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<PCシナリオノベル(シングル)>


灰は灰に、塵は塵に

 風に靡き、日光を弾いて豪奢な金の髪。
 女性としての柔らかさを強調する部位はふんだんに、締まるべき箇所は絞ったかの如き細さを包む黒一色のスーツは、飾り気のなさに彼女の輪郭の減り張りを際立たせる。
 鮮麗たる存在感だけで十二分、人の目を……特に男性の目を集めるその女性に、神鳥谷こうが興味を抱いたのは一般的な感覚に因ってではない。
 美貌を彩る微笑みは、わくわくと、そしてそわそわと。
 見る者の心まで浮き立つような人待ち顔で、期待を込めて道の左右、人が作る流れを見渡す様が気を惹いた。
「……失礼」
「ハイ?」
突如、前に立ったこうに彼女は何処か子供じみた仕草で首を傾げた。
「あなたは俺の主か?」
直球勝負。
 あからさまに待ち合わせと知れる彼女の風情に、ナンパも宗教も声をかけるのを控えていたというのに、傍から見れば電波な人が機先を制した結果となり、周囲から口惜しげな歯噛みが起るがそれは雑踏に紛れてこうまで届かない。
 琥珀の眼差しで真っ直ぐに瞳を見つめるこうに、女性はエメラルドの輝きを持つ眼を二、三度瞬きして頬に朱を上らせた。
「やァだ、ナンパ!? ステラ、ハズカシイん♪」
恥ずかしげに頬を片手で覆い、照れ隠しに勢いよく繰り出された掌底は、そいやぁ!とばかりにこうの肩を突いて、その長身を蹌踉めかせた。


「こんな若い子に声かけられるなんて、私もまだまだネ♪」
嬉しげにステラ・R・西尾と名乗った彼女は手近な喫茶店にこうにコーヒーを勧めた。
 こんな若い…と称されてもその実は老いを知らぬ傀儡の身で、時だけを見ればゆうに3世紀を超えるこう、まだまだ、の使い所が間違っているような気と共に、真実は胸に秘めて黙す。
「人妻のオーラが足りないッてカンジ? 修行不足だワ〜♪」
続く嘆きに使用誤例でなかったのは証明されたが、言葉のわりに口調と表情はそれを裏切ってご機嫌そのものだ。
 ステラに手近な喫茶店に連れ込まれた向かい合わせの席で、こうは遠いとは言えない記憶との重なりに既視感を抱く。
 思い起こすのは一人の青年……仕えるべき主を探すこうの焦りに助言と、そして疑問とを投げかけるただ一人の存在。
 最も、記憶の青年はステラのように色彩鮮やかでなく、彩りと呼べるのは瞳の紅ばかりであるが、双方共に生来の色彩以外の色を纏わないという点が意を引く。
「……人妻?」
思考の狭間でこうはふと、気になる単語を耳が拾っていた事に気付き、無意識の繰り返しを口に上らせた。
「そう、人妻♪ コレがダーリンなノ、見テみて♪」
ステラは携帯を開くと、液晶画面をこうに向けて自慢げに見せる。
 待ち受け画面一杯に、無精髭の浮いた顎をさすってぼんやりとした風情で、痩せ型の中年男性が写っている。
「コレは今朝の♪ で、こっちが昨日ノデー……」
日替わりか。
 ステラとかなり年齢に格差のありそうな男性の日常が、次々と切り取られて映し出されるのを黙々と見つめるこうを、ステラは頬杖をついて満足げな笑みで眺める。
「そういうワケで既にご主人様がイるのよネー。だかラこうの主にはなれないノ。ゴメンなさいネ?」
そしてあっさりと、先のこうの問い掛けに対して答えて見せた。
「………」
虚を突かれたこうの琥珀の瞳がまじまじとステラを見るに、彼女はうふん、と首を傾げて笑う。
「昔の同僚にナンパが趣味な子が居たノ。好みのタイプを見つけては似たようなコト言ってたカラ、慣れチャってるノヨネー」
ステラは懐かしげに、眼差しを遠くに向ける。
「そのコの決め台詞は、今幸せ?だったケド」
こうはその一言に動きを止めた。
 既視感を繋げる共通点は、彼が最も興味を抱く、青年とあまりに酷似する……しすぎている。
 その実を問おうとした瞬間、こうが手にしたままのステラの携帯が音高く、ファンファーレを奏でた。
「アラ、ダーリンだワ♪」
唐突な結婚行進曲に合わせた振動に思わず、こうが取り落としかけた携帯がテーブルに激突する前にはっしと掴んだステラは、耳元に運ぶ動作の内で受けた。
「Hi,ダーリン♪」
うきうきと弾む声と通話の相手に向けた笑顔から、ハートの形をした幸せが満ち溢れている。
「ゴメンなさい、待ち合わせしてたら若いコに声かけられちゃってェ……今? 近くのCafeヨ。ダーリンもこっちに……エ?………おシゴト?」
だが、徐々にトーンダウンしていく声音と共に、形の良い眉がハの字に下がる。
「どーしてモ、ダーリンじゃないとダメなの……? エェ、私も出動? だっテ久しぶりのオヤスミなのにィ…………ハァイ。ハイ。あのコ絡みじゃ仕方ナイ、わよネ……ン、私も愛してるワ。じゃあネ……」
通話を切る頃にはすっかり、眉尻が下がりきっていた。
 ピ、と通話を切る動作に、携帯を…多分、今朝の夫君の姿を眺めてステラは深く息を吐き出しつつ、テーブルに懐いた。
「ピュン・フーのバカん……」
しくしくと、嘆きが向けられたのはこうが既に知る名。
 その名を耳にした動揺にか、また一つだけ胸に痛みが走り、固く握った拳でこうは左の胸を強く押さえた。
「……ステラ」
半ば腰を浮かせたこうが名を呼ぶに、ステラは目尻に浮いた涙を拭って身を起こす。
「ゴメンなさいネ、こう。お仕事が入っチャッタ……」
「ピュン・フーを知っているのか、あなたは」
言葉を遮ったこうの問いに、ステラは指を目元に添えたまま動きを止めた。
「アラ、まぁ」
大きく開かれた翠色の瞳に、こうの姿が映り込む。
「あのコの知り合い? でも『虚無の境界』には……見えないわねぇ、ナンパ?」
瞬きせずしげしげと上から下までを眺めたステラの言に、こうは頷いた。
「彼が居る場所を教えて欲しい」
またもや投じられた直球に、ステラはパチパチと数度の瞬きで長い睫を意識させた。
「どうしテ?」
「ピュン・フーに会いたい」
当然の問いに、こうは迷いなく答える。
「……あのコが声かけたなら、こうも普通じゃないでしょうしねェ」
悩む様子でステラは指先を口元に寄せる。
 口紅と同じ色で整えられた爪が唇に触れ、重なる色合いが視線を呼ぶ。
「……年をとると、独り言が多くなってヤぁねェ」
言ってステラは雑踏に目を向ける。
 余人に明かせぬ情報を伝える為、こうの存在から目を逸らす為の仕草なのだと解った。


 それは、ある地下鉄の沿線に添うように発症し、少なからぬ死傷者を出すその突発的脅迫神経症の情報だ。
 何等かのウィルスが原因とか、密閉空間に於ける人間の精神作用から生じるものだとか、様々な争論を戦わせながら未だに原因が確定しないまま、willies症候群と名付けられたそれは、何かに追われるように突然走り出したり、周囲の人間に殴りかかったり…それが、ビルや駅、同じ施設・空間を共にする女性全てが、突如としてその症状に見舞われるのだ。
 個人差によってほんの十数分で症状が治まる者も居れば、そのまま精神に異常を来してしまう者もいる…症状を示した女性達、証言を得られる者は全て、その間にどうしようもない恐怖に襲われたのだと訴えた。
 ステラはそれに付随する噂などではなく…数多の被害者の中で、被害者に成り得なかったたった一人の女性の証言を語る。
「きっとあの神父様のおかげで無事だったんです」
地下鉄の路線、その前に立ち止まる金髪の青年、どこから見ても立派な異国人に声をかけようと思ったのは、彼が杖を持っていたからに他ならないと、彼女は言う…その色は白。それが意味する所を知らぬ者は居まい。
 路線図の剥げかかった点字に指を走らせる彼だが、心ない者がガムを貼り付けていた為に読む事が出来ずにいたのを、彼女は丁寧に路線の説明をしたのだ。
 日本語に堪能だった彼は、物見えぬ目に涙を浮かべてこう言った。
「親切な者は幸いである、彼等はそれ以上の物を与えられる…と主は仰られました。光に似た貴方の尊い心に添う物を私は何も持ってはおりません、せめて」
言いながら、懐内から小さな小瓶を取り出しキュ、とそれを開くと片掌の内に包み込み、二本の指で瓶の口を押さえるようにして、彼女に向かって十字を切る。
 僅かに開いた口から雫が彼女の額に飛沫として降りかかる…放置自転車とちらしとゴミ、そんな物の中でも行われるのが神聖な儀式だと、宗教に詳しくはない彼女にも分かった。
「神の祝福が、貴方の上にありますように」
彼女の髪に置かれた手の温かさに涙腺が緩み、泣きだしてしまった彼女が落ち着くまで、神父は穏やかに待っていてくれた。
 申し訳ながる彼女に、彼は別れ際に告げたのだという。
「『死の灰』にお気をつけなさい」
と。
 そして始まるwillies症候群の流行…その皮切りとなったのは、彼女が勤務する事務所の入った雑居ビルから。
 そしてそれは、神父に説明した地下鉄の沿線添いであった。
「あの方はきっとそれをご存知で教えて下さったんだと思います…そしてきっと何らかの関わりを持っていらっしゃると」
出来るなら、彼に力を貸してあげて欲しい、と彼女はそう話しを締めくくった。
「でもネェ……」
ステラは目を遠くに向けたまま苦く笑う。
「そノ神父、『虚無の境界』ノ構成員なのよネェ……事件の元凶だシ。頼まれても力は貸せないワ。ピュン・フーが一緒だから簡単に人員投じルワケにもいかないシ」
 それでもその駅名を告げるのに、こうは即座に席を立った……気を付けて、と背に掛けられたステラの声を、こうは地下鉄の構内へ向かう階段を下りながら思い出す。
「アノ子は、殺すノを躊躇わないカラ」
殺す……こうを壊す、のだと聞いても感情は動かない。
 こうの思考と感情を支配するのは、まだ見ぬ主の存在を求め続ける焦燥、そしてそれを明確に揺らがせたのは、彼が……ピュン・フーが死ぬのだと、聞いた時に初めて胸に灯った痛み。
 その意味を、ピュン・フーならば知る筈だと半ば確信めいた思いが、こうに彼の姿を探させる。
「よう」
そして疑念の主は、こうを認めて軽い所作で上げた掌を挨拶に代えた。
「こう、今幸せ?」
革靴の踵を鳴らし、階段の途中で足を止めたこうを見上げる形で、ピュン・フーは変わらず楽しげな笑みを向ける……その足下、踞って震える女性の姿などないかのように。
「……どなたかいらっしゃるのですか?」
そしてピュン・フーの傍ら、彼が身に纏う黒革のロングコートと色こそ同じだが、質を全く違えた神父服の男性がこうに眼差しを向ける。
 否、眼差しを向ける仕草でこうに顔を向けた。
 その手にした白杖、閉ざされたままの瞼に、彼が光を持たぬ者、そして一連の事件の容疑者であると目される神父である事を示す。
「あなたは……」
こうは神父に目を見張った。
 いつか街頭で教えを説いていた、姿を見た覚えがある。
「ヒュー・エリクソンと申します」
こうの呼び掛けを問いの意味と取ったか、神父……ヒューは微笑んで名を告げた。
「貴方のお名前をお伺いしても?」
穏やかな雰囲気はいつぞや、人の流れの内に立っていた時と変わらず。
 人々に道を示し主なる神に導きを乞う場と、恐怖の感情に満ちた空間と。
 穏やかに表情を彩る微笑みの質は、場を違えるが故にその異質さを浮き彫りにする。
 けれどもこうにとって、その認識は些事に近い。
 短く名を告げこそしたが、眼差しは遮光グラス越しにだが、確かに眼差しを受け止めているだろう真紅の瞳へと向けられる…ピュン・フーは自分はこうの主ではないと、確かな否定を示している。
 そして幾度殺すと、壊す告げられようと、交す会話に、交わる視線に、そして胸に宿る痛みに未だ見ぬ主へと近付く術の手がかりがあるような気がしてならない。
 目覚めてからこちら増えるのは疑問ばかりで、何一つとして明確な答えを得ない…そして疑念をもたらすのは常に彼である。
「……ピュン・フー」
更に段を下りて名を呼べば笑って軽く肩を竦める、仕草に何かこみ上げるものがあって、こうは足を止めた。
「ナニ、こう。俺に会ったのそんなにウレシイ?」
これを嬉しいというのか、とこうは与えられた言葉に納得の意味も込めてひとつ頷く。
「……なんかスゲェ悪さしてる気分」
ピュン・フーは顔の下半分を片手で覆うと、視線を僅かこうの上方へと向けた。
「お前自体が、悪しき存在だという事を、正しく認識なさい」
にべもなく告げたヒューは、再びこうを見上げて穏やかな口調で続けた。
「悪しきとは人を謀るに長けます。惑わされずにおいでなさい……それこそが主の御心に適う事です」
捧げる祈りに僅か頭を垂れて、ヒューは胸の前で十字を切る。
「……俺はピュン・フーと話がしたい」
率直なこうの要求に神父はまた十字を切った……今度は祈りではなく、魔除けのそれだ。
「悲しい事です……ですが、父なる神は寛大な方。過ちを自ら認めれば、お許し下さるでしょう」
ヒューが決してこうの意を認めない事に、こうは僅かながら不快を覚えて眉を顰めた。
「……貴方も直ぐに真実を、主の御意志を知る事となります」
不意にピュン・フーが動いた。
 ヒューを護る位置に移動する間、黒革のコートの背が迫り上がって一対の皮翼を顕わす

「悪ィな、こう」
真意の知れない謝罪を笑った口元で告げる、拡がる皮翼が落とす濃い影から霧が立ち上る……それは構内に倒れる人々の姿を埋めるようにたゆたいながら拡がる。
 そして、次なる変化は顕著であった。
 人の倒れていた位置、沈むように霧が影を作る場所から、人影が立ち上がった…それは生者ではない。
 全身に赤を纏った……否、何も纏ってはいない。髪も、肌も、無惨に焼け焦げて赤い繊維に黄色く濁った体液を滴らせ、眼球の溶けた眼窩に虚ろな闇のみを宿した、死霊。
 形を得た数多の死霊は、ゆっくりと階段に…こうへと向かって来る。
 それに動じる事なく、ヒューは閉ざしていた瞼を開いた。
 湖水の如き青を湛え、夢見るように視点を持たぬ瞳をこうへと向ける。
「魔女狩りをご存知でしょうか……中世に於ける忌むべき習慣、幾人の女性が謂われのない罪に陥れられ、生きながら火刑に処された事か」
ヒューは懐から小さな箱を取り出した。
 粗末な木のそれはたどたどしい削りで両手で包み込める程度の大きさだ。
「これは、その被害者の灰です。火刑に処された骸は弔いすら許されずに川に流される。これらは血縁者が流された川岸を咎められぬよう深夜に探って回って得た、骸です」
ヒューは蓋を開いた。
 それが人だったというにはあまりに小さく、そして冷たく白い。
 ヒューは両手を広げた。迫る死霊がそれと示して微笑む。
「彼女たちもただ生きていただけです。それすらも咎とされて受けた責め苦は地獄のそれに値する……けれど、それによって彼女たちは本来の罪が拭われているとは思いませんか?」
 身体の半ばに背景を透かす、死霊の群れ。
 眼差しを持たぬ眼に確かな害意を感じてこうは無意識に、炎を現出させた。
 炎の色は白い。
 純白の雪の如き輝きを火花と散らすそれは、瞬く間、死霊を呑み込んでその輝きの内に灰すらも、否、灰自体を依代として歪んだ形にこの世に止められた犠牲者を呑んで焼き尽くす。
 人でない、その為か以前にこうを制止した声はない。
「動くな!」
不意にこうの背後から発せられた声は現実の物だったが、咄嗟、顔をそちらに向けようとしたこうの視界の端、ピュン・フーが肉迫した。
 伸ばされる腕に動きは鋭く、自分に向けられていると視認しながらも、こうは動かなかった。
 思考は数多、呼び出せる炎の種を弾くが指一本として、動かす気はなかった…ピュン・フーがこうの破壊を望むならそれでいいと。
 ピュン・フーの逃げろという忠告と同じだけ、殺すと告げられている。
 だが、その際に自分はどう動くのか、考える程に思考は絡まるばかりで答えは出なかったが、現実に即せば受容れるつもりになるらしい…自分の手で、彼を殺してしまう選択を捨てる為に。
 だが、こうの静かな覚悟はふわりと頭を撫でる手に霧散した。
「悪ィな、こう。今日はゆっくり話せそうにねーわ」
撫で撫でと、こうの青みがかった銀髪を撫で、ピュン・フーはサングラスをずらして端近に申し訳なさそうな目で謝罪する。
「またな」
そして軽い音で階段を蹴って再び、ピュン・フーがヒューの前に着地すると同時に漂う霧が視界を覆って立ち上り、奥深くに伸びる地下鉄の線路に向かって吸い込まれて行った。
 ……後には、ヒューの姿もピュン・フーの姿もない。
 こうの背後から声をかけた黒服の男が、仲間と思しき数人と構内に駆け下りていく。
「……やれやれ逃げられたか」
その最後尾、ゆったりと歩く一人が溜息と共に台詞を吐き出し、階下に降りかけてこうを見上げた。
「君はだいじょうぶだったかい?」
少し眠たげな目、そして痩け気味の頬の無精髭に、こうは見覚えがあった。
「あ、ダーリン」
指先と共に向けられた呼称に、弾ける笑顔も魅力なステラの夫君は最後の一段を踏み損なって転けた。