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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


聖家族



オープニング


小さな掌が、大事にくるんでいたたくさんの小銭達を机の上にそっと置いて、不安げに揺れる目で見上げられながら「足りませんか?」と聞かれた瞬間、零は耐えきれず目頭をハンカチで抑えた。
「おこづかいと、お年玉の残りと、あと、お手伝いした時にもらったお駄賃も一緒に持って来たんです」
武彦は小さな依頼人に、いつもの少し憮然とした顔つきで「足りないね」とにべもなく答える。
「大体、ウチは興信所であって、医者ではない。 無理だね」
冷たい言葉。
その言葉に、武彦の前に座る、坊主頭の子供の目からポタポタと涙が零れ落ちた。
「お…お、お願いします。 ば……ばぁちゃん…ずっと、俺の事、一人で育ててくれたから……、俺…どうしたら……いいか…」
そのまま、グシグシと泣き崩れる姿に、零は手を伸ばし、その小さな頭を胸に抱え込む。
「そうよね。 お婆ちゃんいなくなったら、独りぼっちになっちゃうものね……」
依頼に来たこの子の名前は、健司。
まだ、小学生だという。
両親が早くに死に別れ、祖母の手によって育てられたそうだ。
だが、その祖母も、かなりの高齢でこの夏、とうとう倒れてしまったらしい。
その間、健司は一人で家の中の事を切り盛りし、祖母の世話をし、学校にも通った。
だが、そんな健司の懸命な看病にも関わらず、医者の話では、祖母はこの夏一杯の命と考えた方が良いらしい。
「お、お婆ちゃんの事助けて下さい…。 何でもします。 お、俺、何でも…何でもします…」
彼は、この興信所が、不思議な事件ばかりを解決してきているという噂を聞き、藁をも掴む思いで尋ねてきた。
「お婆ちゃんの命…助けて下さい」
しかし、武彦は首を振り、諭すような調子で言う。
「決められた命の長さを、人の手では左右できない。 例え出来てもしてはならない。 お前の婆ちゃんは、立派に生きて、やっとお役ご免の時がきたんだ。 お前は、今、婆ちゃんが生きてる内に、もう一人で立派に生きてけるって見せて、安心してあの世へ行かせてやらなきゃ駄目だ。 有りもしない、命を永らえる方法を探すより、そっちの方がずっと大事なんだ」
武彦の言葉に、健司は首をブンブンと振る。
「ひ……一人で、なんて、無理です。 だって、だって、俺、ずっと婆ちゃんと一緒に……一緒に……」
そんな健司を見て、零は、沈痛な面もちで口を開く。
「一人でなんて、無理よね。 一人は、寂しいものね。 でもね、兄さんの言う通り、無理なの。 お婆ちゃんを助ける事はね、どうしても無理なの」
その言葉に、零と武彦、交互に視線を送った健司は、「う……うぅ…」と嗚咽を漏らしながら立ち上がり「分かったよ! もう、頼まないよ!」と叫ぶと興信所から走り出ていった。
零は、その背中に「あ!」と声を掛けて手を伸ばす。
そして項垂れると、「…どうしよう」と呟いた。
そんな零に、見透かすような視線を送りながら武彦は口を開く。
「あーあー、困ったなぁ」
「え?」
驚いたように顔を上げる零。
「あいつ、金置いてっちゃったな」
そう言いながら、ヒラヒラと一枚の紙を見せる。
「これ、健司が書いてくれた連絡先と住所。 んで、忘れ物の金」
「……え?」
「届けてくれるか?」
そう首を傾げられて、零は勢い良く頷く。
すると武彦は、少し笑って、「ホイ」と紙を渡してきた。
健司の家は、下町にある、古く、今にも倒れそうな姿をしていた。
零が、そっと中を覗き込めば、開け放した畳の部屋は、荒れ放題の様相を呈している。
どれ程頑張ろうとも、小学生一人では手入れが怠ってしまうに違いない。
祖母の世話だって、大変な筈だ。
ご飯はどうしているのだろう?
そう考え出すと、もう、駄目だった。
零は、トントンとドアをノックしながら決意する。
「お節介だって言われようと、私、この一夏、この家の家事を手伝ってあげよう」と。





本編



アジアの夏は暑い。
湿度が高く、肌はべとつくし、汗がなかなかひいてくれない。


幇禍は、そう、心の中で文句を言っていたが、冷静になれば、スーツ姿で炎天下に立っていれば、どの国でだって暑いという事に気付けていただろう。



だが、魏幇禍。
27歳にして、初恋に翻弄される青年は今、思い人を庭の植え込みの影から見守るという、いつの時代だよ?っていうか、通報されるよ?的愛情表現に勤しむ事に懸命で、自分が如何にこの季節にそぐわない行為に励んでいるかには気付いていなかった。


事の起こりは、鵺から、ある相談を受けた事から始まる。



「あのね、健ちゃん、なんか今、大変みたいー」
TV画面に二人、真剣に向かい合いながら、それでも鵺は飄々とした声音で告げた。
「健ちゃんって……学校サボッてよく行く駄菓子屋で会う子ですか?」
その名を何度か雑談にて聞いた事のある幇禍は、首を傾げながら問い返した。
「うん。 川商で会う子。 なんか、パパもママもいなくて、お婆ちゃんと二人暮らししてたんだけど、そのお婆ちゃんも倒れちゃって、死んじゃいそーで、超ピンチなんだって」
そこまで言って「エイ! 必殺、スパイラル・アタック〜」と言いながら、手に握っているコントローラーのボタンを素早く押す。
TV画面の中で、レオタード姿の女の子が、筋骨隆々の巨漢に激しくキックを喰らわせた。
「うあ! 待って、待って、待って!」の幇禍の声も虚しく、巨漢が後方に吹っ飛び画面に「KO」の文字が浮かび上がる。
「やったー! 四戦全勝!」と喜ぶ鵺に「お嬢さん強すぎ」と呻く幇禍。
買ったばかりだという、格闘ゲームの対戦相手を勤めながら、幇禍は「で? どうしたいんです?」と問い掛けた。
「んー?」
次のキャラクターを選びながら、鵺が短く問い返してくる。
「そういう事を言ってくるって事は、何か考えがあるんでしょ?」
幇禍の言葉に「うん。 なんか、あのね、そんで、なんでか健ちゃんのトコに、おやびんの興信所で話を聞いた人達が、何人かお手伝いに行ってるみたいで…」と、鵺が言いかけた時だった。
「是非、是非是非、俺達でお手伝いすべきです!」
いきなりトップスピードで走り出す車の如く、幇禍が言い、コントローラーを放り出すと、鵺の手を握る。
「…あー、えーと、そう? いいかな?」
そんな幇禍にちょっとヒいたように、後ずさりする鵺だったが、幇禍はそんな様子には気付かず、何度も何度も頷く。
「当然です! 人として当然です! 俺も、身を粉にして働きますよー☆」と、妙な張り切りを見せる幇禍の背後には積み上げられた、通販で大量買いした古い人情映画のリバイバルDVDBOXが燦然と輝いており、鵺が内心項垂れると(うあー。 超影響受けてるよ。 分かり易ー)と項垂れた事など、幇禍は全く気付きもしなかった。



で、何故、幇禍がその、健司の家の庭に潜んでいるかというと、その後あっさり、「幇禍君、来るとなんか騒動起きてめんどくさいから今回は別行動ね!」と、かなり酷い事を言われたからだったりする。
しかし、別行動ね、と言われてそのまま、鵺から目を離せる幇禍ではなく、今もこうやって健司の家で頑張る(?)鵺の姿を見守りに来ているのだった。


「じゃ、行ってきまーす!」


鵺が健司と連れだって家を出ていく。
暁水命という、鵺と同じく毎日泊まり込み、志之と健司の世話に励んでいる清き美少女が、鵺に夕食の材料を買いに行くよう頼んだのだ。
「フフフ…フ…」
ついに自分の出番が来たとばかりに立ち上がる幇禍。
「あ、おはようございます」
もうすっかり、庭での顔見知りとなった、落ち着いた物腰が素敵なシオン・レ・ハイに挨拶され、植え込みから這い出しながら「おはようございます!」と挨拶を返すっていうか、変だよ、この光景。
幇禍は、そのまま家の中に入ると、内部構造は既に掴んでいたので、迷うことなく台所へと向かった。




台所にて、予め持ち込んであった材料をつかって、得意の中華料理を作り始める。
頑張っている皆のっていうか、正直、鵺の役に立ちたくて、他のジャンルはともかく、これだけは誰にも負けないと自信を持てる中華料理を、振る舞ってあげたかった。
重たい中華鍋を(これも、幇禍持ち込み)軽々と片手で振るう。
中で踊っているのは炒飯で、仕上げにレタスをいれて、パラッパラのレタス炒飯を作るつもりだった。
調理に夢中になる禍の耳に「あの…どちらさまでしょうか?」という、女性の声が入った。
目を向ければ、水命が立っている。
幇禍は、鵺がこの家に手伝いの為に泊まり込むと知った日に、即効どういうメンバーが来ているのか調べ尽くしてあったので、水命の事も当然知っていたが、水命は幇禍の事を知らないわけで、鵺を宜しくお願いしますと頼むためにも、自己紹介せねばと、幇禍は考えた。
水命に向けて少し微笑むと、ぺこりと軽く会釈する。
「初めまして。 えーと、暁水命さん…ですよね?」
そう確認すれば、慌てて頷く水命。
「俺は、鵺お嬢さんの家庭教師兼(フフフと嬉しげに笑う)婚約者の魏幇禍と言います」
婚約者という言葉の部分を一際嬉しげに言い、幇禍はニコリと笑った。
そして、「鵺お嬢さんが、お世話になってます」と言えば、水命が慌てて「いえいえ、そんな」と言葉を返す。
「この度は、この家の窮状を聞き、何かお手伝い出来る事はないかと、参上したのですが、諸事情御座いまして、影に徹して、鵺お嬢さんを見守らねばならなくなりましたので、今もこうやって、鵺お嬢さんに会わないように、行動しております」
そこまで言って「よっ!」の掛け声と共に鍋の中身をひっくり返す幇禍。
最後にちぎったレタスを入れ、サッと炒めた後に、机の上に用意してある大皿にあける。
「志之さんには、卵スープと中華粥の方ご用意する予定ですので。 もう少々お待ち下さい」
そう言えば水命が、「有り難う御座います」と、御礼を言い掛け、ハタと動作を止めた。
「あ……あの、幇禍さん…」
「はい」
「どう…して、お昼作って下さっているのですか…?」
そう問われ、幇禍は、卵スープをかき混ぜつつ、「鵺お嬢さんが、お世話になってますし、皆さんお忙しい中、昼食のご用意まで大変そうだと思いましたから…」と言い、そして楽しみ思って微笑む。
「それに、お嬢さんにも、食べて頂きたいですしね」
一体、どんな顔をして、俺の作った料理を食べてくれるのだろう。
ワクワクするような気持ちになる幇禍。
故に一層、料理を作る力も籠もるというものだった。
だが、そう言った瞬間、何故か水命は、俯き、そわそわと落ち着く無くなる。
(何か、悪い事言ったかな?)
内心、そう不思議に思った幇禍に、物凄く言いにくそうに「すいません。 何か、今日、鵺さんはお外で昼食を済まされるみたいで…」と告げた。
瞬間、硬直する幇禍。
「へ?」
そう短く問い返し、何故か、心から「すいません」と詫びられる。
「…食べないんですか? お嬢さん。 お昼」
そう言えば、コクンと頷かれ「は…はは、は…」と、小さな笑い声をあげ、がっくりと項垂れた。
水命が思わずといった感じで「じゃ、お昼、一緒に食べましょう? ね? ね?」と、誘い、明るい声で「わぁ! 炒飯美味しそうv それに、この野菜炒めも、いい匂いですね!」と無理矢理はしゃぐ。
(いい人だなぁ…。 水命さん……)
そう感じつつも、幇禍の落ち込みは止め処もなく深かった。


結局、幇禍はいつ鵺が帰ってくるか分からない事だし「油断大敵ですんで…」と告げて、
家を出る。
その後、家の中の様子を伺うために、再び庭の植え込みに移動する幇禍。
幇禍の潜んでいる植え込みを、刈り込む為にだろう。
大鋏を持った、海月が近付いてきた。
諏訪海月は、銀髪の長髪を一括りにし、いつも頭にタオルを巻いている青年で、とても無愛想だったりする。
だが、心根は良い人らしく、貴重な男手として色んな力仕事を任せられていた。
海月が、植え込みを覗き込み、幇禍の存在に気付く。

思わず目を見交わし、暫しの沈黙が二人の間を満たした。

幇禍は、汗だくになって庭仕事に励んでいたらしい海月に「お疲れ様です」と告げる。
すると海月に「あんたもな」と言い返された。
海月とも、既に何度か庭で、潜みながらではあるが言葉を交わしており、最初に会った日に「俺の事は、庭の木の一部かなんかと思っておいて下さい」と言ってあるので、律儀にも海月はそのまま幇禍を気にしない素振りで、刈り込み始める。
幇禍も、海月の事は気にしないまま、じっと家の中の様子を伺っていた。
海月が唐突に口を開く。
「あんた、料理巧いな。 美味かった。 特に、あの、鶏肉のカシューナッツ炒めが、良かった…」と言われたので、嬉しくなり、「うあ。 有り難う御座います。 じゃ、今度は、天津飯ご馳走しますよ」と答えておいた。
海月が「フッ」と微笑むと「楽しみにしている」と言った。


実は、幇禍、今日は少しばかり、健司の祖母に話がある。
不法侵入者になりたくなかったので、一応彼女には「時々、庭等にお邪魔してます」とは伝えてあったのだが、今日は、それ以外にも話があった。
健司の祖母の名は志之というのだが、志之の死後の事をそろそろ考えねばならないのではないか?と幇禍は考え始めたのだ。
今日、その話をする為に、ここに来る前に立ち寄った興信所で武彦から聞いたのだが、雨柳凪砂という幇禍と同じく、興信所の手伝いを時々している女性が、健司の話を聞いて、武彦に調査依頼をしたらしい。
依頼内容は、健司や志之の、親類関係の調査。
志之や、健司は、血縁関係者はお互いの他はいないと言っているが、本当にそうなのか、もし、いたならば、その人は健司の里親となってくれる人なのかを調査するらしい。
幇禍は、その話を聞いて、同時に、遺産相続等の各種手続きもやり始めねばならない時期ではないかと考えた。
幸いというか、里親探しに関しては鵺の養父の実家が関東極道の首領で、それ以外でも精神病院の院長職に就いているせいか、気持ちが悪いほどに人脈が広く、コネクションを利用させて貰おうかと考えている。
だが、何にしろ、一度、そういう話は志之としておかねばならない。
鵺が、まだ暫く帰ってこないであろう事を確信すると、幇禍は志之の寝室を訪ねた。



志之は、昼食後という事もあるからだろう。
すぅっと静かな寝息をたてて眠っていた。
幇禍は、起こすのが忍びなくなり、少し寝汗をかいていたので、懐からハンカチを取り出して拭ってやると、枕元に置いてあった団扇で顔を扇いでやる。
暫く、そうやっていると「幇禍さん?」と、シュライン・エマが寝所を訪れ、志之を起こさぬよう、静かにそう声を掛けてきた。
相変わらず、知的な美貌の持ち主だ。
エマの後ろには、日本美人な女性が立っている。
武彦から、特徴を聞いていたので、確信した。
彼女が雨柳凪砂だ。
二人に対し軽く頭を下げる。
「初めまして」
凪砂に言えば、凪砂も、慌てて頭を下げながら「初めまして」と答えた。
「あ、あの、私…」
「雨柳凪砂さん…ですよね? 草間から聞いてます。 健司君のご家族に関しての調査依頼をなされたそうで。 俺は、魏幇禍という者です。 また、後で会うと思うんですけど、銀髪の、ちょっとここ最近では見た事もない位っていうか、ぶっちゃけ世界一? うん、世界一でいいよ!って位可愛いお嬢さんの家庭教師兼(フフと、微笑む)婚約者なんですけど…、まぁ、鵺お嬢さんといったらとっても、お茶目な一面も…」
滔々とうっかり、何を話そうとしていたか忘れ、鵺の可愛さについて語り続ける幇禍の目の前にヒラヒラと手をかざし、その台詞を途中で遮るエマ。
「幇禍さん? 幇禍さーん? あのね、今、聞きたいのは、惚気っていうか、鵺ちゃんのお話じゃなくて、そしてお茶目って言い回しはとっても古いな…って事でもなくて、どうして貴方がここに来ているかっって事なんだけど?」
冷静な声音で言われ、ハタと自分の目的を幇禍は思い出す。
「あ! あー、あ、そうでした。 えーと、俺はですね、前から友人だったらしい健司君の話を鵺お嬢さんから聞いてまして、で、お嬢さんが此方の家にお手伝いに来ると言っていましたから、是非! 俺は、是非、そのお供をして、この家のお手伝いをしたいっつうか、ぶっちゃけ、鵺お嬢さんと一緒にいたかったんですけど……」
本音をさらけ出し過ぎながら喋る幇禍の話を、エマは何かに耐えるような難しい表情を見せて聞いてくれる。
「けど……ふふふ…何ででしょうね…。 なんか、『幇禍君、来るとなんか騒動起きてめんどくさいから、今回は別行動ね!』って言われちゃってというか、この台詞の中で、最も注目しどころ、及び俺の心の傷付けどころは『めんどくさい』ってとこなんですけど…、どうですかねぇ? 俺って、面倒臭い男ですかねぇ…」
幇禍の言葉に、凪砂があっさり答えた。
「面倒臭いっていうか…うーん、うっとうしいというのは、あるかもしれませんね!」
朗らかな声でそう言われて、一層落ち込む幇禍に「で、鵺ちゃんと別行動の貴方は、武彦さんに何聞いてきたの?」と、エマに気を取りなすように聞かれ、幇禍は暗い表情のまま顔をあげて「…とにかく、鵺お嬢さんとは別行動ながらも、色々気になった事があって、草間に話を聞きに行ったんです。 志之さんが亡くなってからの、親権の事とかね」
幇禍がそこまで言うと、凪砂も頷いた。
「私も、それが気になって…。 志之さんが亡くなられた後、どなたが健司君の面倒を見るのかとか、考え出すと、不安になって、草間さんに調査依頼をしたんです。 本当に、ご親族の方がいらっしゃらないのかという事をですけどね」
「調査依頼……?」
不思議そうに問い返すエマ。
確かに、アカの他人のために身銭を切って調査依頼をするなんて、凪砂という女性は、よっぽど今回の件に入れ込んでいると考えられる。
「だって、ご費用とか、掛かりますし、草間さんにただ働きをさせる訳にもいきませんから…」
そう答える凪砂に、エマが「それは、どうも有り難う御座います」と興信所職員の立場からの御礼を述べた。
そして、エマが「でも、まぁ、確かに、健司君の将来の事も、考えていかないと…」と呟くと、「あんた達に、そんな心配して貰わなくとも、大丈夫だよ」と、突如志之がはっきりとした声で告げる。
「っ! 志之さん?」
皆が目を見開き、志之に目を向ければ、ぱちりと目を見開き、寝たまま此方に視線を向けてくる。
「健司にはね、あたしが死んだら降りる筈の保険金と、この家、それに少々の貯金があるんだ。 まぁ、遺産税し払っちまったら、保険金やらなんざ、殆ど残らないだろうが、そん時は、この家を売ればいいさ」
そう言う志之。
志之は気にしていないようだが、幇禍は、病人の枕元で、その病人の「死」を前提に語り合っていたという、自分の不謹慎さと、不用意さに顔を伏せる。
同じ様な気持ちなのだろう。
エマと、凪砂もきまずげな顔を見せていた。
「…うるさくして、起こしちゃったね」
エマがそう言えば、「ふん」と鼻を鳴らし「あたしの事は気にせず、喋っておくれ。 何にしたって、いつかは決めにゃならん問題達だ。 しかも、あたしには、そう時間がない」と、何でもないことのように言う。
志之の言葉に、幇禍は(確かに、避けては通れない話題だし)と考え、志之の言葉通り、それ程気負いのない調子で尋ねた。
「家売るって、アテはあるんですか?」
「ああ。 まぁ、こんな家でも、一応は都内だからね。 広さだけはあるし、欲しいっつう人もいるんだ」
そう言われて、「健司君にとっては、志之さんとの思い出の家だろうにな」と、少し寂しく思う。
幇禍がしみじみしていると、凪砂が志之にようやく挨拶する声が聞こえてきた。
「あの、初めまして。 雨柳凪砂といいます」
「はいな。 私は、立花志之。 あんたも、興信所さんに聞いて、手伝いに来てくれたのかい?」
志之が、そう問えば、凪砂はコクリと頷き、それからはっきりとした声で言葉を続けた。
「はい。 あと、お節介かとは思いましたが、志之さんが受けられる保険や福祉に関して、ちょっと調べたいと思い、お話を伺いたいと考えております。」
「調べる? そりゃ、また、大層な……あたしゃ、難しい話、苦手だよ」
「いえ。 ちょっと、幾つかのご質問に答えて頂くだけです。 あとは、雨柳家の顧問弁護士に調べて貰いますから…」
やはり、お嬢様か…と、思わず拍手したくなるような台詞をかましつつも、凪砂にとっては、とりたてて強調するような事ではないのだろう。
「それに、入院費用に関しても、ケースワーカーさんに相談して控除出来るものは、控除して貰わなきゃだし……」
と、あっさり次の話題へと移行する。
凪砂の言葉に、エマが、「そうね。 志之さんが、現在自宅療養をしていたとしても、その前に支払っている入院費用については、きちんと手続きをすれば、ある程度返還を求める事が出来る筈よ。 それに、お婆ちゃんが、健司君に遺産を残す為の法的な手続きだったら、私の知人に頼れない事もないし……」と、そこまでのやり取りを眺め、「ハイ」と幇禍は手をあげた。
そういう面倒な物事こそ、自分の領分だ。
「そういう遺産相続等の、面倒な手続きは、俺に任せて貰えませんか?」
旦那様のお手伝いで、色々理解してますし……と言えば、「じゃあ…」と頷いてくれるエマ。
「志之さん? 良いかな。 他人の私達が、あれこれ手や口出して」
そう聞けば「構わないよ。 健司の為になる事ならね。 それに、難しい話を他の人が面倒見てくれるっていうなら、願ったりかなったりさ」と志之が答え、微かに幇禍に頭を下げた。
「…どうぞ、宜しくお願いします」
志之の言葉に、幇禍は神妙な表情で答える。
「任せて下さい。 俺に出来る限りの事は、させて貰います」
そう答えながら、幇禍は一瞬、胸の奥にツクリと痛むような疑問を感じてしまった。
得体のしれない不安感に苛まれ、フト視線をエマに向ける。
日頃興信所で、テキパキと動き、色んな人達の相談に乗っているエマならば、自分の感じた疑問に答えを出してくれるかも知れないと思い、ツイと立ち上がると、幇禍はエマを手招きした。
凪砂は、志之と保険や福祉に関する質問をし始めているらしい。
エマが、不思議そうに幇禍を見上げた後、立ち上がり、呼ばれるままについてきてくれる。


「何?」
広い屋敷の、玄関近く。
騒がしい蝉の声を聞きながら腕を組み、エマが幇禍に尋ねた。
「相談ごと?」
そう首を傾げられ、何と言って良いのか分からず、幇禍は少し困ったように眉を下げて答えた。
「ちょっと、相談っていうか…聞いて欲しいんですけど、良いですか?」
幇禍が問いかければ、「勿論」という風に頷いてくれるエマ。
壁に背中を凭れさせ、聞く体制を整える。
幇禍は、迷いながらも漸く口を開いた。
「今回、健司君にはお嬢さんの友達って事で、俺、出来る限りの事はしようって、マジで考えてて…」
「うん」
「で……、こんな状況に陥っているのに、何の手助けもしなかった親戚連中なんか信用出来ないって考えて…」
「うん」
「勝手ながら、里親探しを、旦那様の有り得ないっていうか、気色悪い位広がっちゃってる交友関係からあたって、健司君の里親に相応しい人を捜そうと考えていて…」
「うん」
エマは、そこまで頷いて「で?」と見上げれば、困った表情のまま幇禍は、どう思います?と問うた。
「ん? 何が?」
エマが問い返してくるので、「さっき、エマさんが『他人の私達が、あれこれ手や口出して』て言った時に、そういやそうだなって…。 俺、色々勝手に盛り上がってないかなって…」と、幇禍は答える。
そうなのだ。
先程の話の中で、今回、余りにも、幇禍は自分勝手に物事を決めて行動を推し薦めようとしていないか?と、自分で自分に疑問を抱いてしまったのだ。
エマは、少し頭を掻き、それからまた腕を組むと、幇禍の顔を見上げた。
「つまり、自分のやってる事は、独りよがりの行動じゃないかって、不安になった訳ね?」
エマに問われて幇禍は、コクリと頷く。
エマが、困ったように頭を掻きつつ口を開いた。
「…それ、言ったらさ……私達がさ、今この家でやってる事って、ぜぇぇんぶ、勝手に盛り上がってやってる事だよね?」
エマの言葉に、幇禍は、言葉無く立つ。
「ご飯のお世話も、掃除も、修繕も、何もかも、皆が、自分で考えて、自分で行動している。 これってさ、ぜーんぶ、独りよがりの行動って事になっちゃうよね?」
幇禍は、静かにエマを見下ろし続けた。
「でも……さ、私は信じてるのよね。 今、私達がやってる事は、志之さんの為にも健司君の為にもなってるって。 凪砂ちゃんが、自腹切ってまで武彦さんに依頼したり、鵺ちゃんが健司君元気付ける為にお手伝い兼遊びに来てくれたり、他にも色んな人達が泊まり込みで志之さんの介護したり、家事やったり、色々…ね? そういうのってさ、優しい事だと思うの。 凄く優しい事。 所詮、人は自己満足のためにしか、動けない生き物なのだから、誰かの為にと思って動く自己満足の行動は、本当に誰かの為になっていると自分が信じれれば良いの。 間違っていたら、こんだけ人がいるんだもの。 誰かが正してくれるわよ。 幇禍さんがさ、心から健司君の為に動いていると思えるのならそれで良いじゃない、ね?」
そう笑うと、「さ! 煮っ転がしの続き作らなきゃ!」と、エマが踵を返す。
何だか、年下なのに、励まされてしまった自分を、少し恥ずかしく思い、立ち去るエマの後ろ姿に、幇禍は声を掛けた。
「エマさん」
「んー?」
「草間の野郎は、幸せモンですね」
エマは、クルンと振り返り胸を張って「まぁね!」と答える。
そして、笑顔を浮かべると、パタパタと、夕食のいい匂いが漂い始めた台所へと急いでいった。


さて、今日も一日、無事鵺の姿を見守って、健司の家からの帰り道。
今回の調査を自分にも手伝わせてくれと武彦に頼みに興信所へ向かう。
凪砂も、武彦に話があるらしいし、また、エマは毎日、健司の家の手伝いをした後は、興信所に寄っていっているらしく、三人で一緒に向かう事になった。
「毎日ね、報告に行っているのよ? なんだかんだ言って健司君の事、気になってるみたいだから」
そのエマの言葉に、凪砂も、幇禍も声を揃えて「「素直じゃないですね」」と言い、笑う。
「草間は、自分で見にいきゃあ、いいのに」
「でも、そういう所が、らしいのかも」
「ていうかね、面倒臭いのよ。 色々ね」
三人そう語り合っている最中に、武彦が興信所で、小さなくしゃみをした事は、このお喋りと関係あるかどうかは、分からない。


エマが、ソファーに腰掛け、嬉しげに今日一日の出来事を報告している。
「今日はね、蛸飯と茶碗蒸し、それにキュウリの酢の物をご馳走になったの」
「ふーん…」
机前の椅子にふんぞり返って座り、気のない返事を返す武彦。
「物凄く美味しくってね、茶碗蒸しがとろけるみたいで、私、特別のレシピ教わったからまた作ってあげるね。 それでね、健司君ったら、ご飯三杯もお代わりしてね、志之さんには、茶粥と私のお手製の煮っ転がしを持っていってお世話したんだけど、それも、残さず平らげて下さったのよ」
「へぇ…」
「健司君ってば最初の頃は、態度固かったのに、鵺ちゃんやシオンさん達のおかげね。 すっかり、子供らしい表情を取り戻して…」 
「ほぉ……」
爪の辺りを弄りながら、グルグルと座っている椅子を左右に回す武彦。
バレバレな程に、気になっている自分を必死になって隠しているのが分かって楽しい。
幇禍は必死に「くくく」と笑いを堪えた。
「志之さんもね、最初、遠慮してたっぽいんだけど、今じゃぁ、すっかり、コキ使ってくるのよ? 私ってば最早、立花家内部に関しては、知らぬ事はないわね。 隅から、隅まで掃除させて貰いましたから 」
「それは、それは……」
「…武彦さんは、来ないの? 零ちゃんも、頑張ってるわよ?」
「俺はね、ただ働きはしないの。 それに、凪砂から頼まれた仕事もあるしな」
武彦の言葉に、凪砂が座っていたソファーから身を乗り出した。
「で? どんな感じです。 健司君の、御親類など、本当にいらっしゃらないのでしょうか?」
武彦が、呆れたように首を振る。
「お前ね、今日依頼貰ってすぐには分かんねぇよ。 もうちょっと、時間をくれ」
その答えに不満げに口を尖らせる凪砂。
次いで幇禍は、「あ、それに関しては、ちょっと俺も話がある」と、ひらひらと気のない様子で手をあげた。
「その、親類捜しっていうか、まぁ、健司君が志之さん死後、どなたに面倒みて貰うかっていう調査に一枚噛ませてくれ。 金は別にいい。 個人的に、鵺お嬢さんが仲良くしてる子の話だから、手助けしたい」
幇禍の言葉に、目を剥く武彦。
「お前が、人助けとは、恐れ入るぜ。 真夏に雪でも降んじゃねぇか?」
物凄く失礼な事を言われた気がするが、最早気にならなくなっている。
「ははは、武彦君。 俺が、いつまでもそのような極悪非道キャラに甘んじる人間だと思うなよっていうか、それ位の血と涙と慈悲はある!」
力強く、答える幇禍の気を削ぐように、凪砂が「そういえば…」と問い掛けてきた。
「あの、『下町人情トラック野郎外伝〜ガキ連れ旅情旅〜』は面白かったですか?」
(え? 凪砂さん、何で知ってるの?)
そう驚きつつも、思わずブンブンと頷いてしまう幇禍。
「やぁ、もう、泣けるんですよ! マジで。 見た方が良い。 日本人なら見た方が良い! 山田和次監督最高! 『下町人情トラック野郎〜第三章〜 小町娘恋慕』も絶対見ます!」
そう感極まったように言えば、幇禍の様子を見て、全てを悟ったらしい興信所内の人間達が、何とも言えない視線で眺めてくる。
凪砂が遠い目をして「鵺さんに聞いたんですよ。 何か、幇禍さんが、今、下町人情映画にはまってて、実は健司君の家にお手伝いに行こうって最初提案したのも、幇禍さんだそうですよ」と、小さく呟く。
しかし、そんな言葉は耳に入らない幇禍は、「でね、主人公の寅介がね、その子供の母親を探す為にね…!」と、力説し続けた。
その後、一足先に凪砂と、エマは帰宅し、幇禍は武彦と、これからの相談をまとめる。
とりあえず、お互いが、お互いの方法で、健司の里親となりそうな人間を捜そうと、方針を定めた。


それから、数日間。
幇禍は、健司の家に通いつつも、遺産相続のための手続きや、同時に里親探しを進めていった。
だが、凪砂が言っていた血縁関係からの捜索は望み薄で、やはり志之の言うとおり、健司は志之以外には全く身寄りのない存在らしかった。
困り果て、鵺の養父にも相談しつつ、調査を続ける幇禍に、ある日、鵺の養父から連絡が入った。
鵺の養父は、幇禍から話を聞き、直ちに各所方面に呼びかけてくれたらしい。
その中で、鵺の養父が前々から昵懇にしていた出版社に勤める社員が、自分の担当している作家が、どうも志之の事を知っていて、その社員に話を聞いてから、連絡を取りたがっているらしいと伝えてくれた。
すぐに、その作家の自宅へと向かう幇禍。
作家の名は、新庄と言った。


ある高層マンションの一室に、新庄は住んでいた。
オートロックのキーになっていてマンションの玄関口で、新庄に入り口を開けて貰う。
(へー、流石作家。 結構儲けてる人なんだ)
と、そんな想像をしつつ新庄の部屋へと向かう。
新庄は、小太り君の、少し禿かけた、柔和な優しい雰囲気の男性だった。
「スイマセン。 わざわざお越し頂いて」
そう言われて、幇禍は首を振り、「いえ、こちらこそ、急にお訪ねしたいだなんて言って、申し訳ありませんでした」と答える。
そして、薦められたソファーに腰を下ろすと「で、志之さんとお知り合いという事ですが、一体どういうお知り合いなのでしょうか? そして、どのようなご用件で俺達と連絡を取られたのでしょうか?」と幇禍は訪ねる。
すると、新庄は切羽詰まったような、切実な声で「大体のご事情は知っています。 幇禍さんは、健司君の里親になる人を捜しているんですよね?」と言い、いきなり深々と頭を下げた。
「お願いします! 健司君を、私に引き取らせて下さい!」


それから数日後。
その日は、午後から新庄が武彦の興信所を訪れる約束になっていた。
まず、興信所に行って貰うのは、自分が今やっている事は、あくまで凪砂が武彦に対して行った調査依頼の手伝いであるわけだから、真っ先に依頼主への報告が必要だろうと考えたからだった。
午前中、いつも通り、鵺を見守る幇禍。
今日は、皆が釣りに出掛けており、しかも水命も連日の疲れが祟って、休憩を貰っているらしい。
鵺と犬猿の仲の男装の麗人、蒼王・翼が手伝いに来ており、喧嘩をしつつも二人で家の仕事をこなしている。
洗濯物を畳み、掃除をしている鵺の姿を見て、思わず目頭が歩くなった。
(うぅ…ご立派になられて…)
まぁ、27歳にもなって植え込みに潜み、中学一年生の少女をじっと眺め続けている、今の幇禍の姿に比べれば、誰でもそりゃあ立派だろうと思われるが、それにしたって、あんな風に一生懸命に働く鵺を見るのは初めてで「やっぱり、やれば出来る子なんだ」と教師らしい喜びを覚える。
まぁ、やれば出来る子といったって、見ている限りじゃたくさんの失敗を繰り返しているのだが、そんな事はアウト・オブ・眼中で幇禍は鵺にエールを贈り続けていた。
そして、今日こそはと意気込んで、台所に忍び込み、幇禍は中華料理を作り上げた。
あの様子じゃ、昼食を作るのは大変そうだし、少しでも助けになるかもしれない。
天津飯に八宝菜、それに中華スープと志之の為に柔らかな中華そばを作る。
餃子や肉饅・月餅等皆でつまめる点心もこっそり作り冷蔵庫に入れて置いた。


その後、新庄を迎えに行くため幇禍は健司の家を後にする。
新庄と、興信所を訪ね、連絡を入れると凪砂は、慌てて興信所を訪れてくれた。
新庄を紹介し、これまでの経緯話す。
そして、新庄を志之に『再会』させる為に、健司の家を凪砂を含む三人で再び健司の家を訪ねた。


健司の家の入り口で、三人並んで立つ。
「えーと、じゃあ、とりあえず、潜みましょう!」
朗らかにそんな提案を新庄にする幇禍に、目を剥く二人。
「へ? 潜む…?」
「えーと、何でですか?」
二人で口々に問い掛けられ、(分かってないなぁ)と心中で呟くと、チッチッチッチと舌を鳴らし、指を振る幇禍。
「新庄さんはともかく、凪砂さんは忘れちゃったんですか? 俺、鵺お嬢さんの命令で、別行動任務なんです。 っていう事で、直接会うのは不味いんですよ。 だから、一旦、志之さんの寝所に面した庭に潜んで様子を伺い、お嬢さんの姿がない事を確認してから、お邪魔しようかと…」
そこまで言った所で、冷静に「や、だったら、幇禍さんだけ、頑張って潜んで、新庄さんは別に正面から挨拶で良いのでは?」と、突っ込む凪砂。
しかし、再びチッチッチと、幇禍は指振り攻撃をかまして言った。
「新庄さんだって、健司君の前で、いきなり里親になる予定だの、あのご事情等、喋れはしないじゃないですか。 だから、一緒に志之さんの部屋伺って、健司君の姿がなくなった事を確認してから、お部屋を訪ねた方が良いと思うんですよ。 最初の内は、ほら、何も知らせず一緒に生活するって予定なんだし…」
そう。
幇禍は、健司には新庄のことを、ただの父親の昔の友人として紹介する方が良いと思っていた。
初めから、里親になるかも知れない人だの、 なんだの伝えれば、いらぬ反発を招きかねないからだ。
新庄は真剣な顔で、幇禍の提案に頷くと「分かりました。 俺、潜みます!」と、訳の分からない宣言をしてくれた。



と、いう訳で、志之の部屋の前の庭に潜む二人。
いつもの植え込みに隠れて内部の様子を伺う。
新庄は、うっかりこの状況にワクワクしちゃっているらしい。
「なんか、探偵になった気分です」
と楽しげに告げたが「探偵でも、人ん家の庭にはそうそう潜まないだろう…」と幇禍は、心の中で突っ込んだ。
部屋の中では、健司が志之に何か報告している。
多分今日行ってきた釣りの話だろう。
健司の話に、皆がニコニコと目を細めている時だった。
突如、志之の寝所の襖が開けられ、鵺が満面の笑みで部屋に飛び込んできた。
(あv お嬢さんだ!)
そう喜んだのも束の間。
いきなり鵺が健司の首っ玉にかじり付いた。
ぎゅうと、人形でも扱うように抱き締めて、何事かを言っている。
「んな!」
思わず、大声で叫んでしまう幇禍。
新庄が「駄目ですよ! 幇禍さん!」と真剣な表情で、幇禍の袖を引いてきた。
分かっている。
今、ばれたら絶対、鵺に叱られる。
しかし、しかし、婚約者が、心から惚れ込んでいる婚約者が、別の男に抱きついている姿を目の当たりにしてしまったのだ。
これが叫ばずにいられるようが、否、いられまい。(反語)
と、いう事で早速頭の中で(お嬢さんの宿題量三割増し決定)と理不尽極まりない決断を下すと、鵺が部屋を出るのを見て、そろそろかな?と幇禍が頃合いを見計らい始めた時だった。
健司が、翼に「あの、お、俺の釣った三匹の魚のうち、一匹は婆ちゃんに、で、もう一匹は、ぬ、鵺に食べさせてやって下さい」と、顔を真っ赤にして、紛れもなく恋しちゃってる☆ボーイの熱に浮かされた声で言うのが聞こえてきた。
思わず固まる幇禍。
新庄が不思議そうにそんな幇禍の顔を覗き込んでくる。
部屋の中では、エマが手を口に当てて「アラアラアラ」と言っていた
「ち、ち、違うんです! あの、鵺と、約束してて、俺が釣った魚食わせてやるって…」顔を真っ赤にして言い訳しているが、健司の鵺への感情は一目瞭然である。
(へー、健司君がねー。 ほぉー)
無表情に、そう心の中で呟く。
だが、押さえきれない対抗心というか、敵愾心が燃え立ってくるのを感じ、子供相手になにムキになっているんだと、そんな自分を幇禍は必死に抑え込んだ。
海月が、「だから、自分の釣った魚と、俺達の釣った魚を別にして持って来たのか…」と言い、シオンが「喜びますよ。 鵺ちゃん。 それに、志之さんも…ね?」と志之に視線を向けている。
志之は、ニッと笑って、健司の頭に手を伸ばす。
「ま、あたしは、鵺のおまけだろうけどね、有り難くご相伴に預かろうかねぇ」
そういってグリグリと撫でてくるのを「おまけじゃないよ。 婆ちゃんに、食って欲しいんだ」と答えつつも、照れたように目を伏せた健司を見て翼が明るく笑うと「了解。 じゃ、台所に一緒に来てくれるかな? どれが、君の釣った魚か教えて欲しいからね?」と言い、いずみも「私、お手伝いさせて下さい」と言いながら立ち上がる。

健司が完全に立ち去るのを確かめてから、幇禍は新庄の腕を引き、「そろそろ行きましょうか?」と告げた。
表面上は静かだが、腹の中では醜い嫉妬心の他に、ここの所ずーっと、鵺と会話できていないからか、不安感まで渦巻き始め、どうしようもない状態に陥っていた。
だから、志之の寝所の襖から漏れ聞こえてくるシオンの健司に対する「じゃ、応援してあげないと…」という言葉を聞いた瞬間、襖を開けながら思わず本気の声で「その応援は命懸けで…と、いう事にりますよ?」と、耳元で囁いてしまう。
その底冷えのするような声音に、思わず硬直する一同。
志之だけが動じた様子無く「あれ。 来てたのかい? いらっしゃい」と声を掛け、その言葉に「お邪魔します」と幇禍は頭を下げた。
エマが「幇禍さん。 幇禍さーん?」と、慌てて幇禍の名を呼んでくるが、幇禍は何処かイちゃった目で「そうか、あの懐き方は、恋心だったのか。 まぁ、お嬢さんは素敵だからしょうがないけど……あははは、 ライバル出現だなぁ。 どうしてくれようか…」と、ブツブツと呟き続ける。
その背後の気配に怯え「で、でで、でも、ほら、健司君くらいの年の子って、年上の奇麗なお姉さんに憧れるもんですし…」と、シオンがとりなせば、志之があっさり「いやいや、あたしも、健司位の時が初恋だったよ。 それが、後のあたしのじいさん。 ま、大概マセガキだとは思うけど、そうかい。 健司もかい…。 血だねぇ。 健司の、父親も、随分早くに、幼なじみだった子と結婚したしねぇ…」と、告げてきた。
(あはははははー。 やばいな。 それは、とってもやばいな。 今の内に、消しておくべきだろうか?)
そう真剣に考え始める幇禍。
尚一層暗くなる幇禍の空気にエマが、「まま、ままぁ、ね! ね? 幇禍君、子供相手なんだから、そんな気にしないで…」と励まそうとして、そのまま幇禍の背後に目を向け、少し驚いたように目を見開いた。
(あ! 新庄さん!)
素で幇禍は新庄の存在を忘れていた。
案の定、「あら? えーと、どなた様…」と、戸惑ったようにエマがそこまで言いかけている。
新庄は、もう、幇禍が紹介してくれるのを待っていられないと思ったのだろう。
室内に足を踏み入れ志之にぺこりと頭を下げた。
「ご無沙汰してます」
志之は、男を見つめたまま、わなわなと震え、それから「………新庄さん」と呟いたっきり、俯いた。
硬い表情で志之の前に座り新庄が口を開く。
「…どうして、ご連絡下さらなかったのです」
押し殺したような声で言われ、志之は弱ったように目を伏せた。
「俺、言いましたよね。 何かあったら、絶対連絡下さいって。 俺…、俺……、幇禍さんに志之さんが倒れたって聞かされて、どれだけ……っ!」
新庄は、堪えるようにクッと唇を噛み、それから志之の側に膝をつくとそっと手を伸ばして、その手を握り締める。
肉厚の、暖かそうな手の中に、志之のしなびた小さな手が優しく収まった。
「……話、全部聞きました。 お願いです。 俺に、健司君の事、任せて下さい。 絶対、不幸にはさせません。 立派に育ててみせます。 だから、お願いしますっ…。 お願いします」
志之は、呆然としたような表情を見せ、微かに首を振る。
「…どうして? どうして…そんな風に…。 もう、あたしは……」
「違います。 そういう意味で言ってるんじゃない。 俺が、健司君の事を育てたいと思ってるんです。 俺の意志なんです。 親友の子供だって事だけじゃない。 志之さんの孫だからでもない。 そういうのだけじゃなくて……」
そこで言葉に詰まるように、声を途切らせる新庄。
「………家族になりたいんです。 健司君の……そして、貴方の…」
新庄の言葉に、志之は泣き崩れた。 



幇禍達は、一旦新庄と志之を二人きりにすべく部屋を辞し、それから幇禍は全てを説明する為に誰も使っていない一室に集まった。
幇禍は、新庄から聞かされた話の口火を「この話はね、結局はロマンスなんですよ。 それも、泣ける位純粋なね…」という言葉で切った。




「まず、始まりは、凪砂さんが草間に対し、健司君の親族関係や、里親になってくれそうな人の調査・捜索依頼を行った事からでした。 健司君が、志之さんの死後誰に引き取られるかというのは、重大な問題に思われましたし、放ってはおけなかったので、俺もその調査に協力しようと考え、草間の手伝いで、志之さんの死後、健司君の里親となってくれる人を探す事にしました。 幸い、有力なネットワークの持ち主と知り合いにおりましたので、そういうツテも行使しつつ、探したのですが、やはり、健司君には親戚と呼べる人はおらず、志之さん自体、複雑な事情があって、完全に身寄りのない身の上の方でした。 さて、どうしようかと悩み始めた時に、俺の知り合いからある情報を入手したんです。 どうも、健司君や、志之さんの事を、知ってる人がいるらしいと。 その情報先は、ある出版社で、その出版社にお勤めになっていらっしゃる方が、自分の担当先の作家が、もしかすると、その志之さんや、健司君達を知っているのではないかと、俺の知り合いに教えてくれたんです。 俺は、慌てて、その作家さんのお家、つまり新庄さんのお家を訪ねました。 そこで、全ての事情を説明し、里親になる人を捜している事をお伝えしたところ、それならば、是非自分がという事で、本日お越し願えたという訳なのです」
その言葉に水命が、おずおずと幇禍に尋ねてくる。
「あの…それで、一体、新庄さんと、志之さんはどういうお知り合いなんですか?」
幇禍は、一旦唇を舌で湿らせると、再び口を開いた。
「あの新庄さんって方は、健司君の学生時代のお父さんの親友だったそうです。 健司君のお父さんは、随分と親切な好漢だったそうで、新庄さんは昔、大学に通う為に下宿していた家が火事に合ってしまい、殆ど身の回りの物も持ち出せずに焼け出された時に、同じゼミだった健司君のお父さんに助けられ、このお家で卒業までの間、お世話になったと言っていました。 その時、既に志之さんのご主人は他界されていたらしいのですが、志之さんは、男手が増えると新庄さんの事を歓迎し、殆ど家族同然として、三人でこの家で、二年ほどの年月を過ごしたそうです。 新庄さんは、余り家庭的に恵まれてない環境で育ったそうで、余計に、その二年は、大事な思い出となったのでしょう。 だけど、新庄さんは、その二年間で、思い出以上の大事なものを見付けました」
水命は、両手を握り合わせ、大事な言葉を口にするように、そっと囁く。
「それが、志之さんなのですね…」
幇禍は、コクンと頷く。
エマが水命と同じように、ギュッと膝に置いた両手を握り合わせた。
「30歳近く年が離れていますから、始め新庄さんが、志之さんに想いの丈を告げても、取り合っては貰えなかったそうです。 在学中に、公募の文学賞で受賞し、卒業時には、何とか食べていける位まで新庄さんが、作家として独り立ちしても、志之さんは、新庄さんの結婚して欲しいという申し出に、首を縦に振りませんでした。 でも……、どうなんでしょうね…。 本当に嫌な相手ならば、想いを告げられた時点で、この家を出ていかせるでしょう。 志之さんが、新庄さんの事をどう想っていたかなんて、今となっては分かりませんが、それでも、新城君の事を悪しくは考えていなかったんじゃないでしょうか?」
幇禍は、一旦そこで言葉を止め、懐から一枚の写真を取り出す。
そこには、この家の前で並んで立つ、若い頃の志之と、それから健司は父親似なのだなと感じさせる、快活そうな男性、そして今よりも、随分痩せている新城の姿が写っていた。
エマが、如何にもしっかりしてそうな、ひまわりのように力強い笑顔を見せる志之の顔を指先でそっと撫でる。
「これ、新庄さんの大事な写真を焼き増しして貰ったんです。 皆さん、御覧になりたいかと思って…」
幇禍は、そう言って笑う。
「いい写真ですよね……。 新庄さんが、大学を卒業して一旦地元に帰る前に、撮った写真だそうです。 新庄さんが、地元に戻る前の日、再度、志之さんに自分の気持ちを新庄さんは伝えましたが、結局その想いを受け入れず、自分の事は、一時の気の迷いだから、忘れなさい。 もう、私に連絡を寄越してもいけない、と言って聞かせました。 新庄さんは、志之さんのその強い言葉を受け入れながら、それでも、何か困った事があったら、助けが欲しい事があれば、必ず自分を呼ぶようにと伝えて、地元に戻ったそうです」
写真の中の、新城の表情は、笑っていてもどこか憮然としていて、なのに悲しそうで、色々複雑な感情の入り混じっているように見える。


どんな気持ちだったのだろう。
親友の、母親に恋をして、恥も外聞もなく、学生の身で求婚し、その全てを気の迷いと言われて、実家に帰る身というのは、どんな気持ちになるのだろう。
淋しいのだろうか、悲しいのだろうか、憎いのだろうか……。


それでもまだ、愛おしいのだろうか。


「結果を言えば、新庄さんの想いは、一時の気の迷いなどではありませんでした。 志之さんの事が忘れられず、他に女性と付き合っても、どうしようもなかったそうです。 それから、20年近く、結婚する事無く、ずっと、ずっと、ずっと……。 志之さんの事を、想い続けていたのです。 …純愛ですね」
幇禍の言葉に、シオンが、静かに答えた。
「羨ましい位の、純愛ですね」
水命が、ポロポロと泣く。
エマが手を伸ばし、その頭をそっと撫でた。
「どうしたの?」
そう問えば、嗚咽混じりの声で、水命が答える。
「だって……、そんなに、愛した人が、死んでしまうだなんて……。 新庄さん、可哀想……です」
エマが、ぎゅっと水命の肩を抱いて答えた。
「違うわ。 可哀想じゃないわよ。 もう一度会えたんですもの。 会えないまま、お別れするより、ずっと、ずっと、幸せよ」




夕食後、皆で花火をするらしい。
幇禍は「んでは、そろそろ帰ろうかな」と一人呟く。
皆が庭に出てくる前に立ち去らねばならない。
何だか淋しい気もするが、鵺が『幇禍と別行動する』と言った以上、その言葉を守らねばなかった。
膝に力をいれて立ち上がろうとする幇禍の耳に、聞き慣れた軽い足音が聞こえてきた。
硬直する幇禍。
鵺が、こちらにやってきている。
(な?! なんで、バレたんだ?)
混乱する幇禍。
正直、ばれてない筈ないじゃんというツッコミが、喉まで出かかるだろうが、本人は至って真面目である。
鵺が植え込みにむかって「幇禍君。 出ておいでよ。 花火一緒にしよ?」と声を掛けてきた。
ガサガサッと音を立て、幇禍はしょぼくれた表情で立ち上がる。。
「プッ…」と、鵺は吹き出し、「何て顔してんのー?」と言ってきた。
「だって……、お嬢さんが……、別行動って言ったのに……」
そう呟く幇禍に鵺が呆れたように「別行動って言ったって、ずーっと見守ってるんだもん。 しかも、潜んでるのにみんなにばれてるし」と指摘し、そして、「ごめんね。 面倒臭いなんて言って。 幇禍君、健ちゃんの為に一杯頑張ってくれたんだよね。 凪砂さんに聞いたよ」と言いながら、幇禍の胸にこつんと額を押し付けてきた。
いきなりの鵺の行動に、思いっきり動揺する幇禍。
今までどんな悲惨な修羅場でも眉一つ動かさずに人を殺してきたのに、こうなると形無しである。
鵺が「…やっぱさ、一緒にいよ? ね?」と言った。
嬉しくなって「良いんですか?」と問う幇禍。
小さく鵺は頷くと顔を上げ、幇禍が世界一可愛いと絶賛して止まない全開の笑顔で「さ? 行こ?」と告げた。


ヒュルヒュルッと音を立てて、空で咲く、海月が点火してくれている小さめの打ち上げ花火に、鵺は歓声をあげる。
家の奥にあったのを外に引っぱり出した、古い木の机に、切り分けられた西瓜が並んでいた。
と、言っても、物凄い勢いで売れたので、残りはあと僅かだ。
幇禍は、鵺と一緒に、花火を振り回してはしゃぐ。
プロチェリストの卵な初瀬日和は可愛らしい浴衣姿を披露しており、恋人の羽角悠宇と並んで花火をしていた。
縁側には、志之を寝かせて凪砂、エマと水命にシオンと翼、そして新庄が並んで座っている。
幇禍は、鵺が花火を持ったまま走り回りのを眺めながら、「やっぱ、可愛いなぁ」と心の中で絶賛した。


さて、花火後、全員集合の状態になっている現状を見て「銭湯行かない?」と、鵺が明るい声で提案した。
花火の高揚も残っており、解散してしまうのが惜しくなったのだろう。
皆も、帰る気になっていないみたいで、ここで大人同士なら飲みに行く?となるが、未成年の多い状況で、銭湯という提案は我ながら至極素晴らしいと思う。
「いいな、それ」
そう海月が、珍しく賛同の意を表したのも効いて、志之の世話の為に残るというエマと翼を置いて一路銭湯へ向かう事になった。
と、言っても泊まり予定の無い凪砂含むメンバー達は、皆、着替えに女性は志之の、男性は亡くなられた志之の旦那さんの浴衣を借り、タオルや石鹸なども、出して貰う。
鵺も、泊まり込んでいるのにも関わらず浴衣を貸して貰った。
「洗濯物、大変じゃないですか?」
そう、凪砂が問えば、海月と水命が同時に首を振り、「大丈夫」と答える。
「銭湯、銭湯〜v 初体験!」
楽しげに跳ねる鵺を心配して「お嬢さん、ちゃんと、前見て歩かなきゃ、転びます」と、幇禍は注意を促した。
凪砂は、銭湯は初めてらしく、「どんなんでしょうね?」と笑顔で海月に問い掛けて「…そんな、大の大人にワクワクする程の所ではない」と無表情に一刀両断されていた。
しかし、そう言う海月の後ろでは、スキップしそうな勢いで「みんなで、お風呂なんて、楽しみですね!」と健司と一緒になってはしゃぐシオン(42歳)がおり、何ら説得力がない。
健司も、「銭湯、こんな大人数で行くなんて、すごい!」と満面の笑みで、大人びた小学生飛鷹いずみに「こどもね」と冷たく笑われていた。
ま、しかし、そのいずみも、どこか足取りは軽く、幇禍は「下町人情の世界だなぁ…」と意味の分からない感動を感じていた。



「ここが、私のよく行く銭湯です」
そうシオンが告げたのは、古ぼけたコンクーリート作りの、いかにも銭湯っていう感じの建物で、「ゆ」と書かれたピンクと、紺色ののれんが二つの入り口にそれぞれ掛かっている。
「じゃ、あとでね?」
鵺がそう言って、女性用のピンクののれんをくぐり掛け、「ん?」と足を止めた。
そして身を屈めると「ねぇ、健ちゃんって、今小学校何年生だっけ?」と問い掛ける。
健司が、何でそんな事と首を傾げながら「えーと、三年生だけど…」と答えた。
すると鵺が「じゃ、キミ女湯へGOね!」と、とんでもない事を言いながらいきなり、その腕をひっ掴む。
「へ?」
と目を丸くする健司。
しかし、凪砂も「そうよ…ね。 小学生だし良いのよね、 ヨシ、おいで、健司君!」と言い、水命が「頑張ってるんだもん。 背中流してあげますよ」と言えば、初瀬も「じゃ。私は髪洗ってあげます。 だって、考えてみれば一番の功労者だもの」と言う。
突然の展開に目を白黒させる健司を置いて、悠宇が初瀬に「おい! なんで、健司そっち行く事なってんだよ! 馬鹿っ!」と怒鳴った。
幇禍も何とか、馬鹿な事は止めさせようと鵺に縋り付くようにして「止めて下さい〜。 小学生とはいえ、もう、男なんですっていうか、駄目です! お嬢さんの玉のお肌をそんな、異性に晒すわけにはいきません!」と喚く。
(大体、健司君は、お嬢さんの事好きなんですよ?! そんな相手に裸を見せるなんて、危険すぎます! うっかり、後で健司君の記憶を消すために後頭部を殴打してしまいそうです!)
しかし、内心の叫びは勿論届いておらず、鵺が考えを改めようとしなかったので、こうなったらとばかり、幇禍はいずみに視線を向け「やですよね? 同い年の男の子と、お風呂なんて」と聞いた。
だが、いずみは冷笑を浮かべ「別に、健司は、同い年じゃなくて、年下だもの。 子供よ。 それにね、お兄さん達がそうやって小学生相手に取り乱してるのって、格好良くないよ」と見事に一刀両断し、その言葉が決定打となって、健司の意志関係なく、彼は女湯へと引きずられていった。



銭湯は、非常に空いていた。
まるで、貸し切り状態の大きな風呂に気兼ねなく入浴出来る事を喜ぶ余裕無く、幇禍は掛け湯を済ませた後湯船に浸かる。。
「うう…う…うぅぅ」
そして打ちひしがれるように呻きながら幇禍が湯船で膝を抱えた。
洗面所の前では悠宇が「くっそう。 日和の奴。 男に警戒心なさすぎだ!」と怒りを露わにしながら、ゴシゴシと目を覆いたくなるような強さで自分の肌を泡立てたタオルで擦っている。
(お、お嬢さんの馬鹿。 おたんこなす。 アホー。 あと、可愛すぎ! 健司君は、子供の皮を被った狼なのにー)と勝手な事を内心で喚いていた時だった。
「健ちゃん〜? こぉーんな、上玉さん達に、体洗って貰うなんて、幾らつんでも出来ない経験よ? しっかり、心に刻んでおきなね!」
という、鵺の声が、壁の向こう側から聞こえてきた。
思わずお湯の中にブクブクと沈んでしまう幇禍。
(あ? ああ…あ……あ、洗う? 洗うの? えー???)
混乱の極みに沈む他は、そのまま暫く浮上できなくなった。




その後、幇禍も体や頭を洗い、皆と一緒に湯船に浸かって、暫しぼんやりする。
「…疲れが取れる〜〜」とオヤジ臭い事を言うシオンに「…全くだ」と同意を示し、目を閉じる海月。
だが、くつろいでいる男性陣に追い打ちを掛けるように、再び壁向こうの鵺が、凪砂に「…いいな。 凪砂さん、胸大きくて」と言っているのが聞こえてきた。
鵺が続けて「私、まな板みたいじゃん? なぁんか、ヤなんだよね」と言うのが聞こえる。思わずブフッ!と肺の中の空気を吐き出し、幇禍は、目を見開いて「な…なな、なんて事を…」と呟いた。。
「な? 健司だって、胸大きい方がいいよな?」と問うている鵺。
健司が焦ったように「知るか! そんなのっ!」と答えている。
ていうか、有り得ないが、もし、無邪気に鵺みたいな胸が好きなどと答えていたら、この壁をぶち壊して、健司を虐殺してしまいそうだ。
水命も「やっぱ、大きい人がいいですかね?」と、言っていた。
(お、お嬢さん、それ以上、それ以上何も言わないで下さい〜〜)
そう一心に祈る幇禍の隣で顔を真っ赤にした悠宇がザバリと立ち上がると「俺、もうあがる!」と宣言し、幇禍も耐え切れそうにないと判断し、「聞いていられません」と言いつつ風呂場を後にした。


シオン曰わく、欠かせない定番であるらしい、フルーツ牛乳を皆で飲む。
乾いた喉に、冷たいフルーツ牛乳は確かに美味しくて、海月は一気に飲み干した。
その後、浴衣を着るのに四苦八苦している悠宇を手伝う海月を横目で眺めつつ、自分も浴衣を着る。
悠宇が苦労している様子に夏祭りの時に、一度着方を覚えて置いて良かったと心から思った。
皆なかなかの着こなしで、シオンや悠宇もよく似合ってはいるのだが、如何せん丈がたりない。
新庄だけが、泊まり込み予定の為、Tシャツとジャージのズボンで、彼に借りれば良かったかと思いつつも、やはり丈は足りなかったかと諦める。
脛を覗かせつつ、「小柄な方だったんですね、志之さんの旦那さんは」と言うシオンに、悠宇が「や、俺達の図体がでかすぎんだろ」と冷静に答えていた。




それからも幇禍は、鵺にもういいよと言われるにもかかわらず潜む楽しさを覚えてしまい、庭に潜んだり、中華料理をこっそり作っておいたりと暗躍し続けた。
新庄も、健司とはまずまず仲良くやってるみたいで、時折本当の親子のようにさえ見える事もあった。








そんな夏も終わり掛けたある日







志之が死んだ。



唐突な知らせに、驚く幇禍。
鵺を思い、健司を思う。


だが、幇禍は皆のように志之の枕元へ行かなかった。
ただ、ずっと推し薦めていた遺産相続の手続きを完了させ、名義の変更を代理人として役所に提出しに行った。


自分が行って良い場所でない気がしていた。


たくさんの血で己の手を汚してきた自分が、死に逝く志之の前でどんな顔をすれば良いのかさえ見当がつかなかった。




だから、じっと待つ。
鵺の帰りを。





傷付きながら、淋しい思いを味わいながら、それでもいつもの笑顔で帰ってくるだろう鵺をじっと待つ。




心から、おかえりなさいと言ってあげる為に。



 終







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■         登場人物            ■
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 ※受注順に掲載させて頂きました。

【0086/ シュライン・エマ  / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1847/ 雨柳・凪砂 / 女性 / 24歳 / 好事家】
【1572/ 暁・水命  / 女性 / 16歳 / 高校生兼家事手伝い】
【3604/ 諏訪・海月 / 男性 / 20歳 / ハッカーと万屋】
【3524/ 初瀬・日和 / 女性 / 16歳 / 高校生】
【3525/ 羽角・悠宇 / 男性 / 16歳 / 高校生】
【2414/ 鬼丸・鵺  / 女性 / 13歳 / 中学生】
【3342/ 魏・幇禍  / 男性 / 27歳 / 家庭教師・殺し屋】
【3356/ シオン・レ・ハイ  / 男性 / 42歳 / びんぼーにん 今日も元気?】
【2863/ 蒼王・翼  / 女性 / 16歳 / F1レーサー兼闇の狩人】
【1271/ 飛鷹・いずみ  / 女性 / 10歳 / 小学生】

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■         ライター通信          ■
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遅くなりまして、遅くなりまして、遅くなりまして、真に申し訳御座いません!
へたれ人間失格人間ライターmomiziで御座います。(切腹)
初めましての方も、そうでない方も、この遅れっぷりには、最早怒りを越えて、呆れられているのではと、怯えるばかりなのですが、全て私が悪いので、どうぞ、三発位殴ってやって下さい。
さて、えーと、毎回、毎回、ウェブゲームのお話に、是非、個別通信をやりたいと考えているのですが、毎回毎回、時間の都合により掲載できません。
ほんま、スイマセン。
なので、ご参加下さった全ての方々に「本当に有り難う御座いました。 再びお目に掛かれましたら、僥倖に思います」というお言葉を贈らさせて下さい。
あと、非人道的な位、長くなってしまった事もお詫び申し上げます。

momiziは、ウェブゲームの小説は、全て、個別視点の作品となっております。
なので、また、別PC様のお話を御覧頂ければ、違った真実が見えるように書きました。
また、お暇な時にでも、お目通し頂ければ、ライター冥利に尽きます。

ではでは、これにて。

momiziでした。