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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


虚愚像の湖

●序

 会いたい人がいるのなら、忘れられぬ人がいるのなら、来るがいい。深遠の淵へと。

 涙帰界に鐘が鳴り響いた。それと同時に、ヤクトと穴吹・狭霧(あなぶき さぎり)は顔をあげる。同時に別の場所にいる二人だったが、思いはただ一つだけ。
「鐘が響いたな」
「鐘が響いたのね」
「……力を取り返すために」
「……力を蓄える為に」
 同時に二人、立ち上がって掲示板へと向かった。先にヤクトが見て、その暫く後に狭霧が見た。
 ヤクトは見ると同時に咆哮し、指示された場所へと向かっていった。
「会いたい奴など……一人しかいねぇ!ぶった切ってやる!」
 狭霧は見ると同時に溜息をつき、指示された場所へと向かって行く。
「……会いたい人……私は、その人と会って正気でいられるかしら……?」

 掲示板にあった張り紙には、筆で書かれたような字でこう書いてあった。
『汝が思いし人物に会うのならば、Dブロックにありし湖へと来よ』
 ヤクトと狭霧の関与については何も書かれてはいなかった。そして、張り紙の主の名前ですら書かれていないのであった。


●赴

 気付けば足が赴く。自らの思いとは相反し、又は自らの思いがままに。足は赴いてゆく。

 影崎・雅(かげさき みやび)は、苦笑を漏らしながら黒の目で辺りを見回した。もう幾度目になろうかという公園内である。ざわ、と風が吹き、雅の黒髪を揺らす。
「ありゃりゃ、またこの場所に来たか」
 苦笑と共に呟き、後頭部をぼりぼりと掻きながら掲示板に近付く。この世界に足を踏み入れてしまったからには、まずは掲示板に向かう。決まりきった事のように。
「……思いし人物」
 ぽつりと、雅は呟いた。掲示板に貼られていた文章を見て、一番に気になったのはその箇所であった。
(会わせてくれるって言ってもなぁ)
 しばし立ち尽くし、思い起こす。雅が思う人は、もう既にこの世にはいない。もう居ないのだから、会える訳が無いと思っているのだ。
(向こうだって、わざわざ会いになんぞ来ないだろうしな)
 ふと思い、それから皮肉を含んだ笑みを浮かべる。向こうが会いに来ないと思うのと同じくらいに、雅は会う事を望んでは居なかった。今はまだ、会うべき時ではないと思っているのだ。
「対等で……うん」
 誰に言うでもなく、雅は小さく言って頷く。自らを納得させるかのように。それから一つ大きく伸びをした。
「ま。どっちにしろ俺は今回、傍観者になるか」
 何かが絡んでくるのは間違いない。過去起きた出来事がそうであったし、恐らく今回もそうであろう。だが、雅はあえて動くつもりは無かった。
「勿論、興味があるから見届けてみるかな」
 雅はそう呟くと、いつものように辺りを見回し、Dブロックを探す。すると、頭の中に自然とDブロックの場所が思い浮かんできた。この世界において既に常識となりつつある、情報の享受。知らない事であった筈なのに、いつの間にか知っていて当然の情報として脳内に存在するのだ。慣れてきた事とはいえ、やはり不思議な感覚は拭えずにいた。
「変な場所だな、相変わらず」
 雅は小さく呟き、Dブロックへと向かっていった。享受された情報を、胸のうちで反復させながら。


 Dブロックの前には、6人の男女が集結していた。森のようなブロックとなっているDブロックは、獣道のようなものが6本、存在している。
「まるで、あつらえたみたいね」
 青の目で道を見ながら、シュライン・エマ(しゅらいん えま)はそう言った。纏め上げた黒髪が、そよ風に吹かれ、はらりと一房落ちる。
「示唆的ですね。一人一本と言わんばかりです」
 口元に笑みを携えたまま、しかし冷たい緑の目を道に向けながらモーリス・ラジアル(もーりす らじある)は言った。一つに括られた金髪は、そよそよと風に揺れる。
「つまりはこの道に向こうに湖があるってか?」
 ほうほうと、大袈裟に頷きながら雅は言った。目は、道の向こうにあるという湖を見つめているかのようだ。
「まあ、そういう事でしょうね。……なかなか悪趣味な気もしますけど」
 そう言いながら、桐崎・明日(きりさき みょうにち)は銀の目で道を見つめた。黒髪をかきあげ、そっと口元に笑みを浮かべる。
「ならば、向かうしかないな。行かなければ、何も分からないのだから」
 守崎・啓斗(もりさき けいと)が緑の目をじっと道に向けたままで言った。ざわ、と風が吹いて啓斗の茶色の髪を揺らす。
「だな。折角だから、一人ずつ一本決めて行ってみりゃいーじゃん」
 啓斗と同じ顔の同じ髪の色の、だがしかし目の色が青の守崎・北斗(もりさき ほくと)はそう言ってにかっと笑った。
「そうね。罠のようにも見えるけど……今回はそういう事は無いみたいだし」
 シュラインはそう言いながら、そっと目を閉じて耳を澄ます。だが、何も聞こえてはこない。
「シュラ姐、何か聞こえっか?」
 北斗が尋ねると、シュラインは小さく溜息をつきながら首を横に振った。シュラインの耳ですらも、何の音も得る事は出来ないのである。湖があるというのだから、水の音くらい聞こえても良さそうなのだが。
「それって、何か変じゃないか?だって、シュラインさんの耳っつったら……なぁ?」
 雅はそう言い、皆を見回す。皆もこっくりと頷く。
「シュラ姐が音を得る事ができないと言うと……恐ろしく静かなんだな」
 真面目な顔で、啓斗が言う。それはちょっと違うのでは、と皆が思うがそれはあえて心の奥にしまう。
「来い、という指示がありましたから、行けば何かしらの動きがあるのかもしれませんよ」
 明日はそう言い、皆を見回す。先程の啓斗の言葉を無かった事にするかのように。
「そうですね。……そうすれば、何かしらの音も生じますし」
 モーリスはそう言い、小さく笑う。フォローになっているのかなっていないのか、いまいち微妙ではあったが。
「じゃあ、行ってみましょうか。一人一本、選んで」
 シュラインは皆に向かって言う。皆、それぞれ六本の道の前に立ってみる。何も話し合わず、ただ足の赴くがままに立ってみたのだ。すると、不思議と一人一本、誰一人だぶる事なく立ることができた。普通、一本くらい二人の人間が足を赴けても良いのに。
「……決められているみたいだな」
 ぽつりと、啓斗が呟いた。声の大きさは小さかったが、その場にいた全員が聞き取れる事が出来た。
(決められているって?)
 雅はくつくつと小さく笑った。ここは、涙帰界。何が起きるかなど、計りきれる筈も無いのは分かっていたが、こんな風に決め付けるとは思ってもみなかったと言わんばかりに。
「結局は湖に繋がっているでしょうから、恐らくはまた後ほどお会いできるでしょうけど」
 モーリスはそう言い、小さく微笑む。そして皆に軽く頭を下げてから歩き始める。
「そうですね。……では、今はとりあえず『気をつけて』ということで」
 明日はそう言い、皆に向かってひらひらと手を振った。
「そうね、気をつけるに越した事は無いものね」
 シュラインはそう言い、皆の顔を見渡してから歩き始めた。
「兄貴、無理すんなよ」
 北斗は啓斗に向かってそう言い、にかっと笑って見せた。
「お前もな、北斗。無駄に色んなものを破壊するんじゃないぞ」
 啓斗は北斗に向かってそう言い、まっすぐに顔を前に向けて歩き始めた。
「……んじゃ、俺も行くか」
 雅は小さく呟き、歩き始めた。口元に皮肉を含んだ笑みを浮かべながら。


●道

 真っ直ぐとは限らず、曲がりくねるとも限らず。目的地を遠くに見据えて。

 雅は歩いていた。ただ一人、自らの足音と風に揺れる草の音だけを聞いて。
「なーんだか、変な気がするんだよなぁ」
 小さく呟き、きょろきょろと辺りを見回す。不思議なほど静寂に包まれている森の中を、雅はただただ歩いているのだ。
「そんなにあの道は間隔があいていたっけ?」
 雅はきょろきょろと見回しながら、小さく呟いた。一人一本ずつだと決め、それぞれが決めた道を歩いていくようにはした。だが、道と道の感覚がそんなにあいているようには見えなかったのだから、こうして見渡すと人影くらい見えてもいいような気がしてならない。
 だが、この森に一歩足を踏み入れた瞬間からそれは叶わなかった。姿だけではない。他の人間が発しているであろう物音も、足音ですらも聞こえないのだ。自分が音を出しているから聞こえないのかと思い、何度か歩みを止めてみたものの、結局一度もその音を確認する事は出来なかった。
「何かしらの力が働いているのか?」
 雅はそう考え、だがしかし否定する。もしも力が作用して遮断状態を作っているのだとすれば、それは自分には通じぬ筈なのだ。如何なる力の干渉も、自分には作用しない筈なのだから。
(同調したか?……いや、そうだとしてもこの状態はおかしい)
 その場所に同調すれば、確かに力の干渉を受けるような格好にはなる。だが、結局は格好がそうなるだけであり、実際には干渉は受けない筈なのだ。干渉を受けた人間の見る風景を見れたとしても、それは本当に見えるだけだ。極端な話、大きな力の塊を投げつけられたとしても、突如雷を落とされたとしても、それが力によるものならば雅には全く作用しない。
(つまり……これは、力の干渉とかそういうんじゃなくて……)
 一言で言えば、異常事態。森自体が持つ、干渉を受けない体質を超越した何か。その何かの正体は全くもって分からないのだから、意味がないといえば意味が無いのだが。
(にしても……見事な森だな)
 色々な意味で、雅は思う。何度も訪れてしまっている場所では有るが、相変わらず違和感は拭う事が出来ないし、不思議な規律に縛られてもある。全てにおいて、変である。
(それに……変な感覚が芽生える)
 自分が一人なのだと、妙に思ってしまう。結局、皆一つの湖に辿り着くと思っていた。それは、間違いない。だが、本当に湖につくのであろうか?ついたとしても、それは本当に皆同じ湖に辿り着くのだろうか?
(今回、相手が人じゃないからな。予想がつかないというか……)
 雅は小さく苦笑した。毎回、力は人型に具現化していた。だから、ある程度会話もできたし、行動もしていた。だが、今回はそのような人型は登場していない。
「お陰で、どうしていいのか迷うなぁ」
 雅はぼりぼりと後頭部を掻いた。
(これではまるで……俺、一人みたいじゃん)
 森の中、静かな中、自分は一人だけしか居ない存在なのだと思えてくる。確かに自分は仲間たちと最初の一歩を歩んだ筈なのに、実は自分一人しか居なかったのかもしれないと思ってくる。否、一人で依頼をこなす事など今に始まった事ではない。だが、今感じているのは完全なる孤独。まるで、世界に自分しか存在していないかのように。
(そんな事、ないのにな)
 雅はぐっと拳を握る。自らの存在の証拠を辿るかのように。
「俺は、影崎・雅だぞ」
 自らの名を呼び、存在を確認する。名前こそが、存在こそが。自らの証明に同時になりうるのだと、直感的に思う。存在を確認するかのように、現実を確認するかのように。
「音がしないからって何だって言うんだ?姿が見えないから、何だって言うんだ。俺は俺のままじゃん。それは、絶対じゃないか」
 雅は一気にそう言い、こっくりと頷く。と、その時だった。
『……やび』
「……はぁ?」
 ふと聞こえた声に、思わず雅は眉を顰め、小首を傾げた。
『雅』
「……えー?」
 今度ははっきりと聞こえてしまった声に、思わず雅は疑問と不満の混じった声を上げた。聞いてはならないはずの声に、あってはならないはずの声に。
「それってどうなんだよ?なぁ?」
 思わずそう問い掛けるが、声は全く聞こえなくなっていた。雅は「あー」と苛々しながらがしがしと後頭部を掻き、それから走り始めた。
「今回は傍観しようって決めてたのに。そっちから仕掛けられたら、仕方ないとか思っちゃうじゃん」
 誰に言う言葉でもなくそう言い、雅はにやりと笑った。正体は分からないが、追いかける価値があると判断したのだ。声は確かに前方から聞こえてきた。
(どうだっていいっていうのも、本当ではあるけど)
 心の中でそっと呟き、雅はくつくつと笑った。悪戯っぽく、小さく。


●像

 本当かどうかなど、この際関係ない。要は心の内に浮かぶかどうかであり、それが大事だと思えるかどうかだ。

 行き着いた先は、湖であった。雅はきょろきょろと辺りを見回す。
「湖なら、他の奴もいるはずなんだけど……」
 そう呟きながら注意深く見回すが、そこには湖以外に何も存在してはいなかった。あるのは雅、ただ一人だけ。
(ええと、あれも空耳だったって事?)
 影も形も無いその場所で、雅は小さく溜息をついた。が、すぐにその思いは否定する。
(でもさ、俺があの声を間違うって?空耳を聞くって?……まさか!)
 まだ会う時ではないのだと、雅は感じていた。まだ、会うには早すぎるのだ。どういう形にしろ、会う事はしたくないという思いが強い。
「……だからさ、いても困るんだよな」
 既に亡くなってしまった人である。もう二度と会えないと、どうやっても会う事が出来ない存在なのだと思っていた。だが、先程確かに声を聞いたのだ。
「でもさ、声とか聞いちゃったら本当に本人かどうか位は気になるじゃん」
 雅はそう呟き、辺りを再び見回す。すると、湖の方に光が淡く生じた。それはだんだん人型を形成していき、一つの人物となった。
『雅』
 その人物は、雅を呼んでそっと笑った。昔と違わぬその姿、その声、その仕種。どれもが懐かしさを覚える。
『不思議な顔をしているな、雅』
「俺はあんたに会う気はこれっぽっちもなかったんだけど?」
 雅がそう不満そうに言うと、相手はくすくすと笑った。
『雅らしい』
「そう言うな。こんな不意打ちを受けるのは、心の奥底から不本意だ」
『そう言うな。そう難しい顔をされても、困る』
 雅は溜息をつく。これは、本人に見える。違う人物かもしれないが、それにしては似すぎているのだ。
(俺の記憶を反映しているのか?)
 雅は一瞬思い、それから首を小さく振った。目の前に居る人物は、雅の記憶の中にいるおばあちゃんが映し出されているだけなのだと思った。それは事実だ。だが、そうすると一点腑に落ちないのだ。記憶を反映させているのだとすると、相手が喋っている言葉は雅の予想範囲によるものの筈だ。だが、先程相手の言った台詞は、全く予想していない言葉なのだ。
(俺の記憶を誰かが見て、それを反映させつつ……?)
 もしそうならば、納得は一応行く。だがしかし、どうしてそうしているのかという答えは全くもって浮かばないのだ。
『元気そうで、何より』
「分かったら、さっさと行ってくれ。まだあんたが目指した場所に辿り着けてないんだ」
 雅の言葉に、相手はただ微笑むだけだ。雅は心の中で「くそ」と毒づき、続ける。
「俺なりの道が、まだ見つかってないんだ。その時までは、会わないって決めたんだ。まだ俺は『過程』の中に居る状態だからさ」
『そういうもの?』
「そういうものなんだって。俺のほうが断然不利だしさー」
 相手はくすくすと笑った。雅は苦笑する。相手は一通り笑い終えると、そっと手を差し出した。雅はそっとその手を取ろうと手を伸ばす。だが、その途端に相手の姿は元の光へとだんだん戻っていき、ついには空気中に溶けていってしまった。
「……全く」
 雅は大きな溜息をつく。恐らく、あれは本人ではないだろう。というよりも、本人だと不都合だ。ならば、本人ではないと考えた方がいい。
「やってくれるじゃん」
 雅はそう呟き、不敵に笑いながら目の前にある湖を睨みつけた。何も答えようとしない湖に、すべての要因があるように思えて仕方がなかった。


●虚

 この身が、この心が空だと気付いてしまった時、言いようも知れぬ感情が全身を駆け抜けていった。

 雅は湖を見つめる。風も無く、水も水紋すら描かぬ静かな湖だ。
「湖って、あんたの事だろ?」
 雅はそう言い、それから冷たく笑う。
「つまらないことをしてくれたよな?俺は本当に、会いたく無かったのに」
 雅の声に、湖は答えない。答える術を持たぬのかもしれない。雅は続けて問い掛ける。
「俺が傍観しようと決めていたっていうのに、どうしてそうさせてくれないかな?俺にどうしろって言ってるんだよ……?」
 その声に、湖が揺れた。水紋を幾つも描き、風も吹いていないのに波が出来る。そして突如光の洪水が起こった。目も開けていられないほどの、強烈な光。
 光が収まり、気付いた時には皆の姿があった。顔を見合わせ、そして目だけで頷きあう。それぞれに何があったかなど、口に出さなくても分かる。恐らくは、自分と同じような事があったのだろうから。
『……皆の心、覗かせて貰った』
 頭の中に、何かが話し掛けてきた。男とも女とも判断つかぬ、ただただ頭の中に響いてくる声だ。
「あなた、一体……」
 シュラインが問い掛けると、声は一呼吸おいてから再び言葉を発する。
『この身は虚である。それが酷く……苦しかった』
「だから、私達の心を覗いて虚を埋めようとでも?」
 モーリスが皮肉混じりに言うと、声は深く頷く。
『知らぬだろう?この身が虚だと言う事がどれだけの恐怖か。知らぬだろう?この心が虚だと言う事がどれだけの悲しみを伴うか』
「それによって、俺達も苦しみや恐怖を味わう事になるかもしれないとは思わなかったわけ?」
 雅が言うと、声はくつくつと笑った。
『そう思うことすら思えなかったのだ。実際に恐怖や悲しみ、苦しみは皆の心を見て得る事の出来た感情なのだ。それまでは、何も無かったのだ』
「そうすると、俺達の心を反映したという事になりますね。だとすると、どうしても腑に落ちないんですけど」
 明日がそう言うと、皆がこっくりと頷いた。
「そうだ。心を反映しただけならば、ああいう反応は返ってこない。本当の……本人のようだった」
 啓斗が言うと、北斗はちらりと啓斗を見てから後を続ける。
「俺の方も。……本人なんじゃねーかって思ったもんな」
『それは、皆の心にあった人の行動パターンを我にそのまま融合させたからだ』
(つまりは、本人じゃないって事か)
 雅はほっと息をつく。
『すまなかったと、一言言っておこう。まだ心は虚のままだが……それでも皆のお陰で満たされた』
 声は、笑ったようだった。満ち足りたように、笑ったようだった。
「……あなた……もしかして、狭霧さんの力じゃないの?」
 ぽつりと、シュラインが尋ねた。声は、小さく笑ったようだった。そして湖が再び光を放つ。再び光が収まった頃には、湖どころか、森すらも姿を消してしまっていた。
「……青、ですね」
 モーリスが皆の中心にふわふわと浮かぶ光を見て呟いた。青の光、狭霧の光。
「狭霧さんの力なんですね。これは」
 明日はそう言い、きょろきょろと見回す。すると、向こうから息を切らしながら狭霧が走ってきた。
「今、力が……力があるのを感じて」
「お、丁度いいとこにきたねぇ、狭霧ちゃん。……やっぱ、自分の力だから?」
 雅が言うと、狭霧は小さく「え?」とだけいい、それから皆の中心に浮かんでいる青の光を見つめた。
「私の……」
「あー!それ、俺達が貰おうと思ってたのに!」
 北斗が不満そうな声をあげ、それから啓斗もこっくりと頷く。そんな二人に、シュラインがぽんと肩を叩く。
「いいじゃない。狭霧さんに渡してあげましょう」
「女性には優しくしないといけませんしね」
 明日もにっこりと笑って言う。
「どうぞ、受け取ってください」
 更にモーリスが言うと、狭霧はそっと手を伸ばして力を受け取った。手の甲の花が、小さく青に光る。
「……虚の私……」
 ぽつりと、狭霧は呟いた。ただ一言、ぽつりと。


●愚

 虚を埋めたからと言って、全てが収まると言う訳ではない。分かっていた筈なのに、とうの昔に分かっていた筈なのに。それでも前よりも……苦しくない。

 ヤクトはぎり、と歯軋りした。Dブロックに入ろうと試みたにも関わらず、入ることは出来なかったのだ。会いたい者が居た、今度こそ引き裂いてやろうとしたのに。
「穴吹……!」
 呪いのように、小さく唸る。自分がこういう状態なのも、元凶がそこにあると言わんばかりに。
 ヤクトは気付かない。自らも虚であったために、道が出来なかった事を。

 狭霧は手の甲に咲く花を抱きしめる。Dブロックには入れなかった。皆が力の具現化を解いてくれたから、漸く足を踏み入れることが出来たのだ。
「私も……虚なのね」
 道はできなかった。この力は知っていたのだ。虚を映しても、何も得られぬと。
「母様……」
 ぽつりと狭霧は呟き、ぐっと奥歯を噛み締めた。泣く権利は自分には無い。今あるのは、ただ前を向いて歩いていく事のみだから。


 雅は再び元の場所に帰っていた。再び足を踏み入れるのは、また力が具現化してからであろう。
「結局、何だったのかねぇ」
 ぽつりと、雅は呟く。全てが虚だったのだろうか?しかし、虚であった時から苦しさを感じていたではないか。それが何かを知るために、虚を埋める為に自分達の心を覗いたのだから。
「名前も、結局分からないままだしな」
 雅は小さく苦笑した。そして、ゆっくりと歩き始めた。あれが本人でなくて本当に良かったと、心から思いながら

<自らの内を抱きしめながら・了>

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【 0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員 】
【 0554 / 守崎・啓斗 / 男 / 17 / 高校生(忍) 】
【 0568 / 守崎・北斗 / 男 / 17 / 高校生(忍) 】
【 0843 / 影崎・雅 / 男 / 27 / トラブル清掃業+時々住職 】
【 2318 / モーリス・ラジアル / 男 / 527 / ガードナー・医師・調和者 】
【 3138 / 桐崎・明日 / 男 / 17 / 最悪(フリーター) 】

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■         ライター通信          ■
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 お待たせしました、コニチハ。霜月玲守です。この度は「虚愚像の湖」にご参加いただき、本当に有難う御座います。
 影崎・雅さん、いつもご参加いただき有難う御座います。思い人は、以前シチュを書かせていただいた方なのだろうと、勝手に書かせて頂きました。如何だったでしょうか?
 今回は、いつもにも増して個別行動が多いです。やはり思い人はその人だけのものですから。お暇な時にでも、他の方の文章と見比べていただけると嬉しいです。
 ご意見・ご感想等心よりお待ちしております。それでは再びお会いできるその時迄。