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遠い日向と雪語り
「‥‥よろしく」
穂村弥生の態度は、降り続く雪よりも冷たかった。
やや面食らいつつ、
「必ず護るからね」
水鏡千剣破がガッツポーズを作ってみせる。
「‥‥そう」
返ってきた反応は、味気ない料理に素っ気ない調味料をかけたようなものだ。なんというか、最初から敵視されているような、そんな感じだ。
クライアントでなければ、一発くらい殴ってやりたいほどである。
そもそも事の始まりは、草間興信所に持ち込まれた依頼だった。
珍しく雪が降り、東京の街を白銀の世界に変えた日。
若森水菜と名乗る少女が、新宿区の一角にある貧乏探偵事務所を訪ねたことから、千剣破が巻き込まれる物語がはじまるのである。
多少おせっかいなところのある千剣破だ。
中学生くらいの女の子が困っているときいて、ほうっておけるはずもない。
ほとんど二つ返事で引き受けたのだが、
「なんかかわいくない」
とは、内心のつぶやきだ。
見るのと聞くのでは大違い。
弥生という少女、たしかに美人ではあるが、まるで人形のようである。
ただまあ、弥生がこういう態度を取る理由について、まったく判らないわけではない。
この穂村という家、退魔師の家計らしいのだ。
退魔師というのは、ようするに、魔を狩ることを生業にしている人々のことである。
こう書くとなかなか格好良いが、現実はそれほど甘くはない。
この手の連中の九九パーセントまでは、インチキ霊媒師だ。
たとえば千剣破の実家は神社である。そして千剣破もまた霊能力を持っているが、それを他人に語ることはない。
宗教法人として、賽銭や玉串料、霊水の売り上げといったものが水鏡家の収入である。これは公的に認められたことだ。
インチキ霊媒師などとはわけが違う。
そして穂村のいうのは、千剣破がみるところ、あまりまっとうとはいえない連中だ。
少なくとも弥生の周囲にいる大人は、
「アンタちょっと電波はいってんじゃないの?」
と、言いたくなるようなやつばかり。
これでは少女が心を開かなくても当然だろう。
だいたい、弥生にだってたいして能力があるようには見えない。
にもかかわらず、ただその血統を守るために屋敷に幽閉されている。
とんでんない時代錯誤である。
「戦国時代かってのよ」
邸宅内を見て回りつつ、千剣破が毒づいた。
べつに彼女の実家より一〇〇倍は広そうだから嫉妬したわけではない。穂村が人の心の弱みにつけ込んで財を成したのに、純粋な義憤を覚えただけだ。
魔と人と、どちらがより性質が悪いか、答えを出すことは難しい。
人の心の黄昏に忍び寄るのが、魔という存在だ。
それに対し、魔をも利用して自らの利益を得るのが人だ。
騙しあい、裏をかきあう。
心が泥水で洗われるような関係である。
「ホント‥‥どっちがタチが悪いのかしらね‥‥」
呟く。
そんな関係のなか、水菜が弥生に向ける感情だけは本物だった。
少なくとも千剣破はそう思っている。だから彼女もまた弥生を守ろうと思ったのだ。
「やる以上は、必ず守りきってみせる」
あるいは、弥生に自分の姿を見たのかもしれない。
鏡の中の千剣破。
開放的で理解のある両親に育てられなければ、弥生の現在は千剣破のものだったかもしれないのだ。
衝撃がきた!
深夜の穂村家。
鳴動する屋敷。爆音は一瞬だけ遅れる。
「‥‥まだ、遠いわ」
冷静に千剣破が呟き、布団から跳ね起きた弥生を制する。
当たり前の話だが、このような場面で整理された情報など得られるはずもない。
まずは慎重に状況を確認する。
「できる範囲で、ね」
現在、弥生の部屋の灯りは消えていない。
ということは、電源は生きているということである。
この手の屋敷のセキュリティーを考えれば、
「少なくとも、まだ火はつけられていないってことね」
黒髪を掻き上げる。
「なんで落ち着いてるのよっ! はやく逃げないとっ」
弥生が怒鳴る。
ほとんどパニック状態だが、まあ、普通の中学生の反応としては当然だろう。
「あたしが変なのよね」
内心で呟く千剣破だった。
普段、彼女は普通の高校生である。表向きは。
その一方で、龍神を祀る神社の戦巫女として修行を積んでいる。
「普通を演じるなんてのが、もう普通じゃないのよね」
認識はほろ苦い。
子供のふりをする子供。
滑稽だろうか。あるいはグロテスクだろうか。
いずれにしても、千剣破の人生は生まれ落ちたときに定まっていた。だが、周囲が考えるほど、彼女は絶望してなどいない。
定められたものなら、逃れられぬものなら、いっそのこと楽しんでしまえばいい。
最終目的地が一緒でも、過程にはいろいろな道があるはずだ。
学校生活も、修行も、仕事も、そして恋も、
「全力投球なんだからっ☆」
ということになる。
このポジティブさは、きっと両親譲りだろう。
「おかしい‥‥」
呟く千剣破。
もちろん、おかしいのは彼女の両親ではなく、現在の状況である。
「なにが?」
「狙われてるのは弥生ちゃんのはず‥‥」
にもかかわらず、戦闘音が近づいてこない。
これは、穂村家のガードたちが善戦している、という考え方もできるが、
「そんな甘い状況じゃないみたいだし」
金銀妖眼に軽い困惑をたたえる。
耳に入ってくる情報では、むしろ味方は圧倒されている。
「よっぽど優秀な敵みたいなのに‥‥」
どうしてこの部屋を直撃しないのだろう。
「ここが目的じゃないとか?」
「なにをバカなことを」
弥生の言葉に苦笑をかえそうとして、千剣破の表情が凍りついた。
ある可能性に気がついたのだ。
「まさか‥‥そんなことが‥‥」
「なになに? なんなの?」
「つまり‥‥弥生ちゃんは狙われてない‥‥?」
「ええっ!?」
「‥‥良く気がついたわね‥‥」
驚きの声は弥生。
そして‥‥。
「水菜‥‥」
千剣破の声が、かすれる。
水菜にとって、弥生は守るべき存在だった。
それは、そう命じられていたから。
最初は義務でしかなかった。
穂村家の当主に命じられるまま、ただ機械的に守っていた。
しかし、ときとともに水菜の心境は変化してゆく。
「私は弥生さまを守る」
衷心からの思いである。
「それと、この騒ぎと、どう結びつくのよ」
弥生を背後に庇いつつ尋ねる千剣破。
彼女でなくとも、この状況は意味不明だろう。
弥生を保護しているはずの穂村家を襲撃し、次々と打ち倒してゆくとは。
ガードたちは基本的に自分自身を守るようには行動しない。そういうものである。だからこそ、奇襲は見事なまでに成功したのだ。
彼女の目的は、まさにそのガードを一掃することだったのだから。
「護衛? 笑わせるなっ」
不意に、水菜が赫っとする。
はじめて会ったときのおとなしさからは信じられないほどの変化だった。
思わず息を呑む千剣破。
「こいつらが弥生さまを守るだとっ!? 自由を奪い、人格を否定し、数々の無道をおこなう穂村が何をほざくっ!!」
「なるほど。それが飼い主の手に噛みついた理由か」
少女の背後から聞こえる声。
同時に、
「か‥はっ‥‥!?」
水菜の腹から手が生える。
否、背後から手刀で貫かれたのだ。
穂村家の当主、穂村正道によって。
「くは‥‥」
鮮血が少女の口から溢れ出し、紅い流れをつくる。
唇から胸元を通過し、腹部で別の流れと交わって床へと続く。
「水菜っ!?」
一瞬の空白の後、駆け寄ろうとする弥生。
事件の真相などどうでも良かった。
いまはただ友達が、大切な親友の身が心配なだけだ。
「よくも水菜をっ!!」
殴りかかる。
むろん、そんな攻撃など当たるはずもなく、
「おまえが人形になど肩入れするから、このざまだ」
簡単に蹴り飛ばされる弥生の身体。
二転三転と床を転がる。
「水菜は‥‥人形なんかじゃない‥‥」
「人形だ。穂村を守るためだけに生まれ、教育される人形にすぎん」
「いうなっ!!」
「‥‥‥‥」
息を呑んで状況も見守る千剣破。
なんというか、弥生がここまで感情をむき出しにするのが意外だったし、正道の話も聞いていて心地の良いものではなかった。
ぐりぐりと動く男の手。
水菜が苦悶の表情を浮かべる。
「普通なら痛みで発狂する。でもこの人形は苦しがるだけだ。そう調教されているからな」
「やめろっ!」
ふたたび、弥生が殴りかかる。
水菜から手を放し、大きく後ろへと飛びさがる正道。
むろん、少女の攻撃を恐れたためではない。
「なぜ手を出す? 小娘」
「べつに穂村のありように口を挟むつもりはないけどね。でも、アンタみたいな最低男、ほっとくわけにいかないじゃない」
黒髪を左手で掻き上げる千剣破。
右手に握られた、赤い剣。水菜の血から生まれた、水の剣。
「アンタさっき、平気で弥生を蹴ったわね」
じりじりと間合いを詰める。
「だからどうした?」
「術者が、普通の人相手になにやってんのよ」
「特殊能力も持たぬ者など下僕にすぎない。当然のことだ」
「‥‥‥‥」
「まして弥生は、俺の子を産むくらいしか役に立たないんだからな」
エゴイストもここまでくれば、いっそすがすがしいほどだ。
むろん千剣破は、一グラムの感銘も受けなかった。
「おまえも可愛がってやるぞ? 何匹目かはわからんがペットとしてな」
ついでにサディストも入っている。
「いいわ」
応えた千剣破が一瞬瞳を閉じ、開く。
黒い右目と。
蒼い光を放つ左の瞳。
「なっ!?」
叫ぶもあればこそ。
正道の身体から、無数の棘が生える。
驚愕の表情を浮かべたまま倒れ伏す穂村家の当主。
彼は死ぬまでの一瞬で、はたして痛みを感じだろうか。自分が死んでゆく理由を察することができただろうか。
千剣破のチカラ‥‥それは水を操る龍神の力だ。
そして人間の肉体の八〇パーセントは、水でできている。
「‥‥‥‥」
無言のまま、異形の死体と化した男を見つめる。
生まれて初めてのことを、彼女はしてしまった。
人を、殺したのだ。
「水菜‥‥水菜‥‥」
背後で流れる嗚咽。
まるで人ごとのように、千剣破は聞いていた。
窓の外には白磁の月。
一片の温もりもなく、ただ黙然と輝く。
エピローグ
結局、水菜は一命を取り留めた。
穂村家は当主を失い、しばらくの間は再起できないだろう。
あるいはそれが歴史の正しい姿かもしれない。
オカルトが時代の流れとともに消えていったのは、その役割を終えたからではないか。
そんな風に考える千剣破だった。
弥生は、傷を負った水菜とともに怪奇探偵の友人である警視庁幹部の保護下に置かれた。近く北海道に転居し、新たな人生を始めることになるという。
それが幸福であるのかどうか、いまの千剣破は答えを持ち合わせない。
「あっちは‥‥もっと寒いわよね」
呟き。
暗く濁った東京の空。
無香の花がちらほらと舞い降りていた。
白く白く。
すべての穢れを覆い隠すように。
おわり
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