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虚愚像の湖
●序
会いたい人がいるのなら、忘れられぬ人がいるのなら、来るがいい。深遠の淵へと。
涙帰界に鐘が鳴り響いた。それと同時に、ヤクトと穴吹・狭霧（あなぶき さぎり）は顔をあげる。同時に別の場所にいる二人だったが、思いはただ一つだけ。
「鐘が響いたな」
「鐘が響いたのね」
「……力を取り返すために」
「……力を蓄える為に」
同時に二人、立ち上がって掲示板へと向かった。先にヤクトが見て、その暫く後に狭霧が見た。
ヤクトは見ると同時に咆哮し、指示された場所へと向かっていった。
「会いたい奴など……一人しかいねぇ！ぶった切ってやる！」
狭霧は見ると同時に溜息をつき、指示された場所へと向かって行く。
「……会いたい人……私は、その人と会って正気でいられるかしら……？」
掲示板にあった張り紙には、筆で書かれたような字でこう書いてあった。
『汝が思いし人物に会うのならば、Ｄブロックにありし湖へと来よ』
ヤクトと狭霧の関与については何も書かれてはいなかった。そして、張り紙の主の名前ですら書かれていないのであった。
●赴
気付けば足が赴く。自らの思いとは相反し、又は自らの思いがままに。足は赴いてゆく。
桐崎・明日（きりさき めいにち）は、はっと息を呑みながら銀の目で辺りを見回した。そこは、公園であった。初めてくる筈の、だが元々知っていたかのような感覚を得る公園。ざわ、と風が吹き、明日の黒髪をふわりと揺らした。
「ここは……涙帰界」
ぽつりと呟き、掲示板に近付く。この世界に足を踏み入れてしまったからには、まずは掲示板に向かう。元々知っている、決まりきった事のように。
「……思いし人物」
明日はそう、ぽつりと再び呟いた。掲示板に貼られていた文章を見て、一番に気になったのはその箇所であった。
（俺が会いたいのは……思っているのは……）
しばし立ち尽くし、思い起こす。思い出す事くらいならば、きっと許される事だろうから。ジジジ、と古いフィルムを再生するかのような音が頭の中で響く。
（彼女は……いえ、そんな事を思っても……）
明日は大きく息を吐き出す。自らを落ち着けるかのように。今の自分がいるのは、こうして存在する起因は、恐らく彼女に在るのだと分かっているから。
「……ともかく、行ってみましょうか」
明日はそう呟き、辺りを見回してＤブロックを探した。すると、頭の中に自然とＤブロックの場所が思い浮かんできた。そうしている内に、明日はふと気付く。自然とやってしまったが、この世界の事について何も知識の無かった自分が、気付けば世界の理を知っている。至極自然に行われた、情報の享受。知らない事であった筈なのに、いつの間にか知っていて当然の情報として脳内に存在するのだ。そういう世界なのだと思っても、不思議な感覚は拭えない。
「……これが、涙帰界ですか」
明日は小さく呟く。ヤクト、狭霧といったような世界に関わる者達の情報でさえ、昔からよく知っている情報のようにいつの間にか享受されているのだ。誰に教えられたと言う訳でもなく。
明日は苦笑と共に小さく溜息をつき、Ｄブロックへと向かっていった。享受された情報を、胸のうちで反復させながら。
Ｄブロックの前には、６人の男女が集結していた。森のようなブロックとなっているＤブロックは、獣道のようなものが６本、存在している。
「まるで、あつらえたみたいね」
青の目で道を見ながら、シュライン・エマ（しゅらいん えま）はそう言った。纏め上げた黒髪が、そよ風に吹かれ、はらりと一房落ちる。
「示唆的ですね。一人一本と言わんばかりです」
口元に笑みを携えたまま、しかし冷たい緑の目を道に向けながらモーリス・ラジアル（もーりす らじある）は言った。一つに括られた金髪は、そよそよと風に揺れる。
「つまりはこの道に向こうに湖があるってか？」
ほうほうと、大袈裟に頷きながら影崎・雅（かげさき みやび）は言った。黒髪の奥にある黒の目は、道の向こうにあるという湖を見つめているかのようだ。
「まあ、そういう事でしょうね。……なかなか悪趣味な気もしますけど」
そう言いながら、明日道を見つめた。髪をかきあげ、そっと口元に笑みを浮かべる。
「ならば、向かうしかないな。行かなければ、何も分からないのだから」
守崎・啓斗（もりさき けいと）が緑の目をじっと道に向けたままで言った。ざわ、と風が吹いて啓斗の茶色の髪を揺らす。
「だな。折角だから、一人ずつ一本決めて行ってみりゃいーじゃん」
啓斗と同じ顔の同じ髪の色の、だがしかし目の色が青の守崎・北斗（もりさき ほくと）はそう言ってにかっと笑った。
「そうね。罠のようにも見えるけど……今回はそういう事は無いみたいだし」
シュラインはそう言いながら、そっと目を閉じて耳を澄ます。だが、何も聞こえてはこない。
「シュラ姐、何か聞こえっか？」
北斗が尋ねると、シュラインは小さく溜息をつきながら首を横に振った。シュラインの耳ですらも、何の音も得る事は出来ないのである。湖があるというのだから、水の音くらい聞こえても良さそうなのだが。
「それって、何か変じゃないか？だって、シュラインさんの耳っつったら……なぁ？」
雅はそう言い、皆を見回す。皆もこっくりと頷く。
「シュラ姐が音を得る事ができないと言うと……恐ろしく静かなんだな」
真面目な顔で、啓斗が言う。それはちょっと違うのでは、と皆が思うがそれはあえて心の奥にしまう。
「来い、という指示がありましたから、行けば何かしらの動きがあるのかもしれませんよ」
明日はそう言い、皆を見回す。先程の啓斗の言葉を無かった事にするかのように。
「そうですね。……そうすれば、何かしらの音も生じますし」
モーリスはそう言い、小さく笑う。フォローになっているのかなっていないのか、いまいち微妙ではあったが。
「じゃあ、行ってみましょうか。一人一本、選んで」
シュラインは皆に向かって言う。皆、それぞれ六本の道の前に立ってみる。何も話し合わず、ただ足の赴くがままに立ってみたのだ。すると、不思議と一人一本、誰一人だぶる事なく立ることができた。普通、一本くらい二人の人間が足を赴けても良いのに。
「……決められているみたいだな」
ぽつりと、啓斗が呟いた。声の大きさは小さかったが、その場にいた全員が聞き取れる事が出来た。
（決められている……？そんな事、可能なんですかね？）
一瞬明日はそう考え、だが頭を振って否定した。ここは、涙帰界。何が起きるかなど、計りきれる筈も無いと、享受した情報が教えてくれる。
「結局は湖に繋がっているでしょうから、恐らくはまた後ほどお会いできるでしょうけど」
モーリスはそう言い、小さく微笑む。そして皆に軽く頭を下げてから歩き始める。
「そうですね。……では、今はとりあえず『気をつけて』ということで」
明日はそう言い、皆に向かってひらひらと手を振った。
「そうね、気をつけるに越した事は無いものね」
シュラインはそう言い、皆の顔を見渡してから歩き始めた。
「兄貴、無理すんなよ」
北斗は啓斗に向かってそう言い、にかっと笑って見せた。
「お前もな、北斗。無駄に色んなものを破壊するんじゃないぞ」
啓斗は北斗に向かってそう言い、まっすぐに顔を前に向けて歩き始めた。
「……んじゃ、俺も行くか」
雅は小さく呟き、歩き始めた。口元に皮肉を含んだ笑みを浮かべながら。
●道
真っ直ぐとは限らず、曲がりくねるとも限らず。目的地を遠くに見据えて。
明日は歩いていた。変な違和感を抱えたまま。
「……どういう事でしょうか？」
ぽつりと、明日は漏らした。自分が歩いている足音と、風が吹いて生じる草の揺れる音しか、音と言う音は耳に聞こえてこないのだ。
「こうして、俺が呟いている声は、歩いている足音は聞こえるんですよね」
ぎゅっぎゅっとその場で足を踏みしめている。だがしかし、それ以外の音は皆無といっても間違いでもなかった。静寂が支配していると言っても、過言ではない。
「そんなに、道と道とは離れていたようには思えないんですけれど」
小さく溜息をつきながら、明日は呟いた。一人一本ずつ選んだ事は確かだが、それぞれの道の間隔は決して広いものではなかった。ちょっと声を出せば、ちょっと回りを見回せば存在を確認できるであろう程度の間隔しかなかったのだ。つまりこうして森に入ったとしても、木々の間からせめて隣接した道を選んだ仲間の一人の姿が見えたとしても、ちょっとした呟きが風に揺れる草の音だとか足音だとかに紛れて聞こえてきたとしても、全くおかしくないのである。
だがしかし、それらを確認する事は叶わなかった。森に一歩踏み入れたその時から、自分以外の存在を確認できるような音や姿は、一切無かったのである。
（これは……異常事態ではないでしょうか？）
そもそも、この森に足を踏み入れる前にシュラインが音が聞こえないといっていた時から、この森が以上だという事に気付くべきだったのだ。一人一本ずつ、と決める必要も全く無かったのだ。
（失敗、ですかね？）
初めて訪れた世界で、拭えない違和感を抱いたまま、されるがままに動いていく物事。気に入らないと思いつつも、それがこの世界の理なのかも知れぬとも思ってしまう。
（……相手の出方を、探りすぎましたか）
くつくつと、小さく明日は笑う。
（それに、俺たちはまたすぐに湖で会えると思っていましたが……それは本当に奏なのだといえるのでしょうか？）
結局、皆一つの湖に辿り着くと思っていた。それは、間違いない。だが、本当に湖につくのであろうか？ついたとしても、それは本当に皆同じ湖に辿り着くのだろうか？
（相手は、通常予想をつけることの出来る人間ではないですからね。……湖相手ですから）
明日は苦笑を含みつつ溜息をつく。会話も、行動も読むことが出来ぬ。せめて相手が人間であったならば、話や行動ができる存在であったならば、また違った行動が出来たのではないかと思ってしまう。
（本当に、どうすればいいのかだなんて分かりませんからね）
相手の思考を読むことができないと言うのは、不便で不愉快だった。
（まるで、相手にされるがままになっているみたいじゃないですか）
明日は失笑と皮肉を含んだ笑みを浮かべ、ぐっと手を握り締める。
「それにしても……これだけ何も音がしないとなると」
明日は、握り締めた手をさらに強く握り締めた。それが、自分がここにいるという存在の証明に成りうるかのような気がしたのだ。気が狂いそうなほど静かな森の中で、ただ一人歩いていくこの中で、こうしている事は現実に起こっていることなのだと。
「現実に起こっているんですよね。……これは、現実なんです」
静寂の支配する森の中にいる自分は、一人しか居ないのだと思い知らされているかのようであった。自分はこの場所に一人だけしかいないのだと。確かに自分は仲間たちと最初の一歩を歩んだ筈なのに、実は自分だけしか居なかったのかもしれないと思ってくるのである。否、一人で依頼をこなす事など今に始まった事ではない。だが、今感じているのは完全なる孤独。まるで、世界に自分しか存在していないかのように。
「そんな事は、絶対にないんです」
明日は自分を叱咤する。ありえない事実を、真っ向から否定する為に。自分一人のわけが無いではないか。自分と言う存在しかないだなんて、ある筈がない。
「……俺は、桐崎・明日です」
名前こそが、存在こそが。自らの証明に同時になりうるのだと、直感的に思う。存在を確認するかのように、現実を確認するかのように。
「俺は、ここに一人で存在しているけれど……一人と言う訳でもない筈なんです」
明日がそう、はっきりと言い切った瞬間であった。
『……にち』
明日ははっとして歩みを止めた。何かが、聞こえた。微かに、本当に小さく儚い声だったが、確かに人の声であった。
「……誰ですか？誰か、いるんです？」
さっと身構えながら、明日は尋ねる。相手の存在がわからぬ今、相手が味方であるか敵であるかも分からないのだから。それならば、最初から身構えておくに越した事は無い。
『明日』
「……まさか」
明日は小さく呟き、そしてゆっくりと構えを外す。聞き間違える筈も無い、綺麗な声。どれだけありえないと理性で思いつつも、もしかすると、という変な期待のようなものが次々に浮かんでくる。
「……そんな事、あるはずがないんです。決して……！」
今一度明日は呟き、走り始めた。確かめなくては、という気持ちが心を支配する。言って確かめなければ為らないと言う使命感も。
●像
本当かどうかなど、この際関係ない。要は心の内に浮かぶかどうかであり、それが大事だと思えるかどうかだ。
行き着いた先は、湖であった。明日は息を切らしながら、辺りを見回す。
「湖……」
そう呟きながら注意深く見回すが、そこには湖以外に何も存在してはいなかった。あるのは明日、ただ一人だけ。
（やっぱり、空耳だったんでしょうか？）
影も形も無いその場所で、明日は溜息をついた。が、すぐにその思いは否定する。
（……いや、俺が間違えるとでも？彼女の声を、間違ってしまうとでも？）
もう二度と会えないと思っていた、彼女。彼女が居たからこそ、今の明日が存在するのだと言っても過言ではなかった。全ての感情を超越し、思っている存在でもある。
「……クル……？」
もう二度と会えないと、どうやっても会う事が出来ない存在なのだと思っていた。だが、先程確かに声を聞いたのだ。
「サイクル……！」
明日は再び叫ぶ。すると、湖の方に光が淡く生じた。それはだんだん人型を形成していき、一つの人物となった。
『明日』
目の前に立っていたのは、あのサイクルであった。モーリスの良く知る、昔と寸分違わぬ姿の。明日は身動きもしないまま、ただじっとサイクルを見つめる。
『どうしたの？』
「会う事は……二度と無い筈なんです」
明日はゆっくりと確認するかのように静かに言う。目の前のサイクルは、真っ直ぐに明日を見ていた。
（彼女は……幻影のはず）
会う事は出来ない筈だから、出来ないと決まっているから。だからこそ、彼女は幻影のはずなのだ。
『疲れた……。前にも言ったけど、こんな混沌の中心に居る事が、本当に疲れたから』
（前にも？）
明日は疑問に思いつつも、サイクルの言葉を待つ。
『もう一度、繰り返す事になるけど……あなたが、初めて会えた人だから』
（繰り返す？繰り返すと、分かっている？）
『私を……』
（ならば、どうしてもう一度言う？）
『……殺してください』
（どういう、事ですか？）
明日は動揺する心を落ち着けながら、首を傾げる。目の前にサイクルは、明日の記憶の中にいるサイクルが映し出されているだけなのだと思っていた。だが、そうすると一点腑に落ちないのだ。記憶を反映させているのだとすると、サイクルの言葉は昔の事を繰り返すと言うただそれだけだ。だが、サイクルはそれが繰り返しになると分かっているのだ。
（それでも）
明日はぐっと拳を握り締める。繰り返しになると自覚があると言うのならば、同じ事を言う必要は何処にも無いのだ。
「君は……害悪も無ければ、罪悪も無く……断罪できなければ、弾劾もできない。目的も無ければ、目標も無いのが君だ」
『明日……』
「だから、それは無理だよ」
『殺しては……くれないのね』
サイクルはそう言いながら、そっと手を差し出した。明日はそっとその手を取ろうと手を伸ばす。だが、その途端にサイクルの姿は元の光へとだんだん戻っていき、ついには空気中に溶けていってしまった。
「俺は……」
明日はぐっと拳を握り締める。再び繰り返された、その出来事に。そして湖を睨んだ。全ての元凶がそこにあると言わんばかりに。
●虚
この身が、この心が空だと気付いてしまった時、言いようも知れぬ感情が全身を駆け抜けていった。
明日は湖を見つめる。風も無く、水も水紋すら描かぬ静かな湖だ。
「湖と言うのは、あなたの事ですね？」
明日はそう言い、それから一つ溜息をつく。
「もう一度繰り返せなければならなかったじゃないですか」
明日の声に、湖は答えない。答える術を持たぬのかもしれない。明日は続けて問い掛ける。
「あなたの所為ですよ？全て、あなたの所為じゃないですか……！」
その声に、湖が揺れた。水紋を幾つも描き、風も吹いていないのに波が出来る。そして突如光の洪水が起こった。目も開けていられないほどの、強烈な光。
光が収まり、気付いた時には皆の姿があった。顔を見合わせ、そして目だけで頷きあう。それぞれに何があったかなど、口に出さなくても分かる。恐らくは、自分と同じような事があったのだろうから。
『……皆の心、覗かせて貰った』
頭の中に、何かが話し掛けてきた。男とも女とも判断つかぬ、ただただ頭の中に響いてくる声だ。
「あなた、一体……」
シュラインが問い掛けると、声は一呼吸おいてから再び言葉を発する。
『この身は虚である。それが酷く……苦しかった』
「だから、私達の心を覗いて虚を埋めようとでも？」
モーリスが皮肉混じりに言うと、声は深く頷く。
『知らぬだろう？この身が虚だと言う事がどれだけの恐怖か。知らぬだろう？この心が虚だと言う事がどれだけの悲しみを伴うか』
「それによって、俺達も苦しみや恐怖を味わう事になるかもしれないとは思わなかったわけ？」
雅が言うと、声はくつくつと笑った。
『そう思うことすら思えなかったのだ。実際に恐怖や悲しみ、苦しみは皆の心を見て得る事の出来た感情なのだ。それまでは、何も無かったのだ』
「そうすると、俺達の心を反映したという事になりますね。だとすると、どうしても腑に落ちないんですけど」
明日がそう言うと、皆がこっくりと頷いた。
「そうだ。心を反映しただけならば、ああいう反応は返ってこない。本当の……本人のようだった」
啓斗が言うと、北斗はちらりと啓斗を見てから後を続ける。
「俺の方も。……本人なんじゃねーかって思ったもんな」
『それは、皆の心にあった人の行動パターンを我にそのまま融合させたからだ』
（つまりあれは…サイクルではなかったと）
明日は眉間に皺を寄せる。
『すまなかったと、一言言っておこう。まだ心は虚のままだが……それでも皆のお陰で満たされた』
声は、笑ったようだった。満ち足りたように、笑ったようだった。
「……あなた……もしかして、狭霧さんの力じゃないの？」
ぽつりと、シュラインが尋ねた。声は、小さく笑ったようだった。そして湖が再び光を放つ。再び光が収まった頃には、湖どころか、森すらも姿を消してしまっていた。
「……青、ですね」
モーリスが皆の中心にふわふわと浮かぶ光を見て呟いた。青の光、狭霧の光。
「狭霧さんの力なんですね。これは」
明日はそう言い、きょろきょろと見回す。すると、向こうから息を切らしながら狭霧が走ってきた。
「今、力が……力があるのを感じて」
「お、丁度いいとこにきたねぇ、狭霧ちゃん。……やっぱ、自分の力だから？」
雅が言うと、狭霧は小さく「え？」とだけいい、それから皆の中心に浮かんでいる青の光を見つめた。
「私の……」
「あー！それ、俺達が貰おうと思ってたのに！」
北斗が不満そうな声をあげ、それから啓斗もこっくりと頷く。そんな二人に、シュラインがぽんと肩を叩く。
「いいじゃない。狭霧さんに渡してあげましょう」
「女性には優しくしないといけませんしね」
明日もにっこりと笑って言う。
「どうぞ、受け取ってください」
更にモーリスが言うと、狭霧はそっと手を伸ばして力を受け取った。手の甲の花が、小さく青に光る。
「……虚の私……」
ぽつりと、狭霧は呟いた。ただ一言、ぽつりと。
●愚
虚を埋めたからと言って、全てが収まると言う訳ではない。分かっていた筈なのに、とうの昔に分かっていた筈なのに。それでも前よりも……苦しくない。
ヤクトはぎり、と歯軋りした。Ｄブロックに入ろうと試みたにも関わらず、入ることは出来なかったのだ。会いたい者が居た、今度こそ引き裂いてやろうとしたのに。
「穴吹……！」
呪いのように、小さく唸る。自分がこういう状態なのも、元凶がそこにあると言わんばかりに。
ヤクトは気付かない。自らも虚であったために、道が出来なかった事を。
狭霧は手の甲に咲く花を抱きしめる。Ｄブロックには入れなかった。皆が力の具現化を解いてくれたから、漸く足を踏み入れることが出来たのだ。
「私も……虚なのね」
道はできなかった。この力は知っていたのだ。虚を映しても、何も得られぬと。
「母様……」
ぽつりと狭霧は呟き、ぐっと奥歯を噛み締めた。泣く権利は自分には無い。今あるのは、ただ前を向いて歩いていく事のみだから。
明日は再び元の場所に帰っていた。再び足を踏み入れるのは、また力が具現化してからであろう。
「結局、本当の姿は何も分かりませんでしたね」
ぽつりと、明日は呟く。全てが虚だったのだろうか？しかし、虚であった時から苦しさを感じていたではないか。それが何かを知るために、虚を埋める為に自分達の心を覗いたのだから。
「名前すら聞いてないですし」
明日は小さく苦笑した。そして、ゆっくりと歩き始めた。胸の中で、サイクルが再び何かを言おうとするのを戒めながら。
＜自らの内を抱きしめながら・了＞
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■ 登場人物（この物語に登場した人物の一覧） ■
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【 0086 ／ シュライン・エマ ／ 女 ／ 26 ／ 翻訳家＆幽霊作家＋草間興信所事務員 】
【 0554 ／ 守崎・啓斗 ／ 男 ／ 17 ／ 高校生（忍） 】
【 0568 ／ 守崎・北斗 ／ 男 ／ 17 ／ 高校生（忍） 】
【 0843 ／ 影崎・雅 ／ 男 ／ 27 ／ トラブル清掃業＋時々住職 】
【 2318 ／ モーリス・ラジアル ／ 男 ／ 527 ／ ガードナー・医師・調和者 】
【 3138 ／ 桐崎・明日 ／ 男 ／ 17 ／ 最悪（フリーター） 】
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■ ライター通信 ■
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お待たせしました、コニチハ。霜月玲守です。この度は「虚愚像の湖」にご参加いただき、本当に有難う御座います。
桐崎・明日さん、依頼では初めてのご参加、有難う御座います。思い人がサイクルという女性という事で、想像を思い切り混ぜながら書かせて頂きました。口調など違っていたらすいません。如何だったでしょうか？
今回は、いつもにも増して個別行動が多いです。やはり思い人はその人だけのものですから。お暇な時にでも、他の方の文章と見比べていただけると嬉しいです。
ご意見・ご感想等心よりお待ちしております。それでは再びお会いできるその時迄。
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