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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


たとえばまだ


 ――プロローグ

 結局依頼人は来なかった。
 電話ではもの凄い迫力の依頼人が、はたと我に返ってやって来ないのは少ないことではないのだが、時間を空けた側としてはなんとも言えない気持ちになる。ただ待ち人来たらぬと、机の上のゴミの中からぼんやりとドアを眺めているだけだが、こんな筈ではなかったような、と考える。
 そうしていると、零が必ずコーヒーを入れて持って来るので、なんとなくそれを飲むことにする。

 のんびりとした午後だった。依頼の電話がかかってこなければ、もう店じまいということにして誰かを誘って食事にでも出ているところだ。それなのに、結局ぼんやりとしている。空けた時間はすっぽり依頼人のものだったので、草間は自分のものとも他人のものとも言えぬ時間を、ただ持て余している。
 
 困ったな、と漠然と思うも特にどうという案があるわけではない。
 零を買い物にやって、少し気分転換をさせるか。などと、人のことを考えていた。

 ――エピソード
 
 興信所の斜め向かいには最近九十九円ショップができた。興信所へ行くのに手土産など持たない俺だったが、何かの記念にと中に入ってみたら、存外に広く色々な物が雑多に置いてあって思いの他楽しかった。四個入りの大福と洗髪のときに頭をマッサージするらしいイボイボのついた物や、青竹踏みの要領で健康になれるらしいプラスチック製のこれもまたイボイボのついた物を一緒に購入した。
 それから興信所の一階の不動産屋の一番日当たりのいい場所に陣取っている猫を窺い見てから、二階への狭い階段を上る。階段はいつもなんだかカビ臭い。興信所の金属製のドアを乱暴に開けると、机から少しだけ頭をもたげた草間探偵が目に入った。
「よお、九十九円ショップ行った?」
 俺が草間に挨拶をすると、草間はいかにもめんどうだという顔で片手を振って、一度大きな欠伸を噛み殺すようにしてから答えた。
「こないだ、カップラーメン買った」
「これ土産」
 ソファーの前のガラステーブルへ置いておく。
 草間は変な顔で俺の置いた袋を見ている。
「なに買ってきたんだ」
 袋から飛び出している、青竹ならぬプラスチック踏みのことを言っているらしい。
 出してみせると、なんだか少し納得したような顔をして
「俺健康サンダルが辛い」
 短く白状した。
「おいおい、おっちゃん年がばれるぜ」
 からから笑ってからソファーに腰をかける。
 いつもならすぐにお茶を持ってくる零がいないので、つい辺りを見回してキッチンを見つめていると、草間が言った。
「零なら、駅前のマクドナルドへ買い物へ行ってるぞ」
「ああ、そう」
 答えてから、時間帯がもう三時を回っていたので訝しげに思う。
「昼飯まだなのかよ」
「カップラーメン食った。……いや、あんまり暇なもんでな、気分転換に外へ行かせた」
「だからってマクドナルドって」
「駅前で物を買うほど金がないからさ」
 草間はまた小さなことを言って、ふうと溜め息をついた。
「おっちゃんも、これ、やるか」
 スロットを手で表すのは困難だったので、手首を捻ってパチンコの仕草をしてみせる。草間はそれを少し苦い顔で見て
「あれはダメだ、大抵すってる」
「情けねえなあ」
「うるさい、俺は地道に稼ぐ方なんだ」
 まるで見当違いなことを言って、草間は不貞腐れたように背凭れにもたれかかった。
「そうだ、こないだから零が妙に食べ物に感心を持つようになったんだが、お前のせいか?」
 草間は手を顎に当てて、うなるように言った。
 俺は一瞬だけ頭がまっ白になって、けれど別になんてこともないと瞬時に判断して答えた。
「ああ、夏祭りつったら食わなくちゃだろ」
「ますますピーを食べる気なんだが」
「え、そうなの」
 逆に転ぶと思って食べ物を与えたのは間違いだったのか。
「いや、料理の本とかどっかからもらって来て、鳥料理を俺に見せるんだ」
「……」
 やばい、完全に逆方向にベクトルが向かっている。俺の計画では食べ物を食べて幸せ、食べられる物と食べない物の区別がつくように! だったのに……。まあ、そういうこともあるか。
 だが考えてみると、どうして零は食べないでいられるんだろう。食べなければエネルギー摂取はできない筈だ。見た目は普通の女の子なのだ。
「なあ、零ってここに来る前どうしてたんだよ、おっちゃんの妹ってわけでもねえんだろ」
 俺がなんとはなしに訊くと、草間は質問を避けるように立ち上がった。
「妹だよ」
 キッチンへ入って行きながら
「お前もコーヒー飲むか」そう言ったので、「もらう」と答えた。
 俺は腕組をしながら、キッチンの草間に訊いた。
「だって食べないんじゃ、やっぱ人と違うじゃねえか。おっちゃんの家系図が変なわけ?」
「……お前うるさいぞ、そういうことは皆黙ってやり過ごすもんなんだよ」
 草間はキッチンから投げやりに言う。
 それでも俺はやっぱり納得できなくて、口の中でつぶやいた。
「やり過ごすって、そんなの本人によくねえよ」
 草間は俺の後ろから手を伸ばしてテーブルにコーヒーカップを置き、自分は俺の前のソファーに腰かけた。それから俺の顔をじいと見てから、苦々しく笑って、それから寂しそうに目を細めた。
「たとえば、の話だぞ」
「たとえば?」
「たとえば、まだ零は本当に笑ったことがない」
「はあ?」
 言っている意味がわからない。
 零はいつもニコニコ笑ってばかりいるし、俺が猫だったときだって、ボールペンを飲み込んだときだって、夏祭りのときだって彼女はいつも笑っていた。それが俺は最善だと思ったし、それでいいんだと思っていた。
「兵隊だったんだ。命令でしか動けなかった。命令で笑えと言われてるから、いつも笑ってるのさ」
「おっちゃん、言ってること飛躍しすぎてて意味わかんない」
「俺だってわかんねえよ。あいつが本当に笑ってるかどうかなんて、どうしたらわかるんだ」
 草間は俺に問い返した。どうしたら、わかるんだ? 俺は心の中で質問を繰り返す。
「そもそも、零じゃなくたってそうだ。誰かが頭の中で泣いてるかどうかなんかわからないじゃないか。ただ零は特殊な例だが、どうしたらそいつの笑顔が信じられるんだよ」
 草間はコーヒーを一口飲んでから、煙草を取りに机へ立った。
「命令って、なんだ?」
「人間は笑顔を見ると油断する、だからいつでも笑っていろ、という命令だ」
「誰の」
「零を創った研究所の連中のだ」
 彼女は何者なんだ? いつも平和そうに笑っている零は、なんなんだ?
 草間は俺の元に戻ってきて煙草に火をつけながら、渋い顔は崩さずに口だけで言った。
「別にそんなもの関係ない、きっと零は今の生活を楽しんでる。食べたり、飲んだり、笑ったり、きっと楽しんでる。……お前だって、そう思うだろ」
 俺は――。
 よくわからない。突然そんなこと言われたって、人は混乱するだけだ。もちろん人間ではないことは知っていたけれど、研究所とか命令だとかそんなこと言われたってわからない。ただ彼女が笑っていることを望んでいたのは、間違っていたのだろうかと、かすかに頭の端で考えていた。守りたいと思っていたものが、もろく崩れ去るのを感じていた。
 俺は、答えることができなくて、立ち上がった。
「遅くねえか、零」
「……ああ、寄り道でもしてんのかな」
「俺、ちょっと見てくらあ」
 草間から逃げるように興信所のドアを開ける。外のもあっとした空気が身体を包む。嫌な予感がして、階段を駆け下りた。
 テツマン明けに見た朝焼けがやけに奇麗だったり、冬の海でバカみたいに水をかけ合って遊んだり、テストのヤマが当たって見事に高得点をマークしたり、翌日のパチスロで見事に持ち金をすったり、明日の天気が台風で大学は休校だったり、嵐の中一人で傘も持たずに外で濡れていたり、毎日めくるのが楽しみの日めくりカレンダーを居候にめくられてしまって腹が立ったり、昔みた夢ってなんだったっけかとずっと考えて休日を潰してしまったり。
 そういう毎日を、きっと彼女も送れると信じていたい。
 俺はたぶん、草間の問いに答えられるだろう。
「そうじゃなくたって関係ない」
 たまらなくわがままに、答えてやろう。零が楽しんでいなくたって、絶対に楽しませてやる。他になにができるだろう。ただ信じるだけでいるなんてバカバカしい。俺はわがままだから、そんな謙虚な姿勢じゃいられない。
 駅前のマクドナルドの前まで来て列にも席にも彼女がいないのを確認してから、通ってきた道を引き返して路地を見て回ってみる。すると小さな路地で座り込んでいる零を見つけた。
「零」
 声をかけると、零が顔を上げる。白いリボンが揺れて、彼女は俺をみつけて嬉しそうに微笑んだ。
「雛太さん」
 彼女の周りには猫がまとわりついていて、零はマクドナルドのポテトを猫達に配っているようだった。
 俺は彼女の手を掴んで、路地から明るい場所へ引っ張り出した。
 驚いた様子の彼女は、
「え? どうしたんですか」
 不思議そうに俺を見つめている。
「これから、お前の好きなところ連れてってやる」
 零を見ると、首元にビーズのネックレスがかかっていた。花の飾りのついた、華奢なネックレス。まるでコワレモノみたいな、零にぴったりのネックレス。
「私の好きなところですか? お兄さんが心配します」
「平気だ、どーせ携帯あんだから」
「私は――興信所が好きです」
 困った笑顔で言った零は、慌ててつけ足した。
「お祭も好きです。あと、海も好きです」
 零の片手を引っぱって、俺は駅へ向かって歩き出した。零を見るのがなんだか恥ずかしくて、ともかく前を向いて歩く。
「でも雛太さんとはやっぱりお祭へ行きたいです」
「バーカ、海も俺と行くんだよ」
 恥ずかしくて耳まで赤くなっている気がする。
 それでも零を繋ぎとめている手だけは離してはいけないと思えて、俺は彼女と手を繋いだまま最寄の駅で切符を買った。二人でどこまでも行けるように、一番高い料金の切符を買った。


 ――エピローグ
 
 駅のホームで二人、ハンバーガーを半分ずつ食べた。
 それからこれからどこへ行くか話し合って、知らぬ女の子が浴衣を着ているのを発見したから、彼女の後を尾けて行って、零の言うお祭へ辿り着こうと画策した。
 ついたお祭会場は少し小規模で出店も少なかったけれど、神社の境内の近くにビーズ細工の露店があったので、俺は今度は零を露店の主人に見せて、一時間後までにオーダーメイドでブレスレットを作ってもらえるよう交渉した。露店の主人は「いいよ、いいよ」と安請け合いをし「かわいい彼女だね」とお世辞ともそうでないともとれる発言をして、浴衣の色は知らない筈なのに、紺色と白とピンクの混じったビーズで小さな星のついたブレスレットを作ってくれた。
 お祭を出ると、空はおどろくほど澄んでいて秋が近付いたのを感じた。
「秋だなあ」
「なにが秋なんです?」
「空が高いだろ、雲が遠いだろ」
 零は不思議そうに空を見上げて、目を瞬かせた。
「秋なんですね」
 零の華奢な腕につけられたビーズ細工のブレスレットが、繋いだ手に触れる度に彼女の腕に目を落とした。
 たぶんきっと、彼女と自分を繋げてくれるものはこんな物ではなくて、自分の手だと考えながら。それでも少しは、零が自分を思い出すきっかけぐらいにはなってくれるだろうと信じながら。
 
 
 ――end


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【2254/雪森・雛太(ゆきもり・ひなた)/男性/23/大学生】

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■         ライター通信          ■
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雪森・雛太さま。
おそらくほのぼの系のプレイングをいただいたと思うのに、思わぬところで重たいお話になってしまいました。申し訳ありません。お眼鏡に適うことを祈っております。

お気に召せば幸いです。
またお会いできることを願っております。

文ふやか