ」
「あー本当ですね」
 浅海も横からそのパソコンを覗き込む。
「中はどんな風になっているのでしょう。私も足が不自由でなければ見てみたいものです」
 その少しの悲観もなく緩やかな横顔に、浅海は何も言えずふっと俯く。余計な慰めを言うのも気が引けて浅海は「あ、あの……暑かったら言って下さいね。俺、ウチワ持ってますから」と小さく笑う。
 セレスティはただ「大丈夫ですよ」と、落ち着き払った声で言っただけだった。
 浅海はまたゆったりと車椅子を押し進める。
「何だか貴方には、天性の執事の気質を感じますよ」
「え?」
「執事です」
「あ、あぁ」
 浅海はふっと苦笑した。
「人の世話とか。昔から好きだったんですよね。何か。自分が必要とされているっていうか。そういう感覚がスゲー好きで。相手にとってそれは愛じゃないんだろうけど、その間だけは愛されてるような錯覚が出来るっていうか……なんちゃって」
「錯覚ではないのではないでしょうか」
「え」
「必要ということを愛と呼んでも間違いではない。私はそう思います。もしかしたら私が特殊なのかも知れない。けれど、私にも私の世話をしてくれる人間が居ます。その態度に愛情を感じれば、私は彼を愛します。必要ということを傲慢に受け止めず、分かってくれる人間も居るのではないでしょうかね」
「洋輔君は……貴方のように出来た人間じゃないですよ。きっと、俺のこと便利なパシリにくらいしか思ってないだろうし」
「本当にそう。思ってらっしゃいますか」
 セレスティがゆったりと振り返る。ガラス球のような澄んだ青の瞳に見つめられ、浅海はふっと俯いた。
「なんだか。ケーナズさんも、セレスティさんも……それにシュラインさんも。大人、だな」
「貴方もきっと分かってらっしゃるのでしょう。もしも貴方が愛する人を本当にそんな風に理解し、受け止めるならば。愛は憎悪に変わり、そうしてその恋は終わるでしょう。けれど。私の見る限りでは。洋輔君はそこまで哀れな方だとは思いませんが。貴方も、そう。思ってらっしゃるのでしょう?」
「さぁ……どうでしょうね」
「私も応援はしています。けれどケーナズは言っていましたよ。全ては貴方次第だ、と」
 セレスティはまた、森の中に佇む澄んだ水面のような顔で微笑んですっと前を向いた。
「俺、次第」
 その時、ケーナズの手元でパソコン画面がチカチカと点滅した。
「噂をすれば。洋輔くんから電話のようですね」
 セレスティは同じく膝に置いてあった携帯を取り、黙って浅海に差し出した。
 浅海はふーっと深呼吸して、通話ボタンを押した。
「もしもし、洋輔く」
「えらいこっちゃーーーーーーーーー。皆とはぐれたよーーーー。どーーーーしてくれんだよーーーーーーアホーーーーー」
「ちょ。ちょちょちょ。洋輔くん。はぐれたって。え。だい。大丈夫。泣いてんのか!」
 浅海は目を見開いて、セレスティの顔を見る。
「おやまぁ」
 セレスティは危機感のない声で呟いて、パソコン画面を覗き込んだ。


―13―


 階段の先にはまた、メルヘンな世界が広がっていた。
 ピンク色の壁に囲まれたその四角い部屋の中央には、お菓子の家がドーンと建っている。
「お。お菓子」
「うわー。なんだあのデッカイ建物は」
 叫び声を上げたさなは、タタタタタとその建物に駆け寄った。そして家の中にドカドカと入って行くと、また「ぎゃーーー」と凄い悲鳴を上げた。
「さ。さなさん! 大丈夫」
「等身大ドールだよーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
 声を共に顔を出したさなは、自分の体より大きな人形を抱えていた。
 正は良く知らないが、目の中にガラス球をはめ込まれた人の姿そっくりの美形人形である。
「うわー。凄い! 等身大ドールだ。こ。こんなの見たことないよー」
「よ。喜んでいるのか」
「もう。何か感激だなー」
 人形の手足を動かしながら、さなはスンと鼻を啜る。
「な。泣いているのか」
 正はフルフルと頭を振る。それからハッと思い当たり、声を荒げた。
「ぜ。絶対、この家は食べてはいけませんよ! これは! ヘンデルとグレーテルです! いやいや。それより何より何時建てられたかも分からないし、きっと腐って……あ!」
 目の前に、ウエハースらしき柱をバリっと引き裂き口に運ぶさなの姿がある。
 正はヘナヘタと脱力しかけた。
「さ。さなさん、いい加減に」
 そうしてさながウエハースを口に運んだ瞬間だった。
「食ったね」
 どこからともなく皺がれた老婆のような声がする。
「食っちゃったね」
「こ、今度はなんなんだ」
 辺りを見回しながら口をわななかせる正の回りで、ゴゴゴゴと地響きのような音がする。実際に足元は揺れてはいないが、迫力の大音量だ。正はその音に感化され、よろよろとよろけながら家に回りをグルリと見回った。お菓子の家の向こうに魔法使いの定番といえばというような、鼻をビーンと尖らせた老婆の人形を見つけた。
「なんだ……これは」
 正はただ、愕然とした。目の前で、老婆の人形は表情一つ変えず、声を荒げこう叫んだ。
「お前を太らせて食ってやろうか。それともお前を太らせていろいろ違う意味で食ってやろうかー!」
「わー」
 正は咄嗟に棒読みでそんな言葉を口走っていた。はっとそんな自分に気づき赤面する。
 いつの間にか隣に来ていたさなが、口をモゴモゴとさせながら「なんだこりゃ」と老婆の頭を叩いた。
「こ。これ!」

「さて。ここで質問です」
 老婆は突然、落ち着き払ってそんな事を言った。
「し。質問ッ?」
 正はいよいよ素っ頓狂な声を上げる。
「唐突だな」
「貴方の兄に対する第一印象を答えなさい」
「わけがわからん!」
「んーとね。結構気が合いそう、ってカンジ」
「答えるのか!」
「めがねの貴方も言いなさい」
 始めから終わりまで様子が変なのでそろそろ免疫力もなくなってきそうだが、正はまだ警戒し老婆の人形をじっと観察する。
「は。早く言いなさい。はぁはぁ」
「へ。変な息が聞こえる!」
「早く早く」
 息が上がった老婆の声は、もしかしたらこのまま爆発してしまうのではあるまいか。と思うほど、危なかった。正は渋々、口を開く。
「よ。良くないことをする人だ。更生させねばなるまい」
 すると老婆の脇の辺りから、ピンポンピンポンピンポンとヘタれた音がする。
 老婆が言った。
「グッジョーブ!」
「い。意味がわからん!」
「次の質問です。貴方の名前を言いなさい」
「山口さな、だ!」
「十ヶ崎、正」
「ステキな名前」
「なに?」
 ピンポンピンポンピンポン。
「それでは最後の質問です。兄に愛を告白されたらどうしますか」
「そ、そんなの。どうしようもないだろう」
「それはちょっと困るなぁ」
「こう。頑張っても無理ですか」
「無理だろう。常識に反する」
「うーん。頑張られるとちょっと……困るなぁ」
 ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピーンポーン。
「チキショー。好きだー。お前に猫のきぐるみを着せてやるー」
「ええええ」
 扉がギギギと音を立てて開く。
 その先の光景に、正は思わず息を飲んだ。


―14―


 限は眉根を寄せて辺りを見回した。
 雛太の姿は何処にもない。
 自分の投げたひよこ饅頭をキャッチし損ねた雛太が壁に体をぶつけたかと思うとそのまま突然、クルンと裏返り姿を消した。驚いて自分も後を追ったつもりだったがそこには限以外の姿はない。
 辺りは闇に包まれ真っ暗だ。
 せめて懐中電灯くらい持ってくれば良かったと、限は少し後悔する。
 床に手をつきゆっくりと立ち上がった。
 すると突然、バッと目の前にスポットライトが当った。ライトの下には一体のロボットが居る。四角い胴体と、そこからビヨーンと伸びるY字の手は、絵に描くロボットそのものである。
 その向こうに、扉があった。
「レディースアーンドジェントルメーン。ようこそ! クイズの部屋へ!」
 限は思わずギョと体を揺らした。
「な。なんだ」
 呟いて辺りを見回す。
「ルールはとっても簡単! クイズロボットが三択クイズを出しますので、貴方が正解だと思う番号の床の上に乗って下さいね! 間違えるとロボットに嘲笑されるよ。気をつけてね!」
 床?
 限は床を見た。確かにそこには、@ABと書かれた床がある。他の床より少しだけ盛り上がっていた。
 クイズ……か。
「はーい。準備は良いかなぁ。それではいってみましょー。ビデオクーイズ。問い一。イントロクイズです。ピーでおなじみの女優ピー原あやちゃん。そのピー声を、次の三つの中から選んでね。物凄く短いのでちゃんと聞いてね。では行こう」
 そして突然、洋輔らと良く見るアダルトで聞くような声が何処からともなく流れ出した。
 な。なんと言うクイズだ。
 限は思わず呆然とする。しかも、本当にイントロで誰の声か全く判別がつかなかった。そもそもそんな女優は知らない。
 こんなの。ビデオクイズではなく、アダルトビデオクイズではないか。
 限は思わずガックリと肩を落とす。
 その余りの衝撃で、結局音を聞き分けることは出来なかった。
「さぁ、答えて!」
 ロボットの催促に、適当な番号の上に乗った。
 ブーブー。という音と共に、ロボットがプッとふきだす。
「ププププ。こんなんも分からないんだってー。やってらんなーい」
 限はロボットの嘲笑に、少しだけムッとした。これを何度も聞くのは居た堪れない。
「それでは第二問。イントロクイズです。ピーでおなじみの女優ピー元きぬかちゃん」
「またアダルトじゃん」
 呆れ返った溜め息を吐き出す。けれど流れてくるイントロのその声に、実は聞き覚えがあったりした。
 そんな自分に、限は軽く悲しくなった。
 二番の床に乗る。
「だいせーいかーい。素晴らしい。貴方は素晴らしいよ。びっくりだ」
 限はますます悲しくなった。
 自分のせいではないんだ、と何故か少し言い訳したくなる。
 その時、カチリと鍵の開く音がした。
「それでは最後の問題です」
「早ッ」
「板の上に止まる蝶は次の三つのうちどれ」」
「ビデオ関係あれへん。普通になぞなぞじゃん」
「一、ばんちょう。ニ、もんしろちょう。三、ほうちょう」
「えー」
 呟いてからふと悩む。普通にいけば三番の包丁だろうが、ばんちょうの「ばん」の字は「板」なのか「番」なのかなどということが限の頭の中でグルグル回った。
 結局、限は一番の床に乗る。
「ある意味正解でーす。っていうか密かにそういう貴方が好きです。オメデトウオメデトウ……さぁ! 楽しんでいただけたカナ。それではまた逢おう!」
「二度と会いたくない」
 限は小さく呟いて、扉に向かい歩いた。


―15―


「ちっきしょー。なんだよこれ!」
 雛太は声を荒げ、バンと壁を蹴り上げた。
「ひよこ饅頭がこんなんなるなんて。忍者屋敷かよ!」
 そう言って、雛太はまたバンと壁を蹴り上げる。しかし壁はピクリとも動かない。反対側からは動かない仕組みになっているのかも知れなかった。
「これはもう。前に進めってことかぁ?」
 問いかけようと誰も答えるはずもなく、雛太はチッと舌打ちを漏らす。
「マジかよ。しゃーねぇなぁ」
 とりあえず目の前に進む廊下を歩き出した。通路は薄暗く、脇には等身大の侍人形がズラリと並べられている。
「なんか気味悪ぃなぁ。チキショー」
 キョロキョロと挙動不審に辺りを見回しながら歩いて行くと、行き止まりにぶち当たった。そこには扉はなく、ただの壁があるだけだ。
「ん?」
 雛太は背後を振り返る。廊下は一直線に伸びていた。
「あんだぁ? どういうことだ」
 文句を垂れて、壁に拳をぶつける。
「もう、やってらんねー」
 ガクリと膝を落とし、その場に座り込んだ。

「許さぬ」

「え」
「ゆーるーさーぬー」
「え。なになに、なんの声!」
 壁に背を貼り付けズラリと並ぶ侍の人形を見る。
「まさか。嘘だろ」
 雛太の脳裏に、先ほどの汚物の幽霊がふっと浮かんだ。
「侵入者。排除せよ」
「あれだけは勘弁してよー」
 誰ともなく訴えて、どこから来るかと身構える。脇に建ち並ぶ侍が、がしゃんと一体動いたかと思うと続いてゾロゾロと動き出す。
「わーーーー」
 雛太はすかさずパーカーのポケットに手を突っ込み、パチンコを取り出した。
 洋輔達には馬鹿にされそうなので言わなかったが、実は七つ道具の他にパチンコも持参していたのだ。
 飛ばすものがゴムボールというヘタレさで威力があるのかないのか微妙な所だが、雛太はパチンコのゴムを引っ張りボールをセットする。
 パンと放った。
 カコンと虚しい音が響き、それでも雛太は無我夢中でそれこそボールが尽きるまでパチンコを打ち続けた。
「たす。助けて〜」
 雛太が放ったゴムボールが一つ、侍の眉間にヒットした。
 するとその侍はギュイーンと動くのをやめてしまった。
「で。電源?」
 それから先も、向かってくる侍の眉間を狙いパチンコを打ちまくる。
「な。なーんだ。機械かよ。っておい。いやいや。そこは普通に機械だろ。俺」
 向かってくる侍の電源を全て落とし、雛太はほっと息をつく。
「はーあ。シューティングゲームかっつの……しっかし」
 雛太は辺りを見回した。
「どうしよう。閉じ込められた」


―16―


 次のステージでは床がグルグルと回っていた。
「あぁーん。回転寿司ですー」
 隣でシオンがクネリと体をくねらす。ケーナズは眉を潜めて問い返した。
「回転寿司?」
 看板だけなら見かけることもあるが、実際に中に入ったことはないケーナズには何のことかさっぱり分からない。
「だってほれ。ネタがグルグル回ってますでしょー。まぐろにえびに、ほたてに……あんなに大きいお寿司、見たことないなぁ」
「寿司が回るなんぞ非常識だ」
「あーん。回ってない寿司なんて食べたことありませーん」
 シオンはクルクルと意味なく回転したまま壁まで行くと、そこにペトリと張り付いた。
「しかし。これをどうすればいいんだ、いったい」
「おーう。ケーナズさーん。これですこれです」
 駆け寄ると、そこに張り紙がある。
「ヒントです。台座に火を灯してみましょう!」
「ヒントなのに答えを言っていますよ」
「どうだろうな。罠かも知れん。そもそも台座とはどれのことだ」
「あの寿司を飛び越えた真ん中の、板場のことでしょう。ほれあそこ。でっかい湯のみが置いてあるでしょう」
「なるほど」
 ケーナズは小さく頷いた。
「四方を回る床に囲まれた台座、というわけか。フン、中々面白い……しかし、注意深く行こう」
 左右を確認し、一歩一歩ゆっくりと足を進める。
「ケーナズさーん。弾なんて飛んできませんよー」
 アハハハと高らかに笑いながら、シオンはランランとスキップで回転寿司に近づいていく。
 ゆったりと回る回転寿司の前に立った時だった。
「わー!」
 シュウシュウと風が抜ける音の後、ブウーーンと凄まじい音を立て回転寿司の前の床が回転しだした。
「ウム。どういう仕組みなんだ、これは」
「おち。落ち着いてる場合じゃありませんよ、ケーナズさん。うわー。目が回って……ってこれ! スピードアップしてませんか!」
「うーむ」
 ケーナズはそこで背中に背負っていた銃を構えた。
「こんな時にそんな物! まさか私を射殺するおつもりですか〜!」
「ただの。銃だと思うかね」
 銃を構え、ケーナズは不敵に微笑む。
「こうするんだよ」
 引き金を引くとバンという破裂音と共に銃から何かが飛び出した。ピューと台座目掛けて飛んで行き、ピタッと張り付く。
「特殊樹脂で何にでも張り付く。私はね。プロなんだよ、シオンくん」
「おおおおおお〜。わわわわわ」
 シオンが感激しながら、苦しんでいた。
 ケーナズはそのロープを伝い、回転床をピョンと跳び越す。内側から回転するシオンを捕まえるのは中々骨の折れる作業だったが、何とかその長い髪を掴み中へ引き込む。
「いたたたいた、いた。イタイ」
 ドンと中に倒れこんで来たシオンは、涙を浮かべながら笑っていた。
「た。助かりました〜」
「よし。では火を……うん。これはどうやって灯すんだ」
 ケーナズは板場の中をくまなく探す。けれど発火装置のようなものも、押しボタンのようなものも何もない。
「ケーナズさん! 向こうの壁にボタンが!」
「なーにー」
 ケーナズはペチンと自分の額を打った。
「また向こう側に行かないと」
「いえ!」
 シオンがガバリと立ち上がる。
「ケーナズさん! やっと私の出番のようですよ! 私はこう見えてイフリートです!」
 胸を張ってそんな事を言い、人差し指で額をつっと擦った。
 その指先に、炎がともっている。
「おお。素晴らしい。中々やるな」
「ケーナズさんほどではありません」
 シオンは湯のみの中に手を突っ込んで、暫し静止した。
「あ。アチッ」
 声と共に手を引き出すと、ボウっと湯のみから炎が上がる。
 音もなく扉が開き、回転床も動きを止めた。
「どういう……仕組みだ」
 ケーナズはまた小首を傾げた。


―17―


 携帯を見つめながらセレスティに電話を入れようかどうか迷っていた雛太の耳に、ゴゴゴゴゴゴゴゴと凄まじい地鳴りのような音が聞こえた。
 はっと思わず身構える。
 けれどそれ以上、何もおきない。
「んー? なんだ? 他の部屋か?」
 その時、雛太の視界で何かが舞ったような気がした。
「ん?」
 目を凝らしよく見るとヒラヒラ壁の一部が舞い上がっている。
「なんだ?」
 恐る恐る近づいた。そしてべろンとめくれあがった壁紙を発見する。雛太は思わず声を荒げた。
「隠し扉だ!」


―18―


 正の視線の先に、真っ赤な薔薇の花束を持った男が立っていた。
 写真で見た。
 そう、依頼主、藤山天音の兄であり、今回の誘拐犯である。
 眉を潜める正の向かいで、兄は緊張感のないとびっきりの微笑を浮かべた。
「いやぁ。十ヶ崎正くん。それに山口さなくん。待っていたよ」
「おおう。ナマ兄だ〜い」
 さながテテテと兄に駆け寄る。兄はふわりと薔薇の花束をさなに私パチパチと拍手した。
「いやぁ。合いたかった! さなくん! キミは素晴らしい。素晴らしいよ。大絶賛だよ。私も気が合いそうだと思っていたんだ。それにほら、そこに居る。僕の雇ったラスボスね。良い子なんだよー。キミとも僕ともすごーく気が合いそうなんだ」
「ラスボス?」
「うん。男なんだけど。とってもキレイな子なんだよー」
 兄がつっと身を引くと、部屋の奥に人の姿が見えた。正はさっと室内を観察する。真っ黒な室内には、真っ赤な家具が置かれてあった。部屋の中央にソファがあり、その向かいにはモニター画面らしき物が積み上げられている。なるほどあれで観察していたわけだ。
 更にそのラスボスとやらの姿も観察した。フラリとそこに佇む姿は余りに華奢で、発育不足の少女のようにも見える。
「ちょっと行ってくるね!」
 さなはそう言い、突然テテテテと走り出した。そのままその彼に向かって行く。
「こんにちは! 僕は山口さなだ!」
 そんなことを言い、手を差し出した。彼は酷く戸惑っているようだった。
「いやぁ。彼ねぇ。凄く寡黙なんだよー。でもね。一本の剣を作るのに、二十本の剣を無駄にしたんだよ。どうだ。立派なマニア魂だと思わないかね」
「それは素晴らしい。素晴らしいよ、キミ。立派にマニアだ!」
 さなは強引に彼の手を引き握手した。
「分かるよ。自分に合う物をどうやったって手に入れたいその気持ち。素晴らしいよ。感動だ!」
 兄はそんなさなを見やってから、ふと正に向き直った。
「さぁ。キミも入りたまえ」
 両手を広げ促した。
「連れ去った天野珠樹を返して貰おう。彼は今、どこに居る」
 正は兄のペースに乗せられまいと、キリっとした面持ちで滑舌良く言った。
 兄がニコリと笑みを浮かべる。「ちょっと待ってて」
 そのまま部屋の奥まった場所にあるソファの影から、さきほどよりも更に大きな真っ赤な薔薇の花束を取り出し両手に抱え戻って来た。
「おう! マイハニー!」
「はぁ?」
「キミを一目見た時から惚れました。付き合って下さい」
 兄は花束を差し出した。
「い。いやです」
「これをさぁ、受け取ってくれたまえ」
「困ります。早く天音珠樹さんを返して頂きたい」
「まぁ、まぁそういう硬いことを言わずにだね。まずこの五円玉を見て欲しいだがね」
 正はジトリとその五円玉に目を向ける。
「さぁ。さぁ。よーく見て。ちゃんと見て。いくよ〜。キミはだんだん僕のことを好きにな〜る好きにな〜る好きにな」
「なりません」
「まぁまぁ。どうだね。私がカッコよく見えたり」
「しません」
「聞いてくれ! こういう数式があるんだ。めがねイコール真面目!」
「だから?」
 正は冷たく言い放った。
 その時、正の中で何かがプチンと音を立てた。


「ナマ兄の奴、中々必死だな」
 さなは一通りの挨拶を済ませたところで、ソファに踏ん反り返りくつろいでいた。背後に立つ霧葉がボソボソと答える。
「なんか。ひとめぼれ……だ、って。言って、た」
「フーン」
「相当好き、みたい。だ。さっき言ってた。モニター見ながら」
「そうなのかぁ……何だかちょっとだけ、応援したくなるな」
「おまえ、は」
「うん?」
「なにをやってる?」
「僕? 僕は音楽さ!」
 ソファに置いたベースギターをポンポンと叩く。
「俺はあんまり。そういうの得意じゃない」
「キミが、自分の剣を作ろうと頑張った。何かに打ち込んだ。同じことさ。僕はそれが音楽だったというだけだ。命だってかけているし、体の一部だと思っているよ。つまりは。そういう気持ちが同じベクトルを向いてる人間ならば、僕は受け入れられるんだ。矛先にあるのは何だってイイ。要は矢印が向いている方向さ。頑張ってない奴も、何にも興味を示さない奴も、僕は嫌いだ」
「お前の言ってること。難しい。意味が、わからん」
「それならそれで、それもまたヨシ。明日は明日の風が吹くってな!」
「でも。嫌いじゃない」
 霧葉がポツリと言うのを見て、さなはにんまりと笑顔を浮かべた。
「よし。座れ。いろいろ語ろうじゃないか!」


「天野君を早く出したまえ」
「まぁまぁまぁまぁ」
 兄は正を宥めるように肩を叩き、そのままソロリと背中を撫でた。
「やめてください」
「まぁまぁまぁ」
 そのまま兄の手は背中を落ちて正のお尻へと向かって行く。
「触るな、この変態野郎」
 手を振り払い声を荒げてしまって正は「あ」と口元を押さえた。
「すみません。つい本音が出ました」
 全く申し訳なさそうに、全然フォローにならないことを言ってからニコリと微笑む。
 兄はその笑顔にふるると小刻みに震えてから、大声で笑った。
「アッハッハ。良く言われるよ。僕のスイートなブラザーにね。いやぁ。やっぱりキミは僕の追い求めていた理想の人だ。キミは僕のハニーだ」
「違います」
「あー。可愛い。ムッとした顔も可愛いなぁ。お兄さん、ドキドキしちゃうなぁ。あの、あのね。もし良かったらあの……猫の着ぐるみがあ」
「いやです」
「アッハッハッハッハッハ」


「何かさ。ずっと見てるとちょっとお似合いに見えてこない?」
 さなの問いかけに、腰掛けた霧葉はコクリと頷いた。
「バランスが……取れてる」
「だよな。何か。足してニで割ると丁度イイかんじの」
「でも。眼鏡の人は。困ってる」
「だな。何か、ちょっと人変わり始めてるもんな」


「迷惑だ。早く案内しないと僕にだって我慢の限界というものが」
「おっとっと。怒るな。怒るな。ハニー」
「ハニーじゃない!」
「あぁ、そうだ。そうだったそうだった。キミはまだ僕」
「まだ、でもない。ずっとずっとずっとこの先もこの後も、過去も未来も現在も、ない!」
 正はハーッと肩で息をする。その時また、正の中で何かがプチンと音を立てた。
 ゾゾゾゾと背中に悪寒が走る。
 気がつけば手に持っていた菓子折りを投げつけていた。
 正はまたハッとする。
「あ。すみません。つい」
 兄はすりすりと正に擦り寄って来て、ペコペコと卑屈に頭を下げた。
「あ。アッハッハ。大丈夫だ、大丈夫だよ。うんうん、平気。全然平気」
 ガンっと正の拳が兄の横っ面を叩く。
「あ。すみません。つい。余りに鬱陶しいから」
「いやいやいやいやいや。大丈夫、うん。大丈夫、平気平気」


「絶対お似合いだよな」
「うん」


―19―


「素朴な疑問なんだけれど」
 シュラインは隣を歩く天音にポツリとそう切り出した。
「なんですか」
 屋敷の壁を熱心に見ていた天音が、顔を上げる。
「お兄様って何の仕事をしてらっしゃるの?」
「兄……兄ですか。兄は……現在無職ですけど」
「ええ? 無職?」
 シュラインは大袈裟に驚き、声を荒げた。天音は恥かしそうに顔を伏せる。
「はい。無職です。僕ら……何ていうか。世間で言われる金持ちボンボンなんです。つまり」
「あら」
「兄は。親の金でここを立てたも同然なんですよ」
「そう、だったの。私はてっきり。いえ。個性的な方だから、お兄さん。創造系のお仕事でもされてるのかしらって」
「いえ……あんなんじゃあ。何処も務まりませんからね」
「まぁ。失礼だけど、そう思うわ」
 天音はそこでふっと溜め息をつく。程好く駆られた芝生をブチッと抜いた。
「今はあんなんですが。昔はあれでも、兄はとても優秀な人間だったんです」
「優秀?」
 あれが? と続けそうになり、シュラインは思わず言葉を飲み込む。
 言葉の先は苦笑した天音が浚った。
「あれが。です。今はその片鱗すらないので。分かって頂けないかも知れないのですが。何故あんなんになってしまったのか……」
「天才と何とかは紙一重というわ」
「本当に。そんな感じです。あるときを境にして兄は変わってしまった。宇宙人にのっとられたのかとか。別人にとって代わってしまったんじゃないか。とか。そんな非現実的なことまで考えました」
「違うの」
「まさか。違いますよ。そんなことじゃありません。今は少し分かるんです……これも確かに兄の一部なんだと」
「そう」
「昔の兄は本当に真面目人間で。常識から外れないよう、外れないよう。そればかりを気にしていました。親の言う通りに行動し、優秀な成績を取り、数字だけの世界にいたんです」
「まぁ」
「きっと何処かでネジが外れてしまったんでしょうね。極端から極端へ走って、今はあれ、なんです」
 天音は少し淋しそうな顔をして、またブチッと芝生を抜いた。


―20―


 床がない。
 限が今立つ場所から先の床がすっぽりと抜け落ちていた。全くないわけではなかったが、代わりにあるのは赤青黄のライトが埋め込まれた人一人のれば精一杯の正方形の床だけである。しかもそれは様々な高さでそこに伸び、ざっと見渡しただけでも飛び移る途中で四方を取り囲む落とし穴に落ちてしまいそうだった。
 限はいつだったか雛太の家でやった、RPGゲームを思い出していた。
 あの時は落とし穴にキャラクターを落としてしまっては、下手くそだと言いながら笑いあったものだが自分が落ちるとなるとどうだろう。
 そんな自分を想像するだけで、少し何だか笑ってしまう。
「やってくれるじゃん」
 限は失笑しながら呟いて、自分の足元を見下ろした。
 落とし穴はまったくもって落とし穴で果てが見えない。暗闇がずっと続いている。
「ありえないだろ」
 額をつっと指で押さえた。
 扉までの距離はざっと百メートルはある。
 助走なしで百メートル。飛び越せたら明日はギネスブックだ。
「よーすけさーん。ここなら空飛べますよー」
 そんな冗談を言ってはみても気分は晴れない。いくら変態兄とはいえ人を殺す気はないと信じるしかなく、限は恐る恐る目の前にある青の床につっと足を踏み出した。
 限の足が床を踏んだ瞬間、青い床は突然黄色に変わる。
 ブーンと床が伸びた。
「わわわわ」
 手をばたつかせてバランスを取り何とか自分の体を保つ。思わず床に手をついて、恐る恐る顔を上げた。床は数メートル伸びたところでガシャンと止まる。
 限は前方にある床と自分のいる床の色を見比べた。
 蹲ったまま掌でパンと床を叩いてみる。
 床は今度は赤に代わり、またブーンと伸びた。もう一度叩く。今度は青に代わり床が沈む。
 落ちないようにしっかりと床を掴みながら限は「なるほど」と呟いた。
「これで高さを調節して渡っていけばいいんだな」
 何のことはない。単純なゲームである。
「兄ってもしかして、ゲームマニア?」
 失笑して小刻みに首を振る。
 次の床に飛び移った。


―21―


 木戸には黒いマジックで「勝手口」と書かれてあった。
 屋敷の真裏に当るその場所に、その木戸はあった。
 浅海は思わずセレスティと顔を見合わせる。
「思いっきり怪しいですね」
「シュラインさんに電話してみましょう」
 浅海は頷きシュラインに電話をかける。ツーコールめに電話を受けたシュラインは「あら。私も今電話しようと思っていたのよ」と弾んだ声で言った。
「実は今、勝手口と書かれた木戸を見つけまして」
「そう……実は。私の方にもあるのよねぇ。勝手口って書かれた扉が。これってどういうことかしら。怪しいわよね」
「怪しいです」
「でも、入ってみないとわからない。ということもあるわよね」
「まぁ、確かに」
 浅海はセレスティに視線を投げた。
「入ってみませんか」
「せ。セレスティさんが入ってみませんか、と」
「そうねぇ。何にしても入るしかないわよねぇ。中は中で頑張ってくれてんだから。よし。じゃあ行くわ」
「はい。分かりました」
「お互い、無事を祈るわ」
 電話を切ってポケットに突っ込んだ浅海は、セレスティに問いかける。
「どう、しますか」
「行かないんですか」
「いや……」
「勝手口ですから、それほど危なくもないかも知れませんよ。それに。少しならば歩けますから」
「うーん」
「危なくなったら助けて下さい。執事さん」
 セレスティはそう言って、感情の読み取れない微笑を浮かべた。


―22―


 扉の先にはまた廊下が続いていた。
 しかしそれは、ただの廊下である。人形もなければお化け屋敷でもないようだ。
 あれはもう終わったのだろうか。
「なんて家だよ。ったく」
 文句を垂れながらも、雛太はひとまず足を進めた。
 それでもキョロキョロと辺りを観察して歩く。ふと見ると、二メートルほどの感覚で壁の下部に小さな穴が空いている。それはずっと廊下の終わりまで続いており、雛太は何だと小首を傾げる。
 そこに蹲り、ンっと穴を覗き込んだ。
 微かにブブブブとモーターが振動するような音がした。
「なんだぁ?」
 雛太はますます穴を覗き込み、けれどもしかしたらそこから何か出てくるのではと体を起こした。穴と穴の隙間に立つ。
 すると。
 バチババチバチ!
 穴から青白く光る電流が流れ出した。それが向かいの壁に一直線に伸びていく。
「えええええええええええええええええええ」
 雛太は思わず壁に張り付いた。
「しゃ。洒落。マジ洒落なんねって!」
 あのまま穴を覗き込んでいたらと思うと、ぞっとする。
 電流はリズムを刻むようにバチバチと流れ出し一瞬停止し、また流れ出す。
 前方に視線を馳せると、全部の穴から同じリズムで電流が流れ出していた。
「ま。マジでしゃれになんないかもしんないぞ」
 雛太はごくりと生唾を飲み込む。けれどいくしかない。男ならやってやれ! だ。
 息を吐き出し覚悟を決めると。
「こんな時の為のシーフ技能だろ。駆け足、だ!」
 だーっと一気に駆け抜けた。


―23―


 楕円に区切られた床の上に○と×の絵が描かれてある。
 しかしそれは部屋の中央にある床だけで、他の床は何のことはない普通の床だった。前方に今までの経験からすれば次のステージに続くはずの扉があり、それを取り囲むように火の灯っていない四つのランプが壁から突き出している。
「これは……どういうことだろう」
 ケーナズは○と×の描かれた床の前でしゃがみ込み、小首を傾げた。
「ヒントの紙もありません」
 辺りを見回していたシオンの言葉にケーナズは頷いた。
「この床とあのランプ。何か関係があるのだろうか。今までの経験からして扉には鍵がかかっているはずだ。つまり、何かをクリアーしなければ扉は開かない。まずは……この床」
 ケーナズはそこで立ち上がりふっとシオンの顔を見た。
「この上に乗ってみよう」
「ま。まさか」
 顔を引き攣らせたシオンにケーナズはゆっくりと頷いた。
「困りますよー」
「キミなら大丈夫だ」
 清々しい笑顔で言って、シオンの肩をポンと叩く。
「ええええええええええ」
 半泣きで首を振るシオンをケーナズは「さぁ、行くんだ」と促した。
 ジュンと肩を落としたシオンは溜め息を吐き出してから、ツンとつま先で床をつついた。
「もっとこう。ガッと行きたまえ。男だろう」
「こ。こういうのは本当に心臓に悪いので、年配者を思いやる気持ちでもって」
「さぁ、早く」
 ポンと背中を押され、シオンはあわあわと床に乗った。
 その途端、床がゴゴゴゴゴと回転する。
 シオンは「ああーん」と手を組みながら体をくねらせた。
「け。ケーナズさーん」
「大丈夫、回転しているだけだ」
 素っ気無く答えてケーナズは床を観察する。回転した床は、○と×が逆になったところでふっと止まった。
「うーん」と顎を摘み考える。
「考えられる可能性があるとすれば……」
「丸×ゲームですよ!」
 シオンは人差し指を突き出して声を荒げた。
「丸×ゲーム?」
「ビンゴゲームの丸×バージョンとでも言いましょうか」
 シオンはケーナズの隣に戻って来て、床を指差す。
「斜め、縦、横のいずれか一列を丸だったら丸、×だったら×でそろえるんです」
「ほう、なるほどな。ウム。ありえるな」
「乗れば回転するわけですから。それで揃えろということでしょうね」
「そうかも知れん。やってみよう」
 ケーナズも床に乗る。シオンも別の方向から床に乗り、グルグルと床を回転させた結果、○の絵が斜めに一列揃う。
 その時、扉を囲むように壁に取り付けられた四つのランプのうち一つに明かりが灯った。
「そうか。あのランプを全部つければ良いんだな」
 ケーナズが呟くとシオンが頷く。
「やりましょう!」

 それから二人して床に乗り、○と×を揃える為にグルグルグルグル回転し続けた。
 扉の回りにあったランプ全てに火が灯り、二人は顔を見合わせる。
「よし。これで扉が開くはずだ」
 扉に向かい歩き出そうとすると、突然ランプが突き出していたところの壁がパックリと開き、凄い勢いで水が流れ出して来た。
「なんだ!」
「み。水が流れてきていますよーーー。わ。わわわ。こ。この部屋排水口とかないですよね! このままでは溺れてしまいますー」
「なんとか……水を止めないと」
「服が濡れちゃうー」
 シオンはわーと頭を抱え、パニックする。それから胸の辺りで両手を組み合わせ、神頼みをした。
「こ。凍らせて下さいー。水を凍らせて下さいー」
「なにをブツブツ言っているんだ」
 ケーナズは訝しげにシオンを見る。その時、ドバドバと流れ出して来ていた水がピシィっと凍った。
「なんだ?」
 ピューっと真夏には考えられないような冷たい風が部屋を取り巻き、辺りに流れ出ていた水がどんどん凍っていく。
 ケーナズは自分の足にまで霜を貼っていく氷から、バタバタと足を動かし守りながら上ずった声を出す。
「こら。何をやっているんだ! キミの仕業か。これは!」
 シオンはブルブルと震えながらモソモソと何かを呟いている。
「もう、やめたまえ」
「や。やめようと思ってるんですがやめられないんですぅ」
 みるみるうちにシオンの回りを氷が取り囲み、髭もその長い髪も凍っていく。
「なんということだ。使いこなせないなら始めから使うな」
「だ。だって服が」
「どのみち濡れるだろうが」
「助けて下さい、ケーナズさーーん」
 ケーナズは思わず自分の体を抱きしめながら、ブルリと寒さに震えた。
「これを外でやったなら、キミは今頃人気者だ」
 悴む手でケーナズはポケットからBB弾を取り出す。それをシオンに向かいバシンとぶつけた。
「な。なんてことをするんですか。いた。ちょ、何をしてらっしゃるのですか!」
「ただのBB弾だと思うかね」
 BB弾がぶつかったところから、モワリと湯気が上がる。その部分の氷がみるみる溶けた。
「ぶつけることで発火するように改造したBB弾だ」
「うわー、すごーい」
「しかしこれだっていつまでもつかワカランからな。早くこの氷河期をなんとかしなさい」
 ケーナズがBB弾を投げつけた所から、モワモワと湯気が上がっていく。
 その一つを吸い込んでしまい、シオンは思わずゲホッとむせた。
「うー、けむい」
「仕方ないだろう」
「ケーナズさんセコイ! マスクしてるー!」
 シオンは手を振りながらゲホゲホとむせ返る。その瞬間。
 シオンの口からポッと火の玉が飛び出した。
「な。なんだ」
「うーうー。むせると火の玉が」
「なんて複雑な体をしてるんだ」
「呆れてる場合では……ゲホゲホ」
 むせる度飛び出す火の玉と、BB弾の出す煙で部屋はとんでもない有様になっていた。何時の間にか吹雪は止んでいたが、事態は悪化している。
 更に。炎の玉がシオンの服へ燃え移る。
「わーーー」
 シオンはジタバタと暴れまわった。
「こら、ちょっと落ち着きなさい」
「こ。これが落ち着いていられますか〜!」
 服から上がる煙で更にむせ、これでは悪循環の極みである。シオンはゲホゲホと煙を吐き出しながら走り回った。炎はとうとう、壁に燃え移る。
「なんだ……壁は木材だったか。良く燃えるぞー」
「暢気なことを言っている場合ですかー!」
 シオンは何だかもう泣きたくなった。


―24―


 洋輔が鼻歌を歌いながら扉を開けると、そこには疲れきった顔をした限と雛太の姿があった。
「おおおおおおおおおおお。オメーら無事だったんかー!」
 洋輔はだっと飛び出して二人に駆け寄った。
 両手でギュっと二人を抱きしめる。
「お前もう、テンション高い。今はやめてくれ。しんどい」
「疲れたよね」
「なーん」
「うわ! お前、手から血……!!」
 雛太は思わず抱きついてくる洋輔の手をガッと引き離した。
 眉を潜めた限がクンとそれの匂いを嗅ぐ。
「ケチャップじゃあないみたい」
「ほ。本物?」
「あーん、もう。昔の血が騒いじゃとんぅ」
「お。お前って一体」
「何の血なんだ」
「っていうかさ。何か焦げ臭くない?」
 洋輔はクンと鼻を啜った。
「焦げ?」
 小首を傾げた雛太と限もクンと鼻を啜る。
「あー。確かに」
「ンーとだ。ってオイ! 煙出てんぞ!」
 雛太は側面の壁を指差した。
「わー」
 チリチリと音がして、隙間からシュルシュルと煙が上がってくる。
「な。なんだ」

「ギャーーーーーーーーーー」

 壁から炎がドーーーーーウと噴き出してきて、三人はドンと尻餅をついた。
「ギュワー。ななななな。なんだー!」


―25―


 中に入るとそこは薄暗く、いろんな物が乱雑に押し込められてあった。
「物置、みたいですね」
 浅海はセレスティに向かって呟いて、壁にそっと手を這わす。
 室内灯のスイッチを見つけポチリと押した。
 白い光がばっとあふれ出す。
「やっぱり物置だ」
 中にはアンティークらしき家具や等身大の人形、何故か侍お化けの人形と様々な物が押し込められてあった。
「埃っぽいですね……大丈夫ですか、こんなところ」
「私は、大丈夫ですよ」
 セレスティは笑顔で答え、杖をつきながらそろそろと中に入ってくる。
 自分が前に立つべきか背後から見守るべきかと考えて、浅海は結局セレスティの背後に立つことにした。
 物置の奥まったところにまた木戸があり、それを開けると石壁の狭い螺旋階段が現れた。
「昇ります、か?」
「えぇ、もちろん」
 セレスティは小指の先ほども臆しはせずに、杖で前方を確認しながら一歩一歩と昇っていく。浅海もその後ろをゆっくりとゆっくりと追いかけた。
 どれくらい昇っただろうか。
 前方を歩いていたセレスティが浅海を振り返り「扉がありますよ」と言った。
「き、気をつけて下さいセレスティさん。突然バッと開いたりしないように」
「キミは。肝の小さい人ですね。それでは大成しませんよ」
 さすが大きな財閥の総帥は落ち着き払った声でそう言って、扉を何の躊躇いもなくばんと開く。
 もしもこの人の足が不自由でなければ。
 無敵かも知れない。
 浅海はそんなことを思いながらセレスティの後に続く。
 そこは廊下だった。浅海は眩しさに思わず目を細める。
 赤い絨毯が敷かれたその場所は、高級ホテルの廊下とも呼べそうな清潔な空間だった。

「あら」
「シュラインさん!」
「結局同じ道に続いてたみたいね」
 一つの扉の前で、シュラインが腕を組んでいる。浅海は自分達が潜った扉を見やり、それからシュラインに問うた。
「シュラインさんは、そこから?」
「えぇ、そう」
「と。いうことは扉は後、二つありますね」
 セレスティが廊下を見渡して言う。
「ここがアジトだといいんだけれど。天音くん。何か感じる?」
 天音はじっと二つの扉を見比べてから「わかりません」と肩を落とした。
「じゃあ。ここからまた二手に別れるしかないようね」
 シュラインが言う。
 浅海は「そうみたいですね」と頷いた。


―26―


「ここを。こう」
「こう、か?」
「そうそう。それでこう、すんのさ」
 紅葉のようなさなの手が、霧葉の骨ばった細長い指をギュッと掴む。
 物珍しげにベースギターを眺めていた霧葉に、さなが「やってみるか」と提案したのである。
 例え会話を交わさなくても、人と居て窒息間がないというのは霧葉にとって珍しい体験だった。
「音楽があれば例え口下手でも、世界は繋がンだ。音符だけは何処へ行っても共通だからな」
 さなはそう言った。
 それはそれで斬新な意見だと思った。
「なぁ。なんでナマ兄ンとこなんか来たん?」
 ベースの弦を横から押さえながらさなが言う。霧葉は少し小首を傾げてから言った。
「食料がなくなった、から」
「そっかー。食べるものに困ってたんだ」
「驚かない、のか」
「驚く? なんで?」
「良く。言われる。食いモンの為にそこまでやるか、って。仕事を選べ、って」
「まぁ。僕も売れない時はいろいろやったからな。まぁ、今だってそんな大スターでもないけどな。仕方ないと思うぜ? だって食わなきゃ生きていけないんだもん。世の中って、そういうモンだろ」
「お前。ガキみたいな顔して、難しいこと言う、な」
 さなは器用に眉を上げてそれから笑った。
「僕はいつまでも少年のつもりだけど」
「そうか」
 霧葉はふと、ベースギターからモニター画面に視線を移した。
「あ」
 水面の部屋に進入者達が辿り着いている。
「俺、そろそろ行かないと」
 霧葉はベースギターをさなの手に戻し、フラリと立ち上がった。
「そっかぁ。淋しくなるな」
「また……俺の家に。遊びに来るといい」
「OK! じゃあ、頑張ってお勤めしてこいよ、ラスボス!」
 さながおどけた調子で親指を立てる。
 霧葉は小首を傾げてから、同じように親指を立ててみた。


―27―


「いやぁ。災難だったよ」
 燃え尽きた木の壁から姿を現したケーナズは、ニコニコと清々しい笑みを浮かべていた。
「け。ケーナズさん」
「おや。雛太に限に洋輔じゃないか」
 近寄って来たケーナズは、何故か三人に握手を求めて来た。軽いハグをして、アッハッハと笑い声を上げる。
「な。なんか。清々しい顔してんな」
「めちゃくちゃ楽しんだってカンジじゃん」
 その後から、ドヨーンと顔を曇らせたシオンがそろそろと出て来た。
「この二人の違いは何なんだろう」
 雛太は二人を見比べて、ひっそりと呟く。
「さぁ! 次はどんな仕掛けだ!」
 ケーナズが前に向き直り、声を張り上げる。
「なんだ。次は池か」
「モーターボートがありますね」
 限が言うとケーナズがウムと頷いた。
「乗れってことかな」
「多分、乗れってことだよ」

「よし。では。行こう」
 ケーナズが先頭を切り、「よし! 行くか!」と雛太がそれに続いた。
「あの二人、張り切ってんなぁ」
「シオンさん。行きますよ」
「はい」
 ショボンと頷くシオンを引き連れて、限もそれに続いた。
 皆で船に乗り込んでエンジンを起動させる。ブイーンと凄まじい回転音を立て、モーターボートは快調に進み出した。
 しかし快調だったのは、半分ほど走ったところまでだった。
 エンジンは回転速度を落とし、とうとう止まってしまった。
「え。なんで」
 雛太が振り返る。限はさぁ? と小首を傾げた。
 エンジンをバンと平手で叩き、それから水面に視線を移すと水の中からプクリと気泡が一つ浮かんで来た。
「な。何か居るんじゃないの」
 洋輔が細い声で言う。
「まさか。モーターのあれだろ」
「どれだよ」
 その時だった。
 ザバーンと船を横切るようにして、何かが飛び跳ねた。反対側に落ちていく。
「い。今の」
「なに」
「わ。何だ。魚か? 何だ何だ!」
「お。俺ら、食われちゃうんじゃねーのか!」
 限は試しにポケットの中にあったひよこ饅頭を一つ、水面に投げ入れた。
 ザバーンと水面から顔を出したそれは、ひよこ饅頭にパクリとかぶりつく。全体は良く見えなかったが、尖った歯だけは良く見えた。
「うわー。俺らやっぱり食われちゃうよー」
 洋輔が声を裏返らせる。
「こ。こういう時に昔の血が騒がねーのかよ、オメーはよ!」
「お。俺は人間専門!」
「わけわからん」
「な。なんか。いっぱい居る臭いですよ」
 先ほどまでどんよりと落ち込んでいたシオンも、ここぞとばかりに声を裏返らせた。
「アッハッハッハ。私に任せたまえ!!」
 ケーナズは勢い良く言って立ち上がり、船からエアーガンを構える。
「け。ケーナズさん! それは弾の出ない奴では!」
「ちょ、ちょちょちょ、揺れ。揺れる」
「来い。さぁ、来い」
「ちょ。ちょっと雛太、雛太」
 洋輔は雛太の背中に掴みかかる。
「うるせー。俺は今、取り込み中だ」
 雛太はポケットから盗賊道具を寛げて、あれでもないこれでもないと散らかしている。
「あ、あった! これだ!」
「なんだよ、それ!」
「マジックハンドー!」
 雛太の声と共に、その先端に人の手を付けた長い棒はビヨーーーンと延びた。
「なんだよそれー!!」
「モールの代わりになるもんなんかこれくらいしか思いつかねーんだよ。んじゃま、イくべ」
 せっせと雛太は船を漕ぐ。
 何とか岸に辿り着き船を降りると。
「やっと……来たか」
 そこに剣を掲げた男が立ちはだかった。


―28―


「あ。天野、珠樹くん?」
 窓際の椅子に座り本を開いていた男性に向かい、浅海は声をかける。彼は読んでいた本をパタリと閉じると、ゆっくりとセレスティと浅海の方を見た。
「誰ですか」
「草間興信所の者ですが」
 セレスティが前に出る。
「貴方が誘拐されたと、貴方の友人である藤山天音くんに依頼を受けまして。助けに参りました」
「あぁ……」
 珠樹は小刻みに頷いて「確かに俺、誘拐されてたんだな。忘れてた」と苦笑する。
「それはわざわざありがとうございました」
「見たところ。無事のようですね」
 浅海がヒソヒソとセレスティに囁いた。
「えぇ。やはり、そうでしたか」
「やはり?」
「無事だろうとは思っていたので」
「そ。そうだったんですか」
「一応、依頼は依頼ですので。一緒に帰って頂きたいのですが」
 セレスティがそう申し出ると珠樹はウーンと伸びをした。
「バケーションは終わりかなぁ」
「バケーション?」
 珠樹はそこでふっと笑う。
「もずくを食べる夢を見ていたんです」
「も、ずく?」
 いよいよ何のことか分からず浅海は眉を寄せて首を傾げる。
「いえ。なんでもないんです。ただ。ちょっとここ最近、辛かったから。それが夢に出たのかも知れません。仕事も恋も全部面倒で。逃げ出したいってずっと思ってたから。こんなことでもなかったら、俺ってヘタレできっと自分から逃げ出す勇気もなかった。でも何か休憩できて、本当に良かった」
「え。もしもし? 何言って」
「まぁまぁ」
 セレスティが浅海の腕を掴む。
「人生には休息が必要ということですよ」
 ますますわけがわからなくなり、浅海は「はぁ」とオズオズ頷いた。


―29―


「先へ行きたいなら俺を倒して行け」
 立ちはだかった男はボソボソとした声でそう言った。
 雛太と洋輔は顔を見合わせる。
「棒読みだな」
「恐ろしく棒読みだな」

「私が相手しよう」
 ケーナズがつっと前に踏み出した。
「相手、しちゃうんだ」
「怖いね」
 洋輔は丁度隣に居たシオンの腕に張り付いた。
「怖いですね」
「平和が一番なのにね」
「ですよね」
 囁き合う二人の前方で、ケーナズと男は間合いをつめている。
 ふと、ケーナズが言った。
「中々。キレイな体つきをしているな」
 男は何も言わず、腰から刀を引き抜いた。キラリと刃がきらめいている。
「ね。あれって本物? 洒落になんないんじゃねーの」
「おじさん、こわ〜い」
「し。ちょっと黙ってろよ」

 ケーナズもふっと笑って胸元からサバイバルナイフを取り出した。
 じっと見詰め合う。
「気に入った」
「えええええ」
「一度、私の家に遊びに来るといい」
「ケーナズさん。何を流暢に!」
 男は無言でケーナズにかかって行った。ワっと洋輔とシオンの二人は顔を覆った。
 しかし開いた指の間から見てみると、男の華奢な腕をケーナズがシッカリと掴んでいる。
「刀を収めたまえ。本気を出さない相手と戦うつもりは毛頭ないよ。それに私はフェミニストでね」
「俺は……男……だ」
「実際の性別は関係ないよ」
「……お前の家。食い物……あるか」
「和、洋、中お好きな物をどうぞ」
 ケーナズの言葉に男は暫し静止して考え深げに俯いた。
 そして突然、
「うわー。やられたー」
 倒れ込んだ。
「うわ。すっげいい加減!」
「棒読みだしね」
 男は倒れたままボソボソ言った。
「和食は自分で作れる。他のモンを食わせろ」
「催促してるー!」
「良いの。そんな簡単に倒れて」
 限が思わず突っ込むと、男はまたモソモソと言った。
「金の切れ目……縁の切れ目」
「うわ! ドライ!」
「金が欲しかっただけなんだね。ある意味すっごい脅威かも」


―30―


 扉を開けた途端、目の前を凄い形相をした正と、写真で見た兄が駆け抜けて行く。
「な。何やってんだあれは」
 雛太は思わず呟いて、恐る恐る部屋の中に足を進めた。
「追いかけ……っこ?」
「あんな正さんの顔、見たことないし」
 隣で感心したように洋輔が言った。そのまま視線を泳がせて、部屋の隅に佇むシュラインの姿を発見する。
「おーう、姉御じゃん。あれ、ずっとやってんの」
 駆け回る正を指差して、問いかける。シュラインは苦笑して頷いた。
「私達が入った時には既にこうだったわ」
「つまりどういうこと?」
「たぶん……兄のタイプなんだと思います。あの人……すごく」
「たい、タイプ」
 洋輔が声を荒げると天音はシュンと小さくなった。
 ハッと小さく息を吐き出す。
「天音」
 その時背後から声がして、天音はハッと振り返った。
「珠樹!」
 セレスティが珠樹を連れて立っている。
「良かった無事だったんだねー」
「心配かけて悪かった」

 満面の笑みで再会を果たす二人を見てからセレスティはケーナズに近寄った。
「やはり、彼は無事でしたよ」
「そうか」
 ケーナズはうんうんと小さく頷く。
「楽しめましたか」
「それなりにな」
 セレスティの言葉にケーナズはフフンと悪戯っぽく微笑んだ。
 その隣で自分の服を見つめていたシオンは、何かに気付いたようにハッと顔を上げシュラインの元に駆け寄って行く。
「依頼の報酬……飯代でなくて新しい服代にして欲しいんですが」

「任務は終わったんか」
 隣の部屋から出て来たさなはそこに揃っている皆を見て、それから霧葉に近づいた。
「そっちもお仕事完了?」
 霧葉はコクリと頷いた。
「おいしい飯を食わせてくれるそうだ」
「そいつはイイ!」
 さなはそこでベースをベーンと奏でた。

「ねぇ。この依頼。たまきくんじゃなくて、ただしくん救出だったかしらね」
 目の前を駆けて行く正を見つめてシュラインは言った。




END








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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 2254/雪森・雛太 (ゆきもり・ひなた)/男性/23歳/大学生】
【整理番号 1883/セレスティ・カーニンガム (せれすてぃ・かーにんがむ)/男性/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い】
【整理番号 2640/山口・さな (やまぐち・さな)/男性/32歳/ベーシストSana】
【整理番号 0086/シュライン・エマ (しゅらいん・えま)/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【整理番号 3448/流飛・霧葉 (りゅうひ・きりは)/男性/18歳/無職】
【整理番号 3356/シオン・レ・ハイ (しおん・れ・はい)/男性/42歳/びんぼーにん 今日も元気?】
【整理番号 1481/ケーナズ・ルクセンブルク (けーなず・るくせんぶるく)/男性/25歳/製薬会社研究員(諜報員)】
【整理番号 3419/十ヶ崎・正 (じゅうがさき・ただし)/男性/27歳/美術館オーナー兼仲介業】
【整理番号 3171/壇成・限 (だんじょう・かぎる)/男性/25歳/フリーター】


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■         ライター通信          ■
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初めまして。
 ゲイムにご参加頂き有難う御座いました。
 執筆者、下田マサルで御座います。

 変態兄の屋敷の中でバタバタと行ったり来たりする姿に、皆様の個性が出ていればと思い書かせて頂きました。
 楽しんで頂ければ幸いです。


 それではまた。何処かでお逢い出来ることを祈りつつ。
                       感謝△合掌  下田マサル