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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


冥冥の匱


SCENE-[0] 君が呉れた物語の始まり


 その場処は ただ ひっそりと 空虚に


【 現在位置 >> 特別室 】

「……双葉」
 雲切千駿が呼びかけたその相手は、宙に浮遊したまま、背後から彼の頸に細い腕を回して肯いた。千駿と同じ鳶色の双眸を嬉しそうに細め、なあに、と問いたげに少しだけ頸を傾げてみせる。小さな頭の左右で結わえた癖のない黒髪が仕種に合わせて揺れ、千駿の肩先をくすぐった。
「話をするときは、前においで」
 そう言って軽く腕を引いてやると、「双葉」と呼ばれたツインテールの少女は、素直にふわふわと移動した。千駿は、デスクのパソコン画面に表示させていたレントゲン写真から顔を上げ、眼前に浮かんでいる双葉に視線を向けた。
 この「双葉」、先日結婚したばかりの向坂ユリが、結婚祝いにと碇麗香から贈られた鉢植えの一つが開花して――――いや、むしろ変化と言った方が正しいか――――生まれた少女である。外見的には十歳程度に見受けられるのだが、元が鉢植えであった存在に年齢が関係あるのかどうかは分からない。双葉はここ雲切病院で人と成り、以来院内に棲みついている。
 千駿がじっと自分をみつめたまま次の言葉を発しないことにふと不安を感じたのか、双葉は少し慌てたように胸の前で両手を組み合わせ、
「お花」
 と言った。一語一語を発音するのにやたらしっかり口を開けるのは、まだ言葉を覚えて間もなく、慣れないせいだろうか。
 ――――お花。
 双葉の声から数秒後、ぎゅっと組まれた左右の掌の裡から、ぽん、と一輪の花が咲き出た。
「……月下美人?」
「ゲッカビジン」
 双葉は千駿の言葉をそのまま繰り返し、笑った。
 傍から見れば手品のように思えるこの現象も、千駿にはすでに見慣れたものだった。双葉と出逢ってからこちら、一日に一度は目の当たりにしているからだ。しかし、今日はまた随分と艶やかな花を咲かせたものだ。新月の夜にただ一度しかその花を開かないと言われている月下美人にこんな処でお目に掛かろうとは。
 双葉の笑顔に千駿が笑い返し、「ありがとう」と花を受け取ったとき、室内にチリリンと涼やかな音が響いた。特別室のドア前に誰かが立っている合図である。
 千駿は身に纏い付く月下美人の芳香を払うようにすっと席を立って、ドアを開けた。
 と。
「千駿さん、お客様です」
 客人の案内を買って出たのだろうユリの隣にいたのは、
「……あなたが雲切千駿さんね」
 双葉がこの世に誕生するきっかけとなった人物、碇麗香その人だった。
「初めまして。月刊アトラス編集部で編集長を務めている碇麗香と申します。……あなたの噂はウチの三下や桂からも、それから黒……向坂さんからも聞いてるわ」
 そう言って名刺を差し出した麗香は、次の瞬間にはもう、鋭い眼差しを千駿の背後へ送っていた。千駿が「初めまして」と応じるのに肯きつつ、眼鏡の奥の眸は室内に浮遊する少女を凝視している。
「……この子があの鉢植えの?」
 麗香の問いに、ユリが「ええ」と答えた。
「そう。妙な鉢植えだとは思ってたけど、まさかこんな結果になるとはね。……でも、こうなったからには、アトラスでも徹底して特集記事を組ませてもらうわ。連載でいけそうね」
「特集記事? 連載?」
 この突然の降って湧いたような展開に、千駿が待ったをかけた。
「碇さん、そう一方的に話を進められても困ります。第一、院内での取材は許可できません」
「院内がダメなら、この子に病院の外に出てもらえば済むことよ。未成年を連れ歩くのに保護者が必要だというなら、雲切さんにも協力を要請したいわ」
「保護者?」
 千駿は思わず口の端から苦笑を洩らした。
「……申し訳ありませんが、双葉と一緒に院外へ、と要請されても、現在僕はこの部屋から外へ出ることが叶いませんので」
「あ……、そういえばそうだったわね」
 すでに千駿の事情について周囲から聞き及んでいるのか、麗香はすんなり頸を縦に振った。が、そこは辣腕編集長である。振った頸を傾げることも忘れなかった。
「確か、部屋を出ようとすると呼吸困難に陥るとか……、しかもその原因は不明?」
「え? ……ええ、今のところは」
 千駿の返辞にいったん黙した麗香は、暫しの後、パチンと軽く指を鳴らした。
「いいわ。これも何かの縁よ。雲切さん、よかったら――――」

 ドンッ!

 麗香の言葉を遮って、突如、大きな爆発音が轟いた。
「え!?」
 ユリ、麗香、千駿、それから双葉の視線が、一斉に音の発生源を求めて廊下を彷徨った。
 そのとき、
「院長室だ!」
 誰が叫んだものか、棟内に鋭い一声が谺した。


【 現在位置 >> 院長室 】

 第一病棟は、病棟という名を冠しているものの、正確には入院セクションと管理セクションとが併合して成り立った棟である。
 その第一病棟管理セクション三階。そこに、院長室は在る。
 ユリに導かれ、麗香と双葉は院長室に辿り着いた。
 遠巻きに事の成り行きを窺っている患者やスタッフを押し退けて、三人は室内へ一歩踏み込んだ。そこへ、耳障りな奇声が降ってきた。
「ひゃはは! ちょーっと派手に爆発させてみたら、誘われて来やがったのは揃いも揃って女子供かよ?」
 声のした方を見遣ると、壁際の重厚な書棚の上に俯せに寝そべって、三人を見下ろしている男がいた。その右腕は、何か特殊な義手であるようで、二メートルほどにも伸びた腕の先がUFOキャッチャーのクレーンのように変形しており――――そこに誰かが引っ掛けられていた。
「桂くん」
 麗香が、あなたこんな処で何やってるのよ、と言わんばかりの表情で呟いた。クレーンの先に引っ掛かっていたのは、アトラス編集部のアルバイト、桂だった。
 室内を見回してみたが、執務机が無惨に割れ毀れているのが眼に付くばかりで、男と桂の他に人影はなく、院長の身の上を案じたユリが男を見上げて口を開いた。
「……院長はどこへ?」
「院長センセー? さっき俺が誘拐した奴のコトだよなァ?」
「誘拐?」
「そ。頼まれて誘拐してやったワケ。なかなか親切だと思わねー? ココは病院だろ? 患者サンの頼みは聞いてやらねーと」
「患者さんの頼み……? 患者さんに頼まれて、院長を誘拐したの? あなたが?」
「そ。ちょいとコイツの力も借りて」
 男はそう言うと、ぐいん、とクレーンを引き上げた。途端、「ひゃあっ」という悲鳴が上がり、桂は空中で足をじたばたさせた。
「この部屋にいた院長とやらを、くらーくて、しずかーで、ひんやーりしたトコに抛り込んでみたけど、この後のことはゼンゼン考えてねーの、俺。誘拐ってこれで成立すると思う? おねーチャン」
 ユリに向かってケケケと嗤った男は、土気色の顔を愉しげに歪ませた。
 ユリは、そんな男を瞬きもせずじっとみつめ、やがて、
「……あなた、誰?」
 と、訊いた。
 男は、ギルフォードと名告った。


SCENE-[-1] 師匠来襲


【 現在位置 >> 道の途中 】

「ゆーくん」
 背後から呼びかけられて、鳴沢弓雫は、ぴたりと歩みを止めた。
 視覚で確かめずとも声の主は分かる。
 この、語尾にハートマークでも添えたような、愉しげな口調。
「ゆーくんってば」
 再度名を呼ばれ、弓雫はゆっくり振り返った。そこには予想どおり、毎週雑居ビルの一角で顔を合わせる師の姿が、――――無かった。
 歩み来た道の左手にはコンクリート塀、右手には薄汚れたビジネスホテルの裏口。行き交う人影は疎らで、一見してそこに見知った顔の無いことが分かる。
 (…………)
 弓雫は、暫しそのまま周囲を眺めていたが、
「……塀の向こうか、裏口の中か……」
 そう呟いた十秒後、九〇度左へ体を向け、「師匠」と言った。その声はコンクリート塀に撥ね返って弓雫の耳朶を掠め、熱い夏風に流れ融けた。
 と。
 高塀の向こうから、ひょこっと頭が一つ飛び出た。
「みつかっちゃった。こんにちは、ゆーくん」
「……師匠」
 弓雫は無表情のままぽりぽり頭を掻き、その金の双眸に師の笑顔を映した。
 自分から声をかけておいて、それに応じようとする相手を煙に巻くかの如く、突然塀向こうに姿を隠す。そんなあからさまに挙動不審且つ敏捷なところも、何となく「師匠だから」で説明が付くような気がする。無論、師とていつもこんなことをするわけではないが、もとより比較的正体不明で遊び心のある人である。占師というのは、普通の感覚では生きていけないものなのかもしれない。その占師の弟子を自称する弓雫もまた、客観的には多少危うい雰囲気を孕んで見える可能性はあるのだが。
「……珍しいね」
 塀を乗り越えて道に戻ってこようとする師を見乍ら、弓雫が呟いた。
 珍しい、の前に「日中こんな時間にこんなところで顔を合わせるなんて」という言葉が省略されている。
「ん、たまにはいいかと思って」
 弓雫の隣に降り立った師が、にっこり笑って応えた。
 何がいいのかはよく分からない。が、弓雫は特に追及することなく、師と並んで歩き始めた。
 八月末、台風一過。
 暑気が肌に纏い付く正午過ぎ。
「ゆーくんは、どこかに行くところ? 帰るところ?」
 訊かれて、弓雫は曖昧に頸を横に振った。
「……散歩中」
「散歩だったら、もっと気持ちの良い公園でも歩いたらいいのに。こんな裏通りじゃなくて」
「……こっちがいいって。朽縄が」
「クチナワ?」
「……、『朽縄』」
 一拍置いて、弓雫が改めてその名を緩やかに発声した途端、ぅわん、と虚空が波立ち、細長い土気色の腕が二人の頭上に姿を顕した。この「朽縄」、言霊繰りの血を引く弓雫が名を与え、己の子分として使役している霊である。
 師は、数秒じっと朽縄をみつめた後、「あんまり可愛くない」と不平を洩らした。
 弓雫は師が視線を逸らしたのと同時、朽縄の顕在化を解いた。裏道とは言え、ある程度の人通りはあるのだ、妙な腕が宙に浮遊していると衆目を集めても困る。
「……クチナワは分かったけど」
 その子の意思でこの道を歩いてるって、どういうこと?
 そう問いたげな師に、弓雫は「朽縄の散歩中だから」と応え、すっと伸ばした腕で真っ直ぐ前を指し示した。
 つまり、弓雫は今、犬の散歩をするように、霊の散歩をしているのだ。
 そして他でもないその霊、朽縄は、この道を進むことを所望している。
 自らが支配下に置いた霊――――しかも腕一本――――に意思を認め、連れ立って散歩に出るなどとは通常考えにくい。しかし弓雫は特にそんな常識を気にする風もなく、どこか落ち着かぬ朽縄の気配を感じ取るや、昼までに終わらせろと言われていた寺の掃除も半ばに、何かに導かれるように散歩に出た。その途中で、師に出逢ったというわけである。
 (……それにしても)
 弓雫は、一定の歩調で先へ進み乍ら、きょろきょろと周囲を見回した。
 目的地を気にせぬままにここまで歩いてきたが、このあたり、どうも見憶えのある風景のような気がする。表通りを外れているせいか、眼に触れる建物はどれも後ろ姿を見せているが、ここは――――たとえば斜め前方のあの白くそびえ立つ建物は。
「……あ」
 思わず、足が止まった。
「ゆーくん?」
 弓雫より三歩分多く先へ進んでから立ち止まった師が、不思議そうに振り返った。


SCENE-[1] 引導


 爆発音が院内の空気を振動させたとき、今回の件に関わることになった面々は、それぞれの場処で鋭く顔を上げた。

 鳴沢弓雫は、引き連れた朽縄に導かれるままに、外来待合室に足を踏み入れたところだった。
 香坂蓮は、向坂愁の呼び出しに応じて外来棟一階薬局へと辿り着く直前であり、彼を呼び付けた当の愁は薬局前で待機中だった。
 それまで愁とともに蓮を待っていた向坂ユリは、碇麗香の来訪を受けて、特別室へと彼女の案内に立ち、そこで雲切千駿との対面を果たしていた。
 そしてセレスティ・カーニンガムは、麗香と揃って薬局まで足を運び、彼女の用が済み次第双葉と対話する機会を設けてもらう約束を取り付けた後、今のうちに入院中の友人を見舞っておこうかと第一病棟の廊下に車椅子を乗り入れていた。

「院長室だ!」

 どこからともなく聞こえてきたその声の信憑性など、吟味している余裕はなかった。
 蓮と愁は反射的に身を翻し、弓雫は朽縄の向かおうとする先へ急ぎ、セレスティは人の波の流れてゆく方へ自らも行く先を定めた。


【 現在位置 >> 院長室前 】

「姉さん」
 いち早く院長室に辿り着いた蓮は、そこにユリの姿を認めるや、背後から腕を引いた。まだ事態は掴めていなかったが、先刻の爆発音を聞いてからずっと胸の裡を去来し続けている不安が、姉の手を取らせた。
「あ……、蓮」
 蓮の手をきゅっと握り返したユリの眼に、張り詰めた色が見える。
 もう一言何か声をかけようとした蓮の青い双眸が、ユリの向こうに見知った顔を捉えた。
「……碇女史」
「久し振りね、香坂くん」
「あ……、ああ」
 確かに逢うのは久し振りな気がするが、それ以上に、どうしてアンタがここに、という疑問が湧いた。が、その疑問は麗香の隣に浮いている双葉を眼にした途端、解消された。
 (そういえば、あの鉢植え……碇女史が姉さんに贈った物だとかいう話だったか)
 成る程、それならば、ユリ、麗香、双葉が揃っている意味が理解できる。
 蓮がそう納得したとき、
「ユリ、蓮!」
 愁がその場に駆け込んできた。
「一体どうしたの、さっきの爆発音、院長室からだって――――」
「……皆さん、お揃いですか」
 息急き切った愁の言葉の隙間に、ひたりと触れる涼しげな声音が流れてきた。
「え?」
 振り向いた愁は、院長室周辺に屯した野次馬の群に自然と道が拓かれるのを見た。その道を通り、一台の車椅子が近付いてくる。車上の人の、きれいに揃えられた両膝に落ちた銀の髪を辿り上げると、知的なブルーの眸に出逢った。
「あ、セレスティさん」
 愁が名を呼び、車椅子にちらと視線を遣った蓮もまた「ああ」と小さく呟いた。この三人、以前にもこの病院で顔を合わせている。
「こんにちは。……先程の音は……、何かが破砕されるような音でしたが。あれは一体……」
 愁と蓮に話しかけ乍ら、何気なく室内へ顔を向けたセレスティは、そこから漂う不吉な気配に美しく整った眉を顰めた。
「……これはもしや」
 セレスティの脳裡に、過日特別室前で遭遇した、乾いた腐臭すら思わせる禍々しい色合いが甦った。そう、それは、自らを「ギルフォード」と名告った男の纏っていた気配だ。
「向坂君、『ギルフォード』がそこに?」
「えっ? ギルフォードって」
「……あ……」
 愁が「ギルフォード」を記憶の中に見つけ出すよりも、蓮がその名を思い出す方が早かった。思わず口許に手を当て、半ば無意識に眉を寄せる。
 ギルフォード。
 それは、雲切病院の入院患者が一人、八剱嶺の暴走幻肢の「持ち主」であった男の名。
 蓮はギルフォードの話を聞いたのみで逢ったことはなく、その点、愁も同様だったが、セレスティは実際に対面したことがある。そして、ギルフォードと直接的に関係した人物と言えば、もう一人――――かつてはギルフォードの右腕であり、切り落とされて暫し嶺の幻肢として存在し、現在は腕の霊として名を与えられ支配されている「朽縄」の、いわば飼い主。赤髪金眸の青年、鳴沢弓雫。彼はやはり居るべくしてこの場に居た。
「……くーちゃん……?」
 院長室の周囲に張り巡らされた人間のバリケードの中から、声が上がった。
 鳴沢弓雫、その人の声である。
 弓雫は、ぽん、と弾き出されるようにして院長室前に出て来、そのまま真っ直ぐ室内へ歩を進めた。

 その視線の先に、ギルフォードは、いた。


SCENE-[2] 対面


【 現在位置 >> 院長室内 】

 すでにギルフォードと顔を合わせていたユリ、麗香、双葉の他に、新たに加わった四人、弓雫、蓮、愁、セレスティは、事の次第を理解するや、各々複雑な思いを抱いたようだった。
「お父さん……」
 打ち毀された机に視線を据えてぽつりと呟いた蓮の声は、震えを帯びて曖昧に揺れていた。それに自分でも気が付いたのか、蓮は一度強く両眼を瞑り、見開くと同時にすっと背筋を伸ばした。その表情からは心弱さは見て取れず、ただ何かを無理矢理に心深く押し込めた後に現れる冷塊が、眸の青に浮かんでいた。
「……誘拐……」
 弓雫が、軽く頭を傾げた。
「人を騙して、連れ去ること……だよね」
 ギルフォードの奇怪な義手の先に引っ掛かっている桂を見乍らそう言い、うん、と肯く。
「何となく……騙す暇なく連れ去ったような感じだけど、成立してるね」
「鳴沢さん、成立しても困るんですよ、ちーちゃんのパパの誘拐」
 愁が苦笑交じりに言って、ぽんぽん、と軽く宥めるように弟の背を叩いた。
 愁の言うところのちーちゃんのパパ――――つまり、千駿の父。この病院の院長である雲切千冬に実の息子同然に可愛がられている蓮が、院長誘拐の事態を前にどんな思いでいるかというのは、想像に難くない。今のところ冷静そうには見えるが、眼を離すことはできない。いつ無茶をしないとも限らないのだ。
 弓雫は、もう一度、うん、と肯首し、
「……一大事……」
 多少語気を強めて愁の言葉に応じた。
 セレスティはギルフォードが寝転がっている書棚上を見上げ、小さく溜息吐いた。
「偶然なのか、それとも必然なのでしょうか。どうやら、あの日幻肢の件に関わった我々が今日この場に引き寄せられてしまったようですね」
「……そう言えばそうですね」
 ユリがセレスティに同調し、室内に身を置く皆の顔を見回した。
 先のギルフォードの言葉を借りれば、「ちょーっと派手に爆発させてみたら、誘われて来やがったのは揃いも揃って女子供」であり、その女子供に代わってギルフォードと対峙しようとしている四名は、いずれも前回八剱嶺の治療に関わった者達なのだ。よって、直接、間接の差はあれど、誘拐犯との接点は四人ともが有していることになる。
 だからこそ、話は早い。
 眼前のギルフォードの性質は、ある程度呑み込めている。
 その上、「元・ギルフォードの右腕」の肩書きを持つ霊、朽縄が弓雫の手にある。朽縄がギルフォードと再会して何らかのアクションを起こすかどうかは不明だが、とりあえずまだ無反応を決め込んでいるようだった。
 ギルフォードは、新たに増えた四人を見下ろしはしたものの、だからどうしようという意志もないらしく、気紛れにクレーン型の義手を揺らしていた。クレーンが揺れるたびに桂の小柄な体は振り子のように振られ、その動きに酔ったのか、それとも恐怖心のせいなのか、彼は真っ青な顔をしていた。
「……んー……」
 毀れ果てた院長の執務机を凝視していた弓雫が、低く唸るような声を上げた。
「……その、机」
「机?」
 蓮と愁が同時に同じトーンで訊き返した。双子である彼ららしい反応である。
 弓雫は机を指さし、
「机が毀れてるのって……誘拐に何か関係あるのかな」
 言って、答えを求めるようにギルフォードを見上げた。長い前髪にところどころ隠れている金の三白眼が、土気色の顔に付いた細い吊り眼を捉える。
 ギルフォードは面倒臭そうに弓雫に視線を向け、口から赤い舌をちろりと覗かせた。
「別にィ? 誘拐するよーに依頼されたからって、院長センセーをコッソリ消しただけじゃつまんねーから、人集めに簡単なプラスチック爆弾とやらを机にくっつけて爆発させてやっただけだけど?」
「人集めに……ですか」
 セレスティが繰り返し、なかなか厄介な相手ですね、と肩を竦めた。
「それにしても、仮にも誘拐を気取るのでしたら、机を爆破して人集めなどしている間に、連れ去った院長を人質に病院側に大々的な見返り要求をした方が効率的だと思うのですが。誘拐依頼などをしたその患者さんも、何らかの見返りを期待してのことではないのですか?」
 セレスティの現実的な意見に、続いて麗香が口を開いた。
「その通りね。この病院に恨みがあるにせよ、単に金銭的な問題であるにせよ、愉快犯にせよ、誘拐と言うからには院長の身柄と交換で何を得ようとしているのか知りたいわ」
「知らねぇよ」
 ギルフォードが言下に答えた。
「さっきそこの飴のにーちゃんが言ってたじゃねーか。誘拐ってーのは、『人を騙して、連れ去ること』だってよ。そんなワケで、俺は院長を連れ去ってみたダケ。あの患者が何を期待して俺にこの件を依頼したかなんて興味ねーし」
 飴のにーちゃん。
 一同、一瞬何のことか分からなかったが、ギルフォードが弓雫に向かってひらひらと手を振って見せたことで、それが彼を指した呼称なのだと理解した。
「……鳴沢さん、飴のにーちゃん、って」
 愁が弓雫に視線を向けた。
 弓雫は愁を見返し、
「……前にくーちゃんに逢ったとき、飴、あげたから。……きっと、それで」
 そう応じてから、ふと、初めてギルフォードに出逢ったあの日、彼が言っていた台詞が、弓雫の耳の奥で鳴った。
 ――――俺はギルフォード。アンタがこの病院によく来るンだったら、またどっかで逢うかもな?
 (……本当に、逢った……)
 弓雫は何となくポケットの中に飴を探り乍ら胸中で呟き、再びギルフォードを見上げた。
「……いつ、その患者さんと接触したの」
「ハ?」
 ギルフォードが書棚の上から頸を伸ばした。
「……前に逢ったとき、またこの病院で逢うこともあるかもしれない、みたいなこと言ってたけど……、もしかして、そのときにもう、院長誘拐は決定してたのかと思って……」
「あー、そのハナシ。よく憶えてるじゃん。けど、別に関係ねーよ。ユーカイは、たまたまヒマなときに持ちかけられたから、やってやった。そんな俺って優しー?」
「冗談でも優しさをお前に語られたくない」
 愉快そうに嗤うギルフォードに、そろそろ大人しく話を聞いていることに我慢ならなくなってきたのか、一声、蓮が声を張った。
「問い質したいことは色々とあるが、先ずは一つだけ確認しておきたい。……どこかに連れ去られた今の状態で、院長に……院長の命に、危険はないのか?」
 問われたギルフォードは暫し蓮を見下ろし、やがて、
「さァな?」
 と大袈裟に頸を傾げて見せ、桂を一際大きく揺らした。
「ひゃあぁぁあっ」
 置かれている状態に慣れ始めていたのか、それとも気力らしい気力を失ってしまったのか、それまで無言で吊られていた桂も、これにはさすがに叫声を上げた。体が殆ど床と水平になるまで振り上げられて、桂のズボンのポケットから、かしゃん、と何かが床に落ちた。
「……これは」
 セレスティが、車椅子の車輪前に滑り来たそれを、体を折って手に取った。
「時計……、ああ、桂くんの――――時空に穴を開けられる妙な時計ね」
 麗香が断じた。
 桂が落としセレスティが拾ったのは、長い鎖を曳いた懐中時計、のようなもの。
 どこなりと虚空に穴を開け、時間と空間とを超えて移動するための通路を創ることのできる時計なのだと、麗香が説明した。但し、開けた穴は、その後の僅かな時間、消えることなく場に残ってしまう。そのため、穴の近くで足を引っ掛けて転んだ三下が、書き上げたばかりの原稿を穴に抛り込んでしまったこともあるという。
「ま、いずれにしても棄てる予定の三下くんの原稿だったからそれは構わなかったのよ。ただ、空間に穴なんてこじ開けた影響というのは、少なからず残るという教訓にはなったわ」
「……空間に穴、か。……ギルフォードが桂の力を借りて院長を誘拐したというのは……桂に空間を開かせたその向こうへ院長を送った、ということか」
 蓮が、セレスティの手にある時計をみつめ乍ら言ったとき、書棚の上からギルフォードが飛び降りてきた。
 ダン! と派手に踵を叩き付けて床に足を着いたギルフォードは、コキコキと頸を鳴らし、口の端を吊り上げた。
「そろそろ、こーして悠長にアンタ達の相手してンのにも飽きてきた」


SCENE-[3] ゲーム


 ひょろりとした痩身を床に立てたギルフォードは、黒蛇の巻き付いた柄のシャツを身に着け、細い脚に張り付くような蛇革のパンツを穿いていた。右眼には眼帯、右腕は特殊義手。どうやら、右半身に何らかの変異を抱えた人物らしかった。
 以前、弓雫はギルフォードをして「蛇っぽい」と形容したが、確かに蛇、である。
 ギルフォードの身が近くなったことで、朽縄に何らかの変化が見られはしないかと弓雫が気にかけ始めたとき、
「鳴沢さん、『朽縄』、気を付けた方がいいと思いますよ」
 愁に声をかけられた。
 それに肯き、弓雫は朽縄の気配に気を澄ませた。が、これといった動揺も暴走の予兆もそこにはないようだった。
「……双葉」
 不意に、蓮が双葉を呼んだ。
 名を呼ばれた双葉は、ぱっと笑顔を見せて宙を移動し、蓮の肩に小さな掌を触れた。
「双葉、千駿のところに行っていてくれるか。今日は特に来客予定があるようなことも言っていなかったし、急患がなければ、今、部屋に一人でいると思うから……」
「部屋、……とくべつしつ?」
「ああ。特別室だ」
 蓮が言うと、双葉は「蓮くんは?」と頸を傾げて訊いた。
「俺は、……院長を救出してから帰るから」
 宣言して、行け、と言うように手を肩から離させると、双葉はふわふわと院長室を出て行った。
 ギルフォードの真意は分からないが、兎にも角にもこの状況で千駿を、院長の息子を一人きりにしておくのは不安だ。双葉を特別室へ遣ったのは、そう思ったがゆえの蓮の措置だった。
 蓮と双葉の遣り取りを見ていた弓雫は、今もまだ散開せずにいる室外の病院スタッフや患者達へ眼を向け、
「……もう他に、ここから出て行く人がいないなら、この部屋、結界内に置こうと思うんだけど……」
 そう言って、麗香とユリの反応を窺った。もしギルフォードが臨戦態勢に入るとすれば、危険が周囲に及ばぬよう院長室を言霊で隔離するのが得策だろうと考えたのだが、その前に女性陣には避難しておいてもらった方がいいような気がしたのだ。
 しかし、当の女性二人は弓雫のそんな気遣いには気付かぬようで、麗香は敏腕編集長らしくスーツに潜ませていた超薄型デジタルカメラをいつでも取り出せるよう身構え、ユリは夫と弟、それから院長の行方がどうしても気になるらしく、この場を離れる様子はなかった。
 (……まあ、いいか)
 それならば、と、弓雫が結界の言葉を紡ごうとした途端、
「ちょっと待った」
 ギルフォードが諫止した。
「他はともかく、俺サマには訊いてもらわねェと困るじゃねーの、飴のにーちゃん」
「……君に何を訊く必要があるんです?」
 セレスティが弓雫の代わりに応えた。
「何をって、この部屋から出て行くつもりがあるかどーか、に決まってるじゃん?」
「私は、それを君に問う必要性など感じませんが」
「アンタがどーでも、俺は感じるンだよ。院長誘拐は成功、つまり長居は不要」
「これだけの人間を爆発音で呼び集めておいて、自分は早々に舞台から退場しようというわけですか」
「もーちょっと愉しいコトになるかと思ってやってみたけど、何かこう、イマイチ面白味のねェ展開だしなァ?」
「……分かった、面白ければいいんだね」
 愁が横合いから唐突に口を挟んだ。
 ギルフォードの眼線がスライドし、セレスティから愁へと移る。
「何だよ、何か面白いコト提供してくれンの?」
「ゲームしよう。……こっちには訊きたい事が色々あるけど、どう考えてもこれ以上は素直に答えてもらえそうにないから、僕がゲームに勝ったら教えてよ」
「ゲーム?」
 ギルフォードが、ひゃはは、と嗤う。
「どんなゲームだよ?」
「……その右腕の義手、随分便利に使えそうだけど、クレーンの他にも変化できるんだよね?」
「あ? そりゃ、お手の物。……で? それがどーかしたかよ」
 言い乍ら、ギルフォードは未だ捕まえたままの桂の体をぐうっと持ち上げ、高く翳した。桂はくたりと頸を折り、すでに半ば失神しているように見えた。何か訊こうにも、これでは桂からまともな答えは期待できそうもない。それに、たとえ意識があったとしても、桂の時空時計がセレスティの手許にある今、空間に穴を開けて自力で逃げろと言うこともできない。
「兄さん、一体何を」
 兄の思考が読めず、蓮が眉間に皺を寄せた。愁は視線をギルフォードから逸らさぬまま、いいから後ろで見てて、と軽く蓮の手を引き、脇に退かせた。
「……その義手、銃か何かに変形させて、僕を狙ってもらえる? 一発撃って、もし弾が外れたら、僕の勝ち」
「向坂君」
 愁の無謀な申し出を、セレスティが制止しようとした。が、急に何かに思い当たったのか、ああ、というように小さく肯いた。続いて、蓮と弓雫、それからユリも、愁の為さんとすることを理解したようだった。そして、各々、「そのとき」に自身が起こすべき行動を胸の裡で思い決めた。
 ギルフォードは、ふゥん、と左手指で顎を擦りつつ義手の先の桂を見上げ、
「まァいいか」
 と呟いた。
 そうして、桂の体を先刻まで自分が乗っていた書棚の上に無造作に置くと、クレーン型だった義手をしゅるしゅると変化させ、弩を造形した。
「……クロスボウ……」
 弓雫が確認するように言った。
 セレスティは愁の方に顔を向け、愁はゆっくり一度瞬きすることでそれに応えた。
 蓮とユリは顔を見交わし、麗香はカメラを手にした。
「アンタから言い出したゲームだ、後悔すンなよ」
 言い棄てて、部屋の窓際いっぱいにまで寄ったギルフォードは、直線上に愁を見た。
「俺って優しーから、これっくらいは離れてやるけど、……ご愁傷サマ」
 ニイッと舌を出して嗤い、すでに矢がつがえられ弦を引き絞り切ったクロスボウの引き金を動かしかけた。
 瞬間。
 蓮は、たん、と軽やかに床を蹴り、一気にギルフォードとの間合いを詰めた。
 蓮の動きにギルフォードが気を取られた刹那、
「境界結びて、外界を排す。此の地、結界」
 弓雫の言霊が放たれた。びぃん、と空気が張ったような振動があり、室外の騒音が掻き消えた。
「チッ」
 舌打ちし、クロスボウを至近距離にいる蓮に向けかけたギルフォードは、突然すうっと血の気が引くような感覚に襲われた。
 水霊使いであり、体内に流れる血液さえも支配下に置くことのできるセレスティが、ギルフォードの血流を操り、貧血状態を生成したのだった。
「……な……!?」
 激しい眩暈を覚え、一瞬にして眼の前が真っ暗になったギルフォードは、左腕を窓に突いて体を支えた。そこへ、ヒュッと蓮の脚が勢いよく撓るように飛んで来、ギルフォードの両脚を掬い上げ、蹴倒した。
「……ッ!」
 ギルフォードは床に大きく倒れ込み乍ら、昏い視界の中、それでもゲームは続行する気でいた。これは確かに予想外の展開ではあったが、もとより戦闘には慣れ親しんでいる。自前のクロスボウであっさり的を射抜いて終わり、では如何にも予定調和に過ぎて面白くない。多少の抗戦くらいはしてもらわねば、愉しくないのだ。
 ゲームのルールは、愁とギルフォードの間で取り交わされたもの。
 弩の矢が愁に中るか、外れるか。
「ケッ」
 短く喉を鳴らし、ギルフォードは改めてクロスボウを愁に向かって構えた。揺れる視界の中、明るく青い眸がいい目印になった。
 床に手を突き、斜め下から、愁の眉間めがけて、

 射る。

 強靱な弦がバィンと弾ける音が響き、轟然と愁に向かって猛進した矢が、――――消えた。
「……あン?」
 ギルフォードは思わず眼を屡叩かせた。
 愁は僅かに眼を伏せ、口許に笑みを浮かべると、冴えた声で言った。
「中ったか外れたか、どっちだと思う?」
「知るかよ!」
 ギルフォードは声を荒げ、蓮の足許に唾を吐いた。
 ユリは、ギルフォードから蓮を遠ざけようと小走りに駆け寄り、
「蓮」
 伸ばした手を蓮の肘に掛けるや否や、ぐいっと自分の方へ引き寄せた。
 だが、それを黙って看過するほど敵も甘くはない。ギルフォードは体を起こす間も惜しいとばかり、床に倒れ込んだ状態のまま、義手を弩からサーベルに変形させた。それを、蓮の足頸を両断すべく横に薙ぎかけたとほぼ同時、愁の鋭い視線が上がった。
「還れ!」
 凜とした声音が引き金となり、愁は己に取り込んだギルフォードの矢を、受け取ったときと同じだけのスピードで撃ち返した。
 ギルフォードは、自分が放った筈の矢がなぜ今撃ち返されてくるのか分からぬ乍ら、それでも「避けられる」と確信した。敏捷性に於いては常人のそれを遙かに凌駕している男なのである。だからこそ、避けられる――――筈、だったのだが。
「ゥ、あッ?」
 奇妙な声がギルフォードから発せられ、彼は身動きを止めざるを得なかった。
 その顔が、赤黒く充血して膨らんでいる。
「……貧血のようでしたので、少々血液を補給させていただきました。……頸から上に」
 セレスティがきれいに微笑んだとき、矢はギルフォードの左腕を壁に縫い付けていた。
 蓮は、ふっと一つ息を吐き、
「矢は兄さんに命中するどころか、お前に中ったんだ、……訊きたいだけ訊かせてもらうぞ」
 容赦なく言い切って、ゲームの幕を下ろした。

 己に向けられた能力を無効化し、その力を使用者に対し仕返すことができる向坂愁の能力――――。八剱嶺の件で愁が披露した特殊能力を、皆が憶えていたからこそおさめられた勝利だった。


SCENE-[4] 問答


 愁と蓮、セレスティがギルフォードと相見えている間に、弓雫は朽縄に命じて、書棚の上から桂を引きずり下ろしていた。
 ギルフォードがすぐそこにいるというのに、朽縄は驚くほど弓雫に従順だった。名を与え子分にしているのだから、当然と言えば当然なのだが、それにしてもいそいそと弓雫のために働いてくれる朽縄の姿は、なかなかに可愛かった。
 朽縄に襟頸を掴まれて床に下ろされた桂は、壁を背にくたりと坐り込んでいた。
 水でも飲ませたら多少は生気を回復するかと思い、弓雫は室内を見回した。しかし、院長室に水道はなく、小さな冷蔵庫が置いてはあったが、それはギルフォードの手の届く範囲にあったため、断念した。気付けのミネラルウォーター入手を強行して、いま一度彼の戦闘意欲に火を点けるのは、あまりに賢明ではなさ過ぎる。
 一戦終えたギルフォードは、腕を貫いた矢を引き抜き、医療道具の収められた棚を引っかき回して取り出した包帯を、無造作にぐるぐると傷に巻き付けていた。その傍ら、「問いに答えろ」と言う蓮の言葉を仕方なく聞いてもいた。
「先ず、さっきも訊いたが、今の状態で院長の命に危険はないのか。院長を連れ去った場処はどこなのか。それから、お前に誘拐を依頼した輩のことだ。そいつに頼まれたのは誘拐だけか。狙いは院長だけなのか、それとも他にも誰か拐かすよう頼まれたのか。……それが知りたい」
 淡々と口を開く蓮を横眼に見たギルフォードは、指を折って質問の数を数え、片頬で嗤った。
「一発矢を中てたからって、そりゃちょっと欲張りすぎじゃねーの?」
「では、加えて何をしたら総てに答えてもらえますか」
 セレスティがすかさず問い返した。
「ンー、とりあえず、この部屋の結界を解いて、……それから飴だな」
「……飴?」
 弓雫が瞬きした。
「そ。アメ。最近の俺のお気に入り、ってヤツ。イチゴ味の飴玉」
 イチゴ味の飴玉。
 言われて、弓雫はごそごそと持っていた飴を取り出した。大小様々なその中から、イチゴ味のものだけを選別する。そして、ギルフォードに歩み寄ると、それらを手渡した。掌に載せられた飴の小山を見たギルフォードの眦が、僅かに下がったのが分かった。
「……結界は、……答えを聞いてから、解く」
 弓雫の言葉に、ギルフォードは飴を一つ口中に抛り込んで肯き、問われた内容を脳裡に追い乍ら回答した。
「あー……、院長センセーの安否は、俺にも分かンねーよ。大体が、どこに抛り込んだンだか、俺も知らねーからな? 俺は、そこの、空間に穴開ける特技持った坊主をココに来る途中で拾って、手っ取り早く誘拐先を創らせたダケ」
 言って、ギルフォードは桂を指さした。
「……そーゆーワケで、くらーくて、しずかーで、ひんやーりしたトコ、っつーイメージだけしか憶えてねェの。……あと、誘拐依頼してきた患者の件な。俺は、院長誘拐しか頼まれてねーよ。いくらヒマでも、そんなに幾つも他人の要望聞いてられっかよ、面倒臭い。誘拐も、たまたま利害が一致したから決行したに過ぎねーし?」
「……利害が一致ってどういうこと」
 愁が頸を傾げた。
 ギルフォードは飴を奥歯でガリンと噛み割ってから、言葉を継いだ。
「或る組織に頼まれて、前々から院長に打診してたンだよ、この病院を人体実験施設として提供しろってなァ」
「……、そんなことをお父……、雲切院長が承諾するわけがないだろう」
 蓮が吐き出すように言った。
「だーかーら、邪魔だったんじゃねーか、そのお偉い院長サマが。組織からも、諾の返辞がない場合は殺して構わねーって言われてるしよ」
「殺し……」
「雇い主の組織のことまで暴露してしまってよかったのですか?」
 声を掠らせた蓮の語尾を遮って、セレスティが話題をすり替えた。動揺を見て取られると、その隙に付け入られかねない。
 ギルフォードはバリバリ音を立てて飴を噛み砕き、
「いい加減、組織に協力するのにも飽きてきたトコ。一応院長誘拐は果たしたし、その上裏切ンのは得意だし?」
 愉しそうに嗤って、まァ組織の名前くらいは伏せといてやるよ、と付け加えた。
「……じゃ、訊かれたコトには答えたからな。ホラ、結界」
 ギルフォードに催促されて、弓雫は素直に結界解除を行った。訊くべきを訊いたら、あとはもうこの不吉な男にこの場にいてもらう意味はない。
「……結びし境界、事離」
 言霊に事象が従い、ぱぅん、と気が緩んだ。途端、室外のざわめきが打ち寄せ、ここが病院内の一室なのだという現実感が還った。
 ギルフォードは窓を開け、鉤型に変形させた義手を外壁に引っ掛けるや、別れの挨拶もなしに窓外へ逃亡した。


SCENE-[5] 行方


 冷えたミネラルウォーターを飲まされた桂は、ようやく息を吹き返し、その瞬間から皆の視線を一身に浴びることとなった。
「お眼醒めですか」
 セレスティの穏やかな声に、桂が少しホッとしたように表情を緩めた。そこへ、
「院長先生を誘拐する手助けをしたらしいね?」
 愁の醒めた声が降ってきた。
 桂はびくっと肩を揺らし、戸惑いがちに口を開いた。
「て、手助けと言うか、ボクは……」
「言い訳はいい」
 蓮が無表情な声音を向けた。
「どうしてこういう事態に陥ったかなど追及する気はない。そんな暇もない。必要なことだけ訊いたら終わりだ、無駄に怯えるな」
 蓮の胸中には、院長を一刻も早く救い出す、という一事しかないらしく、その意味で桂のことなど眼中にはなかった。
 桂は反射的に肯き、何を訊かれるのだろう、と身を固くした。
「……あのギルフォードという男に脅されて、空間に穴を開けた、それは確かか?」
 蓮の問いに、桂が小さな頭部を振り下ろす。
「ギルフォードはその穴に院長を……抛り込んだ?」
 もう一度、桂の頸が縦に振られる。
「そうか。……いいか、次が肝要だ。お前が穴を開けた先は、どこだった?」
 蓮が、桂の赤い眸を真っ直ぐに見据えた。
 桂はぱちぱちと瞬きし、何事か考え込むように、床に坐り込んだ自分の膝に視線を落として――――頭を緩く横に振った。
「わか……分かりません」
「……分からないとは、どういうことです?」
 セレスティは訝しげに訊ね、それまで手に持っていた時空時計を桂に差し出して見せた。
「君はこの不思議な時計で、空間を拓いたのでしょう。自分でしたことが分からないというのですか?」
「それは、その……、……ボ、ボク、すごく慌てていて……、慌てると、もう何が何だか分からなくなって……、それで、慌てて開けた穴がどこに繋がったかなんて、わか、分からなくて」
「ちょっと待って」
 しどろもどろに答える桂に、愁が詰め寄った。
「じゃあ、桂さん自身にも、院長先生を抛り込んだ場処がどこだか全然分からないってこと?」
「……そ……、そう、です」
「莫迦な」
 蓮が短く呟き、両の拳を強く握り締めた。
「あっ、で、でも! 時間は超えてない、……と思います。時間と空間に同時に穴を開けるのは、少し手間で、……だから慌ててるときは殆ど時間を超えた穴は開けられなくて……開けようと思っても開けられないこともあるくらいで」
「救いはそこですね」
 セレスティが、ふう、と溜息を吐いた。
「……桂ちゃんの能力を使ったんだから、……空間に暫く穴が残ってたってことだよね」
 それまで黙したまま皆の動向を窺っていた弓雫が言い、きょろきょろと室内を見回した。
 セレスティは弓雫の声に肯き、
「瞬間的に消えた穴なら別かもしれませんが、ある程度開いていたというなら、その痕跡をどうにかして感じられそうな気はするのですが」
 そう言って静かに瞼を下ろすと、気を研ぎ澄ませた。
 蓮は、時間は超えていない、という桂の言葉に多少安堵の表情を見せ、乱れかけた思考を再び冷静に纏め上げた。
「……場処のイメージは、暗くて、静かで、ひんやりしたところ、だったな……。今の時季の気温を考えると、外ではないか。時間を超越したのなら、冬に飛んだ可能性もあると思ったが、とりあえずその選択肢は棄ててよさそうだな」
「暗くて、静かで、ひんやり……」
 愁が何となく繰り返して、頸を捻った。
 蓮はいつもの癖で口許に軽く手を当て、思考回路を怜悧に巡らせ続ける。
「……抛り込んだ、という表現から考えると……洞窟のような場処に人を入れたという感じではないな。とすると、他に思い付くのは……冷蔵庫、とか? 病院関係で言うなら……棺桶とか」
 自分でそう言ってみてから、縁起でもないが、というように蓮は眉根を寄せた。
 棺桶。
 その単語を耳にしたセレスティが、ふと閉じていた瞼を上げた。
「……そうですね。棺桶……。誘拐された当人が病院長ですし、もしかしたら桂君の能力が院長の属性に無意識の裡に引き寄せられた、ということもあるかもしれません。……霊安室あたりなど、適当ではないでしょうか」
「霊安室……。ねえ、ユリ、この病院の霊安室って、地下にある?」
 愁に訊かれて、ユリは「ええ」と応えた。
「外来棟一階から、地下に降りる階段とエレベーターがあるわ」
「……地下の霊安室なら……、確かに、くらーくて、しずかーで、ひんやーり……だね」
 弓雫が同意を示した。
「だが、霊安室に移動しただけなら、院長も自力で脱出できるだろうし……。霊安室に置かれた棺桶の中ということなら」
 蓮はそこまで言って、一度言葉を切った。
「……、病院の霊安室に、普段、空の棺桶なんて置いてあるのか?」
 その純粋な問いに、ユリは少し考えるように虚空をみつめ、深く頸を傾げた。
「……どうかしら」
 確かに、すでに遺体が安置されている棺桶に、さらに院長を抛り込む余裕などありはしない。とすると、院長の抛り込まれた先が棺桶だというなら、それはもともと空の棺桶でなくてはならない。だが、ここは葬儀屋ではなく病院だ。日々逝去し棺桶に収められる遺体は多いだろうが、遺体を待ち受けるように棺桶が常時ストックされているとも考えにくい。
「……とりあえず」
 弓雫が、ぱんと胸の前で両手を拍ち合わせた。
「朔を喚んで……この部屋に時空の歪みが残ってないか、視てもらうことにする。……霊安室とか、棺桶とか……そういう気配を帯びた歪みが、あるかもしれないし。……ないかもしれないけど」
「サク?」
 愁が鸚鵡返しに訊いた。それに弓雫は肯首で応え、「……守護霊」と一言説明を付け加えると、右手をすっと上方に掲げた。その小指に、指輪が嵌っている。弓雫の支配下にある守護霊「朔」を封じた指輪だ。
 朔は意思を持たず、弓雫にのみ姿を見せ従い、どんな場処へも身を転移する霊である。また、その視界は主である弓雫と共有されるため、弓雫は朔の得た情報をそのまま己のものとすることができるのだ。
「……朔。我が声に応えて視よ。冥き歪みの生じし虚、有りや無きや」
 弓雫の声音が鳴った直後、共鳴するように指輪が鈍く光り――――そこに、着物を纏った一人の女性が姿を顕した。否、その姿を確認できたのは弓雫だけであり、他の面々は何が起こったのか分からずにいた。霊的なものを感じ取ることに長けている愁は、何とはなしに朧な霊の気配を覚えたが、それでも朔を見るには至らなかった。
 守護霊、朔。
 長い黒髪を軽く結い上げ、落ち着いた紫の眸が印象的な彼女は、緩やかに宙に舞い、与えられた言の葉のままに歪みの存在を探った。
 暫し間があり、
「……桂ちゃん、穴を開けたのって、机の上あたり……で合ってる?」
 そう言って、弓雫が眼を向けると、じっと俯いていた桂は慌てて顔を上げた。
「あ……、は、はい、確か……、多分」
「そっか。……じゃあ、朔が視た歪みはやっぱり正しい……」
「……それで?」
 痺れを切らしたように、蓮が声を上げた。
「歪みがあったのは分かったが、その歪みの先を辿れそうなのか? どこに向かって捻れた歪みなのか分かるのか? その……、サク、という守護霊には」
「……穴自体はすっかり閉じてるから、こじ開けて辿るわけにはいかないけど。……でも、穴が閉じるときにできた歪みに、向こう側の気配が巻き込まれたみたいだね。……視えたのは、……静寂の立方体」
「立方体……というと、正六面体ですね。各面が正方形で囲われた――――」
 そこまで言って、セレスティは口を噤んだ。その後を、蓮が継いだ。
「棺桶は立方体ではないな」
「そうですね」
 蓮とセレスティが肯き合う。
 愁は、うーん、と一声唸った。
「立方体って……、暗くて静かでひんやりした立方体? その中にちーちゃんのパパが抛り込まれたってこと?」
 暗くて、静かで、ひんやりした、立方体。
 立方体は確かに有形のそのものを指しているが、それ以外は飽くまでもイメージである。
 一つ一つバラして考えてしまうと、どんなものにも当て嵌まりそうな、曖昧な印象。
「……っ」
 蓮は思わず奥歯を噛みしめた。
 こんな風に考え込んでいる間にも、院長の身に危険が忍び寄っているかもしれないのだ。
 その立方体が、もしとても狭いものだったらどうなる?
 そんな中に人間が押し込められていたら?
 当然、さして時間の経たぬうちに酸欠になるに決まっている。
 (暗くて、静かで、ひんやりした、静寂の、立方体……、「暗くて静かでひんやり」から連想されるのは、病院なら霊安室とか棺桶とか……地下にあって人が少なくてあまり音がしなくて……)
 脳内で必死にキーワードを繋ぎ合わせ組み換えていた蓮は、揺らしていた視線を不意にぴたりと止めた。
「……音……?」
 ぽつりと、口の端から言葉を零す。
「え? 音がどうかしたの、蓮?」
 愁に訊き返されて、蓮は小さく肯いた。
「ギルフォードが言っていた『暗くて静かでひんやり』と、鳴沢が言った『静寂の立方体』。重なっているイメージは『静』の部分だな、と思って……」
「確かにそうですね。それで香坂君は『音』が気になったのですか?」
 セレスティが、蓮の思考の先を促した。
「ああ。……静寂。音の無い場処、と言うなら、それは」
 ――――防音室。
 幼い頃からヴァイオリンを奏で続けてきた蓮にとって、即座に思い付くのはそれだった。
 そして、この病院内にあって、院長に関連深い防音室と言ったら、一箇処しかない。
「……特別室、だ」
 蓮はそう断言し、院長室を飛び出した。
「あ! 待ってよ、蓮!」
 愁がその後を追い、室内には弓雫、セレスティ、ユリ、桂、麗香が残された。
「……行っちゃった、ね」
「英断だといいのですが」
 弓雫とセレスティが顔を見合わせた。
「……蓮の言うとおり、特別室は防音仕様で外の音が聞こえない場処だけど……、それ以外の要素はどうなったのかしら」
 ユリが頸を傾げた。
 静か、というキーワードに拘ったのは分かったが、その他の、「暗くてひんやりした立方体」なる部分はどう解決すればいいのだろう?
「……すべての要素を一直線上に並べてうまくいかないのなら、段階的に考えることも必要です。音の無い空間が先ず特定されたのであれば、その空間内に『暗くてひんやりした立方体』を探すことが一番の近道かもしれませんね」
 セレスティが蓮の即断を肯定するように言った。


SCENE-[6] 地下


 桂の介抱と処遇を麗香に任せ、弓雫、セレスティ、ユリの三人は蓮と愁を追って特別室に向かった。
 ギルフォードと対峙している間も、その後も、麗香はデジタルカメラとメモ帳を片手に、事の成り行きを逐一記録に残していた。
「ここまで付き合ったのよ、事の顛末はしっかり見届けさせてもらうわ」
 そう言い切った麗香だったが、立場上桂を放置して行くわけにもいかず、自分の代わりに桂を保護する部下を――――三下を電話で呼び付け、彼が到着し次第、特別室に向かう段取りを組んだ。


【 現在位置 >> 特別室 】

 弓雫達三人が特別室に到着したとき、すでに千駿は、蓮と愁から現在に至るまでの状況を説明されていた。双葉は、分かったような分からないような顔で窓際にふわふわ浮いていたが、新たに入室してきた三人を見るや、出迎えにドアのところまで飛んで行った。
 セレスティが、近寄ってくる双葉の気配に片手を差し出すと、双葉はにこっと笑ってその手を両手できゅっと握った。
「随分と……強い花の香が漂っているようですが」
「ああ……、月下美人の香りです」
 セレスティの言葉に千駿が応じた。
 ギルフォードが院長室で爆発を起こすより前に、双葉が己の身から咲かせて見せた月下美人の花。それは今、コサージュ代わりに双葉の服に飾られていた。
 皆が特別室に集合したのを後目に、蓮はおもむろにキッチンの冷蔵庫を開け、中を確認した。
「……蓮、さすがに……パパがそこに入ってるってことはないと思うんだけど」
 愁が、冷蔵庫を覗き込む蓮の後ろから声をかけた。
「念のためだ」
 そう言って、蓮は冷蔵庫の扉をパタンと閉めた。食材の整然と詰め込まれた冷蔵庫に、大人の男性一人が収まる余裕などないことは、蓮が一番よく分かっている。が、この室内で僅かなりと可能性のある場処は虱潰しに潰していきたい。
「暗くて、静かで、ひんやりした立方体、ね……」
 千駿が呟き、胸の前で腕を組んだ。
 弓雫は箱形の何かを室内に捜し乍ら、声だけを千駿に向けた。
「……思い付かない? ちーちゃん」
「ああ。父の体が収まりきるような立方体なんて、この部屋には」
「でも!」
 蓮が千駿の白衣を引いて、顔を歪めた。その表情は、苦しそうにも泣きそうにも見えた。
「……、そうだな」
 千駿は蓮の頭に軽く掌を置き、セレスティに視線を向けた。
「事の次第を聞いたところによると、父の誘拐先については、霊安室や棺桶といった選択肢もあったそうですね」
「ええ、それも考えました」
 セレスティが応える。
「それなら、一応病院地下も確認を――――」
 言いかけて、千駿は急に視線を足許に落とした。
「……ちーちゃん? どうしたの、急に。……地下って、まさかこの部屋に地下室はないよねえ?」
 そう言って、笑って見せようとした愁もまた、何らかの思い付きに心を囚われたか、笑みをおさめて足許をみつめた。
「……あるの? 地下室」
「あるのですか? 地下室が」
 弓雫とセレスティが揃って訊ね、揃って顔を床に向けた。
「……無い、ですよね? 千駿さん」
 ユリが冷静な声で千駿に確認した。ユリは以前、この病院を建築する前に作成された設計図を千駿から見せてもらったことがあるが、「ここが特別室ですね」と指さして微笑んだその位置に地下室の表記はなかったことを憶えていた。
 千駿はユリの言葉に肯き乍ら、踵でトントンと床を叩いた。
「地下室はないよ。……ただ、立方体というなら、地下室でなくても構わないだろう? ……室、ではないけど、立方体ならある。地下に埋まっているから暗くてひんやりしているし」
「地下に埋まっている立方体……? ここは一階ですから、床より下に何かがある場合、そこは地中には違いありませんが……」
 セレスティはそこまで言って、あ、と短く息を呑んだ。
「……収納庫、でしょうか」
 そのときセレスティの脳裡を過ぎったのは、前回雲切病院を訪れた折の、友人の病室での光景だった。友人は、セレスティに渡したいものがある、と言って、床の一部を引き開けていた。そこには、貴重品をしまっておく小さな収納庫が備え付けられていたのだ。
「収納庫……、ああ、キッチンの床にもそういうものが付いている場合があるな、そういえば。冷暗処に保存しろという表記のある調味料や食材を保管するための場処」
 蓮が、ちらりとキッチンの床を見遣った。
「あ、そっか」
 愁がぽんと手を拍った。
「ここって、『特別室』だもんね? 今はちーちゃんが住んでるけど、基本的には特別な患者さんが治療を受け乍ら暮らすための部屋だよね。だったら、貴重品とか荷物をしまっておく収納庫は普通の病室のものより大きいかも。……でも、見たところ、床に収納庫の扉なんて見当たらなさそうだけど」
「この部屋、僕が暮らすようになってから防音工事をしたからね。本来の床や壁の上に、専用の防音マットのようなものが取り付けられてるんだ。だから、収納庫はその下」
 千駿の言葉に、一同、ああ成る程、というような表情を見せた。
「……どのあたり? その……収納庫の場処」
「確か……、このあたり」
 弓雫の問いに応じて、千駿が床に手をついた。
 窓際の仕事机から内側へ一メートルほど。壁に寄せ立てられた本棚の前。
「床を……剥がすことになるのか」
 蓮が呟いた。
「……朽縄」
 弓雫が子分を喚んだのを機に、皆で一斉に床を引き剥がしにかかった。朽縄の鋭い爪先と有り余った膂力は、この局面で非常に役立っていた。


SCENE-[7] 立方体


 剥がした床下に眠っていたのは、収納庫というより金庫のようないでたちの立方体だった。正方形型の扉に付いているのは、シリンダー錠。
「……後付けだな、この錠前は」
 扉に触れ、錠の形状を確認した蓮が言った。
「防音床の下に隠れてた収納庫の鍵なんて、ちーちゃんもきっと持ってないだろうから。……任せるよ、蓮」
 愁が小さく苦笑した。双子の弟の趣味特技がピッキングであることは、愁も重々承知している。
 言われなくても、と言うように、蓮はいったん場を離れ、すぐにピッキングツールを片手に戻ってきた。そして床に屈み込むや、手早く開錠作業に入った。シリンダーと外殻部に器用にズレを作り、鍵穴に差し込んだピックでボトムピンを次々押し上げてゆく。総てのボトムピンが上がり、トップピンが外殻部に移動した途端、シリンダーが静かに回転して心地好い金属音が鳴った。
「……よし。開いた」
 宣言し、蓮は勢いよく収納庫の扉を引き上げた。
「……ッ、……あ……、……お父……さん」
 果たして。
 そこには、膝を折り曲げるようにして庫内に入れられた、雲切院長その人の姿があった。
 発見できた安堵のあまりその場に坐り込んだ蓮の代わりに、愁と弓雫が院長を床上に引き上げた。
 ぐったりした院長の容態を確認した千駿が、酸素吸入をするから、と告げ、ユリに指示してストレッチャーを用意させると、すぐに応急処置に入った。
 セレスティと一緒になって蓋の開いた収納庫を見下ろしていた双葉は、
「……はこ?」
 中を覗き込んで小頸を傾げた。
「ええ。そうですね。……単なる箱というよりは……、匱、のような気もしますが」
 双葉に向かって言い、セレスティは庫内の気配を窺うように、車椅子から少し身を乗り出した。
 匱。
 冥く口開いた、空虚で、大きな箱。
 拐かされた人間一人を内包して、ひそやかに息衝いていた地中の立方体。
 その内側に眼を向けていたセレスティは、真っ暗なだけの場処に、ぼんやりと浮かぶ白い物体の存在を認めた。
「おや……、あれは何でしょう」
 セレスティに言われて、双葉は収納庫の中に降りていった。宙に浮かんだまま、頭から匱に入ると、手を伸ばしてそこに置かれていた物を掴んで戻り、セレスティに手渡す。
「ありがとう」
 双葉に微笑みかけたセレスティは、手にした物の表面を指先でそっと撫でた。
 それは、分厚い日記帳だった。
 真新しい、という感じもしないが、丁寧に扱われていたようで、白一色の表紙が美しかった。
 と、セレスティの背後から顔を覗かせた弓雫が、表紙の下部を指さした。
「……それ……、日記帳の持ち主の、名前?」
 雲切夕佳。
 表紙の片隅に、控えめに記された名前。
 それは。
「……雲切夕佳、って……、千駿の……お母さんの名だ」
 ようやく気持ちを落ち着けて立ち上がった蓮が、眼を瞬かせて言った。


SCENE-[8] 共犯者


 院長が救出できたことで、残された問題はギルフォードに誘拐を依頼した患者の件のみとなった。
「この病院にお世話になっている患者が院長誘拐を依頼したというのですから……治療関係か金銭問題でトラブルを抱えていたと考えるのが妥当でしょうか」
 セレスティが言った。
「でも、依頼した相手が悪かったですよね。……どうしてあんな、見るからに凶悪そうな人に頼んだんだろ」
 愁がセレスティの言葉を受けて、肩を竦めた。
「……ギルフォードの言っていたことを思い返してみますと、偶然に誘拐を依頼され、偶然に桂君を拾い、その結果こういう形での事件になったというのが真相のようですし。おそらくは依頼者も様々抱え込んだ悩みの捌け口がないあまり、ギルフォードに出逢ったときに衝動的な誘惑に抗しきれず、このようなことをしてしまったのではないでしょうか。もちろん、それでも罪は罪ですが」
 セレスティが誘拐依頼者の人物像を予想しかけたとき、特別室に麗香が顔を見せた。その後ろに、三下と桂も従っている。麗香はストレッチャー上の院長にカメラを向けかけて千駿に制され、仕方なく、剥がされた床周辺の写真を撮影した。
「……桂ちゃん」
 弓雫が、桂を手招きした。
「え……、あ、はい」
 桂はふらふらと弓雫に歩み寄り、何ですか?というように眼を上げた。
「……くーちゃん、何か言ってなかった?」
「くーちゃん?」
「……桂ちゃんを捕まえてた、蛇のひと」
 蛇のひと、という表現を聞いて、桂は合点がいったらしく、肯いた。
「でも、何か、と言われても……何でしょう?」
「……何か。誘拐をくーちゃんに頼んだっていう、患者さんのことを……何か」
「患者さん……、……えっと、入院患者っていうのはストレス溜まってんのか?って……嗤ってましたけど……。確か、何とかいう花の名前の患者さんで……」
「……花?」
 花、という言葉を耳にして、何となく心惹かれたのか、それまでセレスティの車椅子に掴まって遊んでいた双葉が、弓雫に近寄ってきた。
「……飴、食べる?」
 弓雫が飴を一つ、双葉に差し出したとき、桂が「あ」と円く口を開けた。その視線が、双葉の胸に飾られたコサージュに固定されている。
 弓雫は桂の様子をじっとみつめ、暫し桂と双葉とを見較べた後で、
「……花の名前って……これ?」
 双葉の胸許を示した。
「ゲッカビジン」
 双葉が、もらった飴を口に含み、満足そうに笑った。
 ――――ゲッカビジン。
 という名の、患者。
「……ニックネーム、とか? ……有り得ないとは言わないけど」
 話を聞いていた愁が言い、千駿を呼んだ。
「ねえ、ちーちゃん! ゲッカビジンって名前の入院患者さんに、憶えある?」
「……え?」
 千冬の手当を済ませ、脈の状態を確認していた千駿が、愁を振り返った。
「月下美人? ……ああ」
 思いの外、千駿はあっさり頸を縦に振った。
「……そんな名前の患者、いるのか?」
 千駿のそばで、ストレッチャーに身を横たえている千冬の手を握っていた蓮が、疲労感の漂う声で訊いた。
「本名だよ、月下美人。印象的な名前だから、一度で憶えた。但し、読みはゲッカビジンじゃなくて、『つきした・よしと』だけどね。第一病棟に入院してる男性患者さん」
「……漢字の妙だね」
 愁が感心したように言った。
「では、院長のことは医師にお任せして、私達はその月下美人氏のところへ行ってきましょうか」
 セレスティが特別室のドアへと車椅子を移動させ乍ら言い、弓雫、愁、双葉がそれに続いた。
「それなら、私が月下さんの病室まで案内します」
 先導役を買って出たユリに微笑みかけた愁は、千冬の隣を動こうとしない蓮を見、
「……蓮はここにいるんだよね?」
 と声をかけた。
 蓮はこくりと肯いてその声に応えた。
 桂は三下に連れられて帰宅することになり、麗香は皆の後について病室へ行く心積もりらしかった。


【 現在位置 >> 第一病棟・病室内 】

 月下美人なる患者は、ベッド上に上半身を起こした姿勢で、セレスティ、弓雫、愁の説明と詰問にひたすら頸を傾げ続けた。
「……身に憶えがありません」
 その一点張りである。
 外見的な印象は、いたって真面目そうな青年で、年の頃二八。交通事故で負った傷の治療のために入院中だという彼は、とてもギルフォードに誘拐を依頼するような不穏な人物には見えなかった。
「本当に憶えていないのですか? どう言い逃れようとも、君も共犯であることに代わりはないのですよ」
 セレスティはそう釘を刺してから、空中の双葉を見上げた。
「……折角ですから、何か……そう、蔦でも出していただけませんか?」
「つた?」
 双葉は訊き返してから、両手を一度組み合わせ、ゆっくり左右に引き分けた。その手の間に、セレスティが望んだとおり、しなやかな蔦が生じていた。大きく手で輪を描くと、それに合わせてしゅるしゅると蔦が伸びる。双葉は、それを巻き取って、セレスティに手渡した。
 礼を述べて蔦を受け取ったセレスティは、
「私の一存で表沙汰になどはしませんが、罪は償っていただかないと」
 そう言って、月下美人の両手頸に蔦を巻き付けた。天然素材の手錠のようなものである。
 美人は縛された手頸を見て困ったように俯き、本当に分からないんです、と溜息吐いた。
 暫くその様子を見るともなしに見ていた愁は、
「……月下さんの言ってること、本当かもしれませんよ」
 ぽつりと言った。
 その隣で、弓雫が肯く。
「なんとなく……感じる、よね」
「鳴沢さんも感じますか? じゃあ、やっぱり、そうですよね」
「感じるって、何を?」
 病室の扉脇に立った麗香が、持っていたペンを軽く振り乍ら訊ねた。
「霊魂の気配です。正確には、月下さんが霊に憑かれていた気配」
 愁は麗香を流し眼に振り返って答えた。
「霊に憑かれてた? ……じゃ、あの蛇男に誘拐を依頼したのは」
「憑依した霊がそうさせた、ってことだね……」
 今度は弓雫が返答した。
 セレスティは、美人に巻いた蔦の片端を双葉に持たせつつ、頸を傾げた。
「では、月下氏は偶然霊に憑かれたに過ぎないと言うことですか」
「全くの偶然ってわけでもない気はしますけど。霊を身に降ろしてしまうような何かを、月下さんが持ってたのかもしれない。たとえば」
 そこまで言って、愁は双葉の胸の月下美人の花とベッド上の美人を交互に見た。
「……名前、とか。双葉ちゃんが咲かせた月下美人――――今回の件に関係ないとも言い切れない気がするし」
 月下美人。
 ムーンライト・シンデレラ。
 新月の夜にのみ開花する、自家不和合の花。
「月下美人の花言葉は、……ただ一度だけの恋、真実の時間、でしたか」
 セレスティが、双葉の月下美人に指先を触れて呟いた。

 院長誘拐。
 静寂の匱。
 白い日記。
 月下美人。
 霊魂憑依。

 いくつかの新たな謎を冥冥の匱の裡に残して、救出された院長は緩やかに快方へと向かっていた。


[ 冥冥の匱 /了 ]


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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+ PC名 [整理番号|性別|年齢|職業]

+ 鳴沢・弓雫
  [2019|男|20歳|占師見習い]
+ 香坂・蓮
 [1532|男|24歳|元ヴァイオリニスト]
+ 向坂・愁
 [2193|男|24歳|ヴァイオリニスト]
+ セレスティ・カーニンガム
 [1883|男|725歳|財閥総帥・占い師・水霊使い]

※ 上記、受注順に掲載いたしました。

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■         ライター通信          ■
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こんにちは、ライターの杳野と申します。
異界依頼「冥冥の匱」にご協力いただき、ありがとうございました。
今回、雲切病院に足を運んでくださいました四名様とも、「Phantom Limb Pain」にご参加くださっていた方々でしたので、公式NPCギルフォードやお互いのことについて、ある程度理解のあるものとして執筆させていただきました。
院長・雲切千冬救出劇はこれにて無事終了いたしましたが、結果的に別の謎が増えた状態で幕、となり、おそらく予想されていることと思いますが、次回依頼にその謎は引き継がれる形になります(依頼自体は今回と併せて前後編、というようなものではないので、内容的に今回明らかになっていない部分が表面化する可能性を孕んでいる、という意味です)。
ギルフォードとの対立、院長誘拐先の謎解き、誘拐依頼者の特定など、一度に色々な要素を盛り込んだ結果、思っていたより長編の仕上がりとなってしまいましたが、少しでも楽しんでいただければ幸いです。
なおNPC双葉についてですが、現在彼女は様々なことを吸収中ですので、PCさんに構っていただけました場合、今後の彼女の属性に影響します。たとえば、今現在、双葉の好物は飴で、今後暫く蔦で遊ぶのがブームになるのではないかと(笑)。

最後に、雲切千駿より、皆様に一言ご挨拶があるようです。
・千駿
「今回は、院長の……父の救出にご協力くださって、ありがとうございました。あの様子なら、暫く安静にしていれば体調も回復すると思います。……本当に、ありがとうございました」
……それでは、またお逢いできることを祈って。