コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<PCシナリオノベル(シングル)>


灰は灰に、塵は塵に

 お昼休みの憩いの一時。
 箕耶上総にとって、それは一日の内で最も豊富な栄養が多種多彩に摂取出来る有意義な時間である。
「カズちゃん、ホラぬか漬けお食べな」
「あんがとー、おばちゃん♪」
差し出されたタッパーから鮮やかな緑の胡瓜を抓んで口に入れれば、歯にあたって小気味の良い音を立て、独特の青みの強い、けれど爽やかな香りが程よい塩味と共に口中に広がるに、上総はほぅ、と頬に手をあてて満足の息を吐いた。
「相変わらず、おばちゃんのぬか漬けは絶品や……」
心からの賛辞に、パートでレジ打ちに入っている中年のご婦人はそれは嬉しげに頬を緩めた。
「カズちゃんはいい子だねぇ……うちの息子はそんな古くさい物食えるかって手もつけないんだよ」
「そうなん? 勿体ないなぁ。こないだミノさんがゆーとったけど、ぬか漬けにしたらビタミンが増えるんやて。保存にもえぇし栄養も取れるし。昔の人はほんまおりこうさんや」
ミノさん、それは中高年のおば様方が絶対の信頼と信用を於くニュースソースの主である。
「ホントにねぇ。さ、もっとお食べ」
「うん! あ、でもちょいもろて帰ってえぇやろか? 朝ご飯にも食べたいなぁ♪」
おねだり上手な上総に、婦人は心得ているとばかりに大きく頷いた。
「そういうと思って、まるごと持ってきてあるよ」
と、お弁当の入ったトートバッグからビニール袋に包まれた胡瓜を取り出す。
「わーい、あんがとー♪」
有り難く押し頂く上総に、傍らから別の声がかかる。
「カズちゃん、南蛮漬けも食べるかい?」
「欲しーぃ♪」
胡瓜を掲げるように諸手を挙げれば、蓋付のボウルが横から回されて来た。
 ぱかりと蓋を開ければ、小麦粉を塗してからりと揚げられた小魚が合せ酢にとろりとした金色に浸かり、味に辛さを添える唐辛子が彩りも良い。
「美味そやなー♪」
食欲をそそる香りに、上総はうきうきと箸を取る。
「よーく揚げてあるから骨まで食べれるよ」
「わぁ、カルシウムたっぷりや♪」
頭からぱくりと小魚に齧り付く上総に、室内の微笑ましい視線が集まる。
 それが不意に、休憩室の片隅で流されていたTVが高音域の信号音を発した。
 で、ニュース速報のテロップが、生活に役立つ雑学知識を披露するミノさんの頭上を横切っていく。
「まただよ、怖いねぇ……」
僅か、安堵を滲ませた婦人の呟きに、上総は口の中の魚をしっかりと呑み込んでから問う。
「またってなんやの?」
「知らないのかいカズちゃん!?」
驚愕の思いが休憩室の複数の異口から同音を発せさせた。
「こないだっから流行ってる病気でねぇ……」
「あら、アタシは化学薬品の流出って聞いたわよ?」
「本当はオゾンホールが原因だとか……」
口々に報道、流布、憶測が飛び交うに混乱しそうなものだが、上総は胡瓜を抓みつつふむふむ、南蛮漬けを囓りつつうんうん、肉じゃがを差し出されておおきに、とそれぞれの意見に律儀に反応を返す。
「……で、結局のトコ」
食後のお茶をずず、と啜り、上総はようやくの収束を見た話題に一息をつく。
「おかしな病気がはやっとるんやなぁ、おとろしなぁ」
 多種多様な情報は、先週末から報じられている、謎の神経症willies症候群について。
 何かに追われるように突然走り出したり、周囲の人間に殴りかかったり…それが、ビルや駅、同じ施設・空間を共にする女性全てが、突如としてその症状に見舞われるのだ。
 個人差によってほんの十数分で症状が治まる者も居れば、そのまま精神に異常を来してしまう者もいる…症状を示した女性達、証言を得られる者は全て、その間にどうしようもない恐怖に襲われたのだと訴えた。
 少なからぬ死傷者の出ているその突発的脅迫神経症は何等かのウィルスが原因とか、密閉空間に於ける人間の精神作用から生じるものだとか、様々な争論を戦わせながら未だに原因が確定しないままである。
「そんな怖がらなくてもカズちゃんはだいじょうぶよぉ。どんなに可愛くたってオトコノコなんだからおほほほほほ」
よく解らない笑い所を周囲のご婦人方はちゃんと理解しているらしく、幾つも高笑いが唱和するのに愛想よく付き合っておもむろに、上総はくし、と片手で目を擦った。
「どうしたの、カズちゃん」
「……おばちゃん達はそないなトコ近寄らんといてな?」
少し顎を引いて見上げるような目線は不安の色を湛えて潤み、包囲網を構成するご婦人一人一人の顔を見つめる。
「おかあちゃん時も、ほんまにいきなりやったんや……俺、おばちゃん達がおらんようになったら嫌や」
しょんぼりと肩を落とした上総に、ご婦人方の何かのボルテージが臨界点を突き抜けた。
「もう、なんていじらしい子ッ!」
「カズちゃん、これもおあがりッ!」
「こっちは持って帰ってお食べッ!」
「いっそのことうちの子になるかいッ?!」
概して、女性とは母性本能をくすぐる言動に弱い。
 愛の抱擁、愛の差し入れ、愛在る申し出が乱れ飛ぶ、昼食時のいつもの風景と言えなくもない光景がスーパーの裏方で繰り広げられるのを、善良な顧客の皆様は知るよしもない。


 本日も無事にお総菜の数々をゲットして、上総はほくほくと胸に戦利品の入った紙袋を抱えた。
 本人が特に意識しない言動とはいえ、職場のアイドルの名に二つ名に恥じない堂に入ったファンサービスの良さに、パートのご婦人方も差し入れの甲斐がある上、上総の食卓も安泰、と天然と計算の紙一重の位置で局地的に愛と平和を振りまく彼の真意を余人が測るは難しい。
 最も、其処にあるのは欲と呼ぶには純粋過ぎる程に原始的な、食、に対する喜びが満ちているだけかも知れない。
 上総は次なる工事現場のバイトへ向かう足で、浮き立つ心持ちを現していたステップをピタリと止めた。
 都心の駅、縦横に伸びる地下鉄の重要な発着点…各沿線の乗り場に通じる無数の通路の中で、一つだけまるで存在を無視されたかのように人通りのない通路がある。
「……一体何なんやろなぁ?」
昼の会話を思い出し、上総は首を傾げた。
 狂う女、端的でシュールな言葉が脳裏を過ぎる。検証と究明はお役所の仕事、ならば一般人は空想の翼を広げて自らを納得させるより他にやるべきはない。
「精神攻撃用兵器の実験とか!?」
何処の国の陰謀だそれは。
 上総は普段の読書傾向を覗かせる自らの推論に、ときめきに無駄に胸高鳴らせながら怖い物見たさで通路の奥を覗き込んだ。
 その視線が遥か向こう、連れ立って歩く二人連れの人影を認める…に、上総は明確な喜色を浮かべた。
「って、ピュンやん♪」
通路の隅々までをつぶさに照らす白色灯の白々として態とらしい光の中、落ちる短い影との別すら難しい程に黒々とした形をそう見間違える筈はない。
 ピュン・フーと名乗る青年が持つ、その独特な空気と共に。
 思わぬ既知との再会に、上総の目は獲物を狙うそれとなった。目標補足、距離確認。
「こないなトコで何しとんのーッ?」
陸上選手も斯くやという見事なスタートダッシュで、一気に距離を詰める上総、ある程度で両手を広げて準備も万端…だが、敵もそう何度もタックルを食らってはくれなかった。
「お前こそナニしてんの。今幸せ?」
捕獲直前、真っ直ぐ伸ばした腕の先、掌で額を押す形で止められ、上総はむぎゅぅ、と声を上げる。
「あぁん、つれないやんピュン〜。ピュンに出会えて幸せ一杯夢一杯に決まっとるやん♪ ナニしとるも何も、出逢いの一度目は偶然、二度目は必然、三度目は運命やで? 運命には逆らえんがな〜」
胸の前で手を組み、乙女の祈り状態で目を輝かせる上総……因みに未だ進もうとするに額はまだ抑えられたまま、軽口の応酬が交される間にも静かなる攻防は続いている。
「そりゃ良かったな……運命に何か弱味でも握られてんの?」
苦笑混じりの声、表情は変わらずに顔に乗った円い遮光グラスに遮られて半減してはいるが、口元の笑みがそれを補って楽しげだ。
「そーなんや、運命はいけずやさかいな〜。えぇ子にしとらんとピュンに会わせてくれんねん」
「あぁ、じゃ俺、運命に嫌われてんのかな」
上総に会いたくなかったと、微妙な意味に取れる発言に上総はんー、と首を傾げると、額の一点で支えて進行を阻む腕、その手首をがしりと掴んで引き剥がし、両手で力強く握り締めた。
「きっと俺ら、赤い糸で結ばれてんねやな♪」
「タヅナ、そーいうプレイが好きなワケ?」
きゅぅ、と成人男子に手を握られても引く事なくピュン・フーは冷静に切り返す。
「お馬さん意のままにしてどないすんねん! 上総! やてゆーとるやないーッ!」
「それを言うなら幾らピュン・フーだっつっても、聞かずに略すのはどちらさん?」
不毛な言い争いに、ごくごく控えめな咳払いが割って入った。
「……で、このべっぴんさんはどちらさん?」
 すっかり忘れ去られていたが、この人気のない通路に立つ残り一人…色彩こそピュン・フーと類すれど、革のロングコートのハードさとは存在を明と画する神父服、に身を包んだ人物の委細を上総はピュン・フーに問う。
 ピュン・フーの一歩前の位置で立ち、緩やかに閉じた瞼に瞳の色こそ伺えはしないが、短く整えられた金の髪と白い肌、そして整った造作が西洋のそれであるは一目瞭然である。
 そして、手にした白杖にその視力に問題を持つという事も。
 ピュン・フーの答えを待つ間、上総はその立ち姿をしげしげと眺めて直後、はっと短く息を呑んだ。
「まさか、俺という者がありながら……?!」
自らの内から導き出した答えに、その場にへたり込んでよよ、とハンカチ……は無い為、お総菜在中の紙袋の端を囓る。
「え、だってタツタテロリズム誘えねーじゃん」
「……あ、なんやテロ仲間か! つか上総やゆーねん!」
いい加減、引っ張るにもしつこいネタに上総の関西人の血が騒ぐ、のを制したのは神父だった。
「いい加減になさい」
窘める声は静かに。
 だが、手にした白杖は鋭くピュン・フーの脛を強打した。
 声なく打たれた箇所を抱えて踞るピュン・フーを一顧だにせず、神父は首を傾げるように目を開き、上総に眼差しを向けた……最もその深い湖水を思わせる青は焦点を結ぶ事なく上総の立つ位置にぼんやりと向けられるのみである。
「紛いなりとはいえ私の連れ。ご不快な思いをさせて申し訳ありません……よく言い聞かせておきますので」
言い聞かせるより先に、身体に教え込まれたピュン・フーは踞ったままでまだ復活しない。
「……えーと、あんた、牧師さん?」
取り敢えず、上総は眼前の疑問を解する方向を選ぶ。
「神父ですよ。ヒュー・エリクソンと申します……お名前をお伺いしても?」
「箕耶上総や! カズヤでもカズタでもナズナでもアズサでもアズマでも、ましてやタヅナでもタツタでもあらへんで! 上総や!」
上総の主張にヒューは穏やかに頷く。
「承知しました、上総さん」
その微笑みに、上総は大きく首を傾げた。
「……あんたもテロリスト?」
「そうですよ」
何のてらいもない答えはさらりとしすぎて、本気の所在を曖昧にする。
「なんや、全然そんな風に見えへんのやけど……」
今度は反対の方向に首を傾けた上総に、ヒューは笑みを深めた。
「最近話題になっている、willies症候群。あれは神が私に与えた奇跡です」
その言に誇らしさはなく、ただ喜びの色がある。
「人は何れ神の御手に帰ります…けれど、今の世の人々はあまりにも罪深い。天の門に受け容れられるには、現世に於いての贖いも、必要なのですよ」
辛苦がそれに値する、というヒューの言葉は穏やかで、憎しみは欠片もなく…それどころか慈しむ気持ちすら感じさせる。
「魔女狩りをご存知でしょうか……中世に於ける忌むべき習慣、幾人の女性が謂われのない罪に陥れられ、生きながら火刑に処された事か」
話を続けてヒューは懐から小さな箱を取り出した。
 粗末な木のそれはたどたどしい削りで両手で包み込める程度の大きさだ。
「これは、その被害者の灰です。火刑に処された骸は弔いすら許されずに川に流される。これらは血縁者が流された川岸を咎められぬよう深夜に探って回って得た、骸です」
ヒューがその蓋を開いた。
 それが人だというにはあまりに小さく、そして冷たく白い粉が詰まっている。
「彼女たちもただ生きていただけです。それすらも咎とされて受けた責め苦は地獄のそれに値する……けれど、それによって彼女たちは本来の罪が拭われているとは思いませんか?」
その恩恵を、現代の人々にも。
 ヒューの言う救いに、上総は唾を飲み込み……。
「そんなんあるワケないやん、あっほちゃうんアンタ」
一笑に伏した。
「俺やからえぇけど、他の人に話したからアカンで? 電波な人や思われてしまうさかい、気ぃつけや。あ、でもそんなん持って歩いとったら、死体損壊ゆー罪にならへんかなぁ。早いトコお墓に納めんと、職質くろた時にシャブの売人に間違われたらコトやで?」
とくとくと説教する上総に、漸く復活を果たしたピュン・フーが軽く笑う。
「勇気あるなぁ、上総。話聞いて怖かったりしねぇワケ?」
しゃがんだ位置から見上げての問いに、上総は胸を張って更なる上段から見下ろした。
「やって、そんなん呪いなんてあるハズないやん。死んだ人は死んだままや」
言い分はきっぱりと、はっきりと。
 その鼻息の荒さが原因ではないだろうが……ヒューの手にした小箱から弾ける勢いで、白い粉がばさりと舞い上がって微細に空に散った。
「……あらら」
それを見上げてピュン・フーが無感動な一言を発する。
「どーする、ヒュー。灰、全部飛んでっちまったぜ?」
的確過ぎる状況報告に、ヒューも大した感情は見せずに答えた。
「全ては主の御意思……新宿で散布の必要はない、という意味でしょう。ならば私がこの場に居る意味はないですね」
未曾有の大惨事を防いだ自覚のない上総はその遣り取りをきょとんと見る。
「え、もう帰ってまうん?」
往路を戻るヒューはピュン・フーを顧みる事をせずに一人で進んでいく…やれやれ、と膝を払って立ち上がり、後に続こうとするピュン・フーの袖に上総は咄嗟に手を伸ばした。
「あ、悪ィ。今日はアイツの護衛がお仕事だからちゃんと送ってかねーと」
それを制止の意味と取ったピュン・フーが片手で軽く拝んで謝罪に、思わぬ言葉が上総の口を突いて出た。
「ピュンはなんでテロなんてしてんのん?」
不意の問いに自分でも驚く…ヒューの言う、救いの思想に倣っているには、二人の間に流れる空気の格差を不審に思ったせいもある。
「やっぱ思想とかあったりするん?」
重ねた疑問は、ピュン・フーは人の命を主張の道具とするような、そんな人間ではないと半ば確信めいた直感が外れているとも思えない為だ。
「思想とかはよく分かんねーけど」
真っ直ぐな上総の眼差しを受けて、ピュン・フーが空いている片手でこめかみのあたりを指で掻く…動きにサングラスがずれて僅か、赤い瞳が覗いた。
「あっちを殺すか、こっちを殺すか、差がそれだけだってハナシ」
それだけ、と言い切るピュン・フーの僅かに笑みを含んだままの瞳に、上総は何故か泣きたいような気持ちに眉を顰めた。
「でも……テロ行為なんか皆受け入れてくれへんで?」
言って、その袖を強く引く。
「なぁ、俺と一緒に来ぃへん?」
ヒューの背中が、コツコツと独特の杖運びの音と共に遠ざかっていく。
 ヒューか、自分か。分かり易すぎる選択肢で自分の誘いを望んでくれる事を、上総は祈るような気持ちでピュン・フーを止める腕の力に込めた。
 ピュン・フーは、困ったように一つ、長い息を吐いて上総の頭を軽く撫でる。
「普通のヤツは、俺を受け入れられねーよ。多分な」
やんわりと宥める口調で、腕を掴んだ指が解かれた。
「アカンてピュン。ホラ、南蛮漬けも肉じゃがも煮魚もあるさかい! 半分こするさかいに食べよ! 一緒に来ぃな!」
離れた手に諦め悪く、食べ物で釣ろうとねじ込む上総にピュン・フーはひらりと手を振る。
「じゃ、またな」
短い挨拶だけ残して、ピュン・フーは上総に背を向けた…その背と、もう遠いヒューの背と。
 交互に眺めて上総は一つ、深い、深い溜息を吐き出した。