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<東京怪談・PCゲームノベル>


ワルツ・ザ・クッキー


 ――プロローグ

 東京ネズミーランド。その地下には、巨大カジノがある。
 有名な話である。そしてカジノには犯罪者が溜まる。大物から小物まで、ありとあらゆる犯罪者はカジノを訪れることをやめない。
 深町・加門は地下五階に広がっているカジノの様を思い浮かべた。加門は特にギャンブルを好むわけではない。パチンコも競馬もやらない。やるのは、賭けマージャンといったところか。カードもやらないわけではなかったが、負け知らずの加門に挑んでくる奴もほとんどいない。
 基本的に運がいいのだ。中途半端に。
 賭けに勝った帰り道にマンホールに落ちたり、鉄筋が落ちてきたり、加門の人生はそういうものである。
 五百円を拾った日に限って、大物賞金首を逃がしたりする。
 だからカジノに入らない……といった理由は成立するだろうか。カジノの中の大捕り劇は厳禁だった。今回の獲物はちゃちいイカサマ師だった。ディーラーをしているオパールだ。だから、カジノの外にオーパルは出て来ない。

 捕まらないと踏んでいる賞金首ほど、捕まえたくなるものだ。
 加門はそんなことを考えて、嗜んでいた煙草を灰皿に突っ込んだ。カジノで軽く遊んで、オパールのイカサマ振りでも見ながら、隙をみてボールペンでも背中に突きつけてやればいい。

 地下三階でエレベーターを乗り換える。そこで、加門は目撃した。
 目に飛び込んできた一帯が、血で赤く染まり、ぼんやりと立っている子供のように小さい後姿を。
 彼の名はクッキー。目撃者全てを惨殺して回る、殺戮者。その賞金額は、たしか六百万だったか。
 クッキーはくるりと振り返り、けして少年にはできぬであろう小皺を作ってニタリと笑った。

 
 ――エピソード

 カジノは楽しい場所である。
 一枚のコインを得意のスロットで山にした雪森・雛太は、パチスロからこちらに乗り換えようかと思っているぐらいだった。しかし――ただ堅苦しい。
 雛太は柄にもなくスーツ姿だった。一応ネクタイも締めている。行く人行く人、高級スーツやドレスを身につけた連中ばかりだったので、自分の姿が滑稽ではないか気にかかり、鏡ばりの壁に自分の姿を映して、ついネクタイを直した。
 一歩間違えればリクルートスーツのようなデザインだったが、色が茶だったので誤魔化せている。ネクタイはクリーム色。一応きちんと赤いハンカチーフも胸ポケットに突っ込んでいた。足元に置いたコインの入った箱を持ち、今度は何をしようかと煌びやかなカジノを見渡す。
 目に付いた人込みに近寄ってみると、そこではポーカーをやっていた。美女が一人、大枚を賭けて勝負をしている。ディーラーは黒髪の優男で、作り笑いが巧い。笑ってなどいないのに、笑っているようにみえる。カードさばきを見ていると、どうやら袖にカードが隠してあることがわかった。
 これだけの見物人がいて、よく見つからないものだ。
 くだらない、と捨ててしまうこともできたが、イカサマを相手に一儲けするのも楽しいかと思い、雛太は人込みを掻き分けてポーカーの席についた。
「おや? 未成年は立ち入り禁止ですよ」
 ディーラーが笑う。美女も雛太を見て、クスクスと笑った。
「人は見かけによらねえの。この勝負が終わったら、俺と勝負をしようぜ」
 すぐに美女とディーラーとの勝負はつき、美女は大量のコインを置いて、不機嫌に席を立って行った。雛太も彼女と同じぐらいのコインをディーラーへ押し出してみせた。
「ここは目の悪い奴には冷たいな」
 雛太が暗喩する。ディーラーは疑問符を浮かべて雛太を見る。
「あんた名前は?」
「オニキスと申します」
 ふうんと名前を聞き流しながら、オパールというイカサマ師のことを思い浮かべた。賞金首を特集しているサイトがある。たしか、同じような顔だったような気がする。
「カードを配るときに、片手置いてくれないか」
 雛太は言った。
 ディーラーは苦笑して片手を置いた。
「格好がつきません」
「未成年が相手じゃねえか」
 つい自分で言って雛太は笑った。
 イカサマはある程度成功し、そしてその度に雛太が先を読んでいたので、ディーラーは思うほど雛太から絞れ取れなかった。雛太はからからと笑って、コインを手に席を立った。
「あんた、カッコワルイぜ」
 換金所で金に換え、学費と光熱費と食費を稼いだ雛太は上機嫌にエレベーターホールへ向かった。


 深町・加門はエレベーターを出た瞬間に叫んでいた。
「来るな、引き返せ」
 同じエレベーターに乗っていた派手な着物の男が立ち止まる。加門の鬼気迫る様子に、エレベーターの中に立ったまま変な顔をして加門を見ていた。
 やがてエレベーターが閉まった。
 加門は少し安堵し、まだ振り向きもしていないクッキーの後姿を見つめながら下へ下がるエレベーターへ移動しようとした。
「見えたね」
 しんと静まり返ったエレベーターホールに、クッキーの少ししわがれた声が響いた。
 どうしてだか、恐怖で足が動かなくなる。呼吸をするのに意識がいる。空気があまりにも澄んでいるように感じた。クッキーの後ろには、頭をかち割られた死体と顔の判別さえできなくなった死体が転がっていた。血があちこちに散っている。クッキーの身体や顔にも返り血が見えた。
 クッキーの身体が瞬間的に加門の目の前に現れる。何も認知できぬまま、殴られた。左へ飛んだところを、膝で蹴られる。「ぐはっ」唾を飛ばした。右足を地につけ、反撃に出ようと思った途端、頭を両拳で思い切り殴られた。
 そのまま首を捕まれ、コンクリートの壁に頭を打ちつけられる。
 ダン、ダン、エレベーターホールに打撃音が響いた。
 クッキーの腕を掴み、身体を折って放り投げようとしたところへ、腕があらぬ方向へ曲がる。曲がったのは腕だけではない。足も膝から下が、捻じ曲げられようとしていた。
 サイコキネシスか。
 加門はその場に崩れ落ちた。
 首が、曲げられる。殺される。クッキーの顔が目に映った。老年の少年の顔は、楽しげに朗らかに笑っている。
 くそ、意志の効かない手を握り締めて、膝を振り上げクッキーの足元をすくった。クッキーはこてっと倒れ、面白そうに起き上がって加門の頭を蹴った。捻じ曲げようとする力はより強くなり、声さえ出せない。
 クッキーは急にその力を緩めた。加門が、幸いと立ち上がる。身軽に飛び上がったクッキーの身体が、宙を舞うように降ってきて右足が思い切り胸に打ち下ろされる。避けるにも立っているのがやっとの状態だった。加門は手を伸ばした先で、エレベーターのボタンだけを押した。蹴られゆらりと揺らいだところへ、今度は首へ足が振り下ろされる。
 それだけの攻撃をしているというのに、クッキーはトンと床にきれいに着地して、目をぱっちり開け、屈んで立っているだけで精一杯の加門へ向き直り、くすりと笑った。
 加門は息をしているのがやっとの状態だった。いや、実際はそれすらままならない。
 
 
 ふいに黒い影がエレベーターホールへ現れる。
「情けない奴だな」
 加門は誰にするのと同じように、現れた黒・冥月へも言った。
「逃げろ」
「バカが。誰を相手だと思っている」
 冥月はふふりと笑った。彼女は赤いチャイナドレス姿で、髪もアップに結い上げている。おそらく、他の用事でカジノへ来ていたのだろう。
 クッキーが冥月を見た。加門は壁に手をかけて、なんとか立ち上がる。
「奴がクッキーだ」
「……ほう。その筋じゃ有名人じゃないか」
 チン、とカジノへ下るエレベーターが鳴った。
 冥月は中に誰も乗っていないのを見て、加門を顔で促した。
「お前は逃げろ」
 一人で逃げる気などなかったが、事実加門はエレベーターの中に倒れこむ力しか残っていなかった。黒・冥月は影を操る能力者である。もしかしたら、彼女ならばクッキーに敵うかもしれない。かすかにそう希望を持ちつつ、加門は意識が遠のくのを感じていた。


 地下へ下るエレベーターの前で、帯刀・左京は途方に暮れていた。
 引き返せとひどく真剣に言われたので、ついエレベーターのクローズを押してしまったものの、よくわからないが、おそらくあの男はあそこで何かを見たのだろう。
 たぶん、相当やばいものを。
 やばいものか……。少々良心が痛むのと、好奇心が勝ってエレベーターの下ボタンを押す。あの男の様子は尋常ではなかった。扇子で胸元を扇ぎながら、エレベーターを待っていると、エレベーターは空のままやってきた。
 しかし……風が吹いた。
 エレベーターから、たしかに風が吹いた。左京は驚いてその方向を見た。まるで誰かが隣を通って行ったかのようだったからだ。しかし、左京の目には何も映らなかった。
 しばらくじっと風の気配を追っていたが、何も感じなかったので気のせいだと諦めることにした。
 エレベーターへ乗り込み、問題の地下三階を押す。
 降りてみると、赤く染まった壁に死体が二体あった。少し進み、突然女が現れる。それは本当に瞬間移動をしてきたかのように現れた。
 女は怪我をしているようだった。
「……どうしたってんだ? 大丈夫か、あんた」
「私は平気だ。影で……逃げられる」
「逃げる?」
 左京は頭を廻らせる。さっきの男は、殺人現場にでも居合わせたのだろうか。そして彼女も?
「影?」
「……なんでもない。すまない、一人で立てる」
 チャイナドレス姿の女性は、あちこちに打撲の傷をつくり足を引きずっていた。苦々しい顔で、一言つぶやく。
「クッキー……」
 着ているドレスもあちこち汚れたり破れたりしている。
 左京は顔をしかめた。クッキーとは、あの甘くて香ばしいクッキーのことだろうか。
「クッキーは目撃者を狙う。おそらく、私が外へ逃げたと思って外へ出て行っただろう。……あいつは今どこか……確実に殺されるぞ」
 女性が渋い顔で言うので、左京はやはり手を貸しつつ訊いた。
「クッキーがアレをやったってのか? あんた達が見て、追われてるって寸法だな」
「……平たく言えばそうだ」
「あいつってのは、青いシャツ着た、ボサボサ頭の眠そうな奴だろ」
「そうだ」
 チン、とカジノからのエレベーターが鳴った。
 
 
 雪森・雛太がエレベーターを待っていると、ズタボロの状態の男がエレベーターに乗ってやってきた。
 一瞬、カジノのデモンストレーションかと思ったが、こんなに意味のないデモンストレーションはないだろうと考え、ちょっとした良心から男に声をかけた。
「……大丈夫か」
 もっと気のきいた言葉を探したが、大丈夫そうではとてもない男にかける言葉の語彙など雛太にはない。結局、大丈夫かと訊くことになっていた。男は意識がなかった。エレベーターの中からなんとか引きずり出すと、蝶ネクタイの男が飛んできて雛太へ言った。
「困りますお客様」
「困るっつったって、エレベーター乗ってきた怪我人だぜ?」
「困ります」
 カジノ全体から黒服の男が集まって来たので、雛太は慌てて男をエレベーターの中へ引きずり込んだ。
 ボタンを押して、あらためて男の顔を覗き込む。
 男は頭と鼻と口から血を流していた。シャツ姿のあちこちにも血が滲んでいる。男の乗ってきたエレベーターには、血溜まりができていた。主な出血はおそらく頭部だろう。
「ヤバイんじゃねえの?」
 男の顔色も青いが、雛太も青くなる。まさか、死体を拾う羽目になろうとは思わなかった。
 なんとか自分を保つ為に、男の頬を叩いてみる。数回叩くと、男は重たそうなまぶたをゆっくりと開けた。
「おい、大丈夫か」
「……よぉ、まさか天国じゃねえな」
 男は身体を持ち上げようとして、断念した。それからゴホゴホと咳をする。血が口から零れ落ちた。
「天国間際だぜ」
 雛太がエレベーターの天井を仰ぎながら言うと、男は血を噴出させながら笑った。
「まったくだ」
 チン、と地下三階へ着いた音がした。
 
 
 黒・冥月と帯刀・左京の話している横へ、問題の男が姿を現した。
「雛太……カジノへ来てたのか」
 冥月は驚いて訊いていた。雛太の足元には、深町・加門が寝転んでいる。
「冥月……こいつ、知り合いか?」
「ああ。賞金稼ぎだ、加門という」
 雛太は加門をエレベーターから引きずり出した。加門はようやく意識がはっきりしてきたのか、冥月を見てかすかに笑った。
「お前なら無事だと思った」
「バカを言うな。逃げたから無事だったんだ」
 左京は加門に近付いて、懐から手ぬぐいを取り出し差し出した。加門は緩慢な動きでそれを受け取り、口許と鼻を拭ってから、ゆっくりと身体を持ち上げた。
「動くなよ」
 雛太が眉を寄せて言う。加門はしゃがんでいる雛太の肩に手を置いて、肩膝を立てうめき声を上げながら立ち上がった。
「お前が逃げたのか……こりゃあ、ヤバイな」
 加門は無表情のまま言った。
 雛太は小さな体で加門を支えている。見て取った左京が加門に手を貸した。
「あんた……加門さんつったっけ? と、このお姉ちゃんが目撃者なわけだ」
「危ないのは加門だ」
 冥月は腕組をして言った。
「私はどこへでも逃げられる。加門お前、特殊能力なんか持っていないんだろう」
 加門は血をぺっと吐き出した。
「このザマ見てわかるだろ」
 黙っていた雛太が堪りかねて声を上げる。
「ちょっと待てよ、どういうことか全然わからねえ」
 左京は加門の片腕を自分の首に回し、向かいの上へ向かうエレベーターへ向かいながら親指で死体の転がっている現場を指した。
「アレだ」
 雛太が口をつぐむ。
 冥月が補足の説明をした。
「犯人は通称クッキー、誰も見たことのない殺戮者だ。実際は私と加門だけが見ているが正しい。目的は不明。やりあった感触を言えば、極めて多種の特殊能力を持っている。クッキーは必ず目撃者を殺す。あのとき、携帯電話が鳴らなければ影に逃げ込むことも不能だったかもしれない」
「携帯電話?」
 雛太がオウム返しに訊いた。
「ああ。着信音に、クッキーは過剰反応をした」
「あんたなら倒せたんじゃねえの?」
 冥月の強さを知っている雛太が聞くと、冥月はくしゃりと顔を歪めた。
「わからない。ただ、引くのが妥当だと思わされる強さだった」
 地上へ昇るエレベーターが鳴り、中には強面のCASLL・TOが犬を連れて乗っていた。突然の出会いに、目をぱちくりさせている。それからぐったりした加門を見て、声を上げた。
「どうしたんですか、血の匂いって加門さんだったんですか!」
 慌てるCASLLに、冥月が死体を指差した。CASLLは一瞬呆気に取られたあと、小さな声でつぶやいた。
「……なんて、ことなんでしょう」
 CASLLは犬を連れて死体へ駆け寄っていく。
 左京が加門を重たそうにして言った。
「俺、さっさと乗りたいんだけど」
「CASLL、先行くぞ」
 雛太が言うと、CASLLは大きくうなずいて手を振った。
 エレベーターへ三人が乗り込んだところで、冥月が溜め息をついた。
「私は帰るぞ、加門の様子は後で見に行く。護衛がいるだろうからな」
 そして冥月は影の中へ消えて行った。
 
 
 青島・萩は行方不明になっていた子供をネズミーランドで見つけたところだった。
 季節外れにも深緑色のウィンドブレーカーを着て、静まり返ったアミューズメントパークを見渡す。人のいない遊園地は、少し不気味だが楽しい気がした。
 そこへ、ひょこひょことぬいぐるみが歩いて来た。
 ……それがネズミや犬のぬいぐるみであったなら、萩は見逃しただろう。しかし何故か、そのぬいぐるみはペンギンだったのだ。懐かしのニコニコプンのピッコロだった。間違いない。
 ここはネズミーランドである。ニコニコプンがいる筈がない。
 萩はつい身構えて、その謎のぬいぐるみへ近付いて行った。
 ぬいぐるみは萩を見て、狼狽するように手足をバタバタさせた。
 萩はコホンと咳払いをして、ぬいぐるみを呼んだ。呼ばれたぬいぐるみは、自分を自分の手で指し、首を一生懸命かしげている。しかし萩は有無を言わさず近付いて言った。
「えーと、お名前は」
「……ボク、ミッキー」
「警察の者です」
 警察手帳をぬいぐるみの口へ向かって見せる。ぬいぐるみは観念したようだった。
「冠城・琉人です。ちょっと仕事で来ています」
 ぬいぐるみを脱がずに琉人と名乗った男らしい声が言った。
「ちょっと、急ぐんですけど」
「仕事ってなんですか? 急ぐって何故です?」
「ええっと……私は神父なのですが、維持費が大変でして。そこで、賞金稼ぎをしております」
 萩の顔が険しくなる。賞金稼ぎと警察は犬猿の仲と言っていい。
「それで? 賞金首がここに。どうして、そんな格好なんです」
 呆れながら聞くと、至極真面目な声が返ってきた。
「目立たないと思いまして」
「思いっきり目立ってますけど」
 ぬいぐるみが静止する。
「え? 本当ですか?」
 彼は素で目立っていないと考えていたらしい。青島・萩はとんだ間抜けな賞金稼ぎについ頭を抱えた。
 
 
 冠城・琉人はぬいぐるみをかぶったまま、ふーむとうなっていた。クッキーを追ってきたものの、ネズミーランドでぷっつりと情報が途切れたのだ。仕方なく、ぬいぐるみに入ったまま、子供達に風船を配ったりして、楽しく時間を過ごしていた。
 動いた、と知らせが来たのは十時近くで、琉人のぬいぐるみ姿は目立つばかりだった。
 そんなことは気にせずに現場へ行こうと移動する。
 しかし、残念ながら邪魔が入った。青島・萩という名の刑事が、いいところで琉人に職務質問をぶつけてきたのだ。まさか、六百万の賞金首が、警察が黙認しているカジノの付近に出没していると告げるわけにもいかず、萩は琉人を怪しいと睨んだのか逃げ出すこともできず、カジノへの出入り口であるエレベーター前で途方に暮れてしまった。
 琉人は霊全般を自由に操作することができる。だから、クッキーの動きもそれで知ればよかった。しかし、地下へのエレベーターホールまで行ったとき、クッキーを見失ったと霊の報告が入った。見失う? ことはあり得ない。クッキーは瞬間移動でもするのだろうか。霊方面でないとすれば、超能力の類の力だろう。
 困っているところへ、男が三人エレベーターから降りてきた。一人は血まみれだった。
「だ、大丈夫ですか」
 萩が声を荒げる。怪我人は反応一つしない。
「おや? 加門さんじゃないですか」
 琉人は、つい言った。
 怪我人の身体を支えている派手な着物の男が加門へ訊く。
「知り合いか?」
「……さあ」
 琉人はぬいぐるみを被っているのである。
 気付いて脱いでみせたが、加門の反応は相変わらず薄かった。
「あんた……誰だっけ」
「冠城です。冠城・琉人」
「オパール狙いか?」
 加門は口を利くのも辛そうな様子だった。
「いえ、クッキーです」
「やめた方がいい。調べてみなくちゃわからんが、あいつはヤバイ」
 琉人はあっさり認めた。
「まずそうですね。早く治療してもらった方がいいですよ」
 加門が苦笑する。
「クッキーって、おい、大量殺人犯のクッキーか?」
 青島・萩の顔色が変わった。左京が萩を胡散臭そうに見て、渋々といった様子でうなずいた。
 雛太が横から加門に訊いた。
「あんた車は? 俺のは嫌だぜ、血だらけになんの」
 歩き出しながら加門は答えた。
「外の駐車場に、青のミニがある」


 殺気が、漂ってきた。
 左京の足が止まる。左京は加門の長身を小さな雛太へ押しつけ、後ろを向いた。冠城・琉人がこちらを見ている。左京と琉人の中央に、すうと小さな男が現れた。
 左京は身構える。そして叫んだ。
「逃げろ、車まで逃げ帰れ」
「こいつがクッキー!」
 萩も立ち止まる。
 クッキーと呼ばれている男はまず萩と左京と琉人は無視して、嬉しそうに笑った。
「みつけた」
 瞬間移動に近い速さで、クッキーは加門の後姿に近付いた。瞬間移動ではなく高速移動だったので、左京の出した右足はクッキーに引っかかり、クッキーは左京の隣でこてっと転んだ。転んでから驚いたように左京を見上げた。
「みえたね」
 加門達は振り返ることなく、この場から去って行った。
 素早い攻撃が繰り出される。左京は硬化してそれを防いだ。クッキーはすぐにそれに気付き、左京の右手の指を一本あらぬ方向へ曲げ出した。
「うっ」
 ゆっくり指を曲げ手首を曲げ、肘を曲げ、左京の腕があらぬ方向へ向いていく。
 くすくすと笑うクッキーへ、琉人が飛び込んできた。
 ぬいぐるみの格好のまま、するどいアッパーをくり出す。クッキーはそれを食らって、まるで受け流すように後ろへ飛んだ。とん、と着地をする。
「みえたね」
 琉人へ言った。
 顔には傷がついていない。
 琉人は能力を開放した。左京にも、彼の手に宿った怨念が見える。おそらく、クッキーに襲われた連中の怨念を集めたのだろう。
 あれを食らったら、人間ならば一たまりもない。
 解けたサイコキネシスに腕や指を撫でながら、クッキーを観察していた。琉人が懐へ飛び込み、右手で耳を掴む。そして怨念を中へ流し込んだ。
 しかし、クッキーはまるで無反応だった。
 クッキーはまとわりついている琉人の鳩尾を膝で蹴り、くるくると回って後ろへ着地した。
「人なのか?」
 左京が琉人を助け起こしながら訊く。琉人は大きく首を横に振った。
「わかりません」
「捕まえられるか」
 そうすれば、左京には相手の生気を吸い取るという技があった。
「わかりません。……無理でしょう」
 クッキーは笑いながら二人へ突っ込んでくる。

 そこへ萩が立ち塞がった。
「俺の前で怪我人を出すのは嫌なんだ」
 しかし武器は何も持っていない。
 サイコキネシスを発動させ、クッキーにしかける。しかしクッキーはにっこりと笑い、それを相殺するようにして同じ技を萩へかけた。
「うが」
 琉人がクッキーに体当たりをする。瞬間にクッキーのサイコキネシスが切れた。萩は脱力して膝を折った。左京が萩の身体をぽんと叩き、戦略も何もなく突っ込んでいく。
 そのとき、萩の電話が鳴った。クッキーが立ち止まる。半ば錯乱状態に陥ったクッキーは、「うわああ」と叫びながら頭を押さえている。
 制御不能になった能力が辺りの物を手当たり次第変形させていく。
「……引きましょう」
 琉人がつぶやき、左京もうなずいた。
 萩がありえないといった表情で二人を見る。
「殺人犯を? 野放しにするのか」
「それじゃなきゃ、青島さん、死にますよ」
 琉人はそう言ってぬいぐるみを脱いだ。
 
 
 CASLLは血と死体を見て、かすかに笑った。
 笑ってから、なにがおかしいものか、と自分を諌める。血の色は気分を高揚させるような気がした。変な感覚だった。
 死体を調べていると、全て素手で行われているのだろうということがわかった。
 早い話がなぶり殺しである。愉快犯にしても、このスタイルはあまりとらない。殺したいから殺す場合、もっと効率のよい殺し方を選んでもよい筈だ。
 なぶり殺す理由……例えば、死ぬほど恨んでいたとか?
 そういったことはないだろう。クッキーは目撃者を殺す殺戮者である。目撃者を恨む理由などほとんどない。拳銃で眉間を撃ってしまえば死ぬし、包丁でめった刺しにしても死ぬ。わざわざ、体力を使って殴り蹴り昏倒しても尚暴行を加え、殺す意味はなんなのだろう。
 考えながら立ち上がり、CASLLは早々に現場を立ち去った。
 警察が来たら、また犯人にされてしまうからだ。
 
 
 加門のクーパーの運転席には雪森・雛太が座っていた。助手席には深町・加門が乗っている。
 加門は時折血を吐き、頭からの出血は止まらぬままだった。にも関わらず、胸ポケットに入っている煙草を一本口にくわえ、車のライターで火をつけてぼんやりとしている。
 ドアに寄りかかり、煙草をなんとかくわえてはいるものの、眠そうな顔はいつ死に飲み込まれてもおかしくないような気がする。
「おい」
 雛太が心配になって声をかけると、加門は手を上げて反応してみせた。その手は煙草に添えられ、ゆっくりと煙が吐き出される。
「まずい」
「美味いわけねえだろ、その怪我で」
「そこの信号左」
「病院だろ、まず、病院」
「嫌だね、左だ」
 ちっと舌打ちをして雛太は車を操作する。
「そもそもクッキーってなんなんだ? あいつら平気なのか?」
「わかんねえよ、俺なら死んでるな」
 加門が答える。確かに加門は今、死にぞこないの状態だった。
 赤信号で停まりネクタイをゆるめてから、ハンドルに手をかけた。
「冠城の方は能力者だが、もう一人の男はまったくわからん……無事なら連絡を寄越すだろ」
 まずそうに煙草を吸いながら、加門はぼんやりと口にした。
「『見えたね』そう言った」
 煙草の煙が車内に充満する。雛太もポケットから一本取り出そうと思う。しかし加門の言葉が気にかかり、雛太は言った。
「じゃあ、見えていないってことじゃないか?」
 雛太の頭の起動音がする。クッキーは突然現れたようだった。
「クッキーはどんな奴だ?」
「……子供だな。人を殺して遊んでる」
「じゃあ、どうしてもっと人が死なない?」
 信号が青に変わる。雛太は車をスタートさせた。
 加門は頭の血を手で拭って眉を寄せた。
「知らねえよ」
「見えないんじゃないのか、普通の状態じゃ」
「見えない? どうして」
「だからさ、人殺しの現場でしかクッキーは目撃されない。見えた連中は全員消される、そういうプログラムなんだ」
 雛太は検問の長い列に並んだ。
「プログラム? あいつは人間じゃねえのか」
 加門が要領を得ない反応をする。
「バカ」
 言われて加門は肩をすくめる。雛太は自分の考えに取り付かれたように話をしなくなった。加門は煙草を灰皿へねじ込み目を閉じた。


 神宮寺・夕日は不本意ながら飲酒運転の検問をしている。
 次の車の運転席に顔を出して、まだ少年っぽい顔をした男に袋を手渡した。ふいに助手席へ目をやると、知っている男が寝ている。……というより、気絶をしている?
「ああ」
 雛太が驚いて夕日を見上げた。夕日は雛太を無視して助手席に回り、ゴンゴンと窓を叩いた。驚きながら、雛太は助手席の窓を開けた。
「深町・加門、あんた……なに、どうしたのよ……」
 明らかに動揺していた。
 雛太は答えた。
「階段から落ちて」
「嘘言いなさい、どう考えてもリンチの痕じゃないのよ。やだ、ちょっと目ぇ開けてよ」
 夕日は加門の血のついた頬を叩いた。しばらくすると、後ろからクラクションが鳴り始める。夕日の同僚もやってきたので、夕日はともかく後部座席のドアを開けて勝手に乗り込んだ。
「ちょっと、あんた、なに勝手に乗ってんだ」
「うるさい。病院でしょ、病院に行くんでしょ」
 助手席と運転席の間から顔を出し、加門を覗き込みながら夕日が言う。
 雛太は困ったなあと頭をかいて、首を横に振った。
「いや、ちょっと他へ……」
「なに言ってんのよ、大怪我よ」
 夕日は加門の頬を叩き続け、加門は意識を取り戻した。
 
 ぼんやりと車の中が見える。視界に女が入ってくる。女? それだけに驚いた。どうしてここにいるのかを考える。そもそもどうして助手席に座っているのか。……いや、どうして全身が痛いのか。何よりも頭が痛いような気がする。
 寒い。
「起きた、起きたわ」
「……うるせぇな、眠れやしねえ」
「ナビがなきゃ動けねえよ」
 男が冷たく言い放つ。運転席の男へ視線をやって、そうこの少年のような男に助け出されたことを思い出した。
 それから心配そうに加門を覗きこんでいる女を見た。こっちは見た顔だった。たしか……警察官だった筈だ。
「お前、名前は?」
 加門は男へ訊いた。男は横目で加門を見た。
「次の信号は?」
「直進だ」
「雪森・雛太」
「そうか、俺は深町・加門」
 咳が込み上げてきて、慌てて手で口を押さえた。今の状態ならば、血が混じっているだろう。色々なことが思い出されてくる。
 それから夕日へ向かって訊いた。
「お前、なんで乗ってんだ」
 至極もっともな質問だった。
「なんでって! あんたねえ……人が心配して……」
「大きな声出すな。頭に響く」
 加門は煙草を取り出した。雛太へ一本差し出すと、彼はそれを受け取った。百円ライターで火を灯してやる。
 自分の煙草にも火をつけて、少し意識が整理されてきたような感覚を味わう。
「やばいな、俺といるとクッキーに捕まる。お前等、別行動とれ」
 冷静に状況を判断する。
 雛太は呆れ声で答えた。
「その身体でなに言ってんだよ、このバカ」
「バカはそっちだ。民間人だろ?」
「クッキーって? あの? 殺戮者クッキー?」
 夕日がキンキン声で言う。加門は嫌そうに顔を歪める。
「とにかく、麗子の家に着いたら全員解散だ。死にたくなかったらな」
 やる気のない顔の加門がきっぱりと言い切った。しかしすぐに夕日は言った。
「嫌よ」
「……謎が解けてないからな」
 雛太がステアリングを握って言った。
「謎だあ?」
「クッキーはなぜ少数にしか目撃されないのか。クロスワードパズルは埋まらねえと眠れない性質だもんでね」
 加門は血のべっとりとついた額を押さえ、はあと溜め息をついた。
 
 
 如月・麗子の部屋にいる。
 如月・麗子は深町・加門の仕事仲間である。商売敵とも言えるし、仲間とも言える。腐れ縁が一番近いかもしれない。
 加門はわからないことがあると麗子の家に身を置くことにしていた。
 大抵の情報は麗子の元へ集まる。彼女の交友関係は広い。
 麗子は金髪で豊満な美人で、どちらかというとヒトデナシだった。加門を見た瞬間の麗子の顔は、ゲンナリというか最悪というか、そういう類の表情だった。死にかけて見える加門を、リビングに布団を敷いてそこへ寝かせ、心配そうにしている夕日に救急箱を渡した。
「ベットは?」
 雛太が聞くと、麗子は大仰な身振りで言った。
「やあよ、血ついちゃうじゃない。それに、こいつはどうせ殺したって死なないんだからほっときゃいいのよ」
 まったく心配した様子はない。
 雛太と夕日に「飲み物は? ビール?」と悠長に聞いたので、二人は顔を見合わせて困った声で言った。
「麦茶で」
 妥当な飲み物を申請してみる。
「ないわよ。コーラならあるけど」
 加門はぐったりと伸びている。夕日に巻き付けられた包帯でミイラ男みたいな状態だった。
「それで? あの加門ちゃんはどーしてこーなったわけ」
 麗子は血が嫌いなので、加門の方を意識的に見ないようにしている。
「クッキー、が」
「ちょっと待って、やっぱり聞かない。その名前は聞きたくない。加門、起きなさいよ。出て行って。嫌よ、あんたの巻き添え食って死ぬのなんか」
 麗子は座っていたソファーから立ち上がり、加門の身体を軽く蹴った。加門は身体を屈めて口の中でうめく。
 雛太は戸の開いた隣部屋に頭を突っ込んでから、麗子へ訊いた。
「パソコン使わせてもらっていいっすか」
「いいわよ、別に。その代わりほっんとさっさと出てってね」

 隣部屋には三台のパソコンが置いてあった。手近なパソコンを起動させ、クッキーの情報収集をする。
 このままどうするか。頭で目まぐるしく考えていた。深町・加門と行動を別にするのが一番安全だ。しかし、そういうわけにはいかない。どうしてだ? どうしてクッキーの行動は制限されているのだろう。見られたから殺す、ただそれだけなのだろうか。子供が遊ぶように人をああやって(加門を見れば致命傷が避けられているのがよくわかる)なぶり殺しにしているということは、そのこと自体が遊びなのではないだろうか。
 それならば標的は誰でもいい筈だ。
 ただ、クッキーの殺しが露見していないだけなのだろうか。
 麗子が雛太の後ろに立っていた。麗子は近くの机の上からMOディスクを取って、ドライブへ入れた。雛太の後ろからキーボードへ手を伸ばし、カチャカチャと素早くたくさんの記号を打ち込む。
 インターネットを媒体として、麗子はどこかの研究所のパソコンへすぐに入り込んだ。
「こうするとね、人のコンピューターが覗けるってわけね」
 プログラムが発動し、いくつものセキュリティーを突破していく。画面にアルファベットが延々と流れていった。
 暫くして、研究データが画面に表示される。
 それは日記形式に書いてあった。
 
 
 後部座席に乗っているCASLLは泣き声混じりに叫んだ。
「聞いてないですよ!」
「違反だ、スピード違反だ!」
 萩も同じように叫んだ。
 運転席の左京はアクセルを踏み込みっぱなしで答える。
「言ってねえもんよ」
「たしかに。言われませんでした」
 琉人は着ぐるみを脱いでいて、中は神父姿だった。着ぐるみのどこにしまってあったのか、小さな水筒を持っている。車の中でコップに注いで、琉人は悠長にお茶を飲み、やはりお茶を飲む常としてほっと息をついた。
「なんでそんなに落ち着いてるんですか」
「慌ててもなにも変わらないじゃないですか」
 CASLLの言及に琉人はのんびり答える。そしてCASLLにも茶を淹れて非常に揺れる車内で彼へ手渡した。
「左京さんがスピード狂だなんてえ!」
 クッキーとは別件でピンチなのである。
 左京はCASLLの言葉など耳に触れてさえいないのか、鼻唄混じりにこれでもかというほどアクセルを踏んでいた。対向車が恐ろしいスピードで流れていく。クッキーではなく、これでお陀仏という事態だってありえそうだ。
「逮捕するぞ、おい、スピード違反の切符切るぞ」
 萩がシートの間から顔を突っ込んで左京に警告するが、左京が気にする様子はない。
 CASLLはネズミーランドの駐車場で左京と琉人に合流したのを後悔していた。
 左京はフロントガラスを楽しそうに睨みながら、挨拶をするような口調で言った。
「俺はよ、あの姉ちゃんが」
「冥月さんですね」
「ああ。あの姉ちゃんがその、影で逃げた後? 姉ちゃんを追って外へ出た奴に会ったんだよ」
「クッキーでしょ? 会ったって言ってたじゃないですか」
「そうじゃねえよ。エレベーターからさ、風が降りてきたのさ」
 琉人が納得したように口を挟む。
「たしかに、クッキーは突然現れましたね。まるで姿がないみたいに」
 萩が不思議そうに腕組をしながら繰り返す。
「姿が……ない?」
「そうだ、きっとありゃあクッキーだったんだな」
 左京が断定した。
 CASLLが慌てる。姿がない敵とどうやって戦うというのだろう。
「そんなあ、見えないんじゃ……ペンキをかけるとか?」
 琉人が帽子を被り直しながら言った。
「いえ、気配があれば私だって気付きます。どういう力なんでしょうね、透明の意味とは」
「そうだ。俺だって、見えないぐらいじゃ見えなくならないぜ」
 ゴトン、と音がする。
 フロントガラスの上に、小さな足が見えた。そして上の人物はフロントガラスを覗き込むように腰を屈め、小皺を作って笑った。
「……クッキー!」
 萩が短く叫ぶ。
「何か策は? お前等能力をフル稼働さしてもダメなのか」
「私は悪魔や怨霊の力を主として使います。クッキーにはそれがおそらく概念ごと欠けているのでしょう。信用がないものの力は失われます。肉弾戦は、少々不利ですね。クッキーは高速移動とサイコキネシスがある。……そしてもしかすると、透明化もできる」
 CASLLは犬を抱き締めて言った。
「高速移動にはついていけますけど、攻撃が効くかわかりません」
「俺も防御はできるんだけどな」
 左京が吐き捨てる。
「俺の能力じゃ……決定力にかける。それに、絶対殺すなよ」
 萩が言うと、左京は鼻でそれを笑った。
「余裕なこった」
「だって殺人犯だって人間じゃないか」
「殺される側に立ってもご立派だぜ」
 ふん、と左京は言葉を切る。
 CASLLの携帯電話が鳴った。外には聞こえていないのか、クッキーに反応はない。
「もしもし?」
「俺だ、雛太だ。クッキーは?」
「……今ボンネットです」
 泣き出しそうな声でCASLLが答える。
「最善策だ。クッキーはまだ水中実験を受けていない、水の中が怖い筈だ。プールでも海でもいい、水に潜れ。クッキーは待つという概念がないから、敵が目の前にいなくなれば次の標的へ興味が移る筈だ」
 CASLLは言われた通りを口に出して伝えた。
 前で左京がひゅうと口笛を鳴らす。
「そりゃ見事な弱点だ」
「実験ですか。だから、あれだけの能力が備えられてるんですね」
 琉人が少し気の毒そうにクッキーを見やる。クッキーはまだボンネットに座っている。
 萩は敏感に反応した。
「実験? 人体実験だってのか」
 CASLLの電話で雛太が続ける。
「クッキーは不完全なスパイ用兵器だ。普段は誰にも見えない。他の能力を使うときだけ、可視される。そしてクッキーは見た者が見たと認知しない限り、相手を自己認知しない。……言ってる意味わかるか?」
 CASLLはそのまま伝えて、同じように聞いてみた。
「わかります?」
 琉人がうなずく。
「つまり本当に目撃した者だけしか、クッキーは認識できないわけですね」
「ああ、スパイだもんな。人に見られたら殺す、こういうシステムなわけか」
 左京が納得したように言った。
「そんな、人体実験なんか……兵器? ちょっと待ってくれよ」
 眉を寄せて萩がつぶやくと、左京が切り捨てるように吐いた。
「待てねえよ。そういうことらしいんだからな」
 お誂え向きに海が見えてくる。突然、左京がハンドルを切った。ガードレールに突っ込んで、砂浜へ車が落ちる。
「左京さん?」
「……ちっ、腕が……勝手に」
「雛太さん、切ります。海へ入りますから、もしかすると標的が加門さんへ向く可能性があります」
「……わかった」
 転がるように全員が外へ出た。
 クッキーが車の上から笑う。
「みつけた」
 海へ全員が近付いていた。クッキーが仕掛けてきたら、海へ飛び込むことを前提とする。

 ブンと音が鳴って、左京の前にクッキーが移動した。左京の身体は硬化して刃物と化している。クッキーは何度かの攻撃の後、自分の血が流れているのに気付き、すぐに同じように身体にバリアーを張ったようだった。
 それから左京の身体を捻じ切るように曲げはじめる。
「ぐはっ」
 たまらず砂浜をなんとか水辺まで移動して、左京は海へ飛び込んだ。着物が水を含んで重たい。
 
 行動を起こす前にクッキーの小皺のできた顔が目の前にあった。萩は取り押さえようと両手を動かした。クッキーはニコリと笑ったまま萩の頭を回し蹴りで蹴り飛ばし、連続して胸に拳を叩き入れた。対抗しようと、超能力自体を波動に変えて発動させたが、クッキーには風にしか感じないようだった。そして首を持たれる。持ち上げる腕力は、小さな身体からは想像できない。放り投げたところを、左京が素早くキャッチして萩を水中へと誘い込んだ。
 
 琉人は飛び込んできたクッキーの攻撃を一度交わし、二度目を片腕で受けた。アーム化していないとはいえ、悪魔と融合している腕は簡単には折ることはできない。しかし中身は生身だったので、サイコキネシスで捻じ曲げられれば左京と同じことをするしかない。
 少しでもダメージを食らわせようと攻撃を繰り出すが、クッキーは受け流すように身体を柔軟に動かしてそれらをかわし楽しそうに、琉人の眉間に拳を叩き込んだ。琉人はそのまま弧を描いて海へ入った。
 左京がのんびりと近付いてくる。
「強いですねえ、クッキー」
 琉人がぼんやりとつぶやく。
「強いな」
 萩が悔しそうに同じことを言った。
「強すぎる」

 CASLLは眼帯を外し、ギターケースから取り出したチェーンソーをギュイイインと鳴らした。クッキーは興味深そうに近付いてきて、チェーンソーの刃に手で触れた。すると刃の回転は止まり、べきべきと刃が零れる。
 CASLLは一瞬引き、その間に顎を蹴り上げられた。後ろへ飛びそうになるのを左足を踏ん張り我慢して、一撃食らわしてやろうと繰り出した腕を曲げられる。
「うあっ」
 その後クッキーは何度もCASLLの頭を殴り、そしてCASLLはその場へ倒れた。
 琉人と萩が慌てて海から上がる。CASLLの身体を引きずって海へ入ろうとする。
 クッキーへは左京がかかっていた。硬化させた身体のまま、クッキーの中央へ突っ込んでいく。手口が見えたのか、駆けている途中からサイコキネシスで身体が捻じ曲げられていたが、そんなもの気力で我慢するしかなかった。
 そして左京は勢いよくクッキーの懐へ突っ込んだ。
 クッキーの腹から血が滴り落ちる。
 腹立たしそうにクッキーは左京の身体を右手で払った。たったそれだけなのに、左京の身体は海まで飛ばされた。
 全員海の中で少しもがいていた。
 そして海から顔を出すと、そこには誰もいなかった。
「いねえのかな、本当に」
「……いたとしても、いなかったとしても、加門さんを助けに向かう以外ないですよ」
 琉人は嘆息した。
「あの人こんな事件に首突っ込んでるけど、特殊能力ゼロですからね」
 全員が重たい身体を引きずって浜に戻る。幸い、車は動くようだった。左京は後部座席へ移動させ、萩が運転することになった。


「邪魔したな」
 加門が包帯部分をかきながら言う。麗子はひらひらと手を振った。
 青のクーパーの運転席には加門が座った。夕日と雛太がいくら抗議しても、譲る気はないらしい。彼はいつも通り眠たそうな顔で煙草に火をつけ、車を発進させた。
 さっき合流したばかりの、黒い服に身を包んだ黒・冥月と夕日が後部座席に座っていた。
「影に飲み込むのも、難しい……か」
「一人ではな。気を引いておいてもらえば、できるかもしれん」
 冥月が言う。
 加門はふうんと鼻を鳴らし、バックミラーを睨んで夕日へ言った。
「お嬢ちゃんタクシー拾って帰んな」
「……あんたね、どうして冥月さんと私とそんなに扱いが違うわけ?」
 夕日がいきり立って突っかかる。
 加門は隣をちらりと見て続けた。
「雪森、お前もだ」
「うるせえ、今パズルがはまりだしたとこなんだよ」
 雛太は顎に手を当てて、眉を寄せている。
「クッキーは実質的に独りぼっちだ……もしかすると、本当に奴は遊んでいるだけなのかもしれない」
 加門が煙草を揺らして先を促す。
「スパイ兵器の殺人マシンだろ? 教えられたことは見られたら殺すこと。普段の生活では誰にも認識されない。相手の精神に働きかけて催眠をかけるように自分の姿を消してしまっているわけだから、どんな術者にも見えない。クッキーは独りぼっちだ」
「だから? 見た相手を殺す?」
 冥月が小さな声でつぶやいた。
「それしか知らないから、か」
「後は、着メロだな……携帯電話が鳴ると錯乱する……か。冥月、どんな曲だった?」
 冥月はポケットから携帯電話を取り出し、鳴らせてみせた。それはテネシー・ワルツだった。
「音楽に対して免疫がないのか……それとも、デジタル音楽か?」
 ガタンと音が鳴る。ボンネットを見上げると、小さな足が見えた。
 雛太が口走る。
「見ちまった……深町、俺も、か?」
「俺達が殺さない限りな。お嬢ちゃんと雪森は車から出るな、俺達が死んだらそれまでだ」
 冥月がくすくすと笑う。
「死ぬか、久しく感じなかった感覚だ」
 車は公道を走っている。
「でかい駐車場に停める」
 加門が言うのと同時に、携帯電話が鳴った。雛太が出た。
「あんた達か、こっちはA公道のそうだなI交差点脇の……駐車場でクッキーと対面だ」
 雛太は冷汗を流しながら加門を見やり、無理矢理にやりと笑ってみせた。
「こっちに向かってるそうだぜ、運は悪くねえようだ」
 冥月は少し楽しそうに加門へ言う。
「もし捕らえたら、一発殴るごとに百万で手を打とう」
「ちょっと……相手はミイラ男よ」
 夕日が慌てて口を挟む。加門は煙草を揺らしながら言った。
「全快の俺じゃなくて満足か?」
「不満だ。殴るのは、後にさせてもらう」
 加門は包帯がグルグル巻かれた頭をかいて、「天国じゃないことを祈ってるよ」と笑った。
 冥月は慣れた調子で答えた。「残念ながらお互い地獄だろう」
 夕日が耐えかねて叫ぶ。
「なんで悠長にそんな話をしてんのよ! 死ぬのよ! 嫌よ、方法を考えましょうよ」
 加門は煙草を灰皿へ放って、おかしそうに笑った。
「考えなかったか?」
 車が駐車場へ入る。
 加門がダッシュボードを開ける。中に、ベレッタのハンドガンが入っていた。
「雪森、夕日を守ってやれ」
「ホンモノ?」
「俺を誰だと思ってんだ、賞金稼ぎだぜ?」
 キキキーとアスファルトが音を立てて、もう一台車が入って来た。加門と冥月が降りるのと同時に、濡れ鼠の四人が車から降りてくる。
 クッキーが全員を見渡す。とても楽しそうに笑っている。
 出て来るなと言われた雛太と夕日が、ドアを開けて外へ出た。雛太は携帯を構えている。沈黙の間に、意味のないメロディーが流れる。クッキーは反応しない。
 クッキーの腹から少しの血が流れている。


 戦闘は突然始まった。
 左京が飛び上がった、同時に冥月が影を伝ってクッキーの後ろへ回る。クッキーの意識が冥月へ向き、冥月の身体はぐにゃりとあらぬ方向へ曲げられる。「ぐっ」とうめき、冥月は影の中へ消えた。標的になった左京は、あしらうように足で蹴落とされる。
 クッキーはゆっくりと空を舞って駐車場の砂利の上へ立った。琉人が突っ込む。後ろに隠れていたCASLLが横からクッキーに飛びかかる。クッキーはすぐにその場からいなくなり、二人は勢いあまってぶつかった。
 萩がサイコキネシスを発動させる。もちろん瞬殺で逆に波動となり、萩を襲った。
「みつけた」
 全員を見渡してクッキーがクスクス笑う。
 突然夕日の首元へクッキーが手をかけた。一瞬のことで、誰も止められなかった。メキと音がする。一番移動の早い冥月が影の中からクッキーへ掴みかかる。クッキーは片手でその攻撃を受け、反動を付けて冥月を跳ね飛ばした。
 萩が力ずくで夕日を助けようと駆けよろうとしたところへ、クッキーが萩の身体を捻じ曲げる。
 その間に雛太が夕日の身体にしがみ付き、クッキーを蹴った。クッキーは動じない。
 琉人が車の上からクッキーの頭めがけ、拳を握り殴りかかる。気配を察知したクッキーは夕日を手放さずただ移動した。夕日には雛太がしがみ付いていた。
 移動先にいたCASLLがクッキーの身体を抱える。
 サイコキネシスが発動し、CASLLの腕が曲がった。それでもCASLLは離さない。そこへ左京が手刀を振り下ろし、夕日を掴んでいるクッキーの手を切り落とした。
「え?」
 落ちた手に、クッキーが唖然としている。
 冥月が時を逃さず影の中に取り込もうとしたが、加門が大声で止めた。
「やめろ」
「なぜだ」
「……殺さなきゃ、こいつのお遊びは終わらない」
 萩が叫ぶように言い返す。
「バカ言うんじゃねえ! 殺人犯は裁判を受けるんだよ」
「ふざけんな、こんな奴をぶちこめる牢屋なんかねえだろうがよ」
 加門もいきり立っていた。
 雛太がポケットから携帯を取り出して、ある曲を鳴らした。
 軽快なメロディーが、携帯電話から流れ出す。
 『仔犬のワルツ』だった。
「終わるよ」
 雛太は立ち上がり、夕日を助け起こしながら言った。
「こいつにとって、ワルツが最大の弱点だったんだ。こいつはワルツを聴き続ければ……崩壊するだろうぜ」
 ブブンと力を放っていたクッキーから、だんだんと戦意が消えていく。
 クッキーは泣き出して、「怖い、怖い」と言った。
 加門が納得して冥月に捕縛の指示を出す。
 仔犬のワルツが、楽しげにクッキーの崩壊を告げている。
「手間かけやがって……」
 左京は着物の裾を直した。琉人は帽子を被り直す。萩はウィンドブレーカーを乱暴に脱いだ。
 放心している夕日の元へ行って、加門は彼女の首に顔を近付けた。ひどい痕が残っていたが、治らない傷ではなさそうだった。
 
 
 ――エピローグ

 全員が同じだけ酷い目に遭ったので、賞金は八人で山分けとなった。
 雛太は麗子から借りたプログラムを使って研究所のデータに侵入し、ワルツの謎を解いていた。
「いらんことも書いてある研究日誌をつけてる学者がいたんだ。クッキーの実験の合図は『花のワルツ』だった。クッキーは実際実験が死ぬほど嫌だったんだろうな……唯一、ワルツが怖いものに認知されてるぐらいだ」
 加門はコーヒーをブラックで飲みながら、訊いた。
「研究所はどうなったってんだ?」
 まだ事件から三日だというのに、加門は包帯を全部外している。
 雛太はそれを受けて答えた。
「クッキーが逃亡の際に全員殺している。そりゃそうだ、クッキーにとって認知している奴は全員殺すんだから、当たり前だな。研究所は未だ形を残している。新しい研究員が入ってまた怪しげな研究をしてやがるよ」
 萩が敏感に反応する。
「それ、取り締まれないかな」
「無理だと思うわよ」
 警察機構に既に限界を見出している夕日が放り投げるように言った。
 雛太も同意をする。
「国だろうからな、それかイカガワシイ金を持ってる組織か……」
 左京は扇子で顔を扇ぎ、長い髪を少し揺らしながら言った。
「この金持って、カジノいかねえ?」
「いいねえ」
 加門が全面同意する。
 冥月も少しおかしそうに笑った。
「悪くない。どうせ、臨時収入だ」
 もちろん雛太は諸手を上げる。
「決まりだな」
 首に包帯を巻いている夕日は、ダメダメと両手を振った。
「あそこはね、警察も介入できないでっかい犯罪組織なのよ。ダメに決まってるでしょ」
「そうだ、違法行為だぜ」
 萩も警察の人間として忠告をする。
「それに、私は聖職者ですし」
 琉人は一人緑茶をすすっている。
 CASLLは眼帯を取ってみせ、皆に驚異的な洞察力の片目を見せながら言った。
「反則でしょうか」
「アリアリ」
「私はもっと立派な教会にする為に参加しましょうかねえ」
 琉人がいきなり意見を変えた。
「ちょっと! 反対が私と萩くんだけになっちゃったじゃないの!」
「それじゃあ、決まりってことで」
 左京がすいと立ち上がった。
 夕日は全員の後姿を追いながら、言い訳がましく言った。
「ちょっと、私はね、皆が不正行為をしないかどうか見張りに行くのよ。……ねえ、カジノって正装? 着替えるの?」
 少し楽しそうである。
 加門は眠たそうな顔で答えた。
「カジノ自体が不正なの。アホか、お前」
 萩は眉を寄せて、夕日を驚いた顔で見ながらまだがんばっていた。
「ダメです。絶対ダメですったら」
「あ、そうそう、オパール」
 萩を完全に無視して雛太が気付いたように言うと、加門は同じく気が付いたように笑った。
「雪森、それだ。ついでにオパールだな」
 生きてるって素晴らしい。
 全員が少しそれを感じているようだった。


  ――end
 
 
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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【1570/青島・萩(あおしま・しゅう)/男性/29/刑事(主に怪奇・霊・不思議事件担当)】
【2209/冠城・琉人(かぶらぎ・りゅうと)/男性/84/神父(悪魔狩り)】
【2254/雪森・雛太(ゆきもり・ひなた)/男性/23/大学生】
【2349/帯刀・左京(たてわき・さきょう)/男性/398/付喪神】
【2778/黒・冥月(ヘイ・ミンユェ)/女性/20/元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】
【3453/CASLL・TO(キャスル・テイオウ)/男性/36/悪役俳優】
【3586/神宮寺・夕日(じんぐうじ・ゆうひ)/女性/24/警視庁所属・警部補(キャリア)】

【NPC/深町・加門(ふかまち・かもん)/男性/29/賞金稼ぎ】PC登録してあります。
【NPC/如月・麗子(きさらぎ・れいこ)/男性/26/賞金稼ぎ】

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■         ライター通信          ■
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「ワルツ・ザ・クッキー」にご参加いただきありがとうございます。
文ふやかです。
分岐なしのうえ、皆さんの技が効かないというひどい話でしたが、いかがでしたでしょうか。
また長いだけが取柄になってしまいました。
お気に召せば幸いです。
ご意見、ご感想等お気軽にお寄せ下さい。
また、お会いできることを願っております。

 文ふやか