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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


 おーだーめいど・ぱらだいす

 ひらり、何かが落ちた。
「?」
 それは、小さな四角い紙。大きさからして名刺と思われるそれを拾いあげてみると、やはり名刺だった。
 名刺の名前は、東海堂いつみ。
 考えること、数十秒。名刺に視線を落とし、天井を仰ぎ、小首を傾げ……そして、思い出した。
 以前、草間興信所に持ちこまれた依頼で知り合い、名刺交換をした相手だ。すっかり忘れ去っていたが、彼は元気だろうか。誠実そうだが、そこはかとなく不幸のオーラ(?)を漂わせていた気がしたし、経営状態も順調とは言いがたかったような……そういえば、負債返済のために祖父の館の遺品を整理していて失踪したということだったような……セレスティは言葉もなく名刺を見つめる。
「……」
 どこぞかにまぎれこんでいた名刺が不意に姿をあらわした。
 ……無視の知らせ? もとい、虫の知らせだった、無視してはいけない。……いや、してもいいのだけれど。
 とりあえず、こうして名刺も出てきたことだし、これも何かの縁かと訪ねてみることにした。
 
 名刺にあるとおりの住所へと訪れる。
 神聖都学園からほど近い場所にあるマンションの三階の一室、そこを拠点として活動しているらしい。業務内容は、人材派遣とある。
「こんにちは」
 声をかけ、扉を開ける。リビングを応接室として使用しているらしく、ソファとローテーブルがあり、その奥に事務用の机が見える。コピー機のそばに青年がひとり立っていて、扉の開く音に反応したのか、振り向いた。
「あ、いらっしゃい。あれ……」
 十代後半と思われるその青年との面識はない。だが。
「セレスティ=カーニンガムさんですか?」
 少し考えたあと、青年はそう言った。
「ええ、私をご存知でしたか」
「銀色の長い髪に青い瞳、全身から滲み出る知性と気品、高級スーツを厭味なく着こなす優雅な物腰と美貌……そして、ステッキ」
 青年の視線はセレスティのステッキにある。
「話に聞いていたとおりです。むさくるしいところですが、どうぞ」
 そして、思い出したように申し遅れましたがと自らの名前を告げた。青年は狗神といい、ここの事務というより雑務一般を引き受けているらしい。
「どうも、失礼します」
 実際のところ、ステッキで判断したのではないだろうか……と思えなくもないが、素直に示されたソファへと腰をおろす。
「いつみさん、あなたに会いたがっていたんですよ」
 お茶を用意しながら狗神は言う。
「けれど、先程、仕事で出ました」
「そうでしたか……。ありがとうございます」
 やはり、そこはかとなく運が悪いということでしょうか……そんなことを考えていると湯のみがそっと差し出された。
「彼は元気ですか?」
「元気ですよ。今日なんか、三十三魔法陣の本をみつけたとかなんとかで懐かしさにご機嫌でした」
「三十三魔法陣……?」
 そういえば、祖父がオカルトに傾倒していたとかで、館にも怪しげかつ胡散臭い本がかなり並んでいたっけ。セレスティが気になる単語を口にすると、狗神の表情が露骨に明るくなった。
「ええ、実は……」
 そう言って狗神は話し始めた。

 『資料』とシールが貼られたダンボール箱を開けてみると、見るからに胡散臭い、怪しげな装丁の分厚い本が入っていたので、とりあえず今日も机でため息をついているいつみさんを呼んでみました。
「……。いつみさーん」
「なんだい?」
 呼ぶとすぐにいつみさんはやって来ました。そこで、本を指さし、問うてみました。
「これ、なんの『資料』ですか?」
「……あ」
 本を見たいつみさんは小さく声をあげると、本を手に取り、ぱらぱらとページをめくりました。中身がくり抜かれて鍵やメダルが入っていてもおかしくはないような本でしたが、そういう仕掛けはありませんでした。
「こんなところにあったのか……懐かしいな……ああ、これはあれだ、三十三魔法陣の本だよ」
 懐かしげにいつみさんは言うんですが、そんな本は聞いたことがありません。三十三魔法陣の本だよとさも誰でも知っていそうな口ぶりで話されても……。そこで、訊ねてみたんです。
「で、それってなんですか?」
「え? だから、三十三魔法陣だよ。とある悪魔がある錬金術師の夢のなかへ現れ、書かせたと言われている有名な本じゃないか」
「……有名……ですか」
 そうですか、たぶん、有名なのはいつみさんのなかだけです……心のなかでそうツッコミをいれておきました。だって、そうですよね? 知りませんよね?
「和哉くん、そんな顔をしなくても……。有名じゃなかったのかな……祖父も母も当たり前のように話していたから、てっきり。うーん、そうだよな、あの人たち、ちょっと普通じゃなかったし……有名じゃないのかも……」
「まあ、それはともかく……三十三魔法陣とはなんなんですか?」
 僕自身、怪奇現象や怪談についてはそれなりだとは思っているんですが、悪魔とか魔法陣とかそういった方向にはあまり興味はありません。僕の興味の対象はあくまで、怖い話や呪い、祟りなので。ああ、話がそれましたね。
「生活に役立つ陣形……魔法陣が三十三種類掲載されている本だよ」
「そのまんまですね」
 あっさりといつみさんは言ったんですが、しかし、生活に役に立つ魔法陣って……。それも、悪魔が書かせたとか言われている代物でしょう? 本当に役に立つことが書いてあるようにはとても思えませんでした。一見、便利そうで、実は落とし穴がある……とか。でも、内容も気になったので、訊ねてみました。
「例えば、どういうものがあるんですか?」
「そうだね、大願成就とか……無病息災、家内安全というのもあったかな」
「商売繁盛とかもあったりして」
 もちろん、冗談で言ったんですけど。でも、いつみさん、頷くんですよ。
「ああ、あったんじゃないかな?」
「……神社に売っているお守りや御札と一緒ではないですか……」
「そんなようなものだよ。護符の書き方が載っていると思ってくれれば。……そうだ、和哉くんにも護符を作ってあげるよ」
「え、いいですよ……」
 そんな胡散臭いものは受け取れないって遠慮したんですけど……。
「遠慮しなくてもいいよ。普段のお礼だから……どれにしようかなー」
「普段のお礼だというなら、むしろ作らないで下さい……」
「え? 何か言った?」
 僕は本当のことを言えませんでした。ええ、言えませんでしたよ……にこにこと珍しく上機嫌ないつみさんを前に、そんな胡散臭いものはいらないなんて。
「……うん、これにしよう。夢魔の力を借りて夢界に干渉をする魔法陣」
「魔界ですか……?」
 ムカイ? いや、マカイの聞き間違い? ……どちらにしても、胡散臭いことにはかわりません。
「いや魔界ではなくて、夢界。夢の世界だと思えばいいよ。護符を枕の下にいれる。そして、眠る前に自分の叶えたい夢や理想の世界を思い浮かべるんだ。そうすると、夢でそれが再現される」
「見たい夢が見られるんですね」
「ただの夢だと思ってはいけないよ。現実と変わらない質感を再現してくれる。味覚や痛覚も再現されるんだ。……俺は幼い頃、この魔法陣でお菓子の家を食べたり、童話の主人公になったりしたもんさ」
「なるほど……そういう使い方をすればいいんですね」
「そう。自分の夢だから、なんだって思いどおりだよ」
 
 狗神は小さく息をつくと、確かに魔法陣を思わせるような図形が描かれた紙を取り出した。
「……と、にこりといつみさんは笑い、そして、ここにその魔法陣が描かれた護符があるというわけなんですよ」
「それが、三十三魔法陣のうちのひとつなのですね」
「ええ。夢魔召喚魔法陣の一種だとか言っていましたよ。……セレスティさん、ちょっとこれに興味があるんでしょう?」
 疲れた表情でため息をついた狗神は、一転、にこりと笑みを浮かべた。
「興味というか……思い描いた理想の夢を見る、それも面白いでしょう。もう一歩踏みこんで、別の夢を見たり、渡って行くことができたなら……」
「それも、また一興……?」
 続けられた狗神の言葉に、セレスティはにこやかに頷く。
「そういう魔法陣もあるのかもしれないですね。今度、いつみさんに聞いてみましょう。で、この護符はセレスティさんにプレゼント」
「え?」
「来訪記念に、どうぞ。セレスティさんに会いたかったのに、会えなかったいつみさんの無念を晴らすというわけで……という言いまわしもどうかと思いますが」
 まったく、そのとおり、どうかと思いますが……セレスティはそう思いつつも、差し出された魔法陣の描かれた紙を受け取った。
「しかし、君も試してみたいのでは?」
 いや、胡散臭いと言っていたし、試したくないから寄越したとか……話の流れからそんなことを疑うと、狗神はにこりと笑って紙を取り出した。
「いや、僕の分、きちんとありますから」
「そうですか、それなら安心(?)ですね」
 もしや、コピー機でコピーしていたものは……いや、気のせいでしょう。セレスティは湯のみを口元へと運ぶ。予想に反して高級茶葉の味がした。
 
 狗神の話では、枕の下に護符を入れ、眠る前に夢に見たいことを思い浮かべるということだった。
 夢に見たいこと。
 過ごしやすく穏やかな天気のなか、目的もなくクルーザーで海原を漂い、ゆるやかにうねる波を見つめながら、その音に耳を傾けている……そんな自分を想像する。もちろん、明日は仕事であって、休みではないとわかっている。
 しかし、なかなか叶わない夢を見るだけでも、それは夢……そう、この時点で夢を見ているともいえる。眠り、みる夢ではなく、目をあけて見る夢を。セレスティは妙に納得をして、ベッドに横になる。
 空調が整えられた部屋のなかで、ほどなく眠りにつき……。
 
 最初に感じたのは、潮のかおり。
 そして、さざめく波の音、少し湿り気を帯びた、しかし、それに嫌悪を感じさせない独特の風。それを耳で、身体で感じる。
 光を感じる瞼をそっとあけると、陽光をあび、輝かしくうねる水面が見えた。
「ああ、本当に……」
 だが、冷静に考えてみると、眠る前に考えていることや気にしているをは夢にでやすいというし、これは護符のおかげなのかどうか、それに護符が伝えられた経緯が悪魔であることを考えると何か落とし穴があるのではないか……そこまで考えて、その思考を止めた。せっかく、こうして願う光景のなかに在るのだから。
 目のそばに手をやり、光を遮りながら遠くを見やる。彼方まで続く海原の向こうには水平線。視界を遮るものはなにもない。
 クルーザーは自分が所有しているものと同じものだが、ひとつだけ違うところがあった。壁に小さな魔法陣が描かれている。護符の魔法陣と同じものであるように思えた。
 クルーザーの進路は風と波に任せ、ゆったりとした時間を過ごしたのは、果たしてどれくらいだったのか。ふと気がつくと、空は曇り、波は荒くなっている。こうなってくるとのんびりもしていられない。状況を把握するべく、空を、海原を見つめる。すると、視界を遮るものはなかったはずなのに、いつのまにか黒い雲を背景にした不気味な孤島がそこにある。
 ……明日の仕事や天候に対する不満というか、不穏な気持ち、いや、夢とはいえ都合が良すぎるのではと思う気持ちの現れなのだろうか、あの島は。
 そんなことを考えたりもしたが、そう呑気なことも言ってはいられない状況になってきた。島の方から風に乗って女性の泣き声のようなものが聞こえてくる。風と波の影響なのか、クルーザーはその島に引き寄せられている。
 いや、違う。
 風に乗って島から泣き声のようなものが聞こえてくるということは、島の方から風が吹いているわけで、島から離れていいはず。なのに、島へとまっしぐらということは……。
「……」
 セレスティは島から離れるべく、クルーザーを操作しようとした。古来より各地に伝わる伝承や話において、海で歌声や泣き声が聞こえ、そこに引き寄せられているような状況に陥った場合、イイコトがあった試しがない。船が引き寄せられ、島に辿り着いてみると現地の住民に熱烈大歓迎を受けました……などという話は聞いたことがない。大抵の場合、船は沈み、そこには獲物を待つ何かがいるものだ。
「ううーん、やはり……ダメですか……」
 そして、もうひとつ。こういう状況に陥った場合、どんなに上手い操舵手であっても、そこから逃れるすべはなく、船は引き寄せられ、沈む。どうやら、このクルーザーも同じ運命を辿るらしい。
 まあ、話において、船は沈むものだし、飛行機は落ちるものだし、馬車は脱輪するものですから……セレスティは肩を竦め、ため息をつく。そして、潔く(?)流れに身を任せてみることに決めた。
 
 クルーザーは見事に島に引き寄せられたが、沈むことはなかった。しかし、泣き声は相変わらず風に乗って流れている。
 耳を澄まし、方向を確かめる。
 泣き声に誘われるまま、クルーザーを降り、島へと上陸する。雰囲気としては無人島、誰も住んでいるようには思えないが、泣き声がするということは、最低でもひとりはいるということだ。しかし、クルーザーを引き寄せる泣き声を発する相手が普通の人間とは思えない。
 そもそも、これは自分の夢であるはず。
 ……誰?
 声は女性のもの。
 泣き声……泣き声といえば……ふと自分の恋人を思ってみるが、彼女は……。
 しかし、これは、夢だから。
 夢だから、もしかしたら、泣いているのもありなのかも……とはいえ、彼女の泣き声はそれはそれで不吉の前兆であるような。
 そんなことを考えながら歩き、岩場と木々の荒れた道なき道を慎重に進む。やがて、視界は開け、小さな泉へと出た。その泉のなかに女性の後姿がある。下半身は泉につかり、腰から上だけがあらわとなっている。それだけを見るならば、なんてことはない水浴びの光景なのだが、泣いているのは、間違いなくそこに見える女性であり、顔に両手をあて、俯き加減に哀しげに声をあげている。そのたびに、背中にかかる長い髪がゆれた。
 よくよく見てみると、その後姿には見覚えがあるような気がする。それに、女性というにはまだ早い、少女と呼ぶに相応しいくらいの年齢のように見えるが、とりあえず恋人ではないことだけはわかった。
 さて。
 目の前に泣いている少女がいる。普段であれば、即座にどうしましたかと優しく声をかけるところではあるが、状況が状況だ。クルーザーが引き寄せられた原因は彼女の声にありそうだし、下半身だけが泉につかっているということも気にかかる。
 とりあえず、周囲に水は溢れていることだし、いざというときはその力を配下に置いて身を守ればいいだろう。
「どうしました?」
 そういえば、少女は服を着ていない。近くに彼女の服らしいものは見当たらない。もしかしたら、それが原因で泣いているのかも。風で飛ばされた、もしくは奪われた……そういう話があったかと思いながら声をかけてみる。すると、泣き声がとまった。
「あたし……」
 震える声で少女は呟く。
「あたし、二股なんかじゃありません……!」
 そう言って少女は振り向いた。それと同時に泉が大きくうねり、水面から何かが勢いよく飛び出した。自分めがけて一斉に飛び出したそれは、いくつもの大蛇の頭。くわっと牙を剥くそれが迫る前に、セレスティは腕を振るった。それに応えるように水が集約し、壁となる。一瞬だけ、硬化した水の壁に阻まれ、大蛇は弾かれるようにあらぬ方向へと首を向ける。が、すぐに態勢を立て直し、襲いかかる機会をうかがう。
 泉のなかから現れた少女の下半身は、人間のそれではなく、人魚のそれでもなく、うねる大蛇のそれだった。頭部は合計でいくつになるだろうか。
「二股なんかじゃないんです……!」
 ふ、二股どころの騒ぎではありません……! 危うくつっこみそうになるところをぐっとこらえる。
「違うんです、確かめてみたかっただけで……」
「ともかく、落ちついてください……おや、君は……」
 そこで初めてお互いの視線が交差する。自分がはっとしたように、相手もまたはっとした。
「あなたは……」
 そう言って、両腕で胸元を隠すようにしながら涙に濡れた目を大きく見開いたのは、海原みなもだった。

「なぜ……」
 お互いの唇が異口同音に言葉を発する。
「あたしの夢に?」
 同じ言葉を自分も口にしていた。どうして、みなもが自分の夢に出てくるのか……知らない相手ではないから、出てきてもおかしくはないが、しかし、この状況。もしやと思い、訊ねてみる。
「あなたも、護符を……?」
 こくりとみなもは頷いた。
「そうでしたか……自身が思い浮かべる夢を見るとのことでしたが、どうやら同じ護符を使っている同士の夢がつながっているようですね……」
 そういう機能はないようなことを言っていたような気はするが、実際、目の前にみなもがいるのだから、そういうオマケ(?)があったのだろう。セレスティは上着を脱ぎ、みなもの肩にかけようとしたが、そこで大蛇に噛みつかれそうになった。
「あ、ダメ! ……ごめんなさい、ちょっと気を緩めるとすぐに何か食べようとしちゃうんです、蛇さんたち……」
 みなもは困ったような顔で言う。
「定番ですが、言っておきます。……私を食べても美味しくはありませんよ」
 おそらく。セレスティはみなもになだめられている大蛇たちにそう言った。一応、笑みは浮かべておいたが、少しひきつっているかもしれない。
「上着をどうぞ。それにしても……その……」
 いったい、眠る前に何を思い浮かべたのですかと素直に訊ねてよいものだろうかと迷ってしまう。その姿を見ると。
「どうして泣いていたのですか?」
 迷った挙げ句、直接的な表現は避け、そう訊ねてみた。
「狗神さんから護符をいただいて……人魚姫とスキュラの、似ているけれど微妙に違うそのおはなしのヒロインは、どちらが幸せだったんだろうって、夢なら実害なしで試せるかなと思ったんです。そうしたら、ふたつのおはなしが混ざっていて……人魚姫の王子さまとスキュラの王子さまの両方に二股をかけたって因縁をつけられてしまったんです……でも、二股なんかじゃないんです!」
 なるほど、そういう意味で二股ではない、と。だが、こうなるともう二股がどうこうという問題ではないような気がしてくる。……すでに、いくつにわかれているのかわからないし。
「ともかく、これは夢ですから、夢から醒めればもとの姿なのでしょうが……」
「いつ醒めるんでしょうか……」
 みなもの言葉にお互いが無言になる。やはり、朝になり、身体が目覚めるまでこのままなのだろうか。そうなると、意識はなんだか覚醒しっぱなしでまったく休んでいないような……。
「ともかく、ここでこうしているのもなんですし、もしかしたら他にも人がいるかもしれません」
 
 みなもとともに泉を離れる。しばらく歩くと近代都市のような場所へ出た。しかし、そこは建築途中のまま放置されたような荒れ果てた廃墟で、壁は崩れ、剥き出しになった鉄部分は赤く錆びている。人の気配はない。
「これは、また……すさまじい雰囲気の場所にでましたね……」
「あたしの夢ではなさそうなんですけど……」
「私の夢でもなさそうです」
 錆びた看板や外れた扉、割れた窓ガラスを見ながら通りを歩く。
 からんからん。
 崩れかけたビルとビルの間から、空き缶が転がるような物音がした。反射的に顔を向けると暗い影のなかで何かが動いた。自分の膝の高さくらいまでしかないそれは、どうやら人の形をしているようだった。左右の足の長さがあわないのか、関節がおかしいのか、妙にぎこちない動きでゆっくりとこちらへ歩いてくる。
「人形……?」
 通りへ現れたのは、ぼろぼろのドレスをまとった人形だった。口のまわりには赤錆がついているのか、妙に汚れている。かなり長い間雨ざらしにされていたような状態のそれはセレスティとみなもを見つめると動きを止めた。が、それも一瞬。急に両手を突き出し、すたすたと歩みよってくる。
「!」
 人形の顎がかくんと外れ、ほんの少し首が傾げられる。今にも噛みつこうというその瞬間、みなもは小さく悲鳴をあげた。その声とほぼ同時に大蛇が動き、人形をばくりと丸のみにする。……蛇は自分よりも大きなものを丸のみにするというが、目の前でそれをやられると、結構、驚く。
 大蛇はしばらく人形を呑みこんでいたが、やがてそれは自分が食べるべきものではないと気がついたのか、ぺっと吐き出した。錆びで赤茶けた路面に人形がごろりと転がる。
「た、助かりました……」
 人形が動いて襲ってきたことよりも蛇が丸のみということに驚いているような気がする、自分は。セレスティはどうにか礼の言葉を口にしたあと、小さく息をついた。
「い、いえ……あ……」
 みなもが小さく声をあげる。耳を澄ましているその仕草にならい、耳を澄ましてみると、シャキンシャキンというような音が聞こえてきた。
「……」
 お互いに顔をみあわせたあと、人形が歩いてきた路地裏へと身をひそめる。次第に音は大きくなり、こちらに近づいてきていることがわかる。息をひそめていると、錆びついた大きな鉄のハサミを手にし、目の部分だけ穴をあけている麻の袋をかぶった男が周囲をうかがいながら目の前を通りすぎていった。
 シャキンシャキンという音が遠くなっていき、やがて聞こえなくなった。
「な、なんでしょう、あれ……?」
「よくはわかりませんが、とりあえず友好的ではないようです……」
 見つかり次第、あの大きなハサミで身を裂かれそうな気がする。それはおそらく気のせいではないはずだ。
「これからどうしましょうか……」
 ため息をついていると、通りを歩く靴音と話をしているらしい声が聞こえてきた。
「だからさ、次に出てきたときは三人がかりでやっつけようよ」
「ですが、あのシャキンシャキンという音を聞くと身が竦みます〜」
「躊躇いなく突っ込んでくるものね。あの勢いには負けるわ、確かに。反射的に逃げたくなるもん」
 会話から判断して、あのハサミ男の仲間というわけではなさそうだ。セレスティとみなもは顔をみあわせると通りへと出た。そこには、中年の男と子供と若い娘がいる。セレスティとみなもが姿を現すと、動きを止めた。
「あ」
 お互いに小さく声をあげる。が、みなもの下半身に目がいった途端、それは悲鳴となった。
 
 事情を説明し、ここまでの経緯を話し合う。
 とりあえず誰もが狗神から受け取った護符を使って、夢を楽しんでいたことがわかった。が、それもハサミ男が現れるまで。追われ、逃げるうちにここへ辿り着いたのだという。
 中年の男はシオン・レ・ハイ、小学生くらいの少年は鈴森鎮、若い娘はティナ・リーとそれぞれが名乗った。
「結局は、ハサミを持っている男、本気を出せば勝てそうな気もするのですが、あの迫力には負けるのです」
 腕をくみ、シオンはうーんと唸る。
「何が怖いかってあの大きなハサミだよ。必殺くーちゃんすぺしゃるをやろうとしても、くーちゃん、怖がっちゃうし」
 鎮は連れている小動物の頭を撫でる。リスではないし、ネズミでもない。かといって猫でもないし、犬でもない。フェレットというわけでもない。謎の生き物だった。
「とてもじゃないけど、あんなのに立ち向かえないわよ」
 はぁとティナはため息をつく。
「なるほど、話に聞いているとかなり迫力がある相手らしいですね……」
「迫力があるなんてもんじゃないわよ。両手に持った大きなハサミをジャキン、ジャキン、ジャキンって交差させながら、躊躇わず真っ直ぐに向かってくるんだから。あの勢いに反射的に逃げ出すってもんよ」
 それは、怖い、確かに。セレスティは苦笑いを浮かべた。
「でも……それ、誰の夢の登場人物なんですか?」
 話を聞いていたみなもは唇に指をそえ、小首を傾げた。言われてみれば、三人はハサミ男が現れるまでは夢を楽しんでいたわけで、無論、自分もみなもの声に誘われるまではクルーザーで海を楽しんでいた。みなもはスキュラと人魚姫の話だそうだから、ハサミ男が現れるわけがない。
「……」
 お互いに無言で顔をみあわせる。そして、指をさしては滅相もないと横に首を振った。結果、誰でもないことがわかる。
「他にも護符をもらった人がいるということでしょうか……」
「私、たぶん、最後に護符をもらったんだけど、あいつ、五人の人に渡したって言っていたような気がする。私を含めて」
 場にいる人数は五人。そうなると、護符を描いた東海堂か、護符を配った狗神の夢というように考えられる。
「じゃあ、狗神さんの夢ということですか? ……誰か狗神さんに会った人はいますか?」
 みなもが問うと、ティナが小さく手をあげた。
「はい、私。会ったわよ。ハサミ男に追いかけられて、しばらく一緒に逃げていたんだけど……」
「……」
「すでに、ハサミ男の餌食になってたりして……」
 誰もが思っていて口にしなかったことを鎮が呟く。
「とりあえず、あのハサミ男をなんとかしないとゆっくりできないわ。あいつはこっちを見つければハサミを振りまわして追いかけてくるし、夢から醒める方法もわからないし」
「五人いればどうにかなるでしょうか……しかし、あの迫力には参ります〜と噂をすれば、あの音が……」
 遠くから再びシャキンシャキンという音が聞こえてきた。
「生理的にくるものがある音ですね」
 シャキンという音が周囲に響き渡るその余韻がまたなんとも言えない。クルーザーでのんびりする予定がどうしてこうなっているのだろう。
「みつかるとこちらへまっしぐら、さらにくるものがあります」
 うんうんとシオンは感慨深く頷いた。そうしている間にも音は近づいてきている。
「それで、どうするんですか?」
「もちろん、やるわよ。狗神の敵討ちよ!」
 拳をぐっと握りしめ、ティナは言う。なんだかやる気なところに水をさすこともないので、勝手にやられたことにしてしまってよいものでしょうかというツッコミは心のなかだけにしておいた。
 
 作戦といえるほどのものを考える時間はなかったが、相手はひとり、自分たちは五人。数の上では勝っているので最悪、人海戦術というものが使える。……あまり使いたくはないが。
 自分は運動に関する技能は高いとは言えないので、ティナとともに後方援護というかたちで少し離れた場所に立つ。シオン、みなも、鎮の三人が前方でとりあえずの捕獲(?)を試みる。それが失敗したときが、自分の出番。水を支配するその力をもって、ハサミ男の体内に流れる血潮に干与し、足止めをする。下手をすれば一撃死、致命的とも言える方法なので、本当に最後の手段だといえる。
 シャキンシャキンという音がさらに近くなり、通りにハサミ男が姿を現した。こちらに気がつくと、終始動かしていたハサミの動きを一瞬、止める。そして、シャキンシャキンとハサミを動かしながら、すさまじい勢いで走りこんできた。……なるほど、あの勢いならば相手がどうあれ反射的に逃げたくなるかもしれない。
「……あれ?」
 隣に立つティナが小さく声をあげる。そうしている間にもハサミ男はものすごい勢いで走りこんできている。
「どうしました?」
「よくよく見てみるとあのハサミ男、最初に会った奴と違うような……っていうか、あの服装……」
 そう言われてよく見てみると、ハサミ男の服装は特に手にしているものの異常さが際立つようなものではなく、言ってみれば、普通、とくにこれといった特徴がないものだった。ただ、頭部の麻袋と巨大なハサミに目がいくのでなかなかそっちへは気がいかない。
「そういえば、そうですね。……あの背格好、なんとなく見覚えがありますね……」
 もしかしたら、あれは。あのハサミ男は……と思っている間に、ハサミ男は三人の手によって撃沈されていた。
「ああ、とどめはちょっと待ってください!」
 今にもとどめをさされそうな状態にある地面に倒れているハサミ男とそれを囲んでいる三人へ声をかけ、近づいた。
「なんで? また起きあがってきちゃうよ?」
「その麻袋をとってみてください」
 鎮はなんでという顔をしたあと、恐る恐るといった感じに手をのばし、麻袋を取り去る。
「え?!」
 あらわとなった顔は、狗神のものだった。
「狗神さん……そういう趣味が……」
 様子を見守っていると、狗神は小さく呻き、やがて瞼をあけた。身体を起こしたあとこめかみに手をやり、軽く横に首を振る。
「あれ、みなさんおそろいでどうしたんですか……?」
 寝ぼけたような、なんともはっきりしない表情で狗神は言う。
「どうしたんですか、じゃないわよ。なんであなたがハサミ男になってんの?」
「え? ハサミ……?」
「そうです、このハサミですよ」
 シオンは近くに転がっていたハサミを拾いあげる。そして、ジャキジャキと軽く動かした。
「ハサミ……ああ! そうだ、思い出した……ハサミ男に追われて、どうにか倒したんだ……それで、落ちていたハサミを拾って……そうだ、ハサミだ、ハサミを手にしちゃいけないんだ!」
 シャキンシャキン。狗神の最後の言葉にハサミの音が重なる。ふと顔を向ければ、ハサミを手に少しばかり怖い顔をしている(いっちゃっているとも言う)シオンがいた。
「そういうことはもっと早くに言いましょう……」
 
 護符と同じ魔法陣に触れることで、夢から戻ることができると聞き、それぞれに別れを告げたあと、夢の世界をあとにする。
 自分の夢だけではなく、他人の夢に渡ることはできたものの……それもどうなのかという結論に達した。いや、他人が何を夢見ているのかわからない、本当に。
 しかし、普段は会えない人にも夢でなら会うことができるわけで。結局のところ、使い方次第なのかもしれない。
 とりあえず、ひとつだけ言えることは、あまりに夢の内容をはっきり憶えていると休んだ気がしないということだ。
 
 とりあえず、護符は机のひきだしの奥へとしまっておいた。
 その後、この護符が使われることがあったのかどうかはさだかではない。
 
 −完−


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1883/セレスティ・カーニンガム(せれすてぃ・かーにんがむ)/男/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い】
【1252/海原・みなも(うなばら・みなも)/女/13歳/中学生】
【2320/鈴森・鎮(すずもり・しず)/男/497歳/鎌鼬参番手】
【3356/シオン・レ・ハイ(しおん・れ・はい)/男/42歳/びんぼーにん(食住) +α】
【3358/ティナ・リー(てぃな・りー)/女/118歳/コンビニ店員(アルバイト)】

(以上、受注順)

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■         ライター通信          ■
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依頼を受けてくださってありがとうございます。
またも納品が大幅に遅れてしまい、申し訳ありません。

相関図、プレイング内容、キャラクターデータに沿うように、皆様のイメージを壊さないよう気をつけたつもりですが、どうなのか……曲解していたら、すみません。口調ちがうよ、こういうとき、こう行動するよ等がありましたら、遠慮なく仰ってください。次回、努力いたします。楽しんでいただけたら……是幸いです。苦情は真摯に、感想は喜んで受け止めますので、よろしくお願いします。

こんにちは、カーニンガムさま。
参加いただいたものがことごとく納品遅れで申し訳ありません。
結局、妙な方向へ話がいってしまいました。ひきだしにしまいましたが、いっそ燃やしてしまってもよいかもしれません(おい)

願わくば、この事件が思い出の1ページとなりますように。