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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


懐かしさはいつも過去の情景のなかに

【壱】

 いつ、何をきっかけにその店を知ったのかは今となっては思い出せないが、夏野影踏はいつの間にか時折足を運ぶようになった幻燈屋の硝子戸を慣れた手つきで開けた。
 店内はひっそりと静寂に包まれ、古めかしい映写機と幻燈を映し出す銀幕が壁にかけられている。女店主はいつものように帳場で小さなスライドを明かり取りの小さな窓から細く差し込む陽光に翳しては何かを確認すると、一つ一つ丁寧にアルファベット順に仕分けられた壁に備え付けの小さな抽斗のなかに収めていく。淀みない手つきはそれが長く彼女の仕事であることを伝えるには十分だ。値札が掲げられているわけでもない店内は、一見して何を売るつもりなのかわからず、ただ独自の秩序に支配されてそこにあるようだった。
 店内にあるものはただ静かな空気。
 穏やかに停滞したそれは、無慈悲に流れ去る時間を拒絶するかのようにして店内を染める。季節は夏。春も終わり、梅雨が過ぎ去り、鋭い日差しが降り注ぐような季節へと当然のように変化したけれど、この店だけはいつも季節とは無関係だと影踏は思う。店主の雰囲気がそうさせているのかもしれない。何気なく帳場に視線を向けると、陽の光など知らないような白い肌の店主は今日も帳場で手慰みにスライドを並べなおしている。その手つきは過去を懐かしむようにやさしく、それでいて現実を直視することを拒むような頑なさが香る。客である影踏の存在になど全く頓着していないようだった。
 ふと足元に視線を落とすと、背後の硝子戸が開く気配がした。店内に濃い夏の香りが滑り込む。
 それに誘われるようにして視線を向けると、十代も半ば頃だろうか。艶やかな黒髪と白い横顔。淡い桜色のキャミソールワンピース姿の少女が独り静かな足取りで店のなかい入って来る。そして影踏の存在に気付くと、刹那の間に店主と目配せをしたようだった。
 そしてそれまで一度として聞いたことのなかった店主の声が響く。
「お客様」
 澄んだ水のように透明な声は確かに影踏に向かって発せられた声だった。
 少女が縋るような視線を向けているのがわかる。
「……なんでしょうか?」
 わけもわからずに答えると、店主は柔らかく微笑み、お時間は?と問うた。
「特別何も予定は……」
 云う影踏に再度微笑みかけると、少女に手招きをして自身の傍らに立たせて言葉を続けた。
「この方の過去に触れるお手伝いをしていただけないでしょうか?」
「過去……ですか?」
 影踏の問いに店主は頷く。
「特別なことではありません。誰もが持っていながら忘れ去ってしまっていることを思い出させて下されば、その後はわたくしの仕事ですので」
 過去を思い出させること。それが店主がさらりと云うように簡単なことだとは思えなかった。だから問うた。
「どんな風にしてですか?」
「彼女とお話をして頂ければ良いかと思います」
「それなら何も俺じゃなくても……」
「お厭ですか?」
 不意に切り込むような鋭い声で訊ねられて影踏は怯む。
「わたくしの手に余ることですから、お頼み申し上げているのですがお厭なら仕方がありませんね」
 店主は云って少女に視線を向ける。少女はひどく哀しげな顔をして俯いていた。何をそこまで思いつめているのだろうか思いながら、影踏は訊ねた。
「どうして俺なんですか?」
 店主は笑う。
「わたくしは人ならざる者。心などという曖昧なものは理解の範疇にはないのです。ですから、あなたがもし彼女の心を理解できるようなものをお持ちでしたらと思ったのですが、無理なのでしたら仕方がありませんね」


【弐】

「あたしの過去を探して下さい。ここは、そういう場所だって噂で聞いたんです」
 影踏の傍らに腰を落ち着けて少女が呟く。
「どうして過去を探さなくてはならないんですか?」
「……帰る場所がないから」
 店主が奥へと姿を消した帳場に二人、腰を下ろして影踏は少女の言葉に耳を傾けていた。店主の口車に上手い具合に乗せられたような格好になってしまったが、少女の姿があまりに哀れで捨てていくことができなかったのだから仕方がない。
「そんなに還りたいんですか、そこに?」
「空っぽなんです。今、ここにいても空っぽで、どうしようもないんです。他に何を探したらいいのかもわからなくて、ここに来たんです」
「過去で今の空白を埋めるんですか?」
 影踏が問うと、少女はまっすぐに影踏を見つめて答えた。
「そうです。……たとえ今ではなくても、あたしの空白を埋めてくれるならそれでいいんです」
 とりとめのない言葉に途方に暮れながらも、影踏は拘ってしまったのだから仕方がないと思って思考を巡らせる。
 しかしどんなに思考を巡らせても答えに辿り着ける気配は微塵もなかった。店内はただ静かで、夏という季節を満喫するかのように鳴き続ける蝉の声だけが音として店内に忍び込んでくる。どんなに大きな声をあげても短い夏の間だけの命だというのにと思いながらそれに耳を澄ませていると、ふと傍らにいる少女が蝉だったのではないかというような気がした。長い年月を土の下で過ごす蝉だったのではないかなどという不可思議なことを考えるのは、きっと店主が自分のことを人ならざる者だと云った言葉のせいだと思いながら影踏は云う。
「もしも、帰る場所がなくなってしまっていたとしてもいいんですか?」
「はい。―――どこかに、ここではないどこかにあたしは還りたいんです。それだけなんです」
 少女の意思を確認したことになるのだろうかと思いながら、そういえばここ最近のうちに工場か何かを建てるとかで大規模な森林伐採があったことを思い出す。個人所有の森林公園だった筈だ。四季の巡りを色濃く教えてくれる場所だった。去年の今頃はとても鮮やかな緑が生い茂り、子供たちが虫取り網を片手に走り回っていた。
「……非現実的なことを云うけど、もしかしたら蝉だったんじゃないかな?」
「蝉?」
 少女はきょとんとしたように呟く。
「そう。蝉。―――何年も土の下で孵る日を待ちながら。それでいて孵れなかった蝉なんじゃないかと思ったんです」
「どうして?」
「ここ最近、この近所で大規模な森林伐採があったんです。大きな工場を建てるとかで。だからもしそこにいた蝉だったのだとしたら、と思ったんです。そこは、春になるとすごく綺麗な桜が咲くことで有名だったんですよ」
「桜……」
 呟いて少女は何かを思案するように遠くに視線を向けると、何かを懐かしむように、思い出そうと努めるように目を細めた。影踏はそんな少女の横顔を眺めながら言葉を続ける。
「すごく綺麗な桜だったんです。特別手を入れられているようなものではなかったみたいですけど、本当に綺麗に咲く桜だったんですよ」
「それはもう見ることはできないんでしょうか」
 少女がぽつりと呟く声があまりにも哀しげで、影踏は助けを求めるように帳場の向こうへと視線を向けた。

【参】

 淀みない手つきで、スライド上映の準備をすすめる店主の姿を少女と二人で肩を並べながら見つめて、自分が云った言葉が本当だったらどうしたらいいのだろうかと影踏は思う。還りたいと願う少女の還る場所が疾うに失われていたとしたら、どのようにして還ればいいのだろうか。
 硝子戸が暗幕で閉ざされ、店内が闇色に染まる。
「本当に自分が還る場所がここだと思ったら、云って下さい」
 店主は柔らかな微笑と共にそう云い、準備ができたかどうかも問わずに銀幕の上に一枚のスライドの画像を映し出した。
 満開の薄紅色の花弁が大きな銀幕を彩る。それは思わず息を呑むほどに美しかった。失われたものだと思う心が余計にそう思わせるのかもしれないけれど、こんなにも美しいものがあったのだろうかと思わせるには十分な美しさがそこにはあった。少女はそれを食い入るように見つめ。自分の心を掴む何かを確かめようとしているようだった。
 その真剣な横顔に、自分はとてもひどいことをしたのかもしれないと影踏は思う。失われているものなら、上手く嘘をういて誤魔化すくらいのことをしても許されたのかもしれないのだ。そうすることのほうが少女にとって幸福だったかもしれない。
「……ここです」
 少女が細い声で呟く。
「この桜の木の下でずっと外に飛び立てる日が来るのを待っていました。とても心地良い場所だったんです。守ってもらっているのだと思っていました。……それが、今はもうないんですね」
「ここに還りますか?」
 店主の問いに少女が頷く。
 その言葉に思わず影踏は言葉を挟んでいた。
「どうやって?」
 少女と店主が同時に影踏に視線を向ける。
「還るべき過去が見つかれば容易いことですわ」
 店主は微笑みと共になんでもないことを答えるように云い、静かな足取りで少女の前に立つと白い手を少女の目蓋の上に重ねた。白い指先から糸が紡ぎだされるようにして、店内いっぱいに桜の情景が溢れるのがわかる。懐かしさとただ自分が在るべき場所をいとおしむ心に触れたような気がした。
「見えますか?」
 静かに店主が問う。
 少女は頷き、小さな声でありがとうと呟いた。
 すると不意に少女の躰が散る桜の花弁のように一枚一枚崩れ出す。咄嗟に影踏を手を差し伸べようとすると、店主の静かな眼差しがそれを制する。
「彼女が望んだことです。もうわたくしたちには何もできません」
 その言葉に諦めたようにゆっくりとまばたきをすると、影踏は自身の視界に生じた刹那の闇のなかに少女の満面の笑みを見たような気がした。満開の桜の下、少女は笑って言葉を綴る。
 ―――ありがとう。
 その声を聞いたような気がして傍らに視線を向けると、そこにはもう少女の姿はなかった。
「一体、何が……」
「彼女の望みを叶えてさしあげただけのことです」
 店主は云って、硝子戸を閉ざしていた暗幕を開けた。
 差し込む鋭い夏の日差しに目を細め、影踏はこれで良かったのだと思ってすっと腰を上げた。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2309/夏野影踏/男性/22/栄養士】


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■         ライター通信          ■
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初めまして。沓澤佳純と申します。
少しでもこの作品がお気に召して頂ければ幸いです。
この度のご参加、本当にありがとうございました。
また機会がありましたら、どうぞよろしくお願い致します。