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イナセ・シンキング
一人分のケーキを買う男。
これほど薄ら寒い光景はないと思う。……そう気付いたのは、店員に声をかけられてからだった。
「あなた、ほら目立つから」
何故か苦笑される。
深町・加門は甘党ではない。キャンピングカーで帰りを待っている相棒が超甘党なのだ。携帯電話を持ってからというもの、行く際は必ずここのケーキを買うおつかいを頼まれる。
「へぇ、それじゃあ」
切り上げて去ろうとしたところへ、ずいと趣味の悪いスーツを着た男達が加門の隣に立つ。
「ねえちゃん、今日こそいい返事をもらえるだろうな」
「……帰ってください」
どうやら地上げ屋らしい。ここのケーキ屋が潰れるのか、相棒が悲しむぜ。
加門はケーキを持って去ろうときびすを返した。トンと少し肩がぶつかったかもしれない。「悪い」と呟いて目を上げると、パンチパーマの男が加門を睨んでいた。
これは……これは――。
ちらり、と三人の男達を見回し全員が自分の方を向いていることを確認した。それからケーキを置こうと思ったが、男の手が加門へ伸びる方が早かったので、加門は仕方なしにケーキを放り出し、素早く身を屈めて目の前の男の首を切り落とすように叩いた。後ろの男の頭を二度殴り、緩慢に加門に襲いかかってきたもう一方の男の頭に回し蹴りを食らわした。
「帰って寝てろ」
「……すごい、強いんですね」
「あ? 手足が長いのだけが取柄でね」
加門は落ちたケーキの箱を持って歩き出そうとした。
ケーキ屋の店員が加門を追ってくる。
「あの、ケーキ取り替えますよ」
「いや、ま、腹に入れば同じだ」
「いいえ、助けていただきましたし」
「いや……助けたつもりは、ないんだけど」
加門は頭をかいた。たまたまケーキ屋の前で喧嘩が起こっただけの話だ。
「なにをしてらっしゃるんです? 当ててみましょうか、刑事さん?」
「賞金稼ぎだ」
それを聞いたケーキ屋の店員は、ばら色の唇に微笑を浮かべた。
「あの……お金を払えば助けていただけますか?」
「悪い話じゃなけりゃな」
ケーキ屋の店員の名前は香坂・おさむ、二十六歳になる女性で、歳に似合わずおさげが似合う。
彼女は場所をケーキ屋の奥の自宅へ移して、地上げ屋と丸山組の話をはじめた。
――エピソード
オレンジやピンクに彩られた部屋の中で、加門は居心地が悪そうにしていた。運ばれてきたのは、案の定ケーキと紅茶だった。おさむは二人分のお茶と一人分のケーキを分けて置き、アイボリーのクッションに腰をおろした。畳の部屋である。中から外が丸見えなので、外からここは見えてしまうだろう。
わざわざそういう造りにしているのだろうが。
「目的がわからないんです」
おさむは小さな声で言った。
「地上げだろ」
「別にうちは特に広いわけでもないですし、建設予定物もありません。道路だってうちなんか通りません」
「へえ」
興味がなさそうに加門は言った。
それがわかったところで、地上げがなくなるわけでもないだろう。
「少ないかもしれないんですけど」
そう言っておさむが提示してきた金額は二十万円だった。細々とケーキ屋をやっている彼女にとっては大金だろう。加門は乱暴に頭をひっかいてから言った。
「半分でいい」
どうせ一日で片付いてしまう仕事だ。税金がかからない分、取り分は多いぐらいかもしれない。
おさむが困っているとはいえ、どうやら地上げ屋にそれらしい違反行為は見当たらない。落書きや器物破損、不法侵入等が適応できれば法的に処理できるのだろうが、そうではないらしい。彼等はやってきて、立ち退きを述べるだけだ。
麗子に連絡して頭を使うまでもない。(連絡したら半額は持っていかれるのを覚悟しなくてはならない)
地上げ屋に手を引かせてもまた他の地上げ屋が来るだろうから、ここはやはり丸山組の幹部を捕まえるしかないだろう。
「そういえば……」
加門はふと思い浮かんで訊いた。
「さっき、どうして俺が刑事だと?」
おさむは小首をかしげて、少し困った顔になった。
「大して意味はなかったんですが」
「そうか、それならいい」
加門は紅茶を無糖のまま飲んで、生クリームでコーティングされているケーキにフォークで一太刀浴びせた。
そこへ店の方で声があがる。
「すいませーん」
加門はどこかで聞いたような声だと思い、透明のケース越しに立っている女性を見た。
おさむは加門の前から慌てて立ち上がる。
「はーい」
「……ちょっ、ちょっと! 深町・加門」
加門はその黒スーツの女を眺めていた。彼女は突然レジカウンターの横から中へ入り、座敷に膝であがって加門のすぐ横まできた。
「なにやってんのよ、こんなところで」
おさむがびっくりした顔で戻ってくる。それからおっとりと加門に訊いた。
「加門さんお知り合いですか」
「……加門さんって、え、あ、あんた達こそ知り合いなわけ?」
女はおさむに訊くわけにもいかず、加門に訊いた。加門は眠たそうな顔のまま、少し考え込んでいる。
しばらくしてようやく言った。
「警察の」
「だから、固有名詞で思い出しなさいよ」
「警察が昼間からケーキ買ってていいのか?」
加門は生クリームの塊を口へ運んで紅茶で飲み下している。
「ぇーと……、神宮寺・夕日」
頭の整理ができたのか、加門はようやく夕日の名を呼んだ。
特に言うことはないらしく、目の前にあるケーキにまたフォークを刺す。夕日は立膝のままである。座敷とレジの間に立っているおさむが、困ったように言った。
「加門さんには、お願いがあって上がっていただいたんです。あの、お客さま」
「お願い? なんの?」
今度は夕日は座敷から降り、おさむを真っ直ぐ見据えた。
加門はのんびりと、わけのわからない夕日を見ている。いつ会ってもうるさい女だと思う。
「今、この土地が地上げ屋に狙われていて、困ってしまって。今日たまたま地上げ屋さん達を加門さんが追い返してくれたものですから。なんとかしていただけないかと……」
夕日の表情がきょとんとする。
彼女はハンドバックの紐を持ち直して、訊いた。
「今日? たまたま?」
「ええ」
おさむがうなずくと、夕日はうんうんと深くうなずいてから
「違法行為はいけないわよね、警官として許せないわ、私も協力してあげる」
突然の変異におさむが目をぱちくりさせている間に、夕日は加門の隣に上がりこんだ。
「もちろん私はお礼なんかいらないわ。ボランティアよ、ボランティア」
「……邪魔すんなよ」
加門はケーキを平らげてから言った。夕日は上機嫌の様子で
「あんたの邪魔をいつしたかしら」
そう言ってにこやかに笑った。やがておさむが夕日の分のケーキとお茶を運んでくる。
「悪いわね。ケーキ、あんた食べる? 胃下垂なんでしょ、足りないんじゃないの」
夕日のテンションが妙に高い。加門は少し頬を引きつらせて、頭を振った。
「ヤクザなんてのはぶっ潰すのが一番よ」
ほくほくとケーキを食べながら夕日が言う。
そうこうしている間に客がやってきた。
おさむは話しを中断して立ち上がった。加門は二杯目の紅茶を飲んでいた。おさむのいった後を目で追いかけ、その先に知人を発見して立ち上がる。
「ちょっと、どうしたのよ」
隣に座っている夕日が声をかけるが、加門には聞こえていないらしい。
のっそりとおさむの隣に立った加門は、気安い調子で片手を上げた。
「よお、冥月」
そのとき黒・冥月はおさむに向かって
「じゃあ、今日は……」
と言って注文をしようとしていたときだったので、彼女はぎょっとして加門の姿を見上げた。珍しく冥月は硬直している。加門はなんとはなしにおさむに訊いた。
「こいつ、常連?」
「ええ、冥月さんにはいつも」
言いかけたおさむの口を冥月が後ろから抱きかかえるようにして塞いだ。加門は相変わらず眠たそうなやる気のない顔で、慌てている冥月の肩を叩いた。
「こいつも手伝ってくれるらしい」
冥月からしてみれば、話が見えないどころではない。彼女はようやくおさむを手放して、訝しげに眉を寄せて加門に聞き返した。
「なんのことだ?」
「ココが地上げにあってるらしくてな、無報酬でなんとかしてやらにゃならん」
加門はいけしゃあしゃあと報酬の話題を流して、冥月にそう言った。冥月は少し嫌な顔をして、
「そうか、そういうことか」
言っておさむに導かれて座敷へ上がった。座ってケーキを食べている夕日を見つけ、お互い口々に言った。
「どうして?」
加門が横から言い募る。
「ここの常」
そこまで言うと、冥月は加門の口を塞いだ。加門はふがふが言っていたが、めんどうになったのかすぐに静かになった。
おさむがケーキとお茶を淹れに入っている間に、客がもう一人現れる。立っていく義理はないのだが、待つようにぐらいは言ってやろうと加門はガラス越しのレジの前に立って
「ちょっと待ってくれるか」
と接客とは思えない態度で言った。
客の彼女はワインレッドの赤いシャツにチョーカーをしていた。加門はおや? と彼女を見て思い返す。
「深町さん……え? ケーキ屋でアルバイトでもはじめたの」
「いや、だから店主が今ちょっと不在で待っててくれって」
「……夕日さんも冥月もいるじゃない。なに? なんの相談会?」
「えーと……シュライン。込み合った事情がある、聞くと巻き込まれるぜ」
シュラインは一瞬呆気に取られたような顔で加門を見上げてから、前髪を手入れされた指先で整えて、苦笑をした。
「また厄介ごとなのね」
そういうことだと加門がうなずく前に、店の前に長身で水色の髪をした和服姿の人間が現れた。
驚いて加門がそちらを見ていると、シュラインがフォローをするように言った。
「あら、スイさん」
「ああ、シュライン。こんにちは」
スイは握り締めた五百円玉をシュラインに見せて、
「これでリンゴが一個乗ったケーキが買えるだろうか」
「……リンゴは無理ね。きっとイチゴの間違いじゃないかしら」
素っ頓狂な会話に加門が目を瞬かせると、シュラインはスイを加門に紹介した。
「雪森・スイさんよ、雛太くんのところの居候さん」
「ああ、雪森の」
「よろしく頼む」
何をよろしくなのだか、加門は一応口許だけ笑ってみせた。
「こっちは賞金稼ぎの深町・加門さん」
スイが不思議そうな顔になる。シュラインと加門の顔を交互に見て、
「モンスターにかけられた賞金なんかがこちらの世界にもあるのか」
「いえ、犯罪者を捕まえたり物を探したりするのよ。探偵のフーテン版ね」
シュラインの補足説明を聞いて、スイはますますわからなくなった顔で一言呟いた。
「フーセン版?」
「今のナシ。言い直すわ」
そうしている間に冥月の分のお茶とお菓子を用意したおさむが戻って来た。彼女が「いらっしゃいませ」という前に、加門が二人を座敷に招き入れる。
おさむはまた慌てて立っていった。
「ざっと説明するに。……おい、神宮寺お前説明しろ」
加門がめんどくさがって夕日に振る。夕日は持っていたティーカップを置いて、眉根を寄せた。
「平たく言うと、ここが地上げにあってて困ってるってこと」
座敷に正座で座ったシュラインが訝しげな顔になる。
「バブル期じゃあるまいし。なにか開発計画があるのかしら」
「そこら辺を調べてもらいたいんだ」
そういった調査が面倒な加門が軽い口調で言う。シュラインは小さな溜め息をついた。
夕日がケーキを口に運んでから、不思議そうに口を開いた。
「なんでここなのかしらねえ、家に秘密があるとか?」
「さあな」
冥月も言葉少なにケーキを食べている。
シュラインはうーんと顎に指をあててうなってから、
「地上げはそもそもどこがやってるの」
「丸山組系らしい。そこの傘下のなんとか不動産ってのが地上げ屋だな。なんにしろ、丸山組を叩かなきゃ意味がねえだろう」
加門が言うと彼の携帯電話が電子音で鳴った。加門がおもむろに電話に出る。
「誰だ」
「CASLLです、この間はどうも」
「ああ、ちょうどいい、お前ちょっと出て来れねえか」
おさむが人数分ケーキとお茶を持ってくる。
「なんだか申し訳ないわね」
シュラインが言うと、おさむは頭を横に振って
「とんでもないです」
そう言って笑った。
スイは目の前に現れたケーキと呼ばれる物体に、フォークを持って興味津々のようだ。
加門が呆れたように訊く。
「ケーキはじめてなわけか?」
そんなバカな、という響きもそこには込められていた。
しかしシュラインは苦笑をしてから、うなずいた。スイはケーキを一口分切り取って、口に運んだ。
「醤油が……足りないな」
一同呆気に取られてスイを凝視する。
青島・萩は、丸山組と剛田組の抗争について調べているところだった。発端は剛田組が丸山組の幹部の一人を『誤って』殺してしまったという事件だった。その後の二組の抗争は激しかった。民間人の死者を入れて、死人がもう五名も出ている。
そろそろ命の取り合いにも飽きてきた双方が、親を取りにかかるのは目に見えていた。
萩としてはたとえヤクザだとはいえ、人が死ぬのは食い止めたいと思うし、抗争で死ぬのなんてアホらしいとさえ思う。
丸山組の前で張り込みをしながら、萩は親が動くのを待っていた。
ヤクザの事務所というのは、大抵防弾ガラスでできているもので、中にも盾になる組員が山ほどいるのだから、なかなか鉄砲玉は成功しない。しかし、車で移動した先でならばそれが可能になったりする。
もちろんボディーガードはいるが、ボディーガードも人間である。殺せば死ぬのだ。
そこへきて親分というのは、舐められてはならないと危険だから隠れるという習性がない。次に狙われるのは、おそらく丸山組の大親分である丸山・治五郎だろう。
車で張り込むのが一番楽なのだが、ここは丸山組の目の前だったので、目立つわけにはいかず結局電柱に隠れて萩はアンパンを食べていた。
ガタンと音がしてガラスケースを振り返ると、店の前にゴミが散乱していた。
おさむが悔しそうに立ち上がろうとする。それを冥月は制した。
「ちょっと耳を塞いでいろ」
彼女は言って外へ出て行った。きょとんとしているおさむに、加門が耳を指差して塞ぐように指示を出す。彼女がぎゅっと耳に手を当てると、外で男達の悲鳴が響いた。
「ここは冥月に任せるか」
加門は外の状況を想像しながら言った。
「私は建物の背景を調べてみるわ。この前の持ち主さんが誰なのか……とかね。開発事業が動いてないかも。それから丸山組についても一通り情報を集めてみる」
シュラインが言う。
「スイ、お前何ができるんだ?」
「何とは? 何ができればいいんだ」
加門が頭をぐしゃぐしゃとかくと、シュラインが助け舟を出した。
「戦闘能力は並以上よ。特殊能力もあるしね」
「そうなのか?」
心底驚いた顔で加門が言う。スイは自分のことを言われているなどとは微塵も思っていないのか、スイ的には醤油が足りないらしいケーキを無心で食べていた。
「俺とCASLLとスイで本家丸山組本部に殴りこみ……で」
「どうしてあんたってそんなに物騒なことしか思いつかないのかしら」
夕日が呆れるように言った。
「さっきぶっ潰せって言ったのお前だぜ」
加門は言い返す。シュラインはまあまあと手で二人を制した。
「情報を待ってからでもいいでしょ。平和的解決もあり得るかもしれないんだし」
「……まあ、ともかく丸山組の本部で張ってることにする」
気が付いたようにおさむはチリトリとホーキを持って外へ出て行った。冥月が入れ替わりに帰ってくる。
「伸せば伸すほど人数が増えるもんなんだぜ、ヤー公てのは」
「来ればいい」
加門に冥月は素っ気無く答えた。
「ここはお前に任せるよ」
「どうするつもりだ」
「本拠地を叩く。それだけさ」
靴を履いて外に出ると、空はもう秋色だった。
シュラインはまず不動産屋へ行き、前の持ち主の話しを聞いた。
不動産屋は人のいい中年男性で、前の持ち主とも交流があったらしく詳しく知ることができた。
「柊・岡町さんはね、日本ではあまり知名度はないけど海外へ行くと有名な彫刻家さんなんですよ。あそこは今の彼女のお父さんが買い取るまで、柊さんが暮らしていた場所なんです。社交的な方だったから、たまにホームパーティーなんかもしてまして、私もよくお呼ばれしたもんです。
……え? あそこになにか建つ計画ですか? さあ、聞いてませんねえ。これでも不動産屋ですから、なにかしら情報は入ってくる筈なのですが」
シュラインは不動産屋でお茶を一杯いただいてから、席を立った。
それから携帯電話で知人の記者を捕まえる。
最近丸山組と剛田組の抗争事件でワイドショーは持ちきりだった。
忙しそうな顔をした記者をなんとか喫茶店に連れ込んで話しを聞くと、今にも全面対決に持ち込まれそうな状況だという。
シュライン的にはあまり好ましくない展開だ。
まさか抗争で色めき立っているヤクザに、ケーキを片手にお願いを申し入れるなんてできそうもない。
「丸山・治五郎の話はない? 個人的な……」
訊くと、治五郎は多趣味でゴルフにはじまって釣り、料理、美術品収拾、骨董収拾とインテリヤクザ振りをあちこちで発揮しているらしい。
「ちょっと待って」
シュラインは吟味するように訊いた。
「柊・岡町って」
記者は熱いコーヒーを飲み干して立ち上がりながら答えた。
丸山は岡町の大ファンだ、ということを。それから今にもどっちの組の親分が殺られるかわからない状況だから、コーヒーはお前のおごりだと言って、記者はそそくさと去って行った。
シュラインは口をつけていないコーヒーを眺めながら考える。
岡町が使っていた家だから欲しいのか、あの家のどこかに岡町の作品が残っているのか。
どちらの可能性もあるが、岡町は彫刻家である。家の壁にそれらしいことをしていてもおかしくはない。
帰っておさむの家を調べてみよう。
青島・萩は滑り込んできたフィットに連れ込まれた。張り込み中なので大声も出せずにいると、中にはCASLL・TOが座っていた。
「え?」
そして前には神宮寺・夕日と助手席に深町・加門が乗っている。全員知った顔だった。一人、鮮やかな水色の髪をしたさらしを巻いた和服の人間だけ、知らない。
「青島さん、何張り込んでたんです?」
「……次殺されるのは丸山・治五郎だからさ、未然に防ごうって思ったんだ」
「偉いわ、萩くん」
夕日がまるで自分の部下のように褒める。
地下駐車場が開いて、黒塗りのリムジンが出てきた。
「追おう」
青島がいきり立って言った。加門は片手を上げてドアを開け外へ出た。青島を押し退けてCASLLも出て行く。
「スイ、青島の言う治五郎を守るんだ、わかったか?」
「了解した。ゲンゴロウを守る」
「……そりゃ、牛の名前だ」
スイは微妙に日本語が不自由のようだ。
車は二人を残してリムジンの後を追って発進した。
動くサンドバックだと思えば、なるほど練習をしているような気になる。
十人ほどのヤクザというよりもチンピラに囲まれた冥月は、影を使わずにどうやって攻撃を避けどうやって攻撃をするか、に頭を回して戦闘を繰り広げていた。割りと簡単にアッパー、フック、ボディーブローと当たるし、回し蹴りをやった後の空白の時間に、誰かの攻撃が当たることもなく、すぐに立ち位置と安定を確保した冥月は、軽くジョブを踏んで残りの少ない奴等の急所を狙って足を蹴り出し腕を薙ぎ、それから最後に眉間を殴り倒した。
そこへシュラインが戻ってくる。彼女は気の毒そうにチンピラ達を見て、冥月にも中に入るよう促してから自分も中に入った。
「おさむさん」
また耳を塞いでいたおさむに肩を叩いて声をかける。
「他の部屋を案内してもらえないかしら」
「え? ええ」
部屋数は五つだった。一回は座敷と調理場と店先で、二階に二部屋ある。どこも岡町のアトリエだった雰囲気はない。買うときに消されてしまったのだろうか。それとも……。
「これだけ?」
「……あ、地下室があります。お父さんは知ってて買ったのかしら。私は知らなくて」
そう言っておさむは一階の台所の床を外してみせた。狭い小さな階段が現れている。おさむが懐中電灯を持ってきてくれたので、それを片手に階段を下りた。
地下室は存外に広く、埃と絵の具の匂いが立ち込めていた。懐中電灯で探り当てた壁には、やはりゴツゴツと彫刻が施されている。
おさむが後から下りてきて手探りで電気のスイッチを見つけて押してくれたので、地下室には裸電球が灯った。
壁には一面に龍が彫ってあった。臨場感溢れる構図で、まるでどこかの寺の天井にあるような、恐ろしいようなだがたしかに素晴らしいであろう彫刻だった。
「こんな絵があったなんて……」
「謎は解けたわね、でもこれだけ取り外しはできないし――」
上から冥月が顔を出した。二人は上へ戻ることにした。
「麗子さんはお元気ですか」
突然CASLLが真顔で訊いたので、丸山組本部の電柱影に立っていた加門は驚いて煙草を落とした。
「あー、元気だと思うぜ。あいつのことだから」
「そうですか。それはよかった」
加門はなんとも言えない顔をして、「まあ、よかったな、どっちとも」と意味のわからないことを呟いている。
「麗子さんは何が好きでしょう」
「……プリン以外ならなんでも好きなんじゃねえかな」
まさか金と答えるわけにもいかず、加門は曖昧に微苦笑した。
「さて、いくか。ボスのいない間に、本部制圧だ」
「それで加門さんがボスに?」
「そうそう、俺が……ってぇ、なんで俺がヤクザになんなきゃならねえんだよ」
「今でもあまり変わらないと思います」
加門は口を尖らせて、CASLLの脛を蹴った。
「真面目に言うな、真面目に」
CASLLは片足を押さえて片足で跳ねている。
「スマートに決めようぜ、スマートに」
CASLLは異論ありげだったが、勉強をして口に出すのはやめたらしい。加門は突然観音開きのドアを開け、ズカズカと中へ入っていく。遅れずにとCASLLは入ったが、既に加門は出入り口付近の五人のヤクザに囲まれていた。
一瞬の静寂を破って喧嘩がはじまる。
加門は手に当たった男を殴り、片方から殴られすぐに蹴り返して男を転がした。その後すぐに回し蹴りをして、二人の男が脳震盪を起こして倒れる。
後ろにいるCASLLは一人男を抱き寄せて、首を腕で締め付け昏倒させた。それからかかってきた一人の男の頭を掴んで、ぽーいとぶん投げる。足はあまり器用ではないので、CASLLはまたも自分よりもかなり小柄なヤクザ二人を捕まえて、ごっつんこと頭をぶつけた。CASLLが手を離すと二人はその場にへたり込んだ。
「この調子でいくか」
気が付けば一階は全滅している。騒ぎに降りてきた連中も多いだろうから、丸山組の制圧は難しくはないだろう。気が付けばボスに、なっているかもしれない。
CASLLはそんなことを考えつつ、加門の後ろに続いた。
料亭が近くなってきたと窓から顔を出している萩が告げる。
それからスイが、敏感に察知した。
「殺気がするな、一つではない。三つだ」
夕日は運転をしながら、不思議そうにスイをバックミラー越しに見る。
「そんなこともうわかるの」
「まあな、二つは高いところから、一つは近くからだ」
リムジンが停まったのでフィットも停まっていた。三人は外へ出て、スイの示す殺気の方向を見た。萩と夕日は何も見えなかったので、困惑した顔をした。しかし、スイは目がいいのか確実に敵を捕らえている。
「どちらも……筒を持っているな」
「ライフルか」
「どうにかした方がいいのか?」
萩にスイが質問する。萩は眉根を寄せて、半ば怒鳴るように言った。
「そりゃそうだろ! どうにかできんなら……間に合うか……」
「高い二人は私に任せろもらおう」
「日本語おかしいわよ」
スイは不思議そうな顔で夕日を見る。夕日は手を振ってなかったことにした。
「じゃあ、治五郎が出てきたら警察手帳掲げながら走るぞ」
萩が言う。夕日はひぃと喉を鳴らして
「ちょっと待ってよ、ボディーガードが撃ってきたらどうすんのよ」
「避ける」
「バカ言わないで!」
ポカっと萩を殴ったところへ、治五郎が出てきた。スイがふわりと風に乗るように浮遊する。そしてあっという間に空へ消えた。
「行くぞ」
「いやああ」
瞬間だった、ドン、ドンと音がして治五郎を守っているボディーガードが撃たれ、血がリムジンに散っていた。治五郎は放心している。そこへ夕日が駆け込む。萩は料亭の玄関の陰から突っ込んできた、ハンドガンを持った男へ向かっていった。男は萩に銃口を向けて撃とうとしたが、萩は片足を蹴り出して男のハンドガンを落とした。すぐに片腕をとり、捻り上げる。
それでもまだ銃声は止まない。
「しっかりしなさいよ」
夕日は治五郎を抱きかかえるようにして、リムジンの中へ後退させた。
スイは一方の男の首筋に手刀を入れて昏倒させた後、もう一方の男の元へ向かった。もう既に筒が火を吹いている。下の二人を気にかけながら、突然男の前に現れた。男は驚いてスイに銃口を向ける。スイは銃口を塞ぐように手を突き出して、風の精霊をくるくると腕にまとわせて男を襲った。男は作り出された突風によって、勢いよくコンクリートに押し倒された。
CASLL・TOは大親分の部屋の黒い革の椅子に納まっていた。加門は応接セットのソファーで煙草を吸っている。
携帯電話が鳴って出ると、シュラインだった。
「……そういうわけで、たぶん岡町の作品が欲しいから地上げをしているんだと思うの。作品だけ取り外せるかどうかわからないし……どうしたらいいかわからないんだけど」
「や、もう本部は片付けたから」
「え? もうやっちゃったの?」
「やったやった。後は、治五郎親分の方にくっついてる青島達がどうにかしてくれるだろう」
「それじゃあ、やる必要なんかなかったんじゃないの」
シュラインが訝しげに言ったので、加門は笑った。
「運動不足は毒だからな」
呆れた溜め息が聞こえてきた。
料亭に三人は座っている。なぜか、上座に座っていた。
そして下座にはなんと治五郎親分である。治五郎親分は土下座をするように頭を下げている。頭が半分禿げているが、やはりどこか貫禄のある男だった。
「この度は本当にありがとうございました。菊のご紋のお方にこれほどご厄介になるこたあございやせん。今日はどうか豪遊していってください」
「……いや、一応警官なので、接待は受けられないんだけど」
萩がぎこちなく言う。
「そんなことじゃあ、私等の気持ちがおさまりません」
夕日がぴんとひらめいた。
「じゃ、じゃあ」
「へぇ」
「香坂・おさむの家の地上げ、やめさせてくれないかしら」
治五郎親分の顔が曇った。萩がじろりと夕日を睨む。夕日は笑顔を貼りつかせたまま、治五郎の反応を待っている。
にもかかわらず、スイはあれこれと運ばれてきた料理に七味をかけて食べ続けていた。どうやら彼女のお気に入りの調味料は七味とカラシらしい。
「……わかりやした。他でもねえ、恩人の頼みです。涙を飲んで、手を引かせていただきやす」
「これ、うまいぞ」
出てきた魚に嫌というほど七味をかけたスイが夕日に魚を薦める。
「あんた、七味食べてなさいよ」
「なんだ? シチリキとは」
夕日は突っ込みたい手を我慢して、立ち上がった。
「じゃあ、失礼しますわ、親分さん。行くわよ、萩くん、スイさん」
「もうちょっと食べてからで」
座敷から動こうとしないスイを一発ぶん殴って、夕日は背の高いスイの首根っこを捕まえてズルズルと引きずりながら廊下を歩き出した。
――エピローグ
冥月はこっそり
「報酬はケーキの食べ放題で」
とおさむに言ったのだが、おさむは笑顔でうなずいた後全員に向かって言った。
「報酬は今後ケーキ食べ放題です」
「全然嬉しくない」
加門がぼんやりとつぶやく。もちろん、報酬の十万を譲る気はない。
「ここのケーキおいしいから助かるわ」
シュラインと夕日は嬉しそうに微笑んでいる。
CASLLは加門に訊いた。
「麗子さんはケーキ好きですか」
「……嫌いじゃないと思うぜ。ただし一個まで」
はじめてこの店にやってきたCASLLと萩はぺろりとショートケーキを食べ終えて、まだ食べられる顔をしている。
「美味いなあ、ケーキ。ここ署からも遠くないし、いいねえ」
「そうなのよ、いいのよ」
夕日ががっつり同意した。
加門は自分の報酬まで流されてはたまらないと、おさむに訊いた。
「俺の報酬は?」
「ええ! もう好きなだけ食べてください!」
「家主が喜ぶ」
そう言いながらモンブランに醤油をかけているスイは平然とそれを口に運んでいる。
加門はがっくりと肩を落とし、一人そっぽを向いて煙草に火をつけた。
――end
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【0086/シュライン・エマ/女性/26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1570/青島・萩(あおしま・しゅう)/男性/29/刑事(主に怪奇・霊・不思議事件担当)】
【2778/黒・冥月(ヘイ・ミンユェ)/女性/20/元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】
【3304/雪森・スイ(ゆきもり・すい)/女性/128/シャーマン/シーフ】
【3453/CASLL・TO(キャスル・テイオウ)/男性/36/悪役俳優】
【3586/神宮寺・夕日(じんぐうじ・ゆうひ)/女性/23/警視庁所属・警部補】
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■ ライター通信 ■
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「イナセ・シンキング」にご参加ありがとうございます。
ライターの文ふやかです。
少しでもお気に召していただければ、幸いです。
今回はヤーさんということで、あまり戦闘らしい戦闘ではなく、謎解明とお遊び戦闘という感じでお届けしました。
では、次にお会いできることを願っております。
ご意見、ご感想お気軽にお寄せ下さい。
文ふやか
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