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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


行く先はいずこへか



 ――プロローグ

 キヨスクでお茶とタブロイド誌を買って、プラットホームに立っていた。
 ここは新幹線のホームだったので、ちらほらいる人もドア印のついたところに並んでいるわけではない。
 草間・武彦は少しぼんやりしていた。
 それでも、いつもの癖で回りにいる人間を観察していた。
 すぐ隣の女の子の、上と下のまつげについたベタベタの黒い色。手持ち無沙汰に立つサラリーマンの背中。携帯電話に使われている若い男の子。
 草間は切符を確認した。
 ズボンの右尻ポケットの中にある切符。そこには行き先が書かれている。
 草間はそこに行くのだろう。そうだろう。一人で、合点する。行き先が真っ白い切符なんて、東京のどこを探しても……世界中のどこを探してもないに違いない。
 山手線がぐるぐる回っていることを考えたら、新幹線の方が幾分かマシに思えた。

 少しいつもより気持ちが急いでいるようだ。


 ――エピソード

 泣き出しそうな女の子を見ると、途方に暮れてしまう。
 草間興信所を訪れた、雪森・雛太は本当に困っていた。目の前の女の子、草間・零はすんすんと鼻を鳴らして泣くばかりなのだ。
 どうやって慰めればいいのかわからない。
 どうやって声をかけていいのかわからない。
 そういったわけで、雪森・雛太は草間興信所のソファーの目の前の零が泣いているのを、呆然と眺めていた。泣きやめよと安直に言うわけにもいかず、かといって無視して帰るわけにもいかない。どういうわけか、いつも昼寝を決め込んでいる所長の草間・武彦は不在だった。
 おそらく草間・武彦と零の間になにかあったのだろう。
 なにかあったとしても、零がこの状態ではなにも聞き出せない。
 しばらく泣き顔の零を眺めた後、雛太はジーパンのポケットに突っ込んであるパチンコ球とハンカチを取り出した。パチンコ球を見て少し顔を歪めてから、草間の机に顔を向ける。相変わらず雑然とした机がそこにはあった。カップラーメンの容器がファイルの上から落ちそうになっている。
 雛太は無言で零にハンカチを手渡した。彼女は一瞬だけ目を上げて、ハンカチを受け取って目頭を抑えた。
 少しほっとしてから、雛太は草間の机まで歩いてく。そこから一本のボールペンを取って、零の前に戻った。零はハンカチを握り締めたまま、ボロボロと大粒の涙を流していた。こんなに泣けるものなのだと感心するぐらい、彼女は泣いていた。
 どうして泣くのだろう、どうして悲しいのだろう。
 思いながら、雛太は微苦笑を浮かべた。
「なあ」
 声をかけると、零が真っ赤な目を雛太に向ける。
 雛太は上を向き、決死の覚悟でボールペンを口の中に突っ込んだ。ゴクリと飲み込む。
 零がぽかんと雛太を見ている。びっくりして言葉もないようだった。零は目を何度も瞬きさせて、ゆっくりと細い声で訊いた。
「そんなことして大丈夫なんですか」
「ん? ああ、ちくわぐらい美味かったぜ」
 本当を言うと、喉でむせかえらないかどうかヒヤヒヤしたのだが、一応成功はしたらしい。体内に入ったボールペンが消化さえるとは思えないから、この後自分はどういうハメに遭うのだろうと想像しながらも、雛太は笑顔で答えた。
「だって、ボールペンですよ」
 クスクスと零が笑い出す。雛太はようやくほっとした。
「もう一本いこうか」
「事務所のペンがなくなっちゃいます」
 零は困った顔で笑っていた。
 雛太はほうと溜息をついて、なんとなく腹の辺りをさすりながら訊いた。
「どうしたんだよ、零」
 ようやく切り出すと、もう零は泣き出さなかった。
「お兄さんが、出て行っちゃったんです。もうお前とはいられるか、って言って」
「出て……って、おっちゃんここの所長だろう」
「私お兄さんがいないのなんて嫌なんです」
 少しうつむき加減で零は言う。キッチンを見上げながら
「ちゃんと固ゆで卵もたくさん用意して待ってるのに」
「いや……ま、それは別にいらんと思うが」
 なんだか腹が重たい気がするような、雛太は腹をさする。零は雛太のハンカチを握り締めたまま、ヒヨコのピーちゃんを見た。
「早く帰ってこないとピーちゃんがチキンになっちゃう」
「いきなりチキンなのかよ」
 零はピーちゃんを食う気満々である。
 確か零は食事を必要としない身体であったから、食わせる気満々というのだろうか。
 雛太はコメカミを人差し指でトントンと叩いて、情報を整理した。草間がいなくなった。しかも、零と喧嘩をしていなくなったらしい。興信所の所長がとる行動としては、軽率すぎる行動である。
「……どんなことが原因なんだ」
「わかりません」
 彼女は下を向く。白いリボンが大きく揺れる。雛太は黙って頬をかいた。
「どんなことがあって、出て行ったんだよ」
 零は少し視線を雛太へ上げて、鶺鴒のように小首をかしげてから、宙を見上げてゆっくりと語り出した。
「あの日は、お兄さんがお仕事でいませんでした。そこに、珍しく四人の方から依頼が入って、どなたも急いで解決してほしいとおっしゃるので、私でお役に立てるのならと依頼人さんに同行したんです」
 なんとなくオチが読めた。
「……零、お前解決しちゃったんだろ」
「解決というか。怪奇事件でしたし、幽霊を退治するには適した身体なのです。私」
 つまり、それを知った草間は、自分が知らないうちに妹と思っていた零が山ほど依頼を解決してきたことを、妬んだしついでに自分の無能さを知った。この興信所に自分はいなくても、困らないと思った。劣等感の塊と化した草間は、零にもう戻らないと告げて興信所を出た。
 そういう筋書きだ。
 ……さて、どういうオチをつけようか。
「ともかく、全然原因がわからなくて」
 また泣き出しそうな顔で彼女はポツリポツリと言った。
 雛太は黙っていた。
「もしかしたら、肉なしすき焼きのとき生卵を椀に落としておいたのがそんなにショックだったのかしら」
「そりゃあねえだろ」
「違うんです。あんまり固くしろってうるさいから、一度嫌がらせでジョッキいっぱいに生卵を入れて出したことがあって」
 雛太は沈黙する。案外、酷い。
 なんにしろ原因はそれらではなさそうだった。
「それに、ピーちゃんを大きく太って育てて食べてもらおうってしているのにも、お兄さんなんだか複雑そうな顔をしていたし」
 そりゃあそうだろう。
 ともかく、何が原因にしろ、草間・武彦は戻ってくるだろう。あの歳になって家出もなにもあるまい。今更自分探しの旅に出たところで、草間の自分なんて高が知れている。ハードボイルドではない自分には気付かない方に今晩の夕食代を賭けたいぐらいだ。
「……そんなに騒ぐことじゃねえよ、帰ってくるってすぐ」
 雛太は耳の穴に小指を突っ込みながら言った。
 零は深刻そうな顔で、雛太を見つめている。
「お兄さん、牛丼を食べて狂牛病で死ぬ気かもしれないです」
 そりゃまた遠い死に方だなおい。胸のうちでつい突っ込む。
「もしかしたら、鳥インフルエンザかしら。それとも……台湾へ行ってサーズとか!」
 零は立ち上がって、そわそわと歩き出した。
 草間という男は、零の認識の中で飛び降り自殺をしたり服毒自殺をしたり、切腹をしたりとかそういう勇気のいることはできない設定らしい。ちょっと草間が気の毒になってきた。
「あ」
 零は何かに気付いたようだった。
「ドリアンと、ブランデーを一緒に……」
 だから、草間をそこまで意気地なしにしなくてもよいだろうに。
 なんにしろ零が草間を心配しているのは事実である。そう考えれば、数々の酷い発言も愛ゆえということだ。
 ふと、あることを思い出した。
「あの時」
 雛太が小さな声で言う。
 零が足を止めて、雛太を見る。零のまぶたは赤く腫れていて、痛々しい。
「あの時、どうして俺を助けたんだ」
 目をしばたかせて、零はきょとんとしている。少しして、小さな口を開いた。
「あの時って、猫さんのことですか」
 こくりと雛太がうなずく。零はびっくりした顔で雛太をマジマジと見つめ、それから小首をかしげて笑顔を作った。
「私、人のこと考えられないんです」
 突然彼女はそう言った。
「絶対嫌だったんです。私、悲しむの嫌いなんですよ」
 予想外の答えに、雛太が声を詰まらせる。
「それは……」
「私の手の届く範囲の人には、笑っててほしいんです。もし私がなにかできるなら、なんでもします。だって私はそうしていてほしいんだから」
 雛太は少し渋い顔で言う。
「死んでも?」
「考えたことはないですけど、でも……例えばあのとき私が死んでも、雛太さんは生きてるでしょう?」
 零は静かに笑う。ただほんの少し、寂しそうに。
「雛太さんはいつか笑えるでしょう。私は、その為に死ぬんです」
 頭が混乱している。彼女は、どうしてそんなことを言うのだろう。笑っていたのは、自分の筈なのに。自分がいなくなってしまったら、笑うことができないのに。その後に残った誰かがいつか笑うことを夢見て、何がいいのだろう。
「ね、ホント私って自分勝手」
 零が泣き腫らした目で笑う。
 その笑いに寂しさが含まれているのは、きっと最後に笑っている誰かを、死んでしまったら見ることができないからだ。
 それでも彼女は助けるのだ、誰かの笑顔の為に。
「だから、お兄さんには生きて帰ってきてほしいんです」
 しゅんとした声になって、零が下を向く。
 彼女はソファーに戻ってすとんと座り、口を噤んだ。
 雛太はやおら立ち上がった。
「わかったよ、探してきてやるって」
「でも、どこにいるかなんて……」
 零が口の中でつぶやくのを聞きながら、雛太はニヤリと笑った。
「俺の勘と推理力を舐めんなよ」
 Tシャツの裾を直しながら立ち上がった雛太は、後ろ手で零に手を振ってから興信所の安い造りのドアを出た。


 北へ向かう新幹線のホームに草間はいる。
 実を言うと、やはり北に逃げるべきだと思っていた。逃げる定番は北であり、そして日本海である。もうどこでもいいと思っているのに、草間は自分の深層心理に従ってそのチケットを買った。財布の中身は寂しい。北へ着いた途端、何か仕事を見つけなければならない。
 ……本当に北へ逃げるのか?
 思わず自分に問い掛ける。はっきり言って、馬鹿みたいである。
 零が優秀だということぐらい、わかっていたことの筈だ。今更彼女に嫉妬したところで、なにも敵わない。そもそも零は人間ではないのだから、張り合うほうがどうかしている。
 悶々と考えている。
 タタタタタと足音が走ってくる。まだ新幹線は到着していないから、走る必要はない。誰かとの待ち合わせだろうかと、顔を上げようと思った。
 その瞬間だった。
 横から思いっきり足が飛んできて、わき腹の辺りを両足が蹴った、
 反動で飛ばされる。痛みがわき腹に残り、そして倒れたホームに頭と肩をぶつけた。
「なに、なにすんだ」
 そう言った草間を見下ろしていたのは、雪森・雛太だった。彼は飛び蹴りの後器用に着地したらしく、ダメージはなかったらしい。
 草間は痛みも気にせず、思わず問うた。
「な、なにやってんだ? お前」
「おっちゃんこそ、何やってんだよ。この、ガキ」
 上から人差し指を突きつけられる。
「零泣いてたぞ、おっちゃんのせいだ。全部おっちゃんのせいだ」
 ゆっくり草間が腰を上げる。苦い顔をしていた。雛太はいつもより少し怒っているようだった。機嫌が悪いのではなく、怒っているのだ。
 草間は口篭もりながら言い訳をする。
「俺は……別に」
「一番笑ってたい奴が泣いてた。全部、おっちゃんのせいでだ」
 雛太はそれだけ言うと少し表情を和らげた。
「さっさと帰ろうぜ」
 草間は尻ポケットの切符をくしゃりと潰した。


 ――エピローグ

 雛太は若干困っている。
 飲み込んだボールペンがレントゲンに残っていたから、というのもあるが、なんとなく困っている。笑っているってどういうことだ? と思う。いつでも楽しくいるということだろうか。
 少し違うように思う。
 ただ、たしかに思うのは、それを望む零がいつまでも笑顔でいられればと思う。
 本当なら寂しそうな笑顔など一つも浮かべることなく、くだらないことでもいいから、いつでもおかしそうに楽しそうに笑っていられればいいと思う。
 そうさせるには、どうしたらいいだろう。
 雛太はぼんやりと考えていて、ボールペンを飲み込むような必殺のギャグをいくつも作らなければと思った。
 それと、信じてもいない多くの神様に、少しだけ彼女が笑っていられますようにと祈ることにした。
 毎年絵馬に書いていた『スロット大当て・進級祈願』にもう一つだけ書くことが増えた。誰にも見せられないけれど。

 ――end


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2254/雪森・雛太(ゆきもり・ひなた)/男性/23/大学生】

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■         ライター通信          ■
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雪森・雛太さま

毎度どうも! 「行く先はいずこへか」にご参加ありがとうございます。
ライターの文ふやかです。
少し長めにと思ったのですが、あまり長くならず。(中篇には向いていないのです)ただ、いつもよりは丁寧に書いたつもりです。
少しでもお気に召していただければ、幸いです。

 ご意見、ご感想お気軽にお待ちしています。
 
 文ふやか