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白い歯黒い歯赤い歯
――プロローグ
草間・武彦は今煙草を我慢している。
それは、目の前に喫煙者を目の仇にしている女性が座っているからだった。
彼女の名は松倉・マヨという。道明寺・達郎の邸宅でメイドをしているという、草間にとっては世にも珍しい人種だ。
「……家政婦は、見たわけですね」
つい、某テレビ番組を揶揄して、口許を笑わせた。
すると、マヨは草間の顔にそっと手を近づけて、同じように口も近付け小声で言った。
「逆です。家政婦は見てない、んですよ」
マヨは主人の部屋に入っていく女性を何人も案内しているというのに、一度として中から女性が帰ったことがないという。
道明寺・達郎は絵画が好きで、石などに色を塗り絵を造り上げたりと器用な人間だった。
人柄も気さくで、申し分ない。
「なんで、そんないい職場なのに、わざわざ探偵なんか雇いたいの」
つい草間が訊くと、嬉しそうにマヨは小皺を浮かせて笑った。
「だってさ！ 事件かもしれないよ！」
言うんじゃなかったとがっくりと肩を落とした草間は、投げやりに訊いた。
「それで、なんかこー、道明寺さんに変わった趣味は？」
「……そうね、歯磨きね」
「歯ぁ？」
「毎食後一時間はブラッシングしてるわ……」
まあ、確かに変わった趣味だが。潔癖症の類なら、どこにでも転がっているだろう。
――エピソード
暑いから事務所に人が多いのか、暑くなくても人は多いのか、草間興信所の人口密度は相変わらずだった。
珍しく口火を切ったのは黒・冥月で
「メイドを雇うような奴なら、ハーレムで女を囲っているかも知れないだろう。丹念に歯を磨くのもお楽しみの為じゃないのか」
本気で考えるような内容ではなかったので、全員頭に過ぎらせはしたものの、口にしなかった案だ。しかし冥月は場の空気を面白そうに笑ってから真面目な顔に戻り「冗談だ」と付け足した。
「なんで女が来るの」
エアコンの前に立って、頭を冷やしている雪森・雛太がぼんやりと訊ねた。
「え？」
「だからさ、その女達はどういう経由で来てるんだよ」
「さ、さあ？ 電車かしら……」
「違う。例えば、街でナンパして来たとか、どっかのモデル事務所の子だったとか。あるだろうが」
雛太は前髪を団扇で扇ぎながら、窓から外を見た。
「あーアチ」
口の中でつぶやく。
「さあ、それは知りません」
「知らないのか……」
草間はほとんどやる気のない顔を、依頼人ではなくキッチンの方へ向けている。
代わりにシュライン・エマが静かな声で訊いた。
「事件性がある可能性がありますか」
「そりゃあ……だって見てないんだよ、帰りを」
マヨは大袈裟な身振りで言う。
マヨの隣に座っているみなもは、首を傾げていた。
「裏口とか、ないんでしょうか」
「ありますよ」
「あんのかよ」
雛太は若干気の抜けた声で言った。奥のキッチンへ入って行った旭とシオンが出て来ない。中でなにをやってるのだろう。
蒼王・翼はいつもは草間の座っている席にかけて、つまらなそうに頬杖をついている。
「普通に考えれば、帰ったと考えますね」
翼はマヨへ言った。マヨは顔を歪め、ぶんぶんと首を横に振る。
「なにか根拠が」
冷たく冥月が言う。冥月は草間の隣に足を組んで座っていた。
シュラインが優しく訊ねる。
「例えば、ゴミに変なものが混じっているとか、部屋から悲鳴が聞こえるとか、ないのでしょうか」
マヨは押し黙った。
少しして、口の中でつぶやくように言った。
「旦那様が何か隠しているのは確かさ」
マヨネーズさん！ キッチンからシオン・レ・ハイの声がする。
「マヨネーズさん！」
どうやらマヨのことらしい。マヨはすっかり動転していて、目の前の男に目を丸くするばかりだった。
「私は旦那さんに絵を習いたいです」
後ろから神宮寺・旭がやれやれと両手を上げながら
「マヨネーズは分離しやすいから常温に置いちゃだめですよ」
相変わらずわけのわからないことを言った。
「神宮寺・旭です」
旭はしっかりと名乗ってから、シュラインの方へ向かって言った。
「あぶり出しをシオンさんに教えて差し上げようと思ったのですが、どういうわけか火がついてしまって……」
「へ？」
ボケへの反応で一番を誇るのが雛太である。
「姉御、消火器だ」
キッチンからモクモクと煙が上がっていた。焦げ臭い匂いと、ガスの匂いが広がっている。シュラインは立ち上がりビルの兼備品である消火器を持ってきた。その間に、雛太はクローゼットの布団を片手に台所を押さえ込もうとしている。
「あー、くそ、こんなときにマヨネーズがあれば！」
雛太はそうこぼしていた。鍋が発火した際に、マヨネーズを入れるとよいとよく言うからだろう。シュラインが駆けて来て
「どいて」
鋭く言った。
シュゴ、ゴゴゴゴゴシュパー！ 消火器は大きな音を立てて台所にある全ての物の上に降り注いだ。簡素なシンクとコンロ、少々ただれた冷蔵庫そして燃えたメモ。小さな食器棚も雪に覆われたかのごとく白い。
シュラインは消火器から顔を逸らし、ケホケホと咳をした。
シオンは消えた煙と火にパチパチと手を鳴らした。
「私のジュースは無事でしょうか」
雛太も消火器の粉にむせていた。つい、眉を寄せシワを作りながらシオンを見る。
「無事に見えるか！」
「見えます！」
力強く言われて、雛太はがっくりと肩を落とした。ぽん、と旭が雛太の肩を叩く。雛太はその手を払いながら怒鳴った。
「お前が一番問題なんだよ！」
そうですか？ ととぼけると思って見ていると、旭は考え込むように顎に手を当ててみせ、唇を噛んでから眉を上げた。
「あー、そのー、……そうかもしれません」
「認めんな！」
そんなやり取りを全く無視して、マヨ達の会話は続いていた。草間は少し台所を気にしながら、マヨに率直に訊ねた。
「どうしてほしいんです？」
みなもが小さな声で「あの、あっち大変そうですけど……」そう言ったが、誰もが無視をした。
「私の甥か姪ということで、どなたか屋敷へ来ていただいて、ちょっとでも不審な点にお気づきになったら、調べていただくということで」
草間はうなり、隣の冥月を指しながら笑った。
「こいつは、甥ですが」
反射的に冥月が草間の脛を蹴った。
「黙れ」
草間は足を抱えて涙目になる。翼は仕方がなさそうな顔で、草間と冥月の日常のやりとりを眺めている。
「誰が行く？」
翼が訊いた。
草間はあえぎあえぎ答えた。
「そうだな……えーと」
草間が目を泳がせたところに、シュラインが白い粉まみれで立っていた。シュラインは草間をじっと睨みつけ、言った。
「私達が行かせてもらうわ」
「私達？」
鸚鵡返しに草間が聞き返す。
「雛太くんと私よ。他の人は全員、アレの後片付けをしてちょうだい！」
シュラインは粉を叩きながら、ふん、と鼻を鳴らした。
「青空してっから、車で行こうぜ」
青いチェックのシャツの胸元をパタパタと動かしながら、雛太は言った。シュラインとマヨは引き連れられて、グレーの車の前まで行った。
シュラインが不思議そうな顔で車を見ている。
「姉御助手席でいい」
「ええ……雛太くん、変な顔の車乗ってるわよね。前から思ってたんだけど」
「変な顔はねえだろ」
雛太はからから笑いながら車の鍵を開ける。中に入って助手席と後部座席の鍵を外した。オートでは外せない。相当昔の代物だった。
「俺の持ってる車、どっちもフランス産よ？ おフランスだぜ」
軽口を叩きながらエンジンをかけ、クーラーを入れて車が発進する。雛太の機嫌はよかった。車の中も、しばらくするとクーラーが効いてきて快適になった。マヨの言った邸宅の近くまでは車を走らせたことがあったので、ナビはいらなかった。
マヨには雛太と同い年ぐらいの子供がいるそうで、車の中には愛想笑いとシュラインの的確な相づちが溢れた。ラジオからは車と同じく時代遅れの洋楽が流れている。雛太はハンドルを何度か叩いてリズムを取りながら、赤信号になれば適度に口を挟んで心地よい空間を作りだしていた。
いかにもという邸宅が見えてくる。
「どうする、そこらへんに青空する？」
「中に駐車場がありますから」
「あ？ そう」
邸宅のインターフォンをマヨが押しに行き、するとゴゴゴゴと重低音がして大きな黒い鉄の門が開いた。
庭の手前に駐車場スペースがあって、今は一台も止まっていない。雛太は一発で駐車に成功し、シュラインと共に車を降りた。
マヨが玄関を入ると、中からエプロン姿のマヨと同い年ぐらいだろう女性が出て来た。
「姪と甥なの」
そうきっぱりとマヨが断言する。名前を言う必要に迫られて、シュラインは口を開いた。
「シュ……」
シュで始まる日本人の名前なんかあるんだろうか。
「春菊です……」
無理がある。それじゃあ、どこかの芸者の名前じゃないか。雛太は心中で突っ込みながら、笑いを堪えた。
「そちらは？」
振られる。分かっていたことなのに、一瞬頭が真っ白になる。
「雛……男です……」
慌てて意味不明な偽名を使ってしまってから、シュラインと違って雛太は偽名を使う必要がなかったことに今更気がついた。
マヨの仲間の家政婦は「珍しい名前ねえ」と目を丸くしている。雛太とシュラインは目を合わせ、肩をすくめた。
豪華な廊下を進みながら、シュラインはマヨに訊ねた。
「簡単な間取り図が欲しいわ」
「それじゃあ、休憩室で書きます」
廊下はホテルの中のように分かり辛い。雛太は歩いていて、不審なことに気がついた。普段ならこんなことには気付かないだろう。最近居候の男から、トラップや状況把握の術をどういうわけか伝授されていたので、本当は洞窟内で使う足音の響きが頭にかすった。
絨毯に吸収されているせいで、音は幾分か小さい。
だが、確かにいつもの床とは違う響きがした。
「姉御」
雛太が立ち止まる。それから、床に張り付いて耳をつけた。
「やだ、なにをやってるの」
「足鳴らして」
雛太が問答無用に言ったので、シュラインはトンと足と床の間で小さな音を出した。雛太はその響きを確認して、マヨを見上げた。
「地下室あるの、ここの家」
「ええ……」
雛太は少しがっかりした表情をした。
「でも、地下室があるのは台所の奥からの階段で下りるワインセラーですから、ここではないです」
雛太は笑った。
「ビンゴ！」
シュラインが足音を立て注意深く聞いている。少しして、雛太の言っていることを飲み込んだようだった。
「……地下室があるのね、ここに」
雛太が近くにある大きな扉に手をかけた。けれどガチャリとだけ音がして、扉は開かなかった。
「地下室が関係してるかしら？」
「おばちゃんが知らないんだろ、きっとなんか後ろ暗いところがあるんだろうぜ。鍵までかけて」
雛太は少し声のトーンを落として訊いた。
「マスターキーとかないの？」
「旦那様のお部屋だけは……ないんです」
「ますます怪しい」
眉を寄せる雛太に、シュラインは宙を見つめ考えながら言った。
「集められてる女性を洗うしかないかもね……」
「おばちゃん、どんぐらいの周期で人が来るんだよ」
「一週間……でしょうかね」
シュラインは難しそうな顔で、ふうと溜め息をついた。
「折込広告？ バイト雑誌？ ……もっとも、個人宛てに郵便が出ているんだとしたら、無理な捜査になるわね。なんていうか……そこまで調査するほど黒いところが見えないもの」
雛太は頭の後ろに手を組んで、ニヤリと笑った。
「じゃー、しゃーないな。おっちゃん仕込んでこっち来させよう。で、カマかけてやろう」
「どんな？」
「モデルを募集してると聞きましたとか……なんとか……」
シュラインは厳しく口許を引き締めてつぶやいた。
「門前払いされなきゃいいけど」
しかし、手立てがないのでそういうことになった。
……そういうことになったって、言うけどなあ。
泣き言を言っているのは、雛太に着物まで着せられた、お馴染み立体メイクの草間・武彦である。顔は――二丁目にいるかどうか際どいところだろうか。
苦い顔の草間をのせたシトロエンは、低いエンジンの音で発進した。草間もシュラインと同じように
「お前車の趣味変だぞ」
「白いバンぐらいにか乗らないおっちゃんには言われたくない」
ラジオのボリュームを上げて会話を打ち切ってから、慣れたハンドルさばきで道明寺邸宅まで急いだ。
インターフォンを鳴らして来客理由を告げると、家政婦ではなく男が出て来た。男は草間を見て、仰天している。雛太は、「やっぱだめか？」と逃げ腰で逃げる気満々の姿勢だった。
しかし男は草間達を中へ入るように言った。
複雑な廊下を進み、例の部屋の前で立ち止まる。
中へ入ると、壁一面に絵が飾ってあった。主に油絵だろうか。タイル張りのような作品や、水彩画もある。
「へえー」
感嘆詞を洩らしているところへ、マヨがやってきてお茶を置いて行った。
「誰から聞いたんだ？ うちのモデルの仕事は極秘でやってもらってる筈なんだが」
草間は濃い化粧の顔で、素で嘘をつく。
「ここへ行く前にいい儲け話があるって聞いていて」
「ほう。歯並びに自信は」
「……あ、あります」
雛太は付き人と言うことになっているのだろうか。ともかく自由に動くことができたので、一枚一枚絵を観察させることができた。
ふと、タイル絵に目を止める。じっと、タイルを見つめた。
一つ一つ丁寧に塗られた平べったいタイルは、確かに人間の前歯だった。前歯が画面いっぱいに並んでいる。
ぞくり、と背筋が凍るのを感じる。
「おっちゃん」
雛太は短く呼んだ。草間が、雛太の方へ顔を上げる。
「歯だ、こいつは人の歯抜いて使ってやがる」
道明寺の顔色がさっと青くなる。そして草間にしがみつく。草間は慣れない着物で果敢に動き、もたれた左手を引いて道明寺の体制を崩した後、片腕を後ろに捻り上げて道明寺を床に押し付けた。
「じゃあ、女達は」
「……いくらなんでも、この歯は多すぎらあ。無理矢理盗られた人もいるんじゃねえの」
雛太はツカツカと部屋の奥にある扉を開け、もう一つの続き部屋にある本棚に並んだ。本を上げてみたり、本棚の裏を探してみたりして、裏にボタンを発見する。ボタンを開けると、密封された地下室が開いた。
もわっ、とむせかえるような腐臭が漂ってくる。
地下室の中を見ることはしなかったものの、気が遠くなって草間達の元へ戻った。
「おっちゃん……警察だ」
「監禁か？」
「いや……殺人罪だ」
――エピローグ
まったく、とんだ事件だったよなあ。
満足気に雛太は笑い、依頼料で買わせた燻製イカを食べながらご満悦の様子である。めずらしく、草間興信所に人は少ない。イカを食べる雛太はビールを片手に持っていて、もう二缶目だろうか、夏のビールは美味い。
「やっぱりおっちゃんを囮にして正解だったぜ」
草間は苦い顔でビールを飲んでいる。シュラインが奥で零と会話をしながら枝豆を茹でていた。それはすぐに茹で上がり、冷やすことなく温かい豆が出て来た。
枝豆に手を出した雛太は「あちぃ」などとこぼしながら、熱々の枝豆を口に運んだ。塩加減が丁度よかった。
「しかし、姉御の春菊は傑作だったなあ」
雛太はカラカラ笑う。シュラインも笑って同意しながら、
「あなたも十分笑えたわよ」
そう切り替えした。
神宮寺・旭がまたもシオンと共に何かにチャレンジしている。窓の近くへ寄って紙を持ち、片手に虫眼鏡を持っていた。
雛太は思わず飛び蹴りを旭の横っ腹に入れてから、器用に着地しシオンの頭をぺチンと叩いた。
「火事ネタはもいいんだよ！」
煙の上がっている白い紙を踏みつけていると、シュラインが「あ」と声を上げた。
「ちょっとそれ、報告書の一枚じゃ……」
慌てて足をどけるも既に遅し。
雛太も交え、三人がくどくどと説教を受けたのは間違いない。
――ｅｎｄ
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■ 登場人物（この物語に登場した人物の一覧） ■
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【0086／シュライン・エマ／女性／26／翻訳家＆幽霊作家＋草間興信所事務員】
【1252／海原・みなも（うみばら・みなも）／女性／13／中学生】
【2254／雪森・雛太（ゆきもり・ひなた）／男性／23／大学生】
【2778／黒・冥月（ヘイ・ミンユェ）／女性／20／元暗殺者・現アルバイト探偵＆用心棒】
【2863／蒼王・翼（そうおう・つばさ）／女性／16／Ｆ１レーサー兼闇の狩人】
【3383／神宮寺・旭（じんぐうじ・あさひ）／男性／23／悪魔祓い師】
【3356／シオン・レ・ハイ／男性／26／びんぼーにん 今日も元気？】
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■ ライター通信 ■
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「白い歯黒い歯赤い歯」にご参加ありがとうございます。
ライターの文ふやかです。
今回はちょっと個別に近い形で書かせていただきました。
少しでもお気に召していただければ、幸いです。
雪森・雛太さま
機嫌がよいとのことだったので、ちょっとゆるい突っ込みで、車に乗せたりしてみました。
では、次にお会いできることを願っております。
ご意見、ご感想お気軽にお寄せ下さい。
文ふやか
※今回不備がありましたので、二度目の納品になります。本当に失礼いたしまいした。
以後気をつけますので平にご容赦ください。申し訳ありませんでした。
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