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行く先はいずこへか
――プロローグ
キヨスクでお茶とタブロイド誌を買って、プラットホームに立っていた。
ここは新幹線のホームだったので、ちらほらいる人もドア印のついたところに並んでいるわけではない。
草間・武彦は少しぼんやりしていた。
それでも、いつもの癖で回りにいる人間を観察していた。
すぐ隣の女の子の、上と下のまつげについたベタベタの黒い色。手持ち無沙汰に立つサラリーマンの背中。携帯電話に使われている若い男の子。
草間は切符を確認した。
ズボンの右尻ポケットの中にある切符。そこには行き先が書かれている。
草間はそこに行くのだろう。そうだろう。一人で、合点する。行き先が真っ白い切符なんて、東京のどこを探しても……世界中のどこを探してもないに違いない。
山手線がぐるぐる回っていることを考えたら、新幹線の方が幾分かマシに思えた。
少しいつもより気持ちが急いでいるようだ。
――エピソード
新幹線に乗るぐらいで、妙にセンチメンタルになるのはやめよう。
草間がアホらしいと胸中でつぶやいたところへ、新幹線が入ってきた。人は乗せていなかった。新幹線のドアが開き、中に入って冷房に息をついてから席を探すことにした。
ひんやりと冷えた車内は心地よく、この室温で熱いコーヒーが飲みたくなった。冷たいお茶を買ってしまった自分に少し失望する。どうせ仕事で行く旅なのだから、なんでもいいだろうと思っていたのだ。もちろん、依頼人に手土産も買っていない。新幹線に乗り込んでから、東京土産ぐらい持って行った方がよかっただろうかと後悔した。
我ながらバカバカしくなって、車両をいくつか移り、ようやく席を発見する。Ａのシートは窓際だった。一度座ってしまってから、不安になってもう一度数字を確認する為に立ち上がった。間違いない。隣のシートは空き席だろうか。それなら、荷物を置いてしまうのだが……。
新幹線の中は若干騒がしい。会社の出張組だろうか。若い女の子を挟んで男が三人、なにやら楽しげに話している。研修がどうとか言っている。そんな中、カツリカツリと靴音がした。草間はシートに頭をうずめて、ふうと大きな溜息をついたところだ。
一際目立つ足音は草間の横で止まった。草間は、おや？ と眉を上げて、少しだけ目を開けた。
背の高い女性が席番号を確認している。ちらりと横目で見ると、どうやらその顔には見覚えがあった。
「……あなた、刑事の」
草間はおずおずと言った。彼女は前髪を片手でかきあげてから、草間の顔をじっと見つめ、そして微笑んだ。
「草間……さん、でしたっけ」
「はい」
「奇遇ですね、お隣よろしいですか」
言われて草間もぎこちなく微笑む。
京都まで行く新幹線に乗っているというのに、神宮寺・夕日は軽装だった。フリルのついたシャツに薄手のスカートを履いていて、とても夏らしい格好をしている。鞄は小さなハンドバックだけらしい。思わぬところで知り合いに会ってしまうと、複雑な気持ちになる。半分は自分を知っている者に出会った安堵感で、もう半分は逆の失望感だ。草間も今そういった気持ちになっていた。
神宮寺・夕日はどうだろうか。
隣を見ると、夕日は窓から外の大きな看板を見ているらしく、草間と夕日は目が合った。
「お仕事ですか」
草間は一応口を滑らせた。
「みえます？」
「みえません」
クスクスと夕日が笑う。どうやら、休暇のようだ。
「旅行ですか、京都に？」
察して草間が言うと、夕日は頭を横に振った。彼女は胸元の銀のペンダントを片手で触り、前を向いたまま言った。
「実家に帰るんです」
「ああ」
思わず納得の声をあげる。
「どちらまで？」
「京都です」
そうですか、と草間が洩らすとええと夕日はうなずいた。それから新幹線が発車するまで二人の間に会話はなかった。
しばらくして草間は立ち上がった。新幹線の室温はどんどん下がっているようで、コーヒーが飲みたくてたまらなくなったからだ。
「たしか、キヨスクが中にありましたよね」
草間が訊くと、よく利用するのか夕日はすぐにうなずいた。
「五号車ですよ。待ってれば回ってきますけど」
「コーヒーは来ないでしょう」
「ありますよ」
「熱いのです」
「あー……それはないかな」
失礼と言って草間は夕日の前を通った。さらさらとしたスカートが揺れる。
目を上げた先には、何人か乗客がいて、それぞれ一人で座っていた。文庫本を読んでいるスーツ姿の女性、窓を見つめているフリーター風の男性、それからもうシートを倒して寝ている中年男性。
通路を抜けて五号車へ行くまでに、騒がしい車両も通った。
キヨスクは空いていた。熱いコーヒーを紙コップで一つ頼んでから、夕日の分も聞いてくればよかったと今更気が付いた。ブラックのコーヒーを一つ持ったまま、草間は考えあぐねてもう一つコーヒーを頼んだ。
席へ戻ると、夕日はまた外を見ていた。小さなハンドバックの中には本は入っていないようだ。
「コーヒーでよかったですか」
言うと夕日は草間を見上げた。眉毛が魅力的な女性だった。
「あ、ありがとうございます」
「砂糖とミルクは？」
「ええ」
夕日がブラックと言えば草間がそっちを飲むことになったので、草間はほっとした。夕日にベージュ色の液体を手渡してから、席へ入った。座って落ち着く前に、コーヒーを一口飲む。ほっとした気持ちになった。頭が少し、冴えるような気がする。
「草間さんはお仕事ですか」
夕日がコーヒーを一口飲んでから訊いた。草間はうなずく。
「今の京都は熱いですよ。ヒートアイランド現象もなんのそのってぐらい」
そうなんですか、と笑う。
またコーヒーを口に含んでから、ふうと大きな息をついた。
「また怪奇の依頼ですか」
「いえ……それは、葛城さんに聞いたのかな」
「ええ。あとは、噂とか」
「それは……心外だなあ」
草間が苦い顔をすると、夕日は小さな口を押さえてごめんなさいと言った。草間は苦笑をして首を横に振り、言葉を募った。
「京都にはそういった職業の人も多いでしょう。私の出る幕じゃありませんよ」
「……ええ、まあ、そうですよね」
そうでしょう？ 草間がもっともらしく言った。
実際は半分怪奇めいた依頼で動いているのだが、ちょっとした知り合いまでが草間を怪奇探偵と呼ぶのはなんとなく嫌だった。好きでやっているわけではないのだ。
二人はコーヒーを飲み終えても会話を再開しなかった。
カツン、カツン、カツンゆっくりと通路を歩く音がする。草間はそちらを見ず、シートにもたれて前のシートの頭を見つめていた。後ろの奴が同じことをしていると思うと、少し気色悪い。
夕日が真面目な顔で通路を見ていた。腰を浮かせている。
「どうしました」
「……今の男」
「今の男が？」
「コカインの匂い、親指の爪の間です」
夕日が立ち上がる。
彼女の言うことが本当ならば、相手は今トリップ中ということになる。慌てて草間も立ち上がった。走り出したハイヒールの音を追った。それにしても、匂いでそんなことがわかるものだろうか。少なくとも草間にはわからない。警官の夕日にはわかるのかもしれない。
夕日が男に近づいていく。
草間は思わず、声をあげた。
「ちょっと……」
夕日ではなく男が草間を振り返った。男の手元に拳銃らしきものが見えた。
なんだと？ 頭にそんな文句が浮かんだが、口に出している場合ではなかった。夕日が問答無用で男の肩に手を乗せる。男の身体が屈んだ。
草間は夕日に手を伸ばし、突っ伏すように押し倒した。ガタンと大きな音が立つ。その瞬間に、パンと短い銃声がした。すぐに二発目を撃ってこない。音が軽い。改造拳銃かもしれない。
素早く体制を整える。低い姿勢から男の腕の拳銃を目掛けて飛び出した。男の片手を掴み上げる。上に向けて、銃弾が発射される。その反動が男の腕越しに伝わってきた。男の腕を捻って自由を奪ったところに、夕日が冷静な声で言った。
「警察よ、観念なさい」
夕日は警察手帳を掲げてみせた。
草間は男を組み伏せたまま、夕日を見上げた。
「手錠はないですか」
「すいません、オフなもので」
困ったなあと、草間は眉を寄せた。このまま次の駅につくまで、こうしていなければならないのだろうか。
「まさか、ここで寝てもらうわけにはいかないでしょうね」
苦笑を禁じ得ず言うと、夕日も同じように笑った。
「代わりましょうか」
「ちょっと蹴ってやれば動けなくなりますけどね」
草間は足と右手だけを使って男を床に伏せたまま、煙草を片手で取り出した。一本うまく口にくわえたが、ライターが見当たらない。
そこへ夕日が指をパチンと鳴らして、マジックのように指先から火を出した。
目を丸くして夕日を見ると、彼女はニッコリと微笑んでいる。黙って煙草に火を付けてから、煙草をくわえたまま草間は言った。
「どういうことです？」
「どうということはないです」
はあ、そうですか。間の抜けた返事をして、歯で煙草をくわえたまま煙を吐き出した。
夕日が「あ」と大きな声を上げる。
「なんです？」
「ここ、禁煙車両ですよ」
そう言われても吐き出すわけにもいかない。草間が苦い顔で思案していると、夕日は草間の口元から煙草を取り上げて、「捨ててきます」とハイヒールを鳴らしてきびすを返した。
――ｅｎｄ
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■ 登場人物（この物語に登場した人物の一覧） ■
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【3586／神宮寺・夕日（じんぐうじ・ゆうひ）／女性／23／警視庁所属・警部補】
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■ ライター通信 ■
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神宮寺・夕日さま
毎度どうも！ １００記念「偽りのない愛」にご参加ありがとうございます。
ライターの文ふやかです。
丁寧に長くがモットウなのですが、お話がお話なだけに長くなりませんでした。すいません。
丁寧には書いたつもりです。
少しでもお気に召していただければ、幸いです。
文ふやか
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